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第174回 差別を許さない社会環境――あいつぐ差別発言から
[11月に起きた4つの事件]
 
 最近、毎日のように差別事件(多くは差別表現)が発覚し、告発されている。結論から先に言えば、これらの差別事件が氷山の一角であることは疑いないが、確かなのは、社会の中に“差別を見抜く眼”をもつ人が確実に増えているという事実である。

 
.廛輒邉緞務て仔本ハムファイターズが、新千歳空港に掲げていた「北海道は、開拓者の大地だ」のバナー広告が、「アイヌ民族に対する配慮が足りず遺憾だ」との北海道アイヌ協会からの抗議を受け、撤去された事件。
 
茨城県教育委員の長谷川智恵子(銀座日動画廊副社長)が、障害児らが通う特別支援学校を視察した経験をもとに、障害者が生まれてくると従事する教職員の費用もかかるし世話をする家族もたいへんだから「障害のある子どもの出産を防げるものなら防いだほうが良い」と優性思想まる出しの発言を批判され、教育委員を辞職した事件。(この発言に関して茨木県・橋本知事が「問題ない」としている点はまだ追求されていない。)
 
神奈川県海老名市市会議員・鶴指真澄が「同性愛は異常」などと度し難い同性愛者差別ツイートを行い、新聞・テレビでも厳しく批判された事件。(当人は謝罪し、反省のポーズは見せたものの議員辞職はしていないが、海老名市議会は12月3日、鶴指氏の辞職勧告を可決。)
 
※11月29日、同様の同性愛者に対する差別ツイートを行った岐阜県技術検査課職員が批判を受け、処分を受けている。
 
11月28日、埼玉スタジアムで行われたサッカーJ1チャンピオンシップ準決勝、浦和レッズvsガンバ大阪の試合で負けた、浦和レッズの高校生サポーターが、得点したガンバのパトリック選手に対し、「黒人、死ねよ」と、パトリック選手のツイッターアカウントに書き込んだ人種差別事件。(2014年3月に起きた「JAPANESE ONLY」人種差別横断幕事件の教訓が浦和レッズには生かされていないと言わざるを得ない。)
 
 
 以上あげた,らい了件は、すべてここ1か月以内に起きた差別事件だ。いずれも、アイヌ民族差別、障害者差別、同性愛者(LGBT)差別、人種差別である。それぞれの事件については、当事者はもちろんながら、マスコミを始め、ツイッターなどで一般市民からの抗議の声が大きかったことも強調しておきたい。
 

[何が問題か]

[アイヌ民族迫害の歴史に無自覚な広告]について

 先住民族アイヌの土地を“無主の地”(植民地主義者の侵略の論理)として奪い、アイヌ民族を迫害した歴史を少しでも知っていれば、あのようなバナー広告コピーが問題であることは容易にわかるだろう。(「開拓者」=「文明の使徒」は植民地主義者の常套句)

 
[教育委員の優性思想礼賛発言]について

すでに私のブログ「ゲジゲジ日記」でも次のように書いた。
 
「障害者の権利条約を批准し、障害者差別解消法も成立している状況下で、優生思想的な、信じられない障害者差別発言だ。問題は、朝日の記事が〈橋本知事は取材に『事実を知って生むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない』とし、長谷川氏の発言に『問題はない』と話した。〉(11月19日・酒本友紀子)と締めくくっていることである。障害者団体に取材して、きちっとした批判を行なうべきだろう。」(ゲジゲジ日記11月20日)
 
脳性まひ当事者である、長野大学の旭洋一郎教授は、「私たち障害者とその家族は、絶えず『かわいそう』『家族や社会の負担になっている』という形をまとった優生思想によって、自分自身を否定される恐ろしさに脅かされながら暮らしている。世間にそのことを知らしめることに力を尽くすのが、教育委員という立場のはず。撤回すればいいというものではない」(朝日新聞11月20日朝刊)と、怒りを表している。長谷川発言を容認した橋本知事の責任も含めて徹底追及すべきだ。
その後、橋本知事も反省と謝罪の意思を明らかにし、自身の発言を撤回しているが、何らかの処分を自らに課すべきだろう。それが公職にある者の発言に対する社会的責任のとり方だ。

 
 
[市会議員による同性愛者への差別ツイート]
 
 これについては、テレビ・新聞で大きく取り上げられている(サンケイスポーツが社会面で大々的に紙面化していた)。この差別事件も、すでに私のブログで触れているので転載しておく。

 
「海老名市議の鶴指真澄が、『同性愛は異常』などと、度し難い同性愛者差別ツイートをしていたことが、マスコミで大きく取り上げられている。『酔った勢いで遊び半分…差別意識はなかった』などと弁解しているようだが、徹底糾弾し議員辞職に追い込むべし。
公的機関から、LGBTの人たちに対する、意識調査が発表された。友人が同性愛者とわかった場合、男女とも『抵抗がある』と答えた割合が、50%を超えている。また職場の同僚が同性愛者だった場合、『40代の男性管理職で、〈嫌だ〉と答えた人が71・5%に上った』という。深刻な数字だ。会社の同僚、後輩、先輩、上司、部下、そして友人から、同性愛者であることを『告白』されて明らかになるのは、告白された側の差別意識の有無、つまり拒否反応を示した人は、差別者としての正体が暴露されたということを自覚すべし。」(ゲジゲジ日記12月1日)
 
12月1日のNHKテレビで「ナチス政権 障害者大虐殺の真実」が再放送されていたが、20万人を超える、知的障害者、精神障害者、そしてダウン症、てんかん症などの人々が、ガス室で殺害された恐るべき事件だが、異物排除の純血主義的優性思想を受け入れた精神科医が、この殺害に深くかかわっていた事実がある。
ナチスのホロコーストで、ユダヤ人600万人、スィンティ・ロマ(差別的に「ジプシー」と呼ばれていた)60万人、そして精神障害者・身体障害者20万人、さらに同性愛者も「異常者」として虐殺された歴史的事実を直視すべきだろう。先週のWEB連載で書いたてんかん問題も、この視点から、てんかんの症状をもつ人々に対する予断と偏見助長記事がもたらす事態を予見すべきだ。

 
[Jリーグ選手への差別的書き込み]について

 高校生が人種差別的書き込みをしたことに少し驚くが、高校生が通う学校及びJリーグが、瞬時に批判声明や“お詫び”を出すなど、すばやい対応が目立った。しかし、2014年3月の事件が、すでに風化していることも明らかになった。サッカー場内だけでなく、人種差別を始めあらゆる差別は社会的に許されないという法律・条例を早急に作り、啓発していく必要がある。
 この人種差別書き込みをした高校生から、在特会などのヘイトスピーチ(差別的憎悪扇動)が公道で許されているじゃないかと問われれば、先生は答えに窮するのではないか。同様の差別事件は、今後いくらでも起こる可能性がある。
 

○水面下の差別が可視化されてきた
 
11月に起きた一連の差別事件を考えてみたが、一つ言えることは、これらの差別事件は急に増えたのではなく、今までもずっとあった事象で、最近になって増加したのではない。
レイシスト在特会などのヘイトスピーチ(差別的憎悪扇動)に対するC.R.AC、男組、女組、そしてプラカ隊など多くのカウンターの行動と主張が、日本社会に影響を与え、“差別を見抜く眼”=差別に痛みを感じる感性をもった人たちが確実に増えてきたということを意味している。つまり、水面下で見過ごされていた差別事象が、告発・糾弾されることによって社会的に可視化されたということなのだ。さらにツイッターなど、ネットで即座に抗議の意思を表現できるツールを、差別と闘う側が有効に活用していることがあげられる。
 
反原発運動、安保法制反対運動、そしてヘイトスピーチ粉砕運動など、いのちと生活を守り、反戦平和を願い、反差別人権確立をめざす様々な社会運動が合流し、権力と闘う過程での共感・共振・共鳴現象として、一連の差別事件告発・糾弾を理解すべきなのだ。

 
 
○NHK「クローズアップ現代」立花隆氏の発言
 
 この項を書き上げた日の夜(12
月3日)のNHK「クローズアップ現代」でゲストの立花隆氏が“古典的”な差別表現事件を起こした。
 スーパーカミオカンデとニュートリノについて興奮気味に語る中で、
「カミオカンデ以前はニュートリノは見えなかった。見えないというのは、ないのと同然。世界中のすべての学者がめくら同然の状態にあった」
と、視覚障害者を否定的な意味の比喩として、差別的に表現したのである。
番組の終了まぎわということもあり、国谷キャスターは「一部、不適切な表現があり、失礼いたしました」と謝罪したが、何が、どう“不適切”なのかの説明は一切なかった。たしかに時間的余裕がなかったのは事実だが、「先ほど“めくら”という言葉を使用した差別的で不適切な表現がありましたことをお詫びします」ぐらいは言えたと思う。
今年5月の「あさイチ」での“山姥”に関する差別発言のときは、有働由美子アナが適切な、見事な対応をしていた(WEB連載第163回参照)。



 
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第173回 “てんかん”と事件・事故報道
○宮崎県・自動車暴走事件とその報道
 
 10月28日、宮崎県で6人が死傷する自動車事故が起きた。運転していたのは高齢者だったが、事故報道の第一報から、てんかんの持病があると報道されていた。記事は、事故はてんかんの持病が原因であるとの推測のもとに書かれている。
 これらの報道記事を受けて、日本てんかん協会は、11月10日、鶴井啓司会長名で<「宮崎県で発生した交通死亡事故報道」に関する声明>を出している。
  



 そこには「事故の原因と病気やその症状に明らかな因果関係が証明されない段階で、てんかんなどの病歴・病名を安易に報道しないでください」と抑制気味の怒りが表現されている。
 日本てんかん協会は控えめでやさしいが、てんかんに対する予断と偏見が社会に存在する限り、因果関係が証明されても病名は明記すべきではない、と私は考えている。報道されれば確実に「誤解や偏見を助長する」からである。たんに病気ないし持病と表現するだけで十分だろう。

 
○自動車運転死傷行為処罰法
 
 すでに、酒や薬物、特定の病気の影響で危険運転し交通事故を起こした場合の罰則を強化する「自動車運転死傷行為処罰法」について、一定の症状がある統合失調症やてんかんなどを適用範囲に定める政令が閣議決定され、2014年5月から、施行されている。
 この政令が出された背景には、2011年鹿沼市で起きたクレーン車暴走事故がある。
 てんかんの持病がある男性が、薬を飲まずに運転し、運転中にてんかんの発作が起き、集団登校中の生徒の列に突っ込み、児童6名が死亡した痛ましい事故だ。
 この事故についてメディアは、てんかんの発作が事故の原因であることを大々的に報道した。この時にも日本てんかん協会は苦渋に満ちた声明文を出している。
 てんかんが関係した事故の多くが、薬を適切に飲んでいなかったことに原因があった。てんかん=事故ではなく、発作を抑える処方薬を適切に服用していなかったことに原因があることは自明だ。
 それは、糖尿病・心臓病=事故でないのと同様である。
 すでに、てんかんと交通事故のリスクについて、幾つかの論文が発表されているが、
科学的にもハッキリしているのは、てんかん患者の交通事故リスクが高いというのは、単なる思い込みであり、社会的迷信に過ぎないということである(てんかん情報センター参照)。
 
 メディアが報道し煽れば煽るほど、「てんかん患者には運転免許を与えず、持っている者からは剥奪すべき」「てんかん患者は事故予備軍」という社会的偏見が広がり、差別が拡大されるのである。
 
○筒井康隆『無人警察』教科書採用へのてんかん教会の抗議
 
 この“てんかん”と自動車運転については、1993年に角川書店発行の国語教科書に載った『無人警察』(筒井康隆著)に対するてんかん協会の抗議で、一応の社会的合意ができていたが、またもや問題が振り出しに戻っているようだ。
 角川書店に対するてんかん協会の抗議の経緯と内容については、WEB連載第40回『京都・祇園の交通事故とてんかんについて』で詳しくふれているので、そちらを参照していただければと思う。
 付け加えておくと、当時、てんかん差別の問題を理解していなかった文化人や芸能人の一部による悪乗りもあった。
「断筆宣言」をした筒井氏を支援する「筒井康隆断筆祭」冒頭で「気分転換(てんかん)!」(タレントの清水ミチコ氏)と叫び、満座の観客の笑いをとるなどの軽薄な言動は、てんかん患者の置かれた社会的立場を一顧だにしない暴言と批判されてしかるべきだろう。清水氏の言動に象徴される浅薄な認識が、てんかん患者に対する正しい理解を、いまだにさまたげている。

 
 
○「精神科への通院歴」問題
 
 同様のことは、とくにマスコミ関係の研修では強調してきたことだが、犯罪に関して精神科の通院歴を報道することなどについてもいえる。
 
 2013年10月4日『朝日新聞』社会面、「2歳 河原で暴行死 京都・綾部 容疑の父逮捕」という見出しの記事に、「男は病院の精神科に通院していたという。府警は刑事責任能力の有無を調べる」との記述があった。
 ひどい事件だが、精神科への通院歴をなぜ記述する必要があるのか。この記事は、精神障害者一般に対する、現にある予断と偏見、社会的差別意識を助長する記事といわねばならない。
 
 ここで問題にしているのは「精神科への通院歴」が事実かどうかということではない。現に、精神障害者に対する社会的差別が存在しているなかで、この表現・記述が、精神障害者に対する「誤解や偏見を助長する」からである。
 「(通院歴があるのは)事実だから書いてもいい」と主張する人に尋ねたい。
 この事件の容疑者の父親に、精神科への通院歴があることは確かだ。しかし、歯科・眼科・耳鼻咽喉科、内科など様々な通院歴があるはずだ。
 
 にもかかわらず、なぜ精神科への通院歴をことさら記事化するのか。
 答えはハッキリしている。記事を書いた記者自身に、刷り込まれた社会意識として、精神障害者に対する差別観念=予断と偏見があるということだ。
 断っておくが、差別意識を持っていない(持たされていない)人はいない。重要なことは、家庭で、学校で、地域で、職場で、知らず知らず、意識するとしないとにかかわらず、差別意識を持たされていることを自覚することなのだ。

 これは、てんかん、精神病だけにかかわる問題ではない。
「被差別部落をはじめ、社会的差別を受けているマイノリティと、動機不明の不可解な猟奇的事件とを安易に結びつける思考に潜む差別意識に気づくこと」が大切なのだ。

○大槻てんかんセンター長の投稿「理解と支援の仕組みを」

 
 最後に、朝日新聞(11月12日)「私の視点」で国立精神・神経医療研究センター、てんかんセンター長・大槻泰介氏の「てんかん医療 理解と支援の仕組みを」を紹介しておきたい。






















 
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第172回 品性下劣な誹謗中傷を撃退する
 今回は、直接、差別表現問題とは関係ないが、筆者に対して意図的になされている品性下劣な誹謗中傷に対し、反撃かつ撃退するため、発覚している内の代表的な例をとりあげ、筆誅を加えることにする。
 
 
○ブログでの悪質な書き込みへの「抗議と申し入れ」
 
まずは、代表的事例である「狭山事件を考える池田市民の会」ブログ「闇と光」宛に、内容証明書付きで送致した「抗議と申し入れ」を読んでいただきたい。
 
  
部落解放同盟大阪府連合会池田支部気付
「狭山事件を考える池田市民の会」宛
2015年11月5日

抗議と申し入れ

                                                                            

狭山事件を考える池田市民の会ブログ「闇と光」上で、hageguma(池田市民の会/池田市民共闘/池田支部)と称する人物による<小林は解放出版社の資金を愛人を使い自身のにんげん出版に横流し横領したため除名処分となっているのだ>(11月2日付)
との書き込みがなされている。(これについては、この悪質な書き込みを見た方からの通報で私の知るところとなった>
これは、他のブログが、拙著『部落解放同盟「糾弾」史』(ちくま新書)を取り上げ「部落解放運動の“変質”を問う」と題して批評した記事(10月28日付)に対し、ブログ「闇と光」上で著者小林について中傷したものである。
<…今頃よんだ小林健治の『部落解放同盟「糾弾」史』を俎上に載せているが、とんだお門違いも甚だしい。小林は解放出版社の資金を愛人を使い自身のにんげん出版に横流し横領したため除名処分となっているのだ。……>

 
上記の書き込みについて、
(1)「解放出版社の資金を愛人を使い自身のにんげん出版に横流し横領した」は事実無根である。如何なる根拠にもとづいてそのような虚偽をのべるのか。
2015年9月4日の中央組織規律委員会において、小林が提出した異議申立書には、解放出版社の不正経理の使途及び昨年10月の不正経理を行った職員に対する事情聴取(この聴取自体も検面調書に限りなく近い)の中にさえ、そのようなことはのべられていない。
「狭山事件を考える池田市民の会」は、予断と偏見にもとづいて捏造された部落差別冤罪事件への異議申し立てを主旨とするものではないのか。であるならば、憶測やデマを意図的に流すことによって、本人の名誉を毀損するような行為は厳につつしまなければならない。
 どのような根拠にもとづいて、小林が「解放出版社の資金を愛人を使い自身のにんげん出版に横流し横領した」と記述しているのか。明確に返答いただきたい。
 
(2)書き込みの「除名処分となっているのだ」も事実ではない。先にのべたように9月4日の中央組織規律委員会における事情聴取において、小林健治本人は、異議申立書を提出、反論し、上記1について、それが虚偽であることを証明している。その結果、「除名処分」はなされていない。それが事実である。にもかかわらず、虚偽を垂れ流しているのはなぜか。明確に返答いただきたい。
 
また上記の書き込みは、小林健治の著書『部落解放同盟「糾弾」史』について、同書の具体的内容については何ら言及せずに、著者に関する虚偽の情報を垂れ流して、著作と著者を貶めるものである。
このような悪意ある書き込みを掲載し、小林本人の名誉を傷つけたことについて、記述者hageguma及び同記述を掲載した「狭山事件を考える市民の会」ブログ「闇と光」に対し、強く抗議するとともに、削除、訂正と謝罪を申し入れる。しかるべき措置をとることも視野に入れるものである。
 
にんげん出版 小林健治
 
 
○中央執行委員会による除名処分の「発議」
 
ところで、このブログに書かれている「除名処分」については、部落解放同盟中央本部機関紙『解放新聞』(2015年7月6日号)が、6月19日に開かれた中央執行委員会で“除名処分の発議”が決められたことを、以下のように記事にしている。
 
組織規律に関する課題では、解放出版社調査委員会報告を受け、同盟規約第31条と中央組織規律委員会規程第11条にもとづいて小林健治(東京都連品川支部員)を除名処分にするよう中央執行委員会として発議することを決めた。
発議理由は、小林健治が解放出版社東京営業所の不正経理をしてきたA職員と共謀し、解放出版社からの多額の横領金をみずからが代表取締役である蠅砲鵑欧鷭佝任留娠跳佝颪砲△討襪箸箸發法解放出版社東京営業所で雇用していたアルバイト職員をにんげん出版での業務に従事させるなど、不正経理の問題と深くかかわってきたことが、部落解放運動への背信行為であり、同時に社会的信頼を失墜させるものであるとした。なお、小林はこれらの事実、およびみずからが飲食した代金やタクシー代などを共謀したA職員に請求していたことをふくめて、昨年10月に実施された解放出版社調査委員会による事情聴取のさいに認めている。
 
 
○結局、承認されなかった「除名発議」


この中央執行委員会の「発議」決定にもとづいて、9月4日に東京・入船にある部落解放同盟中央本部において、独立した権限を有する中央組織規律委員会が開かれ、「出席要請文」を受け取った私は、出席した。
 
そこで私は、<「中央執行委員会の発議による除名処分申請について」に対する異議申し立て書>を提出し、中央組織規律委員の面々と論議し、質問を受け、一時間にわたって、「発議」内容が事実無根であり、意図的な企みが背後にあることを明らかにし、私の除名処分要求が不当であることを述べた。
 
結論は、中央規律委員のメンバーが全く知らない(中央執行委員会から知らされていない!)事柄も多く、事実誤認も多くあり、もう一度(中央執行委員会メンバーからは一度も事情聴取を受けていない)、私と中央執行委員会の担当メンバーとで話し合いをした上で、再度、中央規律委員会で審理することになっているのであり、「除名発議」は承認されていない。
 
さらに、中央執行委員会の一部の幹部が、情報を操作し、弁護士間のやり取りや、解放出版社調査委員会の事情聴取の内容や供述調書などについて、全面公開しないことに対し、情報公開、つまり「全証拠」を開示するよう、規律委員会で求めている。
現段階では、中央組織規律委員会委員も、中央執行委員も、作為的に仕組まれたでっち上げ事件の筋立てしか知らされておらず、正確な判断を下すことができていない。

 
○「除名処分申請について」に対する異議申し立て書
 
 私の「提出文書」の目次を以下に記しておこう。
 
 提出文書 目次
1.「中央執行委員会の発議による除名処分申請について」に対する異議申し立て書
2.資 料
_鯤出版社のある不祥事(過去の事例)
⊇佝如人権差別問題懇談会 加盟会社社長宛に出された文書
出版・人権差別問題懇談会幹事会から解放出版社社長宛に出された文書
ど落解放同盟中央執行委員長・組坂繁之名で出された文書
ソ佝如人権差別問題懇談会 活動の軌跡
γ羆規律委員会宛のA職員の文書
 
 
○9月4日 中央組織規律委員会、その後
 
その後、『解放新聞』はこの問題に、2015年10月12日号の「第2回拡大中央委員会」についての記事の中で、以下のように小さく触れている。
 
報告事項では、西島書記長が4月の第一回拡大中央委(2715号既報)以降のとりくみを報告。第3回中執で決定した除名処分申請の発議(2721号既報、小林健治(東京都連品川支部))なども報告し、承認した。(解放新聞10月12日号)
 
と、記載されている。
故意か、意図的なのかわからないが、そこには9月4日に開かれた中央組織規律委員会の内容どころか、組織規律委員会が開かれた事実すら記載されていない。

 先の「提出文書」の中で、私が【追記】として『解放新聞』中央本部版がエセ同和トンデモ本=なべおさみの『やくざと芸能』を好意的に書評したことの責任を追及していることに触れられたくないのかも?と思う。

 ○エセ同和トンデモ本だと誰でもわかる、なべおさみ『やくざと芸能』について
 
以下が、9月4日に私が出した「提出文書」における【追記】である。

 
【追記】
 〈部落解放運動の取り組みに対して誹謗中傷を繰り返している〉 について

「誹謗中傷」の中味について、具体的に書かれていないので推測するしかないが、たぶん6月に筑摩書房より刊行した『部落解放同盟「糾弾」史―メディアと差別表現』(ちくま新書)のことを指しているのだと思う。
 しかし、そのどこが“誹謗中傷”(根拠のない悪口を言って相手を傷つけること[広辞苑])なのか、説明してもらいたい。
“日の丸・君が代”問題なのか、野中広務さんに対する麻生太郎現副総理兼財務大臣の“差別発言”を中央本部が糾弾しなかったことなのか。
本の中には記していないが、なべおさみが書いたトンデモ本『やくざと芸能』の書評が解放新聞中央本部版(2014年6月23日号)に載ったことを批判していることなのか、判然としない。
なべおさみの『やくざと芸能』については、このトンデモ本を騙されて書評した商業週刊誌ならまだしも、部落解放同盟中央本部の機関紙、『解放新聞』が、好意的に書評したことは紛れもない事実だ。しかも、このことは解放同盟中央本部が、なべおさみの、部落問題に関するエセ同和的出版・講演活動に、お墨付きを与えたということになる。とにかく、「誹謗中傷」の内容を、具体的に明示すべきである。
解放同盟中央機関紙上で、未だお詫びと訂正の記事を目にしていないので、誰が書評を依頼し、掲載することを決めたのか、責任の所在も併せて、明らかにすべきだろう。
 
 
話を戻そう。
初めに書いたように、「品性下劣な誹謗中傷」に対しては、社会的規範に即して、きちんと対処していくが、個人的には私なりの流儀でケジメをつけることも通告しておく。
 
最近、明らかになったことだが、部落解放同盟中央本部委員長の組坂が、某マスコミ関係者の役員に会いに行き、私への「品性下劣な誹謗中傷」を行っていることを確認している。しようもないことを聞かされ、時間を無駄にされ、相手が辟易しているにもかかわらず、延々としゃべり続ける委員長・組坂は、解放同盟中央本部の品位と権威を失墜させている。
 
さて、この中央執行委員会の「除名発議」と、中央組織規律委員会に提出した文書の公開と、『解放新聞』中央本部版の追及は、これからも引き続き行っていく。さらに、拙著『部落解放同盟「糾弾」史』(ちくま新書)にも書いているが、委員長・組坂の小心な狭量さに隠された、日和見的根性と組織的裏切り行為の数々を、随時、暴露していきたい。
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第171回 八木秀次氏の「『ヘイト』規制法の危険な正体」(「正論』2015年10月号)の面妖(めんよう)さ その2
(前号からの続き)
 
○「外国勢力に壟断(ろうだん)される」とする八木氏の危惧
 
さらに八木氏は、「推進法案」第二十条の「内閣に人種差別防止政策審議会を置く」についても、《男女共同参画会議と同様に、省庁を横串で刺す極めて強い権限を持つ」ので危険だ》としている。(女性差別撤廃条約の批准を受けての国内法である男女共同参画社会基本法にも八木氏が反対しているとは私も知らなんだ…)
 さて、ここまで八木氏の論を読んでいて気づくのは、「推進法」の内容を曲解しているわけではなく、それなりに正しく読んでいるのだが、彼の立ち位置からは、すべて逆の意味にとらえられてしまうということである。
審議会のメンバーについても、「推進法案」では
「行政から一定程度独立した『人種等を理由とする差別の防止に関し学識経験を有する者』による専門機関を新設し」としている点について、
 
《ここでいう「学識経験者」の中にヘイトスピーチを受ける立場の外国人や彼らにシンパシーを持つ学者、弁護士などが入るとしたら、どういう事態になるか》
 
と問い、
 
《日本で「人種差別の被害を経験した者」とは外国人であろう。つまり、そうなると確実に我が国の政策全体が外国勢力に壟断(ろうだん)されることになる。》
 
と、危惧を表明するのである。ちなみに、壟断(ろうだん)とは「利益や権益を独り占めにすること」である。

 
 
○「外国人」とは誰のことか
 
 ここで八木氏がいう“外国人”とは誰のことか?
そのことを書く前に、日本政府が批准した「人種差別撤廃条約」がいうところの「人種差別」とは、どのような内容を指しているのかを見ておこう。「人種差別撤廃条約」は、その一条(1)で、下記のように規定している。
 
第一条
1.この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系または民族的もしくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限または優先であって、政治的、経済的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人種及び基本的自由を認識し、享有しまたは行使することを防げ又は害する目的または効果を有するものをいう。 (人種差別撤廃条約)
 
 つまり、日本国憲法第14条の「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的または社会的関係において、差別されない」に対応しているのである。
八木氏の頭の中にある“外国人”像とは違って、アイヌ民族、在日韓国・朝鮮人および在日外国人すべてと、被差別部落などの被差別マイノリティを意味しているのである。

 
 
○識者の言説が八木氏の論拠となっていることを考えるべき
 
 そして最後に、「推進法」第六条が地方自治体にも「人種等を理由とする差別の防止に関する施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する」と規定していることに対し、八木氏は、
 
《地方公共団体がそれぞれ人種差別撤廃・禁止条例を制定したり、公共施設を人種差別行為に使わせないよう利用条例のガイドラインを作ったり、地域におけるマイノリティの状況に合わせた人種差別撤廃教育に取り組むなどの施策を促進する。つまり法律に基づき、各自治体でより過激な条例や施策が策定される可能性が高いのである。全国の自治体が外国勢力の介入を許し、政策を壟断(ろうだん)され、朝鮮学校への適正な政策や、ごく当たり前の歴史教育、公民教育まで「ヘイトスピーチ」として禁止される。保守派の団体による公共施設の利用も制限されることになるだろう。》
 
と、懸念を表明している。
先にも書いたが、八木氏は「人種差別撤廃施策推進法」の内容を、正確に読んでいる。問題は、彼の異常な反人権思想と政治的立ち位置が、われわれにはハトに見えるものがカラスにしか見えないということなのだ。
つまり、実証性や客観性を無視ないし軽視し、自己の都合のよいように世界を理解する反知性主義の立場からの中傷であり、論理的に反論しても意味はない。彼には、文章を読む能力はあるが、理解する知性と倫理性が欠けているということだ。
ただ、八木氏が「推進法」をヘイトスピーチ規制法と誤解している点は、多くの「推進法」に賛成している識者のあいだにも見られるし、また「推進法」の成立以降、期待されている包括的な差別禁止法に対して、抽象的な“表現の自由”で対置し、反対している多くの憲法学者や知識人の言説が、八木氏の反対の論拠となっている意味を考える必要がある。(八木氏に反論する能力が欠如していることが問題の本質だが。)

 
○「推進法」=ヘイトスピーチ規制法ではない
 
 最後に、雑誌「部落解放」(2015年11月号)に、文芸評論家の黒古一夫氏が<「差別」「ヘイトスピーチ」の根源にあるものは?>と題した一文を寄稿しているが、次のように記しているのは、さきほどから批判している「推進法」=ヘイトスピーチ規制法ととらえている点で、「推進法」の意味を矮小化している。
 
《しかし、在特会の面々も、また「表現の自由」が規制されるという理由で「ヘイトスピーチ禁止法案」(正式には「人種差別撤廃施策推進法案」)を廃案に追い込んだ与党(自民党・公明党)の政治家たちも…… 》(57頁)
 
とあるが、「人種差別撤廃施策推進法」は廃案になっていない。参議院で継続審議となっている。
安保法制のドサクサにまぎれて廃案に追い込もうとしていた与党(自民党・公明党)の策動を、有田芳生議員などが全力で阻止し、継続審議に持ち込んだのである。
 軽々に、廃案などと誤報を誌面化すべきでないし、訂正記事を出すよう、『部落解放』編集長には助言しておきたい。しかし、部落解放運動にとって、きわめて重要な法案であるはずの「推進法」について、この程度の理解と認識では、部落解放同盟中央本部機関誌としては恥ずかしい限りだ。中央本部のとりくみも、自民党の谷垣幹事長や自民党の「ヘイトスピーチ対策PT」の座長・平沢勝栄に会って要請したことを自慢するだけなら、「推進法」制定運動の足手まといにしかなっていないことを自覚すべきだ。
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第170回 八木秀次氏「『ヘイト』規制法の危険な正体」(「正論』2015年10月号) の面妖(めんよう)さ その1
○「ヘイト規制法案の危険な正体」『正論』10月号
 
正論10月号に、八木秀次氏の<「人権擁護「「男女共同」以上だ! 「ヘイト」規制法案の危険な正体>と題した小論が載っている。
出だしの「ヘイトスピーチは問題だが……」には、次のように書かれている

 
《いわゆるヘイトスピーチに対処するとして5月22日、民主党、社民党、無所属の議員で参議院に提出された「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律(案)」(人種差別撤廃施策推進法案)が、8月4日に参議院で審議入りした。》
 
最初から認識が誤っている。八木氏は、この「推進法案」を「ヘイトスピーチ規制法案」と呼ぶことに対し、共同提案者の有田芳生(ありたよしふ)参議院議員が、「罰則規定をもたない『理念法』(宣言法)であり、『規制法』ではない」と内容説明していることにも触れている。しかし、「人種差別撤廃施策推進法」は「ヘイトスピーチ規制法」に名を借りた「恐るべき狙いが隠されている」と、思い込みの激しい“陰謀論”を展開している。
 八木氏は、まずは「ヘイトスピーチはよくない」との認識を示した上で、次のように述べる。

 
《韓国人・朝鮮人という民族一般に対するヘイトスピーチを違法行為とすることは現行法では難しい。とりわけ刑事罰を科すことについては憲法の保障する表現の自由との関係で慎重論が支配的だ。》

 
 
○日弁連の意見書に依拠して反対する八木氏
 
 八木氏は、その論拠の一つとして、日本弁護士連合会の「人種等を理由とする差別の撤廃に向け速やかに施策を求める意見書」(以下、意見書)を持ち出している。
 
「刑事罰の対象となるヘイトスピーチか否かの判断は、当該表現行為の内容に着目せざるを得ず、表現内の判断にまで踏み込んで規制対象を確定することになるから、表現に対する内容規制となる。…(中略)…学説上は、表現の内容規制が正当化されるのは、当該表現行為が違法行為を引き起こす明白かつ現在の危険を有する場合に限定される等、厳格な基準が採用されている。このような現状の下で 規制されるべきヘイトスピーチと許される表現行為との区別は必ずしも容易ではないし、思想の自由市場(※筆者註)の観点からは、表現内容に着目して刑事規制を行うことについては、なお慎重な検討を要する」
                                                   (日弁連「意見書」5月13日付・内閣総理大臣宛提出)
 
 本来、八木氏の思想や論理とは対極にある日弁連の「意見書」に依拠して、「このような事情から法案も規制法ではなく理念法にした」と邪推しているのである。
 ちなみに、この日弁連意見書のなかでかかれている「思想の自由市場」とは、「思想の自由市場論」「対抗言論の原則」ともよばれ、表現の自由に優越的地位を認める根拠とされている。「あらゆる表現に国家は干渉しない。すべての人が公開の場で自由に発言すれば、真実で健全な意見は必ず勝ち残り、誤った不健全な意見は敗退する」という考え方で、憲法学者や知識人たちが支持している。
 しかし、ヘイトスピーチにかんして今起きている事態をみれば、ヘイトの被害者が「対等に」声をあげられているだろうか。現実には、前に出て声を上げた人間は、「毒飲メ、飛ビ降リロ」と生命を脅かされているのである。ヘイトスピーチは、たんなる表現ではなく、差別扇動行為であることは忘れてはならない。
 
 
○「人種差別撤廃施策推進法」のめざすもの
 
 「人種差別撤廃施策推進法」(以下、推進法)が、1965年の第20回国連総会で採択され、三十年遅れで日本政府が批准した「人種差別撤廃条約」(あらゆる形態の人種差別等の撤廃に関する国際条約)の精神を、いま一度確認し、条約の理念を国内法として生かすべき道筋をつけるための第一歩として提出されていることは、共同提案者の有田議員はじめ、多くの「推進法」賛同議員が語っていることである。
 これは、憲法98条の◆崙本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」を、文字通り誠実に履行(りこう)することを求めた法案なのだ。
 
 ヘイトスピーチを規制するのは当然のことであるが、それは、人種差別撤廃条約の第4条に厳しく明言されていることであり、「推進法」が成立すれば、緊急性を要するヘイトスピーチの法的規制が、大きな政治的課題になることは必至である。また、このことは当然、国連の各種人権関係委員会から強く勧告されている、日本政府が留保している同条約第4条(a)(b)項を承認し、批准することを意味している。

しかし、それはあくまで「推進法」のめざす理念の一部に過ぎず、「推進法」の目的は、あくまでも人種差別撤廃条約の理念の実現であり、それが欧州各国にある包括的な差別禁止法になるのかどうかは、今後の取り組みいかんである。
 
 
○<「差別」と言えば差別になる>??? ――八木氏の根本的誤認
 
 八木氏は、<「差別」と言えば差別になる>という小見出しのところで、具体的に条文を解説する。正確に「推進法」第一条、第二条、第三条を引用して、自民党の党幹部が、拡大解釈や表現の自由の規制につながると懸念を表明しており、「人権擁護法案のようなことにしてはいけないと警戒心を示している」と、のべている。
そして、三条が「人種等を理由とする不当な差別行為」や「取り扱い」、そして「不当な差別的言動」を禁止していることに対し、何をもって「不当な差別」とするのかが明確でない、と難癖をつけている。
そこに共産党が、「今回、民主党などが提出した法案については、『ヘイトスピーチ』や『差別』の定義が明確でなく、恣意的に拡大解釈されるおそれがあります」(小池晃 政策委員長コメント)と述べていることを引用し、共産党の懸念に賛意を示した上で、八木氏は、

 
《自民党や共産党の懸念は無理もない。法案の第十九条は「国及び地方公共団体は、人種等を理由とする差別の防止に関する施策の策定及び実施に当たっては、人種等を理由とする差別において権利権益を侵害され又はその有する人種等の属性が不当な差別的言動の理由とされた者その他の関係者の意見を当該施策に反映させるために必要な措置を講ずるものとする」との規定を設けるが、これは差別防止の施策の策定・実施においてヘイトスピーチなど「人種等」で「不当な差別」を受けたとする「関係者」の意見を反映させなければならないことを意味する。
これによって「差別防止」の施策は「関係者」の牛耳るものとなる恐れがある。何が「差別」なのか、その定義が曖昧な中、関係者が「差別」と称する行為が差別とされることになる。》
 
と、思い込みの激しさを見せている。
「不当な差別」を受けた「関係者」(当事者)の意見を反映することが、どうして、関係者(当事者)が「差別」と称する行為が差別とされることに直結するのか? 八木氏は一度、頭の中の思考回路を点検したほうがよい。
まず、差別と称される行為とはどのようなものか。
「当事者のオレが差別と言えば差別なんじゃ!」――八木氏が差別について抱いているのは、ひょっとしてこのようなイメージなのではあるまいか。
 しかし、差別とは、つぎのように定義されるものなのである。
 すなわち、差別とは、差異(社会的属性や人種、宗教、性、障害など)を理由に、特定の個人や集団が意図的に排除・忌避・抑圧・攻撃・軽蔑の対象とされ、基本的人権(市民的権利)が侵害され、社会的に不利益を被る状態のことであり、国連の人権諸条約に明記されている。差別は、区別と違って、ナチスの優生思想のように、主観的、非科学的、非合理的な反知性主義的判断にもとづいて行われる。

 
○何が差別かを誰が決めるのか
 
もう一つ、八木氏が混乱しているのは、何が差別かを誰が決めるのか、という点についてだ。それについても私は何度も書いてきたが、今一度つぎに記しておく。
 
[何が差別かを誰が決めるのか]
 なにが差別か、差別表現かを、だれが、なにを基準に判断するのだろうか。“足を踏まれた痛み”を知る被差別マイノリティが、差別だ、と言えば差別表現になるのだろうか。たしかに被差別マイノリティは、ほかのだれよりも差別について、鋭敏な感性をもつ当事者である。

 しかし、なにが差別・差別表現かは、すぐれて客観的なもので、時代とともに変化する社会意識(社会的価値観)の中に判断基準があるといえる。つまり、被差別者の主観的告発は、社会的に受け入れられることによってはじめて客観性をもつ。大切なことは、被差別者からの抗議・告発に真摯に向かいあい、しっかりと抗議内容を受けとめ、そのうえで、抗議された側としての思いを率直にのべることである。
なにが差別か、差別表現かは、被差別者の主観の中にではなく、客観的な社会的文脈のなかに存在する。
その点、抗議されて萎縮し、告発者のいいなりになる姿勢は、問題の解決を遠ざけるだけである。それは、その本質において、被差別者の抗議に背を向け、無視する態度と表裏の関係だ。“差別の現実に深く学ぶ”ということは、被差別者のいい分を全面的かつ無条件に受け入れることではない。主体性をもって、被差別マイノリティに向き合う姿こそ、真に相手を尊敬する対応である。 
 
   (「抗議をうけたときにどう向き合うか」『差別語・不快語』より)
 
 ところで八木氏は、「推進法案」の隠れた目的が、朝鮮学校への授業料無償化の適用だなどとのべているが、そのような妄言にいちいち批判している暇はない。この「推進法」があってもなくても、朝鮮学校への授業料無償化を実施しないのは不当な差別であり、すでに日本政府が批准している国際条約などの諸条約に違反している、ということだけは言っておく。
(以下、次号につづく)
 
 
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