最新連載記事
カテゴリー
月別

記事検索
第190回 「ホンネを言えるようにしてくれたトランプ万歳」!?――ポリティカル・コレクトネスのゆくえ

 

 

■トランプ勝利

 

 アメリカ大統領選で、人種差別、宗教差別、女性差別的言辞をまきちらし、ヒンシュクを買い、品格を疑われていたドナルド・トランプが、接戦の末、次期大統領にえらばれた。

 

 大方の予想を裏切る結果に、政治評論家たちはうろたえていた。

 

 新自由主義的政策とグローバリズムによる社会的格差の拡大は、富の独占的集中と中間層の没落をまねき、最底辺に呻吟(しんぎん)する超貧困層を大量に生みだした。

 

 とりわけ、トランプを支持したとされる“プアーホワイト”層は、支配的エスタブリッシュメントのエリート層に反発し、ヒラリーではなく、トランプの毒舌に心中ひそかに快哉をさけび、それが投票行動にむすびついたとされる。

 

 いっぽう、選挙戦で、トランプとの誹謗中傷合戦の泥沼に引き込まれ、21世紀の世界におけるアメリカの生き方の問題をまったく打ち出せなかったヒラリーは敗れた。

 

 ヒラリーに対する真っ当な批判は、民主党のもう一人の候補者バニー・サンダースが、ウォール街の支配者との対決をうちだし、教育・社会福祉の充実を訴え、圧倒的に若者の支持を得ていた社会民主主義的な政策にあった。

 

(今さら)言ってもしようがないが、サンダースvs.トランプの対決だったら、選挙結果はちがったものになった可能性もある。

 

 

PC(ポリティカル・コレクトネス)に抑えつけられていた「鬱憤」

 

 

 今回、連載差別表現でふれておかねばならないと思ったのは、エリート層であるエスタブリッシュメントの支配層が、新自由主義とグローバリズムを推し進めるいっぽうで、PC(ポリティカル・コレクトネス)、すなわち用語における差別偏見を取りのぞき政治的に公正で中立的な用語使用運動を積極的に推進し、表向きは、人種・宗教・性などの差別と排外主義に反対する立場をとっていた。

 

 ところが、トランプがまったくPC(ポリティカル・コレクトネス)を無視した暴言を吐きながら当選したことにより、いままでPCに押さえつけられていた鬱憤(うっぷん)をはらし、“もの言えない閉塞”した社会状況に風穴を開けてくれたとカン違いした低・中間層の白人を中心に、PCを否定し、差別発言や差別的行為が激増しているという。

 

 

差別意識を指摘され自尊心を傷つけられた知識人が叫ぶ「快挙」

 

 

 予想されていたとはいえ、憂慮すべき事態である。

 

  しかも、日本においてもトランプの差別発言に同調し、公然と差別表現を行う“知識人”まで現れた。

 

 ポリティカル・コレクトネスは、誰が主張しているかに関係なく、いわば「言語の民主化」運動であり、言語表現された社会的差別に対し、それを是正するとりくみであり、積極的に推進されなければならない運動である。

 

  トランプ氏の勝利を歴史的快挙と評価する藤原正彦氏は、『週刊新潮』(11月24日号)の「管見妄語」で、次のようにのべる。

 

ここ三十年間のアメリカそして世界に跋扈したグローバリズム(ヒトモノカネが自由に国境を越える)およびPC(ポリティカリー・コレクト、ありとあらゆる差別や偏見をなくすこと)への反乱であったのだ。

  (中略)

またPCという「きれいごと」により、英米ではミスやミセスがなくなり、日本でも盲滅法が使えなくなるなど大々的な言葉狩りが行われた。それどころではない。PCに抵触したとメディアに判断されれば、即刻差別主義者として俎上にのせられ、社会的制裁を受けるようになった。例えば移民の抑制を口にしただけで、非人道的な差別主義者ということで吊るし上げられるから、誰もが口を閉ざすこととなった。PCにより人々はもはや本音で語ることが難しくなっている。

この閉塞感とグローバリズムのもたらした悲惨に敢然と立上がったのが、移民排斥と自由貿易協定破棄を掲げたトランプであり、移民とEUのグローバリズムに反逆した英国民だったのだ。

(「管見妄語」二つの快挙 『週刊新潮』11月24日号)

 

 

 

■あいもかわらず“言葉狩り” 批判

 

 

 「日本でも盲滅法が使えなくなるなど大々的な言葉狩りが行われた」と、藤原氏はのべる。

 

 しかし、私がこのウエブ連載で何度もふれたように、“言葉狩り”をおこなったのは、被差別者の抗議に真正面から向き合わず、言葉の問題に矮小化したメディアの側である。

 

 差別語を禁句にすることによって、差別語の背後に潜む差別の実態から目をそむけ、差別そのものを隠蔽(いんぺい)したのだ。

 

 差別発言をすれば、抗議・糾弾するのは被差別マイノリティの当然の社会的権利であり、差別表現をすれば、発言者や執筆者が社会的制裁を受けるのは民主主義社会の成熟を意味しているのであり、その逆ではない。

〈 ところが、12月に成立した「部落差別解消推進法」では、その付帯決議に、なんと「過去の民間運動団体の行き過ぎた言動等、部落差別の解消を阻害していた要因を踏まえ、これに対する対策を講ずることも併せて、総合的に施策を実施する」という文言がもり込まれている。

 この付帯決議の意味するところは、糾弾権の否定であり、自民党主導でなされたこの法案のねらいが、事実上、解放運動の抑圧にあることは明白であろう。

 糾弾権は被差別マイノリティの社会的権利であり、運動体の生命線である。

 これは不可解きわまりない話で、その背景にはいったい何があるのだろうか? これについては、次回のウェブ連載でのべることにしたい。〉

 

 

 話を戻そう。

   藤原氏はPCによってホンネで語ることが難しくなり、閉塞感がもたらされていた状況に、トランプが「敢然と立上がった」と、快哉をあげている。

 

 しかし、ホンネであろうがなかろうが、差別表現は抗議され、社会的制裁を受けるのは、民主主義社会の原則である。

 

 藤原氏のこの論理を突きつめれば、ヘイトスピーチは閉塞感を打ち破る良いことであり、カウンター行動やヘイトスピーチ対策法は、「言論・表現の自由」を圧迫する「悪業」「悪法」であるということになる。

 

グローバリズムにしがみつく人々とその体制を倒してくれるなら、無教養の成金オヤジでも誰でも構わない。セクハラでも差別でもなんでもよい。彼等の怒りはそれほどまでに深かったのである。(『週刊新潮』11月24日号「管見妄語」)

 

とは、トランプを支持したアメリカの白人層に仮託して、藤原氏が自らの心境を吐露しているに過ぎない。

「セクシストでも差別者でもなんでもよい」とは、公然と差別を肯定する発言であり、看過できない。

 

 

■「『土人』発言は差別と断定できない」――鶴保沖縄担当相答弁を承認

 

 

 この発想からは、10月25、沖縄・高江のヘリパット基地建設に反対する住民に向かって、大阪府警機動隊員が吐いた「土人」「シナ人」も、PC運動がもたらした「閉塞感」を突きくずす積極的な発言ということになる。

 

 それを受けてかどうか、政府は、大阪府警機動隊員による「土人」発言について、鶴保沖縄北方相の「土人、差別と断定できない」との発言を容認した。そして、鶴保氏の謝罪は不要とする答弁書を閣議決定している(2016年11月22日付・朝日新聞)。

 

 大阪府警機動隊員の「土人」発言は、トランプが当選する前の事件であり、その時点では、大阪府警も「土人」「シナ人」発言をした機動隊員二人に対して、もっとも軽い処置とはいえ、懲戒処分としている。

 

 つまり、公務員としてふさわしくない差別発言だと認めていたのである。

 

 それが、トランプ当選以後には、一転、「『土人』を差別発言と断定できない」としたのである。 

 

 これは、差別表現とヘイトスピーチに反対する運動にとって、見逃せない重大な変化と言わねばならない。

 

 

■PC(ポリティカル・コレクトネス)と差別表現のちがい

 

 

 ポリティカル・コレクトネスには、たとえば、Miss(ミス)/Mrs.(ミセス)のように、女性にだけ未婚か既婚を区別してつけていた敬称を、Ms.(ミズ)としたようなものがある。

 

 男性の場合は、未婚か既婚かに関係なく、Mr.(ミスター)であるのに、なぜ女性は未婚か既婚が問われるのか。ミス/ミセスは、男の側が女を価値づけする言葉なのである

 (藤原氏は「PCという『きれいごと』」として腹の虫がおさまらないようだが、その感情こそ性差別意識の正体であろう。)

 

 このように、ポリティカル・コレクトネスは、性別にかんするバイアスのかかった言葉などを、中立的な言葉に変える言語改革運動である。

 

  それに対して、差別表現は、人種・民族、性、宗教、障害者、被差別部落、ハンセン病者など、マイノリティに属する特定の個人や集団を侮辱し、社会的に排除するものである。

 

 たとえば、かつて、「ユダヤ人はシラミ」というユダヤ人に対する差別的言辞が、ナチスによってまき散らされた。

 

 この差別表現は、ユダヤ人を排外攻撃の標的とするヘイトスピーチ(差別的憎悪煽動)として、600万人以上にのぼるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を惹き起こしたのである。

 

 差別表現は、相手の心を傷つけるだけにとどまらず、肉体の殲滅(せんめつ)に至らしめるものである。

 

 

■『差別感情の哲学』――自分の中にうごめく感情を抉り出せ

 

 

 差別意識をもたない人はいない。しかし、自分が差別意識をもっている(もたされている)ことを自覚しつつ、絶えずそれを自分自身に問い続けることが重要なのだ。

 

 

 前回のウェブ連載で、藤原氏の「ジプシー」という差別語の使用のしかたを、私は批判した。

 

 氏がその指摘に腹を立てたのかどうかはさておき――腹を立てるのはかまわないが――、なぜ自分がその言葉を選択したのかを、藤原氏には自己分析していただきたい。

 

 

 『差別感情の哲学』で、哲学者・中島義道は、自分の中にうごめく差別感情を抉り出せと語り、つぎのように書いている。

 

言葉は人を傷つけることが「できる」ものである。場合によっては、人を絶望に落とし入れ、殺すことさえ「できる」ものである。それを誤魔化しなく見ることがまず必要である。その上で、各自がどのようにして過度に他人から危害を受けることならびに過度に他人に危害を与えることを避けうるか、しかも自分の誠実性を決定的に破壊せずに、こうした問いがわれわれに突きつけられているのだ。

 (中島義道著『差別感情の哲学』講談社学術文庫 184頁)

 

 

「差別のない社会」などない。

 

ポリティカル・コレクトネスや差別表現をめぐっては、すべての人間が、何らかの差別感情・優越意識・嫌悪感から逃れられないということを前提として、一人ひとりが永続的に葛藤することを課せられているということである。

 

藤原氏は、ポリティカル・コレクトネスに抑えつけられていた「鬱憤」や「閉塞感」の中身を、自分自身への問いとして、よくよく吟味すべきなのである。

 

差別表現〜差別的憎悪煽動(ヘイトスピーチ)は、社会の調和を乱し、対立を煽り、そして、人間の精神と肉体を、根底から破壊する。

 

*PCと差別表現、ヘイトスピーチについては『最新 差別語・不快語』に詳述しているので興味ある方はそちらを参照してほしい。

| バックナンバー2016 |
ウェブ連載差別表現 第189回 再び「ジプシー」(スィンティ・ロマ)表現を考える

 

 

■藤原正彦氏の『週刊新潮』コラム「管見妄語」

 

 藤原正彦氏が『週刊新潮』(2016年10月20日号)のコラム「管見妄語」で、再びロマ民族について差別的な記述をしている。3年ほど前にも同様の記事を書いていたが、今回は、より念入りにロマ民族に対する差別的な描写をおこなっている。

 

「外国へ行く時、金銭をどう携帯するかはいつも問題である」、との書き出しで始まるコラムは、新婚旅行先のローマで、尻ポケットに入れた財布を狙って「尻につられて寄ってきたジプシーの子供の一団を『この野郎』と一喝したら、助けを乞うような表情をして逃げ出した。」

 

 さらに、

 

「7年前にはローマでジプシーの若い女が、歩道で私にスッと身体を寄せて来た。……ふいにポケットに手が伸びた。瞬間に意味不明ながら『ダー』と叫んだら泣きそうな顔をして退いた。」

 

 この「ウェブ連載差別表現」第1回が「ジプシーという言葉について」であり、その後も折に触れて「ジプシー」という差別語を使用した差別表現について書いているが、基本的な部分を再録しておく。

 

■「ジプシーという言葉について」――第1回連載差別表現より抜粋

 

……それはさておき、まずは「ロマ・スィンティ」民族の呼称の歴史と現状について、見ていくことにしましょう。

ヨーロッパ全域で暮らす少数民族に「ロマ」(「ジプシー」)がいます。「ジプシー」という言葉は「エジプトからやってきた人」つまり「エジプシャン」という誤解から発生し、差別的な意味あいをもつ言葉として認知されています。

 それにかわって、彼らが自称する「ロマ」が公称です(「ロマ」という言葉は、ロマの言語であるロマニ語で「人間」を意味しています)。もともと、インド北西部(パンジャブ地方)を発端の地とし、10世紀ごろ(6〜7世紀という説もある)から移動を開始し、現在1000万人を超えるロマ民族が、ヨーロッパ各国・西アジア・北アフリカ・アメリカなどに広く居住しています。

 ヨーロッパでは「ジプシー」という呼称が「劣等民族」「泥棒」「不道徳者」という認識の下、蔑称として使用されてきた歴史があります。現在「ジプシー」と“他称” されている人々の呼称は、11世紀ころギリシャにあらわれた彼らに対し、ギリシャ語で「異教徒」を意味する“アツィンガノス”(「不可触民」という意味もある)と呼んだことに端を発しています。その後、ヨーロッパ各地で多様なバリエーションをもって、「ツィゴイナー」(ドイツ)、「ジタン」(フランス)、「ジプシー」(イギリス)など差別的に他称されるようになったわけです。

 21 世紀の2010 年にも、フランス政府がEU憲法違反にもかかわらず、8000人以上のロマを国外に強制追放するなど、ヨーロッパ諸国で生活するロマ人への不公正なあつかいと排斥がつづいています。

 日本でも大手旅行会社がヨーロッパ旅行にさいして、事前配布した資料のなかに「ジプシー」を犯罪者とみなした記事を掲載し、抗議された例も一つや二つではありません。

 

 

■不埒なスペイン野郎

 

 今回の藤原氏の記述は、イタリア・ローマでの出来事にかかわって、「ジプシー」を犯罪者集団のように描いているが、スペインで起きた同じような状況のときには「不埒なスペイン野郎を叩きのめすべく、空手の闘う構えをとった。」と記している。スペインにも「ジプシー」(ヒターノ)がいるにもかかわらず、表記していない。

スペインだけでなくどこの国でも、どの民族にもスリや犯罪者がいるのは当たり前のことであり、この場合、藤原氏の怒りはスペイン人の中の「悪者」「犯罪者」に向けられている。

 ところが、前記イタリア・ローマの事例では「不埒なイタリア野郎」ではなく「ジプシー」と決めつけて書いている。「ジプシー」表現は、その呼称の差別性ととともに、ロマ民族全体が「悪者」「犯罪者」であるとの予断と偏見をもって語られている。ロマ民族に対する差別の歴史は長く、今も厳しい差別が存在していることは、くり返し、この連載でも述べてきた。なぜ藤原氏は、イタリア・ローマでの出来事にかかわって、「スペイン野郎」と同じく「イタリアの悪ガキ」「イタリアのスリ女」と書かないのか。

 

 

■アウシュビッツ「ジプシー家族収容所」

 

 ナチス・ドイツが、ユダヤ人600万人、ロマ民族(「ジプシー」)60万人、そして知的・精神障害者、同性愛者など20万人を虐殺したことはよく知られている。(1943年2月、アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所Be区域に「ジプシー家族収容所」を開設)

 

 ナチスは「ジプシー」を先天的犯罪者種族ととらえ、その民族の抹殺まで計画したのだ。特定の民族を犯罪者集団視するのは、ナチスの優性思想にもとづく明らかな民族差別行為であることを知るべき。

「子供をさらうジプシー」「犯罪者集団ジプシー」と、中世から蔑まされてきたスィンティ・ロマが、ナチス・ドイツの人種優生思想により、ユダヤ人と同じく「劣等人種」と見なされ、60万人近く虐殺された事実は、ユダヤ人600万人虐殺の陰に隠れ、ヨーロッパでも認知度が低いという (その背景には、今なお「ジプシー」に対する強い差別意識がある) 。

 当時スィンティ・ロマは、ユダヤ人の「ダビテの星」と同じく、「ジプシー」と明記した黄色の腕章を付けることを強制させられていた。  

 

 今、現にEC諸国内で最も迫害を受けているのがロマ民族であるという事実を前に、このような「ジプシー」(ロマ)全体を犯罪者と決めつけることの意味を考える必要があろう ロマ民族差別を助長する差別表現と抗議されても当然である。付け加えておくが、藤原氏は、なぜ、財布を狙った少年や女性が「ジプシー」と認識できたのか、疑問に思うが、それは重要なことではない。問題は、悪事を行おうとしたのが「ジプシー」だったかどうかではなく、問われているのは、犯罪者=「ジプシー」という予断と偏見(差別意識)を藤原氏が持っているということ。ロマ民族〈「ジプシー」〉に対する差別意識を持たされていることを自覚すべきだ。

 これでは、「ヨーロッパで行われている幼児の誘拐はジプシーたちの新しい仕事」との暴言を吐いた石原慎太郎と同じ、差別的心性の持ち主と言われてもやむを得ない。軽妙洒脱な文章がだいなしである。

 

 今現在も「身元を明かせば社会的に不利」な状況におかれ、差別されることを恐れるスィンティ・ロマ民族構成員の過半数が、身元を隠さざるを得ない厳しい現実がある。

 1901年(明治34年)、日本の長崎に初めて「ヂプシー」の一行が「舶来」したとき、「西洋の穢多」と新聞に紹介されたことの意味を考えるべきであろう。

 

 金子マーティンさんの近著『ロマRoma〜「ジプシー」と呼ばないで』(影書房)を読んで、考えてもらいたいと思う。

 

| バックナンバー2016 |
第188回 大阪府警機動隊員の「土人」発言は全琉球人に放たれた暴言

 

 

○「ボケ、土人が」――大阪府警機動隊員の差別発言

 

 2016年10月18日午前、沖縄県東村・高江のヘリパット基地建設反対運動を闘っていた沖縄住民に対し、大阪府警から派遣されている機動隊員が「どこつかんどんじゃ、触るなボケ、土人が」と度し難い差別発言を行ったことが判明した。

 音声も確かで、暴言を吐いた機動隊員の顔も鮮明に映っている動画は、観るのも聞くのもおぞましい。

沖縄を構造的に差別してきた「本土」政治中枢部の沖縄に対する心性を、この機動隊員は「土人」という差別的言葉で言語表現したのだ。

 さらに、別の動画では、同じ大阪府警機動隊員が、「黙れ、こらシナ人」と反対運動の沖縄住民に罵声を浴びせているグロテスクな場面も映し出されている。

 「本土」から東京警視庁、千葉県警、神奈川県警、大阪府警、福岡県警など、500人とも800人ともいわれる機動隊員を派遣している理由もはっきりした。

 

○沖縄県警を含む、全琉球人に対して放たれた暴言

 

 沖縄タイムズ(10月19日)は「警察官による『土人』発言は歴史的暴言である。警官は発言者を特定し、処分し、その結果を発表すべき」と、強く追及している。

 この差別発言は、ヘリパット反対派住民だけでなく、沖縄県警を含む、全琉球人に対して放たれた暴言である。日米地位協定、刑事特別法など、沖縄の人々の基本的人権と政治的、社会的権利を否定した、構造的差別が意識的に言語化されたものだ。

 大阪府警の機動隊員は、ついうっかり「土人」と差別発言したのではない。目的意識的かつ、攻撃的な憎悪感情を持って、沖縄住民に「土人」と言い放ったのだ。

 

○明治中央政府の差別的文書――琉球国王を「酋長」、住民を「土人」と呼称

 

 しかしながら、これは、いち機動隊員の暴言ではない。

 メディアは、「土人」という植民地的目線での人種差別的暴言が、「本土」の機動隊員から沖縄県民に向かって投げつけられたと正確に報道すべきだろう。

 

 「土人」という言葉には、沖縄が歴史的に強いられてきた構造的差別の現実が反映されている。 

北海道に住むアイヌ民族に対して、1899年に成立した「北海道旧土人保護法」(1997年アイヌ文化振興法の成立に伴って廃止)という侮辱した法律に見られるように、「土人」として蔑まれ、差別されてきた歴史はよく知られている。

 同様に、琉球民族に対しても、明治初期には琉球国王に対し「酋長」、住民に対しては「土人」と、公式文書で差別的に呼称してきたという歴史的事実がある。

 

○「土人」はなぜ差別語なのか

 

 「土人」という言葉は、もともとは「土地の人びと」「現地の人びと」を意味する言葉で、異民族、外国人に対する蔑称は「夷人」だった。

 ところが、明治以降、「土人」という言葉の意味は、文明に取り残されている「未開で野蛮な異民族」という人種差別的な内容をもつようになった (拙著『最新 差別語・不快語』「土人はなぜ差別語となったか」198-199頁参照)

 

○「土人」は沖縄への構造的差別が意識的に言語化されたことば

 

 沖縄は、明治初期まで琉球王国という独自の国家があった。それを明治政府は一方的に解体し、統合した。明治中央政府は、最後は軍隊を送り、琉球王を無理やり東京に連行し、沖縄県を設置した。日本全体の利益のために沖縄を犠牲にするという構造的差別が、このとき組み込まれたのである。

 

 現在も、そのときと同じことが、普天間辺野古基地移設問題やヘリパット基地建設の強行でくり返されている。先の大戦では、沖縄は米軍との地上戦の〈捨て石〉とされ、12万人の沖縄住民が犠牲になった。沖縄戦が長引き、犠牲が大きくなったのは、本土決戦に備え、長野・松代に巨大な地下壕の大本営を完成させるための時間稼ぎだったことも明らかにされている。

 

 戦後も、米国基地として沖縄が〈差し出さ〉れ、今も在日米軍基地の74%が沖縄に集中させられている状況を、中央政府は解決しようとしない。

 

 「土人」という差別語は、こうした「本土」の沖縄に対する構造的差別を表象する言葉であり、全琉球民族に対する差別の歴史と実態が塗りこめられた生きている言葉なのだ。

すなわち、「差別語にはそれが意味する差別的な実態が反映されている」ということなのだ。(拙著『最新 差別語・不快語』参照)

 

○「土人」を使わなければよかったのか

 

 報道は「土人」という差別語のみに集中しているが、一つ付け加えておく。

 

 沖縄県警は事実関係を認めたうえで、「土人」は「差別用語で不適切な発言だった」とコメントしているが、「差別語である『土人』と発言したから問題なのではい。 たとえ「触るな、ボケ、沖縄人」と発言したとしても、基地建設を強行する場面で吐かれたこの文脈においては、沖縄人民を侮辱した差別表現なのだ。

 

 

○沖縄への差別意識が如実に表れた差別発言

 

 戦前、日本は、委託統治していた南洋群島の住民を「土人」と呼んで蔑んでいたこと、さらに南洋群島に移住させられた日本人の多くが沖縄出身者であったという事実は、何を意味しているのか。

 今回の「土人」「シナ人」という差別語を使った差別発言は、徹底に糾弾されなければならない。まずは、大阪府警に対して、つぎに発言した機動隊員に対して、そして警察庁に対しては国会で追及し、糾弾もしなければならない。

 

[追記―19日菅官房長官会見について]

 この大阪府警機動隊員による「土人」発言は、沖縄・高江のヘリパット基地建設阻止闘争現場における、法を無視した国家権力の横暴がいかに非道であるかを、期せずして、「本土」国民に知らしめることとなった。

 しかし、菅官房長官は、10月19日会見で、「不適切な発言」と苦言を呈したものの、ヘリパット基地建設は「法に基づいて適切に進める」とうそぶいている。

この「土人」発言が不適切であるなら、その差別語に塗りこめられた沖縄に対する構造的差別の実態、つまりヘリパット基地建設そのものが” 不適切な政策”なのだ。

 会見で、記者から「機動隊の発言は県民に対する潜在的な差別意識の表れではないか」と質問されたことに対し、「それ(差別意識)は全くないと思う」と平然と応えている。

 機動隊員の「土人」発言は、菅官房長官を含めた、永田町の政治権力者の”潜在的な差別意識の表れ”以外のなにものでもない。

| バックナンバー2016 |
第187回 相模原障害者殺傷事件はヘイトクライム

 

○「障害者は死んだ方がいい」

 

 

 2016年7月26日未明、ついに恐れていたヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)事件が発生した。

 

  神奈川県相模原市にある知的障害者施設・津久井やまゆり園に、重度知的障害者だけの殺害を目的にした障害者差別主義者が押し入り、19人を殺害、26人が重傷を負った。容疑者は「津久井やまゆり園」に今年2月19日までに勤務していた植松聖という26歳の男。

 

 「津久井やまゆり園」を辞めた理由を、入倉かおる園長は、業務中の植松容疑者が、たびたび同僚に「障害者は死んだ方がいい」と口走っていたことに関し、園側が面談すると、同容疑者は「障害者は周りの人を不幸にする。いない方がいい」と声のトーンを上げた。入倉園長が「それはナチスの考え方と同じだよ」と諭しても「考え方は間違っていない」と言い張り、辞表を提出したと、辞職に至る事情を説明している。

  その後、容疑者・植松は、衆議院議長公邸に出向き、「津久井やまゆり園」など、障害者施設を襲い、障害者を殺害すること、及びその計画内容まで記した手紙を議長に手渡している。(安倍首相にも送ろうとしていた。)

 

  さらに植松容疑者は、「障害者は迷惑だ」「税金がかかりすぎる」「生きていても意味がない」などと、日ごろから躊躇なく、うそぶいていたという。

 

 日本社会に蔓延する、新自由主義を信奉する経済合理性的価値観・社会観は、費用(税金)のかかる社会福祉を切り捨てるばかりか、その対象者に憎悪さえ抱き、今回のようなヘイトクライムを惹き起こす要因となる。

 

 

○事件の本質はヘイトクライム、背景にヘイトスピーチの蔓延

 

  この事件に関して、脳性まひの、大阪市のNPO代表理事・尾上浩二さんは、つぎのように語っている。

 

「(容疑者の言葉に)怒りと恐怖を感じた。マイノリティはいなくなっていいというヘイトスピーチのようで許せない」と憤り、「『障害者は社会のお荷物』といった偏見が強まらないことを願う」とも語った。20代の頃、電車内で中年男性から急に『おまえたちは俺たちの税金で生きていけるんだ。穀潰しだ』と一方的にまくしたてられた。映画館でチケットを購入した後『館内で何かあったら責任がとれない』と入場を拒まれたこともある」

                                                                                                             (朝日新聞7月28日朝刊)

 

障害者に対する厳しい差別と偏見が、30年以上前から続いていることを尾上さんは強調している。

 

 

  同じことは、すべての被差別マイノリティについても言えるのだが、とくに1906年の韓国併合以降に強められた韓国・朝鮮人に対する差別意識、そして差別的言動がネット上にあふれていたが、2009年以降、「朝鮮人は死ね!」「朝鮮人を殺せ!」と叫ぶ人種差別主義者のヘイトスピーチとして、路上でくり返されている。

 

   今回の犯行の背後には、人種差別的排外主義のヘイトスピーチが蔓延している社会状況があり、事件の本質は、そのヘイトスピーチに煽られた容疑者が、被差別マイノリティの障害者、とくに重度知的障害者に向けて実行されたということである。

   「在日特権」「アイヌ民族利権」「生活保護者叩き」「被差別部落利権」「原爆被爆者利権」など、同じくウソで固められ、ねつ造された偏見によって、社会的差別が一層激しくなっている社会的背景を論じず、今回の事件を、一般的な凶悪事件あるいは猟奇的事件、さらに容疑者の特殊な資質などに求めるのは、まったくの的外れである。

 

   また、社会心理学者や犯罪心理学者が、措置入院が不十分だったとか、妄想性障害や大麻精神病が引き起こした、容疑者個人の特性による犯罪だとする意見をメディアで垂れ流しているが、措置入院制度をより厳しくすべきという論調は、事件の本質をそらすばかりでなく、保安処分(社会防衛)の観点から、予防拘禁制度を強化することで、逆に精神障害者差別を強めることになり、事件の背景にある社会的要因(障害者差別意識)を隠す役割をはたしているといえる。

 

 

○植松容疑者のツイッターをフォローしていたのは

 

  テレビや新聞のニュースは、今回の事件を、サリン事件、秋葉原事件、池田小学校事件と同列に論じているが、障害者施設に入所している重度知的障害者のみを標的として殺害し、職員を傷つけないと事前に語っている事実から考えて、事件の本質を、ヘイトクライムとしてとらえ、その観点から、真相解明と事件の社会的背景を分析すべきだ。

 

    反差別闘争集団、爍叩ィ辧ィ繊ィ”の情報によると、相模原事件容疑者・植松のツイッターのフォロー先に、「橋下徹、堀江貴文、石井孝明、渡邉哲也、中山成彬、百田尚樹、ケント・ギルバード、西村幸祐など」の名前があるという。経済合理性=金儲けを最優先し、そこに価値基準に置く新自由主義者と、札付きの排外主義的人種差別者が揃っている。自己責任を声高に叫び、障害者福祉を「税金の無駄使い」とわめく輩たちだ。

 

    ヘイトスピーチ〜ヘイトクライム〜ジェノサイド。今回の事件は、ヘイトスピーカーの、差別的憎悪扇動に煽られ、攻撃性と目的意識性をもって行われた、まごうことなきヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)なのだ。

 

 

○「テロ」と同次元で事件を語る番組コメンテーター

 

   今回の事件は、世界各国で大きく報じられており、アメリカのケリー国務長官、ロシアのプーチン大統領など、各国要人が次々と哀悼の意を表している。ところが、わが国の安倍首相からは、なんのメッセージもない。

各国要人は、被害者が障害者であったことに衝撃を受けて、コメントを発している。それに対して、菅官房長官は、イスラム原理主義などの「テロ」とは関係ないという発言をしていたが、まったくのピント外れというほかない。

  また、岡本行夫など、今回の事件を「テロ」と同次元で語っているテレビコメンテーターがいるが、それは、ヘイトクライムという事件の本質を覆い隠すことであり、また、措置入院のあり方を検討する(より厳しくする)という政府判断は、精神障害者に対する社会的差別を助長する行為であり、いずれも事件の本質からずれており、同様の事件(ヘイトクライム)を未然に防ぐ根本的手立てとはならない。

 

2015年12月2日、アメリカのカルフォルニア州サンバーナディノの障害者福祉施設が、IS(イスラム国」の思想に影響を受けた襲撃犯に銃撃され14人が死亡した事件は、「テロ」事件であるとともに、殺害しやすい社会的弱者を狙った、卑劣な行為であり、ヘイトクライムでもあるのだ。

 

 

○優性思想・差別意識による「言論から肉体の殲滅」

 

 今回の事件は、社会的マイノリティ集団に対する、目的意識性と攻撃性および計画性をもって実行された戦後最大の虐殺行為(ヘイトクライム)だ。

  

  近代に入り、1871年の、「賤民解放令」に対する反対一揆で、多くの被差別部落が襲撃され、被差別部落民が虐殺された事件。そして、1923年に起きた関東大震災時の6000人にも及ぶ朝鮮人虐殺事件と、本質において通底している。

  アメリカでは、昨年6月、サウスカロライナ州で9人が殺害された、チャールストンの黒人教会銃乱射事件。今年6月、アメリカ史上最悪と言われる、50人が殺害された、フロリダのゲイナイトクラブ銃撃事件。いずれも差別的憎悪犯罪=ヘイトクライムとして裁かれている。今回の事件は、これらの犯罪と同じ、ヘイトクライム犯罪であることを強調すべきだろう。

  1999年、都知事だった石原慎太郎が、府中の重度知的・身体障害者療育施設を訪れたさいに放った言葉、「ああいう人ってのは人格あるのかね」を思い出す。新都知事となった小池百合子が、排外主義的人種差別主義者のヘイトスピーチ団体と懇意なことは、よく知られている事実だ。

  また、相模原市の緑区は、かつて度障害者施設の建設に対して地区住民が猛烈な反対運動を起こした地域でもある。

  DPI(障害者インターナショナル)日本会議が、「相模原市障害者殺傷事件に対する抗議声明」を出し、つぎのように述べている。

 

「近年、閉塞感が強まる中、障害者をはじめとするマイノリティに対するヘイトスピーチやヘイトクライムが引き起こされる社会状況の中で、今回の事件が起きたことを看過してはならない」。

 

 

○「ヒトラーの啓示が降りてきた」――植松容疑者の薄ら笑い

 

  障害者殺害容疑者・植松は、護送車の中で、ヘイトスピーチデモをしている輩と同じ、感情の欠落した“薄ら笑い”を浮かべていた。

  テレビニュースでは、7月28日(木)夜11時半からのフジ系「ユアタイム」が、事件の本質を的確にとらえた解説報道をしていたので、紹介したい。

 

 

相模原市の障害者施設で、入所者19人を刺殺した植松 聖容疑者(26)が、「ヒトラーの思想が降りてきた」と語っていたことが、新たにわかった。アドルフ・ヒトラーは、第2次世界大戦で、ナチスドイツを率いた独裁者。その思想の特徴は、「理想郷の建国」。そして、人種に優劣をつけ、優秀な遺伝子のみを残すという「優生思想」。

ナチスのユダヤ人虐殺は、広く知られているが、ほかにも、およそ20万人の知的障害、精神障害を持つドイツ人を殺害している。さらに、ヒトラー自身は、国家や法よりも上に立つ存在だと定義していた。

この危険なヒトラーの思想が、20162月、「自分に降りてきた」と、植松容疑者は、病院の医師に話していたという。
  (中略)

 さらに、植松容疑者が友人に送ったLINEでも、差別的な言動を繰り返していたことが明らかになった。植松容疑者は、「生まれてから死ぬまで周りを不幸にする重複障害者は、果たして人間なのでしょうか?」、「意思疎通ができなければ動物です」などと送っていた。植松容疑者は、友人にも差別的な主張をして、意見を求めていた。しかも、それだけではない。友人に、「一緒に殺害しよう」と持ちかけていた。誰もが信じられないような言動。しかし、26日、植松容疑者は、自身が言うヒトラーの思想を行動に移した。植松容疑者は、5人の職員を結束バンドで縛りつけたが、殺害した19人は、全員が重度障害の入所者だった。

  (中略)

 全盲と、全ろうの重複障害をもつ東京大学先端科学技術研究所センターの福島智教授は、番組にメールを寄せ、今回の事件を「二重の意味での殺人だ」と語った。
 福島教授は、「一は、人間の肉体的生命を奪う生物学的殺人。もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを優生思想によって否定するという、いわば『実存的殺人』です。障害者の尊厳というものが、特別に存在するわけではありません。あるのは、人間の尊厳であり、人間の生きる意味と権利です。そして、障害者はまさしく人間です」と語った。

 

 

(7月28日フジテレビ系「ユアタイム」より)

 

 

 

○優性思想にもとづく「実存的殺人」

 

 

 植松容疑者が、障害者を20万人以上虐殺したナチスドイツのヒトラーの思想に心酔し、「啓示」を受け、殺害を実行したこと。最後に引用された、『実存的殺人』という福島智教授の言葉は重たい。

 

 社会心理学者などが、容疑者・植松の狄瓦琉”についてあれこれ語っている。だが、容疑者の心に牋”はなく、この事件は、明らかな障害者差別意識に裏打ちされ、目的意識性をもって実行されたヘイトクライムなのだ。すなわち、植松容疑者は、恥知らずにも都知事選に立候補していた「在特会」の櫻井誠などが、延々とわめき散らしてきたヘイトスピーチ――「朝鮮人死ね!殺せ!」と叫ぶレイシストと同じ差別思想の持ち主だということだ。殺害対象が「朝鮮人」であるか「障害者」であるかのちがいだけだ。

 

 最近、神奈川県海老名市の鶴指県議会副議長の、同性愛者は「異常動物」との差別発言、茨城県教育委員の銀座日動画廊の副社長・長谷川智恵子が「障害のある子どもの出産は防ぐべき」との障害者差別発言など、公人による被差別マイノリティに対する差別的言動が、相次いでいる。

今回の事件で解明すべきは、容疑者が差別思想(障害者抹殺)を持つにいたった背景と、ヘイトクライムを防ぐための具体的方策だ。(包括的差別禁止法)

 

 

「言葉が心を作る」、差別発言を放置してはならない。

| バックナンバー2016 |
第186回 「ヘイトスピーチ解消法」と似て非なる「部落差別解消法」

 

○「ヘイトスピーチ解消法」の影響力を実感

 

 5月24日、衆院本会議で可決成立し、6月3日に施行された「ヘイトスピーチ解消法」。

 罰則規定をもたないこの理念法の内容について、大きな欠陥と問題点があることは、すでに多くのヘイトスピーチと闘っている学者・文化人、弁護士、カウンターの人々から指摘され、この連載(第183回「ヘイトスピーチ解消法成立」)でもとりあげている。

 その欠陥と弱点に対する危惧が乗り越えられつつある。

 6月5日、川崎市中原区で行われようとした20人足らずのヘイトデモを600人近いカウンターの抗議行動によって中止に追い込んだ。このヘイト現場における警官の対応などの事実によって、法案の欠陥と弱点に対する危惧はかなり薄らぎ、闘いの武器になることが明らかになった。

 “のりこえねっと”共同代表の辛淑玉(しんすご)さんが、胸中の思いを率直に語っている。

 

解消法の与党案を見たとき、自分は受け入れられないと思った。
でも喉から手が出るほど欲しかった。
ヘイトの現場にいればその日は生きて呼吸するのも大変だったし、誰よりも止めて欲しかった。
だが自分が問われていた。
日本人が朝鮮人にしてきたことをこれから他のマイノリティにするのか、と。
それは多くのマジョリティが思うほど生半可なものではない。
こんなひどい選ばせ方をさせないでくれと思ったし、人生で最もきつい決断だった。
卑怯で許せない法律だ。…

(中略)

付帯決議などは守られたことなどないし、自民党にすがるような形でとった曖昧なものを何とかして市民の手に取り戻したいと思って川崎デモを必ず止めようと思った。
そうしなければこの法を受けとった意味がないから。
法成立後の現場では警察が私を殴るようなことをしないのに驚いた。
そしてレイシストに対して「違法デモ」だとも言っていた。
法ができても世の中は変わらないと思い込んできたが、今回は1票がなくても自分が変えなければならないと思った。
カウンターには見知らぬ人が多く、またヘイトデモを10mしか進ませなかったことで頑張れるのではないかと感じた。

(のりこえねっとTV 6月7日)

 

○今後の闘いが法律の欠陥を克服していく

 

 「本邦外出身者」「適法に居住する」という条件を付与することによって、アイヌ民族、被差別部落や性的マイノリティ、障害者、難民申請者、無資格滞在者が除外され、「本邦外」「適法居住」でないマイノリティは、 “合法的に” ヘイトスピーチにさらされるのではないかと危惧する声もあった。

 

 しかし、WEB連載183回で、私がくり返し強調したのは、この法律は、国際人権機関からの圧力、国会内での「人種差別撤廃施策推進法」成立の闘い、ヘイトスピーチに反対する多くの学者・文化人、弁護士、そして、何よりも当事者である在日の人々の闘い、さらにその前線に立ち、身体を張って抗議行動を行ったカウンターの闘いの成果なのだ。

この法律が内包している欠陥=矛盾は、闘いの中で解決できることを、6月5日の川崎でのヘイトデモ阻止行動は身をもって示した。

 逆に言えば、矛盾こそ、運動の原動力なのだ。

 

○「部落差別解消法案」提出の経緯

 

  他方、「部落差別解消法」は、どのような経緯で、与党から提出されたのか。

 ここに興味深い記事がある。「安倍政権は『リベラル』なのか」と題された特集(ヤフーニュース)の中に、「部落差別解消に安倍政権は政治生命をかけたのか」と題された、部落解放同盟中央執行委員長・組坂繁之のインタビューが載っている。

 今国会で継続審議となった「部落差別解消法案」について、「ネット上の部落差別と部落差別を助長する情報が放置されていることを踏まえて」議論されてきたものだとしている。その上で、「人権擁護法案」や「人権委員会設置法案」に安倍政権が一貫して反対しており、実現できなかったとしている。

 言うまでもないが、安倍政権が反対したから人権擁護法案などが成立しなかったのではなく、法案内容の陳腐さが、他のマイノリティ団体や学者から支持されず、加えて、解放同盟指導部の日和見な運動の弱さが、直接の原因である。

 

 ところが――

 

「変化があったのは2015年11月16日、自民党の二階俊博総務会長を実行委員長とする和歌山県東京集会『人権フォーラム』でした。その席で稲田朋美政調会長が講演し、『部落差別の撤廃を目的とした個別法として整備していく』と述べた。それが『部落差別解消法案』という形になりました。今国会で成立はしませんでしたが、二階総務会長の尽力であとわずかに迫った。」

 

との認識を示したうえで、連立与党・公明党の影響力もあり、5月19日、与党案「部落差別解消法案」が提出されたと、その背景を述べている。

 

○長年求めてきた「人権擁護法案」を諦めたのか

 

 それでは、この自民党の二階総務会長や稲田政調会長の“尽力”のたまものである「部落差別解消法案」の内容を、検討したい。

 与党案は、一読して具体性に乏しい。

 禁止規定も罰則規定もなく、ありきたりの「差別はいけません」的な、道徳的訓示レベルの文言が並び、唯一実効性があるのは、第6条「部落差別の実態に係る調査」のみである。

 2002年で失効する「地対財特法」を踏まえ、2000年11月に成立した「人権教育推進啓発法」の「人権」を「部落」に変えただけのしろものだ。

 注意しておかなければならないのは、同じ特集の中で、稲田政調会長が、包括的な「人権擁護法案」は、「人権」の定義が広すぎ、拡大解釈される可能性があるため、障害者差別解消法、部落差別解消法、LGBT差別解消法など「法案の対象を個別に分解していく。そこで多くの法律をつくることになったのです」、とのべている点だ。

 ということは、この「部落差別解消法案」は、包括的な「人権擁護法案」の代替法ということになる。

 つまり、部落解放基本法制定運動の一環として求めてきた「人権擁護法案」を、解放同盟中央本部は放棄したということになる。部落解放運動に対する裏切りといってよい。

 

○障害者差別解消法は「障害者権利条約」にもとづいて具体化した国内法

 

 ちなみに、障害者差別解消法は、2014年1月に批准された国連の「障害者権利条約」にもとづいて、その国内法として成立したものである。永年の国内外における障害者差別撤廃運動の成果であり、不充分点(合理的配慮が民間では努力義務目標など)はあるものの、国際人権水準に一歩近づいた画期的な障害者差別禁止法なのであり、その法案内容と闘いの経緯を見れば、権力から下賜された「部落差別解消法案」は、「障害者差別解消法」と同列に並べて論じるべき法案ではない。

 

○「部落差別解消法」は「人種差別撤廃条約」を具体化した国内法であるべき

 

 今年5月に提出された「部落差別解消法」は、本来なら、1965年の「同和対策審議会答申」を踏まえ、1995年に日本政府が批准した国連の「人種差別撤廃条約」にもとづき、その国内法として具体化されたものであるべきだが、その内容からも明らかなように、たんなる「参議院選挙を前にした政府・与党のリスク・ヘッジ戦略」(同特集での山尾志桜里民進党政務調査会長)に過ぎないのである。

 「ヘイトスピーチ解消法」「LGBT差別解消法」などは、これまでその差別を禁止する何らの法律もなかった。前者は、今回の理念法に内在する欠陥と弱点を克服し、罰則規定と救済機関の設置など、より充実した内容の法律に仕上げるための第一歩なのである。(法的拘束力のある“附則”にその主旨が入っている。)

「それならば、部落差別解消法も、これから不充分点を充実させていけばいいではないか」、と思う人もいるかもしれない。

 

  しかしながら、部落差別を禁止し、撤廃するための法律は、過去半世紀、条例などさまざまな形で制定されている。なかでも、1985年には全国の自治体に先駆けて、大阪府で、部落差別にかかわる「身元調査規制条例」が、制定されている。

 これは、興信所・探偵社などが差別的な身元調査を行うことを明確に禁止したもので、罰則規定もある。

 またこの条例は、  2011年に規制強化され、被差別部落出身かどうかを調べるだけでなく、その土地(地域)に関する差別的な調査なども禁止している。(※詳しくは「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」条文を参照)

 その意味で、「部落差別解消法」は、これらの、すでに成立している法律や条例を踏まえた上での「部落差別解消法」とはなっていないどころか、歴史の流れに逆行する法案である。

   政府与党、とくに自民党の二階俊博、稲田朋美、平沢勝栄、谷垣禎一などにすり寄り、おもねり、へりくだった結果だから、当然といえば当然の法案内容だが、過去の部落差別撤廃運動を貶めるような法案といってよい。

 

○「ヘイトスピーチ解消法」は現場での闘いによって克ち取った法律

 

  では、「ヘイトスピーチ解消法」はどうか。この法案は、野党・民進党の有田芳生(ありたよしふ)参議院議員が中心となって、昨年9月、参議院に提出された。「人種差別撤廃施策推進法」に対する与党・自公の対案、「ヘイトスピーチ対策法」との調整(院内闘争)の中で、「ヘイトスピーチ解消法」として成立したのである。

 ちなみに、この法律が成立するまでの国会内闘争の経緯については、法律成立に尽力した参院法務委員会の与党側筆頭理事・西田昌司(にしだしょうじ)参議院議員と有田芳生参議院議員とのネットTV『週刊西田』での討論で、その間の事情が明かされている。

 

    この連載(第183回)で書いたように、「ヘイトスピーチ解消法」は、国内外の日本政府に対する圧力およびヘイトスピーチに身体を張って闘ったカウンターの面々、そして全国の在日韓国・朝鮮人の人々、とくに川崎在住の人々の苦難に満ちた闘いの中から生まれ、克ち取ったものなのである。

 

 法律制定をめざす闘いの過程は、めざすべき法律の内容に反映される。

 

 最後になったが、「ヘイトスピーチ解消法」を、より実効性のある法案に仕上げていく国会内闘争の中心である民進党・有田芳生議員の、来たるべき参院選での当選を克ち取るべく、是非一票を投じていきたい。

 

| バックナンバー2016 |
| 1/3PAGES | >>