最新連載記事
カテゴリー
月別

記事検索
第198回 日本維新の会共同代表・片山虎之助参議院議員の差別発言を糾弾する

 

■ 「国会は特殊部落ですから」 片山虎之助の差別発言

 

 2017128日、日本維新の会の共同代表で、参議院議員の片山虎之助が、党の会合で、国会を、ウラ取引が横行するいい加減な場所という意味を込め、「特殊部落ですから」と発言したことが明らかになった。

 

被差別部落を悪いもの、役に立たないものの喩えとして過去幾度となく抗議糾弾されてきた典型的な差別表現である。

 

党の会合で、片山虎之助はつぎのように発言したという。

 

「維新独自で多数の議員立法を特別国会に提出しながら、いずれも審議入りしなかった現状をめぐり『やり方を考えないといけない。本数でなく中身も絞って、どこかの党と取引しないと。国会はそういうところなんですね。特殊部落ですから』とのべた。続けて「部落という言葉は良くないけど」と語った。」(共同通信 12月8日)

 

部落差別のきびしい岡山県の笠岡市で生まれ育った片山は「特殊部落」という言葉のもつ意味を十分理解している。

 

つまり、確信をもって、国会を常識や政治倫理が通用しない腹芸に長けた魑魅魍魎(ちみもうりょう)の輩(やから)が集住しているところにふさわしい言葉(比喩)として、「特殊部落」と呼んだのである。

 

 

■「部落という言葉はよくないけど」の弁明に表出する差別意識

 

 片山は、すぐに言い直し、「部落という言葉はよくないけど」と語ったというが、比喩的に「部落」という言葉を使うことがよくない、という弁明とは思えない。

 

たんに「部落」=悪い言葉といった程度の認識であり、これも当人の、被差別部落に対する差別意識を吐露したものに過ぎない。

 

ハッキリ言っておくが、「部落」という言葉は決して悪い言葉でも差別語でもない。たんに村落集落を意味する場合もあり、とくに(片山のように)意識しない限り、通常、村や集落を意味する言葉である。

 

 

■閉鎖的で悪の巣窟のような状況を比喩的にいいあらわす「特殊部落」

 

 それにしても驚きを禁じ得ない。

 

 「国会は特殊部落」は、超古典的で典型的な差別表現であり、過去、数えきれないほど「悪いもの」「否定されるべきもの」の喩えとして「特殊部落」という差別語を使用した差別表現が、保守・革新をとわず、知識人、政治家、メディアによって行われてきた。

 

 旧社会党の顧問格だった大内兵衛東大教授は、月刊誌『世界』で「東大を滅ぼしてはならない。大学という特殊部落」(『世界』岩波書店1969年)とのべた。

 

 また、朝日新聞および朝日ジャーナル系執筆者は、アフリカ系アメリカ人の集住地域(「黒人ゲットー」)を「特殊部落」と訳し、佐藤栄作首相の訪ベトナムに反対して羽田デモに参加した学生を「特殊部落の集団」と呼んだ。

 

 なぜ、「特殊部落」を使って表現する必要があったのか。

 

 それは、「特殊部落」という差別的言辞が、悪の集約的表現であり、百万言をついやしても言いあらわせない内容も、「特殊部落」のひとことで、十分言いあらわすことができるからである。

 

 そしてまた、「特殊部落」という言葉を聞くだけで、一般の人々は、社会意識にある部落民にたいする差別観念を呼び起こし、部落民に対する憎悪と反感をかきたてられるのである。

 

 

■「特殊部落」を使った差別表現事件

 

 

1973年 「私たちを特殊部落的に見てもらいたくない」(谷内正太郎氏、現・国家安全保障局長、日テレ「ドキュメント73」)

 

1973 「そりゃやっぱし特殊部落ですよ、芸能界ってのは」(玉置宏氏、フジ「3時のあなた」)

 

1977年 「社会党は特殊部落」(飛鳥田一雄社会党委員長、日テレ「おはようニュースワイド」)

 

1984年 「国会は特殊部落」(政治評論家・宮川隆義氏日テレ「ルックルックこんにちは」)

 

1987 「永田町は特殊部落」(早川茂三氏・元田中角栄首相秘書、日テレ「11PM」)

 

1987 「映画界は特殊部落」(映画監督・斎藤耕一、フジ「おはようナイスデイ」)

 

 

などなど、あげればキリがない。

 

各事例の経緯や解説については、拙著『最新差別語・不快語』を参照してほしい。

 

もう一つ、片山虎之助は、「部落という言葉はよくないが」と、弁明したつもりのようだが、この文脈も、過去に抗議を受けた事例がある。

 

1992 山形県で開かれた「べにばな国体」の折、山形県内の複数の市町村が、「被差別部落と同じにみられては困る」として、”部落”の地名表示を”地区”に変更するという事件があり、山形県行政が抗議されている。

 

 

■「特殊部落」という差別語を使ったから問題、なのではない

 

 ところで、片山虎之助の差別発言を報じた新聞記事を読むと、「特殊部落」という「差別用語」を使用したことが問題とされているとの認識がみられる。

 

 筆者がいつも言っていることだが、「特殊部落」という差別語を使ったから差別表現になるのではない。今回の片山発言で、「特殊部落」を「被差別部落」と言い換えても、差別表現であることに違いはない。

 

 なぜなら、被差別部落を「悪いもの」の喩えに使用して貶めていることに変わりはないからである。

 

 だが、メディア関係者には、「差別語を使ったから問題」というとらえ方をしている人が多い。

 

 それが結局は、自主規制の禁句・言い替えにつながり、差別を隠す行為となった。

 

 差別を撤廃するためにも、厳しい差別の現実と歴史性を帯びた差別語を正しく使用する必要がある。

 

 「差別と表現」をテーマにしたメディア研修での私のレジュメから抜粋し、少し整理しておこう。

 

 

■差別語と差別表現

 

 

【差別語とは】

 

差別語とは、ひとことでいえば社会的差別を受けている被差別マイノリティに対する侮蔑語のこと。

 

社会的差別とは人種、民族、宗教、性、障害、部落などに対する差別のこと。

 

個人の責任ではない社会的属性をもつ社会集団に対する排除と蔑視感情が付与された言葉である。差別語は歴史的・社会的背景をもち、現実の差別的実態を反映している。 

 

(例: 穢多、鮮人、シナ人、チャンコロ、ロスケ、ビッコ、メクラ、キチガイ、土人など)

 

  

 

【差別表現とは】

 

1922年、全国水平社創立大会の冒頭に掲げられた決議第1項が、

 

『一、吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す』

 

であったことに注目してほしい。

 

部落差別撤廃運動は、差別的言動への抗議から始まったのである。

 

差別表現とはなにか。

 

それは、文脈のなかに差別性(侮辱の意思)が存在している表現のことであるが、注意してほしいのは、次の3点。

 

差別表現は、

〆絞霧譴使用されているか否か

内容が事実か否か

0意があるか否か

とは直接関係しない。

 

 

差別表現で問われているのは、表現の差別性であって、表現主体の主観的な差別的意図の有無の問題ではない。

 

つまり、「差別しようと思って言ったんじゃない」とか「事実に基づいて書いただけだ」などは関係ないということである。

 

表現の客観性、その表現が社会的文脈の中でどう受けとられるかということ、つまり、表現のもつ社会的性格について問題にしている。

 

 

●上記,砲弔い椴磴鬚△欧討澆襦

 

「キチガイに刃物」を

「統合失調症に刃物」

 

と言い換えても差別表現であることに変わりはない。

 

同じように、

  

 「あいつは何も見えていない盲(めくら)と一緒だ」を

 

「あいつは何も見えていない視覚障害者と一緒だ」

 

と言い換えても、差別表現であることに変わりはない。

 

 

●上記◆峪実かどうかとは関係しない」について例をあげる。

 

・『週刊朝日』の橋下徹大阪市長に対する出自報道(2012年10月)で、執筆者の佐野眞一氏は、

 

 「私は間違ったことは書いていない。事実を書いただけだ」

 

 とのべているが、問題は記事の内容の差別性であって、事実か否かを問うているのではない。

 

 

 

●上記「悪意があるか否か」とは関係しないについて例をあげる

 

金美齢氏が、「士農工商、牛馬AD」という発言を行った。(2016年7月29日フジテレビ『バイキング』)

 

娘の仕事についてADの仕事のキツさを比喩的に表現したもの。

 

金さんに被差別部落を差別する意識はない。

 

しかし、差別的な比喩表現である。

 

この生番組中の事件は、局側が番組放送中に、きちんとしたお詫びと訂正を行うことによって、自主的に解決している。

 

 

【差別語の使用=差別表現ではない】

 

差別語を使用していてもそれが差別表現になるのではない。

 

たとえば次のような表現がある。

 

「わしらは昔<ドメクラ(ドエッタ)>といわれ差別されてきた」

 

要は、その言葉が使われる必然性および社会的必要性が、文脈なり作品にあるかどうか。

 

それが差別表現であるかどうかを考える鍵となる。

 

 

■差別語「特殊部落」の歴史的背景

 

 被差別部落にかんするもっとも典型的な差別語として、「穢多」「非人」「特殊部落」「新平民」「四ツ」などがある。

 

 とくに「特殊部落」という語は、「国会を特殊部落にしてはならない」など、閉鎖的で悪の巣窟のような状況を比喩的にいいあらわす場合に数多く使用されてきた。

 

そして、保守・革新を問わず著名な作家や文化人、学者、そして媒体としてのマスメディアが抗議されてきた。

 

  この「特殊部落」という言葉は、1871(明治4年に布告された、いわゆる「賤称廃止令」によって、封建的身分差別から解き放たれた被差別民とその居住地域を、あらたに“特殊(種)部落” と、官側が呼称したことに起源をもつ。

 

 それが、明治維新をへて時代がかわり、四民平等になったとはいえ、古い封建的賤視観念にとらわれていた庶民には、“普通” でない“特殊” な部落、つまり、旧来の差別的内容を包含する穢多・非人部落の蔑称として定着し、今日にいたるもなお、使用されている差別語である。

 

 (*事例出典は『最新 差別語・不快語』)

| バックナンバー2017 |
ウェブ連載 第197回 自民党・山本幸三議員の人種差別発言

 

■ 前地方創生相の山本幸三・自民党衆議院議員(福岡10区)の人種差別(黒人差別)発言

 

 

  20171123日、北九州市で開かれた三原朝彦衆議院議員(自民党福岡9区)の「政経セミナー」で挨拶に立った山本議員は、三原議員がアフリカ各国と交流や支援活動を行っていることに触れ、「何であんな黒いのが好きなのか」と、耳を疑うような黒人蔑視の差別発言を行った。

 

 当人は、取材記者の指摘に対し「アフリカが『黒い大陸』『暗黒大陸』と表現されたことが念頭にあっての発言で、黒人を指して言ったわけではない」と釈明、「差別的なことを意図しているわけではない。表現が誤解を招くということであれば撤回したい」と述べたという。

 

 ついうっかり口をついて出た、軽はずみの発言として済まされない舌禍(ぜっか)事件だ。この発言は、国を問わず地球上に住む「肌の色が黒い人々」すべてに対する人種差別発言であり、ことは「アフリカ」だけにとどまらない。

 

 

■「黒い大陸」「暗黒大陸」表現に含まれる差別性

 

 

「何であんな黒いのが好きなのか」!――この暴言は、山本幸三の内面に貼りついている肌の色が黒い人々に対する嫌悪感――つまり強烈な差別意識が吐露されたものであるが、当人にその自覚はない。無意識かつ自然に口をついて出た差別表現である。

 

  しかも「あんな黒い」との言い回しには、黒い肌をもつ人々には人格や尊厳がなくもの(奴隷)として蔑すむ差別意識がある。山本幸三は差別意識が血肉化していると言ってよい。

 

 また、アフリカが『黒い大陸』『暗黒大陸』と表現されたことが念頭にあったと言い訳しているが、その「黒い大陸」「暗黒大陸」という表現に含まれる植民地主義的差別性に、気づきさえしていない。

 

 「ブラックマンデー」「ブラツクアウト」「ブラックリスト」「ブラックマネー」「ブラック企業」など、否定的意味を「ブラック(黒)」という言葉(色)に(象徴的)付与してきた歴史と現実がある。

 

  15世紀以降に始まった奴隷制度では、1千万人から2千万人に上るアフリカの人びとをアメリカ大陸に拉致し、「奴隷」とした。

 

 ヨーロッパ、アメリカの白人たちが、この犯罪を正当化する言葉は、「《白》にこそ価値があり《黒》は劣等である」であった。イエス・キリストも「白人」とされ、ギリシャ彫刻も白く塗り替えられた。エジプトのクレオバトラも、ハリウッド映画では白人のエリザベス・テイラーが演じたのである。

 

 

 

■失言をくり返す公人――人種差別撤廃条約に違反

 

 自民党・山本幸三は、地方創生担当相当時の2017年4月16日、滋賀県大津市で開かれた地方創生に関するセミナーの中で、観光振興をめぐり、

「一番のガンは文化学芸員……観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と発言して批判され、後に撤回している。

 

 自民党議員山本の暴言に対し、北九州小倉北区にある事務所に、福岡の市民団体「福岡の教育を考える会」が抗議文を提出するなど、抗議行動を行っている。中央でも、抗議行動を行うべきだろう。

公人による差別発言がなぜ厳しく戒められなければならないのか。

 

 ここで過去の公人による黒人差別発言について掲載しておくが、1990年に梶山静六法務大臣が黒人侮蔑発言を行ったさい、アメリカ下院議会で梶山法相非難決議が全会一致で可決され、東京都議会の訪問が拒否されるなど、外交問題にまで発展したのである。

 

 「人種的優越主義に基づく差別及び煽動」を禁止した人種差別撤廃条約第4条C項(日本はabを留保しているがC項は批准している)は、「国または地方の公権力または公的公益団体が人種差別を助長しまたは煽動することを許さない」と定めている。

 

 さらに憲法第98条[最高法規、条約及び国際法規の順守]のでは「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と書かれている。山本幸三議員を徹底糾弾すべき。

 

 

■公人による黒人差別発言は外交問題に発展する

 

事例 1 「カルピス」の商標マーク

 

 1980年代に、アメリカの「ポリティカル・コレクトネス」運動や、日本国内における差別語や差別表現に抗議する運動の高まりのなかで、「サンボ人形」「ダッコちゃん」や『カルピス』の商標だった「黒人マーク」などが、ステレオタイプ化した黒人蔑視であり、誤った黒人像を与えているとして、強く指摘される。

 

 

事例 2 中曽根首相 「アメリカの黒人は日本人よりはるかに知的水準が低い」

 

 1986年、当時の中曽根首相が、自民党の全国研修会で、「日本は高学歴になってきておる。……平均点からみたら、アメリカには黒人、プエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、日本人よりはるかに知的水準が低い」と発言し、米議会や黒人議員連盟などから強く抗議される。

 

 

事例 3 渡辺政調会長 「黒人やヒスパニックは破産して金返さなくてもアッケラカンのカー」

 

 1988年、当時の自民党渡辺美智雄政調会長が、「日本人はまじめに金を返すが、アメリカには黒人やヒスパニックなんかがいて、破産しても、明日から金かえさなくてもいい、アッケラカンのカーだ」と発言し、国内外から人種差別発言として強く抗議される。その後、1991年に、副総理兼外務大臣に就任した渡辺氏は、この発言を釈明するなかで「日本は単一民族なものだから」と発言し、アイヌ民族の団体から謝罪と閣僚辞職を求める抗議文がだされる。

 

事例 4 梶山法務大臣 「アメリカにクロが入ってシロ(白人)が追い出されている」

 

 1990年、自民党の梶山静六法務大臣が、資格外就労の外国人女性摘発をめぐって、「悪貨は良貨を駆逐するというが、アメリカにクロ(黒人)が入って、シロ(白人)が追いだされているような混在地になっている」と発言。全米黒人地位向上協会などアメリカの団体のみならず、アフリカ各国をも巻きこんで抗議行動が拡がる。法務大臣をはじめ政府首脳は陳謝したものの、米下院が梶山法相非難決議を全会一致で可決。

 

 東京都議会都市問題調査団が、ニュージャージー州都トレントンのダグラス・パルマ黒人市長により、訪問を拒絶される。梶山法相は、衆参両院の法務委員会で「国内外からの強い非難を浴びてはじめて人種差別問題への『感受性の欠如』やその克服の難しさに気づき」「外国人の労働問題という観点もなく短絡的だった」と陳謝。

 

 

事例 5 日本オリンピック委員会会長  「黒いのばかりにVvictory)とられちゃかなわない」

 

  2000年、日本オリンピック委員会の八木祐四郎会長(当時)が、長野五輪記念・長野マラソンでアフリカ勢が上位を占めたことに対し、「黒いのばかりにVvictory)とられちゃかなわない」と差別発言、ひんしゅくを買う。オリンピック憲章第1章の32に「人種、宗教、政治、性別、その他に基づく、国もしくは個人に対する差別は、いかなるかたちの差別であっても、オリンピック・ムーブメントへの帰属とは相入れないものである。」と書かれている。                                       (*出典は『最新 差別語・不快語』)

 

| バックナンバー2017 |
第196回 またしても麻生太郎の差別発言

 

 

■「きちがいみたいな人ばかり」

 

ナチス・ヒトラーを肯定する発言で、日本国内にとどまらず国際的な批判を浴びているさなかに、麻生太郎副総理兼財務大臣が、またしても差別発言をおこなった。

 

〈麻生太郎副総理は2日、10月の衆院愛媛3区補選の応援で訪れた愛媛県西条市での講演で、祭りの参加者を「きちがいみたいな人ばかりだ」と述べ、精神障害者を差別する表現を使った。補選は祭りと時期が重なり、麻生氏は「ここのお祭り大変だ。そういった時に選挙なんてやれる。選挙を一生懸命やっている人はお祭りを一生懸命やっている人。俺のとこ(の選挙区の祭り)は7月14日だけど、この時になったら、ほとんどきちがいみたいな人ばっかりだ」と語った。

麻生氏は講演後、記者団から指摘され、「不適切でした」と述べた。〉(朝日新聞デジタル)

 

その後、発言を撤回したものの「俺の地元では昔から” 祭りきちがい”という言葉もある」と述べるなど、うわべだけの反省で、心底反省していないことがわかる。

 

 

■自覚なければ、反省もなし

 

麻生太郎は、第一次安倍内閣の外務大臣だった2007年にも「酒は『きちがい水』と発言し、批判された過去をもつ。10年経っても精神障害者に対する「キチガイ」という差別語と、その言葉に反映されている現実の差別的実態にはまったく無自覚である。

 

昨年4月から障害者差別解消法が施行され、国をあげて取り組んでいる最中の差別発言である。

 

 

■もっとも身近に使われている差別語

 

「キチガイ」という差別語を使った差別表現は、日々の日常会話の中で頻繁に使用されている最もポピュラーな差別語と言っていい。

 

  ほとんどの場合、発言者あるいは執筆者本人は、精神障害者に対する差別意識をもって発言したり、執筆しているわけではない。(差別を肯定し、目的意識的に発言したとすれば、それはヘイトスピーチ[差別的憎悪煽動]である。)

 

 ただ無自覚に、「キチガイ」という言葉に塗りこめられている精神障害者に対する差別の歴史と実態に無知であるがゆえの表現ではあるが、客観的には、精神障害者を傷つけ貶め、社会にある差別意識を助長拡散しているのであり、その社会的責任は、とくに公人の場合はより厳しく指弾されなければならない。

 

 

■テレビ生番組での塩川正十郎氏の「きちがい」発言

 

著名な政治家の例ではつぎのようなことがあった。

 

 

2005年、日本テレビ『真相報道バンキシャ!』に生出演していた、塩川正十郎氏が「騒音おばさん」の映像を見て、「こりゃね、やっぱり狂ってますよこの人は。…これきちがいの顔ですわ。」と発言。司会の福澤朗氏が、番組中に塩川氏に注意して、視聴者に謝罪した。

 

 

ただこのとき、福澤氏は「先ほど番組放送中に不適切な発言がありましたのでお詫びし、訂正します」と述べただけで、何がどう不適切な発言だったかについては、視聴者に向けて何も語っていない。

 

 

■具体的な差別語の提示にメディアが躊躇するのはなぜか?

 

 

 実は、今回の麻生太郎の差別発言を最初に知ったのは、9月2日の日付が替わった深夜12時のNHKニュースだった。

 

この時NHKは、「麻生太郎副総理が愛媛の選挙応援中の講演で精神障害者に対する差別発言を行った」との報道内容で、「キチガイ」という具体的な差別語について放送することをためらっていた。

 

これでは先の日本テレビと50歩100歩の腰の引けた報道姿勢といわねばならない。


 ではなぜメディアは、具体的な差別語を提示することに躊躇(ちゅうちょ)するのか?

 

実はここに、差別語と差別表現に対するメディアの無理解と誤解がある。

 

被差別マイリノリティ集団が一貫して抗議してきたのは〈表現の差別性〉に対してであって、〈差別語を使用したか否か〉ではない。

 

「キチガイに刃物」は差別語を使用した典型的な精神障害者差別表現だ。しかしそれを「統合失調症に刃物」と言い換えたとしても、〈表現の差別性〉に何の違いもない。ただ、差別語を使用していない差別表現というだけである。

 

一方で、「統合失調症で苦しんでいるのに『キチガイ』という心ない言葉を投げつけることはやめるべき」と言ったとしても、表現に差別性がないことは容易に理解できるだろう。これは、話者ないし筆者が当事者であるかないかは関係ない。

 

 

■差別語の使用=差別表現ではない

 

 

ところがメディアは、被差別者からの抗議に対し、差別語=差別表現という短絡的な思考の結果、差別語を禁句にしたり、言い替えて事足れりとしてきた歴史がある。

何度も強調しているが、「言葉狩り」を行ったのはメディアであり、被差別者の側ではない。(「放送禁止用語」「放送禁止歌」など)

 

禁句・言い替えはメディアの「思想的ぜい弱性」がもたらした悪しき対応であり、ただ単に差別語を禁句にし、差別を隠しただけであり、差別をなくすために役立つものではない。(*拙著『最新 差別語不快語』で詳細に説明している)

 

 

■国会での安倍首相の差別的比喩表現――『めくら判』

 

障害者差別表現では、今年6月5日の国会で安倍総理も「めくら判」という視覚障害者に対する差別的比喩表現をおこない、その場で批判されている。

 

 

加計学園の獣医学部新設をめぐる民進党の宮崎岳志議員の質疑への答弁に立った安倍首相は、民主党政権時代の構造改革特区を取り上げる。その際「みなさん(民主党政権)のときは構造改革特区というのは(政府に案が)上がってきたら『めくら判』ですか?」と発言。

 

この発言に宮崎議員が「え!?」と驚き、委員会は騒然とする。だが安倍首相は「違いますよね。上がってきたら『めくばらん』ではないんです」と言い間違いしながらも、さらにそのままに答弁を続けていた。(Livedoor News)

 

 

後ろに控えていた官僚から紙を渡されてから訂正したが、安倍首相自身は全く無自覚で、反省した気配はない。

 

総理が総理なら、副総理も副総理で、そろって障害者差別発言を平然と行い、しかも反省の色がまったく見えない。”差別そろい踏み政権”といっても過言ではない。

 

 

■精神障害者に対する差別意識が生みだしたことば

 

精神障害者に対する差別意識は、日本社会に、そしてまたわれわれの意識の底に、広く深く沈殿している。

 

昨年7月26日未明、相模原の津久井やまゆり園で起きた重複知的障害者19人を殺害した、戦後最悪のヘイトクライムは、このような障害者に対する差別意識の土壌の中から、その意を汲んで、植松聖が犯行に及んだのだ。(*この事件についてはウエブ連載第181回で詳述)

 

精神障害者に対する予断と偏見にもとづく差別意識は日本社会に深く広く根付いている。

精神障害があるとされた人々に対して、1874(明治7)年の「狂病者厳重監護の布達」以降、1900年の「精神病者監護法」をはじめ、精神病者を治安維持の管理対象(保安処分)とし、監置を是としてきた歴史がある。

「隔離収容」という、人間の尊厳をズタズタに切り裂いた処遇が、「キチガイ」という差別語に反映されてきた歴史を知るべきだ。

 

 

■財界重鎮も……

 

本稿を書き終えたときに、大企業の経営者による障害者差別発言の記事を見つけた。

 

中部経済連合会の豊田鐵郎会長(トヨタ自動織機会長)は4日の定例記者会見で、滑走路が1本の中部国際空港について「身体障害者みたいなものだ。1本がだめになるとどうしようもない」と話した。2本目の滑走路を国に求めている理由を問われ、発言した。

中経連の広報は会見後の朝日新聞の取材に「身体障害者に何か問題があるかのような不適切な表現だった。本人も反省しており、発言を撤回する」とした。豊田自動織機は、トヨタグループの源流企業。

(朝日新聞9月5日付朝刊)

 

日本の政界も財界も障害者問題には疎い。そういえば前NHK会長の籾井は、国会内で「つんぼ桟敷」発言を2度もくり返すという醜態をさらしても平然としていた。

| バックナンバー2017 |
第195回 悔い改めないレイシスト・麻生太郎

 

■ヒトラーの行為は悪いが動機は正しい?

 

またしてもである。

8月29日、自民党の麻生太郎副総理兼財務相が派閥の研修会で講演し、次のように発言した。

 

「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。

 何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」

 

発言の翌日、「私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾」と釈明したものの、謝罪はしていない。今回で公(おおやけ)には二度目となるナチス・ドイツ肯定発言に、政治家としての見識が疑われ、抗議と批判の声が、日本のみならず世界中で沸き起こっている。

 

講演での発言を素直に読めば、ホロコーストはダメだがヒトラーの動機は正しかった、と言っていることに疑いの余地はない。

 

 

■4年前のヒトラー礼賛発言

 

麻生太郎によるナチス讃美・ヒトラー礼賛の発言は、今回が初めてではない。

 

2013年7月29日には、都内で開かれた国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の月例研究会で、

 

「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。

 だれも気づかなかった。あの手口学んだらどうかね」

 

と発言し、歴史認識の誤謬(ごびゅう)とともに「ナチスから学ぶ価値ある手口は一切ない」と、サイモン・ウィーゼンタールをはじめ、国際的な批判を浴びた。それからまだ4年しか経っていない。

 

 

■高須克弥のヒトラー称賛・ホロコースト否定

 

最近では、高須クリニックの院長・高須克弥がヒトラーを称賛し、ホロコーストは捏造(ねつぞう)だとの戯言(ざれごと)をツイッター上で吐き、徹底批判されているが、撤回も謝罪もせずに居直っている。

 

 この高須克弥の件に関しては、「社長ブログ ゲジゲジ日記」(2017年8月25日)ですでに批判したが、ナチス・ヒトラーの行為を評価あるいは無批判に真似する言動一切が犯罪なのだということを強調した。

 

ネット上で、高須クリニック院長・高須克弥のヒットラー礼賛、ホロコースト否定発言に批判が集中、炎上している。今年8月5日にベルリンの連邦議会議事堂前で、ナチス式の敬礼をした中国人観光客2人が逮捕されている。日本に包括的な差別禁止法があれば、高須克弥は社会的処罰を受けるだろう。

 

ホロコースト否定は、1995年の文藝春秋社発行『マルコポーロ』廃刊事件で、それが犯罪行為であることがすでに日本でも明らかにされている。ちなみにその時の『マルコポーロ』編集長は花田紀凱氏で、即解任されている。

 

なぜ今ごろ高須克弥がアホなことを言い出したのか、サイモン・ウィーゼンタール・センターは、直接の抗議糾弾活動を日本に乗り込んで行うべきだろう。欅坂48の時とは悪質さのレベルが違う。

 

第二次世界大戦での、ユダヤ人600万人、ロマ人(賤称・ジプシー) 60万人、同性愛者と障害者20万人を虐殺した、ナチス・ドイツの人類に対する犯罪への痛烈な反省から、1948年、世界人権宣言が発せられた。その思想と精神を具体化したのが、国際人権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、障害者の権利条約などの、一連の人権条約なのだ。

 

すべての人権条約は、ホロコーストの反省の上に成り立っている。日本は一部留保しつつも、多くの人権条約を批准しているが、条約の内容に見合った国内法をキチンと整備しているわけではない。

とくに、国連での可決から30年経って1995年に批准した人種差別撤廃条約に関しては、昨年不十分ながらも成立した「ヘイトスピーチ対策法」以外、国内の差別禁止関連法はまったく成立していない。高須克弥の暴言は、この国内人権法の不備がもたらしている。(ゲジゲジ日記2017/8/25) 

 

 

■いくつかの事件から

 

ナチス・ヒトラーに関係し、社会問題となった主なケースを少し掲げておこう (*『最新差別語・不快語』参照)。

 

 

○2011年、バンド「気志團」がナチス親衛隊(SS)の制服を着てテレビ出演。 サイモン・ヴィーゼンタールに抗議され、謝罪。

 

○2011年、フランスの高級服飾ブランド、クリスチャン・ディオールのデザイナー、ジョン・ガリアーノ氏が、パリのユダヤ系住民が多い地区のカフェで酒に酔い、「ヒトラーが大好きだ。お前たちのような奴らは死んでいたかもしれない」と暴言を吐く。ガリアーノ氏はC・ディオールを解雇され、フランスの人種差別禁止法によって罰金65万円と禁固6ヶ月の執行猶予付き有罪判決。その後レジョン・ドヌール勲章をはく奪される。

 

○2014年、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の恐怖を少女の目で描いた『アンネの日記』が、東京都内と横浜市の図書館で相次いで破られる。サイモン・ウィーゼンタールは声明で「事件は偏見と憎悪に満ちた」一部人間の行為と指摘。「ホロコーストで犠牲になったユダヤ人の子ども150万人の中で最も知られた代表であり、その記憶を侮辱する組織的計画」であり、「思想的な動機があるのは明白」と語った。犯人は捕まったものの、警視庁からその後の動静が一切明らかにされていない。

 

○2015年、衣料品スーパー「しまむら」がナチスの国旗ハーケンクロイツ(鉤十字)のマークが入ったペンダントとセットになったタンクトップを販売。批判を受け、販売中止。

 

○東京・大阪など全国各地でおこなわれている人種差別にもとづく排外主義的ヘイトスピーチデモで、旭日旗とともに、ナチスドイツの国旗ハーケンクロイツ(鉤十字)の旗がふられる。2014年7月国連人権規約委員会で、その映像が上映され、委員会は日本政府に対し、差別を煽るすべての宣伝活動を禁止する措置をとるよう、日本政府に勧告。

 

○アイドル集団、欅坂46がハロウィーンコンサートで「ナチス風」軍服と軍帽の衣装で出演。サイモン・ウィーゼンタール・センターが所属会社のソニーミュージックとプロデューサー秋元康に抗議、謝罪を求める。

 

 

■差別政治家をのさばらせるものは

 

 

話をもどす。

麻生太郎が札付きの差別者であることは、元自民党幹事長の野中広務さんが総理候補に名前が挙がったとき、

「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と露骨な差別発言を行っていることからも明らかだ。

 

野中さんは2003年9月、自身最後の自民党総務会の席上で、麻生氏を目の前で糾弾している。

 

2009年1月17日ニューヨークタイムズ紙が、この「麻生の差別発言」について、オバマ大統領誕生と関連して、4ページにわたる大特集を組んでいるが、部落解放同盟中央本部は、一度も麻生に対し、抗議も糾弾もしていない。この事件については『部落解放同盟「糾弾」史』を参照いただきたい。

 

ことナチス・ヒトラー問題にかかわらず、麻生太郎は人種差別者、部落差別者であり、度し難い差別者なのである。

 

なぜこのような差別政治家が、いまだに権力の一員としてのさばっているのだろうか。

 

それは、現在の自民党と安倍政権のものの政治的思想的本質をあからさまに体現しているのが、麻生太郎ということなのだ。トランプ大統領以前の問題である。

 

 

■日本政府も批准する人種差別撤廃条約で処罰すべき

 

 

日本政府も批准する人種差別撤廃条約の第4条は「人種的優越主義に基づく差別および煽動の禁止」を定義している。そのC項にはつぎのようにある。

 

C項]国又は地方の公権力又は公益団体が人種差別を助長し又は煽動することを許さない。

 

このC項を日本政府は批准している。ちなみに差別的憎悪煽動=ヘイトスピーチを禁止したこの4条の[a項][b項]を日本政府は留保し、批准していない。

 

ヒトラーの「動機は正しかった」という麻生の発言は、この人種差別撤廃条約第4条C項に照らしても、責任追及を免れない。これが今日の差別・人権問題の国際基準なのだ。

 

 

■日本と世界で同時進行するレイシズムとファシズム

 

今回の麻生発言の少し前には、小池百合子都知事が1923年9月の関東大震災時の、6千人にのぼる朝鮮人虐殺を慰霊する追悼集会への追悼文を、慣例を破り見送りを決定している。ついで墨田区長も、その動きに追随している。

 

全般的な歴史修正主義とファシズム、レイシズム讃美が、日本と世界で、同時に跳梁跋扈している。

 

2013年の件とともに、今回の麻生の「ヒトラーの動機は正しかった」発言をサイモン・ウィーゼンタールなど国際的な抗議運動と連携し、かつ国会内でもとりあげ、徹底糾弾すべきだ。

 

最後に〈ウェブ連載差別表現 第100回 「麻生副総理の『ナチス正当化』発言は国際的非難を免れない」を再録しておきたい。

 

 

「麻生副総理の『ナチス正当化』発言は国際的非難を免れない」

 

【連載差別表現・第100回より】(2014年8月)

 

夏期休暇中、とんでもない発言を、インターネットを通じて知った。麻生太郎副総理の憲法改正にかかわっての「ナチス発言」である。

■「ナチス正当化」発言に国際的非難


 麻生は7月29日、都内で開かれた国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の月例研究会で、次のように発言したという。

 

「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」

 

 発言内容が報道されると同時に、諸外国、とくに韓国、中国を始めアジア諸国から批判の声が上がった。さらに、アメリカのユダヤ人人権団体として名高いサイモン・ウィーゼンタール・センターは、すぐさま反応し、次のように批判声明を出し、「真意を明確に説明せよ」と求めている。(報じたのは8月1日付『朝日新聞』)

 

「どんな手口をナチスから学ぶ価値があるのか。ナチス・ドイツの台頭が世界を第2次世界大戦の恐怖に陥れたことを麻生氏は忘れたのか」

「また、ドイツの週刊紙ツァイト(電子版)は31日、『日本の財務相がナチスの改革を手本に』という見出しで発言を伝えた。同センターなどの反応を伝え、『ナチスの時代を肯定する発言で国際的な怒りを買った』とした」(2014年8月1日『朝日新聞』)

 

 

■麻生を徹底糺弾しない日本の政治家の不見識


 筆者は、副総理と財務相の辞任にとどまらず、自身の議員辞職を含め、安倍内閣の存亡にかかわる重大かつ深刻な政治的舌禍事件と思い、成り行きを注視していた。
 

 麻生は国際的な批判に狼狽し、8月1日、「(発言が)私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾だ」として、発言を撤回した。

 

しかし、発言を撤回したからといって、発言の持つ政治的価値観と歴史認識が消えたわけではない。

 

「私の真意と異なり、誤解を招いた」と、麻生は弁解しているが、ナチス的手法を礼賛する麻生の真意は十二分に伝わっているのであり、表面的な「遺憾」表明などなんの意味もない。


 新聞各紙も、『毎日新聞』の8月2日付社説をはじめとして、単にうわべだけの撤回ではなく、発言の背後にある歴史認識と政治思想について、徹底批判している。


 しかし、発言に対する弾劾が期待された臨時国会では、圧倒的与党の自民党に、「ナチス発言の審議要求を一蹴」され、その後、民主党をはじめとする野党が、この問題で、強い行動を起こした形跡はない。


 さらには野党のひとつ、日本維新の会共同代表の橋下徹氏は、麻生の暴言について、次のように述べた。

 

「ナチス・ドイツを正当化したような、そんな趣旨では全くない。国語力があれば、そんなことはすぐ分かりますよ」
「むしろ、ナチス・ドイツを否定している趣旨なわけで。ちょっと度のきつかったブラックジョークというところもあるんじゃないですか」
記者に「国際社会ではナチスにたとえること自体が問題視される」と突っ込まれても、
「政治家だから、こういう批判が出るんでしょうね。エンターテインメントの世界とかではいくらでもありますよ」

 (共に2014年8月2日『日刊ゲンダイ』)

 

 橋下氏はこのように平然と応えている。なんという軽薄さ、なんという鈍感さであろう。
 差別表現の大半が、被差別マイノリティ集団を悪いもの、否定的なものの“喩え(たとえ)”として、引き合いに出されていることは、すでに周知の事実である。

 

“喩え”でナチスの手法を正当化することは、ユダヤ人を始めとするホロコーストを容認し、犠牲者を冒涜する国際的な暴言であることが、まったくわかっていない。
 

 橋下氏の言をよしとするなら、2010年12月、イギリスの公共放送局BBCが、お笑いクイズ番組内で広島と長崎で2度被爆した、山口疆(つとむ)さんを「世界一運が悪い男」などと、ジョーク交じりに紹介したことを、「ブラックジョーク」として済ますべきであり、在英日本大使館が抗議したことも、過剰反応ということになる。


 このとき、山口さんの遺族で長女の山崎年子さんは、「(父のことを)核保有国の英国に『運が悪かった』で片づけられたくない。家族のなかでは2度の被爆を『運が悪い』と笑いながら話したことはあるが、むごい記憶や後遺症を乗り越えるために笑い話にしたのであり、人(他者)から笑われるのは意味が違う」と憤っている。「BBCはぜひ、父の記録映画を見て被爆者がどんな思いで活動しているか知り、放送してほしい」(朝日新聞2011年1月22日)と、当事者性を抜きにしてジョークを語るおろかさを指摘している。 「慰安婦」発言の時もそうだが、橋下氏に決定的に欠けているのは、被害者の怒りや悲しみ、苦しみの感情に対する配慮であり、当事者の心情を忖度する感性の欠如である。



■日本の“常識”は世界の“非常識”


 話をもどすが、なぜ日本では、これほどあからさまなナチスの正当化や、ホロコースト被害者であるユダヤ人(ロマ、同性愛者、精神障害者)に対する配慮が欠けているのであろうか。
 数年前、出版・人権差別問題懇談会で、ニューヨーク市立大学の霍見芳浩(つるみよしひろ)教授を招いて講演を行ってもらったことがある。

 

話の冒頭で、教授は、講演会場の如水会館に来る前に寄った神保町の大手書店について話をした。その大手書店には、ユダヤ人陰謀論をメインにした棚があり、欧米ではありえないその光景に霍見教授は非常に驚いたという。同時に、日本人のユダヤ人問題、ひいては、国際的な人権問題についての認識の浅さと低さに時間を割いて語った。
 教授いわく、もし欧米の書店が、この神保町にある大手書店のような棚を作ったとすれば、即座に営業停止に追い込まれるであろう。

 

 日本では常識として「通用」しても、世界の人権水準からすれば、それは単に日本の非常識を露呈しているに過ぎず、国際的批難はまぬがれない。実際に、ドイツでは、ナチスを肯定するような発言を公然とした場合、違法行為となり、懲役や罰金が科される。
 今日の世界の人権規範の基準は、いうまでもなく第二次世界大戦の痛烈な反省から生まれた、世界人権宣言に体現されている。
 その目指す方向・内容・特徴を具体化したのが、国際人権規約(1976年発効、日本は1979
年批准)、人種差別撤廃条約(1963年採択、日本は1995年加入)を始め、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、そして、障害者の権利宣言など、23にものぼる国連の人権条約に具現化されているのである。

| バックナンバー2017 |
ウェブ連載「差別表現」 第194回 相模原障害者殺傷事件から1年〜被告・植松は偶然生みだされた“怪物”ではない

 

 

●事件の背景にある優性思想と障害者差別意識の解明を

 

201626日未明、相模原市にある障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた“相模原障害者殺傷事件”から一年を迎えた。

 

重度重複障害者19名を殺害し、27名に重軽傷を負わせた戦慄(せんりつ)すべき戦後最大の差別的憎悪犯罪(ヘイトクライム)にかんして、今月に入って、テレビ・新聞・出版などメディアで大きく特集が組まれ、報道されている。

 

事件の背景および、この犯罪の意味するところと、マスコミ報道の弱点については、すでに本連載「差別表現」187号と193号で詳述しているので、ここではくり返さない。

 

事件発生から1年。

被告・植松聖が、障害者殺害行為を「社会正義の実現」と考えた思想的背景(優性思想)、そして、この事件から見えてくる障害者に対する社会意識と、医療機関と司法機関の対応を少し検討しておきたい。

 

 

●植松被告の障害者差別思想を生みだしたもの

 

「障害者は不幸を作ることしかできない」と主張し、「障害者を安楽死させるための法制定」を求めた植松聖は、それを安倍政権下の国家意思であると忖度し、大量殺害におよんでいる。

被告・植松聖は、経済合理主義を最優先する価値観(新自由主義)が跋扈(ばっこ)する現下の日本において、例外的に生み出された“怪物”ではない。そしてこの事件は、社会意識の奥底にこびり付いた障害者差別意識が、暴力的なかたちで発現したものだ。

植松聖は、障害者を20万人以上虐殺したナチスドイツ・ヒトラーの優性思想(T4作戦)に心酔し、「啓示」を受け、「正義」を実行したと供述している。相模原障害者殺傷事件は、精神症状としての妄想ではなく、障害者差別思想にもとづく確信犯罪=ヘイトクライムなのだ。

 

 

● 「beautiful Japan」  犯行直後の植松のツイート

 

安倍総理就任のときの言葉「美しい日本を取り戻す」に呼応してか、植松は犯行直後に「世界が平和になりますように、beautiful Japan(美しい国)」とツイッターに投稿している。

社会から「不健康な要素」を除去し、「純化」された「美しい日本」ほど恐ろしい社会はない。

 

 

●警備体制や措置入院制度の問題なのか?

 

しかし、警察・検察をはじめ医療関係の少なくない人が、この事件を、警備体制の見直しや措置入院制度を強化することで防ぐことが可能であるかのような言説をふりまいている。

 

とくに、事件を受け、措置入院制度を強化する精神保健福祉法改正案が上程され、参議院では可決されたが、衆議院では審議入りできず、継続審議となっている。

 

 

 

●精神障害者を加害者予備軍とみなす措置入院制度強化法案

 

この自傷他傷のおそれのある精神障害者を強制入院させる措置入院制度強化法案は、多くの識者が指摘しているように、警察の関与による「精神障害者の監視であり、精神障害者を虐待の被害から守る目的ではなく、加害者予備軍と見なしている。精神障害者に対する差別偏見を助長する」(姜文江[きょうふみえ]弁護士/朝日新聞 2017年6月2日)と、その危険性を指摘している。

 

そして姜弁護士は、次のように結んでいる。

「相模原のような犯罪を防ぐためには、精神保健法の改正ではなく、正面からそのための法制度を提案すべきである」。

 

正論である。

つまり、障害者差別をはじめあらゆる差別を禁止する、包括的差別禁止法の制定こそがこのヘイトクライムを防ぐ最重要な課題だということだ。

 

 

●検察が「精神障害による犯行」にこだわったのは?

 

被告・植松聖の鑑定留置が今年の2月20日に終了し、起訴されることになった。異例の5カ月を超える、長期にわたって、植松の責任能力の有無を調べる鑑定留置をおこなった結果は、「自己愛性パーソナリティ障害がみられるが、刑事責任能力はある」という結論だった。

 

検察は大麻や薬物による妄想性精神障害による犯行で、刑法39条による不起訴を企図していたが、鑑定留置結果を受け、24日、植松は起訴された。

 

検察がここまで植松を刑事責任能力を問えない、精神障害者認定にこだわったのには理由がある。

 

1つは、この事件が法廷で審理されるとき、2001年の大阪教育大学付属池田小学校事件(宅間守)、2008年の秋葉原通り魔事件(加藤智大)などの事件と違い、障害者に対する差別意識を根底に秘めた、差別的憎悪犯罪(ヘイトクライム)として裁かれることを恐れてのことである。植松自身が、刑法39条の「心神喪失による無罪」を衆議院議長・大島理森あての犯行予告手紙の中で主張していたことを忘れてはならない。

 

 

●検察は事件の思想的解明をしたくない・・・

 

2つめに、この凄惨な事件を精神に障害をもつ者による凶悪犯罪とすることで、精神障害者に対する差別意識を煽り、「まともで普通の人間」ではない者が犯した、特殊で例外的な事件として、犯罪の背景にある差別思想を闇に葬ろうとする狙いがある。

 

時事通信のネットニュースは次のように伝えている。

 

「事件当日に逮捕され、鑑定措置を経て起訴された元職員植松聖被告(27)の公判の見通しはついていない。植松被告は最近の取材に改めて障害者の安楽死を訴えるなど、殺害を正当化する考えに変化がないことが明らかになっている。」(時事通信2017年7月26日)

 

「横浜拘置所(横浜市港南区)に拘留中の植松被告は手紙で取材に応じ、『不幸がまん延している世界を変えることができればと考えた』と記した上で、『意思疎通ができない重度障害者は不幸をばらまく存在で、安楽死させるべきだ』と主張している。」

 

 

●障害者殺傷を「社会的正義の実行」と今も述べる被告

 

いっぽうで植松は、犠牲となった障害者の家族には、表面上、謝罪の言葉をのべるが、殺害し、負傷させた障害者本人に対しては、決して謝罪の言葉を述べない。

それは、自己の犯した行為を、社会正義の実行と信じているからだ。

事件当日、障害者施設の職員には危害を加えないことを明らかにしていることからも、植松が「正義の妄想」に憑りつかれ、「優性思想」を社会的に実現するため、重度障害者をねらった、確信的なヘイトクライム犯罪なのである。

 

さらにこの差別思想は、在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族、琉球民族、被差別部落、LGBTに対するヘイトスピーチ(差別的憎悪煽動)と同質であり、被差別マイノリティすべてに向けられた刃と言わねばならない。

 

 

●事件の真相解明を早期にすすめるべき

 

しかし、裁判をめぐる厳しい情況も報道されている。

 

「横浜地検は2月、殺人や殺人未遂などの罪で植松被告を起訴。裁判員裁判での審理が予定されているが、横浜地裁での公判前整理手続きは始まっていない。弁護側が再鑑定を求める可能性もあるため、初公判が数年後となることもあり得る」

 

裁判を早期に開始させ、事件の真相を解明することは、障害者とともにすべての被差別マイノリティに対する差別と排外主義を許さない社会の実現へ向けた重要な闘いである。

 

 

今回、事件被害者を匿名報道することの問題と大規模障害者施設がもつ問題点には触れられなかったことをお断りしておきたい。

| バックナンバー2017 |
| 1/2PAGES | >>