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ウェブ連載差別表現 第200回  『月刊コロコロコミック』 3月号(小学館発行) チンギス・ハーン侮辱表現事件


 

■ チンギス・ハーンはモンゴル民族の「信仰の対象」

 

  小学館が発行する人気コミック雑誌 『月刊コロコロコミック』3月号が、モンゴル民族から尊敬され崇拝されている、日本でもなじみの深いチンギス・ハーンの肖像画の顔に「チ(ン)・(チ)ン」と書き、男性器のいたずら書きをして掲載し、抗議の声が殺到している。

 

  なぜ抗議の声が殺到しているのか。

  それはモンゴル国および中国内のモンゴル自治区をはじめ、世界のモンゴル民族にとって、チンギス・ハーンは「民族の精神的支柱」であり、「信仰の対象」だからである。

 

   「チンギス・ハーンは英雄を超えた誇り高きモンゴル民族の祖先であり、神様である。」

 今回の「落書き事件」は、

 「モンゴル民族、国家への侮辱として、信仰の冒涜としてモンゴル民族の人びとが憤慨し抗議するのは極めて当然であろう」

 と、モンゴルの文化・政治にくわしい富川力道氏は述べている。

 

〈「やりすぎ!!!イタズラくん」515頁 より引用〉

 

やりすぎ!!!イタズラくんより引用

■駐日モンゴル大使館も抗議

 

 掲載のコミックは『やりすぎ!!!イタズラくん』(吉野あすみ)。

 一般読者に「君も足利義満&チンギス・ハンの落書きに挑戦だ!!」と肖像画を印刷したハガキページをつけ、コンテスト応募を呼びかけている。

 

  在日のモンゴル人や元横綱・朝青龍などのツイッターでの批判が拡散し、駐日モンゴル大使館も抗議する事態におよんで、小学館側は、大使館に謝罪文を提出した。

 

 しかし、通り一遍の謝罪内容に、まったく誠意が感じられないとの怒りが沸き起こり、226日(月)には小学館本社前で100名近くが集まり、抗議行動がおこなわれた。その時、小学館側は、抗議団体からの抗議文の受け取りを拒否し、門前払いしている。写真は2月26日の小学館前での抗議行動 モンゴル情報クローズアップより

 

 2月26日在日モンゴル人らが小学館前での抗議

 すでに事態を重く見た紀伊國屋、ジュンク堂などの主要書店は、抗議者からの意見をもとに、自主的に販売を中止している。 (2月28日現在、くまざわ書店、未来屋書店が販売中止に踏み切っており、販売拒否する店が日毎にに増加している。)

 

 小学館が駐日モンゴル大使館に対し、「今後はかかる事態を起こさないよう、モンゴルの歴史・文化に関する知見を深め、一層の配慮をして参る所存です」などの形式的な“お詫び”ですまそうとしている背景には、新聞への謝罪広告ならまだしも、発行部数80万部を超える『月刊コロコロコミック』の回収による経済的損失と混乱を、なんとしても回避したいというよこしまな意図が透けて見える。

 

「配慮」すべき事態とは、今現在、コミックが流通し、販売されているという憂慮すべき現状に、早急に対処することだろう。

 

 

■2005年「ムハンマド風刺画事件」との類似性

 

 

  今回の事件に接して想起されるのは、デンマークの新聞社が、紙面に12種類のムハンマドをモチーフにした風刺画を掲載、イスラム教徒から厳しく抗議された事件である。

 

2005年、デンマーク『ユランズ・ポステン』紙が「ムハンマドの顔」と題し、12人のイラストレーターによる預言者ムハンマドの似顔絵を掲載。なかには頭が爆弾のような風刺漫画もあった。これに対し、「イスラム教に対する冒瀆だ」とするイスラム諸国の反発は、ヨーロッパ全土から中東、アジアへも拡大。ついにはシリアの首都ダマスカスで、デンマーク、ノルウェー大使館に放火、さらにレバノンのベイルートでもデンマーク総領事館が放火される事態となる。

 

                     (拙著『最新 差別語・不快語』より)

 

 

 そして、この事件から10年後に起きた、シャルリー・エブド社襲撃事件を忘れてはならない。

 

2015年1月7日フランス・パリで、週刊誌新聞社「シャルリー・エブド」が、武装したイスラム過激派に襲撃され、記者ら12名が殺害される。同紙は、デンマークの新聞『ユランズ・ボステン』が掲載した預言者ムハンマド風刺画を2005年当時転載し、抗議を受けていた。

 『シャルリー・エブド』の風刺画は、ムスリムが信奉する宗教に対する侮辱的憎悪表現。風刺とはほんらい、強者(権力)に対する弱者(庶民)の抵抗表現であり、フランスにおける政教分離の原則「ライシテ」は、宗教的憎悪表現の自由を許すものではない。人種や民族や宗教を理由に特定の集団や個人を差別することは禁止されている。

 「シャルリー・エブド」社が襲撃を受けたのは、同紙が抗議を無視して風刺画を掲載しつづけ、イスラム教への憎悪を煽ったことが、背景にある。

 しかし、「シャルリー・エブド」襲撃事件じたいは一連のイスラム原理主義者の無差別攻撃の一つであり、「表現の自由に対する挑戦」だとか「宗教的な原理主義vs.表現の自由」の問題としてとらえるべきではない。

(「シャルリー・エブド」紙は、2015年 9月9日トルコ海岸に漂着したシリア難民の子どもの遺体を侮辱、風刺して、国際的な批判を浴びている。)

                                            (拙著『最新 差別語・不快語』より)

 

 

■背景にある社会の排外主義

 

 今回の事件で、作者の吉野あすみ氏がモンゴル及びチンギス・ハーンを侮辱する意思をもって落書きしたとは思わない。しかし、侮辱表現か否かは、作者の主観的意図とは関係ない。

 

 昨今、大相撲がおこなわれている国技館などで、モンゴル人力士に対する「モンゴルへ帰れ」などの排外主義的なヤジが飛び交っている事実があり、さらに日馬富士問題などの影響で、モンゴル人力士に対するヘイト・スピーチは、より一層深刻になっている現実がある。

 

 こうした状況の中で、モンゴルの「神様」に対する侮辱的な表現(落書き)を、社会がどのように受けとるのかをも考慮すべきべきだろう。

 

 

■「落書」「落首」

 

 落書き一般が問題なわけではない。その昔から「落書」「落首」は権力批判をともなう社会風刺文化として、日本だけでなく各国に存在している。

 

 その意味で、落書きの対象が、アメリカ大統領のトランプでも、日本の安倍首相でも一向に差し支えない。〈当事者から抗議は来るだろうが社会的支持は得られない〉。

 

 今回の「落書き」には社会風刺の視点も何もなく、ただ無邪気にイタズラ書きを楽しむという内容だが、他民族の神聖な象徴を、嘲笑の対象とすべきではない。

 

 〈モンゴル帝国を建国したチンギス・ハーン(1162-1227)〉

 

チンギス・ハーン肖像

■問われるのは出版社の社会的責任

 

  今回の事件では、小学館側の対応の稚拙さがめだつ。

 

  著者が「落書き」したことが問題なのではない。第一義的責任は、その「落書き」が他民族を冒涜する内容を含み、社会的(国際的)批判をまぬがれないことを予期できずに出版した編集部と編集総務の差別・人権問題に対する認識の低さにある。

 

  問われているのは、出版元・小学館の社会的責任である。

 

  2016年に初版3万部で全国紙に全5段のカラー広告を載せ、即1万部の重版という鳴り物入りで刊行した『ダーリンは70歳・高須帝国の逆襲』を1週間もしないうちに絶版・回収したという事件があった。(*ウェブ連載差別表現 第184回参照)

 

 そのときの対応との違いに驚くが、今回の侮辱表現の悪質さは、国際的広がりをもつ重大事件だ。

(ちなみに『ダーリンは70歳』の時、なぜ絶版・回収したかの説明を小学館は一切おこなわなかった。)

 

 今回の「落書き」事件、もしこれが今上陛下をはじめ、歴代の天皇の肖像に対して、同様の落書きをおこなったとしたら、どういう事態が出来(しゅったい)するのかぐらいは、小学館の編集総務でも理解できるだろう。

 

 くり返すが、問われているのは小学館の社会的責任であり、早急に回収処置をとり、新聞に謝罪広告を載せ、その上で、駐日モンゴル大使館およびモンゴル人の抗議団体と、真摯な話し合いの場をもうけ、謝罪とともに、モンゴル文化に対する認識を深める企画を率先しておこない、犯したあやまちを償うべきであろう。

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第199回 ダウンタウン浜田・黒塗りフェイス事件

 

 

■ ダウンタウン 『絶対に笑ってはいけない! アメリカンポリス24時!』

 

 

 『ガキの使いやあらへんで!絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』(日本テレビ系 12月31日)。大晦日年越しのスペシャル番組である。

 

 ダウンタウン浜田のコスプレは毎回恒例となっているが、今回、批判を浴びているのは、「ビバリーヒルズ・コップ」主演のエディー・マーフィをまねて、顔や手などを黒く(茶色)塗って登場したこと。視聴率が高いこともあり、日本国内のみならず海外でも大きく取り上げられ、黒人差別=人種差別との批判の声が上がっている。

 

 相方の松本人志は、フジテレビのワイドショーでこの件にふれ、「今後バラエティーは黒塗りなしでいくんですかね?ルールブックを作ってほしい」と、事の重大性に無自覚で、トンチンカンなことを述べている。

 

 一方、放送した日テレは「差別する意図は一切ありません」と、居直りともとれるコメントを出し、差別表現問題(黒人差別)にかんする無知をさらけだしている。

 

 結論を先に言っておけば、差別表現の問題は、演技者、発話者、執筆者の主観的な意思(善意も含め)とは関係ない。その表現の客観性、つまりその表現が、社会的文脈の中でどう受け止められるかに、判断基準がおかれる。

 

 

■国内外であいつぐ人種差別(黒人差別)発言

 

 ダウンタウン浜田の黒塗りメイク差別事件について語る前に、昨今あいついでいる国内外における人種差別事件についてふれておきたい。

 

.好ΕА璽妊鵑琉疥蘇淵船А璽鵤&M社が、自社のパーカーを黒人少年に着せた広告写真を、通販サイトカタログに掲載。そのパーカーには、「COOLEST MONKEY IN THE JUNGLE(ジャングルで最もクールな猿)」とプリントされていた。

 何が問題かを言及する必要もない、極めて悪質な黒人差別だ。

 批判されたH&M社は謝罪したものの、アパルトヘイトと闘ってきた南アフリカでは、国内17店舗のうち6店舗が、抗議の意思表示として襲撃される事件も起きている。

 

▲▲瓮螢の日用品メーカー「ダブ」社が、自社のボディソープ「ダヴ(Dove)で洗えば白くなる」と謳い、黒人女性がシャツを脱ぐと白人女性になるというCM動画を流した。同社は謝罪し、広告は中止されているが、肌の色を汚れとする酷い差別広告である。

 

 

C羚颪寮剤メーカー「Qiaobi」のCMは、黒人男性の口の中に洗剤を入れ、洗濯機に押し込んで回すと中国人になるというもの。インターネットに投稿され、黒人差別だと批判された。メーカー側は謝罪し、CM放送を中止。

 

2017年12月8日、山本幸三・自民党前地方創生相が、自民党の三原朝彦衆議院議員のパーティーで、三原議員がアフリカ諸国との交流を行っていることにふれ、「何であんなに黒いのが好きなのか」と、度し難い差別発言を行った。山本議員には黒人差別発言との自覚もない。

  (*ウェブ連載第197回「自民党・山本幸三議員の人種差別発言」ではこれについて詳しく書いている

 

ザ砲瓩弔韻蓮▲▲瓮螢大統領トランプの人種差別発言だろう。1月11日、米国への移民が多いハイチや中米、アフリカ諸国を「Shithole(肥溜め)」と呼ぶという、信じられない侮辱的な人種差別発言。

 

 ハイチはもとより中米各国の首脳も抗議の声を上げ、アフリカ各国が加盟するアフリカ連合(AU)54カ国の大使が、米国で緊急集会を開き、トランプに謝罪を求める共同声明を発表している。

 

 このトランプ発言に対して、アメリカの白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の元最高指導者は「真実を語ったと称賛。

 

 トランプ大統領は、みずからの度し難い人種差別発言への批判から逃げきれないと考え、発言そのものがなかったとして無視する態度をとっている。

 

 

■批判された後にも「完全版」を放送

 

 

 ダウンタウン浜田の黒塗りメイクは、このような国内外で激しい批判が巻き起こっている中で起きた黒人差別表現事件だということを、まず確認しておきたい。

 

 批判は日本国内に住むアフリカ系米国人から沸き起こった。すぐさまSNSで海外に飛び火し、英国BBC放送や米ニューヨーク・タイムズなど主要メディアが「ブラック・フェイスは極めて侮辱的」な「人種差別」だと報じている。

 

 しかし日テレは、あろうことか1月6日に放送した『ガキの使い!絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!完全版SP』でも、浜田の黒人メイクシーンを流し、極めて挑発的な行動をとっている。

 

 

■日本における黒人差別批判の歴史

 

 

 日本社会で黒人差別表現への批判が行われた歴史はそれほど古くない。

 

 それは、1975年に結成された黒塗りフェイスでドゥーワップ(黒人歌唱グループでアカペラで歌う)を歌い、一躍人気グループとなったシャネルズ(現ラッツ&スター)が、1996年には「夢で逢えたら」で紅白歌合戦に初出場したことからもうかがえる。

 

 明治維新まで、歴史的に接触する機会がほとんどなかった日本人が黒人に対する差別的偏見を持つようになったのは、欧米文化を取り入れるなかで、白人優位主義的まなざしを刷り込まれたことによる。

 

 1854年、前年に引き続き来航したペリー提督が、日本人の観衆に向けて、白人の部下に「ミントレル・ショー」(顔を黒く塗った白人と白人が登場する寸劇)を観させた。観客の日本人は喜んだという。ペリー提督離日後も、日本独自でミンストレル劇や黒塗りで黒人に扮し、笑いをとる人種差別的コメディが、日本人コメディアンによって、1870年から、ごく最近まで演じられた。

  (*この項は日本在住の作家、バイエ・マクニール氏の論考を参照)

 

 

■批判された黒人キャラクター商品

 

 日本で、黒人差別表現が大きな問題となったのは1980年代。

 

 ワシントン・ポスト紙の記者が、都内の百貨店でおもちゃの“サンボ” を見て驚いた。

 さらに別の百貨店で黒人のマネキンを見て、あまりにステレオタイプ化された、人種差別的な黒人像が “ふつうに” ディスプレイされていることに、さらに驚いた。

 

 記者は、このことについての記事(「黒人の古いステレオタイプが日本で吹き返す」)を本国アメリカに送り、それが大きくとりあげられて日本に逆配信されたところから始まっている。

 

 黒人キャラクター商品を作った日本人の制作者に悪意があったとは思わないが、表現された黒人像は、すでに1930〜40年代のアメリカで批判されてきた黒人像だった。

 

 ステレオタイプ化された黒人像の源流には、あからさまな侮蔑があった。

 

 その後、マネキンなどは、即刻撤去され、時の内閣をも巻きこんだ、日米間の国際問題にも発展した。批判活動はさらに「ちびくろサンボ」や漫画に描かれた黒人像批判へと発展していった。

  (*「ちびくろサンボ」問題の経緯については拙著『最新 差別語・不快語』236頁で論じているので参照してほしい)

 

 

■黒人のステロタイプ像

 

 日本では、「クロンボ」とか「ニガー」という差別的呼称の問題というより、むしろ、『カルピス』の商標や、「ダッコちゃん」人形に見られるように、黒い丸顔・分厚い唇など、その「人種的」特徴を誇張し、嘲笑ったものや、腰みのをまとい、手には槍をもち、ドクロの首飾りを描いて、「未開人」「土人」として蔑むステレオタイプ的表現が、問題視された。

 

(写真は当時売られていたダッコちゃん人形)

 

 

 

1988年、玩具メーカー「タカラ」は「ダッコちゃん」の製造を中止、翌年「カルピス」は登録商標である黒人がストローでカルピスを飲んでいるマークの使用をとりやめる。

 

その後、1991年には、手塚治虫氏の『ジャングル大帝』をはじめとする作品のなかに、ステレオタイプな黒人差別表現が数多くあるとして、出版停止や差別的な部分の改訂を求める運動が、日本国内とアメリカで起きている。

 

カルピス商標(当時)

(当時のカルピス商標)

 

■外交問題となった政治家の黒人差別発言

 

 一方、その頃は政治家による黒人差別発言も頻発していた。

 

 1986年、当時の中曽根首相が、自民党の全国研修会で、「日本は高学歴になってきておる。…(中略)…平均点からみたら、アメリカには黒人、プエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、日本人よりはるかに知的水準が低い」と発言し、米議会や黒人議員連盟が強く抗議。

 

 1988年、当時の自民党渡辺美智雄政調会長が、「日本人はまじめに金を返すが、アメリカには黒人やヒスパニックなんかがいて、破産しても、明日から金返さなくてもいい、アッケラカンのカーだ」と発言。国内外から人種差別発言として厳しい抗議を受ける。

 

 1990年、自民党の梶山静六法務大臣が、資格外就労の外国人女性摘発をめぐって、「悪貨は良貨を駆逐するというが、アメリカにクロ(黒人)がはいって、シロ(白人)が追いだされているような混在地になっている」と発言。

 これに対して、全米黒人地位向上協会などアメリカの団体のみならず、アフリカ各国をも巻きこんで抗議行動が拡がった。

 

 法務大臣をはじめ政府首脳は陳謝したものの、米下院が梶山法相非難決議を全会一致で採択。さらに東京都議会都市問題調査団が、ニュージャージー州都トレントンのダグラス・パルマ黒人市長により、訪問を拒絶される。

 梶山法相は、衆参両院の法務委員会で「国内外からの強い非難を浴びてはじめて人種差別問題への『感受性の欠如』やその克服の難しさに気づき」「外国人の労働問題という観点もなく短絡的だった」と陳謝。                                            (以上『最新 差別語・不快語』より)

 

 しかし、先に書いたように、この時期にラッツ&スターはテレビや音楽雑誌などで人気を博し、1996年の紅白歌合戦に初出場をはたしている。

 

 

ラッツ&スター、ももクロのブラックフェイス共演は事前中止

 

 さて、その後あまり活動をしていなかったラッツ&スターだが、2015年フジTVの「ミュージック・フェア」に、ももいろクローバーZとのジョイント出演が決まる。

 

 ラッツ&スターのメンバーの一人が、出演予告として、ももクロと自分たちが黒塗りフェイスでポーズをとった写真をネット上にアップしたところ、写真を見たニューヨーク・タイムズの日本人女性記者がツイート。

 

 「これが日本が人種差別について議論すべき理由だ」と、投稿していた黒塗りメイク写真とともに批判した。

 

 それをきっかけに、議論は一挙に沸騰した。

 

 その結果、フジTV「ミュージック・フェア」は、ラッツ&スターとももクロの黒塗りフェイスでのパフォーマンスシーンを、全面カットして放送したという事件があった。

 

(写真はラッツ&スターとももクロの黒塗りフェイス)

 

ラッツ&スターとももクロの黒塗りフェイス

 

■差別表現か否かは主観的意図とは関係ない

 

 ラッツ&スターが、黒人ミュージシャンに憧れ、心の底から尊敬の念を抱いていたことは、よく知られている。

 

 しかし、冒頭に書いたように、演者の主観的な意図=善意(憧れと尊敬心)は、差別表現(人種差別)か否かの判断基準とは関係ない事柄である。

 

 カットしたフジTVの判断は正しかった、というべきだろう。

 

 

■ミンストレル・ショーと、ラッツ&スター黒塗りメイクの差別性

 

 19世紀の奴隷制下のアメリカで、白人が顔を黒く塗り、ステロタイプな黒人像やしぐさで、面白おかしく演じる「ミンストレル・ショー」が、見世物として始まる。

 

 この「ミンストレル・ショー」は、1950年から60年代に高まった公民権運動の中で、その差別性ゆえに、最後の息の根を止められている。

 

 アメリカやヨーロッパ(のエンターテインメント業界)では、白人が顔を黒く塗り、黒人を演じる行為そのものが差別であるとの社会的規範がある。

 

 翻って日本では、それが今までなかったということに過ぎず、つまりラッツ&スターのブラックフェイスを差別だと見抜けなかっただけのことであり、意識的に許容されていたわけではない。単に無自覚だったということだ。

 

 この点は、自戒を込めて強調したい。

 

 

■「真似しただけ」と居直ってはいけない!

 

 

 『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』の浜田の黒塗りフェイスについて、局側は「映画ビバリーヒルズ・コップ主演のエディー・マーフィに扮した」、「真似ただけのこと」、「差別する意図はありません」と言っているようだ。

 

 しかし、どんな言い訳をしても、それは黒人差別表現であり、率直に反省し、「ミンストレル・ショー」消滅の過程に学び、演劇における黒人差別の歴史を知ることだう。

 

 黒い肌の色ゆえに黒人差別があるのではない。白人が黒人を支配する構造があり、そのもとで、「白は美しい」という観念が作り上げられている。

 

 社会構造として、アメリカをはじめ欧米各国にも、黒人差別はある。そして日本にも政治家の発言として顕現しているように、黒人に対する社会的差別は現に存在している。

 

 この社会情況の中で、顔を黒く塗って黒人を演じる行為は、その主観的意図、経緯、善意やリスペクトとは関係なく、すべて差別であると言わねばならない。

 

 「今後バラエティーは黒塗りなしでいくんですかね?ルールブックを作ってほしい」と逆ギレした浜田の相方・松本人志に言っておきたい。これが国際的「ルール」だと。

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