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第203回 差別意識に隠されたホンネ−「生産性」と差別

 

〈『新潮45』杉田水脈のLGBT 差別〉

 

  2018年に起きた差別事件で最悪なのは、『新潮45』8月号に載った、自民党衆議院議員・杉田水脈の、「『LGBT』支援の度が過ぎる」だろう。 

 

  たんに一線を超えたというレベルではない。

 

  ネトウヨのヘイトスピーチと同じ、「LGBT」の人びとに対する悪質な差別的憎悪扇動であり、同時に障害者、難病者、高齢者、生活保護受給世帯をはじめ、社会生活を送るうえで困難を抱える(生産性が低いとされる)すべての人々に向けられた差別的憎悪煽動でもある。

 

  LGBT当事者をはじめ、多くの人々が批判の声を上げ、自民党本部前、発行元の新潮社本社前で抗議行動が行われ、掲載誌『新潮45』は休刊になった。

 

  しかし、記事の執筆者・水田水脈がまったく反省していないどころか、自民党総裁・安倍晋三も幹事長・二階俊博も、杉田水脈に対し、一切の処分をしなかった事実と、谷川とむ衆議院議員の「同性愛は趣味みたいなもの」との暴言は、記憶しておかねばならない。

 

 

〈生産性がないという意味〉

 

  ひと言でいえば、「生産性がない」として、LGBTの人びとの排除・差別を扇動した杉田水脈の記述は、近代資本主義体制下における、本質的かつむき出しの、人間に対する冒涜(ぼうとく)だった。

 

 「本質的」というのは、資本主義システムは、「生産性」と密接にかかわって成り立っているからである。

 

 いま一度、杉田の記述内容を確認しておきたい。

 

「(同性愛者の)カップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょぅか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。

 そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」

 

「普通に恋愛して結婚できる人まで、『これ(同性愛)でいいんだ』と、゜

 不幸な人を増やすことにつながりかねません」

 

 いうまでもなく資本主義は、人間の労働を商品(労働力商品)として使役し、剰余価値を生み出すことで成り立っている。

 

 剰余価値、つまり労働者を搾取することを基本とする経済システムであり、「生産性向上」とは、つまるところ労働者を効率よく働かせ、搾取を強化し、剰余価値率を高めることを目的としている。 

 

 そのためにはまず労働者を大量につくりだすことが必要になる。

 

  労働者がいなければ搾取できず、また労働者に作らせた商品を購入(消費)させることもできない。

 

 つまり、資本は、次世代にわたる「労働力の再生産」が必要なのであり、「子供を作らない」=労働者を作らないというのは、資本家の側にとってみれば、資本主義システムの存続を脅かす存在となる。

 

 そのことを『新潮45』で杉田水脈は露骨に書き、安倍総理も、二階幹事長も容認したわけである。

 

 「生産性が低い」と判断しているのは誰か。

 

  誰にとっての「生産性がない」ということなのかは、おのずと明らかであろう。

 

 

〈差別によって不当な利潤を得る巧妙なからくり〉

 

 財界の意を受け、自民党がごり押ししている「働き方改革」。

 

 それが掲げる「裁量労働制」や「高度プロフェッショナル制度」などの一連の関連法は、すべて「労働生産性の向上」の名のもとに、企業(資本)の利益を最大化することに主眼が置かれており、長時間労働による過労死をはじめ、多くの労働災害など、人権問題を引き起こしている。

 

 年収200万以下での生活を余儀なくされている、2000万人を超える非正規雇用労働者の現状。

 

 技能実習の名目で奴隷労働を強いられている外国人労働者の実態など、新自由主義経済体制のもとで、あくなき搾取が強められている現実がある。

 

 

〈男女雇用機会均等法と労働者派遣法がセットで〉

 

 かつて女性も、職場で男性と同じ労働をしながらも、賃金格差は歴然としていた。

 

  女性差別によって、女性の賃金を抑え込んでいたわけである。

 

  国際的世論の高まりにより、1985年、政府は女性差別徹条約を批准。それにともない、男女雇用機会均等法が成立した。

 

 これにより、女性の社会的地位と職場における賃金と昇級における差別は、若干軽減された。

 

 しかし、その裏で労働者派遣法が制定されたことを忘れてはならない。

 

 男女雇用機会均等法が改正されるたびごとに、労働者派遣法が機を一にして改悪されている。

 

 つまり、女性労働から得ていた不当な利潤の損失分を、労働者派遣法による非正規雇用の拡大によって補填したということなのだ。

 

 ここは、大きなポイントである。

 

 企業(資本)は、たんに労働者を搾取するのではない。

 

 剰余価値率の拡大=搾取の強化を実現するために、女性差別、障害者差別、外国人差別、部落差別をはじめ、あらゆる差別が利用されてきた。

 

 賃金を低く抑えておくためである。

 

 それはまた、いつでも安く使える非正規労働者を一定程度、確保できる構造をつくっておくこととも通じている。

 

 近代資本主義国家である日本もまた、海外植民地支配による収奪が敗戦で終わり、あらたな利潤拡大の源泉を、国内の差別を強化することによって補ってきたといえる。

 

 

〈資産価値が下がる―「資産価値と差別」〉

 

 話が飛ぶように思われるかもしれないが、南青山の児童相談所「港区家庭総合支援センター」建設に反対する住民らが一番声高に主張しているのが、「一等地である青山の資産価値が下がる」ということだった。

 

 南青山住民の、「なぜそんなものをここに作らなきゃならないのか」「青山ブランドにそぐわない」「物価が高い、良い服着てる我々を見たら嫌な思いするんじゃないか」といった侮蔑的な反対意見に批判が殺到したが、反対住民らの差別意識に隠されたホンネは、「土地の資産価値が下がる」ことにあった。

 

 南青山だけではない。同じことは至るところで起きている。

 

 京都市と向日市の境に建設が予定されている生活困窮者救護施設に対して、向日市の住民が建設撤回をもとめている。

 

 地域住民の反対理由は「通学する子どもたちの安全に不安がある」からだというが、し尿処理場、火葬場、ごみ処理場、刑務所や少年院などの建設に反対する地域住民の差別意識と同じで、「汚いから」「穢れとかかわりたくない」「受刑者を収容する施設はごめんだ」などと、様々な「理由」をのべるが、実のところ、反対するのは、「施設に対する差別意識」である。

 

 

〈解放出版社移転差別事件〉

 

 そういえば、今から30数年前、解放出版社東京事務所の神保町内での移転にかかわって、差別事件が起きた。

 

 それまでの事務所が手狭になり、同じ神保町内で、手ごろな物件を探していた頃のことである。

 

 不動産業者の紹介で物件を見に行くと、即座にオーケーといわれ、では書類を明日、といって、名刺をそえて翌日、持っていくと「たった今、別の借主が決まった」と、明らかにみえすいた嘘をいうのである。

 

 移転先はなかなか決まらなかった。断るのは保守系のオーナーに限らない。

 

  社会党系の人がオーナーだったビルを含め、断り続けられた苦い思い出がある。

 

 最悪は、靖国通りを神保町交差点から駿河台方向に向かって20mほど行ったところに立つ山田書店(新築の8階建てのペンシルビル)だった。

 

 そのビルオーナーから、「あなた方のような“エタ”の人が入居したらビルの価値が下がる」と言われたことだ。当然、抗議した。

 

 くわしくは『部落解放同盟糾弾史』(ちくま新書)をみてほしいが、あの事件をふり返ると、山田書店ビルのオーナーは「部落民が店子に入ると新築ビルの価値が下がる」とかんがえたのだった。

 

 許されない差別発言であることは明白だが、逆にいえば、近代資本主義体制下の差別の本質が、はっきりと理解できる。

 

 差別は、生産性や資産価値と不可分に結びついている。

 

 部落差別をするとき、人はそれぞれ思いつく理屈を「差別する理由」としてのべる。

 

 たとえば「皮の仕事をしている」「江戸時代の賤民だった」からとか、「穢れ」ているとか。

 

 しかし、それらはあくまで「後付け」にすぎない。

 

 山田書店ビルオーナーは、正直に「部落民をビルテナントに入れると資産価値が下がる」とかんがえたわけである。

 

 「江戸時代の身分差別意識が残ったもの」と誤解されている部落差別も、実は、明治以降、西欧から移植した資本主義システムのもとで、あらたに作られた差別構造なのである。

 

 (*詳しくは小早川明良著『被差別部落の真実』を参照)

 

被差別部落の真実 カバー表1

 

 

 

〈文学界1月号 落合洋一×古市憲寿対談〉

 

 資本主義のもとで、差別・排除しようとする側が、その対象者の、何を問題としているか。それが、「生産性」「資産価値」のもとに行われていることは、明らかである。

 

 新自由主義のもとでますます露骨になり、資本の論理をむき出しにして、人間の命と尊厳を奪うような発言が、横行している。

 

「文学界」1月号(文藝春秋)に掲載されたのは、高齢者の終末期医療をカットして、破綻しかけている医療保険財政のコスパをはかれという主張である。

 

「終末期医療は高額で、国民医療費の50%をしめ、保険財政を圧迫している」と二人はいうのだが、50%という数字そのものが、エビデンスのないトンデモ数字であると批判された。

 

 実際には、死の直前1ヵ月に使われる医療費は、国民医療費の3.5%。さらにその中には、心筋梗塞や脳梗塞で倒れ、救命医療を受けた人の数も含まれている。

 

(二木立氏による――ただし、問題の本質は終末期医療にコストがかかるかどうかの問題ではない)。

 

 トンデモ数字をもとに展開する落合・古市の対談は、高齢者のターミナルケアの延命治療を保険適用外にして、自己負担できる者だけが自前でやればいいという。

 

 高齢者に医療費や介護費を充てるのはムダで、高齢者のために保険料(税金)をつぎ込んで、財政を圧迫するより、「安楽死」として、さっさと死んでもらったらいいというホンネがすけてみえる。

 

 つまり「姥捨て山」を是とする発想である。

 

 

〈相模原障害者殺傷事件と発想は同じ〉

 

 こうした意見は今に始まったことではないといわれるが、冒頭の杉田水脈の「LGBTの人びとには生産性がない」という記述と、根底に流れる思想は共通しているのではないだろうか。

 

 さらにいえば、「障害者は生産性が低い」「障害者は不幸を作ることしかできない」「税金を投入するのはムダ」として、2016年7月26日未明、相模原「津久井やまゆり園」の重度障害者19名を殺害し、27名に重傷を負わせるという、戦後最悪のヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)を実行した植松聖の思想と、根は同じなのである。

 

 最後に、ナチスヒットラーの障害者「安楽死計画」のポスターを掲げて、今年初めのウェブ連載「差別表現」としたい。

 

 次回は、昨年末に起きたファッションブランド・プラダの黒人侮辱キャラクター、日清食品の大坂なおみ選手の肌の色をホワイトウォッシングしたCMをはじめ、メディアを騒がせている人種差別表現について、あらためて分析・批判することにしたい。

 

【ナチス「障害者安楽死計画」の前夜】 

             

 

 

「遺伝性疾患のこの患者は、生涯にわたって、国に6万マルク(現在の日本円で5千万円)の負担をかけることになる。よく考えよ、ドイツ国民よ、これは皆さんが払う税金なのだ」(1938年 ナチ党の宣伝ポスター)

 

 

 

 

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