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第6回 「レディー・ガガ」と「キャノン」
1.レディー・ガガ、車椅子パフォーマンスで批判される(7月17日)

 レディー・ガガが、
<シドニーで行なわれたコンサートで車椅子に乗って登場し、観客の度肝を抜いたと報道されていることに対し、身障者権利擁護団体は、「他人に衝撃を与えるもの」として障害を利用したとガガを批判している。>

<身障者団体Life Rolls On Foundationの代表は、「彼女がパフォーマンスで車椅子を使ったのは今回が初めてではありません。是非、米国に560万人存在する身体が麻痺した人々のことを彼女に学んでいただきたい。自分たちは、残念ながら他人に衝撃を与えるために車椅子に乗っているわけではありません。>
と、強い不快感を示して抗議している。

 かつて、冒頭場面に牛の屠畜シーンを入れ、観客に衝撃を与えることを企図した映画に、屠場労組から強い抗議がなされた。それは、映画のストーリーとは直接関係ないにもかかわらず、屠畜のシーンを、「観客の度肝を抜く」ためだけのカットとして利用したことに対してであった。

 ストーリー展開上に必然性があれば、屠場労組も、そのシーンの必要性を認めるのにやぶさかではないと表明していた。しかし、単に「牛を殺す」という「屠殺」を強調するためのみの映像であったため、屠場及び、屠場労組に対する社会的偏見を、より一層助長するものとして、抗議・糾弾されることになった。(1993年に公開された、柳町光男監督の「愛について、東京」)





 今回のように、著名な歌手が車椅子に乗って登場した時、観客ではなく、その姿を見たマスコミの反応が抗議された例もある。
1993年、全国紙のラジオ・テレビ欄に、マイケル・ジャクソンがねんざして車椅子でショーをおこなったことの解説に、「車いすに乗せられ、無様な格好での出演となった」とあり、障害者団体から強く抗議され、翌日、同欄に「お詫び」を掲載するという事件があった。

(『差別語・不快語』74頁)
 なぜ、車椅子に乗ることが「無様な格好」なのか、「健常者」の障害者観、社会観が問われた表現事件だった。

 レディー・ガガは、東日本大震災に対する支援行動など、優れた社会貢献活動が国際的に評価されているアーティストだけに、今回の事態は残念と言わざるを得ない。

2.露骨な学歴差別なのか キャノンの大学別新卒説明会(7月20日)
<キャノンが、2012年度の新卒事務採用(夏期)説明会のインターネット予約受付画面に、「事務系(東京大学の方)」「事務系(一橋大学の方)」と、有名上位大学名が明記された予約枠が並んでいた> というもの。

 同じ記事で、人材コンサルタントの常見陽平氏は、
<「採用ターゲット校以外はセミナーの予約が取れない」「セミナーを抽選制にしてターゲット校の学生しか当選させない」などの学歴差別はよく行なわれていると指摘する。しかし、今回の件については、「ここまで露骨に可視化されたのはなかなかない」>
 と驚いている。

 学歴差別だという指摘に対し、キャノンの広報担当者は、
<学歴なんてどうでもいいというのが社の方針。学歴差別を打ち出すつもりもなく、今回のネットの反応は予想外でした。自身の大学名のない学生の方々を中心に誤解を招いてしまったこともあり、もう少し表記に気をつけばよかったかもしれません。>
とうそぶいている。

 今回のことが、学歴差別とは思わないというキャノンの体質は、偽装請負問題など、「派遣労働者の敵」と批判される、御手洗会長の体質でもあるのだろう。

 今日の日本で「公に許されている」唯一の社会的差別が、“学歴差別”であることは、論をまたない。部落差別、障害者差別、性差別、年齢差別、宗教差別、民族差別、人種差別は、公然・非公然かつ、密かに行なわれているが、少なくとも、公的(法的)には許されないし、社会的支持も得られない。

 しかし、学歴差別に関して、世間は無頓着というより、むしろ積極的だ。

 今回の差別事象は、ひとりキャノンの企業体質の問題と言って済まされる事態ではなく、日本の学校教育制度と受験産業が作り出した社会システム(社会的差別)を根底に持つものであり、就職差別事件として、当該運動団体は取り組むべき課題ではないかと思う。
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