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第95回 ヘイトスピーチと法規制
■内閣からも批判される排外デモ
 「在特会」などのレイシスト団体による聞くに堪えないヘイトスピーチ(憎悪発言・差別発言)に対する、抗議の声が大きくなっている。国会でもとりあげられ、安倍内閣も公式に「いきすぎた憎悪発言」と答弁せざるを得ないところまで反対運動も拡がりを見せている。5月22日の衆院内閣委員会で、菅義偉官房長官は、(新大久保などのコリアンタウンで在日コリアンの排斥を掲げるデモがくり返されていることについて)「人々に嫌悪感を与えるだけでなく、差別意識を生じさせる。人権が尊重される社会がわが国にとっては当然であり、極めて残念な行為だ」(時事通信)と厳しく批判している。

■法学者によるシンポジウム
 この問題については、民間の反差別・人権問題を考えるNGO団体や有田芳生参議院議員をはじめとする国会議員らの呼びかけで、さまざまな反ヘイトスピーチ・シンポジウムが国会内外で開かれている。

 6月26日に参院内で開かれた「ヘイトスピーチと法規制に関するシンポジウム」も、そのような主旨の会であったが、とくにヘイトスピーチの法的規制と「表現の自由」を中心としたところに特徴を持っていた。

 ヘイトスピーチの法的規制に慎重な田島泰彦教授が腰痛で欠席されたのは残念だったが、小谷順子教授をはじめとするパネラーによるプレゼンテーションは、欧米諸国の法的規制の具体例をあげて、ヘイトスピーチと「表現の自由」をめぐる問題を考える上で、多くの示唆に富む材料を提供してくれた。

 しかし、どちらかというと、法的規制には、パネラーの一人であった、在日コリアンの弁護士李春熙さんを除いては、否定的というか消極的であった。すでにこの連載でくり返し書いているように、それが日本の憲法および国際人権法の学界全体を覆っている雰囲気でもある。

■「ヘイトスピーチの法規制は表現の自由を侵す」という意見
 法規制に反対ないし消極的な理由のひとつは、いったん立法化されると、「表現の自由」の抑圧を企図する権力の恣意的な濫用をもたらす可能性と危険性があるからというものである。もうひとつは、現行法の侮辱罪や名誉毀損罪でも充分対応できるのではないかという意見だ。

 そして、一番強調されているのが、憲法第21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」という規定に抵触するという学的見解である。

 ひとつめの意見に対しては、権力はいつでも隙あらば法を楯にして恣意的な濫用を行使する性格を持っているのであって、そのためにこそ社会の公器としてメディアが存在しているのだが、われわれ国民自身があらゆる基本的人権の侵害を許さないという精神で、日々権力の監視と反差別の人権運動を継続することによって、防ぐほかない。

 「殺人罪」が立法化されたからといって、社会から殺人がなくなるわけではない。それと同じく「ヘイトスピーチ禁止法」が立法化されたからといって、憎悪発言・差別発言がなくなるわけではない。しかし、そのような発言は社会的犯罪であるという啓発・告知にはなる。同時に、反差別・人権運動にとっても、闘いの武器になりえるのである。

■ヘイトスピーチは社会的差別の容認・拡大をもたらす犯罪である
 ここで強調しておかなければならないのは、先のシンポジウムでも感じたことだが、「ヘイトスピーチ」は社会的マイノリティに対してなされるのであって、あれこれの個別の侮辱発言とは、性格を異にしているということである。つまり、ヘイトスピーチは、社会的差別の存在を前提に行なわれる、人種差別、民族差別、部落差別、障害者差別、性的指向差別、女性差別なのだということを忘れてはならない。

 われわれが求めているのは、社会的差別を受けているマイノリティ集団に対するヘイトスピーチの法的禁止である。これは、ふたつめの反対理由とも通じるものである。侮辱罪や名誉毀損罪は、プライバシーが侵害された場合や、それこそ社会的な公共の場で名誉が傷つけられ、侮辱されたことに対する個人救済的意味を持つ法律だろう。

 しかし、ヘイトスピーチの対象は、個別具体的な個人になされたとしても、それは一定の被差別集団に対して行なわれているのであり、社会的差別の容認・拡大をもたらす犯罪行為であると言わねばならない。

 昨年『週刊朝日』誌上で行なわれた橋下徹大阪市長に対する「出自」報道とバッシングは、社会的差別である部落差別を前提に、全国の被差別部落出身者に対する差別意識を宣伝・煽動したという点で、社会的犯罪だったのである。名誉毀損罪や侮辱罪で贖われる橋下氏個人のプライバシーの問題などではない。

 それゆえ、橋下氏は裁判所に訴えるのではなく、自力救済としての社会的糺弾を朝日新聞出版に対して行なったのである。もちろん、差別禁止法などの刑事法・人権法があれば、法的に訴訟することも可能だったであろう。

■法解釈より被害をとめるための立法を考えよ
 最後に、憲法第21条、いわゆる“表現の自由”を楯にした法規制反対論だが、実はこの条項を根拠に反対しているのが、憲法学界の大勢なのであり、人種差別撤廃条約第4条(a)(b)を留保した外務省も、その点は同じである。

 そうした憲法学者、国際人権法学者らに決定的に不足しているのは、現場感覚である。ヘイトスピーチを受けている被差別当事者の痛みより、憲法の条文を優先させるというエリート意識である。

 直接的な精神的(すでに肉体的にも)ダメージを受けている当事者の声、まさにヘイトスピーチが行なわれている現実の前に、学者は無力である。(さらに国会議員の多くは逃げている)憎悪発言・差別発言を受けている当事者がいるという社会的現実を見据え、それを許さないために憲法学者としてなにをなすべきなのか。

 現実の法体系がそれを許しているのなら、許さない法規制を学者が考え、それを国家議員が立法化するのが、憲法の謳う人権なのではないのか。

 あれこれ法解釈、憲法解釈をする暇があったら、現状変革のための法規制の必要性と立法化を考えるべし。

 「表現の自由」の権利には、内在的に他者の権利を侵害し、傷つけることはふくまれていない。それは、欧米のみならず世界の常識ではないのか。

 憲法および国際人権法学者は、早急にヘイトスピーチの法的規制にとりくみ、国会議員は立法化を実現すべきである。
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