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第13回 鉢呂経産相の「死のまち」発言について
 9月10日、鉢呂経済産業大臣が、原発周辺自治体を「死のまち」と発言したことなどの責任を取って、辞任した。

 閣僚の発言(言葉)の重さを認識させるに充分な事件だ。

 東日本大震災で甚大な被害を受け、加えて、福島第一原発崩壊による放射能汚染に見舞われて、家と故郷を奪われ、苦難の生活を強いられている原発周辺に住む人たちからすれば、不愉快で腹の立つ発言だろう。

 新聞やテレビ報道を見る限り、悪意を持って「死のまち」と言ったようではない。だが、鉢呂大臣に悪意があろうとなかろうと、地元住民が怒るのは当然だろう。

 しかし、野党やマスコミが、まるで当事者のように鉢呂大臣を攻撃するのは如何なものかと思う。当事者の胸の内を忖度(そんたく)して批判しているのだ、というのは強弁にすぎない。ましてや、この舌禍事件を政局にしようと企む自民党の動きは、今の政治に要求されている喫緊の課題から外れている、としかいいようがない。

 それよりまず、自民党は、身内の幹事長・石原伸晃の、9・11「同時テロ」を「歴史の必然」と表現したことの政治的責任をこそ、問うべきだろう。アメリカの議員なら、即刻首が飛んでいる。

 鉢呂大臣の発言については、ワイドショーですら、コメンテーターの女性が、本当に現地に入れば「死のまち」、「まちが死んでいる」と思うのは別におかしくはない、と発言している。当事者性を持って発言している場合は、別に問題が生じることはない。それを受けてデーブ・スペクターが、<「死のまち」のイメージは悪いので、「ゴーストタウン」と述べていれば、それ程大きな政治的問題にならなかったのではないか> と話していたが、的を射た意見だと思う。

 「ゴースト」は広辞苑では「幽霊」のこととあるが、「ゴーストタウン」は、「住民が離散して、ほとんど無人状態となった町」とある。「幽霊のまち」=「死のまち」だが、「無人状態のまち」=「ゴーストタウン」なので、同じ事を伝えるにしても、随分ニュアンスが違ってくる。外来語の持つ利点だろう。

 同じようなことは、「クレージー」と「レーム・ダック」についても言える。

 拙著『差別語・不快語』から引用しておく。
「クレージー」と「レーム・ダック」
「きちがい」の英訳として「クレージー」(crazy)とか「マッドネス」(madness)という言葉がありますが、とくに前者は日常的な会話のなかで使用されている日本語化した外国語です。1960年代に一世を風靡した「ハナ肇とクレージーキャッツ」を知らない人はいないでしょう。後者の「マッドネス」は、1980年代に活躍したイギリスのバンド名や、『マウス・オブ・マッドネス』というアメリカのホラー映画の題名にもあります。
「クレージー」は日常的に使用頻度の高い言葉ですが、その言葉自身に歴史的・社会的に形成され付着したマイナス価値が存在しません。精神障害者を差別する否定的な要素がふくまれていない言葉だからこそ、日常的に使用されているわけです。しかし、日本語に訳すときに文脈を考慮せず「きちがい」などと翻訳すれば、批判はまぬがれないでしょう。「レームダック」(lame duck)も同様に、肢体障害者を差別するマイナス価値が付与されていないがゆえに「政権がレーム・ダックに陥った」などと新聞の見出しにも使用されるわけです。もっぱら、ふらついて倒れそうな政権や党などにもちいられている言葉です。同じように「ブラインド」(blind)なども、その言葉自身にマイナス価値(差別性)がまとわりついておらず、たんに価値中立的に対象を表現しているだけです。本来は外来語に頼るのではなく、みずから言葉を創造していくことが肝要でしょう。

(P60)
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