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第104回 差別語をカットして報道したテレビ局―政治家の“失言”報道を考える
■あいつぐ与党政治家の暴言
 9月8日、自民党の参議院幹事長・脇雅史(わき まさし)は、都内で開いた同党女性議員の集いで、次のようにあいさつしたという。
「今の制度(選挙制度)は政党の段階で候補者の選び方が未熟だ。政党が本当に正しい意味で国会議員を選べるか。これさえしっかりしていれば、あまり大きな声では言えないが、選ぶ人がアホでも、選ばれる人は立派だ」。
(『朝日新聞』9月18日)
 その場には、十数人の女性同党議員の他に、安倍晋三首相も出席していた。差別表現とは言わないが、あまりに国民(主権者)を、愚弄(ぐろう)した、暴言と言わねばならない。

 8月7日に、同じく自民党参議院会長の溝手顕正(みぞて けんせい)が、党本部で開かれた新人参議院向けの会合で、「安倍晋三首相のような大変勢いのよい首相の下だと、バカでもチョンでも(選挙に)通る」と発言し、「チョン」は韓国・朝鮮人に対する差別的表現と指摘され、即座に発言を撤回し、「非常に問題のある発言だった」と陳謝している。

 自民党の参議院の役職者のあいつぐ失言には言葉もないが、この程度の社会認識で、政治が動かされていることに恐怖さえおぼえる。

■差別語部分をカットして報道したテレビ局
 なぜ、これらの失言を持ち出したかといえば、参院幹事長の脇雅史の暴言を批判的に報道していた、あるテレビ局が、先の参院会長・溝手の差別的発言を取り上げて放送したとき、「安倍首相の下だと、バカでも…選挙に通る」と字幕付きで放送していたのだ。なぜ正確に「バカでもチョンでも」と字幕をつけなかったのだろうか。これでは、テレビを見ていた人は、「バカでも通る」と言ったことで、陳謝し、発言を撤回したと受けとらねかねない。

 “バカ”は、使いようによっては、差別表現にもなるが、一般的には不快語の範疇であり、差別語でもなければ、とりたてて問題となる言葉ではない。溝手発言に対する批判は、「バカでもチョンでも」の後半部分、「チョンでも」が問題視されたのであり、溝手参院会長も、この点において反省し、発言を撤回したのである。

 「ばかでもチョンでも」が、江戸時代の戯作家、仮名垣魯文(かながきろぶん)の「西洋道中膝栗毛」に出てくる「馬鹿だのチョンだの野呂間(のろま)だの」に起源を持つことは良く知られている。それが、在日韓国・朝鮮人に対する差別語として用いられるようになったのは、1970年後半になってからだ。

 拙著『差別語・不快語』で、以下のように書いた。
■「バカチョン」「チョン」という言葉
コンパクトカメラが「バカチョンカメラ」と称されたことから、この言葉が差別表現としてとりあげられるようになったのは、1960年代後半になってからです。そのころから障害者差別や民族差別が、日本社会のなかで、大きな社会問題として顕在化し、意識されはじめたからです。「バカチョン」は、幕末の戯作者・仮名垣魯文の文例「ばかだの、ちょんだの、野呂間だの」にもあるように、本来は、朝鮮人に対する差別性をもって使用されていたものではありません。また「チョン」は、「おろかな者、取るに足りない者としてあざけりに使う語」(『広辞苑』第6版)でしたが、朝鮮民族を日本人が見下す意図でもちいられるようになり、いまなお、在日コリアンにとって、「体を凍りつかせる」差別語として生きつづけています。曰く、「チョン公」「チョン校(朝鮮高校)」「チョン靴(朝靴)」等々です。

1945年、日本の植民地支配はおわりましたが、日本人の朝鮮人蔑視は変わりませんでした。故国での生活基盤を破壊され、ひきつづき劣悪な生活環境のもとで生きていかねばならない朝鮮人、民族学校に通う朝鮮人の子どもに対して日本人が投げかけた言葉は、やはり「チョーセンジン」「チョン」「にんにく臭い」であり、韓国や「北朝鮮」との関係が緊迫するや、口をついてでるのが「チョーセン帰れ」でした。戦後における日本人の朝鮮人差別は、まさに「チョーセンジン」「チョン」という、その独特の響きとともにあったといえます。

(『差別語・不快語』P188)
■なぜそれが差別表現なのかを理解するために
 1966年、2月27日に、フジTV系列で放映された、「幕末太陽伝」のなかで、主人公、フランキー堺演じる佐平治が、武士に反抗して啖呵(たんか)を切るときに放った言葉は、「たとえバカでも、エッタでも一人の命は一人の命……」であったことは記憶しておいて良い。「幕末太陽伝」は名画ではあったが、当該のセリフは差別表現そのものであった。解放同盟から徹底的に糾弾されたことは言うまでもない。

 マスコミ各社に言いたいのは、差別語、差別表現を、くり返すことに躊躇すべきではないと言うこと。その表現が、どのような文脈で使用されているか、なぜそれが差別表現なのかを理解してもらうためには、原文を、そのまま記述し、語り、放送する以外にはない。そのうえで、きちんと問題点を解説することが必要だ。

 ありきたりの、「ただいま不適切な表現がありましたので、お詫びして訂正します」では、何の意味もない。きちんと内容を伝えた上で、謝り、訂正すべきだ。

 その点で、某テレビ局の報道は、視聴者に誤解を与えるだけでなく、差別表現を隠ぺいしていると批判されても止むえないと言わざるを得ない。
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