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第106回 在特会の街宣は「人種差別」――京都朝鮮学校ヘイト街宣への画期的判決
 ■京都朝鮮初級学校襲撃事件に対する画期的判決

 10月7日、京都地裁は、2009年12月9日、京都朝鮮第一初級学校、南門前における「在特会会員」によるヘイトスピーチに対して、「半径200m以内の街宣禁止と、1226万円の損害賠償」の支払を命じる判決を下した。裁判長は、在特会の街宣活動(ヘイトスピーチ)を、“表現の自由”に値しない「著しく侮蔑的な発言を伴い、人種差別撤廃条約が禁ずる人種差別に該当する」と判断した。反ヘイトスピーチ運動を勇気づけ、法的根拠を与える画期的な判決といってよい。
 メディアも大きく取り上げているが、そこには法的規制について、かなり濃淡がある。
 テレビでは、「ヘイトスピーチ」問題について以前から積極的に報道していたNHKを除き、テレビ朝日の報道ステーションは、問題の本質的認識を欠いており、日本テレビは扱いが小さすぎる。(TBSとフジのニュースは見ていないのでわからない)
 新聞各紙は、全国紙、地方紙問わず、大きな関心を持って取り上げている。しかし、ヘイトスピーチの法的規制については極端な相違を見せている。
 ヘイトスピーチの法的規制に反対しているのは、全国紙は毎日新聞を除くすべてであり、日経は論外で、論じるに値しない。
 

■法的規制に反対する読売新聞

 反対意見の代表的なものとして、読売の社説を見てみたい。
 10月9日付の読売新聞社説は、「民族差別をあおる侮蔑的な街宣活動は不法行為にあたる。――常識的な司法裁判と言えよう」と一応は判決を評価する。ところが、後半になって次のように述べるのである。
 

 一方で、ヘイトスピーチの規制には、慎重な配慮が必要だ。朝鮮学校を運営する特定の学校法人の請求を認めた今回の判決についても、不特定多数に向けた言動の規制に結びつけてはならない。
 人種差別撤廃条約は、差別の扇動などを法律で規制するよう締約国に求めている。欧州などでは処罰法を制定している国もある。
 だが、ナチスによるユダヤ人虐殺の記憶が色濃い欧州と日本では、歴史的背景が大きく異なる点に留意せねばならない。
 日本政府は憲法が保障する「表現の自由」に抵触しかねないとして、法規制を留保している。
 法で規制した場合、合法と違法の線引きは難しく、公権力による恣意(しい)的な運用を招く恐れがある。正当な言論活動を萎縮させる可能性も否めない。法規制に慎重な政府の立場は堅持すべきだ。
 刑法の名誉毀損罪など、現行法令を適用し、行き過ぎた行為を抑えるのが現実的な対応だろう。」
 

(「ヘイトスピーチ 民族差別の言動を戒めた判決」読売新聞社説10月9日付)

 
 EUのほとんどの国で、ヘイトスピーチ禁止法が立法化している現実について、読売社説は「ナチスによるユダヤ人虐殺の記憶が色濃い欧州と日本では、歴史的背景が大きく異なる点に留意せねばならない。」とEU各国との違いを強調している。
 いったいなにが違うと言うのか? それでは、日本が戦前、戦中に国内外で行った残虐な行為、南京大虐殺(大阪、鶴橋で行われたヘイトスピーチ行動の中で、女子中学生が、「南京大虐殺を、鶴橋でも起しますよ、鶴橋大虐殺を実行しますよ!」と絶叫している)に典型的な“三光作戦”を行ったこと。また、さかのぼれば、1923年9月1日の関東大震災のとき、流言飛語の下、民間の自警団によって行われた6000人にものぼる在日朝鮮人大虐殺を忘れたのかといいたい。
 「敗戦」を「終戦」と言い替え、開戦と敗戦の責任を曖昧にし、朝鮮、中国、そして国内で行われた蛮行を、欧州とは違い日本では忘れられているから法的規制はいらないとでも言いたいのか。
 差別は犯罪であり、「名誉棄損罪」などで対応できる問題ではない。刑事罰で対応できるよう、法規制をなすべき重大事案だ。日本が、というより、日本のマスコミがいかに国際的な人権基準から遅れているかを示す、典型的な言説といってよい。
 

■姑息な言いまわしで規制に反対する朝日新聞社説

 朝日新聞は、社説も含め、大きく取り上げてはいるものの、「規制か表現の自由か難問」、という見出しから解るように、まったくの評論家的記事。
 法的規制に反対の立場をとる、“良心的”な憲法学者・中央大学大学院の内野正幸教授を登場させて、朝日の社論に沿う意見を載せ、中立を演出するような、姑息な手段を取るべきではない。ヘイトスピーチの凄まじい現実と、そのことによって心身を傷つけられている当事者を、まったく視野の外に置いた、傍観者的な姿勢と言わざるをえない。
 毎日新聞は、朝日よりは少しましといった程度で、旗幟が鮮明でない。

 
■新潟日報社説が示したジャーナリズムの矜持

 これらの大メディアの言説に対して、法的規制を求める主張の圧巻は、新潟日報だ。「ヘイトスピーチ 差別許さぬ判決を生かせ」と題された社説は、次のように言う。
 

 ただ、今回の判決は、被害者が学校という特定可能な存在だったため、被害を認定することができた。
 同様なヘイトスピーチの対象が人種や国籍など個人、団体を特定しにくいケースは判断が難しくなる。それを規制するには、ヘイトスピーチ一般を規制する措置が必要となる。
 判決が根拠とした人種差別撤廃条約は差別を扇動する活動などの処罰を加盟国に求めているが、日本はその条項の適用は留保している。
 「禁止法が必要とするような差別は存在しない」という理由からだ。
 だが、東京新大久保などでは、一部の団体による、「殺せ」「たたき出せ」などと叫ぶ差別的性格の極めて強い街頭行動が社会問題化している。すでにその理由は成り立たないのではないか。
 表現の自由に対する影響も懸念されるが、表現の自由は他者の基本的人権を守ってこそ成り立つ。
 公の場で差別的な表現で人を傷つける行為を放置することは、日本人の尊厳を傷つけ、国益も損なうことを忘れてはならない。
 

(「ヘイトスピーチ 差別許さぬ判決を生かせ」新潟日報社説10月9日付)

 
 これに付け加える言葉はない。全国紙が失ったジャーナリズム精神の矜持を見る思いがする。
同様の社説は、「[ヘイトスピーチ判決]条約違反の人種差別だ」と題した、沖縄タイムズの社説にも見られる。さすが、沖縄タイムズという内容だ。
 東京新聞の「こちら特報部」(10月9日付)も、ヘイトスピーチの法的規制の必要性を強く訴えているのだが、同じ東京新聞の社説(10月8日付)では、ヘイトスピーチを禁じる法整備を求める声に対し、「権力に頼ることになり、恣意的な取り締まりにもつながりかねず好ましくない」と反対の意志を明確にしている。記者の声が社論になっていない。

 
■日本政府の姿勢を批判した沖縄タイムズ

 今回の判決で最重要なのは、ヘイトスピーチという言葉こそ使用されていないが、冒頭に書いたように、「在特会」のヘイトスピーチを「著しく侮蔑的で、差別的な発言」と認定し、「人種差別撤廃条約が禁ずる人種差別に該当する」と判断したところにある。そして「在特会」側の「憲法が定めた『表現の自由』の範囲内」との主張を一蹴したことである。
 沖縄タイムズは主張で次のように語る。
 

 (人種差別撤廃)条約では人種差別を助長・扇動する活動を禁止し、処罰することを義務付けているが、日本は留保しているため、規制する法律がない。
 政府は禁止法が必要となるような差別は存在しないことを理由にしているが、ヘイトスピーチの現場とは、かけ離れた認識ではないだろうか。
 不寛容な社会は息苦しい。ヘイトスピーチは「殺人」さえ叫び、人種差別をあおる。人権は普遍的な価値であり、人類が到達した理念である。

 

(「[ヘイトスピーチ判決]条約違反の人種差別だ」沖縄タイムス社説10月8日付)

 
 ここで法的規制に反対している“識者”とメディアに一言いっておきたい。
 差別表現、憎悪表現、そして、ヘイトスピーチ(差別・憎悪宣伝・煽動)は社会的マイノリティに向かってなされた場合を言うのであって、たとえば言葉は汚ないが、“安倍首相ウジ虫野郎死んでしまえ”とか、“麻生のクソ野郎世の中から消えろ”という発言に対してではない。このような不快で侮蔑的な言葉に対しては、それこそ名誉毀損罪や侮辱罪で訴えれば良いのである。マイノリティを対象になされたヘイトスピーチと、マジョリティに対しての侮蔑発言とを、同一視してはならない。
 最後に、今回の画期的判決は民事裁判であり、今後、ヘイトスピーチをめぐって起こされるであろう刑事裁判においても同様の判決を勝ち取るために、共に闘いたい。
 
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