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第109回 民族呼称にあらわれる先住民族への偏見
 先週に引き続き、“民族”、“族”、“人”表記について考えてみたい。
 中国・北京の天安門に車が突入し、炎上した事件の実行容疑者として、「“中国の少数民族・ウイグル族”の犯行と、警察や国営メディアが報じている」と、日本のメディアが報じている。
 当初、「多数派の漢民族と少数のウイグル族」という表記があるかと思えば、「漢族」、「ウイグル族」と報道するメディアもあり、バラバラの表記だったが、ここにきて、「中国の少数民族・ウイグル族」、そして、多数派の漢民族ではなく、「漢族」という呼び方で、統一されているように思う。

 
■中国の民族表現
 前回、メディアに問うたのは、“民族”と“族”を表記分けする基準は何かということだった。一般的には“族”と表記する場合、念頭にあるのは、「非文明的」で「遅れた民族」などであり、そこには、メディアの持つ差別意識が現われていると指摘した。
 ところが、こと中国に限っていうと、中国には○○民族という言い方がもともとなく、少数民族のウイグルも、多数派の漢も、ともに“族”で表記されている。
 現代中国で、民族という言葉が使われるのは、「中華民族」という場合を除いて、ないと言う。つまり、「中華民族」とは中国にいるすべての民族の総称であり、日本の感覚で言うならば、“中国人”という意味で、使用される例があるだけだ。
 問題なのは、中国での漢字表現で“族”は“民族”的意味合いで使用されているわけだが、同じ漢字文化圏の日本では、先に述べたように、“族”と“民族”の間に大きな文化的差別意識が存在しているということだ。
 中国自身が、“族”と差別意識抜きで使用しているのだから、日本のマスコミが、同じように“族”と表記しても良いではないかという意見もあるが、それは、言語の文化的差異を無視した暴論であろう。(この項は、スチュアートヘンリ著『民族幻想論』(解放出版社)を参考)

 
■文化が違えば、表現にふくまれる意識も変化する
 例えば、台湾の先住民族である、「高砂族」などを説明する場合、台湾では「原住民」と表記している。台湾では、「先住民」という言葉のニュアンスに、むしろ否定的な意味合いを込めて使われているからだ。
 拙著『差別語・不快語』の<アジア・オセアニアの主な先住民族>の項で、次のように書いた。

  ・台湾

  戦前の日本統治下でおこなわれた同化政策のなかで、大きく変容を遂げた原(先)住民族が住んでいる。日本の植民地下では藩人ばんじん  >、<高砂たかさご族>、そして日本敗戦後の国民党統治下で<高山こうざん族>ないし、<山胞(山地の同胞の略称)>と呼ばれていた。現在では、台湾に最初から移住していた島の住人を意味する<原住民>という呼称が、正式に憲法に明記された。日本のマスコミが、この台湾における「原住民」という表記に対し、差別的ニュアンスがあるとして、「先住民」と書き換えたりすることがあるが、台湾では、「先住民」が「すでに滅んでしまった民族」との意味あいもあり、書き換えることは、逆に差別的な表記とみなされかねない。呼称は当事者の自称によって表記することが大原則である。(『差別語・不快語』)

((漢字を文字として使用している文化圏ならではの、注意すべき事柄だろう。

■朝日新聞は何を基準に「族」と「民族」を表記分けしたか
 朝日新聞の10月31日付夕刊に、「北欧の先住民の舞台、東京・両国で上演」と題して、舞台紹介の短文が載っている。
 

  「ノルウェーを中心に推定人口6万〜8万とされる先住民族、「白霜頭と夢見る若者」が11月2〜6日、東京・両国のシアターカイで上演される。…(中略)…サーミ民族で詩人・作曲家のニルス・アスラシク・バルケアペーが、日本の能の構造を採り入れて書いた。」

 
 しかし、その同じ夕刊で、ウイグル人は「ウイグル族」と表記しているのである。ちなみに、ミャンマーとバングラデッシュに居住し、イスラム教を信仰する少数民族・ロヒンギャ人の迫害を報じる朝日新聞の外信面は、“ロヒンギャ族”と表記している。その他、カチン、カレンなどの少数民族、山岳民族もすべて“族”表記で統一されている。
 朝日新聞に問いたい。なぜ、北欧のサーミは“民族”で、アジアの少数民族であるウイグルとロヒンギャ、そして、カチン、カレンは“族”なのか。ジャーナリズムとして答える義務と責任があると思う。

 
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