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第111回 表現の差別性とはなにか

■差別表現とはなにか――『週刊朝日』差別記事事件を例にして
 前回の続きになるが、大阪で差別表現とはなにかをめぐる話をしていて、参加者からの熱い視線を感じたのは、差別表現とは、事実関係の真偽を問うているのはなく、表現の差別性を問うているのだというところ。もう一つは、差別表現は、差別語使用の有無とは直接関係しないということを強調したときだった。
 後者については、すでに幾度も述べているが、前者については、とくに、橋下徹大阪市長に対する『週刊朝日』の部落差別記事が出たとき、朝日、岩波系学者、文化人の少なくない“識者”が、「事実を述べているのだから問題ない」とした。しかも、ある東大の准教授に至っては、「あの佐野眞一氏の記事が差別だというなら、『松本治一郎伝』も差別ということになる」と、堂々と自身のツイッターで発信していた。
 個人的に『週刊朝日』の差別記事事件から得た教訓のひとつは、その前年の『新潮45』『週刊新潮』、『週刊文春』のときとは違い、(記事の差別性は、『週刊朝日』よりもひどい)、学者、文化人が、――『週刊朝日』という「教養ブランド」を信頼していたかどうかは知らないが――『週刊朝日』の、そして佐野眞一氏の記事を支持し、賞賛したという事実だ。(のちに撤回した人も多いが……)。
 学者・文化人の弱点のひとつが、人権問題(差別問題)について、表層的で開明的なノブレス・オブリージュ的視点(貴族目線)でしか差別問題を理解できていないことが、よくわかった例だった。
 『橋下徹現象と部落差別』でも強調したが、「八尾、安中の部落の地名を記した」とか、「父親が被差別部落出身であることがわかった」というような、事実関係を問題にしているのではない。被差別部落に対する社会的差別が存在するという社会環境の下で、その事実関係を、否定的、マイナスイメージに結びつけて表現するところの差別性を、問題にしたのである。

 
■犯罪報道と社会的マイノリティ
 この連載の、第56回<犯罪報道の中で語られているロマ民族>で次のように書いた。
『週刊文春』(2012年8月30日号)のグラビアで、ルーマニアの首都ブカレスト郊外で殺害された、日本人女子大生のことを取り上げている。逮捕された犯人について、記事は現地に住む日本人の話として次のように書いている。

「ブラド(犯人)は『ロマ』と呼ばれる民族です。空港周辺では旅行者をカモに詐欺まがいのことをする輩も多い」                      (『週刊文春』)

  本来なら「ジプシー」と表記したかったのだろうが、「ジプシー」は差別語だからロマ民族の自称である「ロマ」という言葉を選んだのであろう。しかし、過去に何度も書いているように、この文脈上で「ロマ」と表記しようと「ジプシー」と表記しようと、表現における差別性にはなんの違いもない。
 つまり、差別語でない民族自称の「ロマ」と使った差別表現か、差別語である「ジプシー」を使った差別表現かの差があるだけである。
 問題は、なぜ殺人などの犯罪とロマ民族をわざわざ結びつけて表現するのかという点にある。
 過去「ジプシー(ロマ)」を犯罪者集団のごとくみなし、欧州旅行の際に「ジプシーの人たちには注意してください。盗難にはご注意を」と、添乗員が語った大手旅行代理店が抗議を受けたことなど、ほんの一例にすぎない。(くわしくは『差別語・不快語』P178〜参照)
 犯罪を行なう人間はどの民族にも存在する。なぜあえてロマ民族だけをわざわざ取り上げて、記載するのか。
 これは、別に犯人の「ブラド」がロマ民族であるという裏付けが取れているか、つまり事実かどうかの問題ではない。欧州で、とくにルーマニアにおいて、ロマ民族に対する極めて厳しい社会的差別の実態を知っていて、このような表現を行なったとすれば、差別を助長するジャーナリズムの烙印を押されてもやむを得ない。

 ナチスドイツがユダヤ人600万人を虐殺したことは広く知られているが、同時にロマ民族も50万人殺害されていることを忘れてはならない。
 なぜロマ民族という社会的属性を犯罪と結びつけたのか、この点を内省し、自己の持つ差別意識に気づかない限り、差別問題(人権問題)は理解できない。

 
■「通院歴あり」とあえて書く朝日新聞の偏見
 また、第107回<犯罪報道に見る精神障害者への偏見>の中で、次のように書いた。
 10月4日朝日新聞朝刊の社会面に次のような記事が掲載されていた。

 

  【2歳、河原で暴行死 容疑の父逮捕 京都・綾部】
  …(前略)…府警によると、男は京都府城陽市に住む職業不詳の34歳で、妻と長男(2)の3人家族。死亡した男児は長男だった。逮捕直後は興奮状態で、意味不明の言葉を発しつつも、容疑については「否認します」と答えた。しばらくして落ち着くと、「たたきつけていたのは自分の子どもです」と容疑を認めたという。
   男は病院の精神科に通院していたという。府警は刑事責任能力の有無を調べる。
 

(2013年10月4日『朝日新聞』)
 

 無残な幼児虐待事件をめぐる報道だが、精神科への通院歴をなぜ記述する必要があるのか。
 事件との因果関係がわかっていない段階でのこのような記述は、精神障害者一般に対する、現にある予断と偏見、社会的差別意識を助長する記事と言わねばならない。
 精神障害者に対する極めて重大な人権侵害の実態が放置されている現状のなかで、上記のような記事が、社会にある精神病患者への予断と偏見を強め、保安処分的な、社会防衛としての隔離政策を推し進める動因となるのである。

 
■刷り込まれた差別意識を自覚せよ
 いま例にあげた朝日新聞のような記事は、テレビ、新聞などの事件報道の際に、過去も現在も多く見られる。
 たとえば、これは実際の報道だが、「金属バットを振りまわし、人に危害を加え、訳のわからない言葉を放っている」という事件報道のとき、往々にして「容疑者には精神科への通院歴があった」とつけくわえられるのが常である。
 なぜ内科・歯科・耳鼻咽喉科の通院歴ではなく、精神科の通院歴のみを、ことさら報道するのか。そこにこそ、報道する側の記者自身の内にある精神障害者への予断と偏見が現われているのだ。
 いつも言っているように、差別意識を持っていない人などいない。それが悪いと言っているのではないのだ。問題は、差別意識を持っている(持たされている)ことを自覚しないことにある。つねに人は社会的な差別意識を知らず、知らずの内に刷り込まれているということを、自覚し、意識することが大切なのだ。
 この朝日新聞の記事について、抗議の意志を込めて、朝日新聞社の役職の立場にある関係者に話をしたとき、返ってきた言葉が、「しかし、精神科への通院歴は事実なんですよ」だった。
 そこで、私は、「ではなぜ、歯科、眼科、耳鼻咽喉科、内科にも、容疑者が通院していた事実を書かないのか」、「なぜ、精神科のみの通院歴を選択して載せたのか」と問い質した。
 筆者の問いに対して、朝日の関係者は口ごもっていたが、何も発しなかった。
 筆者が推測するに、おそらく言いたかったのは、「精神を病んでいるということと、歯が痛いのとは違う。精神病者は何をするかわからない危険な存在だから、事件と関係があると思った」ということだろう。
 つまり、世間に広くゆきわたっている、「キチガイに刃物」という差別意識にどっぷりつかっている自分をインテリジャーナリストであると思っている彼は、自らの差別意識を自覚していないということが、暴露されたわけだ。
 この話をしたときに大阪の講演参加者から熱い視線を感じたのである。

 

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