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第142回 差別表現とヘイトスピーチの違い
  先週は、ヘイトスピーチと差別表現を考える前提として、差別語・不快語・差別・ポリティカル・コレクトネスの説明をした。
たとえば、安倍首相にむかって「おのれみたいなバカたれの、なにが首相だ!」という言い方は差別表現でもなければ、ヘイトでもない。ただし、相手を罵倒しているのだから、侮辱罪や名誉毀損で訴えられたら、負ける可能性がある。
要は、不快語には、その背景に社会的差別構造がないということ。
前置きはこれくらいにして、具体的に差別表現とヘイトスピーチの違いについて述べていきたい。

2.差別表現とヘイトスピーチ(差別扇動・憎悪扇動)

〆絞棉集
差別表現とは文脈のなかに差別性(侮辱の意思)が存在している表現で(1)差別語が使用されているか否か、(2)表現内容が事実か否か、とは直接関係しない。

■なぜ糾弾するのか
(1)については、全国水平社創立大会(1922年)の決議第一項が明確に示している。

『一、吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意思を表示したる時は徹底的糾弾を為す。』


  つまり、「侮辱の意思を表示したる時」に抗議、糾弾するのであって、たとえ、「穢多」「特殊部落民」等の差別語による言行がなされても、そこに「侮辱の意思」がなければ、抗議や糾弾はすべきでないとしている。
しかし、誤解や曲解が生じ、金品を目当とした「事件師」(いまでいう「エセ同和」)などがでてきたので、全国水平社第10回大会で、より一層、決議一項の主旨の徹底をはかっている。

言論・文章による「字句」の使用に関する件

提出 中央常任委員会
(全国水平社第10回大会・1931年)

主文 吾々は「字句」の使用に対して明確なる態度を決定す。
理由 この「字句」使用の問題に就いては運動の当初よりの懸案であって、一応は決定されていたのであった。その後の闘争が該問題取扱上に種々のデリケートな、限界のルーズな事もあって、その初期に決定された「侮辱の意思による言動」が閉却された様な形であった。そこでこの「文句」さえ使えば悪いのだとの認識不足な考え方が起こり、吾々の部落を現わすのに闘争団体の名称である、水平社と呼ぶことが最も安全であるかのごとく心得、平気で代名詞として使用する傾向が現れてきた。その他に於いても如何に必要な時であっても、ウッカリ文章及び、言論に表現すると糾弾されるから「アタラズ」「サワラズ」式にとの態度となってこの問題に対する真面目な判断と、発表、通信、研究等を聞くことが出来なかった。吾々は如何なる代名詞を使用されても、その動機や、表現の仕方の上に於いて、侮辱の意志が―身分制的―含まれている時は何等糾弾するのに躊躇しない。
然れども、その反対に「エタ」「新平民」「特殊部落民」等の言動を敢えてしても、そこに侮辱の意志の含まれていない時は絶対に糾弾すべきものではないし、また糾弾しない。この点徹底せしめるべく努力せねばならぬ。


(2)については、一昨年の橋下徹大阪市長の出自を暴いた『週刊朝日』の差別表現事件にさいして、多くのマスコミ・教養人から、「先祖をさかのぼり、事実を書いているだけなのに抗議するのはおかしい」とか、「これでは『松本治一郎伝』も書いてはいけないことになる」などの一知半解な意見が多く発せられた。執筆者の佐野眞一氏も解放同盟の糾弾を受けたあとでさえ、「いまでも事実関係として間違ったことは書かなかったと思っている」と述べている。

■事件報道と被差別マイノリティ
話は飛ぶが、わかりやすい例をあげておきたい。

 猟奇的事件と差別問題
1997年、作家の鈴木光司氏が母校で記念講演をしたさいに、神戸の連続児童殺傷(いわゆる「酒鬼薔薇聖斗事件」)について「事件のあった地区は、被差別部落のあったところを造成して団地にしたところである」「容疑者の母親は被差別部落の出身者である」と発言したことに、解放同盟が抗議。動機が不可解で猟奇的性格を帯びている事件と被差別部落を、なんの根拠もなく、たんなる伝聞にもとづいて安易に結びつけ、なにかを悟ったかのように吹聴することの差別性を指摘する。(ちなみにジャーナリストの嶌信彦氏は、同じ事件について、在日コリアン犯人説をTBSテレビで発言し、糾弾され、その後降板させられた)ところが、それに対してだされた“お詫び”の文章がさらに問題視されることになる。その“お詫び”には、おおむねつぎのように書かれていた。

<事件のあった場所が同和地区であり、容疑者の母親が被差別部落の出身者というのは伝聞にもとづいたものであり、調査の結果、事実でなく誤った情報であったことが判明したので、「事実無根の情報流布は、誤解と偏見を招き、差別の再生産につながることである」とし、反省し、お詫びする>(鈴木光司)


  どうやって、被差別部落出身でないことを調べたのかはさておき、この“お詫び文”の重大な問題点は、はたして事件の容疑者の母親が事実として被差別部落出身者であれば、記事にし、公言してもいいのかという点にある。
極めて猟奇的な事件と被差別部落およびその出身者を安易に結びつける思考そのものにひそむ差別性こそが問われているのであって、事実か否かの問題ではないということなのだ。犯罪を被差別部落、在日韓国・朝鮮人、精神障害者など社会的マイノリティと安易に結びつける発想が、批判されているわけだ。
このような、動機不明の不可解な猟奇的事件と被差別部落を結びつける傾向は、おもだった事件だけでもつぎのようにあげられる。

グリコ・森永事件 1983年 食肉関係者・部落への見こみ調査
オウム真理教事件 1995年 麻原(松本智津夫)部落出身者説
和歌山県毒入りカレー事件 1998年 「犯人」部落出身者説
音羽“お受験”殺人事件 1999年 「犯人」部落出身者説
京都伏見小学生殺人事件 1999年 「犯人」部落出身者説

  橋下徹大阪市長の出自を暴いた『週刊朝日』は、いまだにそのことがわかっていない。ここでは詳細は記さないが、一昨年解放同盟から糾弾を受けている、まさにその最中に、同じ過ちを中国地方の某県の犯罪にからんで起こしていることだけはふれておきたい。
  断っておくが、著名人、政治家など公人の出自を描くこと一般が問題だと言っているわけではない。差別的に描いたことが問題とされているのであって、事実であるか否かを問うているのではない。つまり、描き方、表現内容の差別性が問われているということなのだ。
 
■なぜ精神科通院歴を報道するのか
もうひとつ、朝日新聞から差別的な記事を見ておこう。

「2歳 河原で暴行死 京都・綾部 容疑の父逮捕」という見出しの記事に、「男は病院の精神科に通院していたという。府警は刑事責任能力の有無を調べる」(2013年10月4日『朝日新聞』社会面)との記述があった。酷い子どもの虐待事件だが、精神科への通院歴を、記事の中でなぜ記述する必要があるのか。

  朝日新聞社の人権問題に造詣の深い記者と会う機会があり、この点を指摘したところ、しばらく考えた上で、ひとこと「でも、小林さん、これ(精神科への通院歴)は事実ですよ」と語った。
   そこで、「では、この容疑者の父親には、歯科・眼科・耳鼻咽喉科・内科などの通院歴や病歴があるはずなのに、なぜ取り立てて精神科のみを記事化したのか?」と問うたところ、返答に窮していた。
  問題はハッキリしている。精神障害者は、何をするかわからないという、いわば「キチガイに刃物」という差別意識を記者自身が持っているからこそ、歯科・眼科などへの通院歴ではなく、精神科への通院歴を書いたということなのだ。
  この記事は、精神障害者一般に対する、現にある予断と偏見、社会的差別意識を助長する記事といわねばならない。

■刷り込まれた差別意識
  差別意識を持っていない人はいない。大切なことは差別意識を刷り込まされていること、つまり、人はみな、社会観念としての差別意識を無意識の内に持たされているということを自覚することなのだ。
  ジャーナリストもその例外ではない。しかし、マスコミは影響力が大きいだけに、ひと一倍人権問題について深い理解が求められる。この事件をふくめ、すべての事件で事件の内容に関連あるか否かに関係なく、精神科への通院歴を書くべきではない。「刑事責任能力の有無を調べる」だけで充分なのだ。
被差別部落民や精神障害者をはじめ、社会的差別を受けている被差別マイノリティと動機不明の不可解な猟奇的犯罪事件とを安易に結びつける思考に潜む差別意識に気づくことが重要である。

▲悒ぅ肇好圈璽繊丙絞明霪亜α悪扇動)
  差別表現とヘイトスピーチ(差別扇動・憎悪扇動)は社会的差別(出自、民族、性などの属性による)を受けている被差別マイノリティに向けられている点は同じだが、決定的違いは、主観的な差別、つまり、その攻撃性と目的意識性にある。
  ヘイトスピーチは、社会的差別の存在を前提に「マイノリティ集団を傷付け、貶(おとし)め、排除するための言論による暴力」であり、犯罪行為である。“話者の品格”の問題でもなく、“対抗言論”で対処できる性質の発言ではない。
言論の暴走は必ず肉体に抹殺にいたる。
ヘイトスピーチ→ヘイトクライム→ジェノサイド(ex.ナチスによるユダヤ人、ロマ人、精神障害者へのホロコースト、関東大震災時の朝鮮人虐殺)

(1)ヘイトスピーチの定義
「ヘイトスピーチ」については、欧米各国ではかなり社会的認識が進んでおり、すでにEU圏をはじめ多くの国で差別禁止法で規制されるべきもののひとつとして定義・立法化されている。
ヨーロッパ人権裁判所は、「……憎悪を広め、煽り、促進し、もしくは正当化するすべての形態の表現」と定義し、人種差別撤廃条約第4条は、「人種的優越または憎悪に基づく思想の流布・・・すべての暴力行為またはその行動の煽動」と定義している。したがって、日本で当初使われてきたヘイトスピーチの訳「差別発言・憎悪発言」という言葉は、実態を正確に反映しておらず「差別扇動・憎悪宣伝」と呼ぶべきだろう。

(2)「ヘイトスピーチ」と表現の自由
憲法第21条が掲げる“表現の自由”が優越的地位にあることは、欧米各国でも認められている。これは基本的人権の基礎をなす権利である。しかし、欧州人権条約においても、表現の自由の行使には、「義務及び責任が伴うこと」などが明記されており、「表現の自由」の名の下に、無秩序、無責任な言動は許されず、無制限ではないことを定めている。つまり、「表現の自由」は、内在的に他者の人権を侵害し、傷つけることを許容していない。

<国際人権規約B(自由権)の第19条(3)>
<欧州人権条約第10条「表現の自由」(2)>
(表現の自由)の制限事項
a)他の者の権利または信用の尊重。
b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護。

  くり返して言う。ヘイトスピーチは、社会的差別の存在を前提に「マイノリティ集団を傷つけ、貶(おとし)め、排除することを目的とした言論による暴力」であり、犯罪行為なのである。“話者の品格”の問題でもなく、“対抗言論”で対処できる性質の発言ではない。

■人種差別撤廃条約第四条a・b項を留保する日本政府の“言い分”
  日本はいまだに人種差別撤廃条約第四条のa・b項を留保している。
第四条のa・b項は、「人種差別思想を流布したり扇動する行為は違法であり、法律で処罰すべき犯罪である」と、差別を煽る行為を禁止している条項である。これを留保した外務省の言い分は、「憲法第二一条の集会・結社・言論の自由に抵触する。表現の自由を侵すものだ」ということだった。
  欧米各国の人権条約には、必ず「表現の自由は基本的人権の根幹をなす」ということが第一項で書かれている。それにつづけて、「しかし、だからといって他人の人権を侵す自由はない。それは表現の自由にはふくまれない。他者の人格、あるいは尊厳を侵すような表現は、「表現の自由にふくまれない」と明示している。

  「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(1969年発効(日本は1995年批准)人種差別撤廃条約)」

〔人種的優越主義に基づく差別及び煽動の禁止〕
第4条 当事国は、一人種又は一皮膚の色もしくは民族的出身からなる人々の集団の優越性を説く思想又は理論に基づいているか、又はいかなる形態の人種的憎悪及び差別をも正当化もしくは助長しようとするすべての宣伝及びすべての団体を非難し、そのような差別のあらゆる煽動又は行為を根絶することを目ざした迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。またこのため、当事国は世界人権宣言に具現化された原則及びこの条約第5条に明記する権利に留意し、特に次のことを行う。

(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の煽動、並びにいかなる人種又は皮膚の色もしくは民族的出身を異にする人々の集団に対するあらゆる暴力行為又はこれらの行為の煽動、及び人種的差別に対する財政的援助を含むいかなる援助の供与も、法律によって処罰されるべき犯罪であることを宣言する。

(b)人種差別を助長し煽動する団体並びに組織的宣伝活動及びその他あらゆる宣伝活動が違法であることを宣言しかつ禁止し、並びにそれらの団体又は活動への参加が法律によって処罰されるべき犯罪であることを認める。

(c) 国又は地方の公権力又は公的公益団体が人種差別を助長し又は煽動することを許さない。

次号8月15日号は夏季休暇の為、休載致します。











 
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