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第148回 「ヤクザ」と「同和運動」から考える
■『週刊現代』の差別記事
  8月18日発売号の、『週刊現代』が、「ユニクロ・柳井が封印した『一族』の物語」という差別記事を載せたことについては、本連載第143号で、すでに批判している。
  今回は、この号の広告見出しにある<「ヤクザ」と「同和運動」に彩られた真の創業者>という表現について考えてみたい。
  この表現は、特段目新しいものではなく、2011年10月に起きた、橋下徹(現大阪市長)に対する『週刊文春』、『週刊新潮』の差別記事にも見られたものだ。
『週刊新潮』の広告には<「同和」「暴力団」の渦に吞まれた「橋下知事」出生の秘密」>とある。はじめに断っておくが、この表記の問題点は、「同和」とか「暴力団」という言葉の使用にあるのではなく、また、同列並記したことにあるのでもない。
  しかし、この時、解放同盟大阪府連の『週刊新潮』への抗議文には、<「同和」と「暴力団」を同列に扱い、結びつけている意図的な記事(広告)についても、社会的に存在するステレオタイプを煽り、差別、偏見を助長するものである>とし、「同和」と「暴力団」を結びつける意図を持って並列表記した点を、批判している。
  はたして、そうだろうか。
「同和」団体も、「ヤクザ」組織も、社会的に忌避されてきた存在であることは確かだが、忌避の背景に、社会的な差別意識があることもまた事実である。
「ヤクザ」=「暴力団」とは言えないが、「ヤクザ」には、その成立にかかわっての歴史的な経緯がある。(この点に関しては、宮崎学著『近代ヤクザ肯定論』を参照されたい。)

■権力がつくりだした「ヤクザ」=「暴力団」=「反社会的勢力」というレッテル貼り
  私が、ここで強調したいのは、暴力団対策法(1991年)から、昨今の暴力団排除条例(2011年10月、東京都と沖縄県での条例制定によって、全都道府県で施行された)に至る過程で、「暴力団」構成員と見なされれば、ローンを組めないばかりか、銀行口座の開設さえ拒否され、マンション等への入居も制限されるなど、市民的権利が完全に剥奪されるという異常な事態についてだ。
  権力の恣意的な判断によって、「ヤクザ」構成員と見なされれば基本的人権を否定する暴挙として、多くのジャーナリストや知識人が、反対運動を起こしたことは、記憶に新しい。「ヤクザ」=「暴力団」=「反社会的勢力」として、市民的権利を奪われる事態を平然と見すごすのは、昔からの「ヤクザ」に対する「市民社会」の差別意識に迎合することと言ってよい。
  先の抗議文にある「ヤクザ」、「暴力団」に対する目線は、この警察権力のつくりだした、それこそ「ステレオタイプ」にからめとられた視線であり、市民主義的な(もっと言えば、プチ・ブル小市民主義的な)対応と断ぜざるをえない。この発想からは、「暴力団対策法」や「暴力団排除条例」は良い法律であり、それに反対することなど、つゆとも考えていないように受けとめられる。
  だが、国家権力は、部落解放同盟を反社会的勢力とみなしてきた(いる)ことを忘れてはいけない。部落解放同盟を社会運動標榜(ひょうぼう)団体、民事介入暴力関係、あるいは、反社会的勢力とみなす国家権力を、徹底批判することと、「ヤクザ」「暴力団」への同様のレッテル貼りを容認することとは、矛盾している。
  国家権力が作った「ヤクザ」「暴力団」へのレッテル貼り、ステレオタイプ化をこそ批判すべきであり、自分達は「ヤクザ」や「暴力団」とは違い反社会的勢力ではありませんと自己弁護をするようなぶざまな主張はすべきではない。
  たとえば、破壊活動防止法適用対象団体の「朝鮮統聨」と同列、並列に扱われたとしたら、解放同盟は同じように抗議するのであろうか。よく考えればわかることである。

■<「ヤクザ」と「同和運動」>表現に隠された部落差別意識
  <「ヤクザ」と「同和運動」>という見出しの問題点は、それを同列に並べたところにあるのではなく、わざわざ、「同和運動」と、とりたてて表現する意図に隠された部落差別意識にある。その点を批判することこそが、小市民的視線ではない、反差別社会闘争運動の目線であろう。
  部落の子どもたちが差別に打ち克ち、自己実現をはたす営みを支援する同和教育運動は、1950年代、「今日もあの子が机にいない」現実を直視し、「非行は同和教育の宝」として「問題行動」を起こす子や勉強から降りざるを得ない子どもたちの背景にある差別と向き合った。そして、1980年代の同和教育運動は、「非行は差別に負けた姿」と提起して、部落出身生徒の社会的立場の自覚と差別克服の努力をうながしたのだ。この標語の変化がなにを意味しているのかを、今一度思い起こすべきときかもしれない。
 
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