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第150回 差別表現に抗議するとは ――『週刊現代』(8月30日号)
■『週刊現代』への「申し入れ」と話し合いから一変して
 
先日、不愉快な話を小耳に挟んだ。というのも、『週刊現代』(8月30日号)掲載の「ユニクロ・柳井が封印した『一族』の物語」(本連載第143回参照)に関する差別記事事件で、それまでの解放同盟中央本部と講談社の話し合いの経緯を全く無視するかのような「社長を出せ」という要求が、突如、講談社側に突きつけられたという。
 
そもそもの発端である『週刊現代』(8月30日号)の差別記事に対し、当初、解放同盟中央本部は、かつての橋下徹氏(現大阪市長)にたいする『週刊文春』『週刊新潮』のときと同じく、差別記事であることが見抜けず、無視ないし軽視し、問題にはしないという、等閑視的態度をとっていた。しかし、反差別の人権活動家や地元山口から、抗議の声が上がるに及んで、中央本部が、渋々「申し入れ」を行ったという経緯がある。
ここで注意したいのは、「抗議文」ではなく「申し入れ」という形式をとったことである。
差別表現に対して、一般に、「抗議文」より「申し入れ」形式のほうが、抗議の意思表示としては弱い。そのことが、今回の『週刊現代』にたいする「申し入れ」という抗議姿勢にも表れている。(このことに中央本部が気づいているかどうかは別にして)
 
■<「ヤクザ」と「同和」>を一対として並記したことが当該記事の核心ではない
 
それだけではない。この講談社社長及び『週刊現代』発行人、編集人宛に出された「申し入れ」の内容には、もっぱら<「ヤクザ」と「同和」>を一対のものとして表記したことに対して、批判の矛先が向けられている。(この点についても本連載第148回で論じているので参照されたい。)
問題の所在は明確である。それは、<「ヤクザ」と「同和」>を並記して、社会にある差別意識を助長したことにあるのではない。連載143回の繰り返しになるが、要点を引用しておく。
 
・この「スクープレポート」と冠せられた記事の、いったい何がスクープなのだろうか。
・結論から先に言えば、その「秘められた『一族の物語』」つまり、柳井氏を被差別部落と関連付けることのみが、この記事の企図したものであり、それが「スクープ」なのであり、一連の橋下徹氏に対する差別報道にならえば、「驚愕の事実」ということなのだろう。ここに、この記事の差別性が、すべて凝縮されている。
 
・断っておくが、著名人、政治家など公人の「出自」を描くこと一般が問題だと言っているわけではない。厳しい社会的差別が存在している中で、なぜ被差別者の「出自」を描く必要があるのかを問うているのである。つまり、描く必要性とその意図、表現が与える社会的影響が問われているということなのだ。
・今回の記事は、スポーツ界、芸能界、歌謡界などで頑張っている、すべての被差別出身者に関わる重大な問題を含んでいる。
・さらに言えば、筆者(藤岡雅)の主観的な差別的意図の有無を、ここで問題にしているのではない。同記事の表現の客観性、その事実の指摘と表現が社会的文脈の中でどう受けとられるかということ、つまり、表現の持つ社会的性格について問題にしているのである。「秘められた『一族の物語』」に触れる、社会的必要性と合理的な理由は、この記事から読みとることはできない。
 
■相手を屈服させようとする態度は、差別糾弾の精神とは異なる
 
今回、同盟中央本部の話し合いに、講談社側は誠意をもって対応していると聞いていた。本来なら、すでに問題は解決しているハズなのに、なぜ突然、態度を豹変させ、社長の出席を求めるような奇怪な行動に出たのであろうか。
 
 それは、「出版・人権差別問題懇談会」(以下、出人懇)に、現在、強圧的に中央本部が介入してきていることと無関係ではない。当初、抗議する意志すらなかった中央本部が、急に「やる気」を出した背景には、『週刊現代』(8月30日号)の記事内容にたいしてではなく、出人懇副代表幹事の講談社に対する、筋違いの圧力をかけるためでしかない。今回の差別表現事件を利用して、自らの理不尽な要求を押し付け、相手を屈服させようとする邪道であり、差別糾弾の精神を貶める恥ずべき行為であると言わねばならない。
 
出人懇は1990年7月に設立された。そのとき、「会」の主旨を理解し、その必要性を広く出版業界に呼びかけ、設立を実現したのは、理不尽な差別表現行為を決して許さなかった講談社の、故・野間佐和子さんの意志であったことを忘れてはならない。
講談社、『週刊現代』は、話し合いのルールから外れた解放同盟中央本部の邪な恫喝に屈することなく、正論で対処すべき。それでも、社長を出せなどとエセ同和まがいの要求を突きつけるならば、席を蹴っても何ら問題はない。断固とした意志をもって、対峙すべきである。
 
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