最新連載記事
カテゴリー
月別

記事検索
<< 第151回 あらためて差別表現をかんがえる | 最新 | 連載差別表現第153回 ヘイトスピーチと表現の自由 >>
連載第152回 糾弾権について思う
■はじめに

 今回のWEB連載に掲載する「糾弾権について思う」は、7〜8年ほど前に書いた文書である。政治生活を終えた野中広務さんが、身を賭して、麻生・山崎両自民党実力者を部落差別発言で告発しているにもかかわらず、解放同盟中央本部が全国大会で追及されても静観するばかりで、一切行動を起さず、いっぽうで麻生と中央本部が裏で“手打ち”をしたという噂を聞いた時期に、つまり結果として、この麻生の部落差別発言を封印した頃に書かれている。
 2009年1月16日付、ニューヨークタイムズが1面から4面までの紙面を割いて、この麻生の部落差別発言を報じたが、日本の全国紙を始め、大手メディアは黙殺している。
 まとまってこの問題に触れている本として、魚住昭著『野中広務 差別と権力』、辛淑玉・野中広務共著『差別と日本人』がある。
 麻生の「ナチスの手口に学べ」など一連の発言や、安倍政権のとどまるところを知らない反動化に、解放同盟中央本部一部幹部の糾弾を放棄した姿勢が無関係とは言えない。
 解放同盟中央本部の一部幹部と麻生、鳩山(邦夫)など、自民党との“深い関係”についても、次回以降で明らかにしていきたい。

■ 糾弾は運動の生命線
  • 部落解放同盟は「糾弾権」を“運動の生命線”と叫び続けてきた。
     糾弾とは文字通り、差別された者の抗議・告発の行為であり、怒りの表現である。
     1922年の全国水平社創立大会は「吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す」と決議している。
     しかし、決議したからといって糾弾権なるものが社会的に認知されたわけではない。
     糾弾が、虐げられた者の“権利”として社会的に容認されるには、権力の苛烈な弾圧、迫害の下、夥(おびただ)しい犠牲者をその代價として払っている。
     糾弾は天皇制国家権力といえども躊躇はしない。

 ■軍隊と司法を糾弾

  •  その象徴的な出来事が、福岡連隊差別糾弾闘争(1926年)と高松差別裁判糾弾闘争(1933年)であろう。
     前者は、福岡連隊内におけるたび重なる部落出身兵卒への差別に対して、全国水平社の総力を結集した軍隊糾弾闘争として、解放運動の歴史にその名を刻んでいる。
     官憲のデッチあげた陰謀により、松本治一郎全国水平社委員長を始め、多くの水平社同人が下獄した。
     後者は、香川県高松の被差別部落の青年が部落出身を告げずに結婚したことを理由として、結婚誘拐罪に問われた事件である。
     “差別判決を取り消せ、さもなくば解放令を取り消せ”のスローガンの下、運動は燎原の火のように全国に燃え広がり、水平社の組織的基盤を固めた司法権力糾弾闘争であった。
     今日の狭山差別裁判糾弾闘争の先駆をなす闘いである。
     
    ■糾弾権は人間の尊厳を守るためにある
     言うまでもなく、これらの闘いは、天皇制ファシズムという未曾有の人権抑圧体制下において、人間としての誇りをかけた糾弾闘争であった。糾弾は、部落民衆の流した血涙の歴史である。
     判例も言う。
     
    「差別糾弾は手段、方法が相当な程度を超えない限り、社会的に承認されて然るべき行動であり(矢田教育差別事件・大阪地裁判決1975年6月3日)、また法秩序に照らし、相当と認められ、程度を超えない手段、方法による限り、かなりの厳しさを有することも是認される(同事件・大阪高裁判決1981年3月10日)」
     
    ■野中広務『差別と権力』に書かれたこと
     最近、読んだ本に野中広務『差別と権力』(魚住昭著)がある。野中さんの政治家としての人生を部落差別とのかかわりにおいて描ききった力作である。この本のエピローグに、野中さんが最後の自民党総務会で発言した内容が記されている。
    それは麻生総務大臣(当時)の「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」という発言に対する野中さんの激烈な批判である。
     この本の中では触れられていないが、同じ総務会で野中さんは、山崎拓首相補佐官(当時)が女性スキャンダルを追及する週刊誌記者たちに「あの女性は部落の人間だよ、君たち、それを記事にしたら大変な騒ぎになるぞ」と恫喝をかけたことについても指弾している。この事実は解放同盟中央本部の幹部も確認している。
     野中さんが最後の気力を振り絞って抗議・糾弾したこの二人の政治家に対し、同盟中央本部が抗議を行ったことを寡聞にして知らない。
     
     糾弾に功罪はある。しかし抗議すればすばやく対応する企業やマスコミなど、やりやすいところだけを糾弾し、政治権力者には及び腰、というのであれば、糾弾権などと声高に叫ばないほうがよい。
     先人の矜持を貶(おとし)めてはならない。
| バックナンバー 2014 |