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連載差別表現第153回 ヘイトスピーチと表現の自由
 この「ヘイトスピーチと表現の自由」の原稿は、今年1月末に書き上げたもので、親鸞仏教センター(真宗大谷派)の『アンジャリ』(2014年6月1日発行)に掲載された。今回、親鸞仏教センターの了解を得て、転載することになった。御礼申し上げたい。
 
 
■たんなる差別表現ではない

 ヘイトスピーチ。この耳慣れない言葉が人々に知られるようになったのは、2012年の暮れも押しせまった頃である。
それは、第二次安倍内閣の成立と相前後して、声高に叫ばれるようになった。「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」などと、聞くに堪えない罵詈雑言を、白昼堂々何のためらいもなく連呼している。
 その団体は、「在日特権を許さない市民の会」(以下、在特会)という。ネット右翼と呼ばれている在特会は、何の根拠もない「在日特権」なる虚構を、東京・新大久保、大阪・鶴橋のコリアンタウンを基点に、全国の主要都市で蛮声を張り上げ振り撒いている。そればかりか、“お散歩”と称して、在日コリアンの商店街を練り歩き、そこで働いている人々に暴言を吐き仕事を妨害し、さらにショッピングや食事を楽しむ日本人に中傷を浴びせている。こうしたレイシスト(人種差別者)の排外主義的妄動は、いま現在も続けられてい
その一方で、一般市民による創意工夫を凝らした反レイシズムのカウンター行動も活発に行なわれている。
 日本では、これら在特会を始めとする民族排外主義団体の暴言を、当初、ヘイトスピーチ=差別発言として批難していたのだが、そのあまりにもひどい言論の暴力が、「差別発言、憎悪発言」という訳語では実態を正確に反映していないとして、ヘイトスピーチ=差別煽動、憎悪煽動と呼ぶべきとの意見が、今では多数を占める。その背景には、ヘイトスピーチを犯罪とみなしている、欧米各国の法的規制の実情を知ったことも大きく影響している。

 
■司法で裁かれはじめた犯罪
 
 
すでに、この在特会の民族排外主義的憎悪に基づく犯罪行為が、法廷で裁かれている。主な事件は次のようなものだ。

1)2009年12月9日、京都朝鮮第一初級学校・南門前における在特会会員らによるヘイトスピーチ(在日韓国・朝鮮人差別発言)
2)2010年4月14日、徳島県教組を襲撃し、威力業務妨害と建造物侵入罪に問われた事件
3)2011年1月22日、奈良水平社博物館に対する「在特会副会長」Kによるヘイトスピーチ(部落差別発言)
4) 2012年3月2日のロート製薬「強要」事件。強要罪で逮捕され有罪が確定している。

3)は、それまでの在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチが被差別部落民に向けられた最初の事件。水平社発祥の地、奈良県御所市柏原にある水平社博物館に対する差別街宣行動で、「穢多やら非人やらいうたら…(中略)…出てこい穢多ども、ここは穢多の聖地やと聞いとるぞ」(奈良地裁の判決文より)との発言が、数十分間にわたって行なわれた。
奈良地裁は、水平社博物館側の訴えを認め、「上記文言が不当な差別用語であることは公知の事実」であり、名誉毀損罪にあたるとの判決を下し、慰謝料150万円の支払いを被告・在特会(当時)のKに命じている。
 
■退けられた在特会側の「表現の自由」

 画期的な判決が出たのは、1)の京都朝鮮第一初級学校が求めた民事訴訟に対してだ。すでに、威力業務妨害と侮辱罪で、執行猶予四年の判決(刑事裁判)は出されていたが、民事裁判において特筆すべき司法判断が、2013年10月7日、京都地裁において下された。
 判決は、在特会に対し京都朝鮮第一初級学校周辺半径200m以内の街宣禁止と1226万円の損害賠償の支払いを命じた。
高額な賠償金には、ヘイトスピーチの悪質さが加算されている。注目すべきは、繰り返されたヘイトスピーチを、人種差別撤廃条約の人種差別に当たると判断し、在特会側の“表現の自由”という主張を退けたことである。
判決文は、「我が国の裁判所は、人種差別撤廃条約上、法律を同条約の定めに適合するように解釈する義務を負う」と明言し、在特会の行動を、「在日朝鮮人という民族的出自に基づく排除であって、在日朝鮮人の平等の立場での人権及び基本的自由の享有を妨げる目的を有するもの」であり、「人種差別撤廃条約一条一項に当たる人種差別」と認定した。
確かにこの判決には、原告側が並行して求めていた民族教育権について、「子どもの権利条約」などに明記されている自己の文化・言語を享受する権利についての判断を避けており、不充分性はまぬがれない。だがそれを認めた上でなお、この判決の意義を高く評価したい。それは何よりも、法律より上位にある条約を根拠に、ヘイトスピーチ=人種差別行為と断じ、条約と国際法規の遵守を謳った、憲法第98条の精神を体現したところにある。
 私がこの京都地裁判決にこれほどこだわるのは、一つは、この司法判断から当然導きだされるヘイトスピーチを禁止する法律を緊急に立法化する必要性を感じているからである。もう一つは、そのためにも、日本の憲法学界の“差別と表現の自由”についての旧態依然たる認識を改めてもらいたいからでもある。
 
■ヘイトスピーチは「話者の品格の問題」か?
 
 2012
年11月、慶應三田キャンパスで、国際人権法学会の研究大会が開かれ、「差別表現・憎悪表現の禁止に関する」シンポジウムが行なわれた。欧米各国のヘイトスピーチ禁止法の実情報告が終り、各分野の著名な教授から、<日本法への示唆>としてコメントがなされたのだが、その内の一人、憲法の慶應大学K教授の発言には、思わず耳を疑った。
曰く、「まだ日本の憲法学界では、差別表現(ヘイトスピーチ)の問題は、学問の対象ではない」、「差別表現は話者の品格の問題である」、「論議するなら思想の自由市場で行えばよい」と、差別の現実を全く無視する発言であった。ヘイトスピーチが学問の対象ではないのだから、その禁止法を諸外国のように立法化する必要性など、日本の憲法学者が微塵も考えていないことが明らかになった。
「表現の自由」を絶対視し、思考停止する憲法学者の発言に、驚き怒りを通り越して、正直あきれてしまった。確かに、戦前の天皇制ファシズム下における言論弾圧は忘れてはならない歴史であり、その反省を踏まえて、憲法第21条の「表現の自由」が基本的人権の根幹をなす権利として揚げられている。だが、それは、権力の抑圧に対しての言論・表現の自由なのであって、被差別マイノリティへの差別扇動を自由とするものではない。
 思想の自由市場(論)は、相対する両者が、社会的、政治的に対等の立場にあることを前提としている。しかし、ヘイトスピーチにさらされている在日韓国・朝鮮人は、日本社会全体から日常的に差別されているばかりか、法的地位などにおいて不利な立場にあり、対等な議論は成り立たない。また反論することによって、レイシストからさらなる攻撃を加えられる危険性も高く、大多数の在日韓国・朝鮮人は沈黙を強いられている。
(以下、次号掲載は金曜日)
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