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第160回 「特殊部落」表現をかんがえる――『歴史評論』「特殊部落」は差別表現か
『解放新聞』(部落解放同盟中央機関紙)2015年4月6日号が、第一回中央執行委員会の記事を載せている。
その中に<差別事件のとりくみについては『歴史評論』(2014年12月号)掲載の女性労働者と米騒動の論文の中で「特殊部落の女性」などの記事にたいする全国部落史研究会のとりくみを報告。今後とも連携していくことを確認した。>とある。

 
■「特殊部落の女性」表記
 
その『歴史評論』の論文タイトルは、「口述史料が映す米騒動の女性労働者−警察資料を越えて―」。執筆者は斉藤正美氏である。
内容は、米騒動にかかわった女性たちについて、職業、階層、参加形態などを分析し、あらためて女性の果たした役割と意義を再評価しようとした意欲的な論考だ。
その中に「(3)塩田女工、特殊部落、漁民女房ら幅広い労働者層」という小見出しがあり、そこではつぎのような記述がある。

 
「・・・・・・15日には香川郡湯佐村の特殊部落民女房が廉売の陳情に立ち上がっている。多くの地域で早くから立ち上がったのは、特殊部落の女性、漁民女性、朝鮮人など、重労働にもかかわらず低賃金に抑えられ、貧困、生活苦に喘いでいた層であった。」
 
ちなみに、この小論の最初の項には、引用の中で「部落解放運動」という言葉もあるのだが、斉藤氏は「特殊部落解放運動」と理解していたのだろう。
 
■『歴史評論』論文 削除撤回の<会告>
 
この「特殊部落」表記について、『歴史評論』を発行している一般財団法人歴史科学協議会は、代表理事・服部早苗、塚田孝の名で<会告>を出し、斉藤氏の了解のもと、論考を撤回削除したという。
<会告>には、削除撤回の理由として、つぎのように見解がのべられている。
 
「この用語が被差別部落に対する差別言辞として用いられたことは、全国水平社創立以来、部落解放運動の実践と被差別部落に関する研究成果のなかで明らかにされている事実です。斉藤氏が学術雑誌掲載の論考の中で、この言葉を史料からの引用ではなく著者自身の言葉として用いたことは無理解・不見識であり、編集委員会の責任はきわめて重大であると言わざるを得ません。会員・読者の皆様に深くお詫び申し上げます。」
 
編集委員会の掲載責任にもきちんと触れており、問題の所在も自覚した<会告>だと思う。
ところが、この<会告>に対して一部の会員から批判の声が上がっている。
批判しているのは、もっぱら共産党系の歴史学者たちだが、そこで語られているのは、文脈・意味合いをかんがえると、そこ(特殊部落表現)に差別的意図はないと見なすべきであり、<「歴史科学協議会」執行部の対応はまさに悪しき「言葉狩り」「悪しき解放同盟タブー」「悪しき言論弾圧」「悪しき事なかれ主義」以上の何物でもない> 愚挙(ぐうきょ)だと怒っている。
この批判については、主観的な差別的意図が有るか無いかは、差別表現か否かとは関係ない、とだけ言っておこう。

 
■差別語の使用のしかたは誤りだが差別表現ではない
 
歴史科学協議会が今回、おこなった処置に対してはあれこれ言う立場にはないが、論考を撤回削除するよりも、「特殊部落」という差別語を不用意に使用したことから判る部落問題認識の浅さを自覚し、それへの反省のもとに、「特殊部落」→「被差別部落」などに字句訂正して、きちんと問題にむきあった形で掲載は残すべきであり、「撤回削除」は少し拙速ではないかと思う。
それは、この文脈では、「特殊部落」という差別語を差別的に使用しているのではないという点、つまり、差別表現ではないという認識だからだ。
「悪意」や「差別的意図」が主観的にあるかどうかは、その表現が差別表現であるか否かとは直接関係しない。
それを踏まえたうえで考えるなら、『歴史評論』における斉藤正美氏の「特殊部落」表記は、差別表現ではないが差別語の使用のしかたに問題があるということだ。
その典型例をつぎに紹介しておこう。

 
●差別表現ではないが差別語の使用のしかたが誤っている場合
 
「特殊部落の子どもとその他の子どもとの間にある差別感をどう取り除くか」
(石川達三『人間の壁』新潮文庫)
 
上記の一文は、教員が集まって教育現場のとりくみを議論する教育研究集会を取材した作家・石川達三氏が、「『〈特殊部落〉の子どもとその他の子どもとの間にある差別感をどう取り除くか』ということを論議していた分科会は非常に熱気に満ちていた」と書いたエッセイのなかで出てきた表現だ。
これは〈特殊部落〉という差別語を使用しているが、差別表現ではない。
しかし、この文章に使われている〈特殊部落〉は、本来、被差別部落あるいは行政用語である同和地区などと表記されるべきだろう。作者は、この語のもつ歴史的・社会的背景への認識をもちえないまま、誤って差別語を使用したと思われる。その意味で、作者の思いを生かすには「被差別部落」など差別語でない言葉を使用すべきであろう。(拙著『差別語・不快語』参照)

 
ここに紹介した事例は、差別表現ではなく、したがって、抗議はしていない。差別語の使用のしかたについて、版元の新潮社に「申し入れ」をおこなっている。その話し合いの結果、著者の石川達三氏の了解のもと、つぎの増刷から、「特殊部落」→「被差別部落」と改訂、さらにこの改訂にあたっての編集部の注釈を加えるというかたちで解決をみている。
 
■「まるで特殊部落のようだ」と「まるで被差別部落のようだ」
 
差別語と差別表現の関係について、すこし説明しておこう。
たとえば、よく起きた事例だが、

 
(1)「魑魅魍魎が跳梁跋扈する永田町は、まるで特殊部落のようだ」
という表現。
これは、被差別部落を悪の巣窟のたとえとして用いた典型的な差別表現である。
これを

(2)「魑魅魍魎が跳梁跋扈する永田町は、まるで被差別部落のようだ」
と表現しても、まちがいなく差別表現である。

(2)は、差別語を使用していないが、表現の差別性において(1)と何ら変わることがない。解放同盟が抗議・糾弾するのは、表現に含まれている“侮辱の意志”、すなわち表現の差別性についてである。
 くり返すが、重要なのは、差別語が使用されているから差別表現なのではないということだ。

 
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