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第162回 放送禁止歌 第一号 北島サブちゃんの“ブンガチャ節”
■NHK歌謡コンサートでサブちゃんが「放送禁止歌」を熱唱
 
 2015年5月19日、NHKで恒例の歌謡コンサートが、午後8時からライブ放送されていた。新聞のラテ欄にも『ブンガチャ節』を歌うことが予告されていたので、興味深く観ていたら、番組の終わり近くで、北島三郎さんが、「自分のデビュー曲は『なみだ船』ではなく『ブンガチャ節』だった」と、明かした。
 そしてサブちゃんは、「昭和37年(1962年)、デビュー曲として、テレビで三回歌って放送禁止になりました」「この曲の何が悪かったのか、僕にはわかりませんが・・・」と自ら語った。
放送禁止になった理由は語らなかったが、歌えるようになったのだから、過去は水に流そうという大人の態度で、生まれたばかりで亡くなった幼子をいとおしむかのように、熱唱した。
サブちゃんが『ブンガチャ節』をテレビ放送で歌ったのは、実に53年ぶりであった。
 
 NHKがライブで実現したことはおおいに評価できるが、なぜ放送禁止にくみしたのか、同じ過ちをくり返さないためにも、53年前にさかのぼって、お詫びと反省がサブちゃんと視聴者にあってしかるべきだろう。
個人的なことをいえば、私自身、この53年間『ブンガチャ節』の歌詞の一番、二番はいつでもそらんじることができた。なぜそれほど記憶に残っているかといえば、流しのギター弾きから苦労を重ねて登りあがり、テレビ出演することになった苦労人、サブちゃんのデビュー曲であり、全国的にも流行ったのであろうが、とくに岡山で生まれ育った私の“ムラ”の中では、熱狂的に歓迎され、口ずさまれていたからである。

 
ブンガチャ節
 
森達也は『放送禁止歌』(2000年解放出版社、後に光文社文庫所収)で、歌詞全文を紹介し、この“禁止事件”をとりあげている。
 
ブンガチャ節 (1962年、作詞/星野哲郎、採譜・編曲/船村徹)
 
あの娘いい子だ こっち向いておくれ
キュキュキュ キュキュキュ (以下くり返し)
すねて横向きゃ なおかわい
ブンガチャ チャ ブンガチャ チャ (以下くり返し)
 
恋の病に お医者をよんで
氷枕で 風邪ひいた
 
咲いておくれよ 寂しい頬に
熱いくちづけ 紅の花
 
そっと渡した 名刺の裏に
こんど逢う日が 書いてある
 
夢がふるふる 夜ふけの街に
そんなつもりで 雨んなか
 
他人は逢わなきゃ さめるとゆうが
俺は逢わなきゃ なおもえる
 
胸のなかには 涙が泳ぐ
注いでくれるな 泣けてくる
 
暇とお金が できたらいこうよ
月の世界へ ふたりづれ
 
■放送禁止にしたのは誰?
 
しかし、この歌詞の、何が問題とされて“放送禁止”となったのだろうか?
森達也は、つぎのように語る。
 
「北島三郎のデビュー曲『ブンガチャ節』が実は放送禁止歌だった事実はあまり知られていない。
 1962年に発表されたこの曲は、ヒットの兆しを見せかけたときに、歌の合間に入る「キュキュキュー」という合いの手がベッドの軋(きし)む音を連想させるとして、放送禁止に指定されたという。なにかの冗談かと思いたくなる話だが、当時ラジオから流れるノリのいいこの曲を口ずさんでいて、それが放送禁止歌になったことを記憶している人もいたから、この件はかなり話題になったらしい。雑誌のインタビューで本人も語っていたから紛れもない事実なのだろう。」
 
<歌の合間>に入る「キュッ・キュ・キュー」の合いの手が「ベッドの軋(きし)む音を連想させる」として放送禁止に指定されたというのは、森達也さんが言うように、悪い冗談としか思えない。
 
『ブンガチャ節』を放送禁止歌にした理由は 「公序良俗」に反するということらしいが、いったい、誰が、どんな権限で、何をもって「公の秩序」と「善良な風俗」に違反していると断定するのか。
 のちの放送禁止歌(要注意歌謡曲)に指定された歌の歴史をたどれば、ほとんどすべてが、マスメディアの“禁句”“言い換え”“抹消”とおなじく、差別問題・人権問題に対する無知・無理解から生じた「思想的脆弱(ぜいじゃく)性」のなせる業といってよい。
「表現の自由」の担い手というメディアの矜持(きょうじ)は微塵も感じられない。
 

■規制する圧力とは?
 
『ブンガチャ節』が放送禁止になったのは昭和37年、私が小学校5年生の頃だが、この歌は“ムラ”の中でも学校でも大きな話題となっていた。私の兄や“ムラ”の年長者に「なんで放送禁止になったん?」と問うても、明確な答えは返ってこなかったが、怒りの表情は、現在もはっきり覚えている。
しかし、“ムラ”の中で熱狂的に迎えられたのは、歌い手のサブちゃんと歌のリズムと歌詞が、“ムラ”の人々の心情にピッタリ嵌っていたということだ。
『ブンガチャ節』が放送禁止になった理不尽さと同時に、得たいの知れない威圧を、子どもの私でも感じた。
“ムラ”の中では、サブちゃんを励ます意味を込めて、より一層、声高に唄われた。その後、放送禁止歌になった『ヨイトマケの唄』(WEB連載第73回参照)と同じように・・・・・・。
最後に、『放送禁止歌』に登場する、放送禁止指定をたびたび受けたシンガー・ソング・ライター山平和彦氏のことばを記して、終わりとしたい。
山平氏は「放送禁止歌手」の異名をもつ。歌手として再び音楽活動を開始した矢先の2004年、交通事故で亡くなっている。


「歌がもし生きているとしたら、・・・僕は誕生間もない子どもを殺されたようなものかもしれないですね。・・・あんな理不尽な規制にあうようなことがなかったなら、もしかしたらまだ今も、僕は歌を続けていたのかもしれないな」
                              (山平和彦・やまひらかずひこ・2004年永眠)
 
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