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第164回 連載差別表現映画 『夜明けの旗 松本治一郎伝』(1976年、山下耕作監督)
■40年ぶりに観た映画『夜明けの旗』

いきなり真っ赤な字で、「協力 部落解放同盟」と画面に出てくる映画『夜明けの旗』は、40年近く前に封切りチケットをもらい、一度観たことがある。正直に言うが、その時はあまり感動しなかった記憶がある。しかし、今回は違った印象と感想をもった。
それは何よりも「エタ」とか「エタゴロー」という差別語が、セリフのなかに躊躇なく多用されていたからである。
この映画は、松本治一郎(戦前の全国水平社委員長で、戦後の部落解放同盟初代委員長。参議院議長も務めた社会党の重鎮でもあった)の半生を描いた教育的映画だ。
松本治一郎を演じる伊吹吾郎ほか、長門勇、浜村淳、田中邦衛、毛利菊枝ら達者な役者がそろい、画面に臨場感と現実感を与えている。
ストーリーは史実に沿って展開されている。とくに1916年(大正5年)に起きた博多毎日新聞襲撃事件は、水平社結成以前の表現上の差別に対する一大糾弾闘争であった。
拙著『部落解放同盟「糾弾」史』(ちくま新書)では、

 
連載記事のなかで〈人間の屍体を原素に還す火葬場の隠亡(おんぼう)〉、〈穢多は死骸となっても別な扱いを受ける〉とする記事内容に激怒した部落大衆が、大挙して新聞社を襲撃し、350人もの検挙者を出した事件で、水平社結成前夜の差別的言動に対する怒りが爆発した歴史に残る糾弾闘争であった。
 
と記しているが、このような差別的言辞は、当時の社会では当たり前のように吐かれていたのである。
そのような社会的情況をふまえて発せられたのが、全国水平社創立大会(1922年/大正11年)での決議第一項、「吾々に対し穢多および特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す」であった。


■場面に応じて使われる差別語

話を映画にもどそう。『夜明けの旗』の中では、すでに書いたように「エタ」とか「エタゴロー」という差別語が、部落民を侮辱する場面で頻発しているが、それはアメリカで黒人差別を描いた映画と同じで、まったく違和感がない。
たとえば『ジャンゴ 繋がれざる者』(主演/ジェイミー・フォックス)や、メジャーリーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンを描いた『42〜世界を変えた男』には「ニグロ」「ニガー」という黒人に対する最大級の侮蔑語が連発されている。
はたして日本では、このような映画やドラマが制作できるのかと思っていたら、何とすでに40年前、この『夜明けの旗』で実現していたのである。たとえ“部落解放同盟”のクレジットが入っていても、ここまで描けるものではない。解放同盟が全面バックアップして制作した映画として、東陽一監督の映画『橋のない川』(1992年)は『夜明けの旗』から16年後に作られた映画だが、それほど社会的に注目されなかった。それは「エタ」などの言葉が浮いているからという理由もその一つになっている。
「エタ」「エタゴロー」「ニグロ」「ニガー」などの最大級の差別語は、その言葉の歴史的・社会的背景や、そこに塗り込められた差別の憎しみと怨念を、きちんと消化して映像表現するなら、差別を告発し、観る人に深い感動を与える作品となるだろう。


 ■“言葉狩り” は差別を隠すこと

言説化されない差別は、社会的に存在しないも同然なのだ。すなわち部落差別は実際にはあるのだが、それが「ない」ことになってしまう。
それ故、マスメディアが行ってきた“言葉狩り”は、差別を隠すことにつながっただけで、差別をなくすには逆効果だということなのだ。
「この言葉は使っていいですか?ダメですか?」と、さまざまなマスコミ関係者から何百回も聞かれてきたが(最近のメディア研修の際にもまだ聞かれることがある)、そのたびに、「差別語を含め、使ってはいけない言葉などありません。とくに差別語はその言葉を使用する合理性、必然性と社会的必要性があれば、むしろ積極的に使用すべきであり、言い換えや禁句にするのではなく、過去の厳しい差別の実態を知る重要な手がかりとして大切にすべき」と、私は答えてきた。
過去半世紀、この差別語・差別表現の問題に、マスコミが禁句・言い換えの自主規制で対応してきたことの責任は重いといわざるを得ない。
前回(163回)の本連載でふれたNHK『あさイチ』ゲスト市原悦子さんの発言と、それに対する有働由美子アナの「カタワ」「毛唐」という差別語をくり返しての具体的なお詫びと訂正は、その意味で画期的と言ってよい。


■“俳優”の対語は“女優”ではない

NHKは、先々月の歌謡コンサートで、北島三郎さんのデビュー曲「ブンガチャ節」(1962年に放送禁止歌とされる)を生放送した。それはおおいに評価されるべきだが、なぜ、現在まで半世紀以上も封印し、放送禁止にしてきたのかの反省はあってしかるべきだろう。
NHKは、6月22日放送の『鶴瓶の家族に乾杯』にゲスト出演したキムラ緑子さん(朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』の小姑役がはまった)について、小野文恵アナは“俳優”のキムラ緑子さんと紹介していた。
このことから、人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、政治的に公正で中性的な表現(ポリティカル・コレクトネス=P.C)にNHKが積極的にとりくんでいることがうかがえる。
対言葉があるかないかは、PC(言語の民主化運動)を考える上で重要だ。“俳優”の対語は“女優”ではない。それは“孫”の対語が“孫娘”ではないのと一緒。しかし、鶴瓶師匠は一貫して「女優」と呼んでいた。

映画『夜明けの旗 松本治一郎伝』を40年ぶりに観て、思いついたことを書いてきたが、“部落解放同盟”のクレジットなしで、自主的に“自主規制”の過ちを正し、感動的で差別を許さない強い意志に満ちた映画・演劇・ドラマ制作を期待したい。
このジャンルはまったく手つかずなので、時代を画する評価と社会的称賛を受けることは、まちがいない。
(2015年7月3日)


































 
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