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第170回 八木秀次氏「『ヘイト』規制法の危険な正体」(「正論』2015年10月号) の面妖(めんよう)さ その1
○「ヘイト規制法案の危険な正体」『正論』10月号
 
正論10月号に、八木秀次氏の<「人権擁護「「男女共同」以上だ! 「ヘイト」規制法案の危険な正体>と題した小論が載っている。
出だしの「ヘイトスピーチは問題だが……」には、次のように書かれている

 
《いわゆるヘイトスピーチに対処するとして5月22日、民主党、社民党、無所属の議員で参議院に提出された「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律(案)」(人種差別撤廃施策推進法案)が、8月4日に参議院で審議入りした。》
 
最初から認識が誤っている。八木氏は、この「推進法案」を「ヘイトスピーチ規制法案」と呼ぶことに対し、共同提案者の有田芳生(ありたよしふ)参議院議員が、「罰則規定をもたない『理念法』(宣言法)であり、『規制法』ではない」と内容説明していることにも触れている。しかし、「人種差別撤廃施策推進法」は「ヘイトスピーチ規制法」に名を借りた「恐るべき狙いが隠されている」と、思い込みの激しい“陰謀論”を展開している。
 八木氏は、まずは「ヘイトスピーチはよくない」との認識を示した上で、次のように述べる。

 
《韓国人・朝鮮人という民族一般に対するヘイトスピーチを違法行為とすることは現行法では難しい。とりわけ刑事罰を科すことについては憲法の保障する表現の自由との関係で慎重論が支配的だ。》

 
 
○日弁連の意見書に依拠して反対する八木氏
 
 八木氏は、その論拠の一つとして、日本弁護士連合会の「人種等を理由とする差別の撤廃に向け速やかに施策を求める意見書」(以下、意見書)を持ち出している。
 
「刑事罰の対象となるヘイトスピーチか否かの判断は、当該表現行為の内容に着目せざるを得ず、表現内の判断にまで踏み込んで規制対象を確定することになるから、表現に対する内容規制となる。…(中略)…学説上は、表現の内容規制が正当化されるのは、当該表現行為が違法行為を引き起こす明白かつ現在の危険を有する場合に限定される等、厳格な基準が採用されている。このような現状の下で 規制されるべきヘイトスピーチと許される表現行為との区別は必ずしも容易ではないし、思想の自由市場(※筆者註)の観点からは、表現内容に着目して刑事規制を行うことについては、なお慎重な検討を要する」
                                                   (日弁連「意見書」5月13日付・内閣総理大臣宛提出)
 
 本来、八木氏の思想や論理とは対極にある日弁連の「意見書」に依拠して、「このような事情から法案も規制法ではなく理念法にした」と邪推しているのである。
 ちなみに、この日弁連意見書のなかでかかれている「思想の自由市場」とは、「思想の自由市場論」「対抗言論の原則」ともよばれ、表現の自由に優越的地位を認める根拠とされている。「あらゆる表現に国家は干渉しない。すべての人が公開の場で自由に発言すれば、真実で健全な意見は必ず勝ち残り、誤った不健全な意見は敗退する」という考え方で、憲法学者や知識人たちが支持している。
 しかし、ヘイトスピーチにかんして今起きている事態をみれば、ヘイトの被害者が「対等に」声をあげられているだろうか。現実には、前に出て声を上げた人間は、「毒飲メ、飛ビ降リロ」と生命を脅かされているのである。ヘイトスピーチは、たんなる表現ではなく、差別扇動行為であることは忘れてはならない。
 
 
○「人種差別撤廃施策推進法」のめざすもの
 
 「人種差別撤廃施策推進法」(以下、推進法)が、1965年の第20回国連総会で採択され、三十年遅れで日本政府が批准した「人種差別撤廃条約」(あらゆる形態の人種差別等の撤廃に関する国際条約)の精神を、いま一度確認し、条約の理念を国内法として生かすべき道筋をつけるための第一歩として提出されていることは、共同提案者の有田議員はじめ、多くの「推進法」賛同議員が語っていることである。
 これは、憲法98条の◆崙本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」を、文字通り誠実に履行(りこう)することを求めた法案なのだ。
 
 ヘイトスピーチを規制するのは当然のことであるが、それは、人種差別撤廃条約の第4条に厳しく明言されていることであり、「推進法」が成立すれば、緊急性を要するヘイトスピーチの法的規制が、大きな政治的課題になることは必至である。また、このことは当然、国連の各種人権関係委員会から強く勧告されている、日本政府が留保している同条約第4条(a)(b)項を承認し、批准することを意味している。

しかし、それはあくまで「推進法」のめざす理念の一部に過ぎず、「推進法」の目的は、あくまでも人種差別撤廃条約の理念の実現であり、それが欧州各国にある包括的な差別禁止法になるのかどうかは、今後の取り組みいかんである。
 
 
○<「差別」と言えば差別になる>??? ――八木氏の根本的誤認
 
 八木氏は、<「差別」と言えば差別になる>という小見出しのところで、具体的に条文を解説する。正確に「推進法」第一条、第二条、第三条を引用して、自民党の党幹部が、拡大解釈や表現の自由の規制につながると懸念を表明しており、「人権擁護法案のようなことにしてはいけないと警戒心を示している」と、のべている。
そして、三条が「人種等を理由とする不当な差別行為」や「取り扱い」、そして「不当な差別的言動」を禁止していることに対し、何をもって「不当な差別」とするのかが明確でない、と難癖をつけている。
そこに共産党が、「今回、民主党などが提出した法案については、『ヘイトスピーチ』や『差別』の定義が明確でなく、恣意的に拡大解釈されるおそれがあります」(小池晃 政策委員長コメント)と述べていることを引用し、共産党の懸念に賛意を示した上で、八木氏は、

 
《自民党や共産党の懸念は無理もない。法案の第十九条は「国及び地方公共団体は、人種等を理由とする差別の防止に関する施策の策定及び実施に当たっては、人種等を理由とする差別において権利権益を侵害され又はその有する人種等の属性が不当な差別的言動の理由とされた者その他の関係者の意見を当該施策に反映させるために必要な措置を講ずるものとする」との規定を設けるが、これは差別防止の施策の策定・実施においてヘイトスピーチなど「人種等」で「不当な差別」を受けたとする「関係者」の意見を反映させなければならないことを意味する。
これによって「差別防止」の施策は「関係者」の牛耳るものとなる恐れがある。何が「差別」なのか、その定義が曖昧な中、関係者が「差別」と称する行為が差別とされることになる。》
 
と、思い込みの激しさを見せている。
「不当な差別」を受けた「関係者」(当事者)の意見を反映することが、どうして、関係者(当事者)が「差別」と称する行為が差別とされることに直結するのか? 八木氏は一度、頭の中の思考回路を点検したほうがよい。
まず、差別と称される行為とはどのようなものか。
「当事者のオレが差別と言えば差別なんじゃ!」――八木氏が差別について抱いているのは、ひょっとしてこのようなイメージなのではあるまいか。
 しかし、差別とは、つぎのように定義されるものなのである。
 すなわち、差別とは、差異(社会的属性や人種、宗教、性、障害など)を理由に、特定の個人や集団が意図的に排除・忌避・抑圧・攻撃・軽蔑の対象とされ、基本的人権(市民的権利)が侵害され、社会的に不利益を被る状態のことであり、国連の人権諸条約に明記されている。差別は、区別と違って、ナチスの優生思想のように、主観的、非科学的、非合理的な反知性主義的判断にもとづいて行われる。

 
○何が差別かを誰が決めるのか
 
もう一つ、八木氏が混乱しているのは、何が差別かを誰が決めるのか、という点についてだ。それについても私は何度も書いてきたが、今一度つぎに記しておく。
 
[何が差別かを誰が決めるのか]
 なにが差別か、差別表現かを、だれが、なにを基準に判断するのだろうか。“足を踏まれた痛み”を知る被差別マイノリティが、差別だ、と言えば差別表現になるのだろうか。たしかに被差別マイノリティは、ほかのだれよりも差別について、鋭敏な感性をもつ当事者である。

 しかし、なにが差別・差別表現かは、すぐれて客観的なもので、時代とともに変化する社会意識(社会的価値観)の中に判断基準があるといえる。つまり、被差別者の主観的告発は、社会的に受け入れられることによってはじめて客観性をもつ。大切なことは、被差別者からの抗議・告発に真摯に向かいあい、しっかりと抗議内容を受けとめ、そのうえで、抗議された側としての思いを率直にのべることである。
なにが差別か、差別表現かは、被差別者の主観の中にではなく、客観的な社会的文脈のなかに存在する。
その点、抗議されて萎縮し、告発者のいいなりになる姿勢は、問題の解決を遠ざけるだけである。それは、その本質において、被差別者の抗議に背を向け、無視する態度と表裏の関係だ。“差別の現実に深く学ぶ”ということは、被差別者のいい分を全面的かつ無条件に受け入れることではない。主体性をもって、被差別マイノリティに向き合う姿こそ、真に相手を尊敬する対応である。 
 
   (「抗議をうけたときにどう向き合うか」『差別語・不快語』より)
 
 ところで八木氏は、「推進法案」の隠れた目的が、朝鮮学校への授業料無償化の適用だなどとのべているが、そのような妄言にいちいち批判している暇はない。この「推進法」があってもなくても、朝鮮学校への授業料無償化を実施しないのは不当な差別であり、すでに日本政府が批准している国際条約などの諸条約に違反している、ということだけは言っておく。
(以下、次号につづく)
 
 
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