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第176回 「クローズアップ現代」立花隆氏の「めくら」発言

○差別語と差別表現をめぐる乙武洋匡氏の一知半解
 
 昨年12
月3
日放送の、NHK「クローズアップ現代」(「チームでつかんだノーベル賞・日本の物理学が切り開く未来」)にコメンテーターとして出演していた立花隆氏が、番組終了間際に発言した「めくら」に、国谷キャスターがお詫びしたことを受けて、“言葉狩りだ”などと様々な批判がNHKに寄せられている。
ここでは著名な身体障害者で、次期参議院選挙に出馬が噂されている乙武洋匡(おとたけひろただ)氏の主張を中心に、少し意見を述べておきたい。(乙武氏のこの種の物言いは今に始まったことではない。すでに本連載第12回「乙武洋匡氏の<なぜ僕は自分を「カタワ」と呼ぶのか>雑感」でもふれているが、今回はさらに感性が劣化している。
 立花氏の発言は次のような内容だった。

「カミオカンデ以前はニュートリノは見えなかった。見えなかったというのは、ないのと同然。世界中のすべての学者がめくら同然の状態にあった」

これに対し、同番組の国谷裕子キャスターが番組終了時に

「一部、不適切な表現があり失礼いたしました」と、謝罪する。

 
○NHK「あさイチ」での対応と比べると

 実は私も、この番組を直接見ていたので、NHKの対応を刮目していたが、具体的な「めくら」という差別語抜きに「不適切な表現」として謝罪したことには不充分性を感じた。たしかに番組の終了まぎわで時間的余裕がなかったのは事実だが、「先ほど“めくら”という視覚障害者を蔑視する差別語を使用した不適切な表現がありましたことをお詫びします」ぐらいは言えたのではないだろうか。
こういう生放送での<差別語を使用した差別表現>に関しては、同じNHK「あさイチ」(2015年5月22日)が模範をしめしている。
俳優の市原悦子さんが「日本昔ばなし」の話題のなかで「かたわ」「毛唐」などと発言。それに対し、「不適切な発言がありましたのでお詫びし、訂正します」ではなく、「さきほどのコーナーで『かたわ』『毛唐』という発言がありました。身体の不自由な方、外国人の方を傷つける言い方でした。深くお詫びします」と、有働由美子アナが、お詫びと訂正をしている。どの言葉が差別的なのかを踏まえた上での、差別語をくり返してのお詫びと訂正は画期的だった。(詳しくは本連載第163回参照)

 
○蔑みの意味合いを「めくら」に込めて表わす場合

 この立花氏の発言は、「めくら」という視覚障害者に対する差別語(「差別用語」あるいは「放送禁止用語」という言い方は差別した側の責任の所在をあいまいにしている)を使用したから問題なのではなく、「めくら」という差別語を否定的な比喩(ひゆ)として使っていることが問題なのだ。(否定的な価値観や様態をあらわす言葉として「めくら/盲」を使っていることが問題なのだ。)すなわち、表現の差別性=差別表現を問題にしているのである。
 つまり、「盲蛇に怖じず」「群盲象を撫でる」と同類の、視覚障害者を人として劣った者、物事を理解できない者という意味合いで、否定的、差別的、侮蔑的にさげすんで比喩的に表現したところが問題なのである。
さらに付け加えれば、昨年亡くなったドイツの元大統領ワイツゼッカーの有名な演説「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」も差別表現なのだ(本連載第41回「比喩表現にあらわれる差別意識」参照)。
 現に、ドイツ語にも堪能な作家・佐藤優さんは、その著『創価学会と平和主義』のなかで、「過去に目を閉ざす者は現在に対しても目を閉ざすことになる」と訳している。

 
○「立花氏に差別する意図がないのはあきらか」乙武洋匡氏
 
 さて、この立花氏の発言とNHKの対応について、いつものことながら、乙武洋匡氏が一知半解の見解をツイートしている。

 
「立花氏に差別する意図がないのはあきらか。『傷つく人がいる』という反論もあるだろうが視聴者が誰一人として不快な思いをしない放送などありえるのだろうか。腫れ物に触るような態度が、差別を助長すること……」
乙武氏のツイートは、カン違いレベルの話ではない。不快語と差別語、差別表現、ヘイトスピーチ(差別憎悪扇動)の相異が、彼にはまったくわかっていない。
 

○〔世界中のすべての学者が「視覚障害者同然の状態にあった」〕としても差別表現

〆絞霧譴呂△襦しかし使ってはいけない差別語など存在しない。

△海領花氏の表現は「めくら」という差別語を使った差別表現ということ。この時、もし立花氏が「めくら」という言葉を使わず、たとえば〔世界中のすべての学者が「視覚障害者」あるいは「目の不自由な方」同然の状態にあった」〕と発言しても、同じく差別表現なのだ。この場合は、差別語を使用していないが、視覚障害者をおとしめ、否定的な意味合いを込めた比喩的表現であり、差別語を使用していない差別表現なのである。

N花氏自身に、視覚障害者を差別する意図があったかなかったかは、その発言が差別表現かどうかとは、まったく関係がない。
差別表現として問われているのは、表現の差別性であって、表現主体の主観的な差別的意図の有無の問題ではない。表現の客観性、その表現が社会的文脈の中でどう受けとられるかということ、つまり、表現のもつ社会的性格について問題にしているのだ。(※ちなみに差別的意図をもって語られるのがヘイトスピーチだ。ヘイトスピーチ[差別的憎悪扇動]と差別表現一般との違いは主観的で意図的な差別、つまり悪意をもった攻撃性と目的意識性にある。)


ず絞棉集修箸蓮∧弧のなかに差別性(侮辱の意思)が存在している表現のことであり、(1)差別語が使用されているか否か、(2)内容が事実か否か、(3)悪意があるか否か、とは直接関係しない。
 このことが、まったく理解できていない乙武氏だが、ただ「五体不満足」というだけで、自己の誤った見解が許されると考えているとするなら、それこそ、乙武氏個人が被差別傲慢症候群に罹患していると言わねばならない。

ズ絞霧譴了藩僉畉絞棉集修任呂覆ぁつぎの例にみるように、要は、その言葉が使われる必然性及び、社会的必要性が、文脈なり作品にあるかどうかが問われているのである。
 例) 「わしらは昔<ドメクラ(ドエッタ)>といわれ差別されてきた」
 例) 「人間の尊厳をかけて『エタであることを誇りうる』運動の再生へ」(朝日新聞に載った広告のリード)
(,らイ砲弔い董△気蕕砲わしく知りたい方は拙著『部落解放同盟「糾弾」史』[ちくま新書]第5章に詳説しているので参照していただければと思う。)

 
○“言葉狩り”をしてきたのは誰か

 さらに、“言葉狩り”とか“差別を助長する”とか、乙武氏は語っているが、被差別マイノリティからの抗議に、正面から向かい合おうとせず、禁句・言い換えで、差別の現実に背を向け、差別をなくすためでなく隠すために “言葉狩り”をしてきたのは、被差別マイノリティの側でなく、マイメディアの側であったことはすでに明らかになっている事実である。(本連載第19回「<言葉狩り>という表現について」/第73回「<ヨイトマケの唄>はなぜ<放送禁止歌>となったのか/第89回「どこの誰かが勝手に決めた差別用語?」/第162回「放送禁止歌第一号 北島サブちゃんの“ブンガチャ節”」、/森達也著『放送禁止歌』光文社文庫参照)
差別表現に抗議することが、なぜ「差別を助長する」ことになるのか。「傷つく人がいる」「いない」ではなく、現実に存在する社会的差別(障害者を受け入れない社会的バリアは企業の障害者雇用率2%未満という数字に現れている)を助長する表現に対して抗議しているのだということが、乙武氏にはまったくわかっていない。

 
○乙武氏の意見に関するツイートから

 立花氏発言についての乙武氏コメントをめぐる多くのツイートに目を通してみたが、なかには、(「世界中のすべての学者がめくら同然の状態にあった」)を「『視界ゼロ』同然の状態」のような表現にすべきだとの真っ当な意見も多くあった。
 ことばの事例はちがうが、1月14日の朝日新聞「声」欄に「私は『ハーフ』でなく『ダブル』」という14歳の女子中学生の投書が載っている。彼女はハーフという英語の意味が「半分」だと知ったとき、「人として半分しか中身がないと言われているようで」、ショックを受けたが、母親から「ハーフ」でなく「二つの国の血を引いているから『ダブル』だ」と聞いて自信をもつことができた、と語っている。この女子中学生の気持ちをあざ笑うような乙武氏の軽佻浮薄な物言いは批判されるべきだろう。



 
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