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第182回 引き続き、差別犯罪本「全国部落調査」について
○有田芳生議員、人権擁護局長の認識を質す

 2016年3月10日の参議院法務委員会で、有田芳生議員が、差別犯罪本「全国部落調査」とヘイトスピーチについて、人権擁護局長と岩城法務大臣などに質問した。
 とくに、「部落地名総鑑」の原典を売りにしている差別犯罪本「全国部落調査」に対しては、まず冒頭で41年前の「部落地名総鑑」について、有田議員が、人権擁護局長の認識を質した。さらに、解放同盟東京都連と東京法務局の交渉内容などを踏まえ、ネット上および4月1日発売を公言している示現舎(しげんしゃ)の差別犯罪本「全国部落調査」に対応をせまるも、しどろもどろで、回答の体をなしていない。
 要するに、法務省側の答弁は、「部落地名総鑑」や「全国部落調査」本は、人権上、好ましくなく「看過」できない問題のある本だが、ネット上と同じく、取り締まるのが難しいということにつきる。


 
○「真実を報道するのがなぜ悪い」と居直った興信所――差別者の屁理屈は41年前と変わらず

  一方で、本来当事者であるべき部落解放同盟中央本部は、差別犯罪本「全国部落調査」の発行元・示現舎の代表に新宿で“会い”、発行中止を“要請”したというが、鼻であしらわれており、舐められているどころの話ではない。発行中止要請ではなく、抗議および事実確認と、公開しての社会的糾弾をこそ断行すべきだろう。単なる「本部もやってますよ」的なアリバイ作りなら恥の上塗りだ。41年前の1975年11月に発覚した「部落地名総鑑」糾弾闘争から何も学んでいない。確信犯的な差別主義者団体・個人に対する糾弾の仕方がわからないらしい。
 41年前の「部落地名総鑑」差別事件の関係書類を渉猟していると、その当時にも、「情報作用とは真実を探求し、真実を伝達する作用である。部落差別は存在しており未解放地区はあるのだから、その真実を報道することがなぜ悪いか」と居直った、興信所・探偵業者がいたことに、思わず嗤う。
「部落地名総鑑」の類(たぐい)の差別犯罪本は、出版・表現の自由という憲法のカテゴリーとは無関係である。「本」の体裁をとっているが、内容は凶器なのだ。度し難い差別者の屁理屈は、昔から変わらない。


 
○反知性主義者の意味不明な主張

 今回の差別犯罪本「全国部落調査」の発行について、発行元の示現舎がまとめた「部落解放同盟中央本部との面談レポート」によれば、被差別部落に対する差別意識が存在している中で、被差別部落の地名(新・旧)を出版するなどの行為は「差別者に利用され差別を助長する」との主張を(本部側が)行ったのに対し、示現舎は、

           ***

それに対して筆者が一貫して主張したのは、隠すことこそが差別を助長しているということである。隠すためには、隠す理由を説明しなければならず、西島書記長の主張は部落住民との結婚に反対する親などの主張と何ら変わりがないということ。あからさまに「自分は差別者だ」と言う人は少数派で、むしろ「他人が差別するから」と言って、結婚に反対するわけだから、西島書記長のような態度こそ差別ではないかということである。逆に部落の場所を暴露するのであれば、そのような説明をする必要はなく、「部落に住んでも、部落の人と結婚しても安心ですよ」と堂々と言うことができる。(中略)
私に言わせれば、隠すことこそが差別の原因になっている。これから部落に住もうとしている人、部落の人と結婚しようとしている人に、隠す理由をどう説明するのか。
           
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 と「反論」しているが、一瞥(いちべつ)しただけでわかるように、意味不明の独断と偏見の反知性主義的主張の典型といってよい。それに対して、何ら有効な反撃を加えられなかった中央本部については、今回は触れない。
 示現舎の主張は、「ウサギの角の先は丸いか、尖っているか」並みの(ウサギには角がないので前提が成り立たない)、非現実的で非論理的な反知性主義の典型であり、本来、批判の対象となりえない言説である。(*反知性主義とは、客観性・合理性・実証性を無視ないし軽視し、自己に都合のよい物語に閉じこもる態度のこと。在特会の桜井誠vs.大阪市長橋下徹の対話が成り立たなかったように、反知性主義者との会話は成立しない。)
看過できないのは、自称・部落出身のフリーライター上原善広が、この犯罪本を「画期的な出版」と褒め上げていることだ。


 
○差別犯罪本を「画期的な出版」と褒め上げる上原善広

 上原は2月28日のツイッターで次のように書き込んでいる。
「ごく一部で話題の『全国部落調査』(示現舎)ですが、路地の人々が誇りを取り戻すという意味では画期的な出版でしょう。悪用する人が多ければ、それだけ差別があるということ。これをきっかけに、路地について学ぶ人が多くなればいいですね。」
 惹起した差別事件で傷つけられる被害者の心身の痛みに対して、思慮を欠いた差別的心性の持ち主と断言してよい。差別が起こることを傍観するのではなく、未然に防ぐ手立てこそが、求められているのである。差別の厳しい現実を見ようとしない、あるいは差別の深刻な実態を無視ないし軽視する差別的暴論といわねばならない。


 
○部落差別はインビジュアル(見えない差別)

 部落差別(部落民)は昔から「インビジュアル、ビジュアルマイノリティ」といわれてきた。つまり視覚的に「見えないが、見えている被差別者」。黒人差別や民族差別、女性差別や障害者差別などさまざまな差別があるが、それぞれ肌の色や国籍、性別、障害の有無といった違いが外見上あきらかな場合が多い。
 人種や民族、宗教や性、障害などの属性が差別の対象とされるのだが、部落差別は外見上(見た目)で判断できる属性ではない。日本国憲法14条にある「…人種、信条、性別、社会的身分又は門地により…差別されない」の「社会的身分又は門地」が部落差別に当たるわけである。
 「社会的身分又は門地」とは、封建時代(江戸時代)に存在した「武士・平人・賤民」の、とくに「賤民」についてのことである。「門地」=家柄も部落差別に関係している(部落差別は貧富の差ではない)。


 
○明治政府による賤民解放令

 周知のように、江戸時代、被差別民は「身分・職業・居住」が三位一体として固定されていたがゆえに、身分はもとより職業を変えることも、自由に他所に移ることもできなかった。
それが、1871(明治四)年の太政官布告、いわゆる「賤民解放令」によって、身分・職業共平民同様とするとし、法律・制度上の差別の廃止が宣言された。しかし、明治政府が部落差別をなくすための施策を何ひとつ行わなかったため、現実には依然として厳しい差別が残ることになった。


 
○被差別部落とはなにか

 お上(国家)に頼るのでなく、自ら立って部落差別撤廃をめざす、自主的な部落解放運動組織=全国水平社が1922年3月3日に創立された。この時、「全国に散在」している、つまり全国に意味をもって存在していた賤民の住む地域(穢多・非人など)を拠点として決起し、結集したのである。
 解放同盟の綱領にも書かれている。
「部落民とは、歴史的・社会的に形成された被差別部落に現在居住しているかあるいは過去に居住していたという事実などによって、部落差別をうける可能性をもつ人の総称である。被差別部落とは、身分・職業・居住が固定された前近代に穢多・非人などと呼称されたあらゆる被差別民の居住集落に歴史的根拠と関連をもつ現在の被差別地域である。」
 つまり、被差別部落は具体的な地名をもち、そこには日々生活している人々が実在している地域なのだ。


 
○差別するメルクマールが見えにくいからこそ身元調査が行われ、「部落地名総鑑」が売買され悪用される
 
 言うまでもなく、結婚や就職の際に行われる身元調査、とくに41年前の「部落地名総鑑」差別事件が明らかにしたように、当時、結婚に関して、相手の身元調査依頼の99%が、被差別部落かどうかだったと、「部落地名総鑑」発行者の坪田義嗣は、同盟の確認・糾弾会の中で話している。
 違法な身元調査(戸籍・住民票の取得や過去帳の閲覧)が横行する背景には、部落差別がインビジュアル(見えない差別)なことがあげられる。
 部落差別は、土地(地域)と一部職業を媒介にした封建的身分制をもとに、近代的に再編成された賤視観念と実態的差別であるが、その姿が見えにくいということがある。つまり、差別されるメルクマールがインビジュアルであり、存在がわかりにくいという特徴をもっている。
 差別犯罪本「全国部落調査」の発行元・示現舎らが言うところの「隠すことが差別を助長し、差別の原因になっている」という虚言に、何ひとつ科学的な根拠も正当性も論理整合性もない。
現実は、被差別部落出身であることを「隠す」ことによって、予見される差別を避けている出身者も多い。それがなぜ、「差別を助長し、差別の原因となっている」などと言えるのか。
 差別事件が起こることを望む態度こそ、度し難い差別的心性といわねばならない。
 たとえば黒人は、肌の色が黒いことを「隠して」いない。ではなぜ差別されるのか、ハッキリしている。肌の色が黒いことに差別の原因があるわけではないからである。原因は、差別する側の意識の中にある。「黒人は肌の色が黒いから差別されるのではない。一定の社会関係の中において差別されるのである」。
 差別は、国家に包摂された社会関係(差別的な社会システム、構造的差別)のなかで“作られ”、基本的人権を侵害し、人間の尊厳を傷つける。


 
○個人に表象される<差異>が見えない部落差別
 
「差別」とは、<差異>を手がかりに、特定の個人や集団が意図的に排除・忌避・抑圧・攻撃・軽蔑の対象とされ、基本的人権(市民的権利)が侵害され、社会的に不利益を被る状態である。(『差別語・不快語』より)
 
 そして、<差異>とは、目の色、肌の色、髪型と色、人種・民族、性、宗教、言語、生活習慣などの文化の違い、区別である。その違いを主観的、非科学的、非合理的にイデオロギー化して、差異(区別)を差別に転化するのは、国家に包摂された社会関係においてである。
しかし、土地(居住地)を媒介にした差別である部落差別は、その個人に表象される<差異>がないゆえに、一般社会に入るとインビジュアルになる。ここが、部落差別と、ほかの差別との大きな違いであり、特徴なのである。インビジュアル、ビジュアルマイノリティと言われる所以である。
 2012年に起きた『週刊朝日』の橋下徹氏に対する差別報道を思い出してほしい。あのとき『週刊朝日』取材班は、橋下氏の実父のみならず縁者一族の故郷の地に入り、興信所のごとくかぎ回り、「出自」を暴いたのである。「取材」の目的は何だったのかと言えば、橋下氏が被差別部落出身であると特定することであった。


 
○差別的身元調査を禁止する規制条例

 くり返すが、部落差別はインビジュアルであるからこそ、被差別部落出身であることを特定するためには、身元調査が“必要”なのであり、それを許さない取り組みもまた、「壬申戸籍(じんしんこせき)」の閲覧禁止にはじまり、戸籍、住民票の不正所得の禁止などとして、現在も続けられているのである。
  部落解放運動は、大阪府の部落差別調査等規制等条例(2011年、更に厳しく改正された)など、各県で差別的身元調査の禁止、また土地差別調査の糾弾などを通じて、条例を克ちとっている。
 それゆえ、被差別部落出身者の「出自」を暴くことを目的とした「全国部落調査」などの出版は犯罪であり、法律で厳しく取り締まる必要がある。しかしそれは、部落解放運動として、社会的な糾弾を行った上でのことであろう。つまり、自力で阻止行動を展開した上で、法的必要性を訴えることだ。


 
○「カミングアウトしないから差別が助長される」のではない

 部落差別とおなじく、「その個人に表象される(差異)が見えにくい」LGBT(セクシュアルマイノリティ)の人たちの中で、カミングアウトしている人も多いが、圧倒的多数の人は自己の性的指向や性自認と社会意識・社会制度の狭間で苦しんでいる。カミングアウトしないから差別が助長されるのではない。
 社会意識としてLGBTに対する差別観念が存在し、社会制度も整備されていない現実があるからカミングアウトできないのである。これは部落差別も同じだ。
カミングアウトするとは「社会的立場の自覚的認識」に立って、差別と闘う主体性を確立したときに、みずから行うものであり、他者からあれこれ指示されることではない。
 被差別部落出身であることを「隠し」、LGBTであることをカムアウトしないのは、それぞれの当事者の「弱さ」に起因する事柄ではない。差別との闘い方には多様な手段・方法と態度がある。みずから「出自」を名乗る必要もないし、名乗っても差別されない社会関係と制度の確立こそが問われている。
 カミングアウトして明らかになるのは、カミングアウトされた側の差別意識の有無である。


 
○カミングアウトの意味

 差別犯罪本「全国部落調査」を発行するという行為は、公的機関による、あらゆる市民意識調査が示しているように、被差別部落に対する予断と偏見にもとづく差別意識が確固として存在しているという厳粛な事実=社会環境のもとで、新たな差別事件(被害当事者を苦しめる)を引き起こさせ、場合によっては、差別した側をも苦しめる。
「エタ」であることを誇りに思うかどうかと、「出自」を明らかにすることは、別の問題である。他者からあれこれ言われる筋合いの事柄ではない。
被差別当事者の自覚にもとづいておこなわれる自立的な行為が、カミングアウトなのである。

 
“ふるさとを隠す”ことを父は
けもののような鋭さで覚えた
ふるさとを暴かれ
縊死(いし)した友がいた
ふるさとを告白し
許婚者に去られた友がいた
吾児よ
お前には
胸を張ってふるさとを名のらせたい
瞳をあげ
何のためらいもなく
“これが私のふるさとです”と名のらせたい

                   (“ふるさと詩/丸岡忠雄
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