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第198回 日本維新の会協同代表・片山虎之助参議院議員の差別発言を糾弾する

 

■ 「国会は特殊部落ですから」 片山虎之助の差別発言

 

 2017128日、日本維新の会の共同代表で、参議院議員の片山虎之助が、党の会合で、国会を、ウラ取引が横行するいい加減な場所という意味を込め、「特殊部落ですから」と発言したことが明らかになった。

 

被差別部落を悪いもの、役に立たないものの喩えとして過去幾度となく抗議糾弾されてきた典型的な差別表現である。

 

党の会合で、片山虎之助はつぎのように発言したという。

 

「維新独自で多数の議員立法を特別国会に提出しながら、いずれも審議入りしなかった現状をめぐり『やり方を考えないといけない。本数でなく中身も絞って、どこかの党と取引しないと。国会はそういうところなんですね。特殊部落ですから』とのべた。続けて「部落という言葉は良くないけど」と語った。」(共同通信 12月8日)

 

部落差別のきびしい岡山県の笠岡市で生まれ育った片山は「特殊部落」という言葉のもつ意味を十分理解している。

 

つまり、確信をもって、国会を常識や政治倫理が通用しない腹芸に長けた魑魅魍魎(ちみもうりょう)の輩(やから)が集住しているところにふさわしい言葉(比喩)として、「特殊部落」と呼んだのである。

 

 

■「部落という言葉はよくないけど」の弁明に表出する差別意識

 

 片山は、すぐに言い直し、「部落という言葉はよくないけど」と語ったというが、比喩的に「部落」という言葉を使うことがよくない、という弁明とは思えない。

 

たんに「部落」=悪い言葉といった程度の認識であり、これも当人の、被差別部落に対する差別意識を吐露したものに過ぎない。

 

ハッキリ言っておくが、「部落」という言葉は決して悪い言葉でも差別語でもない。たんに村落集落を意味する場合もあり、とくに(片山のように)意識しない限り、通常、村や集落を意味する言葉である。

 

 

■閉鎖的で悪の巣窟のような状況を比喩的にいいあらわす「特殊部落」

 

 それにしても驚きを禁じ得ない。

 

 「国会は特殊部落」は、超古典的で典型的な差別表現であり、過去、数えきれないほど「悪いもの」「否定されるべきもの」の喩えとして「特殊部落」という差別語を使用した差別表現が、保守・革新をとわず、知識人、政治家、メディアによって行われてきた。

 

 旧社会党の顧問格だった大内兵衛東大教授は、月刊誌『世界』で「東大を滅ぼしてはならない。大学という特殊部落」(『世界』岩波書店1969年)とのべた。

 

 また、朝日新聞および朝日ジャーナル系執筆者は、アフリカ系アメリカ人の集住地域(「黒人ゲットー」)を「特殊部落」と訳し、佐藤栄作首相の訪ベトナムに反対して羽田デモに参加した学生を「特殊部落の集団」と呼んだ。

 

 なぜ、「特殊部落」を使って表現する必要があったのか。

 

 それは、「特殊部落」という差別的言辞が、悪の集約的表現であり、百万言をついやしても言いあらわせない内容も、「特殊部落」のひとことで、十分言いあらわすことができるからである。

 

 そしてまた、「特殊部落」という言葉を聞くだけで、一般の人々は、社会意識にある部落民にたいする差別観念を呼び起こし、部落民に対する憎悪と反感をかきたてられるのである。

 

 

■「特殊部落」を使った差別表現事件

 

 

1973年 「私たちを特殊部落的に見てもらいたくない」(谷内正太郎氏、現・国家安全保障局長、日テレ「ドキュメント73」)

 

1973 「そりゃやっぱし特殊部落ですよ、芸能界ってのは」(玉置宏氏、フジ「3時のあなた」)

 

1977年 「社会党は特殊部落」(飛鳥田一雄社会党委員長、日テレ「おはようニュースワイド」)

 

1984年 「国会は特殊部落」(政治評論家・宮川隆義氏日テレ「ルックルックこんにちは」)

 

1987 「永田町は特殊部落」(早川茂三氏・元田中角栄首相秘書、日テレ「11PM」)

 

1987 「映画界は特殊部落」(映画監督・斎藤耕一、フジ「おはようナイスデイ」)

 

 

などなど、あげればキリがない。

 

各事例の経緯や解説については、拙著『最新差別語・不快語』を参照してほしい。

 

もう一つ、片山虎之助は、「部落という言葉はよくないが」と、弁明したつもりのようだが、この文脈も、過去に抗議を受けた事例がある。

 

1992 山形県で開かれた「べにばな国体」の折、山形県内の複数の市町村が、「被差別部落と同じにみられては困る」として、”部落”の地名表示を”地区”に変更するという事件があり、山形県行政が抗議されている。

 

 

■「特殊部落」という差別語を使ったから問題、なのではない

 

 ところで、片山虎之助の差別発言を報じた新聞記事を読むと、「特殊部落」という「差別用語」を使用したことが問題とされているとの認識がみられる。

 

 筆者がいつも言っていることだが、「特殊部落」という差別語を使ったから差別表現になるのではない。今回の片山発言で、「特殊部落」を「被差別部落」と言い換えても、差別表現であることに違いはない。

 

 なぜなら、被差別部落を「悪いもの」の喩えに使用して貶めていることに変わりはないからである。

 

 だが、メディア関係者には、「差別語を使ったから問題」というとらえ方をしている人が多い。

 

 それが結局は、自主規制の禁句・言い替えにつながり、差別を隠す行為となった。

 

 差別を撤廃するためにも、厳しい差別の現実と歴史性を帯びた差別語を正しく使用する必要がある。

 

 「差別と表現」をテーマにしたメディア研修での私のレジュメから抜粋し、少し整理しておこう。

 

 

■差別語と差別表現

 

 

【差別語とは】

 

差別語とは、ひとことでいえば社会的差別を受けている被差別マイノリティに対する侮蔑語のこと。

 

社会的差別とは人種、民族、宗教、性、障害、部落などに対する差別のこと。

 

個人の責任ではない社会的属性をもつ社会集団に対する排除と蔑視感情が付与された言葉である。差別語は歴史的・社会的背景をもち、現実の差別的実態を反映している。 

 

(例: 穢多、鮮人、シナ人、チャンコロ、ロスケ、ビッコ、メクラ、キチガイ、土人など)

 

  

 

【差別表現とは】

 

1922年、全国水平社創立大会の冒頭に掲げられた決議第1項が、

 

『一、吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す』

 

であったことに注目してほしい。

 

部落差別撤廃運動は、差別的言動への抗議から始まったのである。

 

差別表現とはなにか。

 

それは、文脈のなかに差別性(侮辱の意思)が存在している表現のことであるが、注意してほしいのは、次の3点。

 

差別表現は、

〆絞霧譴使用されているか否か

内容が事実か否か

0意があるか否か

とは直接関係しない。

 

 

差別表現で問われているのは、表現の差別性であって、表現主体の主観的な差別的意図の有無の問題ではない。

 

つまり、「差別しようと思って言ったんじゃない」とか「事実に基づいて書いただけだ」などは関係ないということである。

 

表現の客観性、その表現が社会的文脈の中でどう受けとられるかということ、つまり、表現のもつ社会的性格について問題にしている。

 

 

●上記,砲弔い椴磴鬚△欧討澆襦

 

「キチガイに刃物」を

「統合失調症に刃物」

 

と言い換えても差別表現であることに変わりはない。

 

同じように、

  

 「あいつは何も見えていない盲(めくら)と一緒だ」を

 

「あいつは何も見えていない視覚障害者と一緒だ」

 

と言い換えても、差別表現であることに変わりはない。

 

 

●上記◆峪実かどうかとは関係しない」について例をあげる。

 

・『週刊朝日』の橋下徹大阪市長に対する出自報道(2012年10月)で、執筆者の佐野眞一氏は、

 

 「私は間違ったことは書いていない。事実を書いただけだ」

 

 とのべているが、問題は記事の内容の差別性であって、事実か否かを問うているのではない。

 

 

 

●上記「悪意があるか否か」とは関係しないについて例をあげる

 

金美齢氏が、「士農工商、牛馬AD」という発言を行った。(2016年7月29日フジテレビ『バイキング』)

 

娘の仕事についてADの仕事のキツさを比喩的に表現したもの。

 

金さんに被差別部落を差別する意識はない。

 

しかし、差別的な比喩表現である。

 

この生番組中の事件は、局側が番組放送中に、きちんとしたお詫びと訂正を行うことによって、自主的に解決している。

 

 

【差別語の使用=差別表現ではない】

 

差別語を使用していてもそれが差別表現になるのではない。

 

たとえば次のような表現がある。

 

「わしらは昔<ドメクラ(ドエッタ)>といわれ差別されてきた」

 

要は、その言葉が使われる必然性および社会的必要性が、文脈なり作品にあるかどうか。

 

それが差別表現であるかどうかを考える鍵となる。

 

 

■差別語「特殊部落」の歴史的背景

 

 被差別部落にかんするもっとも典型的な差別語として、「穢多」「非人」「特殊部落」「新平民」「四ツ」などがある。

 

 とくに「特殊部落」という語は、「国会を特殊部落にしてはならない」など、閉鎖的で悪の巣窟のような状況を比喩的にいいあらわす場合に数多く使用されてきた。

 

そして、保守・革新を問わず著名な作家や文化人、学者、そして媒体としてのマスメディアが抗議されてきた。

 

  この「特殊部落」という言葉は、1871(明治4年に布告された、いわゆる「賤称廃止令」によって、封建的身分差別から解き放たれた被差別民とその居住地域を、あらたに“特殊(種)部落” と、官側が呼称したことに起源をもつ。

 

 それが、明治維新をへて時代がかわり、四民平等になったとはいえ、古い封建的賤視観念にとらわれていた庶民には、“普通” でない“特殊” な部落、つまり、旧来の差別的内容を包含する穢多・非人部落の蔑称として定着し、今日にいたるもなお、使用されている差別語である。

 

 (*事例出典は『最新 差別語・不快語』)

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