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第205回 長谷川豊の部落差別講演を糺す!

 

  日本維新の会から、今夏の参議院選に比例区代表で立候補予定の長谷川豊(元フジテレビアナウンサー)が、またしても度し難い差別扇動を行っていたことが判明。

 

 今度は部落差別で、ついうっかりの差別発言ではなく、確信犯的な差別憎悪扇動だ。 

 

今年の二月下旬に長谷川豊が行った選挙応援講演の動画が、五月一五日にユーチューブにアップされた。一時間半の講演を、自ら編集したものだが、その中で、「女は三尺下がって歩け」という「故事」を解説するくだりで、以下のようなエピソードを述べている。

 

 

 

●長谷川豊の部落差別発言

 

「日本には江戸時代に、あまりよくない歴史がありました。

士農工商の下に『穢多』『非人』、人間以下の存在がいると。

 

 でも、人間以下に設定された人たちも性欲などがあります。

 当然、乱暴なども働きます。

 

一族野党郎党となって、十何人で取り囲んで、暴行しようとしたときに、

侍は大切な妻と子どもを守るために、どうしたのか。

 

 相手はプロなんだから、犯罪の。もう、振り回すしかない。

 

 刀を振り回したときに、一切のかすり傷がつかないのが、二尺六寸の刀が届かない3尺です。女は3尺下がって歩け、愛の言葉です」

 

 

●ねつ造した差別フィクション

 

 意味不明の説明だが、問題はなぜこの暴漢との立ち回り場面に、被差別民、穢多・非人を設定したのかにある。

 

  長谷川は、暴力をふるい、強姦も行うプロの犯罪者集団のように語っている。

 

 しかも長谷川は、批判者に対し、5月20付のツイッターで、「かつてこのような暗い歴史があったという史実を述べることが貴殿には差別発言ですか」と反論している。

 

  この小話は、江戸時代に実際にあった事件なのだろうか。

 ハッキリ言っておこう。

 このような事実は一切ない。

 

 このエピソードは歴史的事実ではなく、被差別民を侮辱し貶める意図のもとに捏造(ねつぞう)された差別フィクションである。

 

 

●江戸時代の被差別民

 

 知っての通り、江戸八百八町・百万都市の治安と生活循環を底辺で支えていたのは、関八州の穢多頭・浅草弾左衛門配下の穢多・非人などの賤民であった。

 

 警察業務として、おもに犯罪人の探索・捕縛、牢番、処刑などの役を担っていたのが歴史的真実である。これは幕藩体制下すべての藩に共通している。

 

 江戸時代の被差別民は、長谷川がねつ造したフィクションとは真逆の存在だったのだ。

 

 

●犯罪と部落出身者を結びつける思考

 

 しかし、この小話の差別性は、虚偽だけにあるのではない。

 

 より深刻なのは、「士農工商の下に『穢多』『非人』、人間以下の存在」(、つまり被差別者と犯罪(暴漢)を結び付け、レッテルを張り、ステレオタイプ化しているところにある。

 

 *江戸時代の身分差別は、「武士・平人・賤民」で「“士農工商・賤民”」はまちがいなのだが、長谷川発言の差別性の核心ではないので、ここでは詳しくはふれない。

 

 

●ねつ造フィクションが現代の部落出身者を直撃するのは

 

 今回の長谷川豊の差別助長煽動は、江戸時代の賤民に仮託して行われているが、現在の被差別部落と穢多・非人などの江戸時代の賤民とは直結するものではない。

 

 つまり、江戸時代の賤民身分の子孫が、現代の被差別部落出身者なのではない。

 

 現代の被差別部落を血筋で語ることは誤りであるが、現代の被差別部落を穢多・非人などの賤民と結び付けて考えている世人が多いのも事実である。

 

 だからこそ、この表現は被差別部落出身者を直撃する部落差別煽動となる。

 

 現代の部落差別は、江戸時代の賤民の存在を手掛かりに土地を媒介としつつ、明治維新以降の資本主義体制の中で新たに再編・構築された近代的差別である。

 

 封建時代の差別は身分にもとづいているが、近現代の差別は“生産性”が根本にある。

 

(*昨年、自民党の衆議院議員・杉田水脈が行った「生産性」を根拠としたLGBT差別を思い出してほしい。

 生産性と部落差別について詳しく知りたい方は小早川明良著『被差別部落の真実』を読んでほしい)

 

 

 

●猟奇的事件と被差別マイノリティを結びつける発想が差別である

 

 今回の問題で問われているのは、被差別部落や在日コリアン、精神障害者など、社会的差別を受けている被差別マイノリティと、犯罪一般、とくに動機不明の不可解な猟奇的事件とを安易に結びつける思考に潜む差別観念なのだ(オウム真理教事件や神戸連続児童殺傷事件などの報道)。

 

 また個人的資質や露悪な性格を、その人間の社会的属性と結び付けて、何かを解明したかのように語る物知り顔にも差別は潜んでいる。

 

 7年前、かつて大阪維新の会の代表で大阪市長だった橋下徹氏が『週刊朝日』誌上で、その政治思想、政治政策、政治手法と権力欲について、彼の出自(被差別部落)と結び付けて論じられ、部落差別であると徹底批判された差別事件が、その典型だ。

 

 

●川崎市登戸の殺傷事件と”ひきこもり”を結びつける発想も同じ

 

 同じことは、いま問題となっている、5月28日に川崎市登戸で起きた殺傷事件(2名死亡18名負傷)の報道もそうで、“ひきこもり”と凶悪犯罪を結び付ける報道に、強い批判がなされている。

 

 

●事実かどうかではなく、差別かどうかが問題

 

 今回の差別事件を部落解放同盟が抗議しているが、これまであげた視点が弱い。

 

 同盟の抗議文には、「長谷川氏はどういう歴史的事実・資料・根拠に」発言したのか明らかにするよう求め、事実でなく「思い込みや偏見」にもとづいているのであれば「その責任は重大です」という。

 

 これではまるで、事実であれば抗議しないとも受け取れる。

 

 問題の所在は、事実かどうかにあるのではない。

 

 事実であろうがなかろうが、犯罪や否定的な事件・事象・事柄と、部落出身や在日コリアン、精神障害者、性的少数者など被差別マイノリティの社会的属性を結び付ける、その意識、発想、行為そのものが差別なのである。

 

 

●直接、抗議・糾弾を

 

 さらに、この抗議文が長谷川豊個人でなく、なぜ日本維新の会宛てなのか?

 

 維新の会に対する参議院選の公認候補取り消し要求は、二義的、副次的な問題である。

 

 長谷川は急きょ謝罪しているが、それは公認取り消しを避けるため、上辺だけの反省ポーズに過ぎない。本人を直接糾弾しない限り、長谷川豊の差別意識を糺すことはできない。

 

 そうでなければ「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担させよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」(*)と叫び続けている長谷川を免罪することになるだろう。

 

*2016年9月19日にブログに投稿、批判を受けて担当していた全番組を降板。

 2017年、日本維新の会公認を受けて政治家へと転身、2019年夏の参議院選挙に出馬を表明していた。

 

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