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第83回 古地図(古切絵図)の出版に当って(2)
 前回に引き続き、<古地図(江戸切絵図)>について書く予定でいたが、当該問題についての、80年代に私も参加して書いた古い文献を引用し、そのまま転載する。差別的な地名、賤称語などが記載された歴史的な史料(古地図含む)、文献での取り扱いについて考察したものだ。これについては、次回、詳しく解説をつけたい。

『差別表現と糾弾』(部落解放同盟中央本部編)より引用・転載
3、歴史研究・史料(辞書をふくむ) 1 歴史的史料・文献についての基本的態度

(前略)
 1968(昭和43)年から69(昭和44)年にかけてのことだが、福岡や神戸・大阪などのデパートで「穢多村」などの記載のある古地図が複製・販売されていたことがあり、私たちが糾弾したことがある。私たちは、歴史研究のために古地図が利用されたり、研究論文や史料集などに被差別部落の地名が出てくることを問題だといっているわけではないが、右のような営利の追求のためには部落民の人権をふみにじっても平気でいるという、その差別性を問題にしたのである。

 実際にその地に住み、たえず差別と背中あわせに住んでいる私たちにとって、地図や地名が軽々しく扱われることは耐えられない。丸岡忠雄の詩「ふるさと」を引用するまでもなく、まだ多くの部落民は「胸はって、ふるさとを名のる」わけにはいかない。こうした差別の現実があることを、歴史的史料や文献を扱う人たち、研究者や出版関係の人びとにも知ってもらいたいのである。この人たちが、一度でもいいから、実際に部落に足をはこんだら、部落差別は決して過去の問題ではないことがわかるはずである。

 物事を逆立ちさせてはならない。うるさくいうから問題になるのではない。問題があるから、指摘するのである。お互いに気がついた者が指摘をしあい、誰もが正しく、部落問題だけでなく、ひろく人権問題に関心をもつようになるよう、それぞれの努力を積み重ねるべきであると私たちは考える。

2 なにが、問題なのか

 歴史的史料や文献をどう考えるかは、すでに全国水平社以来からの教訓があり、この点については第一章でふれた。そのような全国水平社の時代からの考え方をふまえれば、とくに「歴史的事実として部落問題」が書かれている場合に、そのことだけで糾弾の対象となることがないのは明らかである。私たちは、いわゆる差別語を使ったというだけの理由で、糾弾したことは一度もない。糾弾を受けた側が、そのことばさえ使わなければいいだろう、と問題を歪曲して理解した例が多すぎるのである。

 歴史的史料や文献が問題になるといっても、いろいろな場合がある。

①近世の史料
 一つは、近世の史料の中に「穢多」や「非人」などの記述があり、しかもそれが具体的な地名と結びついて出てくるような場合である。たとえば、次の例は厳密にいえば近代初頭の史料だが、1985(昭和60)年に部落解放研究所が編集・発行した『史料集 明治初期被差別部落』にも、1871(明治4)年のいわゆる「解放令」以前の史料が含まれており、そこには具体的な部落の地名とあわせて「穢多」「非人」の記述が多く出てきて、その扱いについては相当慎重な配慮がなされた。結局、当該の部落解放同盟の都県連合会ないしは支部と協議して、地名を含めてその扱いを決めていったと「編集にあたって」に書かれているが、これが本来あるべき姿勢であろう。

 近世の日本に、そうした「賤民」がいたことはまぎれもない事実だし、私たちは史料や記述のなかに出てくること、そのことを云々しているのではない。ましてそうしたことばを消したり伏字にしたり、あるいはその前後を削除したりすることを、求めているわけではない。

 ただ部落問題のばあい、歴史的な史料といえども、その扱い方によっては現実にある被差別部落への差別意識、あるいは予断と偏見に容易に結びつきやすいというところに、特に注意を促さねばならない問題があるといえる。例えば、検地帳によって、ある時期、ある地域に「穢多」が住んでいたことがわかったとする。私たちが本当に知りたいのは、そこに住む人びとがなにを思い、どんな差別と直面しながら生き、歴史にどのような役割をはたしていたか、すなわちどのように人間が暮らしていたのかの実像である。ところがややもすれば、どこそこが部落だ、という「事実」だけが、興味本位にひとり歩きしてしまいかねないのである。古地図に部落が記載されているような場合もそうである。

 支配者のつくった史料だけが問題なのではない。例えば、有名な弾左衛門の由緒書には、長吏となった由来や支配する職業が書かれているが、そのすべてが真実かどうかは、疑わしい。疑わしいその史料を代々受け継いでいたことのなかに、本当の歴史の「真実」があるのだが、もし由緒書に書いてあるからといって、それをそのまま歴史の事実だといったら、大きな間違いを犯すことになるだろう。
(『差別表現と糾弾』部落解放同盟中央本部編 解放出版社 P100〜P103より引用。
*数字はアラビア数字に変更しています)
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