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第81回 「『週刊朝日』連載中止問題」と書く薄っぺらさ
■『週刊朝日』連載中止問題ではなく、『週刊朝日』差別記事問題
 『創』(4月号)に載っていた「『週刊朝日』連載中止問題とジャーナリズムのあり方を考える」シンポジウムのあまりの薄っぺらさに、憤りを感じて、 ブログには次のようにコメントを書いた。
『創』(4月号)に、2月1日に行われた、「『週刊朝日』連載中止と出版ジャーナリズムのあり方を考える」シンポジウムの、討論内容が記載されているので、目を通す。『創』編集長・篠田氏の商売っ気たっぷりのシンポジウムだが、“題”そのものが内容の貧困さを象徴している。事の本質は、「『週刊朝日』の連載中止問題と…」ではなく、「『週刊朝日』の差別記事問題と…」だろう。だからこそ、非礼にも私を途中で外したのだろうが、全く本質的な論議がなされていない。部落差別と表現の問題を論じなければ意味がない。
 シンポジウムでは、司会役を務めた『創』編集長の篠田氏をはじめ、参加者の多くが、『週刊朝日』「ハシシタ 奴の本性」がなぜ連載中止になったのか、という結果に気をとられ、その原因である差別記事の内容についての論議がまったく深められていない。

 すでに幾度もくり返しているように、被差別部落の地名を表記したことなどは、二義的・副次的な問題にすぎない。基本は「ハシシタ 奴の本性」の記事にある表現の差別性についてが討論されるべきであった。

■ポジに描こうが、ネガに描こうが、視点が差別的であれば同じこと
 シンポジウムの中で、ゲストスピーカーとして登場した佐野氏は、自らが書いた『週刊朝日』記事について、被差別部落出身者が、その貧困と差別ゆえに「就職差別を受けて、アウトローにならざるを得ないという局面を、社会的な面の方から書いていく。そのポジとネガというものを、僕は取り違えちゃっていた。」と述べ、「むしろネガの部分に光を当てて描いていけば、あの連載記事のようなものにはならなかったのではないかという気が今、しています。」と話す。

 しかし、そうではない。一言で言えば、ポジに描こうが、ネガに描こうが、その目的意識と視点の中にある差別性に気づいていないとすれば、ポジ的に描いた差別表現か、ネガ的に描いた差別表現かの違いでしかない。

 佐野氏には、『週刊朝日』に連載する予定と聞いたときに、一昨年の『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』の差別記事についての批判と分析をしたレジュメおよび資料を送っている。

 目を通されたか否かは知らないが、レジュメを読んだ上で、「ハシシタ 奴の本性」を書いたのなら、なにを言わんかやである。

 また、佐野氏は、今月初めに刊行された『ちくま』13年3月号の連載「テレビ幻魔館55」でも、「昨年秋の『週刊朝日』連載中止問題」と表現している。

■「環境が人格を規定する」環境決定論の危うさ
 被差別部落の出身者が、その貧困と差別ゆえに「アウトロー」に走ることはある。しかし、一方で、貧困と差別は、部落解放運動の闘士をも生み出すのである。

 宮崎学さんは「ヤクザの組長の息子」で「被差別部落出身者」だが、共産党を経て、作家・評論家として、一頭地を抜いている。その宮崎さんは、今回『橋下徹現象と部落差別』を出すにあたっての討論のなかで、人の人格が、その出自や生育歴など「生まれ」「育ち」で決定されるという、環境決定論的な決めつ方の危うさを、たびたび指摘している。

 『週刊朝日』「ハシシタ 奴の本性」における「DNA」→「出自(血脈)」→「被差別部落出身」→「橋下徹の人格」という単純な発想は、優生思想であり、ナチズムの人種差別的排外主義者と告発されても仕方がないだろう。

 確かに、現総理大臣の安倍晋三が、岸信介の孫であり、安倍晋太郎の子であるという“血脈”は、彼の人格と政治政策を語る上で、重要なファクター足りえるだろう。しかし、すべての人間の性格や思想を、その血脈(出自)や生育環境で語るのは無理であり、まちがいである。

 橋下徹氏も語っているように、ほとんど一緒に住んだこともない被差別部落出身の父の影響は、彼にとっては内面化されたものではなく、あくまで外的なものであり、その点について、関心を持たなかったのも事実だろう。

 なにをどう描くかは、その動機と目的意識および視点による。その頭初の時点で、何人も社会的に刷り込まされた差別意識からは自由ではありえないという原点の自覚がなければ、記事に差別性がただようのは避けられないだろう。

 今般、『橋下徹現象と部落差別』を出版して、さまざまな方から電話、メール、そして手紙をいただいた。そのなかで、一番うれしかったのは、関西地方(たぶん大阪)のお婆ちゃんからの電話での激励だった。

 それを記して、今回の原稿を停めとしたい。

<大阪の“ムラ”のお婆ちゃん>

 大阪の、70歳過ぎと思われる、お婆ちゃんから電話をもらう。「橋下徹現象と部落差別」の注文。小さな声で名前をいい、最初は言い辛そうだったが、途中から堰(せき)を切ったように、『週刊朝日』の差別記事と、橋下大阪市長について語り始めた。お婆ちゃんは、“ムラ”の出身者で、今回の件について、橋下は好きではないが、差別は許せん、と思って近所の人や解放同盟の支部に思いをぶつけたが、反応が鈍かったとのこと。中でも許せないと、口を極めたのが、“ムラ”の人間でありながら橋下市長の出自を暴いた、上原善広に対してであった。『実話ナックルズ』の時から、腹立たしく悔しい思いをしてきたという。最後は、水平社宣言の精神を忘れてはいけないと、涙ながらに訴えられた。思わずもらい泣きしそうだったが、逆に励まされ、久しぶりに感動を覚えた。
(小林健治ブログ:「ゲジゲジ日記」13年2月6日より」)
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