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第78回 論・報道の自由にかかわる憲法第21条改正問題 その2
■憲法第21条改正がはらむ問題
 憲法第21条が掲げる“表現の自由”が優越的地位にあることは、欧米各国でも認められている基本的人権の基礎をなす権利である。しかし、私は連載75回でこのように述べた。
欧州人権条約の「第10条〔表現の自由〕1)すべての者は、表現の自由についての権利を有する。」が優越的地位にあることを認めている。しかし、同じ第10条の2には、表現の自由の行使については、以下のように制限をもうけている。

2) 1の自由の行使については、義務および責任を伴い、法律によって定められた手続き、条件、制限又は刑罰であって、国の安全、領土の保全もしくは公共の安全のため、無秩序もしくは犯罪の防止のため、健康もしくは道徳の保護のため、他の者の信用もしくは権利の保護のため、秘密に受けた情報の暴露を防止するため、または司法機関の権威および公平性を維持するため民主的社会において必要なものを課することができる。

 つまり「表現の自由」の名の下に、無秩序、無責任な言動は許されず、無制限ではないことを定めているのである。もっと言えば、「表現の自由」は人を殺す自由がないのと同様、内在的に他者の権利を侵害し、傷つけることを許容していないのである。
 この欧州人権条約を受けて、加盟各国は独自に差別禁止の国内法を立法化し、条約の具体化を実行している。
(「第75回 ヘイトスピーチ[差別発言・憎悪発言](2)」より)
■「表現の自由」を制限する“目的”に要注意
 従来、第21条との関係で“表現の自由”が制限される根拠の一つとして、憲法第13条の「(個人の尊重と公共の福祉) すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」が害される場合としてきた。

 それを、先に見た自民党「改正草案」では、表現の自由(言論・報道の自由)を制限する目的を、「公益及び公の秩序を害する目的の活動」としている。その説明として、「日本国憲法改正草案Q&A」のQ14で、次のように答えている。
【Q14「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えたのは、なぜですか?】

【答】 従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。そのため学説上は「公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限って、その権利行使を制約するものであって、個々の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではない」などという解釈が主張されています。
今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。
なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません。
(「日本国憲法改正草案Q&A」)
 つまり、Q14の答えは、社会の領域における私人間の利害の衝突にとどまらず「個々の人権を超えた公益」=国家的利益を害する行為に対しても、個人の権利を制限するということを意図したものである。

 <「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。>とわざわざ明記しているところに、袖の下から鎧が見えている。

■憲法学者の責任も重い
さらに、【Q19 その他、国民の権利義務に関して、どのような規定を置いたのですか?】の項(2)で、次のように答えている。
【答】(2)公益及び公の秩序を害することを目的とした活動等の規制(21 条2 項)

オウム真理教に対して破壊活動防止法が適用できなかったことの反省などを踏まえ、公益や公の秩序を害する活動に対しては、表現の自由や結社の自由を認めないこととしました。内心の自由はどこまでも自由ですが、それを社会的に表現する段階になれば、一定の制限を受けるのは当然です。
なお、「公益や公の秩序を害することを目的とした」活動と規定しており、単に「公益や公の秩序に反する」活動を規制したものではありません。
 「秩序を害する」活動と「秩序に反する」活動のどこがどう違うのか、まったく説明がない。つまり、誰が、何を根拠に「害する活動」と「反する活動」を判断するのか、まったく不明瞭であり、主観的意図でどうとでも解釈できる。それこそ「意味が曖昧」である。

 “表現の自由”(言論・報道の自由)が、無制限・無秩序・無責任な言動を許していないことは自明のことである。しかし、“表現の自由”の名の下に憲法第21条の優位性を強調するのみで、これまで憲法第13条の「個人の尊重と公共の福祉」を軽視してきた結果が、今回の「日本国憲法改正草案」に色濃く反映されているのである。

 批判すべきは、政府、自民党であるのはもちろんだが、“表現の自由”と“差別表現”の問題に関心を持ってこなかったが故に、つけこまれる隙を与えた憲法学者の責任も、また重い。

 基本的人権は、なによりも国家権力の個人の人権に対する侵害に対して確立された権利であり、私人間の争いは二義的なものにすぎない。「公益及び公の秩序」の名の下に、基本的人権の中核をなす“表現の自由”を規制することは許されない。
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