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第73回 ヨイトマケの唄」はなぜ「放送禁止歌」となったのか
■大晦日に響いた「ヨイトマケの唄」
 昨年末の大晦日、恒例のNHK紅白歌合戦で注目すべき歌が披露された。「ヨイトマケの唄」である。この歌は、美輪明宏さんが作詞作曲し、1965〜6年にかけて大ヒットした「労働歌」である。

 しかし、歌詞の中にある「土方」という言葉が差別的だとして、民放テレビ局が放送を避けてきた経緯がある。(NHKは、放送を自粛していないという)。

 解放出版社で、『放送禁止歌』(森達也著 2000年)を作ったときも、この歌の歌詞を全部載せて、何がどう問題なのかを提起している。いわゆる日本民間放送連盟が定めた“要注意歌謡曲”(いわゆる放送禁止歌。1988年に制度としてはなくなっている)に指定されたため、民放では放送されなかったと言われているが、部落の辛い差別の現実を託した「手紙」や「竹田の子守唄」同様、特別に指定された形跡はない。では、なぜ“要注意歌謡曲”(放送禁止歌)とされてきたのだろうか。

 それは、先に述べたように、歌詞の中にある「土方」という言葉が差別的であると同時に、当時の「日雇い労働者」について歌っていたことも、放送自粛の原因になったと『放送禁止歌』で森達也は指摘している。

 「ヨイトマケ」、広辞苑で引くと<「よいとーまけ」重い物を滑車で上げ下げしたり、網で引いたりする動作を、大勢で一斉にするときの掛け声。転じて、そのような労働、主に地固めなどの仕事を日雇いでする人。>とある。

 確かに、土木工事に従事する「日雇い労働者」を“土方”とさげすんで呼べば差別的だが、“土方”そのものは、いわゆる「差別語」と言われる言葉ではない。「ヨイトマケの唄」を聴いて、この“土方”という言葉を差別的に感じる人はまずいない。むしろ、苛酷な労働を主体的に表現する最もふさわしい言葉であると思う。にもかかわらずなぜ民放は、この「ヨイトマケの唄」の放送を自粛したのだろうか。

 1965〜6年にかけて大ヒットしたこの歌が、70年代以降テレビで歌われなくなったのは、間違いなく解放同盟などの差別表現糾弾の取り組みに、怖れをなした民放の自主規制に依るだろう。しかし、解放同盟を含め、全日自労も、この唄に抗議したという事実はない。「手紙」や「竹田の子守唄」と同じく、差別語と差別表現の問題に一知半解な、マスコミの思想的脆弱性の成せる業、と言ってよい。


■解放同盟が常に問題にしてきたのは「言葉」ではなく、「表現の差別性」だ
 当時も今も、部落解放同盟が問題としてきたのは、言葉ではなく“表現の差別性”である。多くの差別表現が、差別語とともに語られ、書かれてきたところから、差別語の使用=差別表現とみなされ、一方では、差別語を言い換えて、事をすまそうという態度と、他方、差別語そのものの抹消、つまり文脈すべてを消し去ることによって、事に対処してきた歴史的経緯がマスコミ業界にある。言い換えと抹消である。(くわしくは『差別語・不快語』参照のこと)

 昨年の『週刊朝日』差別記事事件のときも強調したことだが、抗議はつねに具体的に提起され、おこなわれている。一言すれば、表現の持つ差別性についての抗議であって、個人のルーツ(血脈)をたどったり、詮索したことが問題なのではなく、悪意を持ち、その個人を貶める意図を持ち、違法な身元調査までして、当人のルーツ(血脈)をさぐり、社会的差別の現実を無視し、記事にしたところに差別性があるのだ。

 このことが理解できないから、「人間の出自について何も記せないとしたら……松本治一郎とか全部出せなくなる」として、「言論圧殺の危惧を持つ」とか、言葉狩りなどという的外れな論評をおこなう学者・文化人がでてくるのである。

 改めて思うのは、事実であるか否か、差別語であるか否かが問題なのではなく、問われているのは、表現の差別性であり、あれこれの事実関係や言葉の問題ではない。

 そして、社会的差別を受けているマイノリティに属する人について記事にする場合の、合理的配慮の問題である。

 「ヨイトマケの唄」からだいぶ筋違いの話のように思えるかもしれないが、安易な自主規制も『週刊朝日』差別記事も、問題の根は同じと言わねばならない。
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