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第70回 週刊朝日』に対する橋下徹氏の抗議の意味(3)
■記者らの手法は身元調査であり、違法行為ではないのか
 『週刊朝日』の取材方法が、だんだんあきらかになりつつある。また全国の「橋下」姓の人たちのなかにも、動揺がでてきているという。

 今回の記事も、2011年10月の『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』もみな同じだが、とくにネタ元になった『新潮45』と『週刊朝日』の取材方法が、その悪質さ(犯罪性)において、同列であったことがあきらかになっている。

 大阪の八尾市安中地区や東淀川区の飛鳥地区に興信所、探偵社のごとき感覚で、橋下徹氏の縁者と「橋下姓」の人々を、一人ひとり調べあげるといった、身元調査(これは違法である)をしていたことは、すでに幾度も述べた。

 今回あきらかになったのは、それ以外の地域においても、古地図を頼りに地区を探し当てたり、今NHKが、抗議されている過去帳まで調べあげて、橋下氏の先祖を確定するような、陰湿な身元調査を、上原善広と『週刊朝日』がおこなっていたことである。

 目的のためには手段を選ばないという考え方がある。それは主観的に正しいと思う目的を達成するためには、客観的に違法(悪どい)とされる行為、手段であっても、目的実現のためには許されるという論理だが、現代では倫理に反する行為として批判されている。それは、甘えた考え方であり、今日では、まったく社会的に否定されている。
 「地獄への道は、善意で敷き詰められている」という言葉があるが、それはあくまでも意志の中に主観的な善意があるという前提の言葉であり、今回のような身元調査にはあてはまらない。

 あえて言えば、今回の上原らによってなされた行為は、「地獄への道は悪意で敷き詰められていた」とでも言うべきであり、その目的においても手段においても、一切正当化できない差別意識に満ち満ちた犯罪行為ということである。
 明確にしておかなければならないのは、手段(過程)の民主性・倫理性は、目的の正当性を担保するということであり、今回のように目的もいかがわしく、手段も不当であるような行為に対しては、徹底糾弾あるのみである。


■佐野眞一氏の無自覚な差別意識―月刊『創』(2013年1月号)特集を読んで
 月刊『創』2013年1月号が、前号に引き続き「『週刊朝日』連載中止と差別表現」を掲載している。

 編集長の篠田さんの文章は、前回とは違い、事の本質にせまっている、読み応えのある内容だが、「連載中止」と佐野眞一氏に対する評価の甘さが気になる。

 一方、筒井康隆氏の断筆宣言をめぐって、何度か会話をかわした、元社団法人日本てんかん協会常務理事の松友了さんの一筆は、さすが被差別マイノリティの視点に貫かれた怜悧な文章で必見。

 それに比して、当事者の佐野眞一さんのインタビューからは、うわべだけの反省としか思えない心情が行間から読みとれる。

 結論部分の

私の記事に対する批判は勝手ですが、連載1回目であれこれ言われるのは心外です。「日本維新の会」の支持率や、コメンテーターの無責任な意見など、まわりの雑音に惑わされず、もう少し冷静な目で記事を読んでほしかった。そうすれば、彼の危険な本質がわかったはずです。一部過激な表現があったことは認めますが、あの記事には少なくとも事実関係として間違ったことは一つも書いていない。

という一文は、今回の問題の本質を何一つ理解していないことを、はしなくも証明している。

 問われていたのは、被差別部落出身者という“事実”関係ではなく、「彼[橋下氏]の危険な本質」と被差別部落を結びつけた点である。つまり、部落出身ということと人格とを結びつけ、すべての被差別部落民をおとしめようとした行為にある。つまり、“事実”ではなく、“表現の差別性”が問われていたのだ。

 これは、他の被差別部落出身者の中には尊敬できる人もいると書くことによって、なんら免罪されるものではなく、むしろ、そのような発想自体の中にも、色濃く差別意識が読みとれるのである。
 こんな認識レベルで、あれこれ、メディアに出て自己弁護する行為は、単なる恥のうわぬりだけでは済まなくなる怖れがある。
 
 『橋下徹現象と部落差別』を熟読し、一から勉強してほしい。
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