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第67回 橋下徹に関する『週刊朝日』10月26日号の記事について(6)
 今週も引き続き『週刊朝日』(10月26日号)問題について書く。前回、この事件をめぐるジャーナリズムおよび“朝日新聞的有識者”の見解について述べた。さらに今回は、週刊誌記事発売後に出された論評やコメントについて、問題点を指摘しておきたい。

 11月12日に朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」から『週刊朝日』問題についての「見解」と「経過報告書」および「見解」を受けての朝日新聞出版代表・篠崎充氏と執筆者・佐野眞一氏の「見解とお詫び」が出された。

 「見解」と「経過報告書」には若干の誤解と事実認識のズレがあるものの、おおむね「了」とできる内容である。しかし、執筆者・佐野眞一氏の「見解とお詫び」には誠意が感じられない。このことについては、次号でふれたいと思う。

 今回は、第64回で上原善広のコメントを批判した中に、1965年の「同和対策審議会答申」について記したが、もう少しくわしく説明してほしいという声があったので、まずその質問に答えておきたい。

■同和対策審議会答申――部落差別は単なる観念の亡霊ではない
 第64回で、「……同和問題とは心の問題であり、精神の問題なのです」という上原の発言に対し、「1965年に出された国の『同和対策審議会答申』以下の、無知そのもの」と書いた。

 「同和対策審議会答申」とは、1965年、佐藤栄作内閣の下に出された国の同和問題についての基本指針のこと。1960年から5年間にわたって審議されたこの「答申」は、前文に同和問題を「人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である」と認識し、「その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」と宣言した、画期的な内容を持っている。

 そして、「第一部 同和問題の認識」のなかで、次のように述べている。
「いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」

「すなわち同和問題は、日本民族、日本国民のなかの身分的差別をうける少数集団の問題である。同和地区は、中世末期ないしは近世初期において、封建社会の政治的、経済的、社会的諸条件に規制せられ、一定地域に定着して居住することにより形成された集落である。」

 このように同和問題の本質を明らかにしている。そうして、次のように続けている。

「実に部落差別は、半封建的な身分的差別であり、わが国の社会に潜在的または顕在的に厳在し、多種多様の形態で発現する。それを分類すれば、心理的差別と実態的差別とにこれを分けることができる」

「心理的差別とは、人々の観念や意識のうちに潜在する差別であるが、それは言語や文字や行為を媒介として顕在化する。たとえば、言語や文字で封建的身分の賤称をあらわして侮蔑する差別、非合理な偏見や嫌悪の感情によって交際を拒み、婚約を破棄するなどの行動にあらわれる差別である。実態的差別とは、同和地区住民の生活実態に具現されている差別のことである。」

「このような心理的差別と実態的差別とは相互に因果関係を保ち相互に作用しあっている。すなわち、心理的差別が原因となって実体的差別をつくり、反面では実態的差別が原因となって心理的差別を助長するという具合である。そして、この相関関係が差別を再生産する悪循環をくりかえすわけである。

すなわち、近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住および移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民にたいしては完全に保障されていないことが差別なのである。」

「以上の解明によって、部落差別は単なる観念の亡霊ではなく現実の社会に実在することが理解されるであろう。」

(『同和対策審議会答申』1965年8月1日)

 「答申」においては、心理的差別と実態的差別を単純に割り切っていて、社会システムとして、つまり構造的差別の分析にまでは至っていない弱さを持つものの、この「答申」を闘いの武器として、戦後の部落解放運動が燎原の火のごとく燃え拡がったのである。

 ここに明言されているように、「部落差別は単なる観念の亡霊ではない」のである。つまり、「心の問題であり、精神の問題」などという「心の持ちよう」の問題ではなく、現実の社会に、意識(主観)とは独立して、客観的に「実在」する社会的差別なのである。

■有識者の困惑

次に、『週刊朝日』の記事を支持ないし擁護した、少なくない有識者の困惑について書いていきたい。
「今回の件でジャーナリズムが萎縮し、被差別部落問題をタブーにしてはいけない」
「野中広務や松本治一郎の人物像を描くときも被差別部落問題にふれることはダメというのか」
「出版・言論・表現の自由の抹殺につながる危惧を持つ」

 このような意見が、支持・擁護する人たちに散見されるが、これらの考え方の誤謬(ごびゅう)について見ていこう。

○誤謬その<1> 「今回の件で被差別部落問題がタブーになってしまう」
 はじめに断っておくが、永い間、部落問題(部落差別)をタブーにしてきたのはマスメディアの方であって、なにか書いたり表現したときには、たいてい“悪の代名詞”的に「特殊部落」などの差別語とともに語られ、記事化され、表現されてきたという歴史的事実を忘れてはならない。

 多くの場合、部落解放同盟の抗議・糾弾によって、記事や報道の差別性が明らかになり、その取り組みによって、1970年代にやっと部落差別の実態が可視化され、記事になり、報道されてきたのであって、その逆ではない。

 週刊誌に限って言えば、戦後、最初に部落問題を取り上げ、特集を組んだのは連載第63回でも書いたように、奇しくも『週刊朝日』(1956年9月)の「部落を解放せよ――日本の中の封建制」である。

 たしかに嚆矢(こうし)ではあったが、この特集にしても、その年(1956年)の1月に起きた朝日新聞本紙差別表現事件糾弾(*)を受けてのことであった。
  (*1956年1月、小説家の石上玄一郎が本紙文化欄に書いた「文壇には、特殊部落的偏狭さが満ち満ちている」と記述した)

 自主的に部落問題を誌面化したのは、当時100万部の発売数を誇っていた『週刊ポスト』の「部落差別 許すまじ!」(89年9月22日号)の特集であったことは、関係者の知るところである。

 その後、1990年代に『週刊ポスト』のみならず『週刊現代』、『週刊文春』そして、月刊誌上でも、幾度も部落問題が取り上げられている。もちろん、その間にも差別表現事件で各社とも抗議を受けているが、上記の週刊誌の積極的な姿勢は、現在も続いている。

 当然のことであるが、部落問題(部落差別)を真面目に取り上げ、記事にし、報道しても、賞賛されこそすれ、抗議されることはない。他方、今回の『週刊朝日』や上原善広のように、差別記事を書けば抗議・糾弾され、社会的制裁を受けるということである。

 要は、なにを書いても“タブーに挑戦”として許されると考えている一部のジャーナリスト、さらに有識者の知力の低下と思想的劣化にこそ、問題の本質がある。

 「今回の問題で、ジャーナリズムが萎縮して部落問題にふれられなくなってしまう」というのは、杞憂にすぎないし、現に多くのメディアが今回の問題を取り上げ、積極的に紙(誌)面を提供している。

■『週刊朝日』差別記事事件によって、あらわになった「知識人」の思想的劣化
 今回の事件で特徴的なのは、『週刊朝日』の記事の評価をめぐって、一部の文化・知識人とジャーナリストの思想的劣化が、逆に“現象化”し、“可視化”されたことだろう。

 その特徴的な出来事が、上原が2011年『新潮45』に書いた差別記事「『最も危険な政治家 橋下徹研究』 孤独なポピュリストの原点」に“編集者が選ぶジャーナリズム賞”が与えられたことだ。

 部落問題や部落差別の現実を、特定の地区や個人の名前をあげつらうことなく、一般的に書くことは、いくらでもできる。個別具体的に地区名や個人名が特定される場合には、格段の配慮をもって、まずは当事者に直接取材し、その許諾を得て記事にし、報道すべきなのは、差別問題、人権問題を対象とする場合、当然の取材姿勢だろう。手抜きしたり、手続きを踏まえない安易な報道、それも“差別を商う”かのごときの感覚で、誌(紙)面化すれば、社会的な指弾を受けるのは避けられない。

 くり返し言っておくが、今回の事件で部落問題がタブー視されることはない。それは浅薄なジャーナリストと有識者なる人のたわごとにすぎない。より真っ当な記事と報道は現にふえていることが、それを証明している。
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