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第100回 麻生副総理の「ナチス正当化」発言は国際的非難をまぬがれない
 夏期休暇中、とんでもない発言を、インターネットを通じて知った。麻生太郎副総理の憲法改正にかかわっての「ナチス発言」である。

■「ナチス正当化」発言に国際的非難
 麻生は7月29日、都内で開かれた国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の月例研究会で、次のように発言したという。
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」
 発言内容が報道されると同時に、諸外国、とくに韓国、中国を始めアジア諸国から批判の声が上がった。さらに、アメリカのユダヤ人人権団体として名高いサイモン・ウィーゼンタール・センターは、すぐさま反応し、次のように批判声明を出し、「真意を明確に説明せよ」と求めている。(報じたのは8月1日付『朝日新聞』)
「どんな手口をナチスから学ぶ価値があるのか。ナチス・ドイツの台頭が世界を第2次世界大戦の恐怖に陥れたことを麻生氏は忘れたのか」
「また、ドイツの週刊紙ツァイト(電子版)は31日、『日本の財務相がナチスの改革を手本に』という見出しで発言を伝えた。同センターなどの反応を伝え、『ナチスの時代を肯定する発言で国際的な怒りを買った』とした」
(8月1日『朝日新聞』)
■麻生を徹底糺弾しない日本の政治家の不見識
 筆者は、副総理と財務相の辞任にとどまらず、自身の議員辞職を含め、安倍内閣の存亡にかかわる重大かつ深刻な政治的舌禍事件と思い、成り行きを注視していた。
 麻生は国際的な批判に狼狽し、8月1日に「(発言が)私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾だ」として、発言を撤回した。しかし、発言を撤回したからといって、発言の持つ政治的価値観と歴史認識が消えたわけではない。「私の真意と異なり誤解を招いた」と麻生は弁解しているが、ナチス的手法を礼賛する麻生の真意は十二分に伝わっているのであり、表面的な「遺憾」表明などなんの意味もない。
 新聞各紙も、『毎日新聞』の8月2日付社説をはじめとして、単にうわべだけの撤回ではなく、発言の背後にある歴史認識と政治思想について、徹底批判している。
 しかし、発言に対する弾劾が期待された臨時国会では、圧倒的与党の自民党に、「ナチス発言の審議要求を一蹴」され、その後、民主党をはじめとする野党が、この問題で、強い行動を起こした形跡はない。
 さらには野党のひとつ、日本維新の会共同代表の橋下徹氏は、麻生の暴言について、次のように述べた。
「ナチス・ドイツを正当化したような、そんな趣旨では全くない。国語力があれば、そんなことはすぐ分かりますよ」
「むしろ、ナチス・ドイツを否定している趣旨なわけで。ちょっと度のきつかったブラックジョークというところもあるんじゃないですか」
記者に「国際社会ではナチスにたとえること自体が問題視される」と突っ込まれても、
「政治家だから、こういう批判が出るんでしょうね。エンターテインメントの世界とかではいくらでもありますよ」
(8月2日『日刊ゲンダイ』)
 橋下氏はこのように平然と応えている。なんという軽薄さ、なんという鈍感さであろう。
 差別表現の大半が、被差別マイノリティ集団を悪いもの、否定的なものの“たとえ”として、引き合い出されていることは、すでに周知の事実である。“たとえ”でナチスの手法を正当化することは、ユダヤ人を始めとするホロコーストを容認し、犠牲者を冒涜する国際的な暴言であることが、まったくわかっていない。
 橋下氏の言をよしとするなら、2010年12月、イギリスの公共放送局BBCが、お笑いクイズ番組内で広島と長崎で2度被爆した、山口疆(つとむ)さんを「世界一運が悪い男」などと、ジョーク交じりに紹介したことを、「ブラックジョーク」として済ますべきであり、在英日本大使館が抗議したことも、過剰反応ということになる。
 このとき、山口さんの遺族で長女の山崎年子さんは、「(父のことを)核保有国の英国に『運が悪かった』で片づけられたくない。家族のなかでは2度の被爆を『運が悪い』と笑いながら話したことはあるが、むごい記憶や後遺症を乗り越えるために笑い話にしたのであり、人(他者)から笑われるのは意味が違う」と憤っている。「BBCはぜひ、父の記録映画を見て被爆者がどんな思いで活動しているか知り、放送してほしい」(朝日新聞2011年1月22日)と、当事者性を抜きにしてジョークを語るおろかさを指摘している。
 「慰安婦」発言の時もそうだが、橋下氏に決定的に欠けているのは、被害者の怒りや悲しみ、苦しみの感情に対する配慮であり、当事者の心情を忖度する感性の欠如である。

■日本の“常識”は世界の“非常識”
 話をもどすが、なぜ日本では、これほどあからさまなナチスの正当化や、ホロコースト被害者であるユダヤ人(ロマ、同性愛者、精神障害者)に対する配慮が欠けているのであろうか。
 数年前、出版・人権差別問題懇談会で、ニューヨーク市立大学の霍見芳浩教授を招いて講演を行ってもらったことがある。話の冒頭で、教授は、講演会場の如水会館に来る前に寄った神保町の大手書店について話をした。その大手書店には、ユダヤ人陰謀論をメインにした棚があり、欧米ではありえないその光景に霍見教授は非常に驚いたという。同時に、日本人のユダヤ人問題、ひいては、国際的な人権問題についての認識の浅さと低さに時間を割いて語った。
 教授いわく、もし欧米の書店が、この神保町にある大手書店のような棚を作ったとすれば、即座に営業停止に追い込まれるであろう。
 日本では常識として「通用」しても、世界の人権水準からすれば、それは単に日本の非常識を露呈しているに過ぎず、国際的批難はまぬがれない。実際に、ドイツでは、ナチスを肯定するような発言を公然とした場合、違法行為となり、懲役や罰金が科される。
 今日の世界の人権規範の基準は、いうまでもなく第2次世界大戦の痛烈な反省から生まれた、世界人権宣言に体現されている。
 その目指す方向・内容・特徴を具体化したのが、以前にも書いたように、国際人権規約(1976年発効、日本は1979年批准)、人種差別撤廃条約(1963年採択、日本は1995年加入)を始め、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、そして、障害者の権利宣言など、23にものぼる国連の人権条約に具現化されているのである。
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