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第40回 京都・祇園の交通事故とてんかんについて
 4月13日(金)に、京都・祇園で起きた暴走事故は、7人が死亡、11人が重軽傷を負うという、痛ましい惨事となった。この事件に関わって、てんかん患者に対する、世間の風当たりが強い。運転免許所得・更新時に、てんかんの症状(二年以内に発作が起きていないことが所得の条件)について、虚偽申告している点を指摘し、過去の事故被害者遺族などが、免許所得時の「欠格条項(てんかん患者を含む)」の法改正を国に要請している。

 この事故被害者遺族の中には、昨年4月に栃木県・鹿沼市で起きた事件(登校中の小学生の列にクレーン車が突っ込み6人が死亡した痛ましい事故)の遺族も含まれている。

 差別表現とのかかわりで言えば、1993年・筒井康隆氏が断筆宣言する契機となった、小説『無人警察』に対する日本てんかん協会の抗議が世間の耳目を集めた。

 「異常波をだしている者(てんかん患者のこと 著者註)は、発作を起こす前に病院へ収容されるのである」という小説内の表現に抗議した日本てんかん協会に対して、筒井氏は次のように反論している。
「(略)是非ご理解戴きたいのは、てんかんを持つ人に運転をしてほしくないという小生の気持は、てんかん差別につながるものでは決してないということです。てんかんであった文豪ドストエフスキーは尊敬するが、彼の運転する車には乗りたくないし、運転してほしくないという、ただそれだけのことです。」
 この筒井氏の反論に対しては、「欠格条項に見える障害者へのまなざし」と題して、すでに『差別語・不快語』の中で以下のように批判している。
「欠格条項」(身体・精神上の障害を理由として資格・免許を交付しなかったり、一定の行動を制限する法律。とくに精神障害者を対象としたものが多い)により、自動車の運転など、社会生活上必要な手段を奪われている人から、強い批判がなされています。その批判の主眼は、障害者の社会権・交通権にかかわる問題です。運転免許交付の原則は、身体障害や精神障害の有無に関係なく、その人自身が安全運転できるか否かを基準にすべきであり、「保安処分」的観点から判断すべきではありません。注意力散漫で気性が荒く、危険な運転をする人、また、何度も飲酒運転や居眠り運転をくりかえす人などは、身近に少なからずいます。事故は、障害や病気の有無にかかわらず、過労による居眠りや注意力散漫によって日々起きている事象です。なぜ、障害や病気をもつということだけで運転免許を制限されるのでしょうか。ここに差別的な予断と偏見をみないわけにはいきません。悪質な運転者に対する罰則強化と、障害や病気をもつ人への免許制限は、まったく別の事柄です。免許試験に合格した者には、一律に免許を交付すべきであり、障害や病気をもつ人の運転は、その人自身の判断(セルフ・コントロール)にゆだねるべきです。健常者であっても、運転中に突然、心筋梗塞や脳卒中の発作を起こす可能性があることはよく知られています。それを理由にして、心臓病や高血圧の人から免許をとりあげたりするでしょうか。すでに欧米では、障害や病気の有る無しにかかわらず、個人の権利として自動車運転免許の問題を考えています。先の筒井氏の反論は、一見なるほどと納得しそうですが、実は事の本質からズレているといわざるをえません。

(『差別語・不快語』より)
 問題は、てんかん患者に対する免許所得制限を強化することではなく、「薬をきちんと飲み、体調管理をして発作を抑えれば、このような事故は防げる」(日本てんかん協会関係者)ことを、患者や家族、そして周囲の人が理解することである。

 もちろん、被害者遺族の気持ちがわからないわけではない。重要なことは、しかし、なぜ一部ではあれ、てんかん患者が、その病を免許所得・更新時に申告していないかについて、思いをめぐらすことだ。一言すれば、その事実公表によって、社会的差別を受ける現実があるからだ。「祇園暴走 殺人容疑で捜索」(4月14日付、朝日新聞朝刊)する、京都府警の強制捜査は、てんかん患者を医学や福祉の対象としてではなく、取締りの対象としてみる、保安処分的観点以外の何者でもない。

 この件に関して、NHKニュースウォッチの井上あさひアナウンサーは、てんかん患者に対して社会的偏見があるとの視点から、短絡的で性急な判断と行動は、問題の解決を遠のけるのでは、と疑問を呈していたが、的確な報道姿勢だと思う。
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