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第38回 橋下徹バッシング報道から再び部落差別を考える(7)
 第七回目の今回は、前回に引き続き『週刊新潮』『週刊文春』両誌の記事に対して批判をおこなった『女性セブン』やそのほかの雑誌記事を見ていきたい。

■『女性セブン』(12月1日号、小学館)
<橋下徹前大阪府知事を激怒させた同和問題の真相>と題された特集は、女性誌という枠にとらわれない画期的なものだった。
しかも、両誌編集部に取材を敢行し、回答を載せている。『女性セブン』の取材に対する両誌の回答は、下記のとおり。
《橋下氏は府知事選に出馬した時から、「自分は同和地区で育った」と街頭演説や議会でも発言しています。公人であり、政治家の発言は当然ながら、それなりの意味を持ちます。それを差別的に報じるならば問題ですが、ただ出自について書いたからといって、公人チェックの限界を超えているという批判は当たらないと思います》(『週刊新潮』)

《記事に書いてあることがすべてです》(『週刊文春』)
 週刊新潮側の回答は、「それを差別的に報じるなら問題ですが」に集約されている。「差別的に報じた」からこそ抗議をされているという自覚がない。単に「出自」について触れているだけでなく、それを焦点化し、クローズアップさせ、スキャンダル的に報じる手法が差別だと抗議されていることを自覚していない。しかも、選挙という公正中立が要請される社会状況の中では部落差別を利用した悪質な差別的ネガティブキャンペーンとなるという自覚も欠如していると言わざるを得ない。
一方、週刊文春の回答は、記事の社会的責任を回避している点で、『週刊新潮』以上に問題といわねばならない。

また特筆すべきは、『女性セブン』は部落解放同盟の大阪府連合会にまで取材を続けていることだ。今回の両誌の火付け役として、一連の差別的週刊誌報道に、陰に陽に関わっている売文屋・上原善広が、
<ぼくは同和だから隠すというのには反対で、そういう信念もあります。隠すことによって“路地(作家・中上健次が用いた表現で、被差別部落のこと―著者註)”のいまが知られないまま、差別だけが歴史的に残っている。暴露によって関心を引くのはたしかに低レベルです。でも、この問題は低レベルか高レベルかを問う前に、まず問題が存在していること自体を広く知ってもらう必要がある。>
と述べていることに対し、前述の部落解放同盟の大阪府連書記長で中央執行委員の赤井隆史氏から、
<同和地区がいかにひどい差別を受けているかを伝えることは確かに重要です。しかし、記事が“同和地区=恐ろしい”といった偏見に基づいている場合、新たな差別を生むだけで逆に差別の再生産の役割を担ってしまう。同和問題を広く知ってもらうためといっても、個人の出自を暴く必要はないと思います>
と、上原善広の戯言を一蹴する言葉を引きだしている。
今回の、『週刊新潮』・『週刊文春』の一連の差別広告と記事の背後に、この“自称”部落出身者・上原善広の差別的言動が、免罪符的に使用されていると考えると、この記事は価値がある。

全体に女性読者を意識して、部落問題の解説や結婚差別をはじめとする部落差別の実態、そして部落解放運動についてまで、わかりやすい説明を付し、一連の週刊誌報道の中でも白眉といえる内容だった。

■その他の雑誌報道
 その他にも、月刊『WILL』(2012年1月号)に、「自らも被差別部落出身者」であることを公言している宮崎学さんが、「橋下徹前大阪府知事の出自を暴く異常」と題して、一文を寄せている。

 宮崎さんは言う。「たしかに、不祥事があれば叩けばよい。しかし、出自と不祥事は全く別の問題である」。それは、「出自に関する問題は、相手に抗弁権が一切ないからである」と主張する。
 さらに、

<僕は解放同盟に対して、運動の原点を厳しく批判してきたが、解放同盟から文句を言われたことはほとんどない。それは、相手に抗弁権のないことでは決して批判しなかったからでもある。
 人間が生きていくうえで自分の力ではどうしようもない運命、出自まで叩く材料にするというのは、足元をすくう非常にいやらしい批判であり、ジャーナリズムとして完全に間違っている>
と述べ、上原についても「しかし、それを何らかの隠された違法性を暴くわけでもなく、単に他人の出自を――たとえそれが公人であろうと――書き立てるのはいかがなものか」と、きつく戒めている。

 そして、
<「権力を握り、独裁者になると過激に宣言したのは誰だったか。そんな為政者に対し、メディアが監視を強め、その苛烈な言動の源泉を追うのは当然ではないか」(『週刊新潮』11月10日)と書くが、記事は隠された違法行為性を暴くわけでもなく、表面的な一次情報の羅列にすぎない>
と批判し、「『週刊文春』と『週刊新潮』という二大週刊誌が同時に出自に関する記事で相手を叩くという事態を、まさに週刊誌ジャーナリズムの崩壊を示唆した最も悪しき報道」であると指摘し、両誌に猛省を促している。

 その他、『サンデー毎日』などが、仰々しく取り上げているが、一顧だに値しないものばかりなので割愛する。

 このように、今回の報道後に同じ雑誌ジャーナリズム同士が相互批判を行ったことは、いままでのメディアにおける差別事件にはない現象であったように思う。『週刊新潮』『週刊文春』の記事は極めて重大な部落差別にかかわる差別表現だが、こうした一連の動きは雑誌ジャーナリズムの健全性をあらわしていると言えるだろう。
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