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第33回 橋下徹バッシング報道から再び部落差別を考える(2)
 先週に引き続き、この問題について考えてみたい。第2回目の今回は、まずは『新潮45』の記事を取り上げ、なにが差別なのかを考えてみたい。

・『新潮45』(2011年11月号)特集:「最も危険な政治家」橋下徹研究

 この特集で問題なのは、「孤独なポピュリストの原点」と題された上原善広の文章である。
この駄文の狙いは、「危険な政治家」橋下徹の性格や政治手法を、興味本位に被差別部落と結び付けて論じるという一点にある。「橋下の生い立ちに深くかかわるこの二つの謎を解くことで、彼の政治家としての本質に迫ることができる」と冒頭に書いているが、全く成功していない。というよりも、最初から狙いはそこにはなく、橋下氏の「出自」について、悪質な興信所が行なう身元調査のごとき感覚で、八尾の安中と東淀川の飛鳥の被差別部落をかぎ回り、実父とおじが「同和」であることを確認し、誌面化すること以外に目的をもっていない。つまり、橋下徹氏の父親は八尾安中の被差別部落出身で、その息子である彼もまた出身者なのだと断定さえできれば、もくろみは達成したのである。

 本来、被差別部落出身であるという社会的属性と、それを性格や政治的資質と関連づける思考そのものが、差別的なのであり、その意味において、この上原の駄文は、ひとつは橋下徹の「出自」を彼の意志とは無関係に記述したこと、及び、社会にある被差別部落出身者に対する予断と偏見を解消する意識はなく、むしろ、それを前提にして、彼の性格や政治手法を語るという、二重の意味で差別的な文章と言わざるを得ない。

 このような差別性をおびた駄文であるにもかかわらず、『新潮45』で誌面化されたのは、他ならぬ
上原善広が、大阪の松原の同和地区出身と自ら名乗って、売文活動をしているからだろう。重要なことは、書いている文章の差別性=中味であって、誰が書いているかではない。『新潮45』の編集長は、同和地区出身という属性をはぎ取れば、ただの売文屋でしかない上原に、他者が書けば抗議される恐れがあることを書かせることによって、危険(抗議)を事前に予防しているつもりなのであろうが、誰が書こうが差別文章は差別文章なのであり、抗議・糾弾の対象になるのは当たり前だ。

 同和地区出身者を名乗って売文活動をしている上原を使いつつ、橋下氏の「出自」をあばくというあくどいやり方は、二重の意味で被差別者をおとしめていることに気づかないとすれば、それは権力者の感性であって、ジャーナリストの発想ではない。

 上原善広については、以前にも雑誌『実話ナックルズ』(ミリオン出版)に、被差別部落を「近親相姦」による「奇形児」が多い、おどろおどろしい地域として猟奇的に描き、解放同盟の中央執行委員会で抗議し、糾弾することが決まった。

 また、『噂の真相』最終号に、「スポーツ、芸能界の被差別部落出身者一覧」という暴露記事を書き、これも強く批判されている。

 それ以外にも、いずれ明らかにされるであろうさまざまな問題もある。そのような人物に「大宅壮一ノンフィクション大賞」を授与した出版社の見識を疑うが、今はその事は問わない。

そして、この上原の『新潮45』の文章が抗議されなかったことに調子づき、かつ、月刊誌としてはめずらしい増刷5000部という売れ行きに驚喜して、『週刊新潮』で橋下叩きをよりスキャンダラスに行ったということだろう。要は売らんかなのために、人権を踏みにじり、「差別を商う」ことに罪悪感を持たなかったということだ。

(つづく)
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