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第26回 橋下徹大阪市長は、被差別部落出身者か―部落民とは誰か(2)

 部落解放同盟は、昨年の第68回全国大会で、以下のように「部落差別」「被差別部落」「部落民」「部落問題」について述べている。
・部落差別は、「人種」・「民族」・「宗教」・「言語」・「文化」の相違に起因するものでなく、前近代から受け継がれたケガレ意識(浄穢観念)、血統意識(貴賤観念)、家意識(家父長制)などにもとづく差別意識、また近代社会ものとで醸成された優生思想・衛生思想を温存・助長する明治期以降の新たな社会構造のもとで、再編された。

・被差別部落とは、封建社会の身分制度のもとで身分・職業・居住が固定され、穢多・非人などと呼称されたあらゆる被差別民の居住集落に、歴史的根拠と関連をもつ現在の被差別地域のこと。
・部落民とは、歴史的・社会的に形成された被差別部落に現在居住しているか、過去に居住していたという事実によって、部落差別をうける可能性をもつ人の総称。

・現在の部落問題とは、憲法14条でいうところの<社会的身分又は門地>による差別であり、自由と平等を原理とする近現代社会でも、被差別部落に属すると見なされる人々が、人間の尊厳や市民的権利を不当に侵害されている社会問題。

(部落解放同盟第68回全国大会改正綱領参照)

 さて、この項で問題にしている、橋下徹氏は被差別部落出身者と言えるのか、という問いに対して、“血筋論”では出身者と言えるし、一時期、大阪の被差別部落・飛鳥地区に住んでいたこともあり、当人がこのことについてアイデンティティーを自覚しているなら、立派な部落出身者ということになるだろう。

 では、橋下氏の子ども達はどうかというと、“血筋論”では4分の1部落民ということにもなるが、すでに述べたように、“血筋論”で部落民か否かを判断することは出来ない。被差別部落に居住したこともなく、その自覚(アイデンティティー)もなければ、被差別部落出身者とはいえない。

 しかし、世間はもっぱら“血筋”と居住地(本籍地と両親などの居住地)で部落差別を行っているのだから、部落民と見なされ、社会的不利益=差別を受ける可能性は否定できない。

 最後に、『差別語・不快語』から引用して、この項を終えたい。

■被差別部落を世間はどう考えているか
 部落差別は、民族差別でも人種差別でもなく、奈良・平安時代以降の賤民史の流れをくみ、江戸時代に確立された被差別民、すなわち「穢多」「非人」の系譜に属する集団が居住した地域に対する、近代的な差別です。部落差別の撤廃をめざす運動家のなかに、擬似民族的に部落差別をとらえていた人がいたことはたしかですが、部落差別は、文字通り被差別部落と、その住民に対する差別であり、民族、いわゆる“血筋”の問題ではありません。被差別地域としては連続性をもつものの、住民すべてが血縁性をもつと考えるのは幻想にすぎません。事実、過去40年で、とくに都市部落の住民の多くが入れ替わっているという調査結果もあります。つぎに、被差別部落出身者を世間がどう判断しているのかについて見てみましょう。
大阪府でおこなわれた府民意識調査の一部を紹介します。


<大阪府民の認識>
1)本人が現在、同和地区に住んでいる   (56.5%)
2)本人の本籍地が同和地区にある   (47.9%)
3)本人の出生地が同和地区である   (44.3%)
4)父母あるいは祖父母が同和地区に住んでいる     (39.2%)
5)父母あるいは祖父母の本籍地が同和地区である   (37.3%)
6)職業によって判断している           (22.1%)

(2000年11月・大阪府実態調査より/回答は複数回答)

世間の人々にとって、被差別部落出身者かどうかの判断基準は、①現住所②本籍地③出生地④父母・祖父母の現住所・本籍地、という順になっています。注目したいのは、「戸籍」(本籍地)を重視していることです。

 部落解放運動が、戸籍の閲覧制限などのとりくみを積極的におこなってきた背景には、結婚にさいしての身元調査による差別をなくすことが大きな目的でした。その後この運動は、住民基本台帳閲覧制限などのとりくみとして引き継がれています。

| 連載差別表現 |