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第20回 橋下徹前大阪府知事をめぐる週刊誌報道
“出自”を“切り札”にしたネガティブキャンペーン
 今月27日に投票日を控えた大阪市長選を前に、マスコミ報道が過熱している。
タレント府知事だった橋下徹氏が任期途中で辞職し、“大阪都構想”を掲げて大阪市長選に立候補し、府知事と市長のダブル選挙となったことで、国政選挙以上に注目を集めている。

 テレビ、新聞、週刊誌を始めマスコミ各社は、連日報道合戦に血道をあげているが、先週号の『週刊新潮』と『週刊文春』の、新聞広告と中吊広告、及び記事内容に、部落解放運動に取り組んできた関係者だけでなく、良心的なジャーナリストからも、大きな批判の声が巻き起こっている。曰く「『同和』『暴力団』の渦に呑まれた『橋下知事』出生の秘密」(『週刊新潮』)、「橋下徹42歳書かれなかった『血脈』」(『週刊文春』)。(広告を載せた新聞社と、中吊り広告を許可した鉄道会社の広告審査部の甘さも批判されてしかるべき)センセーショナルな大見出しに込められた両誌の狙いは、橋下前府知事の生い立ち、つまり、その“出自”にある。両誌は、橋下前府知事が「血脈」的に被差別部落出身者という事実を、スキャンダラスに明らかにすることによって、一体何を企図しているのだろうか。たかが、選挙につきもののネガティブキャンペーンのひとつとして、見過ごすことのできない問題を孕んでいる。事実、過去幾度となく対立候補からその出自を公にされ、涙をのんだ被差別部落出身の各級議員候補がいた。被差別部落出身者だけではない。1983年の総選挙では、旧東京2区から立候補していた新井将敬氏が、自民党候補者の石原慎太郎・現東京都知事陣営から、選挙ポスターに“元北朝鮮人”という黒いシールを貼り付けるなどの民族的差別(ネガティブキャンペーン)を張られ落選している。

橋下バッシングになぜ部落差別が利用されるのか
 今回の大阪市長選は、現職市長の平松邦夫氏と前府知事橋下氏との激戦が予想され、事前の世論調査でも支持率は拮抗している。

 何故この時期に、『週刊新潮』と『週刊文春』が競って橋下バッシングを、しかも、その被差別部落出身という出自と、親族に「暴力団」がいることをセンセーショナルに取り上げる必要があるのか。これらの週刊誌に先行して『新潮45』11月号が「最も危険な政治家橋下徹研究」特集を組んでいるが、その中の一文、上原某による「孤独なポピュリストの原点」で意図を持って描かれた橋下氏と被差別部落・暴力団との関係が、今回の両誌の差別的な記述の元になっていることを指摘しておかねばならない。

 『週刊ポスト』や『週刊現代』などは、あつかいも小さいし、そのような取り上げ方はしていない。大きく誌面を割いている『女性セブン』でも、橋下氏に焦点を合わせているものの平松氏の主張も載せており、個人攻撃ではなく客観的で中立的な立場で誌面化している。

 各誌が市長選に各々主張を持つのは当然だし、それが健全なジャーナリズムの前提だろう。しかし、部落差別という社会的差別が現に存在している社会環境の中で、興味本位にその出自を暴露し、暴力団との親族関係を報道する合理的理由、社会的意義がどこに存在するのか、はなはだ疑問に思う。国内に住む「橋下(ハシシタ)」姓の人たちに対する差別や嫌がらせが行なわれたとしたら、誰が責任を取るのか。

 部落差別を売り物にした事例は、古くは、1977年の臼井吉見の手による『事故の顛末』事件がある。(作家・川端康成を被差別部落と結びつけて創作し、世間の関心を引きベストセラーとなった)最近では、「同和利権の真相」(宝島社)がそれにあたる。これらの出版商品は、売らんがために差別意識を利用している点で、犯罪行為と言っても過言ではない。今回の両誌もそれらの事例と同罪だ。

 それを物語っているのが『週刊新潮』の本文に掲げられたリードだ。
「あいつのオヤジは、ヤクザの元組員で、同和や」

こう語ったのは、橋下知事の叔父、橋下博(はしした ひろとし)である。スター知事の生い立ちにまつわる衝撃的な発言。これを掲載した月刊誌『新潮45』11月号は、大きな反響を呼び、大阪では売り切れ店続出で、緊急増刷された。知事への関心の高さ故だが、その彼は今やヒトラーとまで呼ばれる存在になった。独裁者のルーツを辿る。
世間の差別意識に乗った商法 ―「差別を商うもの」
 要するに、売らんがために衝撃的な広告を打ち、差別的な記事を掲載したということだ。

 今般の市長選挙の争点は、橋下氏と平松氏の政策の相違、つまり大阪都構想の是非にある。橋下氏が知事時代に行なった一連の行政改革の名による合理化や、教育基本条例案に対する政治的批判を行なうことは当然であるが、差別意識を利用した誹謗中傷などの個人攻撃は、ジャーナリズムの品格を貶めるものだ。

 性格や政策批判を客観的、かつ具体的に行なうことが重要なのであって、あれこれの非本質的要素をあげつらうことではない。百歩ゆずって、橋下氏自らが自己と被差別部落の関係を社会的に明らかにしているとしても、他者が、とくにマスコミがことさらそれを醜聞として報道する権利も社会的必要性もない。事実、橋下氏は自己のツイッターの中で、今回のことで子ども達などに対するいじめや差別が起こることを心配している。橋下氏は『週刊新潮』の記事によれば、「府が同和の実態調査をしたところ、差別は克服され、解消されているという結果が出ています。しかし、知事は同和差別はなくなっていないと言い張る。議会で同和関係のことを質問すると語気を強めて、ムキになって反論するんです」(共産党の黒田まさ子元府議)という。

 橋下氏が部落差別を肌身で知っていることを、共産党の元府議は理解していない。反解同キャンペーンで、市民・府民の差別意識を取り込み、議席増につなげた共産党ならではの言い草だが、残念ながら解放同盟の考え方と橋下氏の政策及び政治的問題意識は全く異なっている。それ故、解放同盟の大阪府連は、民主党とともに現職の平松市長を支持してきたし、今も全力で橋下陣営と闘っているのである。

 しかも、自民党も反橋下で凝り固まり、自民党市議団は前回対立した平松氏の推薦を決めている。

誌面だけでなく広告も問題
 今回の週刊誌2誌による橋下前府知事に対する差別的ネガティブキャンペーンに仕掛人がいるのかどうか知らないが、筆者は意図的な何かを感じる。すでに橋下氏と被差別部落の関わりは、朝日新聞の夕刊などで彼自身が率直に語っているように、秘匿しているわけではない。その後も、知事在任中に色々と週刊誌や月刊誌でそのことについては語られてきており、いまとりたてて騒ぎたてるような目新しい話題ではない。橋下氏にどうしても大阪市長になってもらいたくない勢力が、最後の切り札として部落差別を持ち出し、大阪市民の差別意識をかきたて、選挙戦を平松陣営に有利に進めようと画策している、としか考えようがない。

 その御先棒を2誌がかついでいるということだろう。明確にしておかなければならないのは、差別を利用して市長選に勝利することの愚かしさと卑劣さ、その腐敗した政治屋意識に気づかないとすれば、平松氏が当選し市長を続けても、それは欺瞞にすぎない。

 橋下氏の性格や政治手法と、被差別部落に住んでいたことがどう結びつくのか、その検証を欠き、社会的差別意識に乗じた情緒的批判は、被差別部落への予断と偏見を助長するだけである。両誌及び、差別的な広告を掲載した新聞社と鉄道会社の広告審査の甘さに対する社会的責任の追及は必至だ。
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