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第19回 「言葉狩り」という表現について
① 9月に、「死のまち」発言で辞任した、鉢呂吉雄前経産省の失言に続いて、10月18日、平野達男復興相が、東日本大震災の津波被害について「私の高校の同級生みたいに逃げなかったバカなやつがいる」と述べ、後日陳謝した。自民党は徹底追及するとしていたが、辞任はせず大臣を続けている。

 テレビ・新聞や週刊誌を読む限り、失言には違いないが、辞任する程の暴言ではないと言った論調が主流であり、「言葉狩り」的な追求は、いたずらに国会審議を遅らせ、時間の浪費だ、との声が大きい。それはそれで賢明な判断であり意見だと思うが、多くの場合、失言に対する抗議や批判を、「言葉狩り」という表現で否定的に論じていることに、若干の違和感を持つ。

 「言葉狩り」という言葉は、1970年代から80年代にかけて、部落解放同盟など被差別マイノリティがマスコミや著名人・政治家の不用意な差別発言に抗議したことに対し、言論の自由を旗印に、表現の自由を脅かすと、居直り的に批判した際に用いられてきた歴史がある。

 失言や暴言は、必ずしも差別発言と同じものではない。差別的な失言や暴言もあるが、差別発言はもっぱら、無知、無関心にその根を持つ。

 今回のような、鉢呂経産省や平野復興相の失言は、辞任に値するかどうかは別にして、批判し追求するマスコミや野党政治家の目的は、もっぱら政治的揚げ足取りであり、それ以上のものではない。むしろそれを「言葉狩り」と声高に叫ぶことによって、別の反響を生み出すことを、筆者は危惧する。かつて「言葉狩り」と批判された抗議事例の中に、差別語・差別表現を含まないものはなかった。「言葉狩り」反対を叫ぶ多くの人が、他者の人権を侵害する「表現の自由」はありえないという原則的な立場について、無知、無理解であったことは記憶されていて良い。

 一連の大臣の発言は失言であり、それを批判するのは「言葉狩り」ではなく、単なる政治的「揚げ足取り」か、あるいは、衷心からの指摘に過ぎない。

②<今週の問題表現>
○『新文化』(10月20日号)

小見出しに、<無名作家の処女小説異例の10万部超え>

しかし、本文では<無名の著者によるデビュー作では異例の10万部越えを達成した。>とある。ならば、小見出しにもそう表現すべき。

○『週刊新潮』(10月27日号)

西原理恵子氏の、週刊鳥頭ニュース漫画の中に、<インディアンにお祓いしてもらえ、ユダヤ追いの儀式エネルギー>とある。ここは「 」を付けて、ネイティブアメリカンとか北米先住民族、と注を入れるべきと思うが、その次のウォール街=金融資本=ユダヤ人というステレオタイプ化された表現は、誤解を招く恐れがある。
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