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第17回 「メッカ」「チベット」「ジプシー」をめぐって

①2011年10月8日(土)『日刊ゲンダイ』
“韓国フーゾクの人気はまだまだ続く”という小見出し記事の中に「すでに新大久保や鶯谷、松戸や越谷は(韓国風俗の)メッカになっているが……」[*( )内は著者註]とある。

『日刊ゲンダイ』は、過去(1995年)にもまったく同じ表現で「イスラミックセンター・ジャパン」に抗議され、謝罪しているが、まったくその教訓が生かされていません。

 日本では、イスラームに対する無知、無理解から、イスラームにおいて神聖なものとされている事柄を歌詞に取り入れたコマーシャルなどが抗議を受けています。また、聖典である『コーラン』を粗略に利用したり、不正確に引用したりなどのさまざまな行為が、アッラーへの冒涜として厳しく批判されてきた歴史があります。その意味で、聖地「メッカ」を悪いものや俗悪なことのたとえとして使用することは論外で、仮に良いもののたとえとして使用した場合でも、抗議される可能性があることを指摘しておかねばなりません。

「神の法」を大切にする文化を持つイスラームに対して、表現の自由などの「人間の法」を盾に問題提起をしても、不毛な論争となるだけです。

②2011年10月15日号『週刊現代』
 巻頭特別リポート“小沢一郎 かげりゆく権力”(松田賢弥)の中に、「かつて『日本のチベット』と蔑まれた岩手」という表現がでてくる。

 これは、すでに使い古された典型的な地域差別的な比喩表現。昨年「鳥取県とか島根県と言ったら、日本のチベットみたいなもので、少し語弊があるかもわからないが、人が住んでいるのか、牛が多いのか。山やら何やらあるけど、人口が少ない所」と発言した、民主党の石井一選対委員長と同レベルの、ジャーナリストとしては情けない言葉だ。免罪符的にカギカッコ「 」をつけてはいますが、なんの意味もない。

「○○は日本のチベット」という言い回しは、名指しにされた地域を侮蔑するだけにとどまらず、歴史と文化を持つチベットの人々に対する礼を失しており、二重の意味で差別的な表現と言わねばならない。

③2011年10月13日号『週刊文春』
<私の読書日記> に、作家の池澤夏樹さんが「ジプシーかユダヤ人か、いずれにしても攻め込んだナチスが絶滅の対象とした人種である」

「今、我々はナチス・ドイツがユダヤ人やジプシー、その他多くの人々を絶滅収容所で殺したことを知っている」と書いています。

 池澤夏樹さんは、悪意を持って「ジプシー」という言葉をもちいたのではなく、ナチス・ドイツの犠牲になった「人種」としてジプシーという言葉を使用しています。

 しかし、ここは差別語である「ジプシー」ではなく、正確に「ロマ(ジプシー)」と記すべきでしょう。1971年の「世界ロマ会議」は、差別的な他称「ジプシー」に代わって「ロマ(ロマニ語で人間という意味)」という自称を使用することを決定されています。「ジプシー」などの語源については、『差別語・不快語』を参照してほしいですが、1901年9月に長崎に来た「総勢50余人のヂプシーの一隊」は、「西洋の穢多」の名で日本の新聞に登場したことを知っていただきたい。

 同じ <私の読書日記> の最後に名前が出てくる「小泉八雲ことラフカディオ・ハーン」の母親は、ギリシャ出身のロマであることをつけ加えておきます。

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