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第16回 暴力団排除条例と山口組

2011年10月1日に東京と沖縄で“暴力団排除条例”が施行され、これで全ての都道府県で実施されることとなった。

 警視庁は「条例の基本理念」として

·  暴力団と交際しない
·  暴力団を恐れない
·  暴力団に金を出さない
·  暴力団を利用しない

の4つを上げている。

 すでに、“暴力団排除条例”の施行を受けて、金融業界や不動産業界をはじめ、各業界で先行して、警察主導の下、暴力団排除の申し合せが決められ、実行に移されている。

 暴力団の組員であることが発覚すれば、公共住宅はもちろん、民間のマンション(不動産)やアパートからも閉め出され、銀行口座も作れないので、公共料金や子供の授業料の自動引き落としもできない。ローンを組むこともできず、公共事業や民間工事の下請け、孫受けにも入れず、社会生活を送る上で厳しい状況に追い込まれている組員も少なくない。一言でいえば「暴力団は生活するな」という条例なのだ。

この条例が全ての都道府県で実施されたことを受けて、準構成員を含め36400人を擁し、全国の暴力団員の50%弱を占める山口組の六代目・篠田建市(通称・司忍)組長が、産経新聞のインタビューに応じている。組員にマスコミとの接触を厳禁している山口組トップの発言は、異例中の異例だといってよい。

 産経MSNニュースによると、篠田組長は、暴力団排除条例について「異様な時代が来た」との感想を述べ、「ヤクザといえども、われわれもこの国の住人であり、社会の一員」であることを強調し、「今回の条例は法の下の平等を無視し、法を犯してなくても当局が反社会的勢力だと認定した者には制裁を科すという一種の身分政策だ」と批判し、「今は反社会的勢力というのは暴力団が対象だが、今後拡大解釈されていくだろう」と危惧している。加えて、この「一種の身分政策」は、「将来的に第二の同和問題になる」と指摘している。

 そして「ヤクザやその予備軍が生まれるのは社会的理由がある」「山口組には家庭環境に恵まれず、いわゆる落ちこぼれが多く、在日韓国・朝鮮人や被差別部落出身者も少なくない。こうしたものに社会は冷たく、差別もなくなっていない」。一方で、「山口組をいま解散すれば、治安は悪くなる」「山口組の存在でわれわれの業界の治安が守られている」「暴力団をなくすために山口組を守りたい」と考えていると、力説する。さらに「そうである以上、これまで以上の任侠道に邁進する組織にすること」が自分の使命だと、篠田組長は語っている。以上の主張は、山口組の三代目・田岡一雄組長が、常々語っていたことを踏襲している。

 インタビューの最後に、「暴力団排除キャンペーンは警察の都合ではないか。別にヤクザ絡みの犯罪が増えているわけではないし、過去にもパチンコ業界への介入や総会屋排除などが叫ばれ、結局、警察OBの仕事が増えた。今回も似たような背景があるのではないか」と、暴力団排除条例の隠された狙いを喝破している。

要は、暴力団排除に名を借りて、警察の天下り先の確保が狙いなのだと篠田組長は言っているのだが、その通りだと思う。

 作家の宮崎学さん流に言えば、「政治的権力(警官)vs社会的権力(ヤクザ)」の争いということだろう。近代ヤクザが地域共同体の中から生まれ、地域共同体の中に、その存在基盤を築き上げ、社会的に「認知」された存在であったことは、まぎれもない歴史的事実だ。

 しかしながら、現実のヤクザの実態は、宮崎学さんが描いた『近代ヤクザ肯定論』(ちくま文庫)より、溝口敦さんが批判する『暴力団』(新潮新書)に近いと言わざるをえない。

 映画『ゴッド・ファーザー』や『仁義なき闘い』に共感するノスタルジアは、本来地域共同体にあった社会的紐帯へのあこがれと、幻想的な懐古からきているにすぎない。実際は“義理・人情”も金次第なのだ。

 この「連載・差別表現」で取り上げたいのは、それらのヤクザ論とは別に、篠田組長が述べている「一種の身分(差別)政策」が「第二の同和問題になる」という指摘についてである。筆者の生まれ育った岡山の“ムラ”のことを思い出しても、また部落解放運動の古参闘士に聞いた話からも、昔は被差別部落で生まれ育った者のうち、根性と智恵のある者は、共産党員になるかヤクザになるかだったとよく聞かされた。

「ヤクザに在日韓国・朝鮮人や被差別部落出身者が少なくない」ということも、統計的に明らかなわけではないが、全く否定できるわけでもない。しかし、同和教育の言葉を借りれば、「非行(ヤクザ)は差別に負けた姿」と言わねばならない。

「社会的差別がヤクザを生み出す」というのも、あまりにも短絡的だ。社会的差別はまず最初に、部落解放運動など、反差別の闘士を生み出すのであって、即ヤクザを生み出すわけではない。ヤクザを生み出す社会的背景に差別があることは事実だが、それは反差別運動の弱さの反映でもある。解放運動に触れ、ヤクザをやめて、同盟に結集した活動家は少なからずいる。一方で篠田組長が「俺は暴力団をなくすために山口組を守りたいと考えている」と述べている点は注目に値する。ここには根本的な思想が吐露されている。

 部落解放運動を始め、全ての組織に当てはまることなのだが、“組織の目的が成就された時は、組織の存在が終焉する時”なのだ。“目的は完成であり終わり”なのだ。そして、新たな始まりがある。
 部落差別をなくす部落解放運動は、自らの組織を縮小させ記念碑にする運動でもある。「部落解放同盟は自らの組織を解消するために闘っている」と言うのが、筆者のよく知る古参活動家の口ぐせだった。

 いずれにせよ、憲法違反の疑いもある暴力団排除条例は、「第二の同和問題」を生み出すかどうかは別にして、徹底的に批判すべき「反社会的な反人権法」であることはまちがいない。

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