(写真は『広島の部落解放運動 県水平社創立一〇〇年』より)
〔前回までのふり返り〕
水平社青年たちの部落差別に対する抗議は、「差別をなくせ」というだけでなく、差別の責任を国家に求め、社会変革と「人間の解放」を訴えるものでした。
そのような水平社運動の思想とエネルギーを恐れ、国家体制の転覆につながりかねないとみた政府は、水平社運動に対抗する融和運動に着手しました。
融和運動は、差別の責任の所在を部落大衆側にもとめ、行政や警察と密接につながり、被差別部落を組織していこうとしました。
広島では、融和運動組織として「共鳴会」が設立され、広島県水平社の運動を抑えようとします。
◆今回までの目次は下記の通りです。
?はじめに
?水平社結成前史
1.近代と被差別部落
2.国家と被差別部落
3国家による包摂 (1)産業と被差別部落 (2)戸籍と被差別部落
4資本と被差別部落の再構築
5.近代被差別部落の構造変化と生活
6..米騒動
? 部落改善から融和運動へ
1.部落改善運動
2. 福島町一致協会の設立
? 水平社の時代へ
1.躍進青年団と水平社の結成
2. 広島県水平社結成へ
3. 広島県水平社の差別糾弾闘争
4. 広島県共鳴会による懐柔・融和主義
▼山本政夫と共鳴会
ここで、山本政夫と「広島県共鳴会」について述べておく必要があるでしょう。
米騒動の後、危機感を強めた政府は、同情融和策を展開します。
1919年、第一回同情融和大会を開催し、全国的な部落対策のテコ入れをおこないます。
その方針のもと、1921年、融和運動団体として共鳴会が結成されました。水平社運動に共感を抱いていた青年・山本政夫を広島県嘱託にとりこんで、共鳴会の日常活動に従事させました。
1898年、広島の島嶼部の被差別部落に生まれた山本は、大正・昭和の融和運動家です。同和行政にも多大な影響を与えています。
山本の実家は網元をいとなむ裕福な家で、政夫は大学に進学、その後、広島県嘱託として「共鳴会」にかかわるようになります。
優秀な人材と見込まれ、政府からヘッドハンティングされた山本は、1926年、有馬頼寧に招かれて上京、
山本政夫は、中央融和事業協会のキーパーソンとなっていきます。
中央融和事業協会は、従来からあった部落改善団体や融和運動を統合して、内務省が設立しました(1925年)。
会長は平沼騏一郎〔ひらぬま きいちろう〕。
融和事業協会は、満洲移民、戦争に被差別部落を動員しました。
先回りして言うと、山本の「被差別部落民としての内部自覚運動」はやがて翼賛会にいきつき、侵略と戦争の道を突き進んでいきます。
山本は「内部自覚運動」を提唱、「部落民は陛下の臣民としての自覚を一般以上に持たねばならない」とかんがえていました。
「自覚論」によって、陛下の臣民としての自覚を一般以上に持ち、国家への忠義をつくすよう求めた山本は、被差別部落コミュニティに強くはたらきかけ、部落大衆を戦地に送り出す戦争動員の役割をはたします。
被差別部落の各コミュニティを戦争に動員するオルガナイザーとして活動したのが、山本であり、私は、彼こそが、被差別部落大衆をファシズムに導いた重要人物のひとりだったと考えています。
融和事業協会を去った後も、山本政夫は大和報国運動などのオルガナイザーとして、被差別部落大衆を大政翼賛会へと先導しました。
山本は敗戦後も影響力をもち、政府の同和対策審議会委員になります。
▼共鳴会と部落改善団体のちがい
それまでの広島県における部落改善団体と共鳴会の異なる点は、共鳴会が全県を網羅する組織をめざしたこと、そして融和運動の全国的ネットワークに組み込まれたことでした。
1931年、広島共鳴会は、正式に官民合同機関となり、被差別部落大衆が「みずからの内部から自覚して」(山本の内部自覚運動)、戦地動員、部落改善を実現させる役割を担います。
そして、共鳴会もまた差別事件に関与し、水平社の差別に対する抗議闘争への対抗勢力として立ちはだかったことを指摘せざるをえません。
ただし、気をつけなければならないのは、このような運動しかない地域の被差別部落では、それでもそれらの融和団体に頼らざるをえないほど、部落差別の状況は厳しかったということです。
(以下次号 8月25日)
*中央融和事業協会 1925年、従来からあった部落改善運動や融和運動を統合して、内務省が設立。会長は平沼騏一郎。満洲移民、戦争に被差別部落民を動員した。広島県共鳴会は融和事業委員会として名称変更される。
*にんげん出版編集部より
この連載は『部落解放ひろしま 特集 広島県水平社100年を迎えて』への小早川明良氏の寄稿をダイジェストしてお送りしています。転載を快諾して下さった編集部と著者に厚く御礼を申し上げます。
*小早川明良(こばやかわ・あきら)
広島県在住。特定非営利法人社会理論・動態研究所理事。「ひろしま 部落解放研究」編集長。
著書に『被差別部落像の構築 作為の陥穽』『被差別部落の真実』『被差別部落の真実2』
編著に『広島県地域の部落史・部落解放運動史年表草稿』など多数。
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近代被差別部落と広島県水平社の100年 その 6
前回は、米騒動を体制を揺るがす危機とみた政府が、米騒動に10万の軍隊を差し向け、全国的に部落改善運動に着手したことを紹介しました。
1900年代初頭から1920年にかけての部落改善運動は、ひとことでいえば、社会主義思想の広まりや反政府運動を恐れた政府の部落対策でした。
「部落改善団体」の設立には警察や行政が多く関与しました。しかし、これらの部落改善団体の中からそのあり方に矛盾を抱き、水平社を創立し、部落差別と闘う青年たちを生みだしたことも事実でした。
前回紹介した福島町一致協会の青年たちは、やがて広島県水平社をうみだす核となっていきます。
◆今回までの目次は下記の通りです。
?はじめに
?水平社結成前史
1.近代と被差別部落
2.国家と被差別部落
3国家による包摂
(1)産業と被差別部落 (2)戸籍と被差別部落
4資本と被差別部落の再構築
5.近代被差別部落の構造変化と生活
6..米騒動
? 部落改善から融和運動へ
1.部落改善運動
2. 福島町一致協会の設立
? 水平社の時代へ
1.躍進青年団と水平社の結成
2. 広島県水平社結成へ
3. 広島県水平社の差別糾弾闘争
1.躍進青年団と水平社の結成
しかし、福島町一致協会はみずからを乗り越える青年たちを生みだしたという意味で、ひじょうに大きい意義をもつ組織です。
一致協会では青年会が結成され、地域改善運動や祭礼・スポーツ大会に取り組んでいました。この青年会の矛盾を見抜く階層が、青年会の中から出現します。
中心になった青年は、妙蓮寺住職4男・照山正巳をはじめ高橋貞雄・高原秀行・中野繁一・桝井寛一。
彼らのもとに集った被差別部落青年たちは、1921年、桝井寛一を団長に躍進青年団を結成しました。
自分たちがうける差別と町民の貧窮は、社会経済のしくみの結果であると考えたかれらの活動は、福島町の青年を全国水平社創立の運動へと向かわせます。
一般的に、躍進青年団が生まれ、行動した背景には、1917年のロシア革命とその影響をうけ高揚する労働運動・農民運動があったといわれています。
しかし私(小早川)は、彼ら自身の内発的な要因に、より注目すべきだと思います。
部落差別と社会の矛盾をみずからの目で確かめ、批判し、行動することを自分たちの生活の中からつかんだのです。
2. 広島県水平社結成へ
躍進青年団の青年たちが全国水平社の結成を知ったのは1922年12月、雑誌『前衛』によってでした。
高橋貞雄から聞いた照山は、全水本部を訪れ、委員長の南梅吉らと部落問題を議論します。
1923年3月、照山は全水第二回大会に参加、広島に帰った照山たちはただちに広島県水平社創立にむけて行動を起こします。
その様子を権力は監視していました。広島県地裁裁判所検事局に記録があります。
3. 広島県水平社の差別糾弾闘争
水平社運動の特徴は、差別糾弾闘争にあります。
それはみずからの価値を自覚して他者の力を頼まずに差別事件を解決するものです。
糾弾闘争の一部を紹介します。当時の糾弾闘争を理解できるでしょう。
1924年、豊田郡の村で盆踊りに加わろうとした部落大衆を漁民が妨害する差別事件が起きました。
村人側がかたくなに参加を認めないためについに乱闘となってしまいました。
村当局・郡事務所・共鳴会(★広島の融和運動団体/次回説明します)の調停で覚書を交換し、表面上はとりつくろったのでした。
これに対し県水平社は、桝井委員長みずから現地でそのことを批判し、根本的解決を訴えています。
▼被差別部落襲撃—―江田島で起きた事件(切串事件)
1927年には江田島で一般民衆400名が被差別部落を襲う事件が起きました。
たきぎ泥棒の犯人という濡れ衣を着せられた部落住民の一人が、差別者を厳しく糾弾、暴力をふるったことに腹を立てた一般民衆が被差別部落を襲撃した事件です。
この事件には背景がありました。1924年の盆踊りの中で起きた差別事件にたいし呉水平社が糾弾、謝罪広告を出させたことを根に持って、報復的に襲撃したのでした。
江田島で一般民衆400名が被差別部落を襲撃する大事件が起きたにもかかわらず、その一報が広島県水平社に届いたのは、事件発生から2か月後でした。
官憲が県水平社の介入を恐れて、通信機関をコントロールして情報を遮断しています。被害者の被差別部落を孤立させたのです。
江田島の被差別部落の人びとも島民からのさらなる報復を恐れて沈黙したのでした。
広島県水平社は、差別糾弾闘争を通じて県内各地に組織を確立していきました。
賀茂水平社、甘日市水平社をはじめ、佐伯郡水平社、安芸郡水平社、府中水平社、福山水平社などの組織名が記録されています。
これに対して官憲は県水平社の幹部を検挙して、厳しく弾圧しました。
広島県水平社を国家の根幹を揺るがす存在であると認識したからです。
もちろん、それに屈せず水平社は運動を拡大しようと努力をかさねます。
(次号に続く)
*にんげん出版編集部より
この連載は『部落解放ひろしま 特集 広島県水平社100年を迎えて』への小早川明良氏の寄稿をダイジェストしてお送りしています。転載を快諾して下さった編集部と著者に厚く御礼を申し上げます。
*小早川明良(こばやかわ・あきら)
広島県在住。特定非営利法人社会理論・動態研究所理事。「ひろしま 部落解放研究」編集長。
著書に『被差別部落像の構築 作為の陥穽』『被差別部落の真実』『被差別部落の真実2』
編著に『広島県地域の部落史・部落解放運動史年表草稿』など多数。
]]>近代被差別部落と広島県水平社の100年 その5
◆前回までのふりかえり
急速に進められる日本の近代化のなかで、労働者の劣悪な労働条件と低賃金にともなう生活問題、農村の窮乏など、近代特有の諸問題が噴出していきます。
日清、日露戦争、植民地獲得競争にのりだした日本ですが、1900年から1920年代の国内は、財政破綻の危機に直面し、国民の困窮は深まっていました。
被差別部落では、貧困の解消や生活環境の改善を訴える動きが出てきました。
米騒動は、不満の顕著なあらわれであったといえます。
政府は、米騒動を鎮静化するため、被差別部落大衆を「主犯」とみなして部落からの米騒動決起者にはより重罪を科し、「部落は怖い」という言説を、メディアに流布させていきます。
体制の危機をつのらせた政府は、米騒動の翌年、内務省主催で、細民協議会第二回を開きます。(細民協議会・第一回は1902年)
1907年、三重県につくられた部落改善団体が最初で、その後、福島町一致協会(広島)、備作平民会(岡山)、柳原町進取会(京都)、大和同志会(奈良)などが設立されていきます。
◆今回までの目次は下記の通りです。
?はじめに
?水平社結成前史
1.近代と被差別部落
2.国家と被差別部落
3国家による包摂 (1)産業と被差別部落 (2)戸籍と被差別部落
4資本と被差別部落の再構築
5.近代被差別部落の構造変化と生活
6..米騒動
? 部落改善から融和運動へ
1.部落改善運動
2. 福島町一致協会の設立
?. 部落改善から融和運動へ
1900年から1920年代にかけて被差別部落に大きな変化があったことは、これまでみてきた通りです。
この時期、国内では財政破綻の危機に直面し、国民の困窮も深まっていました。被差別部落の惨状を体制の危機とみなした政府は、全国的に「部落改善運動」に着手します。
部落改善運動は、一言でいえば、社会主義思想の広まりや反政府運動をおそれた政府による部落対策
でした。
1907年、三重県につくられた部落改善団体が最初で、その後、福島町一致協会(広島)、備作平民会(岡山)、柳原町進取会(京都)、大和同志会(奈良)などが設立されていきます。
備作平民会(1902年岡山)は、三好伊平次が「鬱屈」した部落民の精神構造を改革し教育殖産の奨励によって自主自立をめざす運動でした。
奈良の松井庄五郎ら8人の有志が創立した大和同志会(1912年・奈良)は、全国水平社の核となりました。部落内では富裕層が明治天皇への報恩を広めようと運動し、部落外に対しては差別観念の払拭を訴える運動でした。
また明石民蔵らが起こした柳原銀行(1899年・京都)は、地元有志から資本をつのって自力で経済の立て直しをはかったという意味で一つの運動だと思います。
じつは部落改善団体は、警察や行政の主導で組織されたケースも少なくありませんでした。だから改善団体には意味がないというのではありません。体制を揺るがす危機感を政府が抱いた結果として組織されていった部落改善団体は、その中から水平社の運動を生み出したからです。
全国水平社の核となったのは大和同志会です。広島にあった福島町一致協会は、それに参加していた青年層の革命的なエネルギーを育み、広島県水平社の設立につながりました。
それらはまた部落内資本家との闘争でもあった側面に目をむけてほしいと思います。
話を戻しましょう。
部落改善運動は、一般農村対策を対象にスタートした地方改良運動(勤勉・忍耐・倹約貯金を奨励)とは別枠でおこなわれました。
両者には決定的なちがいがありました。
地方改良運動が、町村長や小学校長が責任者だったのに対して、部落改善運動は、その維持運営に警察が重要な役割をはたしたことです。
それは、部落改善運動の第一の目的が治安対策にあったことをしめしています。
部落改善運動を一般市民対策と別枠としたのは、運動をコミュニティごとに細分化するねらいです。
それが権力の統治技術です。
被差別部落民の「大衆的な圧力」を警戒し、パワーを巧みに吸収する手法に注目すべきだと思っています。
この傾向は、米騒動を制圧するさいにますます顕著となっていきました。警察署長が被差別部落代表と話し合う機会や、教育者・宗教者らと「部落改善」を協議する機会も増えていったのです。
部落改善団体には奨励金が出されます。
広島県では米騒動のあとに地方改善協議会を開催しました。帝国公道会の大江卓や大木達吉などが広島に来県し、広島県内の被差別部落の中心的な人物を集めて単一の融和団体を組織しようとしました。
この方針は実現しませんでしたが、警察は部落の有力者とつながり、警察による部落改善団体の組織化はさらに進んでいきます。
広島県では、県内472の被差別部落のうち、すくなくとも50の被差別部落で「改善運動」の組織がつくられています。
(*『広島県部落状況』1913年/1920年版参照)
広島県の水平社設立を考えるうえで無視できない運動体が、部落改善団体の福島町一致協会です。
「心を一つに取り纏めて」との意味を込めた命名でした。
福島町一致協会は『天鼓』という機関紙を発行していました。4号まで残っています。
この機関紙には差別や平等の一般論に言及してはいるものの、部落差別撤廃について論じた記事はほぼ皆無です。
一致協会は夜学校を建設し、授産所を設立するなど、教育にも熱心でした。
警察とともに「部落改善事業に着手」します。
それは「勤勉」「倹約貯蓄」「矯風(悪い習慣をあらためる)」「犯罪撲滅」といった通俗道徳をさかんに鼓吹して住民を〈訓育〉しようとするものでした。
被差別部落内では富裕層と労働者層に階層分化していました。
町内の富裕層は、おなじ町内に暮らす労働者層をどのように見ていたでしょうか。
町内の資産家・中野文助が『明治之光』に投稿した文章があります。
「福島町は細民の巣窟で殊に貧富の懸隔(格差)は伸々非道いのです。10名内外は豪商でありまして、4.5万のもとより数十万の財産をもって居りますが、貧民と来てはほとんど全部で、何とも仕方ありません。まずその日暮らしでしょう……」
これには、町内の労働者もだまっていませんでした。(次号につづく)
]]>近代被差別部落と広島県水平社の100年 その4
◆ふり返り〜現代社会に部落差別が存在する理由が解けないのはなぜ?
1922年、全国水平社が結成され、以降各地に水平社が結成されていきました。
広島県水平社は1923年に創立され、今年で100年にあたります。
明治以降、諸階層の人々が仕事をもとめて流入した旧賤民居住地は、人口数倍に膨張、面積も周辺に拡大し、近代被差別部落として成立していきます。
近代・現代の部落差別は、徳川時代の賤民身分に対する差別がたんに持続しているのではなく、残存しているのでもありません。まして中世賤民への卑賤視がつづいているのでもありません。
現代の部落差別は、徳川時代の賤民身分差別とダイレクトにつながっていません。
「近世の封建的身分差別が残っている」という人も、「中世の穢れ意識が賤民を生みだした」とする人も、明治以降の産業資本主義が進展する中で被差別部落が編制されたプロセスをみていません。
「近世だ」「いや中世だ」といった部落史論争のはてに、近世に起源をもつ部落(*近世に起源をもたず近代に形成された被差別部落もある)が、明治以降の産業社会のなかで組み替えられ、近現代の日本社会で新たな機能をはたすようになったプロセスが置き忘れ去られ、議論されないままです。
それが、現代の日本社会に部落差別が存在する意味が解けない理由です。
前回、近世初期の革田(かわた)集団の拠点が中国地方最大の近代被差別部落となった広島県A町をみました。
明治期に、広島近郊の農村や漁村、小さな町などから、まず貧しい人たちが広島に入ってきました。
その一部がA町に入りました。人口が膨脹していき、いろんな下層の仕事が現われ、それらの仕事にA町の人たちが就いていきました。
以下は今回までの目次です。
?はじめに
?水平社結成前史
1.近代と被差別部落
2.国家と被差別部落
3国家による包摂 (1)産業と被差別部落 (2)戸籍と被差別部落
4資本と被差別部落の再構築
5.近代被差別部落の生活と階級分化
6.米騒動
5. 近代被差別部落の生活と構造変化
▼都市被差別部落の特徴ーー広島県A町
明治期から昭和にかけての都市部の被差別部落のようすを広島県A町でみることにしましょう。
前回も述べましたが、中国地方最大といわれるA町の人口は、明治初め1871年で889人から戦争期の1933年には9,000人と10倍に膨れ上がっています。
原爆が落とされる直前の1945年には6037人となっています。つまりA町の人口は、明治初期から昭和の前半期のあいだに、6〜7倍も膨れ上がったということです。
これは近代の都市部落の、全国的にみられる特徴のひとつです。大都市の大阪では、万を超す人口を抱える被差別部落があります。
近代の都市被差別部落のもうひとつの特徴は、祖父母より上の世代の出身地を知らない人が多くいることです。さまざまなデータからみて、A町の半数以上(3分の2とする見方も可能)が外部から流入してきた人びとであるといえます。
(1) 軍都広島で必要とされた大量の労働力
明治半ばに陸軍第5師団がおかれ、大本営も移された広島では、市内の4割を軍が接収しました。ですから広島の都市計画は、軍部主導で行なわれていきます。その結果、とくに上下水道、電気、道路、線路、港湾(宇品港開発)などのインフラ整備は、日本の都市でも早い時期に工事が着手され、完成されています。(都市計画の決定は当然軍部でした。)
A町に集まってきた人びとも、軍都広島を形成するなかで生み出された土方の仕事をはじめ、いろんな職業に就いてなりわいを立てていました。これは広島だけでなく、日本の近代都市の形成そのものが、このような労働力によって根幹を支えられてきたということです。そしてまた、被差別部落がその重要な一角を担ってきたということに注意してほしいと思います。
(2)屠畜とA町
「屠畜・皮革・靴のまち」としてイメージされることの多いA町ですが、実態は大きく異なっていました。
A町の屠畜場は広島県の政策で設置されました。他の屠畜場を統合するかたちです(1903年)。
広島市内にはもう一つ大きな屠畜場があり、それは陸軍が消費するための工場でした。
そこで生産された食肉のほとんどは、市内の缶詰工場120社で牛肉缶詰となりました。
牛肉缶詰は兵士の食糧でした。
「屠畜や皮革は被差別部落のシンボリックな仕事」とみる向きは少なくありませんが、食肉や皮革にかかわる仕事を「部落産業」と呼んでいいのかどうか。牛肉缶詰にしても、軍靴や軍装用の皮革製品にしても、軍需に依存するところが大きかったのです。
ちなみに製靴は、敗戦後1960年代になると大資本の靴メーカーによって急速に系列化・吸収され、A 町には靴職人はたくさんいたのですが、2001年には最後の職人が廃業されました。
話を大正・昭和期のA町に戻します。
軍需との関係で、食肉や皮革の仕事が繁盛し、そのなかでA町に財を築く人が現われていきます。被差別部落の中に階層分化が生じていきます。
A町の屠畜精肉業事業主の場合、2社は豪商、ほか30社は不安定な事業主、そして大量の低賃金労働者で構成されています。
屠畜の副産物には骨・油脂・血液がありますが、それらは化成製品の原料(生産手段)で、被差別部落にはそれを生産する業者がいました。血液は、A町の融和団体(あとの項で説明します)に助成金代わりに供与され、牛骨は歯ブラシやボタン工場で利用されました。工場で働くのは近隣の農村女性でした。
(3)A町で暮らす人々の職業構成
A町の人たちは、当時の労働力市場の下層部分を担う一大勢力をなしていました。
A町の人びとのじっさいの職業構成はどうなっていたか。
商業で多いのは行商、工業では屠畜・精肉・製靴もありますが、もっとも多いのは土木作業員と港湾荷役。つぎに多いのは、雑業といわれる人力車夫、廃品回収、子守や家政婦などでした。
屠場の仕事や製靴の仕事は厳しい労働でしたが、常雇いであれば、一定の収入が確保されました。つまりプロレタリアートです。子守を雇うことができる人々は共働きします。
ここで問題にしたいのは、その子守を仕事としなければならない貧困層の人びと(下層プロレタリアート)の生活です。
(4)最底辺の生活状況
より低位で不確実な社会関係のネットワークの中で生きていた彼ら彼女らの労働、生活の「みじめ」をあらわす非常に重要な証言が、A町にあります。
それは軍隊から放出される残飯(手をつけられないまま釜に残った飯類を業者が引き取り安価で売っていた)をたべる「残飯摂食」です。
その記憶を語る人は多くいます。
「母親は内職でちびりちびり金をもろうて、それで軍隊の残飯を買うて、ようやっと食べよりました。あの時軍隊の残飯がなけりゃ飢え死にしとったでしょうて」
その境遇へのささやかで悲しい反発もありました。
ある人の8歳の頃の回想です。
「母が行商の帰りにご飯をもらってきたところ『これは豚のエサだろう。なんぼうなんでも、乞食をしてもよう食べん』といって拒否しました。母親は『そういうだろうと思った。じゃあこれからはもらうまいね』とうなだれて言うしかありませんでした。」
(5)人力車夫
A町の人々の労働で大きなウエイトを占めていたのは、人力車夫でした。証言も比較的多く残っています。しかし、車夫の仕事は1906年をピークに激減します。人力車に代わり自転車や自動車が登場したためです。
▼地方農村の被差別部落
仕事をもとめて人が流入し、爆発的に人口が増えた都市の被差別部落。その増え方だけをみても、あきらかに近代都市部落へと変化したことがわかります。
いっぽう、地方農村の被差別部落のようすはどうだったでしょうか。
戊辰戦争や西南戦争の戦費調達に大量の紙幣を刷ったことで、日本経済は極度のインフレに見舞われました。
1881年、インフレを抑制するため大蔵大臣・松方正義はデフレ政策をとります。
貨幣価値が下がり、コメなどの農作物価格が下落、松方デフレの影響で没落する農民が増加しました。かれらは持っていた農地を手放して小作人となり、広範な土地が資本家や富裕農民のもとに集まりました。
また、この時期に製糸・紡績業などの産業が発達し、軽工業部門での産業革命が進行します。
産業革命の影響は、農村の被差別部落にも及んでいきます。没落した農家の子女は低賃金労働者として工場などに雇われることになります。
(*ただし、日本の農村のばあい、没落した農家の子女や二男三男(跡取りの長男以外は農地を継げない)など年間20〜30万人ほどが都市に出ていったものの、羊毛生産のため土地を柵で囲い込んだイギリスのように、農民すべてを追い出して工場で働く賃金労働者をつくりだす必要はありませんでした。)
▼疲弊する農村、富裕地主の出現
この産業革命による経済力を背景に、日本は日清戦争(1894-5年)、日露戦争(1904-5年)へと突入します。
日露戦争後は深刻な不況に陥り、労働者の困窮はもとより、農村の疲弊がいっそう深刻になりました。軍事大国にはなったものの国民の大多数は貧しく、まさしく「貧国強兵」といった状態でした。
日露戦争後の広島県地域の被差別部落には、あらたな構造的な変化がみられます。
1915年のある被差別部落では土地を所有する人びとが増えており、地主として富を蓄えた人が出現します(その人たちも差別から逃れ、よりよい生活を求めて流出します)。
また逆に消息が分からなくなった人がいます。
資本主義の進行は、被差別部落の階層分化をもたらしたといえます。
この状況は、つぎに待つ悲惨の入り口でした。
6. 米騒動〜「部落は怖い」という感情の流布
日本は、1918年に勃発した第一次世界大戦による好況期に入ります。
1917年、ロシア革命に干渉するためにシベリア出兵が強行されると、米の買い占めが始まりました。
1918年春には一升27銭だったコメの値段が、7月末には1升50銭になります。
その苦痛に、富山県の漁村の主婦が立ち上がったのをきっかけに、いわゆる米騒動が全国に拡がりました。
従来、米騒動には被差別部落大衆が多く参加し、主導的に行動したといわれてきました。
参加したこと自体は事実ですが、政府は、あたかも部落大衆だけが引き起こしたかのような言説をメディアに流布させ、沈静をはかったのです。被差別部落民に対しての世間の差別感を利用しました。
「部落は怖い」という感情が、人々に浸透し、強まりました。
次回は、米騒動をきっかけに被差別部落大衆の存在を危機とみなした政府が着手した部落改善運動についてお話します。
*にんげん出版編集部より
この連載は『部落解放ひろしま 特集 広島県水平社100年を迎えて』への小早川明良氏の寄稿をダイジェストしてお送りしています。転載を快諾して下さった編集部と著者に厚く御礼を申し上げます。
*小早川明良(こばやかわ・あきら)
広島県在住。特定非営利法人社会理論・動態研究所理事。「ひろしま 部落解放研究」編集長。
著書に『被差別部落像の構築 作為の陥穽』『被差別部落の真実』『被差別部落の真実2』
編著に『広島県地域の部落史・部落解放運動史年表草稿』など多数。
]]>にんげん出版編集部より
1922年、全国水平社が結成され、以降、各地に水平社が結成されていきました。
広島県水平社は1923年に創立され、今年でちょうど100年。
『部落解放ひろしま 特集 広島県水平社100年を迎えて』への小早川明良氏の寄稿をダイジェストしてお送りしています。転載を快諾して下さった編集部と著者に厚く御礼を申し上げます。
*小早川明良(こばやかわ・あきら)広島県在住。
特定非営利法人社会理論・動態研究所理事。「部落解放研究」編集長。
著書に『被差別部落像の構築 作為の陥穽』『被差別部落の真実』『被差別部落の真実2』
編著に『広島県地域の部落史・部落解放運動史年表草稿』など多数。
◆はじめに
全国には、近世に歴史的起源をもつといわれる被差別部落も相当数存在します。
とはいえ、今日それらは幕藩体制下で存在したままに続いているのではありません。
明治期以降の日本社会で、どのように組み替えられ、新たな機能をもって存続していったのでしょうか。
今回からは、広島県A町を中心に、近代に改編されていく様子をみていきます。
前回までの流れを振り返ります。
◆前回までの流れ
幕藩体制の下の近世賤民は、地域ごとに異なる呼称と職業(役)をもっていました。
明治政府「賤称廃止令」は、封建身分を廃止して「これまでは身分で仕事を決めていたが、以後、職業選択は自由である」という意味をもっていました。
生活の糧を失った旧被差別民だけでなく、俸禄を失い困窮する元武士も例外ではありませんでした。
維新の混乱の中で発生した困窮民は、都市へと流れていきます。
殖産興業政策によって建てられた近代工場ではたらく労働者に身を転じていく人も多くいました。
東京・大阪や地方都市には長屋・木賃宿が建てられ、労働者が集住するスラムになっていきます。
近代東京や大阪は、スラムと旧賤民集住地が交差しながら、都市社会が形成されていきます。(その意味でもスラムと被差別部落は異なります。)
◆近代産業進展と被差別部落
被差別部落の人びとはどんな仕事で生計を立て、生き延びていったでしょうか。
よく聞くのは〈食肉や皮革、製靴は被差別部落が担っており、部落の経済を支える産業である〉という、いわゆる「部落産業」です。
ところが被差別部落の就業実態を見ていくとそれは合致しません。都市部落の一部では食肉に携わっている人はいますが、全国の被差別部落でいちばん多いのは農業です。製靴にしても大手靴メーカーの隙間に小規模の靴職人の存在があり仕事がありますが、それで食べていけるかといえば難しい。「部落産業」という言葉は、「被差別部落は肉と皮にかかわる仕事に従事する人々」というステレオタイプにつながってしまいがちです。
◆戸籍と部落差別
近代国民国家をスタートするにあたって、最初にしなければならないことは何かといえば、「国民」の登録です。
戸籍編製にあたり、封建制のもとに存在した多様な被差別民(40以上の呼称と固有の役割)を「穢多・非人」と統一、つぎに「穢多・非人」を「国民」に組み入れます。
その時点で、【近代の被差別部落民は近世の穢多である】という認識が生まれていきました。
封建制のもとに存在した多様な被差別民の存在は、明治政権のもとで「穢多・非人」と統一され、あらたに考えだされた「新平民」という呼称により、【「新平民」=旧穢多・非人】という定式が固定化されました。その後、「特種(特殊)部落」「貧民部落」の呼称がつくりだされます。
今回までの目次は下記の通りです。
?はじめに
?水平社結成前史
1.近代と被差別部落
2.国家と被差別部落
3.国家による包摂 (1)産業と被差別部落 (2)戸籍と被差別部落
4.近代被差別部落の再構築
4. 近代被差別部落の再構築
▼明治維新後の日本――軍備増強・植民地拡大へ
明治初期から大正・昭和にかけて、被差別部落はどのように変化していったか、その背景をみておきましょう。
ふりかえれば、日本の明治維新期は、欧米列強が海外進出や植民地拡大を図り、帝国主義へと急速に舵を切っていく時代にありました。つまり、日本は帝国主義時代の真っただ中で資本主義を成立させていったことになります。
日本の産業化が急速に達成されたのは、欧米から先進的な機械や技術を導入できたからです。
軽工業(紡績業)を中心に産業革命がおこり、1890年代の末(日清戦争後)、日本の資本主義は本格的に成立しました。
ところが、国家の矛盾はかぎりなく進行します。
1894年、朝鮮半島の支配権をめぐって、日清戦争が勃発します。軍事的に優位に立った日本は、遼東半島と台湾を領土にし、賠償金を得ます。
しかし、ロシア・フランス・ドイツの三国干渉によって遼東半島を返還、この干渉で日露の関係は悪化、日本は軍事力増強に傾斜していきます。
1904年、日露戦争が勃発。戦闘じたいは日本が勝利しますが、経済的な疲弊は深刻でした。兵力も物資も不足して戦争を続けるのが困難になるなか、ポーツマス条約によって戦闘は終結しました(1905年)。
ところが、戦争に勝利したものの、期待した賠償金はとれず、18億円もの戦費(当時の国の会計予算は3億円)を外国債で調達していたわけですから、借金返済に苦しむのは当然のなりゆき。
財政は破綻寸前。日本は海外に植民地を作る帝国主義的政策をとって生き残りをはかります。
日本国内の巨大企業は海外に市場をもとめ、国家はそれをアシストする形で植民地を拡大していきます。
日本の場合、食料の確保もその目的にありました(牛肉輸入など)。
1910年、日本は朝鮮総督府を設置して韓国の主権を奪い、併合します。
わたしが注目するのは、このころ被差別部落に構造的な変化が起きていることです。
▼被差別部落に構造的な変化
べつの言い方をすると、近世の賤民集落が今日の被差別部落にダイレクトにつながっているのではなく、明治以降、旧賤民居住地は改編・再編成されていったのです。
またそれは、日本の資本主義が成立するプロセスと、なんらかの関係があるのではないかということです。
まず、明治初めから1910年代、そして戦争期1930年代の被差別部落の変化をみましょう。
変化はとくに都市部の被差別部落において顕著になります。
広島県の被差別部落のケースをみます。
(1)被差別部落の人口変化
中国地方最大の被差別部落といわれる広島県A町は、のちの広島県水平社創立と大きくかかわります。
江戸時代の広島に、革田(かわた)と呼ばれる人々の居住地が二つありました。
A町は、当時の街道筋の広島城下への西の入り口に位置づいています。おそらく軍事拠点として築かれたと思われ、古い史料をみても、革田が武装し、日頃から軍事訓練を行っていた記録も残されています。
そのA町は、明治初めの1871年でも889人というかなり大きな部落でした。それが1933年には9,000人と、人口が10倍に膨れ上がっています。
明治期以降、大正、昭和、そして一九四五年に原爆が落ちる直前に至るあいだに、A町の人口がどんどん増大していったという事実は、なにを意味しているのでしょうか。
広島は軍都でした。陸軍第五師団がおかれ、日清戦争時には大本営が東京から広島に移されました。軍都広島が近代都市として形成され、膨張していく過程で、広島市近郊からたくさんの人たちが流入してきたという事情と対応しています。
その中心部にほど近いA町にも、軍関係の仕事をもとめて、多くの人が流入してきました。
《A町の人口変化》
1871年 889人
1911年 3500人
1933年 9000人(1450世帯)
(2)拡張・縮小する被差別部落
人口の膨張は、近代の都市部落で全国的にみられる特徴です。
広島県A町を中心とする被差別部落は、周辺の村々に越境して拡がっていきました。1933年の記録では、3地域が被差別部落とみなされるようになっています。
(3)新しく形成された被差別部落
その一方、明治以降、封建時代の賤民居住地とはかかわりのない地に、被差別部落が形成されていきます。
そこに着目すると、近代被差別部落形成のメカニズムがよくわかります。
広島のケースをあげてみましょう。
1889年、呉(くれ)に海軍鎮守府(ちんじゅふ)がつくられます。鎮守府建設工事の過程で人口一千人を超す新たな被差別部落が生まれています。
周辺の農山村の被差別部落の人たちが当該地域に移動してきたからではありません。
もとは被差別部落民ではなかった人びとが、なんらかの事情によって移ってきたと考えられます。周辺の農村被差別部落の人口データをみても、これだけの人口規模が流出した地域はなく、また実際にそのような行動をとった人びとを確認できないからです。
(4)彼ら彼女らはなぜ移動するのか?
被差別部落住民が外部に転出し、あらたに外部から転入してくる現象は、都市部だけで起きているわけではありません。(『被差別部落の真実2』33頁表参照)。
1912年に開催された細民部落改善協議会では、京都のY地区も五千人以上が増加していることが報告されています。ちなみに「細民」は「赤貧洗うがごとし」の状態の人びとのこと。
全国のどのような被差別部落をみても、人口・面積ともに拡大縮小しています。(ただし被差別部落と非被差別部落の境界はぼやけたわけではなく、境界それじたいが、まるで呼吸するかのように拡がったり縮んだりする。)
被差別部落から外部への流出、また外部からの流入をかんがえてみれば、彼ら彼女らは、なぜ移動するのでしょうか?
生活が豊かになって移動したのではありません。
もちろん事業を起こして成功し、被差別部落を脱出した人もいます(事業を起ち上げる資金をもっていなくてはなりませんが)。
またその逆で、苦しい生活から脱したいばかりに、住み慣れた地域を出て行った人もいます。
被差別部落に流入する人びとも同じです。
つまり貧困のスパイラルから抜け出せなかったことがわかります。
]]>◆近代被差別部落と広島県水平社の100年その2
?. 水平社結成前史
◆はじめに
1922年、全国水平社が結成され、以降、各地に水平社が結成されていきました。
広島県水平社は1923年に創立され、今年でちょうど100年にあたります。
『部落解放ひろしま 特集広島県水平社100年を迎えて』への小早川明良氏の寄稿をダイジェストしてお送りしています。転載を快諾して下さった編集部と著者に厚く御礼を申し上げます。
小早川氏の論考を駆け足でめぐりながら、部落差別とはなにかをかんがえていきたい。
*** *** ***
前回ウエブ連載差別表現・第232回を振り返ります。
〇近代に入り、産業資本主義が進展する中で被差別部落が編制されていく。
〇封建身分制を解体した明治政府は「日本国民」を束ねるため天皇を最高位とする新たなヒエラルキーを設定。
今回は、近代産業進展のなか、被差別部落の人びとは、どのような仕事で生計を立てていたか。
明治政府が編制着手した戸籍は、部落差別とどう関連していくのか。
前回から今回までの目次はつぎのとおりです。
?はじめに
?水平社結成前史
1.近代と被差別部落
2.国家と被差別部落
3国家による包摂 (1)産業と被差別部落 (2)戸籍と被差別部落
3. 国家による包摂
(1)産業と被差別部落
▼部落産業とは
「部落産業」という言葉を聞かれたことがあると思います。
一言でいえば〈食肉や皮革は被差別部落が担っており、部落の経済を支える産業である〉というもの。
そして食肉・靴・皮革などの仕事は「部落産業」と呼ばれてきました。
ですが、その呼び方には留保が必要です。
理由のひとつは、被差別部落(とくに都市部落)の人々が就いている仕事の実態(じっさいの職業構成)とは合致しないことです。
都市被差別部落の多くは都市下層民の一般とおなじく土木・建築・運送・サービス・小商いなど「雑業」と呼ばれる多様な仕事で生活をしのいできました。
いっぽう農村部落では圧倒的に農業が多く、ついで土木建築関係になります。その実態からみて、食肉・靴・皮革などの仕事は被差別部落を代表する仕事とはいえないのです。
二つめに、被差別部落の中で屠畜業や靴、皮革の仕事をしている人はいます。
ただし、多くのばあい小規模であることです。事業化された場合の多くは豊富な資本金をもつ一般の人々により経営されました。
現在の製靴大手メーカーといえば、リーガル(日本製靴)・千代田製靴・スタンダード、そして大塚製靴(日本最初の靴製造会社)などがあげられます。
かれらは戦後ドイツ・米国から大量生産用の機械を導入、オートメーション化をはかってきました。
一般の経営者による製靴メーカーと部落企業の資本力の差はますます開いていきました。
全国的にみると1960 年代に靴関係の会社が大資本によって急速に系列化ないし吸収されていきます。
大手メーカーは、製造工程の機械化や販売過程の吸収・統合をはかり、合理化と資本集中を進めていきます。
▼広島県A町の靴職人は
広島県の被差別部落A町の靴職人は、それまでは仕事場や作業場でコツコツと靴を作っていたのが、1960年頃から、関西方面からなめした革が送られてきて、その革を裁断したり、送られてきた靴の半製品を完成品にし、関西方面に送り返して、職人はその工賃を受け取るということになっていきます。
やがて、その仕事さえ減っていきます。あるいは工賃が低落していきます。
このような靴産業の変容というか衰退のなかで、靴の仕事ではとても食えないし、将来の見込みもないということで、靴職人だった人たちが転職をよぎなくされていきます。様々な苦労がありました。
被差別部落内にあった食肉・靴・皮革の地元経営者の多くは、資本力をもつ外部の一般経営者に吸収されていきました。部落内に残ったのは零細な靴づくり、あるいは靴修理や内職でした。
ちなみに国内皮革生産数も減少しています。
1900年代の初めに比べ1938年には大きく減少、その後も減少の一途をたどっています。
皮革の多くを輸入に頼るようになったからです。
屠畜や皮革産業、その関連産業(製靴・化成など)が「部落産業」といわれ、被差別部落に固有の職業産業であるといわれますが、それは大資本の屠畜や皮革生産の隙間にのみ存在しえました。(『被差別部落の真実2』111頁参照)
(2)戸籍と被差別部落
▼戸籍制度―壬申戸籍
明治政権は西欧の先進国から機械や技術を導入し、近代産業立国をめざしました。
もう一つ、近代国家にとって重要なのは「国民」を把握すること。
領土内にいったい何人の国民がいるのか。そこに誰が住んでいるのか。
それがわからないと課税=徴税もできませんし、軍隊への召集=徴兵もできません。
近代国家は、非定住者(流浪する民)を嫌います。国民は定住していなければなりません。
その意味で、全国民を定住化させて登録する装置が、戸籍です。
明治政府が最初に作ったのが、よく知られている壬申戸籍(じんしんこせき・1873年)。
壬申戸籍には「元穢多」「新平民」など賤称が記載されたケースがあり、朱点が打たれるなどの戸籍簿も確認されています。
だれもが閲覧可能であったことが問題視され、1968年閲覧禁止、1970年永久封印となりました。
しかし、部落差別身元調査に利用されるという意味でいえば、壬申戸籍のみが問題なのではありません。
あとで説明しますが、その後に編製された戸籍では、それ以上の「効果」が得られるようになっている実態があります。
▼明治以後、近世の多様な被差別民が「穢多」に統一される
さて、明治政府が最初に作った「壬申戸籍」によってはじめて、封建社会にあったすべての身分(天皇をのぞく)が、天皇の治める領土に帰属する「臣民」「日本人」として記録されました。
旧被差別民も、多数派の国民とともにもれなく国家に登録されました。
注目すべきポイントは、40以上あった近世被差別身分の呼称は、戸籍編製の過程でいったん「穢多」に統一されていったことです。
封建制度のもとには多様な被差別民が存在していました。かれらは地域(藩)によって異なる呼称(40種以上)をもっていましたし、たんに呼称が違うだけでなく、その社会的性格(はたしていた役割)もそれぞれ異なっていました。
明治以後、それらはすべて「穢多」とひとくくりにされ、その過程で旧被差別民の多様性は喪失していきました。
1880年の時点で、〈近代の被差別部落民はすべて近世の穢多である〉という認識に統一され、やがてあらたに考えだされた「新平民」「特殊部落民」「特種部落民」と呼称が変化していきます。
「部落」という用語と認識は、その中で発生し、定着していったのです。
▼戸籍と家制度
話を戸籍にもどします。
壬申戸籍は無制限に閲覧可能だったことが問題視され、閲覧禁止、永久封印となりました。
しかし、以降に成立した戸籍には、壬申戸籍以上に差別を助長する「しくみ」がありました。
そもそも壬申戸籍はまちがいや不合理なところが多く、代わって1886年、明治19年式戸籍が成立しました。この戸籍から「除籍簿」のしくみが導入されています。
これは遺産相続のときに、遺産を相続する権利をもつ縁者を確定します。私有財産制のルールのもとでは個人資産の正確な継承が必須。つまり除籍簿は、私的所有の権利と深くかかわっているわけです。
どうじに除籍簿は、現在では150年前まで人々の系譜を遡り、その人の法的身分と社会的身分の証明を可能にする。つまり被差別部落民調査や他の身元調査にとっても必須の制度であるといえます。
さらに、1898年に作られた明治31年戸籍は、父系を軸とする同一の血統集団(養子も含む)を中心に、連綿と系譜が続く「家」を想定してつくられました。
家の統括者は「戸主」と呼ばれ、男系によって継がれます。男性がいない場合は養子を迎えます。
養子を迎えてその「家」を継承させるケースはじっさい多かったのです。
つまり、血の継承ではなく「家」を継承し、維持させるということ。血脈的に断絶しても残るものが「家」で、今日なおそれは、家父長制で維持されている傾向が強いのです。
家の統括者である戸主は、だれを「家」の一員にするか、婚姻・離婚・相続など家族の身分にかんするすべての権限をもち、何事にも戸主の承認を必要とするルールが確立しました。
こうして19世紀末までに、身分差別と家制度が有機的に結びついたのです。(以下、6月30日 第234号に続く)
(にんげん出版編集部註)
*本稿は小早川明良氏による論稿をダイジェスト版に編集し数回に分けてお送りしています。
*全文は『部落解放ひろしま105号』(2023年1月発行)に掲載されています。ぜひお読みください。
*小早川明良(こばやかわ・あきら)広島県在住。特定非営利法人社会理論・動態研究所理事。「広島解放研究紀要」編集長。
著書に『被差別部落像の構築 作為の陥穽』『被差別部落の真実』『被差別部落の真実2』、編著に『広島県地域の部落史・部落解放運動史年表草稿』など。
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はじめに
1922年、全国水平社が結成され、以降、各地に水平社が結成されていきました。
広島県水平社は1923年に創立され、今年でちょうど100年にあたります。
『部落解放ひろしま』105号では「広島県水平社100年を迎えて」として、近代以降、広島県水平社が結成されるまでの広島県地域、水平社結成に至る状況とその闘い、原爆被災をはさんで戦後の闘いを、特集しています。
今回、ウエブ連載では、その特集「 広島県水平社100年を迎えて」への小早川明良氏の寄稿「近代被差別部落と広島県水平社の100年」をダイジェストさせていただき、数回に分けて掲載させていただくこととしました。
水平社結成に至るまでの被差別部落の実態はどうであったか。
そして敗戦後、人びとは部落差別とどのように闘ったか。
小早川氏の論考を駆け足でめぐりながら、部落差別とはなにかをかんがえていきたい。
今回、転載を快諾して下さった編集部と著者に厚く御礼を申し上げます。
*全文は『部落解放ひろしま105号』(2023年1月発行)に掲載されています。ぜひお読みください。
*小早川明良(こばやかわ・あきら)広島県在住。特定非営利法人社会理論・動態研究所理事。「広島解放研究」編集長。
著書に『被差別部落像の構築 作為の陥穽』『被差別部落の真実』『被差別部落の真実2』、編著に『広島県地域の部落史・部落解放運動史年表草稿』など。
?. 水平社結成前史
▼江戸時代の身分差別が残ったのではないーー朝田善之助さんがのべたこと
被差別部落の成り立ちを考える場合、しばしば、江戸時代の賤民制(穢多・非人など)の延長線上で議論する傾向が残っていますが、それは有益な方法ではありません。
たしかに被差別部落によっては、十手など捕り方の道具が残っている場合があります(犯罪探索の‘役’を被差別民が担っていた)。
個別にはそのような前史をもつ被差別部落はあるかもしれませんが、その議論にはあまり意味がないと考えます。
京都市内の被差別部落に生まれ、のちに解放同盟全国委員長となった朝田善之助〈1902-1983〉という人がいます。朝田さんの『差別と闘い続けて』という本の中に、次の一文があります。
「部落問題とは封建的身分制度の遺制、つまり、前時代的制度がそのまま典型的にではなく、今の時代に改組・再編されて存在している問題のことである」
朝田さんがのべていることは、以下のように説明できるでしょう。
部落差別について「江戸時代の穢多、非人身分に対する差別が現代に残っている」という人がいます。
しかし、今日の部落差別というのは近代被差別部落民にたいする差別です。
その近代被差別部落民は、旧賤民ではなかった人も含めて、明治以降あらたに組み替えられ、再編成されています。
部落問題というと、まず江戸時代の封建制の下にあった被差別身分から説明されることが多いため、〈封建差別のなごり〉のようにみえているのですが、部落差別は、今日の社会であらたな機能をもって存在しています。
明治以降の産業資本主義をすすめる過程で、底辺労働者をプールしておく場所として旧賤民居住地が再編成され、仕事をもとめる人びとが、吹き寄せられるように集まったのです。
▼部落問題の三命題
朝田さんは〈部落問題の三命題〉(*)という部落問題認識をしめした人で、上に紹介した一文は、その三命題の説明のあとにのべたものです。
朝田さんが提唱した〈三命題〉を「理論的に古い」という人がいますが、わたしは近代から今日までの部落問題を考えるうえで、今なお重要だと思っています。
「理論的に古い」とされたのは「マルクス主義はもう古い」という見方からいわれていると思いますが、資本主義(資本の運動)を分析したマルクスの『資本論』は、現代社会をとらえる必読文献として、再び脚光を浴びています。
ここではくわしくのべませんが、部落差別は資本主義の階級的搾取であると喝破し、国家が持ち込んだ差別意識を社会が再生産するメカニズムをとらえた〈部落問題の三命題〉を、今日の被差別部落の状況に即して展開すべきだと思っています。
*小早川註 「部落差別の三つの命題」部落解放同盟第12回大会(1971年)で朝田善之助が提唱。
(1).部落差別の本質は、部落民は差別によって主要な生産関係から除外されていることにある。
(2).部落差別の社会的存在意義(部落差別が今日社会にどのように機能しているか)は、部落民に労働市場の底辺を支えさせ、一般労働者、勤労人民の低賃金、低生活のしずめとしての役割、部落民と労働者・勤労人民と対立させる分断支配の役割にある。
(3).社会意識としての部落差別観念は、自己が意識する・しないにかかわらず、客観的には空気を吸うように労働者・勤労人民の意識に入り込んでいる。
なお、これには以下の前提項があり、それ自体も議論を呼び起こした。
1.ある言動が差別にあたるかどうかは、その痛みを知っている被差別者にしかわからない。
2.日常生起する問題で、部落にとって、部落民にとって不利益なことは一切差別である。
▼西欧からの輸入ーー軍事・警察制度・戸籍制度
さて、徳川幕藩体制を打倒した明治政権は、西欧列強に伍する近代国家を始動するプロジェクトをかかげます。
そのキャッチフレーズが「富国強兵・殖産興業」です。
近代産業はヨーロッパからの生産手段の導入とともに始まりました。
明治維新から20数年で綿糸や生糸の大量生産・大量輸出を始めることができたのは、ヨーロッパから織機を輸入し、鉄道や電話、郵便といったインフラ技術を輸入して整備することができたからです。
生産手段の輸入は機械や技術だけではありません。
軍隊・警察・行政制度といった統治システムを取り入れることも意味しました。
軍事制度はドイツに範をとり、警察制度はフランスに倣ったといわれます。官庁などの制度もドイツといわれています。また戸籍制度は、その底流をナポレオン法典に拠っています。
▼国民を束ねる日本民族神話、そして天皇
もうひとつ、近代国家を維持運営するためには、国家と国民が一つにまとまっていなければなりません。
それまで300余りの藩領地で藩主のもとに暮らしていた人々を、「日本国民」として統合するためには、国民を束ね思想やイデオロギーが必要です。
しかし、日本には欧米のようにキリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教など強力な宗教もなく、国民を束ねる思想やイデオロギーをもっていませんでした。
近代国家としてのまとまりを急いで作り上げねばならなかった明治政権にとっては、「国民」を創出し、国民を束ねるイデオロギーないし精神的支柱を構築する必要がありました。
そのために京都の片隅にいた天皇を、国家の中でもっとも貴い存在として連れ出したのです。
〈日本人は万世一系の天皇を父として、大昔から一つの家族のように生きてきた。日本民族は上古から連綿と続いてきた〉という「国民の神話」をつくりだし、天皇を現人神とする国家神道を創造しました。(維新直後の1868 年、政府は神仏分離令をだし、廃仏毀釈を行いました。仏教(的要素)を排除することで、天皇を頂点とする国家神道の国教化をめざしたのです。)
▼「華族・士族・平民」――天皇を最高位とする新秩序
最高位と位置づけられる人が存在するためには、何が必要でしょうか。
その下につらなる人々なくして、最高位は存在できません。
華族制度や士族制度はそのために設けられました。
明治政府は、封建身分制を解体して、「華族・士族・平民」というあらたな近代身分をつくります。
それは天皇を最高位とする新秩序でした。
1870年に設けられた「華族・士族・平民」は、皇族(天皇の家族)、華族、士族(禄をとり華族に加えられなかった者)、そして平民はそれ以外のすべて。
明治政府が作った華族制度は、貴族といわずに「華族」としています。それは、元公家だけでなく、元藩主、明治政府に勲功があった者、僧籍から還俗した者など矛盾する立場の者をひとまとめにしたからです。
近代につくりだされたヒエラルキー(近代身分)の最下位が被差別部落民でした。
このヒエラルキーと経済的格差が日本的自由の真の姿でした。
その矛盾をおおい隠すために、「天皇の赤子」「八紘一宇」というイデオロギーが鼓吹されたのです。
ちなみに「身分」という言葉から封建制度をイメージする人が多いかもしれません。しかし現代のイギリスを見ても、2023年5月に戴冠式を行った英国国王チャールズ3世とその家族、親族(王族)で構成される「英国王室」があります。最高位の英国王と王族、その下につらなるヒエラルキーとして、伯爵・侯爵といった英国貴族がいます。
身分制は、封建制度の専売特許ではありません。
▼賤称廃止令
ここで皆さんは、疑問に思われるかもしれません。
明治政府は賤称廃止令によって旧賤民身分を解放したはずじゃないか、と。
1871年、いわゆる差別の解消を命じた賤称廃止令がだされます。
この太政官布告に道をひらいた官僚に加藤弘之(*)という人がいます。
かれはもともと西洋的啓蒙主義者でした。天賦人権論を日本にひろめ、「非人えた廃止」の意見書を出すなど、明治期の人権論とかかわるキーパーソンでした。
そうしたことから私たちは、「ヨーロッパの学問にまなび、ヨーロッパの政治社会にあこがれた明治政府の官僚たちが身分制の廃止にうごいた」として、明治政権は開明的だったとイメージしがちです。
徳川政権の支配層の思想は儒教でした。政権末期にはそれを打ち破る思想が誕生し、徳川幕府のもとで西欧思想を研究した人々の中から、近代的理念をもつ知識人があらわれたことは事実です。
賤称廃止令は、一時期「解放令」と呼ばれました。
それはじっさいに、被差別部落民の解放をもたらしたものだったでしょうか。
もう一度法令をみましょう。
「穢多非人の称、廃され候条、自今、身分職業共平民同様たるべき事」(明治四年八月 太政官)
この法令には、旧賤民を解放するとは、ひとことも書いていません。
職業選択の自由をのべているだけです。
封建時代には、身分によって職業が分けられていました。つまり職業と身分は一体でした。
それに対して近代国家となった明治政府は、「これからは身分に関係なく自由に職業を選べる」として、賤称廃止令をだしたわけです。
誰にとっての「自由」か。その点が重要です。
明治維新後には、どんな商売を始めようとも自由になりました。
近代は、資本をもち、それを投資できる人にとっての自由があることに特徴があります。
「殖産興業」をキャッチフレーズに、すべての産業は、国家の介入(官営工場払下げなど)によって資本家のもとに集中しました。(6月23日のウエブ連載に続く)
*加藤弘之 1836-1916年。ルソーの啓蒙思想に共鳴して天賦人権論を日本にひろめたが、のちに撤回。1882年『人権新説』を発表、「優勝劣敗」「貧小民は知的水準が欠乏」として帝国主義政策を賛美するようになる、1890年(明治15年)東京帝国大学総長に就任。政治学者・丸山眞男は「開明的」とされた加藤の変質を通して日本近代と部落問題を論じた。(『被差別部落の真実』参照)
]]>「生産性」言説とマイノリティ排除の論理
(今回のブログはにんげん出版編集部による執筆です)
▼「老害になる前に集団自決」
「高齢者の集団自決」発言で批判を浴び、SNS炎上中の成田悠輔氏が、4月に始まる深夜バラエティ番組(テレビ朝日)のMCに起用されるという。
成田悠輔は、イェール大学助教、新進の経済学者として、日本のメディアに登場(38歳)。インターネット番組や地上波のテレビに出演してきた。
賃金は上がらず税金は上がる一方、高齢者の介護・医療など社会保障費が若者の重荷になっているという主張に、一部の若者の支持を得ている。
少子高齢化がすすむ日本で高齢者はお荷物として「集団自決」発言を繰り返す成田に、以前から批判の声は上がっていたものの、メディアはかれを起用し続けてきた。
▼『Abemaプライム』での発言
ニューヨークタイムズ紙(2023年2月12日付/以下NYT)も、成田の発言をとりあげた。
NYTが問題視したのは、少子高齢化がすすむ日本の未来の「解決策」を問われた『Abemaプライム』での発言。
「僕はもう(少子高齢社会に対する)唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなものではないかなと。やっぱり人間って引き際が重要だと思うんですよ。別に物理的な切腹だけじゃなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて。過去の功績を使って居座り続ける人が、いろいろなレイヤーで多すぎる」
(2021年12月17日配信『Abemaプライム』)
▼集団自決はメタファーと弁明
発言意図はあきらかだろう。
〈働けない高齢者は社会のお荷物。そんな年寄りの年金・医療・介護費のために、若者は税負担にますます苦しむことになる。高齢者に死んでもらうことが唯一の解決策だ〉
いっぽう成田は、NYT記事の中で、「集団自決」は「世代交代を表すメタファーだった」と弁明しているが、78年前の沖縄では、「集団自決」として旧日本軍が沖縄住民に自死を強制、実際には集団虐殺にひとしい惨状がくり広げられたのである。
メタファー(暗喩)としての「集団自決」が意味するものは、世代交代ではなく、人間集団の抹殺にほかならない。
NYT紙につづき、独シュピーゲル紙も問題として取り上げた。
成田の発言は、かつてナチスドイツ時代に行われた、ナチス党の「障害者安楽死計画」における障害者抹殺と発想は同じである。
ナチ党宣伝ポスター
「遺伝性疾患のこの患者は、生涯にわたって、国に6万マルク(現在の日本円で5千万円)の負担をかけることになる。よく考えよ、ドイツ国民よ、これは皆さんが払う税金なのだ」
▼少子高齢化問題と高齢者ヘイト
少子高齢化問題は、〈口にしてはいけないこと〉ではない。
現状は、若者が多くの高齢者をささえなければならない構造になっている。
誰もがよりよく生きていけるインクルーシブ社会をどう構築していくのか、経済学者であるならば、現状分析と政策課題の提言が急務であることはいうまでもない。
※超高齢社会といわれる日本の人口の3割、およそ3人に1人が65 歳以上の高齢者である。また2025年は「団塊の世代」が75 歳以上となり、総人口の18%を75 歳以上が占めると予測されている。
▼「高齢者を自動的に死なせるシステム」
NYTの記事をきっかけに、過去の成田の発言が再び注目を浴びた。
かれの持論に賛同する小学生が、「高齢者を自動的にいなくなるシステムを作るには?」と、成田に問うていたのだ。
「日経テレ東大学」(※)のYouTube番組「Re;hack」が2022年5月15日に公開された。
ひろゆきこと西村博之と成田悠輔、20人の小中高校生が会場でトーク。
男子生徒
「成田さんはよく『Re:Hack』内で『老人は自害しろ』とか言っているじゃないですか。老人は実際に退散した方がいいと思います。で、そういう時に、老人が自動でいなくなるシステムを作るとしたら、法律とかでもいいんですけど、どうやって作りますか?」
成田悠輔
「どういう風にやるかっていうと、結構ありえる未来社会像なんじゃないかと思っていて。そういう社会を描いたSF映画(『Theタイム』)があるんです。みんな生まれた時に腕にタイマーが埋め込まれていて、何十年か経つとタイマーが作動して自動的に亡くなるようになっている。みんな等しく、寿命の上限が与えられていて、その時間になったら亡くなるっていうのが埋め込まれている社会が一個」
「もう一個それっぽい社会を描いた映画があって。サマーなんとかっていう映画(『ミッドサマー』)、謎の架空の集落を描いた映画なんですよ。その集落では一定の年齢になると、その人が崖の上に上がっていって、飛び降りるのが風習になっている架空の村を描いたもの」
「こういう架空の村みたいなものっていうのは、歴史上だと存在していたらしいんですよね。そんな感じの社会を考えることはできるんじゃないですか。それが良いのかどうかっていうと難しい問題ですよね。もし良いと思うのなら、そういう社会を作るために頑張ってみるのも手なんじゃないかな」
▼NewsWeek誌の批判
藤崎剛人氏はNewsWeek誌に寄稿し、つぎのように批判する。
「〈老人が自動でいなくなるシステム〉という少年が発した表現は、まさに20世紀以降の大量虐殺の本質をついている。だからこそ、この言葉は即座に否定されなければならなかった。ナチスのユダヤ人虐殺は、その虐殺という言葉の禍々しさとは裏腹に、工学的に洗練され効率的に人を殺すことができるシステムによって実行されていた。」
(2月22日)
成田発言について沈黙を続けたまま、『日経テレ東大学』は終了。
いっぽう、Web上で成田は弁明を続けている(Webサイト「みんなの介護〜言ってはいけないことをいう理由」2月28日)。
▼新自由主義時代にあらわれた生産性言説による排除
経済のグローバル化(グローバリゼーション)は、民営化と規制緩和の新自由主義をうながした。
それは、ごく少数の「勝ち組」と多数の「負け組」を生みだした。
ごく少数の「勝ち組」意識を代表しているのが、成田悠輔の言説だ。
新自由主義が吹き荒れるなか、ことあるごとに出されるキーワードが、「自己責任」と「生産性」である。
「LGBTの人びとは子どもを作らない、生産性がないのです」(杉田水脈)
「自業自得の人工透析患者なんて全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」(長谷川豊)
杉田水脈が寄稿した『新潮45』は廃刊、人工透析患者をターゲットに「殺せ」と吐いた元フジテレビアナウンサー長谷川豊は番組を降板。
両発言は、ヘイトスピーチとして糾弾された。
▼「障害者は死んだ方がいい」――相模原障害者殺傷事件・植松死刑囚の発言
「生産性」という物差しで人間の価値を測り、「人間の命より生産性の追求を優先」する。
人間の尊厳や生存の意味そのものを否定する「生産性」言説が、肉体の殲滅に至らしめる。
戦後最大のヘイトクライムが、2016年に起きた相模原重複障害者殺傷事件だった。
植松死刑囚は、犯行をおこす以前から、「障害者は死んだ方がいい」と、くり返し語っていた。
犯行の動機についてかれは、「重複障害者がいなくなれば国家の経済的負担が軽くなる」「障
害者は『生産性』がなく、不幸をつくることしかできない」とのべた。
植松死刑囚の犯行は、「生産性」という物差しで人間の価値を測り、人間の尊厳や生存の意味そのものを否定する社会が背景にあるのだが、その解明がなされないまま、いまに至っている。(※ウエブ連載第187回 相模原障害者殺傷事件はヘイトクライム参照)
最後にもう一つの事件を振り返って、この項を終わりたい。
▼渋谷ホームレス女性殺害事件
2020年11月、渋谷区幡ヶ谷バス停付近で野宿する60代の女性が、46歳の男性に撲殺された。
不安定な派遣の仕事についていた女性は、コロナ禍に仕事と収入を失っていた。いっぽう、女性を謀殺した男は、犯行の動機に「野宿者がいなくなることが社会のため」と述べたという。(※)
相模原障害者殺傷事件を起こした植松死刑囚も、渋谷ホームレス殺人の容疑者も、その犯行を正当化する主張は共通している。
すなわち、経済的価値を生まない人間の命は軽い。むしろ(存在を)廃棄することが、「社会のため」だという。
成田悠輔の「高齢者の集団自決」発言も、同じ発想に根ざしている。
成田の「集団自決」発言を垂れ流したメディアは、謝罪なく、沈黙している。
「総合的な判断により成田氏を起用」するテレビ局は、「老人が自動でいなくなるシステムが必要だ」と叫んで、高齢者を殺傷するヘイトクライムが起きたときには、社会的責任を負うことになろう。
※「老人が自動でいなくなるシステム」という少年が発した表現は、まさに20世紀以降の大量虐殺の本質をついている。だからこそ、この言葉は即座に否定されなければならなかった。ナチスのユダヤ人虐殺は、その虐殺という言葉の禍々しさとは裏腹に、工学的に洗練され効率的に人を殺すことができるシステムによって実行されていた。そのシステムを設計したのは、優秀な科学者やエンジニアであった。アウシュヴィッツ収容所は人間の理性や文明化過程の一つの帰結に他ならないと、ドイツの哲学者アドルノは述べた。(ニューズウィーク・藤崎剛人/2月22日)
※2021年7月メンタリストDaiGo氏もYouTubeでほぼ同じ発言をして謝罪。「ホームレスの命はどうでもいい」「いないほうがよくない?」「邪魔だしさ、プラスになんないしさ」といった発言を自身のYouTubeチャンネル(登録者数246万人)で繰り返したメンタリストDaiGo氏が、インターネット上で「許されない」との批判の声に、一連の発言が差別的な暴言だったと認め、謝罪。テレビ出演休止。
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▼ドキュメンタリー「54色のいろ鉛筆」のはなしから
これまで感想をのべてきた『私のはなし 部落のはなし』。三回目も多井が担当する。
本題に入る前にNHKドキュメンタリー「54色のいろ鉛筆 大正中学校の挑戦」(2021年4月放送)にふれておきたい。
奈良県御所市の大正中学校では支援が必要な自閉症スペクトラムの子も知的障害の子も同じクラスで共に学ぶインクルーシブ教育が行われている。
コミュニケーションをとるのが苦手な子、落ち着いて行動できない子、家庭の事情で毎日家事をする子どもーーそれぞれの悩みを抱えながら子ども同士ぶつかりあい、助け合い、共に生きていくことの意味をつかみとって成長していく姿をみつめる。
▼ギターをかき鳴らし歌う校長先生
カメラは同中学の向本(むかいもと)校長にフォーカスする。
ギターをかき鳴らし、〈ウディ・ガスリーに捧げる歌〉なんかを歌っている。
子どもたちは何やかやと言っては校長室に出入りし、校長にまとわりつき、質問攻めにする。
戦後から今日まで70年以上にわたり、大正中学校では同和教育が取り組まれてきた。
「ガラが悪い」「学力が低い」「荒れた学校」とネガティブなレッテルを貼られてきた背景には、被差別部落の厳しい生活現実という差別の実態があった。
就職差別も厳しかった時代、進路が決まらず、展望がもてない生徒が学校に不満をもつのは当たり前だろう。「非行」が吹き荒れ、1983年には10日間の休校措置もとられた。
向本が新採教員として大正中学に赴任したのはその翌年。以来38年、先輩教員や保護者・地域の人たちに叱咤激励され、しんどい家庭の子どもを守り、支えるために、必死に走り回ってきた。
子どもたちがどんな家庭生活を送っているのか。保護者の状況と思い。そこを見ずして、子どもがぶつかっている課題はわからない。
同和教育は「差別の現実から学ぶ」ことを第一にかかげ、部落の子どもや 親の願いや思いに立ち、学校を反差別の教育の場に変革する教員たちの取り組みだった。
やがてその理念は、すべての子どもの教育権を守る取り組みへと拡がった。
在日韓国・朝鮮人、在日外国人の子ども、障がいのある子どもたちすべての教育補償として位置づいていった。
カメラは、子どもと保護者に徹底して寄り添う大正中学教員の姿をおう。
「部落差別の現実にまなぶ」「一人の子どもも取り残さない」という決意、保護者・地域とともに苦闘した積み重ねが、そのベースにある。
子どもはそれを直感的に理解している。だから校長室に入り浸っては、甘えたり、親に言えないない悩みを言ったりする。
甘えるのは、学校という社会を信じているからである。
やがて、クラス54人の子どもたちが卒業を迎え、それぞれの進路を選択して旅立つときが来る。
向本校長は歌う(「悲しい思いをしなければいいが、それでも未来に立ち向かってほしい」という気持ちを込めて)。
『どうして旅に出なかったんだ坊や あんなに行きたがっていたじゃないか
行っても行かなくてもおんなじだと思ったのかい……』(作詞作曲 友部正人)
番組では部落差別とか同和教育という言葉は使われない。しかしカメラは、向本をはじめとする教員の表情から、かれらの情熱の核心をとらえていた。
この秀作ドキュメントの撮影監督は、満若勇咲である。
▼筆者が出会った教師たち
「同和教育なんて意味ないだろ」という人のために、筆者の体験を紹介しておく。
筆者は1970年代、奈良県内の中学・高校に通った。
同和教育がないどころか部落出身生徒に対する教師の差別言動が横行する大阪市内の小学校(当時)から奈良の学校に来た筆者にとっては、驚きだった。
差別事件があったとき、授業は即クラス討論に切り替える。「差別は心の問題」と発言した生徒は周りから「それはちゃうわー」と批判された。
音楽の授業では、御所中学(大正中学?)から転任してきた音楽教師が、こんなことを言った。
「ピアノもヴァイオリンもサックスも、皆ええ音色なんやけど、やっぱり最高なんは人間の歌声やな。僕は御所の学校からここに来たんやけど、ヤンチャする子も結構おったよ。そやけどな。かれらに歌をうたわせたら、肚の底からええ声だしよんねん。練習も真剣に取り組みよる。ほんま人間の声は素晴らしいなと思ったね。」
高校のホームルームで部落問題が話し合われたとき、「八鹿高校では解放同盟が暴力をふるっている」と言った生徒がいて、ひとしきりもめた。
クラスには少なくない部落出身生徒がいたし、部落民宣言もあった。
ただ八鹿高校事件(*)に関して、当時は「暴力をふるった解放同盟が悪い」という意見が強かった。
クラス担任は、東京教育大(筑波大)からきた数学しか頭にないような男性教師。
何を考えているのかわからない。
生徒が担任に怒鳴った。
生徒「先生はどう考えてんねん !」
教師「部落出身生徒が抗議したのは当然と思ってます。私は解放同盟を支持します」
このとき、教室にいた生徒全員が「オオーーッ」という声にならない息を吐いたのを記憶している。
訥々としゃべるこの教師の言明に、クラスメート全員が驚いていたと思う。
筆者も「へえー、この先生言うやん」と思った。
*1974年兵庫県八鹿高校で、部落解放研究会設立の動きがなされたが認められず、解放研生徒が抗議のハンスト。同和教育をめぐる教職員と解放同盟の衝突事件が起き、後に裁判となった。
映画『私のはなし 部落のはなし』に話を戻そう。
前回ウエブ連載(229回)で筆者が問うたのは、被差別部落の所在や個人名をネット上にさらした差別犯罪者・宮部龍彦の登場シーン。
「部落差別は存在しない」というデタラメを宮部にしゃべらせながら、明確な反論をだれにも語らせなかった。
差別言説をそのままたれ流すのは、なぜなのか?
差別者だって自由にモノを言うべきだから?
観客が自分の頭で考えるべきだから?
「部落差別はない」と言いながら「部落探訪」する、その映像をアップし続ける差別犯罪者・宮部の矛盾を、映画はどう衝くのか?
宮部をインパクトのある素材と思ったからかもしれないが、いくらなんでもこのまま終わるはずはないだろう……そう思いながら、やがて3時間25分の映画は終盤に差し掛かっていた。
▼次世代の青年たちは
ラスト近く、K地区の青年3人が語り合うシーン。
青年のひとりTさんは、太鼓グループのリーダー。エイサーと和太鼓打ち手のプロをめざし国内外で演奏してきた。部落出身者として自己認識するかれは、「市民との協働のまちづくり」をめざしK地区で活動する。
Tさんと仲のいい友達2人は、子どものころK地区に移り住んだ。
同じ学校に通い、ともに成長した3人が同窓会を開くにあたって交わす会話。
同窓会を人権センターでやろうと提案したところ、「人権センターでやるのはこわい」といった同窓生がいたという。
部落差別は人間に貼り付けられた差別である。
「こわい」人間が集団でいる被差別部落のコミュニティや関連施設が、恐怖の感覚を引き起こさせる空間としてイメージされているのだ。
「こわい」と同窓生が反応したことについて、Tさん以外の2人は否定することもない。
「相手を変えることは大事だけど、それよりも自分が変わったほうが楽」
「何か言われてもスルーできるような体力をつけておくことは大事」
2人に対し、Tさんは言う。
「(差別発言を)流すんじゃなくて、(部落差別の問題を)相手に理解してほしいし、そのために闘いたい」
▼青年の会話に顕れた非対象性
友人のリアクションには、監督も驚いたのか、「少し第三者目線という印象を感じるけど、実際に部落問題にはどう関わっていくの?」とかれらに声をかけている。
K地区でともに成長した次世代の若者たちは、部落差別とどうかかわっていくのか?
Tさんの友人は語った。
「じぶんにできることはTくんに協力していきたい。」
つまり部落差別は「他人事(ひとごと)のはなし」であった。
K地区に引っ越してきたが自分は一般民である、という意識をもち、Tさんを「他者」として認識していた。
(そのことは「K地区に住んだことがあるから僕もそう思われるんかな」と〈不安〉を口にすることでわかる。)
あまりにもちがう意識の構造に慄然とする。
▼被差別部落はスペクトラム
『被差別部落の真実2 だれが部落民になったのか』で小早川明良氏は「被差別部落(民)はスペクトラムである」と語る。
〈被差別部落と一般民は、元来スペクトラム(連続体)の状態にある。部落差別は、それを必要とする者が、部 落と一般の境界線を引くことにこそ目的がある。「正常と異常」「日本人と日本人のような人、日本人ではない人」との間に境界を作るのと同じように。〉(『被差別部落の真実2』32頁)
〈スペクトルである被差別部落(民)という存在に線を引き、空間を設定し、標本のようにピン止めし、管理統 治するのが差別者の行為である。統治は国家権力による統治だけではなく、権力を主体化する自己の統治として作用する。〉(小早川明良[どのようにマイノリティは存在しているか]より)
〈差別する・される〉関係が社会の構造としてあり、部落と一般の境界線を引くのはマジョリティの側である。
3人の青年の会話から、青年2人は一般民(非被差別部落民)として部落民との境界線を引いていることがわかる。満若監督みずから「ちょっと第三者的じゃない?」と声をかけるけれども、かれらの態度は明確である。
一見、和気あいあいと語りあっているように見えるシーン。
観客がみたのは「互いに承認しあう対等な3人」の関係ではなく、「部落差別をする側・される側」という権力関係が、かれらの間に発生している情景である。(*1)
▼矛盾
はっきり言おう。
映画後半に登場した宮部は、圧倒的な差別者の声を味方にして「はなし」をした。
差別者はいまだ反省せず、部落探訪をつづける。
「啓発映画ではないので…自分でかんがえてください」と監督は観客になげた。
しかし、社会のヘゲモニーを握っているのは差別する側なのだ。これが現実だ。
それに対抗する批判や思想がなければ、「宮部にも共感する」というメッセージを観客が受け取るのは当然で、ラストシーンもそれにそって流れるのは必然だろう。
「(差別発言を)流すんじゃなくて、部落問題を相手に理解してほしいし、そのために闘いたい」
そう語るTさんは、「差別する・される」関係を厳然させている社会の構造を変革するために闘うと言っていると、筆者は理解する。
対して友人は、Tさんに「(友人として)協力する」と答えた。
それは、被差別部落民が背負ってきた、またこれからも背負わねばならない生活世界を、共に背負うことはしない(『被差別部落の真実2』192頁)、という意味である。
にもかかわらず、シーンの終わりで3人はブルーハーツの『青空』を唱和する。
「生まれたところや皮膚や目の色で いったい何がわかるというのだろう」
「こんなはずじゃなかったろ 歴史が僕を問い詰める」
ここに登場した青年たちも大好きな歌なのだろう。ウクレレも用意されていた。
しかし、「そっち側じゃない」と境界線を引いておきながら差別へのプロテストソングを歌うシーンには、違和感しか感じない。
思わず、ふざけんなと言いたくなるこのシーンは、宮部がとうとうと詭弁を語る映像とダブる。
冒頭で紹介したドキュメンタリー『54色のいろ鉛筆』でも子どもを未来に送り出す思いを唄うシーンがあった。
しかし、同じ監督の撮影なのに、まったく位相がちがう。
それはなぜなのだろう?
だが、本作品のレビューには「『青空』を歌うシーンに感動した」と寄せている人が少なくない。
差別は、マジョリティを感動させる道具ではない。
インタビューで「観た人にモヤモヤして帰ってほしい」「揺らぎを感じて」と監督は語っている。
観客が「モヤモヤする」のは、この映画で自己の差別意識を確認し、そこに安住している自分を許せたから。そのときちょっとした罪悪感(のようなもの)を感じたからではないだろうか。(了)
*1 小早川明良氏は、「被差別部落民という(人間の一部の)アイデンデンティティは、他者との関係において形成される。それは見做されるという関係性論ではなく、またヘーゲルの言うような『互いに承認しあう対等な2人』の関係ではなく、いわば権力のミクロな磁場においてである。」と述べる。
*追記 差別が張り巡らされ、むき出しになっている社会状況を、差別事件の主戦場は主にネットの中にあるとの提起が本映画でなされているように見受けられる。それについては別の機会に譲りたい。
*追記 広島部落解放研究所ホームぺージには、『私のはなし部落のはなし』をめぐって、『被差別部落の真実』https://onl.tw/s1eyMsJの著者・小早川明良氏が寄稿している。厳しい文章には、「部落差別とはなにか」を考えるに重要な論点が含まれている。全文はhttps://buraku-study.org/essay.phpを参照いただきたい。
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被差別当事者が思いを語る声。近隣住民たちが差別感情を吐露する声。それらが輻輳する『私のはなし 部落のはなし』(満若勇咲監督)。
映画後半に登場するのは、鳥取ループ(ブロガーのニックネーム)を名乗る宮部龍彦(以下、宮部)である。
前回に引き続き、本連載は筆者(多井)が担当する。
▼差別をビジネスにする男
宮部が『全国部落調査・復刻版』をネットで販売告知したのは2016年(*1)。
「アマゾンで全国部落調査の予約を開始。熱烈な予約注文をお願いします」
「全国5360余の部落の当時の地名に加え、現在地名もできる限り掲載」との煽り文句で売り出そうとした「本」は、一冊926円。
明確に差別図書「部落地名総鑑」(*2)を意識して、全国の被差別部落の所在地を晒すという差別行為を、目的意識的に行おうとした。
「こんな差別本を売ること自体が犯罪行為!」との教育関係者たちの速攻抗議により、アマゾン、紀伊國屋、宮脇書店グループは取扱い中止。つづいて参議院法務委員会で、有田芳生議員がネット上の部落地名リスト発行を中止させるべく緊急追及。
販売を封じられた宮部は「そこまでされるならこうするしかありません」とコメントに書き込み、「全国部落調査」のデータをネット上にさらした(*1)。
その経過は「ウエブ連載178回『全国部落調査』なる差別犯罪本」に書いた。
(http://rensai.ningenshuppan.com/?eid=197)
宮部に対する訴訟の地裁判決は2021年9月。復刻版の出版差止めとネット上のデータ配布禁止や二次利用禁止、原告235名うち219人に合計488万6500円の損害賠償を認めた。判決を不服として原告・被告とも控訴。
▼「差別はない」といいながら「部落探訪」する男
宮部は「部落探訪」と称して、全国200〜300地区の被差別部落を撮影、「ここが部落」と動画サイトにアップしてきた。
とくに解放運動が組織されていない地区、抗議の声をあげにくい地域を狙う点に、その犯罪性と差別的心性が象徴されている。
アップした動画の再生回数は多いもので200万回、広告収入で差別をビジネスにする男だ。
宮部は「部落の現在地名」「近くのバス停や公共施設名」「その地域に多い苗字」をマップ上にピン止め、さらに被差別部落の関係者の情報を掲載するページをつくり、住所・氏名・電話番号を書き込んだ。
(活動家はカミングアウトしているのだからいいじゃないかと思う人もいるかもしれない。だがその個人がさらされた地域には友人や親族が暮らしている。)
*くわしくは下記のブログ参照。
(*2)第181回 部落地名総鑑糾弾闘争
http://rensai.ningenshuppan.com/?eid=199
『私のはなし 部落のはなし』では「部落探訪」に出かける宮部の車に監督が同乗してカメラをむける。
許せないという批判があるのは当然のことだろう。ただドキュメンタリー作品には、どう見ても共感できない困った人物が多く登場するのは事実であるし、宮部の差別犯罪をとりあげることじたいはいいと筆者は思う。
しかし、映画は宮部の妄説を垂れ流しただけであった。
▼凶器を売る男
1975年に発覚した差別犯罪本・部落地名総鑑は、「本」の体裁をとっているものの、内容は凶器なのだ。2016年、宮部がネット上に拡散した部落地名リストも部落出身者の命を奪う凶器である。スマホさえあれば誰でもアクセスできる。
『私のはなし 部落のはなし』で聞かされた宮部の独白は、47年前と変わらない部落地名総鑑を作った興信所・探偵業者とまったく同じである。
〇宮部 「部落地名リストを公表した僕が悪いのではなく、それを使う人が悪い」(2022年)
〇探偵業者「情報作用とは真実を探求し、真実を伝達する作用である。部落差別は存在しており未解放地区はあるのだから、その真実を報道することがなぜ悪いか」(1975年)
度し難い差別者の屁理屈は昔から変わらない。(*3)
「部落差別というのはないんです、デマ」「隠すことが差別を助長し、差別の原因になっている」というかれの虚言には、何ひとつ科学的な根拠も正当性も論理整合性もない。
だが、映画『私のはなし 部落のはなし』では、宮部の虚言に対する明確な反論を、誰にも語らせていない。
(*3)第182回 引き続き差別犯罪本「全国部落調査」について
http://rensai.ningenshuppan.com/?month=201603
▼差別を愉しむ男
「探訪」から場所を変え、くいあらためない差別者はベンチに座り、妄説(詭弁とウソ)をしゃべり続ける。
観客はそのうち、宮部の言っていることにも一理あるんじゃないかと思うようになる。
配給会社が紹介したレビューにつぎのような投稿がある。
〈映画で、ある人物は、「この名簿で結婚が破談になる人物が出たら、あなたその責任が取れるんですか?」と宮部龍彦に問いかけたそうだが、『それは差別した本人が悪いのであって、情報を載せた私が悪いわけではない』と開き直ったと憤慨していた。映画の後半、宮部龍彦本人が登場。実際に彼が喋っている話を聞くと、「決して賛同はできないが、話が通じない人間ではない」と感じた。〉
ほかにも「(宮部の行動を)理解できなくもない」といった投稿がみられた。
差別の凶器『全国部落調査』をばらまく行為は、被差別部落に対する予断と偏見(人種・民族がちがう、穢れ意識など)にもとづく差別意識が確固として存在しているという厳粛な事実=社会環境のもとで、部落出身者を苦しめ、命を奪う。
映画公開前後の監督らによるインタビューは、解放運動を描くものではないと前置きして、「部落差別と向き合った」と語っている。
その物言いが本当に嫌だ。
そもそも不平等で非対称な関係性を無視して「むきあう」ことなどできるわけがない。
しかも、マジョリティの差別言説(歪曲とデマ)をとうとうと流しながら、それに対する反論を語らせなかった。
運動を描くのが目的ではない、「正しさ」を描こうとしたのではないというのは、苦しまぎれの言い訳に過ぎない。
▼映画『ゲッペルスと私』(2018年 オーストリア)
話は少し横道にそれる。
たとえばナチスの加害者がえんえんと自分の行為を語る映画はあるのだろうか?
映画にくわしい作家・編集者の佐藤眞さんに尋ねてみた。
〈ナチスのホロコーストに加担した当事者が語るという歴史研究的なスタンスがあります。
戦後70年も経って反省していない人がいる、それ自体が批判の対象となっているということです。〉
佐藤さんがその例としてあげた『ゲッペルスと私』。これは筆者も観た記憶がある。
ナチス政権ナンバー2のゲッペルス(1945年自殺)の元秘書が、69年前の記憶を独白するドキュメンタリー。
大衆をナチス支持に煽動したゲッペルスの姿を、100歳を超える彼女が記憶から鮮やかに取り出してみせる。
秘書として重要文書もタイプした彼女が〈ホロコーストを私は最後まで知らなかった〉というのは、はたして真実か?
(映画『ゲッペルスと私』より)
彼女へのインタビューは30時間を超えたという。
監督は「インタビューの中で彼女に論評を加えたりしないという約束で撮った」という。
ただし、彼女の言い分をそのまま流すことにならないよう、アーカイブ映像を対比させた。
彼女の独白の合間に当時のゲットーや収容所の未公開映像が織り込まれる。
監督は語る。「映画の冒頭、観客は彼女を好ましく思うだろう。中盤、ちょっと確信が持てなくなる。最後には、彼女に対する自分なりの答えを見出さなければならないと感じるだろう」。
映画には彼女を追及するシーンはない。
「悪の凡庸さ」(命じられた仕事を実行したと語るアイヒマンを評したハンナ・アーレントの言葉)を、「悪」の側の独白から考えさせることが、監督の意図だからだ。
元秘書の独白とアーカイブ映像との対比によって映画は進んでいく。
やがて、彼女が話す〈記憶〉は事実とつじつまがあわず、自分に都合よい〈記憶〉を選びとって語っていることが明らかになる。
観る側は、「人間はどんな言い訳をしながら差別に加担していくか」を追体験させられ、その結果、600万人もの犠牲者を生んだ事実を痛感する。
そして、「自分ならどう行動するか」を考えさせられる。
▼ある未公開映像
『私のはなし部落のはなし』に話を戻す。
映画の後半は、監督自身が宮部の〈妄説〉に呑みこまれてすすんでいくようだ。
映像は強烈だ。
裁判で有罪となった宮部がとくとくと「自説」を語り、「部落探訪」する現実をみせつけられる。
「おそるべし、宮部」と胸中つぶやいたところで、「いや待てよ、そういえば」と思い起こしたのが、もう一つの宮部のドキュメンタリー映像である。
2016年、宮部の自宅を訪れ、その行為について直接本人に問いただした未公開映像が存在する。
筆者は一度見ただけであるが、そのとき、筆者がメモ書きした感想を残している。
<鳥取ループ・宮部龍彦突撃取材>と勝手に題して、その一部を紹介する。
〈2016年4月。日曜日の朝9時。宮部の自宅マンションを訪れた男がいた。施錠された1階ホールから部屋番号をピンポンする。
「どちらですか」(宮部)
「〇〇〇の方から来ました、高橋と申します」
ロック開錠。宮部の部屋の玄関にあらわれた男は名乗り、宮部は驚く。
「えーっ? 〇〇〇から来たと言ったんじゃ…」(宮部)
「〇〇〇の方から来たと僕は言ったんですが」
呆然とする宮部の表情が、どアップに映し出される。
いっぽう、男は表情をまったく変えずに続ける。
「あなたは被差別部落の地名をネットでばらまいているよね。何でそんなことするのか聞きたいんだ。僕らはヘイトスピーチ、差別と排外主義を、絶対に許せないと思っている」
*** ***
部落差別(部落民)は昔から「インビジュアル、ビジュアルマイノリティ」といわれてきた。
部落差別とほかの差別の違いは、肌の色や国籍、性別、障害の有無といった違いがないこと。つまり<差異>がないから、一般社会に入れば、その人が部落出身であるかどうかはわからない。
部落差別は、封建的身分制のもとでの賤民居住地(土地)を手掛かりに、近代・明治期以降、権力が意識的にそれを組み替え、作り上げた。法制度上、差別を許さないタテマエの現代社会では、差別されるメルクマール<差異>がインビジュアルになっている。
だからこそ、部落出身かどうかを特定するために、身元調査が“必要”なのであり、それを許さない取り組みも、明治から今日まで続けられている。
*** ***
「あんた(宮部)がやってる地名暴きは部落差別なんだ。」
問い詰められた宮部は、蒼白になり、目は泳いでいる。
問い詰めたのは、反差別カウンター「男組」リーダー(故・高橋直輝。沖縄高江ヘリパット基地建設に反対して逮捕。半年拘留され仮釈放の後、2018年病気療養中に死す)であった。
そのつづきは省略する。
ラストは、「あんた、最低のクズだな」との高橋直輝の一言で衝撃をうけたのか、真っ青になった宮部のアップで、映像は終了。〉
新宿でのヘイトスピーチデモに抗議する高橋直輝(写真・島崎ろでぃ)
▼観る側がどんなメッセージを受け取ったか
思わず長くなってしまった。
「差別者の弁明など被差別当事者に聞かせられない。大事なのは差別行為を止めさせること。超圧力・非暴力でね」と語っていた高橋さんの笑顔が、筆者には忘れられない。
次回は、映画『私のはなし部落のはなし』のラストシーンを通して、筆者がこの作品からどんなメッセージを受け取ったかをのべることにしたい。(以下、次号)
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(監督・満若勇咲)
若者から「オールロマンス闘争」を経験した京都のおばあちゃんまで、性別年代を問わずインタビューを重ねた。
被差別部落出身者の「私のはなし」。一般側(非被差別部落)が語る「私のはなし(差別感情)」。
それらを「まるごと」並べて、部落差別の現在をうつしだそうという試み。
本作品にはすでに多くのレビューが寄せられているし、監督のインタビューも読むことができる。
広島部落解放研究所ホームぺージには、『被差別部落の真実』(https://onl.tw/s1eyMsJ)の著者・小早川明良氏が寄稿している。
厳しい文章には、「部落差別はどのように現れているか」を考えるに、重要な論点が含まれている。
全文は下記URLを参照していただきたい。
https://buraku-study.org/essay.php
筆者(多井)は本作品を6月中旬にみた。今号より数回にわたって、筆者が感じたことを述べていきたい。
【大都市部落 京都S地区】
▼変貌する大都市部落
この映画に登場するのはおもに、三重県M地区、京都府S地区、大阪府K地区の人びと、そして地区外の近隣住民である。
京都府S地区は近世賤民集落に由来をもつ。江戸時代に「役人村」と呼ばれたこの地には刑吏や警固の「役」(今でいう警察官の仕事)をつとめる人々のコミュニティがあった。
「役」は封建身分に付随する夫役・労役のこと。武士は軍役。百姓は年貢を米で納める。
江戸時代には40もの呼称と職掌をもつ被差別民がいたが、徳川幕府を打倒した明治政府はいわゆる「賤称廃止令」(1871年)により、「以後、職業は自由」との布告を発する。
かんたんにいえば、「これから資本主義でやっていくので身分の枠を外します。自由な労働者になって働いてください」ということ。
刑吏や警固、準軍事役を担い、報酬をうけていた旧被差別民の多くは、苦境に陥った。
▼京都S地区
日本有数の大都市京都。
交通至便な立地にあるS地区は、明治以降、仕事をもとめてやってきた諸階層の人びとを巻き込んで、人口は大幅に増加し、近代都市型部落としてS地区は変貌していった。
S地区は人口1万人を超え、周辺の村や町に拡がり、面積は25万平方メートルに拡大した。
甲子園球場が6個以上入るといわれる地域は、大型の近代都市型部落へと変貌する。
産業勃興のなかで、経営者として成功する人があらわれる一方、零細工場の低賃金労働者、あるいは日雇い人足、人力車夫などに従事する人がうまれる。
1890年ごろのS地区は、富裕層と貧困層に二極分解し、仕事の七割以上を「雑業」が占める町になっていたという。
▼オール・ロマンス事件
S地区の男性と結婚し、長く暮らしてきた高橋さん。
彼女はオール・ロマンス事件をきっかけに高揚した部落解放運動にまい進してきた。
オール・ロマンス事件は、1951年に発表された雑誌「オール・ロマンス」に掲載された小説「特殊部落」に端を発した。
部落解放全国委員会(水平社の後継)はこの小説を差別小説として糾弾。この小説の作者が京都市職員であったことから、京都市当局の差別行政を糾弾する運動に発展した(実際は小説の舞台は在日朝鮮人が多く暮らす地区であったがここではおく)。
部落差別は観念ではなく、部落の劣悪な生活実態の反映である。
それを放置しているのは行政差別であり、改善は行政の責任である。
オール・ロマンス糾弾闘争は、そのことをみとめさせた画期的な闘いだった。
この闘いは、差別行政糾弾闘争として、全国の被差別部落に広がっていった。
映画『私のはなし 部落のはなし』に登場する高橋さんも、毎晩集会に出かけては仲間と議論し差別行政と闘ってきた。
いっぽう、高橋さんの夫は、妻が運動とかかわることをいやがり「しょっちゅう喧嘩した」という。
きつい仕事に就き、理不尽な差別をうけてきた夫が「部落(差別)なんかない」という。
部落差別の苛烈さを物語る言葉である。
▼S地区が抱える問題――押し寄せるバブルと高齢化の波
高橋さんが暮らすS地区の団地は交通アクセスがよい立地にある。
バブルの絶頂期には「再開発」の名目でS地区の地上げをねらう組織があらわれた。
「部落の土地は安い」。だから安く買いあげた後に「地区(部落)指定」をはずし、高層マンションや商業施設を建て、儲けようともくろんだのである。(「地区指定」を外して地上げが行われた所がある。)
映画に登場する山内政夫さんは、地上げ・再開発に対抗して、住民側からの街づくりをしていこうとするメンバーの一人だ。
1899年に部落の有力者、明石民蔵(あかし たみぞう)らが設立した柳原銀行の建物を保存し、地区の歴史を残そうと柳原銀行記念資料館としてオープンした。
明石民蔵は、この地区に展開された自主的改善運動のリーダーの一人だが、ただし、明石がこの地区に流入する困窮者層を「怠惰」「自助努力が足りない」と見ていたことも、付け加えておかねばならない。
かれには、被差別部落に「吹き寄せられるように」流入した人々が「雑業」で日々の糧(かて)を得る現実が、資本主義のメカニズムによって構造的に生みだされていることが見えなかった。
▼被差別部落の「再開発」 ジェントリフィケーション
S地区は、2023年に京都市立芸術大学が移転・開校することになり、S地区の改良住宅は解体がすすんだ。
京都市に限らず、世界各地のあらゆる都市にジェントリフィケーションの大波が打ち寄せている。
行政主導のもと、貧困層が多く住むエリアが「再開発」の名の下で売却され、商業施設や裕福な層が住まうタワーマンションに様変わりしていく。
元の住民は、アパート解体撤去で立ち退かされ、あるいは家賃の高騰で出ていかざるを得ない。自宅をもつ人も固定資産税が跳ね上がるため「自発的に」立ち退く。
ジェントリフィケーションは、低階層の人々の住まいのみならず、西成あいりん総合センター閉鎖をはじめ、差別撤廃運動の中心となってきた本拠地施設つぶしにも利用されている。
京都だけでなく、大阪府内の解放会館も、のきなみ「一掃」されつつある。
「老朽化」「耐震性がない」「衛生環境の悪化」が表向きの理由だが、再開発の名のもとで被差別部落住民や低所得者層を生活拠点から放逐し、運動拠点や隣保館などを閉鎖している。
それが、現在進行中の被差別部落に対する政策なのである。
高橋さんが、慣れ親しんだ住まいから引っ越さねばならないのは、このジェントリフィケーションが背景にある。
(映画監督は「部落問題の解決を求めようとして制作したのではない」というが、〈部落差別の今をまるごとみつめる〉ならば、S地区にいま起きていることの背景を、つかんでみせてほしかった。)
▼住民が引っ越し明かりの消えた市営住宅
(「改良住宅」の暮らし・京都S地区の記憶と記録・龍谷大学プロジェクト2020年要旨より)
▼引っ越しの朝 なぜ愛する居住地を出ていかねばならないのか
映画『私のはなし 部落のはなし』の1シーン。
引っ越しの朝。眠っていた高橋さんは起こされる。
支援員(行政職員だろうか)が、暮らしてきた彼女の部屋から次々に荷物を運び出していく。
呆然とみつめる高橋さんの表情に、胸を衝かれる。
映画は3時間25分。昔からの仲間との語らいも含め、高橋さんの撮影時間は相当長いのだが、「高橋さんの暮らす部落に今起きていること」の本質は、描かれない。
それゆえ観客には、高橋さんの哀しみの意味がわからない。
冒頭に紹介した小早川明良氏のエッセイにはこう書かれている。
「S地区の住民は、なぜ、愛する居住地を離れ、移転しなければならないのか。慣れ親しんだ地域を失う彼女の悲しみはなにゆえなのか。問題の本質が一切描かれない。」(小早川明良)
筆者が映画館に行ったその日、映画終了後の観客の微妙な空気。
「見終わった後、もやもやしてほしいんです」と監督はインタビュー(『出版人・広告人』)で語っていたが、
観客が「もやもや」を感じたとすれば、それは何か。
この映画のラストシーンと直結するその話は、次回に譲りたい。
(この項つづく)
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■〈部落史論争〉のなかで曖昧になったこと
被差別部落とはなにか?
部落差別が今日もきびしく存在しているのはなぜなのか?
この問いの答えは今日に至るまで明らかにされていないと、『被差別部落の真実2』の著者・小早川明良さんはいう。
部落問題研究が混迷する理由のひとつとして、近現代の被差別部落を長年調査研究してきた社会学者・青木秀男さん(社会理論・動態研究所所長)は、つぎのように語った。(ウェブ連載225回で書いたが再度かかげておく。)
「1990年代に入って、部落差別の起源をどうとらえるかをめぐる論争が、さかんに繰り広げられるようになりました。しかし、論争の大きな傾向として、学者および解放運動関係の方たちの議論は、 今日の被差別部落の本当の起源というものを、どちらかといえばあいまいにするような方向に進んでいるような気がしてならない」 (青木秀男・広島県同和教育研究協議会研究大会講演 2001年)
■中世賤民史と部落差別中世起源説
被差別部落と部落差別の起源をどうとらえるかをめぐっての論争がくり広げられるようになった1990年代。
近世政治起源説(徳川幕府が賤民身分を制度化し、それが今日の被差別部落の起源となったとする)に対しても、いろいろな批判がだされた。
徳川幕府が賤民制を制度化したとする近世政治起源説にかわって主張されるようになったのが、「中世起源説」である。
「中世起源説」では、貴族や民衆のあいだに穢れ忌避観念がひろまった中世に、ケガレのキヨメを専業とする社会集団が卑賤視されるようになったとする。
ケガレのキヨメにかかわる様々な社会集団(河原者、散所、坂の者など)が10世紀ごろに登場していることは、中世賤民史研究の中で、明らかにされている。
中世は、支配層の浄穢観念が肥大化する中で、河原者、坂ノ者、夙(宿ノ者)をはじめ、様々な呼称と職掌をもつ被差別民衆(中世非人と総称される)が登場。
ある者は宗教者として寺社や荘園とむすび、ある者は山民、またある者は海民として日本列島のみならず、遠く中国・朝鮮・東南アジアの海域でも交易活動した。
ただし、中世社会の賤民は、徳川幕藩体制が設定した近世被差別身分とは、ダイレクトにはつながらない。
つまり、かれらは「身分」として設定されていたのではない。
※網野善彦(あみの・よしひこ)氏をはじめとする中世史研究のなかで、中世社会に存在した多様な賤民の姿が活写された。ただし、網野氏は中世史に限定してのべており、近代以降の部落問題について言及しているわけではない。
■「現代社会が部落差別を生みだしている構造」が置きざりに
「近世政治起源説にかわり、中世起源説が主張されるようになった……、被差別部落のほんとうの起源があいまいになった」と社会学者の青木さんがのべたのは、どういう意味だろうか?
私なりに受け止めていることを補足したい。
〇これまでの歴史で、社会の底辺に位置づけられ、差別されるコミュニティや集団が存在したことは事実。だが、時代社会のあり方によって、被差別集団の置かれている意味がちがう。
〇中世賤民史、近世賤民史に光をあてる研究は大切だが、そこから現代社会に部落差別がきびしく存在する理由は解けない。
〇なぜなら、現代の部落差別は、徳川時代の賤民身分に対する差別がたんに持続しているのではなく、残存しているのでもない。まして中世賤民への卑賤視が続いているのでもない。
〇「近世封建身分差別が残った」という人も、「中世の穢れ意識が賤民をうみだした」とする人も、明治以降、産業資本主義が進展するなかで被差別部落が編制されたプロセスをみていない。
〇けっきょく、「近世だ」「いや中世だ」といった部落史論争のはてに、近世に起源をもつ部落が、明治以降の産業社会のなかで組み替えられ、近代社会で新たな機能をはたすようになったプロセスが、置き忘れられ、議論されないままである。
近代の被差別部落と資本制の関係についての考察が欠落しているのである。
それが、今日に至るまで、日本社会に部落差別が存在する意味が解けない理由であると思う。
(「賤民史と現代の部落問題は別物」というのはそういう意味である。)
被差別部落の人びとに対する世間の認識は、さまざまである。
「何かしら違う」「異民族」「こわい」「皮と肉などケガレ処理にかかわる仕事」など、どんなデマでも差別したい理由となる。
そうしたデマは差別行為に用いられ、部落差別を生みだす社会構造(正確にいうと生産関係)をさらに強固にする。
次回は、幕藩体制国家が賤民制を設定した目的、近世賤民コミュニティが近代に入ってどのように変化していったかをかんがえてみたい。
参考文献 小早川明良『被差別部落像の構築 作為の陥穽』『被差別部落の真実』『被差別部落の真実2』
(2週間ぶりに更新となりましたことをお詫びします。この項つづく/多井みゆき)
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■維新・石井章参議院議員の部落差別発言
前回の冒頭トピックでのべた、封建時代の身分差別と近代社会の部落差別の関係については、次週につづけたい。
今回のトピックは、15日に飛び込んできた維新・石井章参議院議員(国会議員団両院議員総会長)の演説における部落差別発言について。
20日発売の『週刊ポスト』で発言詳細が掲載されるとのことだが、石井議員は、維新元代表の橋下徹氏について、「差別をうける地区」の出身と言及。
被差別の出自をもち、家庭や学習環境の苦しい中で努力して弁護士になり、立身出世を遂げた……と褒めたつもりであろう。
10年前の『週刊朝日』差別記事で、執筆者の佐野眞一氏が書いている。
「恵まれない環境で育ったがゆえにそれを逆バネとした自負心からくるエリート実力主義」
つまり、家が貧乏だったことや部落出身という出自が、橋下氏の<ゆがんだ性格>をもたらしたと結論づけた。
本人のみならず、すべての被差別部落出身者に対する蔑視と嫌悪がむきだしの文章だった。
■「褒めているからいい」のではない
石井章は、厳しい境遇から這い上がり、「立身出世した」と褒めたからいいと思っているようだが、「努力して立身出世したからえらい」という裏には、「努力しない部落民は差別されて当然」という意識が前提にある。
こうした言説の差別性と社会的意味について、筆者は、このウエブ連載上で、2011年から12年にかけて、30回以上とりあげて批判してきた(バックナンバー参照)。
「出自」と人格を結びつけて攻撃した『週刊朝日』の差別キャンペーンの問題性について、作家の宮崎学さんと対談し、書籍にまとめた。
そのなかで、宮崎学さんはつぎのように語っていた。
自分がどういうところに、どういう親の下に生まれたかというようなことは、その本人にとってはどうしようもないことなんだ。
「お前はあそこの生まれだから悪い」、「あんな親から生まれたからダメなんだ」といわれては、どうしようもない。
それが被差別部落にかかわるような場合には、同じく抗弁できないすべての部落出身者を貶めることになる。
(『橋下徹現象と部落差別』 宮崎学・小林健治より)
今日、被差別部落に対する差別が厳存するもとで、地名や個人名をあげて貶める(もちあげることも同じく差別)ことの愚かさ、部落差別を利用した卑劣なキャンペーンは、絶対に許せるものではない。
さて、本題【メディアの差別表現の現況と課題】に戻ろう。
テレビ番組が公然とヘイトスピーチを流すようになった問題をとりあげる。
東京MXテレビ放送・DHCテレビ制作「ニュース女子」である。
【テレビ番組でのヘイトスピーチ】
2017年1月、東京MXテレビ「ニュース女子」が、「沖縄基地反対派はいま」と題し、ヘリパット基地建設反対運動をろくに取材もせず、悪意をもって取りあげた。
「反対派は職業的で日当をもらっている」
「韓国人がなぜ反対運動に参加するのか」
聞くに堪えない嘘とデマ、差別と偏見に満ちたこの番組は、名指しで中傷をうけた「のりこえネット」の辛淑玉さんの訴えなどもあり、BPO審議対象となった。
このような一線を越えた醜悪な番組を、公然と公共電波にのせたことの犯罪性と差別性は、徹底的に糾弾されてしかるべきだ。
2022年6月3日、「ニュース女子」で名誉を傷つけられたとして「のりこえねっと」の辛淑玉共同代表が損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は、一審判決を支持し、DHCテレビに550万円の支払いと、謝罪広告の掲載を命じた。
判決では「在日朝鮮人である辛氏の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない」と指摘、ヘイトスピーチを誘導する危険性があったと認めた。
番組司会者・長谷川幸洋氏への損害賠償請求は認められず、長谷川氏の辛さんに対する請求も認められなかった。
番組制作のDHCテレビ、番組司会者の長谷川幸洋ともども居直っている。
※番組「ニュース女子」は、化粧品大手のDHCの子会社DHCシアターが制作する「ニューストーク番組」。このDHCシアターと親会社のDHCの両方で会長を務めている吉田嘉明は、同社のホームページで在日コリアンに対する差別意識むき出しのデマと差別煽動を行っていることで知られる。そしてDHCは、東京MXテレビの最大のスポンサーでもある。
現下、沖縄にたいする構造的差別のおもな内容が、押し付けられた膨大な米軍基地の存在であり、おもな特徴は、「土人」「シナ人」発言に象徴される差別表現であることは、いうまでもない。
この沖縄にたいする差別は、日本における在日韓国・朝鮮人差別、障害者差別、アイヌ民族差別、部落差別など、あらゆる差別と地続きである。
]]>■被差別部落の本当の起源
新自由主義が吹き荒れる昨今の政治的・社会的な状況のなかで、残念ながら部落差別も、根強く進行している。
社会学者・青木秀男さん(社会理論・動態研究所所長)は、近現代の部落問題を長年研究し、フィールドワークを行ってきた。
厳しい差別の現実を考えるとき、明治期以降の近代の部落差別をめぐる経緯がどうであったかを学ぶことは、今日的に大きな意味がある、と青木さんはいう。
今回は、部落問題をめぐって青木さんが講演で語ったことを紹介させてもらいつつ、それを考える糸口としたい。
被差別部落および部落差別の起源をどうとらえるかをめぐる論争が、さかんに繰り広げられるようになったのは、1990年代に入ってからである。
論争の中心は、「被差別部落の起源がいつだったか」ということをめぐって行われた。
近世政治起源説(徳川幕府が賤民身分を制度化し、それが今日の被差別部落の起源となったとする)に対しても、いろいろな批判が出された。
青木氏は、「論争の大きな傾向として、学者および解放運動関係の方たちの議論は、 今日の被差別部落の本当の起源というものを、どちらかといえばあいまいにするような方向に進んでいるような気がしてならない」と感想をのべている。
(広島県同和教育研究協議会研究大会での講演 2001年9月)
■封建時代の<部落差別>と近代社会の部落差別の関係
「(感想の内容を)1点だけのべるとすれば」として、青木氏はつぎのように話す。
「わたしは、被差別部落の歴史的な起源というのは、江戸時代つまり幕藩体制期の初期に求められるというふうには考えております。しかし、江戸期を通じて存続し、強化された、いわば〈部落差別〉と、明治期以降の近代社会における部落差別を、どのような関係において理解すればいいのか。つまり、前近代の差別が、近代にどのように残存し、組み替えられ、新たな機能をもって近代の差別として持続していったのか。そのことについての議論があまりみられません。わたしは、前近代の差別と近代の差別を、たんに『残存』というように直結してとらえることはできない、そういうふうに思っております。」
近世に起源をもつ部落が、明治以降に組み替えられ、近代日本の社会で新たな機能をはたすようになった。
現代の部落差別は、徳川時代の賤民身分に対する差別が単に持続しているのではなく、残存しているのでもない。
その点があまり議論されてこなかったと青木氏はいう。
■職業と移動の自由がもたらした被差別部落の変化
徳川時代から明治になり、職業と移動が自由になった。(身分・職業・居住地の一体化の崩壊)
1871年、明治政府がだしたいわゆる〈解放令〉は、賤民身分制の廃止を法的に宣言した。
と同時に〈解放令〉は、旧時代の被差別民が担っていた「役」(役の務めに対する俸給があった)をなくし、「これからは勝手にしろ」というものでもあった(*くわしくは小早川明良『被差別部落の真実2』参照)。
人は仕事をもとめて移動する。
この点がポイントである。
明治維新の後、大量の人が職をもとめて移動する。
旧賤民集落は、仕事を求めてやってきた生活困難層を巻き込んで拡大し、変貌していく。
青木さんは、封建時代の被差別部落(正確にいえば旧賤民コミュニティ)が、明治に入ってどう変化したかを、とくに人口と仕事に注目している。
どういうことだろうか。
ひとつの事例としてあげられているのは、広島市内の被差別部落A町の明治期から戦後期つまり近代から現代にかけての変化である。
現在の被差別部落A町は、近世にさかのぼると革田(かわた)身分の集落であった。
藩の命をうけ、刑吏・警固・犯罪探索をつとめていたとされる。
(広島県における明治初期の被差別部落は約680にのぼるとされる。)
江戸時代初期の広島には、1599年に築城された広島城を東西に貫く西国街道があり、街道の東西の入り口にそれぞれ被差別部落が位置していた。
西に位置づいた部落は、現在のA町と重なっている。
その意味でいうと、A町は近世につくられた被差別部落ということになる。
明治以降、A町の人口は、大きく膨らみ、周辺の町に被差別部落が拡大していく。
A町は1871年889人から1933年には5700人、原爆が落ちる直前の1945年には6037人と、6、7倍に人口が増えている。
A町の人口増加は、軍需にかかわる仕事を求めて、流入してきたのである。
周辺の農村・漁村などから、困窮した人たちが都市・広島に入り、その一部がA町に住まうようになる。
いっぽう、広島には、近世に起源をもたず、あきらかに近代に形成された被差別部落がある。
(『被差別部落の真実2』で小早川明良さんがそのプロセスを検証している。)
A町の人々の人口や仕事をみると、いまのべた近代に新しく形成された都市部落と、ほとんど同じ経緯をたどっている。
つまり、A町の起源は近世にあるけれども、実質的には、そのような近代部落と同じく、近世に再編成されたのである。
■近代都市部落の特徴
世間はA町を、「江戸時代の被差別身分の系譜をひく人たちが代々住んでいる部落だ」というまなざしで見ている。(とくに戦前は、露骨な賤称語をもちいての差別は日常茶飯事。)
ところが、明治・大正・昭和期のA町の実態をみると、軍事都市を築くため大量の労働力を必要とする広島に、仕事を求めてやってきた人々の一部が、「吹き寄せられてきたかのように」集まり、下層労働力のプールを形成していることがわかる。
(青木論文『近代と都市部落』、『被差別部落像の構築』小早川明良を参照。)
もちろん、A町住民すべてが貧困世帯でもないし、不安定な仕事であるわけでもない。
なりわいが成功し、経済的に豊かな層や中間層もあらわれる。
「広島が近代都市として成長していくにともなって、食肉習慣の広まりや軍関係の皮革需要が増えていくなかで、 食肉や皮革の仕事が繁盛し、そのなかで財を築く人が現われていきます。つまり、A町の人たちのなかに階層分化が生じていきます。この点も、A町の人たちの就労と生計をみるとき、欠くことのできない一面であります。」(青木秀男、同掲)
近代以降、資本主義の進展とともに成長していくなかで形成された都市部落。
その全国的にみられる特徴の1つは、まず人口の増大である。
もう1つの特徴は、そこに住んでいる人たちの出自、つまり家系の四代いや三代前でさえよく分からない、先祖がどこから来た人であるかも、かならずしも定かでないという人が多い、もしくは少なくないということである。
たとえば大阪には、近世には役人村とよばれ、諸国からの皮革集積地として繁栄していた賤民コミュニティがあった。大正時代の1920年には、面積は旧村の5.6倍に拡がり、人口は1万6千にふえた。
これが都市型近代部落の1つのあり様である。
■近代の部落差別がうみだされていく構造をさぐる
被差別部落とはなにか。
封建時代の賤民集落と、近代以降の被差別部落は、どのような関係にあるのだろうか。
それは次回にゆずるが、近代の都市部落のなかでも、広島の部落問題を考えるうえで、忘れてはならないこと。
それは、広島が軍事都市として形成されていったという点であり、A町のような近世由来の被差別部落、そして新たに形成された部落の人たちは、軍事都市建設のなかでうみだされた仕事――土木工事、軍隊用の食肉缶詰〈屠畜〉、軍靴や軍隊用皮革製品のほか、ありとあらゆる仕事で生計を立てていたということである。
そして原爆投下。
戦後広島の都市計画、大型公共工事の拡大などの歴史的転換の中で、労働市場の変容とともに多くの不安定就労の人たちが生み出されていく。
なりわいが成功した富裕層の多くはA町を出ていく一方で、貧困のサイクルから抜け出せない人々が、A町に滞留する構造がうまれる。
これは現在も進行中の話である。(次号につづく)
参考:青木秀男の研究室 https://windpoet.jimdofree.com/
さて、冒頭が長くなってしまったが、本論に入ろう。
今回は、マスメディアとヘイトスピーチについて。
【マスメディアとヘイトスピーチ】
メディアと差別表現をめぐる現状と課題の最後に、マスメディアにおける、ヘイトスピーチについて述べておこう。
私的空間と公的空間の垣根(境)を取っ払ったネット上で、匿名性に隠れて公然とヘイトスピーチが行われるようになった。
ヘイトスピーチはおもにインターネット上で2000年の前から行われていたが、第一次安倍政権成立(2006年)のころから激しくなり、そして、第二次安倍政権成立(2012年)と軌を一にして、ヘイトスピーチがネット上だけでなく、路上に出てきて、集会やデモの形で、公然と差別・排外主義を煽る事態となった。
剝き出しのヘイトスピーチ(差別的憎悪煽動)が常態化している。
差別表現一般とヘイトスピーチの違いについて確認しておきたい。
■ヘイトスピーチとは
2016年6月に施行されたヘイトスピーチ対策法。
罰則規定も救済規定もない理念法だが、日本で初めての人種差別撤廃条約(日本は1995年批准)に対応した差別対策法として成立した。
一方で、この法律を憲法21条の“表現の自由”を侵すものとして反対する憲法学者が少なからずいた。
しかし、過去様々な被差別団体による抗議行動の中で、ただの一度も、差別表現を法律で規制しろとの声が上がったことはない。
差別表現は、抗議する被差別団体とメディア・表現者との話し合いを通じて、社会的に解決されてきた。
ではヘイトスピーチは、これまでの差別表現と何が違うのか。
まず初めにヘイトスピーチを多くのマスメディアが、「差別表現」「憎悪表現」などと翻訳している。
この点からして間違っている。
ヘイトスピーチは、人種差別撤廃条約や国際人権規約に記されている、「人種的優越主義に基づく差別・憎悪宣伝・扇動」に当たる。それゆえ、「差別的憎悪扇動」と訳すべき。
「朝鮮人・韓国人を殺せ」「エタは人間ではない」などの戦慄すべき言動を「表現」行為として理解すべきではない。
1994年にルワンダで起こった多数派フツによる少数派ツチ80万人を超える大虐殺が、フツによる雑誌やラジオを使った差別的憎悪煽動による行為だったことはよく知られている。
ヘイトスピーチと差別表現一般とは、社会的差別を受けているマイノリティに対する差別言動という点は同じだが、決定的な違いは、主観的、確信的差別煽動行為、つまり悪意をもった攻撃性と目的意識性にある。
それゆえヘイトスピーチは、ヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)の一形態であり構成部分と理解すべき。国際人権法はそう規定している。
「‥‥、憎悪を広め、煽り、促進し、もしくは正当化するすべての形態の表現」(ヨーロッパ人権裁判所)
「人種的優越または憎悪に基づく思想の流布‥‥、全ての暴力行為またはその行動の煽動」(人種差別撤廃条約第4条)
この言論の暴走を〈表現の自由〉の名のもとに規制せず放置すれば、必ず肉体の抹殺に至ることは歴史が証明している。
ナチス・ドイツによるユダヤ人(600万人)、ロマ(60万人、日本では「ジプシー」と差別的に呼ばれている)、そして精神障害者と同性愛者(20万人)のホロコースト、関東大震災時の朝鮮人虐殺(6千人)など、このような残虐な行為の導火線としてヘイトスピーチがあったこと忘れてはならない。
■京都朝鮮初級学校襲撃事件で「ヘイトスピーチは人種差別」判決
2009年12月4日、京都朝鮮第一初級学校校門前でのレイシスト集団「在特会」らの差別排外主義の街宣行為に対し、京都地裁は、「著しく侮辱的な発言を伴ない、人種差別撤廃条約が禁ずる人種差別に該当する」との判決を下す。(同時に、ヘイトスピーチを「表現の自由」と主張した在特会の訴えを一蹴している)
2014年7月、大阪高裁が在特会側の控訴を棄却して同地裁判決を維持。
2014年12月9日、最高裁は「ヘイトスピーチは人種差別」と認定する。
■国際人権法学者のヘイトスピーチ認識
2012年11月、慶應三田キャンパスで、国際人権法学会の研究大会が開かれ、「差別表現・憎悪表現の禁止に関する」シンポジウムが開かれた。
その場で主催者の一人、憲法学者の慶応大学・駒村圭吾教授は臆面もなく次のように述べた。
「まだ日本の憲法学界では、差別表現(ヘイトスピーチ)の問題は、学問の対象ではない…、話者の品格の問題である。…論議するなら思想の自由市場で行えばよい」。
ヘイトスピーチと差別表現一般との区別も分かっておらず、差別の現実を全く見ていない机上の発言である。
このような認識からは、包括的な差別禁止法の必要性など論外であろう。
事実、人種差別撤廃条約の第4条「人種的優越主義に基づく差別および煽動の禁止」の⒜項⒝項を、日本政府は批准せず留保したままだが、差別表現問題を学問的に研究する中央大学の内野正幸教授は、この日本政府の処置を歓迎している。
「差別的表現に対する法的規制といえば、なによりも人種差別撤廃条約第4条のことが思い起こされよう。それは、人種差別主義的な表現活動に対する刑罰的規制などにつき定めるものであり、いきすぎた厳しい規制を内容とする点で、表現の自由を手厚く保障する日本国憲法21条に適合しない、とみるべきであろう。実際、1995年、日本政府は、アメリカの場合と同様、問題条文である4条を留保した上で条約を批准したが、これは賢明な態度であったと評価すべきであろう」。(『表現・教育・宗教と人権』2010年 弘文堂)
被差別運動団体が、?差別表現“に対して法的規制を求めたことは一度もない。
法的規制を求めているのは、?ヘイトクライム”(差別的憎悪犯罪)と地続きの?ヘイトスピーチ“(差別的憎悪煽動)に対してである。
憲法21条が謳う、「表現の自由」は基本的人権の根幹をなす権利である。しかし、「表現の自由」は内在的に他者の人権を侵害し、傷つける行為を許容していない。ヘイトスピーチが表現の自由の範疇でないことは言うまでもない。 このような日本の国際人権法学者の差別問題認識と姿勢が、今もヘイトスピーチをゆるしている要因の一つといってよい。
差別表現問題にきちんと向き合い、マスコミに対する働きかけを行うことは、ヘイトスピーチに対する防波堤を築くことになる。
(次号につづく)
]]>●吉野家・伊藤常務の女性差別暴言
今週のトピックは、このウエブ連載221回でとりあげた牛丼チェーン店「吉野家」常務・伊東正明氏(当時)の女性差別暴言について、掘り下げたい。
「デジタル時代のマーケティング」をテーマに若者を牛丼好きにする方法として、伊東氏は語った。
「生娘さんが(吉野家牛丼に)シャブ漬けになるような企画」
その場にいた受講生が発言を問題視し、ネット上に投稿。大きな社会問題となった。
吉野家は、緊急取締役会を開き、常務・伊藤正明を解任。
●資本の本質をありのままに表した表現――政治学者・白井聡さんの鋭い指摘
新聞テレビ、SNS上では、連日、この発言がとりあげられ批判された。
その中で、根源的な批判をしているのは、政治学者・白井聡さんだ。
ちなみに、『武器としての資本論』は、新自由主義に覆われ、疎外されていく人間が、魂や感性をどう取り戻していくのかを説いた白井さんの名著。ぜひ一読をお薦めしたい。
今回、「吉野家」伊東氏の発言について白井さんは、「女性だけでなく全顧客を軽蔑」した発言であり、そこにあるのは、「売れさえすれば何でもいい」という心理だと語る。
(5月20日 東洋経済オンライン 資本論で解く「売れさえすれば何でもいい」心理。ここでは一部のみを紹介、全文は東洋経済オンラインで読んでいただければと思う。https://toyokeizai.net/articles/-/589169)
もちろん、この問題発言が性差別的な性格を持っており、それが大問題であることは確かでしょう。しかしながら、批判がその次元にとどまるならば、真の問題は見過ごされます。
実は、マルクス『資本論』を読むと、なぜこうした発言が出てきたのか、そして何が真の問題であるかが理解できるのです。
●マルクス『資本論』で読み解く資本の心理
マルクスが『資本論』で強調したのは、資本は無限の価値増殖運動であること。
その価値の中身はどうでもよく、要は貨幣が増えりゃいい、儲かりさえすりゃいい。
それが資本主義社会なのだと、白井さんは説明する。
こうした論理が資本には本質として埋め込まれていることを知れば、伊東氏の発言は、「資本主義的には完全に正しい」ことが理解できるでしょう。要するに、伊東氏の言わんとしたことの核心は「バカにゴミを売りつける。それが王道だ」ということです。
伊東氏は男性客についても「家に居場所のない人が何度も来店する」と授業中に発言したそうですが、この発言は、伊東氏=資本が、女性だけでなくすべての顧客を軽蔑していることを物語っています。資本家たる者、なるべく原価の安い(ゴミ同然)のものをお客に売りつけるべきであり、そんな買い物をするお客はバカ者に決まっているのですから、お客に敬意を抱いたりしてはならないのです。
今回騒動を起こしたのが、有用な物を直接つくり出す立場の人ではなく、「売る方法を考える」マーケターであったことには必然性があります。商品を売る、すなわち「価値の実現」の局面においてこそ、資本主義の持っている本質的ロジックが、むき出しのかたちで現れるのです。
白井さんの指摘をシニカルで突き放した見方と感じる人もいるかもしれない。
しかし、白井さんの指摘は、資本主義社会において、部落差別がなくなりつつあるどころか、いまや「商品」として差別が売買されている現実をみれば、非常によくわかる。
●マルクス『資本論』で読み解く部落差別
「だれが部落民か」をあばく身元調査ビジネスのマーケットが、年々拡大。
有名人の出自を暴きたてるセンセーショナルな出版物が完売になる。
差別的なユーチューブ動画をアップして広告で儲けようとする輩。
世間のだれもが、口を開けば「差別はよくない」というが、現実には、部落差別は「商品」になっている。
つまり、それが差別であろうとなんであろうと、売れさえすればいい。
その内容に資本は無関心である。
それが資本主義社会のからくりなのである。
新自由主義が深まった現下においては、さらにその本質がむき出しになっていく。
「生娘 シャブ漬け」発言は、まさに「売れさえすればいい」という資本の本質を表したものだという、白井さんの指摘は、資本制に対する根源的な批判である。
さて、メディアと差別表現をめぐる現況と課題に戻ろう。
【抗議糾弾を拒否した差別事件―1987年『卓球レポート』(株)タマス】
じつは、この事件も、資本がその本質をむき出しにしたネオリベラリズムとふかくかかわっている。
日本が、福祉国家から新自由主義国家に移行する過程で、被差別部落に対する統治戦略も転換した。
(※参考 『被差別部落の真実』小早川明良)
日本政府は、部落差別に対する責任を放棄しただけでなく、糾弾権を否定しようとした。
「差別だとして運動団体から糾弾されたら、法務省に(駆け込んでください)」と言ったのである。
●月刊誌『卓球レポート』の差別表現
卓球用具専門会社「(株)タマス」が発行する月刊誌『卓球レポート』(1987年6月号)に、
「……折角小・中学校のころ芽生えた素質が、高校運動部という独特の伝統に支えられた特殊部落に入って、のびのびと育てられぬことが多い」
典型的な部落差別表現記事である。
執筆者の中条一雄氏は、以前にも『原爆と差別』(朝日新聞社出版局)の中で、同様の「特殊部落」表現で抗議を受けていた人物で、確信犯的な記述であった。
●差別を指摘しても居直る背景
タマス社に抗議したところ、話し合いの場に出席することを拒否し、東京法務局に助けを求め、その指導のもと、解放同盟からの抗議を無視する態度とることになった。タマス社の話し合い拒否の背景には、前年に出された地域改善対策協議会(地対協)の「意見具申」の影響が見て取れた。
タマス社に助けを求められた東京法務局は、民間運動団体の糾弾を否定する「意見具申」のモデルケースにする意図もあり、積極的にタマス社をかばっていた。
●地対協「意見具申」
この地対協の「意見具申」は、後に出され、受け入れられた1996年の地対協「意見具申」や「啓発推進指針」につながるものである。
「一般行政への円滑な移行」や「民間運動団体の確認・糾弾行為」を否定し、「差別事件は、司法機関や法務局等の人権擁護のための公的機関による中立公正な処理にゆだねる」ことが強調されていた。(※参照)
※地対協意見具申(ちたいきょういけんぐしん)
1986年にだされた政府の地域改善対策協議会の答申。差別撤廃施策を打ち切り、国や行政の責任を放棄した。「同和地区の実態が大幅に改善され」たにもかかわらず「差別意識の解消が十分進んでいない背景」に、「昔ながらの差別意識」とともに「新しい要因による新たな阻害要因」があるとした。その第一要因にあげたのは、国や行政が、「民間運動団体の威圧的な態度に押し切られて不適切な行政運営を行う傾向」であった。行政の主体性に名を借りた、糾弾闘争の否定と解放教育の解体などを意図した意見具申は、1986年にだされたときは運動側の反対でつぶしたが、1996年に再び出され、受け入れられた。
●阿佐ヶ谷で抗議デモ敢行
このようなタマス社の誠意のない対応と、東京法務局の腹黒い意図を見抜いた糾弾闘争本部は、差別表現事件としては前例のない、東京の南阿佐ヶ谷にある、タマス社に対する抗議デモと本社前抗議集会を敢行。
さらに、中央本部から各県連に各地の教育現場での取り組みを要請する通達を出し、タマス社に対し、徹底糾弾を展開した。
タマス社は、本業の卓球用品が全国の学校体育現場から締め出される事態になって、泣きつき、東京法務局の指導を拒否し同盟の糾弾を受け入れた。
差別表現事件史上まれにみる抗議・糾弾闘争だった。差別事件に対しては、絶対に居直りと言い逃れを許さない解放同盟の姿勢を示した闘いだった。
まさに「糾弾は解放運動の生命線」なのである。
今、差別事件が起こったとき、行政に対応を要請することが多い気がするが、それこそ、地対協「意見具申」の路線であるといっておきたい。
●新自由主義のもと、煽られる差別、利用される差別
思い起こせば、日本が、福祉国家から新自由主義国家に移行する過程で、社会運動団体(国労など中間団体)がつぎつぎにつぶされ、既得権を奪われていった。
そのときメディアが煽ったのは、世間にある差別意識である。
新自由主義のキーワードは「自己責任」。
いいかえると、「差別される責任は、ロクなことをしないお前らにある」ということ。
新自由主義と部落問題にかんする考察は、モナド新書『被差別部落の真実』『被差別部落の真実2』(ともに小早川明良著)を参照していただきたい。
]]>■がんばる障害者像
今週のトピックは、作家・ジャーナリストの乙武洋匡さん。
5月20日、今夏の参議院議員選に立候補を表明。
これまでのかれの発言を読むかぎりだが、「期待される障害者」像を背負っているように感じてきた。
誰から期待されているのか。それはマジョリティ(健常者)である。
「(障害者でも)同じスタートラインに立てる社会を」という乙武さんの言葉は、耳ざわりがいい。
しかし、よく読めば、かれは「健常者に合わせて作られた社会と制度こそがおかしい」と言っているのではない。
健常者と「同じスタートライン」に立って、健常者並みにがん張ろうと言っているのである。
「がんばる障害者」をことさら称賛する人は多い。
障害をのりこえて(のりこえない者は努力が足りない)。
障害があってもがん張れる(がん張らない人は怠惰)。
障害者が社会生活を送る上での不便や困難は、障害をもつ個人に帰せられる問題ではなく、健常者にあわせて作られた社会環境・制度に起因する。
道路の段差、スロープのない通路、エレベーターのない駅、障害者の雇用を排除する企業。障害は障害者個人にではなく、社会の側にある。
■「あえてカタワのような強い言葉を使う」?
以前、このウエブ連載で、筆者は乙武さんの「カタワ」容認発言を批判した。
障害者を貶めるもっともひどい差別語について、「自分はカタワと言われてもいい」とのべていた。
「字面を変えても本質を変えなければ意味がない。そう訴えたくて、あえてカタワのような強い言葉を使う」
(乙武洋匡「なぜ、あえて〈カタワ〉を使うのか」『週刊新潮』(2011年9月1日号)
おなじ誌面で、「僕は35年生きて、差別や偏見を感じたことが一度もありません」とのべている。
そのことについては、良い環境・良い人々に恵まれた人生で良かったとしか言いようがないが、それは決して、すべての障害者に普遍化できる個人的体験ではない。(※この項/多井みゆき記)
【メディアにおける差別事件】
さて、本題に戻ろう。
性的マイノリティや障害者を排除する悪辣なヘイトスピーチ事件。
差別者が持ち出すキーワードは「生産性」である。
■自民党衆議院議員・杉田水脈の「LGBT」差別事件(2018年『新潮45』8月号)
〈「LGBT」支援の度が過ぎる〉との見出しでLGBTの人たちを誹謗中傷した、差別表現ではなくヘイトスピーチ記事。
「例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。」
「女子高では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。‥‥。普通に恋愛して結婚できる人まで、『これ(同性愛)でいいんだ』と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。」(文中では「性的指向」を「性的嗜好」と表記している)
この度し難い差別記事に対し、自民党本部前をはじめ、発行元の新潮社にも抗議デモが行なわれる事態となった。
結果、新潮社は『新潮45』の休刊を決めたものの、執筆者の杉田水脈はまったく反省せず、自民党も一切処分を行わなかった。
■「生産性がない」――性的マイノリティ・障害者・高齢者を排除
自民党の衆議院議員・谷川とむに至っては、「同性愛は趣味みたいなもの」との暴言を吐く始末。(2021年6月、自民党が法案提出予定だった、「LGBT理解増進法」が党内の反対で棚上げされ提出が見送られた。そのさい、反対した自民党衆議院議員の簗和生は、「道徳的にLGBTは認められない‥‥、人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」との驚くべき、優生思想的差別煽動意見を吐いている)。
この「生産性がない」は、LGBTの人たちのみならず、障害者、高齢者、難病患者など社会的困難を抱えている人たちに対するヘイトスピーチでもある。
「生産性」による排除こそ、資本主義体制の本質をむき出しにした差別といってよい。
(生産性言説による差別への根源的批判に関しては、小早川明良さんの論文『部落差別と生産性言説批判ー就職差別に抗して』を参照していただきたい。)
]]>
(ゴールデンウィークのため二週休み、今週から再開します)
●朝日新聞 水平社100年特集
全国水平社創立百年を記念して、全国紙はじめ地方紙・ブロック紙で特集記事がくまれた。
朝日新聞の特集では、ジャーナリストの安田菜津紀さんや沖縄出身のりゅうちぇるさん、国際人権法学者の谷口真由美さんの発言をまとめていた。(2月26日付)
百年前に水平社宣言が掲げた「人間の尊厳」を大切にし、差別をなくしていこうとする各氏のコメントは真摯なもの。
一方でもどかしさを感じた。
それは、部落問題に具体的にふれられていないことである。
水平社宣言の現代文を引いて、「人権を大切にしよう」と訴えた紙面構成であるが、そもそも、部落問題とはなにか、今日の部落差別がどういう状況にあるのかについては、触れていない。
おまけに、キーワードとして書かれた「部落差別」の説明が、まちがっている。
ちなみに、ほかの研究者や友人もこれを読んでいて、「部落問題について無理解すぎる」と、ため息をついていた。
以下、紹介する。
部落差別 かつて賤民とされた人が居住する地域(部落)と人に対する差別。経済的・社会的、文化的に低位の状
態に置かれ、交際や結婚を妨げられたり、就職で排除されたりしてきた。
●被差別部落をめぐる誤解
これを読んだ人の中には、「この説明のどこが間違いなの?」と思う人もいるだろう。
だが、この説明でいくと、部落差別は、徳川幕府の身分制下における賤民が居住していた地域(賤民集落)が、今日の被差別部落であり、現代の被差別部落民は賤民の子孫である、という話になってしまう。
いわゆる「部落差別=封建遺制」というとらえ方である。
部落問題研究では、部落差別を、封建身分差別の名残りととらえる見方は誤りとされている。
しかし、世間の人びとは、今日の被差別部落民は江戸時代の賤民身分のルーツを引く人であり、江戸時代の賤民集落であったとされる地域が、現代の被差別部落だと思っている。
被差別部落とはなにか。
被差別部落民とはだれか。
部落差別をうみだし、持続させている社会構造に焦点をあててみようとしないために、俗説や無理解がひろがっている。
あるいは、「心がけの問題」「意識を変えよう」など道徳の問題として語られてもいる。
ごくかんたんにのべておこう。
●被差別部落とはなにか
1. 近代以前の賤民には40種をこえる呼称と職掌をもつ人びとがおり、藩や幕府の管理下で「役」を務め、報酬を受けていた。(かわた・えた・茶筅・山の者・長吏・鉢叩き・非人など)
2 「役」として務めた職掌の核心は準軍事役、そして警察役だった。つまり、治安維持の役割である。牛馬の処理、皮革上納役で食べていける人はわずかであり、それも一部の地域に偏っている。
3 明治政府は多様な旧賤民を「穢多・非人」に統一したうえで、「賤称廃止令」によって、「職業を自由」にした。それまでの職業(役)を失った旧賤民の多くは困窮する。
禄を失った武士身分も困窮する人が多くいた。、
4 都市部の旧賤民コミュニティは、近代産業の底辺をささえる労働者世帯の集住する地として変化する。他の諸階層から労働予備軍が「吹き寄せ」られ、安価な労働力の供給地として人口も面積も膨れ上がる。消滅した地もある。旧賤民集落とは何の関係もない地に、賤民のルーツをもたない人々が集まってできた被差別部落も多い。
5 農村部落では地主になる人もあらわれる。小作人、日銭稼ぎで生きていく人に分かれ、地場産業や製造業の底辺をささえる労働者としてはたらく人がふえていく。
上に説明した4と5が、近代被差別部落である。
まとめると、江戸時代の賤民居住地に由来する被差別部落は、全国に相当数あるが、江戸時代の賤民集落がそのまま残ったものではない。
明治以降の産業化・人口増により、膨張・移転するなど変化しつつ、近代被差別部落として、再編成された。
産業構造の変化とともに部落住民は入れ替わり、現代の日本社会で被差別部落が果たしている機能は、近世とまったく異なっている。
明治・大正・昭和に、新しく形成された被差別部落も少なくない。
部落差別は、これら近代被差別部落に生まれたか、その地域にルーツをもつことを理由に、忌避され、排除され、社会的不利益を受けることである。
江戸時代の賤民制や、ルーツの問題として語る人はまだまだ多いが、それでは、部落問題がなぜ今も持続しているのかはわからないだろう。
さらに理解を深めたい人には、『被差別部落の真実』、そして六月発売の『被差別部落の真実2』(どちらも小早川明良著)をおすすめしたい。
【メディアにおける差別表現問題の現況と課題】
さて、部落問題にかんする誤解と思考停止事例に戻ろう。
●マスメディアの思考停止事例 ?四つ“について
〇 大相撲千秋楽で横綱・曙と横綱・貴乃花の相星優勝決定戦
(1995年3月)
押し相撲が得意な曙が、この場所では四つに組んでも強かったこともあり、朝日新聞のスポーツ面の見出しに、大きく?四つも曙“と書いたところ、社内から問題だとの指摘を受け、第二版以降、?組んでも曙”と見出しを差し替えた事件。
〇 日本テレビ、カウントダウンで?四本指“にモザイク処理
(1996年)
番組の舞台裏を見せる番組の中で、フロアーのADが秒数をカウントダウンする映像で、1・2・3・と指の形を映したが、4についてはモザイク処理をして放送されたという事件。なぜ4本指のシーンだけボカシを入れるのか、担当者の意識は「四つ」の言動が差別になるからとのことであった。
〇 漫画『少年チャンピオン』連載 「覚悟のススメ」
(1994年〜1996年)
SF漫画で、人類を襲う怪物の“戦術鬼“との戦いのシーンで、「四鬼」で十分との吹き出し(せりふ)入りの絵があり、その手の指が親指を曲げた「四本指」になっていたことに編集部からクレームが入り、担当者から相談を受ける。
なんの問題もないシーンだから、一切変更する必要はないと答えたにもかかわらず、吹き出しは「四鬼」になっていたものの、絵は親指が折れていない、「五本指」に変えられていたという事件。
いったい誰に配慮し、なんに怯えているのか、意味不明の事件。 似たような事例は、数多くあり特に漫画表現で多かった。 電話機を持つ手の指が四本はダメとか、テーブルに着いた手の指が四本しか見えないのはダメという、冗談のようなクレームが相次いでいた。
ここにあるのは、抗議されることへの恐怖ではあるが、その深層心理は、差別そのものに対する無知、無理解からくる恐怖心に他ならない。
恐怖心の裏には差別心が隠されている。
新型コロナ禍下で起こった感染者とその関係者に対する差別も同じ心理的状況が引き起こした事態だ。正体不明の、得体のしれないものに対する恐怖は、無知と無理解から生まれる。
〇部落問題を「集落問題」に?
最後に、漫画のようなエピソードを一つ紹介したい。
毎日新聞の大阪本社版が、和歌山に近い大阪府下の町について差別的な記事を載せ、抗議されたことがあった。
大阪の地で、次期社長となる役員も出席した話し合いを行い、抗議は終了したが、それから数か月後のこと。
東京本社版が部落問題の特集紙面を作り、大阪本社にも配信したところ、大阪本社の担当者から、「部落問題」という表記は問題があるので「集落問題」に差し替えたい、との連絡が東京の担当者にあった。
その担当者から、相談の電話を受けたが、笑うしかなかった。
このエピソードは、単に「部落」ということばを使わなければいいだろう、抗議さえされなければいい、という編集デスクの無理解(恐怖の対象として部落をみているのかもしれないが)をしめしている。
次回も、部落問題について書く。
]]>●吉野家・伊東正明常務の女性差別暴言
まずは今週のトピックから。
4月6日、早稲田大学で開かれた、「デジタル時代のマーケティング」をテーマにした、社会人向けの講座で、牛丼「吉野家」の常務・伊東正明氏が、度し難い女性差別暴言を行い、大きな社会問題となっている。
暴言の内容は、若者を牛丼好きにする方法として、その狙いを次のように語った。
「地方から出てきた右も左も分からない生娘さんが、初めて(吉野家を)利用して、そのままシャブ漬けになるような企画」
その場にいた受講生が発言を問題視し、ネット上に投稿。大きな社会問題となった。
吉野家は、緊急取締役会を開き、常務・伊東正明氏を解任。
さらに、伊東氏とマーケティング契約を結んでいた企業もすべて契約を打ち切った。
(これにより6500万円の年収を失う。)
講座を主宰した早稲田大学も、受講生にお詫びの表明文を発表している。
マスコミも、全国紙・ブロック紙・地方紙が「社説」で取り上げ、スポーツ紙も社会面で大きく取り上げている。
テレビの報道ニュースもワイドショーも、連日この発言を取り上げ、批判している。
●最先端企業 役員による女性蔑視の暴言
女性差別暴言を行った伊東正明氏は、P&Gで頭角を現し、マーケティング業界では超有名人だというが、この差別暴言によって業界から追放されたといってよい。
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗発言より、はるかに深刻であり、ひどい差別的内容である。
今回の事件で思い出したが、伊藤氏が以前在籍(日本法人)した世界的企業P&Gの製品が、過去に問題視された事件があった。
ドイツ国内で販売された商品が回収された事件は2014年。
DPA(German news agency)通信 2014年8月9日が伝えた事件の概要は以下。
●P&G ナチスの隠語を使用した洗剤 回収事件
洗剤メーカーのプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)がドイツで売り出した粉末洗剤の容器に、ネオナチがナチス・ドイツの独裁者ヒトラーを礼賛する隠語として使う数字の「88」などが使われ、買い物客の指摘を受けて出荷が停止された。
ドイツでP&Gの洗剤回収 ヒトラー示す隠語「88」「18」顧客が指摘
容器はサッカーのドイツ代表のユニホームを模し、背番号として「88」がデザインされていた。
通常より5回多い88回分の洗濯ができる増量サービスの宣伝だった。
ところがヒトラーを崇拝するネオナチの間では「88」は「HH」を意味し、「ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)」の隠語。
DPA通信によると、P&Gは「アドルフ・ヒトラー」を意味する「18」が容器に書かれた液体洗剤も出荷を停止したという。
ドイツではヒトラー礼賛が法律で禁じられており、ネオナチは「H」がアルファベットで8番目の文字であることを利用して、こうした隠語を使っている。
●女性差別暴言にひろがる波紋
今回の差別事件により、吉野家の株価も下落していて、社会的指弾の大きさがうかがえる。
マーケティングという時代の最先端事業を担う企業人でありながら、ジェンダーギャップ指数150カ国中120位という日本の実態が露呈した事件でもあった。
10年前なら、ここまで大きく問題視されなかったと思うが、ここ数年の世界的な女性差別(ジェンダー)をはじめ、あらゆる差別に反対する全世界的な闘い(その中心にブラック・ライヴズ・マターの運動がある)が、日本にも波及していることが分かる。
4月22日付の朝日新聞「生活欄」に、〈「女性は無知」根強い偏見〉―吉野家不適切発言 阿古真理さんに聞く〉が載っているが、怒りに満ちた内容である。
さて、メディアと差別表現をめぐる現況と課題。
今回は昔の映画作品やドラマをテレビで放映するときの、「お断り書き」について。
(くわしくは、拙著『最新 差別語・不快語』 「断り書き」についての項を参照)
【テレビ(地上波、BS、CS)での過去のテレビドラマや映画作品の放映について】
1970年代から活発になった差別表現に対する抗議行動は、部落差別にとどまらず、障害者差別、アイヌ差別、在日韓国・朝鮮人、中国人差別など、あらゆる差別に対して向けられるようになっていた。
そして多チャンネル化を迎える中で、昔のテレビドラマや映画の再放送が飛躍的に増えてきたが、50年代、60年代の作品には多くの差別表現が、差別語と共に語られていることも少なくなかった。
●音消し、あるいは免罪符的な断り書きで対処していた
一時期、差別語の台詞を「音消し」作業によって切り抜けていたが、「作品を勝手に変更するな」との大島渚監督(日本映画監督協会理事長)などからの抗議を受けて、差別語、差別表現があるテレビドラマや映画がほとんど放映されなくなる時期があった。
そして、放送前に、免罪符のようにほんの数秒「断り書き」の映像を流して放映する事態になった。
しかもその「断り書き」には、
「本映画の中に人権上不適切と思われる言葉(表現)が使用されていますが、映
画のオリディナリティを尊重し、そのまま放映していることをご了承ください」
とあるだけで、具体的にどの台詞が差別語で、どのシーンが差別表現なのかということには、いっさい触れていなかった。
そこで、古い日本映画を放送している、「日本映画専門チャンネル」に対し、きちっとした「お断り」を付けることを要請した。
●現作品には一切手を加えないことが原則
古いテレビドラマや映画作品を放送するときに注意すべきこと、
第一は、作品中に差別的な台詞やシーンがある場合、放送前の段階で、具体的にその言葉を取り上げて、その差別性が示している差別の現実について触れること。
つまり、どの言葉、表現がなぜ問題なのかが、視聴者に理解できるような「お断り書き」を作ることにより、啓発効果を果たすこと。
第二に、原則として原作には一切手を加えないこと。
●日本映画チャンネルのとりくみ
具体的な例としては、日本映画専門チャンネルが、2012年映画「座頭市シリーズ」の放映にあたって、「作品の持つ時代的制約性からくる差別性について言及したうえできちんとした「お断り書き」を付けている。
しかも、放映前に約60秒間大きな文字で表記され、ナレーションが読み上げられている。
●映画「座頭市シリーズ」放映にあたっての断り書き
〈これからご覧いただく映画「座頭市」シリーズは、劇中、視覚障害を持つ方々に
対して一部差別的な表現が含まれております。放送により、このような表現を不
快に感じられる皆様には、お詫び申し上げます。
「座頭市」シリーズは、目の不自由な主人公が、そのハンデを逆手に取り、晴眼
者を凌ぐ活躍をする、というテーマに貫かれている作品です。しかし、映画製作
当時の人権意識は、現代とは大きく異なり、差別的な表現に対する配慮に著しく
欠けていました。
私たちは、これらの表現を決して肯定するものではありませんが、製作者の意図
を尊重し、また作品を改変することなく放送するというのが、当チャンネルのスタ
ンスであり、それに則って本作をオリジナルのままお送りいたします。視聴者の皆
様にはご理解のうえ、ご覧いただきますようお願い申し上げます。〉
私としては、できれば、劇中で使われている「どめくら」という言葉を、このお断り書きの中で具体的にあげて、説明してほしかったとも思うが、よく配慮された内容のお断り書きである。
日本映画チャンネルの取り組みはそれだけではない。
聴覚障害をもつ人びと(高齢により聴こえが不自由になった人も含む)が、作品を楽しめるよう、全作品に日本語字幕スーパーをつけているという点で、出色であると思う。
]]>
●「現代の部落差別」(毎日新聞4月15日付)
まずは今週のトピックから。
今日の毎日新聞「記者の目」。
[現代の部落差別] と題して、鈴木英生記者の記事が掲載されている。(4月15日付 毎日新聞朝刊)。
6千部落、2百万人が苦しむ部落差別。
「部落差別はもうない」との声もあるなかで、現実はどうなのか?
記者は、『結婚差別の社会学』を書いた齋藤直子さんと、『被差別部落の真実』の著者・小早川明良さんの2人に聞く。
結婚や就職のさいに排除されるケースが表面化するのは、ほんの氷山の一角でしかなく、「だれが部落民か」を調べる身元調査ビジネスは、売上3000億を上回るマーケットに拡大している。
身元調査ビジネスの規模拡大について、データから分析考察してきた小早川さんが、「部落差別が<商品>となった近代社会の実相をしめしている」と指摘していたことを思い出す。
「戦後にできた部落がある」事実を、記事の中で、小早川さんは強調している。
それがなにを意味しているかと言えば、被差別部落は、江戸時代の身分差別が残ったものではなく、近代に再構成されたものだということ。
「古い遅れた前近代的封建意識」の問題ではないとすれば、どのような社会構造がうみだし、だれが「必要」としているのか。
鈴木記者は、そこへの問題意識から差別の実相にせまろうとし、今後も書き続けるとしている。
個人的には、様々な人にインタビューを鈴木記者がこころみたときのエピソードが興味深かった。部落問題に対する、その人(インタビューを申し込まれた人)の本音とスタンスが垣間見えるのである。
毎日新聞デジタルウエブでも読めるので、ぜひ一読をお勧めしたい。
さて、本題に戻ろう。
● 梅沢冨美男発言は不適切でもなく、差別でもない
(フジTV「バイキング」でのコメント2019年1月16日)
梅沢富美男さんのコメントを「不適切」として、番組内で謝罪したのは、いまのテレビ業界の、差別語・差別表現の認識水準を端的にしめした事例といえよう。
番組では、スーパー銭湯などでの地道な活動から紅白に出場するまでになった、歌謡コーラスグループ「純烈」について、ゲストの梅沢富美男氏が、次のようにコメントして、自己の被差別体験を語った。
「俺も温泉センターで仕事したことは何回もある」
「(自分も)差別だっていっぱい受けたからね。ドサ回りの役者だとか、乞食役者だとかさ」
この発言に、司会の坂上忍氏と局アナの榎並大二郎氏が、「乞食役者」という言葉には直接言及せず、抽象的に「不適切な発言がありました」と、番組内で謝罪。
梅沢氏は「誰がグチグチ言っているのか」と、逆ギレするも、一応謝罪に応じたという事件。
●アナウンサー(司会者)のフォローにもポイントが
局側は、「乞食役者」という語句のみにとらわれ、「禁句が出てしまった」「抗議が来るかも」と考えたのかもしれない。
くり返すが、梅沢氏のコメントは、不適切な発言ではまったくなく、そのまま番組を進行しても、なんら問題ない。
もしこのとき、司会が「乞食役者」という言葉に敏感に反応したのであれば、司会者なりアナウンサーが、「梅沢さんも〈ドサ回りの役者〉とか〈乞食役者〉などと、酷い差別的な言葉を浴びせられ、苦労したんですね」と、フォローすれば、視聴者は梅沢氏の発言の意図を、さらによく理解できるはずだ。
ポイントは、どのような文脈で語られているのかにある。
そのポイントを、局のアナウンサーや司会者が押えられるかどうかである。
このケースは、現下の差別語、差別表現に対するマスメディアの認識不足の典型例といって差し支えない。
●フジ『バイキング』 金美鈴氏の部落差別発言
以前、わたしがウエブ連載第218回で取り上げたのは、おなじく「バイキング」にゲスト出演していた金美鈴氏の差別発言。
娘について語るなかで、「私の娘がADだった時代、そこらへん這いずり回った時代に、それこそね、私の娘は『士農工商牛馬AD』っていう、そういうADだったの」と発言。このときの「士農工商牛馬AD」発言に対する局の対応は、啓発効果の期待できる内容だった。
つまり、番組内で、その差別表現を具体的に語り、なぜそれが差別的なのかを説明した上で、お詫びと訂正をきちんとしたのである。
しかし、今回の梅沢さんの発言は差別発言ではない。したがって、謝罪する必要はなかったのである。
●乞食役者という言葉
【乞食役者】 この言葉は「河原乞食(かわらこじき)」から派生して使用されるようになった言葉とされる。
河原乞食は、中世の「河原者(川原者)」に由来。
河原・河川敷などに居住し、賤視されていた人々が河原で芸を演じ、勧進興行をした歴史から、役者(歌舞伎役者)・芸能者に対する侮蔑的な呼称として、江戸時代に普及した。
注意したいのは、古代中世においては「乞食」は「ほがいびと」とも読まれ、勧進聖のように、宗教的な意味合いもあった。
差別意識が強まったのは、「定住しない人々」を危険視する政策がすすめられた近代、明治・大正期以降である。
芝居小屋を移動しながら勧進興行などで収入をえる人々にたいし、「住居をもたず、食物や金銭のほどこしを受ける、社会の脱落者」とみなす蔑みの目線が付与されていった。
●表現の差別性がポイント
拙著『最新差別語・不快語』で、わたしが指摘しているのは、「表現の差別性」が問題だということ。
「乞食役者ふぜいが!」
「作家なんて河原乞食みたいなもの」
といった表現は、相手を貶めるために使用されている差別表現。
それに対して、「河原乞食」という言葉を使って、芸能者がうける差別の厳しさを表現している場合は、差別表現ではない。
●「言葉狩りだ」とのメール殺到
「バイキング」でのこの事件に、ネット上に「言葉狩り」とのメールが殺到し、批判の矛先が被差別団体に向けられる事態となった。
事実は真逆である。
自主規制の名のもとに、「言葉狩り」をおこなったのはマスメディアの側であり、被差別団体が要請したのではない。
●差別語と差別表現の区別と関係性を理解するために
差別語と差別表現の区別と関係性を理解していないメディアの「思想的脆弱性(ぜいじゃくせい)」(筒井康隆氏)が、反差別運動にたいする誤解と偏見を植えつける結果となっている。
反差別運動団体が「言葉狩り」をしている、と批判する人々の意識の内側には、被差別部落民などのマイノリティ当事者への嫌悪感がふくまれている場合もあることを、くわえておきたい。
このことについては、いずれ稿をあらためて、のべることにする。
次回は、テレビ−地上波、BS、CSーでの過去のテレビドラマや映画作品の放映について。
1950年代から70年代の映画やテレビドラマの再放送が増えているいま、免罪符のような「お断り書き」をつけて放映される場合がおおくなっていることについて述べていきたい。
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今週のトピックは、教科書検定での用語変更について。
昨年四月、「従軍慰安婦」「強制連行」などの用語を変更することが、閣議決定された。
日本維新の会 馬場伸幸の質問主意書に対する答弁書として、「従軍慰安婦」→「慰安婦」、「強制連行」→「徴用」ないし「動員」とすべき、と閣議決定され、政府の統一見解となった。
これを受けて、教科書各社が教科書の記述内容を、歴史修正主義の政府見解に沿う形に変更したという記事が新聞に載っていた。
(3月31日付)
翌日には、防衛装備品である防弾チョッキをウクライナへ送ることを決めたという記事もあった。
●事の本質をごまかす言い替え
2014年に第二次安倍内閣で、従来の「武器輸出三原則」を「防衛装備移転三原則」と名称変更し、その後、なし崩し的に武器の輸出を始めたことを思い出されたい。
「汚染水」→「処理水」
「公害問題」→「環境問題」
「盗聴法」→「通信傍受法」
「監視カメラ」→「防犯カメラ」
「墜落」→「不時着」
「差別禁止法」→「差別解消法」
「戦闘」→「衝突・紛争」
これら事の本質をごまかし隠すための言い替えは、枚挙にいとまない。
極めつけは、「航空母艦(空母)」→「多用途運用護衛艦」だろう。
戦争の放棄と海外侵略を認めていない日本国憲法下では、空母は必要ないし、専守防衛なので、持つことはできない。
敵基地攻撃のためには必要だから、名称を変えて空母を持つことを考えたのだろうが、異常というほかない。
●ナチスが用いたユーフェミズム(婉曲表現)
これらの言い換えは、ナチスが用いたユーフェミズム(婉曲表現) である。
「戦争は平和」、「自由は隷従」、「無知は力」とは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に描かれている独裁国家の標語。
さて、本題に入ろう。
【テレビの差別表現事件 その二 ゲストの発言であっても録画映像の場合】
生番組中でのゲストの差別発言について具体例をみてきたが、ゲストの発言であっても、それが、録画映像である場合は、局の責任は、重大なものとなる。
●日本テレビ「スッキリ」のアイヌ民族差別
動画配信サービスHuluの番組紹介コーナーで、アイヌ女性のドキュメンタリー「アイヌ、私の声」を紹介。
その直後に、お笑い芸人「脳みそ夫」が、
「この作品とかけまして動物を見つけた時ととく。その心は、あ、犬」
と謎かけした差別事件。
「あ、犬」という、アイヌ民族を動物に喩えて嘲(あざけ)る、典型的かつ古典的な度し難い差別発言に対し、放送直後からSNSなどで批判が沸き起こり、日テレに抗議が殺到した。
先住民族アイヌを「野蛮」「非文明」とみなし、かれらの土地を「無主の地」として、生活の糧(かて)を奪い、言葉や文化を抑圧してきた歴史。
「北海道旧土人保護法」(1899〜1997年)の名称に、その差別性が読み取れる。
●「あ、犬」は芸人のアドリブでなく、台本があった
日テレは、その日の夕方のニュース番組の中で謝罪し、翌週の「スッキリ」の番組冒頭で、「この表現が差別にあたるという認識が不足していた」と全面的に謝罪。
お笑い芸人「脳みそ夫」も自身のツイッターに「勉強不足を痛感」と直筆文章で謝罪。
この段階では、この「あ、犬」発言が「脳みそ夫」による生番組中のアドリブと思われていたのだが、実はこの台詞は、番組担当ディレクターが考えたものであり、録画映像だったことが発覚。
(『週刊現代』4月3日号)
さらに「脳みそ夫」は、当初この台詞に懸念(けねん)を示していたが、担当プロジューサーは対応せず、結果「脳みそ夫」だけが批判される事態となっていた。
この『週刊現代』の記事について、いまだ日テレは、事実関係を明らかにしていない。
「脳みそ夫」と所属プロダクション「タイタン」も、日テレに遠慮してか口をつぐんだままである。
●生放送か、録画映像か ―責任の所在がちがう
先にのべたように、生放送か録画映像かでは、責任の所在が決定的にちがう。
今回のようにゲストの発言であったとしても、録画映像の場合、責任の所在は、第一義的に局側にある。
たとえばアイヌ民族差別発言が、生放送中での「脳みそ夫」のアドリブであったとすれば、その場で即座に対応し、「不適切な発言」などの抽象的な言い回しではなく、何がどう差別的で問題なのかを、キチンと視聴者に説明して謝罪することができれば、局は社会的責任を果たしたことになり、関係団体から抗議を受けることもない。
むしろ差別をなくすための啓発的行動として評価されるべき対応といってよい。
しかし、今回の事件は、録画映像での差別発言であり、また「脳みそ夫」が考えた台詞でもない。(「脳みそ夫」はむしろ懸念を持っていた。)
●台本に書かれていたとすれば重大問題
そもそも台本にあったことが事実とすれば、全面的に局側に責任がある、極めて悪質な差別表現事件といってよい。
「脳みそ夫」に責任をかぶせて、事実を隠蔽(いんぺい)する局の姿勢は、断罪されねばならない。
今回、問題となった表現は、アイヌ民族に対する典型的な侮辱表現であった。
にもかかわらず、テレビ局内に、誰一人として問題点を指摘する関係者がいなかったことは、局の人権感覚の劣化を示して余りある。
徹底的に局の差別体質を追及することが求められている。
●アイヌ差別表現「あ、犬」を使っているが差別表現ではない作品
ここで、特に注記しておかなければならない事例を述べておこう。
川越宗一氏の直木賞受賞作 『熱源』(文藝春秋)の中に、「あ、犬」という表現がある。(20頁)
これは、アイヌ民族を侮辱するために、和人が「あ、犬」と発話している場面。
和人が「あ、犬」と発言したことに対して、作中のアイヌ人は、「その言葉が聞こえた瞬間、体じゅうの血が沸騰するかと思った」と書き、作者は、みごとに差別に対する怒りを表現した。
差別語を使用したとしても差別表現ではない事例であり、この作品の文脈における「あ、犬」表記が問題にならなかったのは当然のことである。
●差別問題の認識レベルが劣化――『ダウンタウンの笑ってはいけない‼ アメリカン・ポリス24時』
これまで何度も注意喚起してきたが、日テレは、2017年の大晦日放送の『ダウンタウンの笑ってはいけない‼』で、「黒塗りメイク」事件を起こしている。
批判を浴びたのは、ダウンタウン浜田雅功が、「ビバリーヒルズ・コップ」の主演エディー・マーフィをまねて顔や手などを黒く(茶色)塗って登場したこと。
日本国内のみならず海外から黒人差別と抗議されたにもかかわらず、日本テレビは、「差別する意図は一切ありません」と、居直りともとれるコメントを出し、謝罪も反省もいっさいしていない。
それどころか翌年1月に再放送、それも、『ガキの使い!絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!完全版SP』として、浜田の黒塗りメイクシーンを流すという、極めて挑発的な行動をとった。
(※ウエブ連載199回参照)
●抗議する側にも社会的責任がある
今回のアイヌ民族差別事件は、日テレのみならず、日本のテレビ局全体の差別・人権問題に対する認識レベルの低さを示していると思われる。
さらに、日テレに抗議をおこなった「北海道アイヌ協会」の行動についても多くの問題がある。
マスメディアの差別表現事件については、まず何よりも表現の自由との関係に配慮し、当事者同士で問題解決と再発防止に向けた話し合いを持つことが重要で、権力の介入を招かない姿勢が求められる。
しかし、「北海道アイヌ協会」がとった行動は、事件の三日後に、首相官邸を訪れて加藤官房長官に面会し、政府から日テレに「厳重に抗議」を要請することだった。
その効果で、社長、会長がいち早く謝罪と反省の弁を述べ、「北海道アイヌ協会」の総会で、日テレの社長自らが反省と謝罪、そして検証番組を作るとの言質を得ているが、当事者間の話し合い(抗議・糾弾)によるものではない。
しかも、事件発生以来、「北海道アイヌ協会」からは、被差別当事者団体として、いっさい経過説明がなされていない。
権力を恃(たの)んで謝罪を強いても、本質的な解決にはつながらない。
これは「北海道アイヌ協会」に限ったことではなく、すべての反差別運動団体に共通する抗議活動の基本である。
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今週のトピックに取り上げるのは、日本テレビ『午前0時の森』の差別表現。
●スポーツ紙も報道
3月21日深夜に生放送された『午前0時の森』で、「ホッテントット」という、アフリカの「コイコイ人」〈コイサン人〉を蔑視する差別語を使用した差別発言がなされ、日本テレビが公式サイトで謝罪している。
発言は、お尻の大きい女性の身体的特徴などについて、ゲスト出演していた前田日明氏が、「そんなレベルじゃない。ホッテントット…こんなケツ」と発言したもの。
典型的な差別発言だが、これを報じていた『スポーツ報知』紙は、「前田日明が不適切発言」「差別表現で日テレ謝罪」との見出しの下、「お尻の大きい女性を例える場面でアフリカのコイ人の蔑称(べっしょう)を用いた」との表現で、「ホッテントット」という具体的な表現は避けている。
一方、『サンケイスポーツ』紙は、「アイドルのお尻を例えるのにアフリカのコイ人の蔑称を使用するなど不適切発言があった」と書いた後に、日テレの公式謝罪文を引用し、「出演者が『ホッテントット』というアフリカの一部の地域の方々への差別表現を使いました」と記事にしている。
ここは当然、「何がどう問題なのか」を明らかにするためにも、具体的な差別語を書かなければ意味がない。ちなみに朝日新聞には一行も載っていなかった。
●だれに対して謝罪しているのかーー日本テレビ謝罪文
日テレの公式サイトに掲載されている謝罪文をみてみたい。
「女性の身体的特徴に対する発言、性的な発言などにより、視聴者の皆様に不快な思いをさせてしまったことを深くお詫び申し上げます。その際に、出演者が『ホッテントット』というアフリカの一部の地域の方々への差別表現を使いました。関係者の皆様、視聴者の皆様に重ねてお詫び申し上げます」
はじめに指摘しておきたいのは、お詫びするのは、「アフリカの一部の地域」の人々、つまり「コイコイ人」(コイサン人)の人たちに対してであって、視聴者ではない。
●今回のケースは「差別語を使った差別表現」
つぎに指摘しておかねばならないのは、「ホッテントット」という言葉自体は「差別表現」ではなく「差別語」(侮蔑語)であり、この文脈は、「差別語を使った差別表現」。
くり返し述べてきたように、差別語=差別表現ではない。
「スッキリ」のアイヌ差別事件の検証番組では、「あ、犬」との具体的な差別表現を避けていたが、今回の謝罪文には具体的に侮辱語を記している点は評価できる。
もう少し踏み込んで、「なにが、どう不適切なのか」を記すことによって、差別発言を契機に、視聴者にたいする啓発効果も期待できる。
さて、本題に入ろう。
【テレビ局関係の差別表現事件 その一】
●生番組放送中の差別発言――発言主体はだれか
まず、差別表現(発言)がなされた場合、発言主体はだれかが重要だ。
局のアナウンサーや職員の発言だった場合、差別発言を放送したメディア媒体としての社会的責任に加え、局の企業体質も追及の対象となり、コンプライアンスではなく、差別・人権問題に対する理解と認識度が問われる。
この場合、それが生番組中でのことか、録画編集した映像であるかにかかわりなく、厳しく追及される。
しかし、過去に抗議した例がしめしているように、圧倒的に多いのが、生番組に出演しているゲストの差別表現(発言)である。
この場合、たしかに差別発言を放送した局の社会的責任は免れないものの、番組中にキチンとお詫びと訂正がなされれば、局の責任は問われない。
むしろ、差別発言を契機に差別問題に対する社会啓発を行ったとみることもできる。
例をあげておこう。
●NHK『あさイチ』 ゲストの「かたわ」「毛唐」発言
(2015年5月22日)
この日、ゲスト出演していた俳優の市原悦子さんが、「日本昔ばなし」に登場する「やまんば(山姥)」の魅力について、つぎのように語った。
「私の?やまんば“の解釈は、世の中から外れた人。たとえば『かたわ』になった人、人減らしで棄てられた人、外国から来た『毛唐』でバケモノだと言われた人」
この場面で、「かたわ」「毛唐」という差別語を使って表現する、社会的必要性と合理的理由はない。「障害をもつ人」「肌の色や目の色の違う異国の人」で十分である。
●有働由美子キャスターの適切な「お詫びと訂正」
生放送中の出来事だったが、番組の終盤でメインキャスターの有働由美子アナが、「さきほどのコーナーで『かたわ』『毛唐』という発言がありました。身体の不自由な方、外国人の方を傷つける言い方でした。深くお詫びします」と、お詫びと訂正を行った。
ここで重要なのは、「かたわ」「毛唐」という発言をきちんと指摘したうえで、その言葉(差別語)の意味する差別性も含めて、お詫びと訂正を行ったことである。
それまでは、生番組中に同様の差別発言があったとき、多くのテレビ局が「さきほど番組内で不適切な表現(発言)がありましたが、お詫びして訂正します」で済ませていた。
何が、どう不適切だったのか。具体的に語ることで、問題の顕在化がなされ、それによって啓発効果が期待できるのである。
このときの「あさイチ」有働キャスターのように、きちんと対応すれば、障害者団体や反差別の関係団体から抗議を受けることもない。
●フジ『バイキング』 金美鈴氏の部落差別発言
(2016年7月29日)
生放送番組にゲスト出演していた金美鈴氏が、娘について語った中で、「私の娘がADだった時代、そこらへん這いずり回った時代に、そうなんですよ、生島さんがMCをやっていた番組の、それこそね、私の娘は『士農工商牛馬AD』っていう、そういうADだったの」と発言。
その後、番組の途中で、局の榎並大二郎アナが、「先ほど、VTRをご覧いただく前のスタジオで、出演者の方から不適切な発言、表現がありましたことをお詫びいたします。大変申し訳ありませんでした」との、一回目のお詫びがなされた。
しかし、「何が、どう不適切だった」のか、まったく意味不明の紋切り型の説明だった。
このとき、筆者は番組を見ていなかったが、フジテレビの知り合いの役員にはいつも、差別発言があった場合、抽象的ではなく、きちんと具体的にお詫びし、訂正することが肝要と話していた。
番組の最後で、再び局アナの榎並大二郎氏がお詫びして語ったのは、次の内容だった。
●なにが、どう不適切なのかを説明すべき
「ここでお詫びと訂正がございます。本日の放送のなかで、AD、アシスタントディレクターの業務の大変さを表すうえで、『士農工商牛馬AD』という表現がございました。これは、被差別部落の存在を前提とした、差別を助長させる表現でございました。お詫びするとともに、この発言を取り消させていただきます。この度は大変申し訳ありませんでした」
との、異例ともいえる二度目のお詫びがなされた。
これで、ゲストの差別発言に対し、フジはテレビ局としての社会的責任を果たしたことになる。
残された問題は、発言者の金美鈴氏が一切謝罪しなかったことであった。
ここで、それを糾(ただ)すのは局の責任ではなく運動団体の任務であり、直に金美鈴氏に話し合いを要請し、反省を迫るべきものであろう。その後どうなったかは定かではない。
※「士農工商、〇〇」表現の、なぜそれが差別表現として抗議されてきたのか、については、前回のウエブ連載216回で詳しく書いたので、参照いただきたい。
※次回は日テレ「スッキリ」におけるアイヌ民族差別について検証していきたい。
]]>今週のトピック
ロシアがウクライナに軍事侵攻して以降、日本国内のロシア料理店などに誹謗(ひぼう)中傷が相次いでいる。
ロシア料理店の看板が破壊され、ロシア料理を紹介した料理研究家の動画が、ネット上で批判された。
これらはロシア市民やロシア文化への憎悪を掻き立て、攻撃を煽動するヘイトクライム(差別憎悪犯罪)である。
2022年3月18日、朝日新聞「声」欄にも、これらが「戦争に乗じたヘイトクライム」であり、「戦争反対の声はロシア大使館、そしてプーチン大統領にあげるべき」と、まっとうな意見が紹介されている。
さて、本題に入ろう。
【メディアと差別表現をめぐって その7「事実の報道」に隠された差別性】
差別表現は、
⑴ 差別語の使用
⑵ 内容が事実かどうか
⑶ 悪意があるかどうか とは直接関係しない。
今回は、(2)「内容が事実かどうか」は差別表現と直接関係しない、ということについて、
もう一つのケースから「事実の報道に隠された差別性」について考えてみたい。
例? 事件報道との関係で注意すべき表現
2013年10月4日付・朝日新聞社会面
「2歳 河原で暴行死 容疑者の父逮捕 京都・綾部」との見出しのもと、
「男は病院の精神科に通院していたという。府警は刑事責任能力の有無を調べる」との記事。
ここでは、社会的属性と事件を結びつける報道の背後にある記者自身の差別意識が問われている。
「精神科への通院歴」が事実だとしても、なぜそれをわざわざ書く必要があるのか。
容疑者には、内科、眼科、耳鼻咽喉科など様々な通院歴があるだろう。
なぜいろいろある通院歴の中で、精神科だけを取り上げ、記事にするのか。
そこには、精神障害者は何をするかわからない危険な存在という、記者個人の刷り込まされた差別意識が吐露されている。
このような記事によって精神障害者に対する差別意識が拡散され、社会防衛として隔離病棟に閉じ込められるのである。
「事実だから書くべき」なのか
この記事が出た数日後、たまたま人権問題に造詣の深い朝日新聞社の役員と会う機会があったので、記事を見せ、問題だと話したところ、しばらく押し黙っていたが、ひとこと、「しかし、精神科に通院歴があったのは事実ですよ」とのことだった。
被差別部落をはじめ、社会的差別を受けている被差別マイノリティと、動機不明の不可解な猟奇的犯罪事件とを安易に結びつける思考に潜む差別意識に気づくことが、マスコミ関係者に求められている。
犯罪とマイノリティを結びつける発想は、アメリカ社会においては、「不法移民が犯罪をおかす」とメディアが報じ、マイノリティの排除を煽っていることが、問題視されている。
差別と区別
例―曽野綾子氏の新聞コラム
「もう20〜30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。(中略) 南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した」 (産経新聞2015年)
この記事に対し、「アパルトヘイト(人種隔離)を容認し、美化した恥ずべき提案」だとして、南アフリカ駐日大使やアフリカ日本協議会が、産経新聞社に抗議。
産経新聞社は謝罪したものの、曽野綾子氏は、共同生活が破綻した原因は、白人やアジア人の常識をもたない「黒人の大家族主義」にあるとして、それゆえ事業や研究、運動は一緒にやれても、居住だけは別にすべきと主張。
そして、「これは?差別“ではなく?区別”」だと居直る。
典型的な人種差別とアパルトヘイト容認の言説だが、差別と区別について、一知半解で、まったく分かっていない。
男女別のトイレや浴場があるのは区別であり、差別ではない。
しかし、トイレの前やレストランの入り口に、「ホワイトオンリー」(南アでは「ヨーロピアンオンリー」の表記も)とあるのは、区別ではなく差別。
聖域(社寺、霊場、祭場)や相撲の土俵に女性が上がれないなどの、「女人禁制」も差別。
区別とは、〈差異〉を客観的、科学的、合理的かつ知性的判断に基づいて区分したもの。
差別は、区別と違って〈差異〉を主観的、非科学的、非合理的な反知性主義的判断とイデオロギー操作にもとづいて区分したもの。(ナチスの優生思想)
ここで注意したいのは、差別をなくすことを〈差異〉をなくすことと、捉えないこと。
〈差異〉をなくすとは〈個性=多様性〉を否定することであり、同化主義につながる差別思想。
平等とは、〈差異〉を認め合う関係で、多文化共生社会実現の前提。
*ア―リア人血統概念 優生思想からなる人種差別イデオロギー。1935年、ナチス=ドイツで制定された、おもにユダヤ人排斥を目的とするナチス人種法(「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」と「帝国市民法」)によって、差別が合法化された。ドイツ人の血統を守るためと称してユダヤ人との通婚禁止、 公職追放などを定め、ユダヤ人の公民権を奪い、大量虐殺をおこなった。
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●「士農工商、〇〇」をめぐる抗議
『週刊ダイヤモンド』(3月7日号)に、[「士農工商・情報・物流」。かつて、社内において情報部門、物流部門の地位が低いことをこう表現していた]との記事が載る。
見出しは、[「士農工商」最下層部門の危機 物流音痴が会社を滅ぼす]と仰々しい。
今回のウエブ連載でも、「士農工商○○」をめぐる抗議事例にふれている。
また、5月出版予定の小早川明良著『被差別部落の真実2』の中でも、この差別表現にふれているので、記しておきたい。
2019年、元アナウンサーの長谷川豊(日本維新の会から参議院議員選挙に出馬予定していた)が、政治的な集会で発言。自らYouTubeにアップしたのだが、それがとんでもない部落差別発言だった。
「江戸時代には、士農工商の下、穢多非人、人間以下の存在がいた。でも人間以下と設定された人たちも、性欲などがあります。当然、乱暴なども働きます……」
抗議をうけた長谷川は、歴史の「事実」をのべたので問題ないと居直った。
だが、「士農工商の身分制度の下、人間以下と設定された賤民がいて犯罪者集団だった」というのは、歴史の事実ではない。
長谷川のいう江戸時代の被差別民は、犯罪者集団ではなく、犯罪を取り締まる「役」を担い、つねに奉行所や各藩の管理下で、犯罪の探索、犯罪人の捕縛、行刑の執行など、藩や奉行所の命をうけて出動した。
長谷川のように、悪意をもって事実に反する発言をすることは、今日の被差別部落の人びとを毀損する。
だから長谷川豊の発言は差別発言であり、抗議されるのは当然のこと。
●江戸社会の身分制
江戸幕藩体制の身分は大きく「武士・平人(百姓・町人)・賤民」。
ただし、ピラミッド図のような序列にあったのではない。
被差別身分は最底辺でも社会外でもない。
被差別身分の人びとは、直接、藩(江戸では奉行所)に帰属し、その命令指揮系統のもとで、さまざまな「役」を務めた。また、ふだんは農村に住み、農業にいそしむ人が多かった。
つまり、「士農工商、〇〇」は封建社会の身分制を正しくあらわした表現ではない。
いまや学校の教科書にも載っていない図式である。
●「士農工商、〇〇」表現が、なぜ被差別部落の人びとを毀損するのか
今回のダイヤモンド誌での「士農工商・情報・物流」は、いわば、「物流部門は企業の最下層であり、社会の最下層の穢多非人のような扱いをうけている」と嘆いてみせる。
社会的に立場の弱い、疎外されている自己を自嘲的にあらわす「士農工商、○○」という比喩は、封建的賤視観念、つまり「部落および部落出身者は蔑視される存在」という世間のもつ差別意識を前提としている。
つまり、その前提=部落への賎視観ぬきには成り立たない比喩表現なのである。
さきにのべたように、「士農工商、〇〇」は、江戸社会の身分制を正しく表したものではない。にもかかわらず、「士農工商、〇〇」表現が、今日の被差別部落の人びとを直撃し、毀損する。
それは、現代の部落差別(近代以降につくられたもの)を「江戸時代の封建身分差別が残ったもの」ととらえている人が多いこと、「江戸時代の被差別民がダイレクトに今日の被差別部落民に繋がっている」ととらえている人が多いことである。
*** ***
さて、本題に戻ろう。
まず、差別表現は、つぎの三つとは直接関係しない。
⑴ 差別語の使用
⑵ 内容が事実かどうか
⑶ 悪意があるかどうか
●差別表現は主観的な「悪意」とは関係しない
今回は、(3) 「悪意があるかどうか」とも関係しない、についてのべていこう。
500件近く、メディアにおける差別表現問題に取り組んできたが、ほぼ9割以上が、「ついうっかり、そうとは知らずに、何気なく」差別表現をしてしまった、という事件だった。
つまり、冒頭のトピックでのべた長谷川豊のように、主観的な差別意識をもって差別表現が行われた例は、ほとんどなかったといってよい。
具体例は挙げればきりがないが、2007年に亡くなった、作詞家で小説家の阿久悠さんのことについて触れておきたい。
●「士農工商、代理店」記述について――阿久悠さん
阿久悠さんが、東京新聞に連載していた「この道」(1984年12月10日付夕刊)に、「士農工商代理店」のタイトルで、「広告代理店は自ら『士農工商代理店』と蔑むほど立場が弱かった」と記述。
典型的な「士農工商、〇〇」の自虐的差別表現だが、抗議に対して、東京新聞から、阿久悠さんが連載の最終回でお詫びの文章を書きたいとの連絡がくる。
最終回(12月28日夕刊)のタイトルは、「冬の墓」。
「(前略)ぼくは、今、その寡黙な父の教えの中でも、一番心にしみているはずの?人のいたみ“ということに関して重大なあやまりをおかしてしまった。
十分な認識を持っていたつもりでありながら、他者を誹謗するつもりはない、あくまでも、自身の経験の中でのこと、自分のこと、という考えが配慮を欠く結果につながり、多くのご迷惑をかけることになったことを深く反省しているのである。
人を尊敬し愛すること、人を見つめること、人のいたみに深くふれ合うこと、そして、自らの才を謙虚に正すこと、多分、何も言わないまま激動の昭和の、権力と庶民の接点の部分であえぎながら一生を送り、寡黙にならざるを得なかった父はそう言うに違いない。(後略」)」
●連載最終回でのお詫び
兵庫県淡路島出身の阿久悠さんが「士農工商代理店」と表現したとき、部落差別を助長するつもりも、部落に対する悪意の一片もないことはあきらかであった。
部落問題についての知識もあると思われる、これだけの知性と感性を持つ人でさえ、無意識に差別表現をしてしまうことの怖さがある。
阿久悠さんの場合もそうだが、メディアの担当者に差別問題についての知識と理解があれば、掲載前に訂正を要請することができるが、東京新聞社では、担当者を含め、だれ一人気づかなかった。
直接の抗議は東京新聞社に対して行われたが、阿久悠さんの知名度が高く、社会的影響力も大きいこともあり、直接の話し合いを要望したが、その返事が、先の「冬の墓」を読んでほしいとのことだった。
抗議の意味を真摯に受け止めている、この反省文を読んだ後に、話し合いの必要はないと判断した。
*次回は事件報道における差別表現事件について
]]>今週気になった差別問題にかかわるトピックから
●ロシアのウクライナ侵攻報道にみるレイシズム
2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した。この軍事行動は、武力による他国への威嚇または行使を禁じた、国連憲章の第2条4項に違反した行為であることは言うまでもない。
ここで触れたいのは、このロシアの侵攻によって、多数のウクライナ人が難民と化し、隣国ポーランドなどへ逃げ込んでいるが、それを報じるメディアと各国の対応に見る、欧米の白人優位目線について。
ひとつは、ウクライナ脱出で、アフリカ系住民が差別的な扱いを受けているということ。
さらに中東系メディアが怒っているのは、「青い目の人々が殺される」ことを大々的に報道する西側ジャーナリストに見るレイシズムについてである。
メディアは、ロシアから脱出するウクライナの人々の状況をリアルタイムで連日詳報している。
CBS特派員は、「失礼ながら、ここウクライナはイラクやアフガニスタンのように何十年も紛争が続いている場所とは違います。比較的文明化し、ヨーロッパ的な都市で、今回のようなことが起こるとは予想もできないような場所です」とレポート。
また、イギリスのジャーナリストは、つぎのようにレポートする。
「(ウクライナにいる)彼らは私たちにそっくりです」
「だから衝撃が大きいのです」
極めつけは、アルジャジーラ英語版のアンカーの言葉。
「彼らは、大きな戦争状態にある中東地域から逃げ出そうとしている難民とは違います。北アフリカの地域から逃れようとする人々でもない。彼らは、あなたの隣に住んでいるヨーロッパの家族のように見えます」。
これら一連の報道に対し、アラブ・中東ジャーナリズム協会が強く非難している。
「これらの論評は、中東、アフリカ、南アジア、ラテなメリカなど世界各地の悲劇を常態化するような、西側ジャーナリズムに蔓延する考え方を反映しています」(ハフポスト日本版編集部)
岸田首相も、ウクライナ難民を全力で受け入れると表明しているが、その前にロヒンギャの難民をはじめ、日本に逃れているアジア、中東からの難民に人道的な対応すべきだろう。
この記事を書いている時にも、ロシア軍がウクライナにある原発基地に突入して火災が起こっていて、いまにも原発を破壊するとでも言いたいような報道がなされている。
少し冷静に考えればわかるが、原発を破壊すればロシア軍も放射線被害を受けることは自明の理。ロシア軍の目的は、エネルギー源基地を占拠し、原発を止めることだろう。つまりライフラインを支配することにある。
さて、本題に入ろう。今回はアウティングについても話をしたい。
●「事実の報道」に隠された差別性
前回は、差別語を使ったから差別表現になるのではないということについて述べてきた。
今回考えるのは、「内容が事実かどうかも差別表現であることと関係しない」という点だ。
事件報道から考えていこう。
例⓵ 1997年「神戸連続児童殺傷事件」(「酒鬼薔薇聖斗事件」)
この猟奇的な事件について、作家の鈴木光司氏が、母校の高校で講演した際、「事件のあった地区は、被差別部落のあったところを造成して団地にしたところである」「容疑者の母親は被差別部落の出身者である」と発言。
抗議したところ、つぎのような返事があった。
〈事件のあった場所が同和地区であり、容疑者の母親が被差別部落の出身者というのは伝聞にもとづいたものであり、調査の結果、事実でなく誤った情報であったことが判明したので、「事実無根の情報流布は、誤解と偏見を招き、差別の再生産につながることである」とし、反省し、お詫びする〉
どのようにして、被差別部落かどうかを調査したのかは興味のあるところだが、身元調査をすること自体が差別行為だということすらわかっていないようだ。
つまり、まちがった情報だから謝るが、事実であれば問題ない、と受け取れる内容である。問題は、第一に動機不可解な猟奇的な事件と被差別部落(部落民)を結び付ける発想そのものに潜む差別性が問われているのであって、事実か否かにあるのではない。
事実であろうがなかろうが、猟奇的事件と被差別マイノリティを安易に結びつける思考に潜在している差別性が批判されているのである。
同じような「容疑者は部落民」という風説はいくつもある。
1995年・オウム真理教事件(麻原彰晃こと松本智津夫)、1998年・和歌山毒入りカレー事件、1999年・音羽?お受験“殺人事件、京都伏見小学生殺人事件(「てるくはのる」事件)、の時もまことしやかに流布され、記者たちは部落出身者かどうかの裏取り取材を行っている。
さきの「神戸連続児童殺傷事件」では、ジャーナリスト嶌信彦氏が、テレビの報道番組(TBSの「ブロードキャスター」)で、在日コリアンが犯人であると断定的に語り、在日コリアンの人権団体から抗議され謝罪したものの、その後降板し、画面から姿が消えて久しい。
また、2009年に発覚した、「結婚詐欺・連続不審死事件」の被疑者、そして2010年の、鳥取連続不審死事件の被疑者についても、事件報道の裏では同様の動きがあった。
くり返しになるが、動機不可解な猟奇的事件と、社会的差別を受けている被差別マイノリティ(被差別部落民、在日韓国・朝鮮人、精神障害者など)を結び付けることの差別性に無自覚なマスメディア関係者が多い。
たとえ事件の関係者が被差別マイノリティであったとしても、事件と関連づけてその社会的属性を明らかにする必要はまったくない。
●差別とはなにか
差別とは、社会的属性を否定的に価値づけるレッテルを貼り、ステレオタイプ化することを通じて予断と偏見を植え付け、特定の属性を持つマイノリティ集団が意図的に排除・忌避・抑圧・制限・軽蔑・攻撃の対象とされ、基本的人権(市民的権利)を侵害され、社会的に不利益を被る状態をいう。
例? 『週刊朝日』の橋下徹・大阪市長に対する出自報道(2012年)
「ハシシタ 奴の正体」(連載第一回の見出し)に続き、「ハシシタ 橋下徹のDNAをさかのぼり 本性をあぶり出す」。
その前年にも『週刊新潮』と『週刊文春』が同様の差別事件を起こしている。
その時の見出しは、前者が〈「同和」「暴力団」の渦に呑まれた独裁者「橋下知事」出生の秘密〉で、後者が〈暴力団員だった父はガス管をくわえて自殺、橋下徹42歳 書かれなかった「血脈」〉だった。
●「血脈」で人を価値付けするレイシズム
この三紙のリードに共通しているのは、橋下徹氏の政治的に「苛烈な言動」の背景には、被差別部落出身という隠された生い立ちがあり(スキャンダリズム)、それを暴露し感情的に煽る(センセーショナリズム)ところにある。 『週刊朝日』は、もっとストレートに「DNA」、「血脈」=被差別部落とし、優生思想的ですらある。(同時に、名前の“橋下(はしもと)“を?ハシシタ”と表記することの差別性)
ここでは、部落差別とレイシズム、優生思想とのかかわりについては説明しないが、いずれあらためて詳述したい。
●アウティングは犯罪行為
いまでは、アウティング(第三者による暴露)は犯罪行為であると認識されているが、10年前の時点では解放同盟中央本部をふくめ、それほどの差別・不法行為との認識は弱かったと言わざるを得ない。
現在も、部落出身者の圧倒的多数の人が、いつ、だれに、突然暴露され、名指しされ、差別をうけるかわからないという不安をもちながら生活している。
それが部落差別なのであり、ほめようが、けなそうが、第三者が暴露するのは犯罪行為である。
週刊誌はそれをしりながら行い、雑誌を完売させた。
カミングアウトしている人は、解放運動の活動家と研究者などで圧倒的に少数である。
カムアウトをことさら推奨し、カムアウトする人をほめたたえる意識の中にこそ差別感情があると指摘する人もいる。
●「わたしは事実を書いただけ」と語るジャーナリスト
だからこそ、『週刊朝日』の記事を書いた、著名ノンフィクション作家の佐野眞一氏は、差別記事と批判されたとき、「私は間違ったことは書いていない。事実を書いただけだ」と雑誌で反駁した。
事実かどうかの問題ではなく、アウティングそのものが差別行為であることをまったく理解していなかったのである。
『週刊新潮』『週刊文春』が1年前に起こした差別表現事件と、まったく同一の内容であるにもかかわらず、なぜ『週刊朝日』が同じ過ちを犯したのか。
ひとことで言って、『新潮』『文春』への抗議(なぜか抗議主体は解放同盟中央本部ではなく大阪府連)は形ばかりで、抗議糾弾の体を為していなかったからである。
橋下徹氏への政治的批判を優先させる政治主義により、社会的差別糾弾闘争として取り組まれていない。(モナド新書『橋下徹現象と部落差別』に詳しい)
2014年に起こった『週刊現代』の、「ユニクロ・柳井が封印した『一族』の物語」差別事件。
サブタイトルに「『ヤクザと同和運動』に彩られた真の創業者」の記事についても、解放同盟中央本部は、当初抗議する意思を持たなかった。
アウティングが差別であり、犯罪行為であることをまったく分かっていない結果であり、抗議・糾弾を政治的に判断する愚を犯している。
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まずは、今週気になった差別問題にまつわるトピックから。
●旧優生保護法に違憲判決
2022年2月22日、大阪高裁で、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された、知的障害者、聴覚障害者などの人たちが国を訴えていた裁判で、国に賠償責任を認める判決が下された。
判決要旨(朝日新聞より)
〈旧法の立法目的は、優生上の見地から不良の子孫の出生を防止するものであり、特定の傷害や疾患がある人を一律に「不良」と断定するものだ。非人道的かつ差別的で、個人の尊重という日本国憲法の基本理念に照らし、是認できない。子を産み育てるか否かを意思決定する自由と、意思に反して身体への侵襲を受けない自由を明らかに侵害する。特定の障害などがある人に対し、合理的な根拠がない差別的な扱いをするものだ。公共の福祉による制約として正当化できない。明らかに憲法13条、14条1項に反する〉
しっかりした判決内容だと思う。
優生思想は、1883年にイギリスの遺伝学・統計学者ゴールトンが唱えた、優生学にもとづく差別イデオロギーである。
優生学とは、「人類の遺伝的素質を改善することを目的とし、悪質の遺伝的形質を淘汰し、優良なものを保存することを研究する学問」(『広辞苑』 六版)
「優秀」とされた子孫を残し、「劣った存在」とされた者を社会から排除・抹殺するーーこの優生学の考えにもとづいた優生思想により、障害者安楽死計画の「T4作戦」、そしてナチスのホロコーストが実行された。
ホロコーストの犠牲者は、ユダヤ人600万人、ロマ(「ジプシー」)60万人、そして、障害者と同性愛者20万人が、アウシュビッツ・ビルケナウで絶滅作戦の犠牲となった。
人種・民族差別、障害者差別、そしてLGBTQ(性的少数者)差別による虐殺である。
2016年に起こった、相模原「やまゆり園」障害者殺傷事件の被告・植松聖は、ナチスの優生思想に心酔していた。
「重度重複障害者がいなくなれば、国家の経済的負担が軽くなる」
「障害者は、『生産性』がなく不幸をつくることしかできない」
優生思想については、このウエブ連載で、いずれくわしくふれていきたい。
本論に入ろう。
【 抗議・糾弾をめぐって その4 差別語の使用には合理的理由がいる】
ここまでの連載で、被差別団体が抗議・糾弾を行ってきたのは、差別語が使用されているからではなく、差別表現に対してであったことをのべてきた。
差別語が、不必要に意味もなく使用されている場合も多くあった。
その時は、抗議ではなく、?言い替え“の要請を行ってきた。(著者が故人の場合、?言い替え“はできないので、?注釈”ないし?おことわり“などを付記することの要請をする)。
差別語を使用する場合、そこに合理性と必然性があるかないかが重要だ。
●この文脈で差別語を使う必要はない
ここで、言い替えを要請した例を一つ上げておきたい。
「特殊部落の子どもとその他の子どもとの間にある差別感をどう取り除くか」ということを議論していた分科会は非常に熱気に満ちていた。 (『人間の壁』石川達三)
この文脈で、特殊部落という差別語が使われていた。
これは教育研究集会を取材した作家の一文。日教組の全国研究集会の分科会(18分科会)のことと思われるが、この文章は差別表現ではない。
しかし、ここでキツイ差別語である「特殊部落」を使う合理的理由も、必然性もない。
●「特殊部落」ということば
「特殊(種)部落」は明治政府が用いた官製の差別語である。
ちなみに差別語の「新平民」は俗称。
「特殊(種)部落」という差別語に対する被差別部落の人々による抗議もあり、その後、「細民部落」、「後進部落」などが使用されるが定着しなかった。
被差別部落の人々による自称は、「被圧迫部落」「未解放部落」、そして「被差別部落」となる。
つまり、この言葉は、国家が被差別部落民衆を差別するために、造りだしたものなのである。
わたしは、この言葉の意味を説明し、出版社(新潮社)を通して、ここは、「被差別部落の子ども」あるいは、行政用語だが「同和地区出身の子ども」などに変更してもらえないかと、著者に連絡をしてもらい、誤りを悟った著者の判断で、「被差別部落」と増刷の時に変えてもらった。
これはあくまでも要請であり、抗議ではない。
そして、作者がすでに亡くなっている場合は、この「特殊部落」という差別語の持つ歴史的・社会的背景の説明、注釈を付けることを要請してきた。
●使用禁止の差別語はない
差別語=差別表現ではない。
そして、使用禁止の差別語があるわけでもない。
それどころか、逆に差別の厳しい現実を表現する場合には、歴史的に形成され、差別・排外感情が塗りこめられ、被差別当事者にとっては怨念と怒りの対象である苛烈な差別語は欠かせない言葉となりえる。
「昔、ドエッタ(どめくら)と嘲られ差別され悔しい思いをしてきた」
と語る古老の言葉こそが、差別の厳しい歴史と現実を逆照射し、撃つのである。
差別をなくすためにこそ、差別語は使用される必要がある。
差別語を自主規制して抹殺することは、差別を隠すことに加担するだけで、差別をなくすことに寄与しないことはすでに述べた。
?言葉狩り“とは、マスコミが作った?禁句集”や?言い替え集“などの自主規制行為のことであって、被差別団体が強要したものではない。
差別語を学ぶことは、その言葉に含まれている現実の厳しい差別の実態を知り、その非人間性を許さない意志を獲得することである。
苛烈な差別語には怒りの炎が宿っている。
次回は、「事実の報道」に隠された差別性についてかんがえたい。
(以下、次号につづく)
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●大阪市のヘイトスピーチ規制条例に最高裁合憲判決
まずは、今週気になった差別問題にまつわるトピックから。
2月15日、最高裁はヘイトスピーチを規制する大阪市の条例に対し、「憲法が保障する表現の自由を侵害するもので無効」との訴えを退け、合憲との判断を下した。
最高裁判所第3小法廷の戸倉三郎裁判長は、次のように指摘した。
「条例の規定は、表現の自由を一定の範囲で制約するが、人種や民族などへの差別を誘発するような表現活動は抑止する必要性が高い。市内では過激で差別的な言動を伴う街宣活動が頻繁に行われていたことも考えると、規定の目的は正当だ」。
2月18日の朝日新聞の社説、「ヘイト規制合憲 判決踏まえ根絶に進め」の中で、〈最高裁は、ヘイトスピーチを「人種や民族を理由に、特定の人々を社会から排除するなどの不当な目的で公然と行われる」「差別の意識や憎悪を誘発・助長し生命・身体への犯罪行為を扇動する」と批判し、「抑止する必要性が高い」と述べた〉と書かれていたが、全く正当な判断の上での判決と言ってよい。
すでに同様の裁判は、レイシスト集団「在特会」らによる、「京都朝鮮第一初級学校襲撃事件」(2009年12月)の京都地裁判決(2013年10月)で、「著しく侮辱的な発言を伴い、人種差別撤廃条約が禁ずる人種差別に該当する」とし、同時に被告ら「在特会」側のヘイトスピーチは「表現の自由」との主張を一蹴している。(2014年12月、最高裁で確定)
●ヘイトスピーチは「表現」ではなく 「煽動行為」
しかし、朝日新聞の社説には、表現の自由とヘイトスピーチの関係についての無理解もある。
それは、ヘイトスピーチを「差別表現」ととらえているところに現れている。(「差別的憎悪表現」でも同じ)。
これまで何度も書いてきたが、ヘイトスピーチは、「差別表現」ではなく「差別的憎悪煽動」であり、ヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)の一形態であり構成部分。
表現ではなく煽動行為であり、表現の自由の問題ではない。
ヘイトスピーチとは、人種差別撤廃条約の第4条、「人種的優越主義に基づく差別及び煽動の禁止」の(a)項に規定されている。
「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の煽動、並びにいかなる人種又は皮膚の色もしくは種族的出身を異にする人々の集団に対するあらゆる暴力行為又はこれらの行為の煽動、及び人種優越主義的諸活動に対する財政的援助を含むいかなる援助の供与も、法律によって処罰されるべき犯罪であることを宣言する」。
そしてまた、国際人権規約第19条の「表現の自由」は、⑵「すべての者は、表現に自由についての権利を有する」が、⑶「⑵の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課することができる」と述べ、次の20条、「戦争宣伝及び憎悪唱道の禁止」⑵で、「差別、敵意又は暴力の煽動となる国民的、人種又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」と明記されている。
それについては、このウエブ連載の後半で、いずれくわしくふれていきたい。
本論に入ろう。
【メディアと差別表現 抗議・糾弾をめぐって その3 マスコミに対する差別糾弾要綱 1967年】
●テレビで激増する差別事件
前回のウエブ連載では、すでに全国水平社大会で差別表現に対する基本方針が確立されていたことを書いた。
戦後の解放運動の中での重要な決議は、1967年の部落解放同盟第22回全国大会の、「マスコミに対する差別糾弾要綱」である。
全国水平社が確立した差別表現糾弾の基本方針を受け継いだ、この決議に基づいて、1970年〜1990年代まで、メディアに対する徹底した抗議糾弾闘争が展開された。
背景には、1960年代に爆発的に普及したテレビが、新たに差別表現糾弾の対象メディアとなったことがあげられる。
この糾弾要綱では、1966年にフジテレビ系列で全国放映された、フランキー堺主演の「幕末太陽傳」が取り上げられている。
そのなかで「例え、バカでもエッタでも」という、信じられないような差別的な台詞がお茶の間に流されたのである。
さらに1966年4月に始まり、最高視聴率56・4%を記録した、NHKの連続テレビ小説「おはなはん」における差別表現事件もあった。
1967年の差別糾弾要綱は、テレビの社会的影響力の大きさを考慮し、あらためてメディアに対する差別表現糾弾を強化する目的で決議されたもの。
さらに、1965年、「同和対策答申」が出され、部落問題の早急な解決は国の責務であり、同時に国民的課題であるとの認識を獲得し、社会的関心の高まりがあった。
差別についての認識も深まっており、「差別が生まれるのは、人間関係からではなしに、生産関係と生産過程をつうじてうつしだされる社会関係からである」と、この要綱には書かれている。
つまり、部落差別はたんなる意識上の問題ではなく、社会の構造から生み出されていることを明確にしたのだ。
●差別語「白痴」を使用して自己批判
ただ、この決議の最後に、「‥‥、この差別劇と差別記事を多数国民の前にさらしたという、恐るべき白痴的状況を、われわれは深い怒りをもって糾弾せずにはおれない者である」と、「白痴」という差別語を使用して結ばれており、後に自己批判している。
これは、1950年代後半に普及し始めたテレビに対し、評論家の大宅壮一が放った差別熟語「一億総白痴化」に由来していると思われる。
「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ・テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化運動』が展開されているといってよい」。(『週刊東京』1957年2月2日号)
差別糾弾要綱を、知的障害者に対する差別語で、締めくくるという、考えられない失態だが、障害者差別についての理解が、当時、いかに弱かったかがわかる。
社会(被差別部落を含む)における障害者差別、とくに精神障害者に対する差別の厳しさが見えてくる。
ちなみに、この「一億総白痴化」という表現は、朝日新聞では、天声人語(2012年2月1日)などを含め、くり返し使用されている。(直近では、2021年4月に亡くなった立花隆氏を悼む、柳田邦男氏の6月25日の寄稿文)
●差別語とは
差別語とは何か。
ひとことで言えば、差別語とは、社会的差別を受けている被差別マイノリティに対する侮蔑語のことで、歴史的、社会的背景をもち、現実の差別的実態を反映している言葉。
それゆえ、差別語そのものが、固有の社会的属性をもつ被差別マイノリティを、個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み、排除し、侮蔑・抹殺する暴力性をもっている。
ここで強調しておきたいのは、差別語はある、しかし使ってはいけない差別語など存在しないということ。
差別語は抹殺すべき対象ではなく、社会の差別意識と差別感情が塗りこめられた差別語を通して、厳しい差別の実態を浮き彫りにし、時代の歴史と文化の差別性を衝き、差別撤廃のためにこそ使用される必要がある。
差別語を抹殺することは、差別を隠すことに加担するだけで、差別を無くすことには寄与しない。
それに対し、差別表現は、場面・文脈の中に差別性(侮辱の意志)を含む表現のこと。
表現の客観性、社会的性格が問題とされる。
ここで注意すべき点として、差別表現は、
⑴ 差別語の使用
⑵ 内容が事実かどうか
⑶ 悪意があるかどうか とは直接関係しない。
●差別語の使用=差別表現ではない
わかりやすい例をあげておく。
〇「国会は魑魅魍魎が巣くう特殊部落だ」→「国会は魑魅魍魎が巣くう被差別部落だ」
〇「キチガイに刃物」→「統合失調症に刃物」
〇「あいつは何も見えていない、盲(めくら)と一緒だ」→「あいつは何も見えていない、視覚障害者と一緒だ」
上の三つの表現は、前者が差別語を使用した差別表現で、後者は差別語を使用していない差別表現。
どちらも、表現の差別性(侮辱の意志)において違いはない。
つぎに紹介するのも、差別語を使わない差別表現である。
●旧社会党系学者の差別文章
社会党左派系の進歩的で革新的と目されていた一人の学者(中島誠)が、かつて所属していた地区の共産党を離党した直後のことに触れ、雑誌に載せた文章。(1980年代後半)
「Nさんとは、わたしの共産党離れで、つきあいはなくなってしまった。あれはふしぎなもので共産党を出ると、道で会っても、むこうさまのほうで、とても困った顔をされるのだ。こっちは平気で元通り、いや、昨日と同じあいさつをしようとおもうのだが、相手は照れくさそうな、もっとはっきりいえば、被差別部落民と出会ってしまったような表情をする。Nさんの奥さんにかぎらず、そういう人たちがそろいもそろって全く善良な日本人なので、余計こっちは弱ってしまう。」
●「被差別部落民と出会ってしまったような表情」とは
東京・お茶の水にある、総評会館の応接室で抗議の話し合いを持った。
その時、この「進歩的・革新的」学者は、開口一番、「わたしは部落問題をよく知っている。だから?特殊部落“ではなく、解放同盟が使用している?被差別部落”という言葉を選んで使用した」との言い訳をした。
しかし、?被差別部落“と書こうが?特殊部落」と書こうが、「部落の人間は世間から疎ましく思われ忌避される存在」との社会認識を前提としない限り、成立しない表現である。
そこで私は、かれに問うた。
「被差別部落の人間と出会った時と、特殊部落の人間と出会った時とでは、表情にどんな違いがありますか?」
この「進歩的・革新的」学者から答えはなかった。
差別語さえ使わなければよいとするこの学者の考え違いは、現在のマスメディアにかかわる多くの人に共通する誤解でもある。
●言い換えが必要なとき
もちろん、言い替えが必要なばあいもある。
今でも時々、「差別語をいくら言い替えても、差別的実態が変わらなければ意味がない。だから、差別語や差別表現に抗議するのは皮相で無意味だ」、という意見を吐く人がいる。
しかし、人は言葉によってコミュニケーションを図り、言葉によって思考しているのである。
マニュアル的な言い替えはたしかに無意味だが、負の否定的価値観を付与された言葉ではなく、積極的で肯定的な代替言語を生み出すことによって、差別を逆照射し、差別的実態を変革する契機ともなりうる。
次回はその事例もふくめて書くことにしたい。
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本論に入る前に、まず最近気になった差別問題にまつわるトピックから。
菅直人元総理のツイッター投稿、橋下徹氏(をはじめとする日本維新の会)に対する「ヒットラーを思い起こす」をとりあげたい。
2022年1月21日、菅直人元総理が、ツイッターに次のような投稿をした。
〈橋下氏をはじめ弁舌は極めて歯切れが良く、直接話を聞くと非常に魅力的。しかし、「維新」という政党が新自由主義政党なのか、それとも福祉国家的政党なのか、基本的政治スタンスは曖昧。主張は別として弁舌の巧みさでは第一次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす。〉
このツイートに対し、橋下徹氏は自身のツイッターで、「ヒットラーへ重ね合わす批判は国際的にはご法度」と述べるにとどまっていた。
ところが、日本維新の会は、代表の松井一郎・大阪市長、副代表の吉村洋文・大阪府知事らが猛烈に抗議をはじめた。
1月25日の衆議院予算委員会では、日本維新の会の議員・足立康史が、政府質問ではなく、ヒトラー投稿を取り上げ、立憲民主党批判を展開し、ついには立憲民主党本部に出向き抗議文を手渡す始末。
大阪府知事の吉村は、「国際法上あり得ない」「どういう人権感覚をお持ちなのか」と批判し、大阪市長の松井は、「誹謗中傷を超えた侮辱」「どういう状況であろうと言ってはならないヘイトスピーチ」と抗議。
1月27日には、フジテレビ「Live News a」に出演していた、津田塾大教授・萱野稔人(かやの・としひと)は、次のように語った。
「ヘイトスピーチという言葉がありますよね。ヘイト、つまり憎悪にもとづいて、相手を侮辱したり、その相手に対する憎悪を煽ったりする表現のことです」
「フランスやドイツではヘイトスピーチを法律で禁じていて、その基準に従えば、菅直人元総理のヒトラー発言は、処罰の対象となる可能性が非常に高いです」
いったい、どういう「基準」で、菅元総理の「ヒトラー」発言が、ヘイトスピーチとして処罰の対象となるというのだろうか?
菅元総理は、ヒトラーおよびナチスドイツの行為を礼賛などしていないことは、ツイートを読めば明らかである。
萱野稔人は、ヘイトスピーチとそれを禁止しているフランスとドイツの法律について、全くの一知半解のでたらめを、公共空間に晒した。(発言させたテレビ局の責任も問われるが、津田塾大はこんな教授を一刻も早く解雇・追放すべきであろう)
●麻生太郎「ナチスの手口」発言を擁護
すでに過去、幾度となく橋下徹自身や日本維新の会が、他者や他党をヒトラーになぞらえて批判していたこと、逆に石原慎太郎などからヒトラーと褒められ、すんなり受け入れていた事実。
さらにヒトラー礼賛のネトウヨ・高須クリニックの院長・高須克弥とも同志的間柄。
加えて、2013年、副総理の麻生太郎が、「憲法はある日気づいたらワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね」と発言し、アメリカのユダヤ人人権団体のサイモン・ウィ−ゼンタール・センターをはじめ諸外国から批判されたとき、橋下徹は「行き過ぎたブラックジョーク」などと擁護していた事実が次々と暴露されてきており、みずから墓穴を掘る事態となっている。
●ヒトラーを肯定的文脈で使用することがアウト
今回の菅元総理のツイートに、気色ばんで抗議した日本維新の会の政治的意図は、逆に、日本維新の会のいい加減さと、それこそ「ヒトラー」的体質を露呈させているといっていい。
少し考えれば誰にでもわかることだが、ヒトラーを肯定的文脈で使用することはアウトで、ドイツでは民衆扇動罪などで罰せられる。
(最近も、強制収容所跡地やアウシュビッツの入り口で、ナチス式敬礼をして逮捕される観光客が後を絶たない)
一方、ナチスの残虐な行為を命じたヒトラーを批判的文脈で使用することは、なんの問題もない。
今回、菅元総理のツィートについて橋下徹が怒ったのであれば、名誉棄損か侮辱罪で訴えるぐらいが関の山だが、ヒトラーにまつわる過去の発言の事実は、それさえ無理であることを示している。
●ヘイトスピーチとは何かがわかっていない
しかし、今回の騒動で明らかになったのは、政治家、学者や知識人、そしてメディア関係者などの、ヘイトスピーチについての驚くべき無理解である。(憲法学者や国際法学者のヘイトスピーチ理解のいい加減さは本連載の後半でふれている。)
かつて、産経新聞社の編集局長だった乾正人氏が、憲法記念日で大江健三郎さんが、時の総理・安倍晋三を呼び捨てにしたことに対し、失礼極まりない「ヘイトスピーチ」と“編集日記”に書いた。
また、自民党の政調会長だった高市早苗が、自民党内のヘイトスピーチ対策プロジェクトの第1回会議(2014年)で「官邸前で行われる抗議デモのシュプレヒコールがうるさい。このヘイトスピーチも論議すべき」と発言した。
つまり、総理大臣を呼び捨てにする行為や、デモなどの抗議行動の声の大きさをヘイトスピーチと思っていた上記二人と、同レベルの認識であることが明らかになった。
(ちなみに、「自民党のヘイトスピーチ対策プロジェクト」座長の平沢勝栄は、後に「LGBTばかりになると国がつぶれる」との差別発言で糾弾されており、こんな輩のヘイトスピーチ対策プロジェクトには何の期待もできない。)
●ヘイトスピーチとは
ヘイトスピーチとは、差別表現(差別的憎悪表現)ではなく、差別的憎悪“煽動”行為であり、ヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)の一形態であり構成部分。
罵詈雑言や悪態暴言などと違い、ヘイトスピーチは社会的マイノリティに対する目的意識をもった暴力的な差別・憎悪煽動行為であり、表現の自由の対象ではない。
ヘイトスピーチとは、差別的憎悪煽動のことであり、人種・民族・出自・障害・性的少数者など、属性による社会的差別を受けているマイノリティ個人・集団を傷つけ、貶め、排除するための言論(ジェスチャーや態度を含む)による暴力で、犯罪行為なのである。
本論に入ろう。
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【メディアと差別表現 抗議・糾弾をめぐって その2・侮辱の意志があるか、ないか】
●差別表現に対する基本方針の確立
(1931年全国水平社第10回大会)
1931年、全国水平社第10回大会で、この種の誤った抗議・糾弾とメディアの安易な言い替えや差別問題への忌避を一掃すべく、創立大会の決議第一項の趣旨を再確認し、徹底する提案書を採択している。
採択された提案には、今日に至るまで、部落差別のみならずすべての差別問題に共通する、差別語・差別表現を考える上での基礎・基本となる方針が示されている。
少々長いが全文を掲載する。
言論・文章による『字句』の使用に関する件
提出 中央常任委員会
(全国水平社第十回大会・1931年)
主文 吾々は「字句」の使用に対して明確なる態度を決定す。
理由 この「字句」使用の問題に就(い〉ては運動の当初よりの懸案であって、一応は決定されていたのであった。
その後の闘争が該問題取扱上に種々のデリケートな、限界のルーズな事もあって、その初期に決定された「侮辱の意志による言動」が閑却された様な形であった。
そこでこの「文句」さえ使えば悪いのだとの認識不足な考えが起り、吾々の部落を現わすのに闘争団体の名称である、水平社と呼ぶことが最も安全であるかのごとく心得、平気で代名詞として使用する傾向が現われて来た。
その他に於いても如何に必要な時であっても、ウッカリ文章及言論に表現すると糺弾されるから「アタラズ」「サワラズ」式にとの態度となってこの問題に対する真面目な批判と、発表、通信、研究等を聞くことが出来なかった。
吾々は如何なる代名詞を使用されても、その動機や、表現の仕方の上に於いて、侮辱の意志が―身分制的―含まれている時は何等糺弾するのに躊躇しない。
然れども、その反対に「エタ」「新平民」「特殊部落民」等の言動を敢えてしても、そこに侮辱の意志の含まれていない時は絶対に糺弾すべきものではないし、また糺弾しない。この点徹底せしめるべく努力せねばならぬ。
実行方法
この提案がなされた背景には、関東水平社による『破戒』の糾弾そして絶版。著者・島崎藤村に対する脅しと金品の要求などの、差別糾弾に名を借りた事件師的行為が横行したことも要因の一つにある。
●100年前に確立していた差別糾弾の方針
すでに100年前に、差別語の使用=差別表現ではないこと、差別糾弾は?侮辱の意志“を含む表現、つまり?表現の差別性”に対して行われるのであって、差別表現は差別語を使用しているか否かとは、直接関係しないことを、全国水平社は明確にしている。
今のメディアに決定的に欠落しているのもこの視点であり、「言葉狩り」(差別語狩り)とはメディアが自主規制の名の下に行った「差別語」隠蔽工作といってよい。
たしかに、現象的には差別語を使用した差別表現が多かった事実はあるものの、あくまで抗議・糾弾を行う事案かどうかは、その表現(場面、文脈)のなかに被差別者に対する、?侮辱の意志“が含まれているかどうかであった。
●森敦「月山」に対する誤った糾弾
1974年に芥川賞を受賞した、森敦氏の山形県を舞台にした小説、『月山』に対し、解放同盟の一地方支部が、文中に「部落」という字句があることを理由に抗議した悪しき例がある。
あってはならない誤った抗議の典型事例だが、これを契機に差別表現問題については中央本部で、一括して取り組むことを周知徹底した。(テレビ、ラジオの地方局、新聞の地方紙上で起きた差別事象については原則として当該地方組織が担う。)
しかし、間違った抗議の例が、瞬く間にマスコミ業界に広まったことも事実である。まさに悪事千里を走るである。
●全国水平社第13回・14回大会
1935年の全国水平社第13回大会では、創立大会以降の差別糾弾闘争の総括を行っている。差別糾弾に名を借り金品を要求するなどの、事件師的「不正糾弾屋」の一掃と防止に向けた方針と共に、「差別糺弾方針確立に関する件」が提出され、「社会的影響力」について考慮すべきことが強調されている。
小説や映画で取り上げられる差別問題は、社会的影響力が大きいことを指摘したうえで、
「吾々は単なる穢多非人の生活描写を問題にするのではなく、常にそれが社会に及ぼすところの影響を考察し、その深さと幅の程度に応じて取扱い問題の範囲を決定すべきである。何んなに露骨な描写であっても、取扱い方の如何によっては寧ろ教育的効果を挙げ得る場合がある。反対に容易に看破され難い一見何でもないと思われるような描写であっても、部落の陰惨な生活を暗示しそれが差別観念の助長乃至再生産への役割を演ずると認められた場合は糺弾されねばならない」。
●出版・映画・演劇における差別糺弾について
さらに1937年の第14回大会では、13回大会での方針をさらに深化させている。
「出版・映画・演劇差別糺弾に関する件」の「二、出版・映画・演劇に於ける差別糺弾の意義」
「吾々は出版・映画・演劇等に取り扱われたる差別に対して、如何なる基準を以て之を問題視するかは、決して現象形態のみを云々するものではなく、常にそれが被圧迫部落問題との関連において社会に及ぼす影響を正当に考察し、その深さと幅の程度に応じ総合的観点に立って問題の性状と範囲が決定されねばならない。例えば何んなに露骨な描写であっても、取扱い方の如何によっては寧ろ進歩的啓発の効果をあげ得る事が出来る(島崎藤村氏の破戒や喜田博士の書著述等)」。
*少し説明しておくと、喜田博士とは歴史学者・喜田貞吉のこと。雑誌『民族と歴史』の刊行をはじめた喜田は、1919年「特殊部落研究号」と題して、被差別部落民衆について流布されていた偏見―「異人種」「異民族」「朝鮮民族起源説」を、まったくのまちがいとし、人種起源説を否定する論考を発表、部落民は日本民族であるとのべた。このタイトルに使われた被差別部落を「特殊」視する「特殊部落」は官製の差別語だが、当時において、「被差別部落」という言葉はなかった。
●差別語を抹消すればよし、とする態度に反対する
さらに、「三、如何に糺弾闘争を戦うべきか」では
「全国水平社の差別問題に対する基本的態度は『抹消主義反対』である。
抹消主義とは一言にして云えば、被圧迫部落問題が現に社会的に実在するに拘らず、観念の上だけで之が実在を否認せんとする一体系である。
これは乃ち(注)言語が意識の表現手段であるに拘らず、名称語字に拘泥して必要なる関係語句を封鎖する結果、本問題の進歩的促進を妨害する。
次に部落問題解決を客観的に否認するところの『寝た子を起す』(注?な“が抜けている)の考え方を生み出す。
凡ての事案は先ず問題として提起される事によって始めて解決に導き得るのであって、この考え方は永久に本問題の解決を妨害する」。
すでに戦前の全国水平社の差別糾弾闘争の中で、差別表現糾弾の基本方針は確立されていることが確認できる。
(来週につづく)
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広島部落解放研究所紀要『部落解放研究・VOL.28』(2021年12月)に、「メディアにおける差別表現問題の現況と課題」と題して、小論を寄稿した。
今週から数回にわたって連載するのは、その元になったオリジナル原稿「メディアにおける差別表現問題 抗議と糾弾をめぐって」である。
最初の方は、寄稿した小論とほぼ同じだが、後半、とくに具体的な差別表現事例の多くは、紙幅の関係でカットせざるを得なかった。掲載にあたっては、寄稿文の著作権者である広島部落解放研究所の許可をいただいた。
はじめる前に、最近、気になった差別表現にかんする事件について意見をのべておきたい。
〇 県立福井農林高校の原発演劇「明日のハナコ」騒動
2022年1月4日、朝日新聞朝刊・第二社会面に、「原発題材の高校演劇 放送を除外 福井のケーブルテレビ」の大見出しで、〈「せりふに差別」主催側と協議〉との記事が目に留まる。
県立福井農林高校の演劇部員二人による、原発批判を含めた朗読劇の中で、原発推進する元市長の発言を取り上げた台詞があった。その中に差別的な用語が入っていたため放送が中止になったという。
朝日新聞記事には書いていないが、身体障害者に対する差別語「かたわ」という言葉が、元市長の発言の中にあった。
全文を読んだが、ハッキリ言って放送除外する内容ではない。できることなら、元市長の発言を引用するときに、「差別的な言葉ですが」とか、「かたわ」という差別語に対し、何らかの注釈的なものを入れられればベスト。
そもそも、元市長が発言した時になぜ問題にならなかったのかと思うが、事の真相は、原発反対色の強い劇を放送することに、スポンサーでもある原発関連会社にケーブルテレビ側が忖度したというところだろう。
酷いのは、スクールロイヤー(顧問弁護士)が、「劇中使用された『かたわ』という差別用語は、使用するだけで駄目である」と言い切っていることだろう。
何度も言ってきたことだが、使ってはいけない差別語など存在しない。
問題は、その言葉がどのような場面、文脈で使われているかである。
このような差別表現問題に一知半解の弁護士が、差別と表現の問題に絡むと事態は悪化する。
●『はだしのゲン』回収騒動のねらいもおなじ
この事件は、かつて2014年に、大阪・泉佐野市長・千代松大耕が「はだしのゲン」の学校図書館からの回収を命じた時に、漫画の中に「きちがい」「乞食(こじき)」「ルンペン」という差別表現があるからという理屈で回収を企図したのと同じ構図である。
ウエブ連載「差別表現」第123回「なぜ『はだしのゲン』を回収するのか」でくわしく書いたが、千代松市長の意図は、「はだしのゲン」の反戦平和を希求する姿勢に、政治的に反発しての極右的思想によるもの。
すなわち、「差別的表現」を理由にしての政治的抑圧と言ってよい。
今回の「明日のハナコ」騒動について、朝日新聞記事は、「差別的な用語」とのみ記している。
なぜ具体的に「かたわ」と報じないのか。
2015年には、NHKの番組「あさイチ」でゲストの市川悦子さんが、「かたわ」という言葉を使ったとき、キャスターの有働由美子アナは、すぐにその言葉をあげた上で、番組内で「かたわ」発言の問題点を指摘し、謝罪と訂正を行っている。
差別語・差別表現問題に対するその姿勢が、相手に付け入るスキを与えているのである。福井農林高校演劇部の生徒が可哀そう。福井ケーブルテレビは、放送除外判断を撤回し、即刻放送すべき。( “ゲジゲジ日記” 1月4日より)
本題に入ろう。
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【メディアと差別表現−抗議・糾弾をめぐって その1・犠牲者がその烙印を投げ返すときが来たのだ】
●はじめに
1980年代の初めごろ、メディア(主に、テレビ、新聞、出版)における、差別表現問題に取り組み始めてから40年近く経つ。(2000年までは部落解放同盟の担当者として)
当初は主として、部落差別にかかわる表現上の問題について、メディアに申し入れや抗議文を送致し、問題解決と再発防止に向けた話し合いの場をもち、差別の現実を訴え、理解してもらうことに重点をおいていた。
これは今でも変わらないメディアに対する差別表現抗議活動の目的である。
差別語・差別表現に投影され、内在している社会的差別の実態の解明と理解、そして、その撤廃こそ、抗議の主たる目的だからである。
●抗議の対象
抗議対象は、直近の放送や新聞・出版物に限らず、再放送された古い映画やテレビドラマ、そして、復刊されている明治期以降のすべての出版物であった。
問題表現、差別表現の指摘は、部落解放運動にかかわっている人たちからが多かったが、一般の視聴者および読者からの通報も少なくなかった。(同和教育を実践している教師、他の差別問題に取り組んでいる人たち、そして人権啓発を受けたことのある一般市民)
抗議はもっぱらメディア=媒体に向けられた。
表現者が私的な空間や日記などで差別的なことを発し書く行為とは違い、それを公共圏のテレビ・ラジオで発信し、新聞・雑誌・単行本に掲載したメディアの社会的責任が、第一義的に問われるからである。
発言者、執筆者に対しては、メディアへの抗議と話し合いが終わったのちに、メディアの関係者とともに話し合いの場を持つ。差別問題への理解を深め、以後、差別撤廃に向け社会的影響力を発揮してもらうよう、二義的に要請することで終わる。
のべ500件近い差別表現問題にとりくんできたが、多くの場合、差別表現を行った発言者や執筆者に主観的な悪意や差別意識の自覚は薄く、差別の実態をよく知らず、ついうっかり、何気なく発言し、書いている場合がほとんどだった。この点が、のちに述べるヘイトスピーチ(差別的憎悪煽動)との決定的違いといってよい。
●なぜ抗議するのか
抗議はまず、何が、なぜ差別表現(被差別者の人格を傷つけ侮辱する表現)なのかについて明確にするところから始まる。
その表現が、現にある社会的差別を容認し、固定化し、助長する役割をはたしているから抗議しているということを、説明する。
ここで、大半のメディア関係者が、差別の実態についてほとんど知らず、無頓着であることが明らかになる。
差別の現実について学ぶことの重要さを痛感させられる。
同時に、被差別者が抗議したから、その表現が差別表現とされるのではないこと。つまり「足を踏まれた者の痛みは、踏まれた者にしかわからない」式の、思考停止的、一方通行的な抗議ではなく、第三者から見ても許されない差別表現であることの客観的、媒介的論証を(抗議対象が理解し、納得するまで)おこなわなければならない。
●抗議の社会的基準
もちろん、「踏まれた痛み」を知る被差別者の研ぎ澄まされた感性が、直観と感情によって差別を見抜き、告発してきたのも歴史的事実である。
なにが差別・差別表現かは、すぐれて客観的なもので、時代と共に変化する社会意識(社会的価値観)のなかに判断基準がある。
日本の憲法第14条や国際的な反差別の人権基準である「人種差別撤廃条約」「国際人権規約」「女性差別撤廃条約」「障害者の権利宣言」など、さまざまな差別禁止の国際人権条約が、抗議の正当性と客観性を担保している。
つまり、抗議の判断基準は、「被差別者の主観のなかにあるのではなく、客観的な社会的文脈のなかに存在」しているのである。(『最新 差別語・不快語』)
●差別表現とは何か―「侮辱の意志」の有無
では、いったい?差別表現“とは何か。
なにをもって差別表現として抗議し、糾弾してきたのか。
歴史をたどって見ていきたい。
1922年(大正11年)3月3日、歴史的な全国水平社の創立大会が京都・岡崎公会堂で開催された。
同情融和的な官製運動ではなく、「我々特殊部落民は部落民自身の行動によって絶対の解放を期す」ことを綱領に掲げている。この大会で採択された?水平社宣言“は、日本で初めての人権宣言として知られている。
その水平社宣言は、冒頭で「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」と檄(げき)を飛ばし、「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ」と、先の綱領と同じく「特殊部落民」、そして「エタ(穢多)」という、きつい差別語を使って差別撤廃を高らかに宣言している。
差別語・差別表現問題にとって重要なのは、大会決議第一項にあるつぎの文言である。
●全国水平社 創立大会決議第一項
「我々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糺弾を為す」
以降、この決議第一項にもとづいて、差別的言辞・行為に対し、全国水平社による徹底糾弾闘争が展開された。
当時、年間1000件を超える糾弾闘争が行われたことでもわかるが、差別言動は今とは比べものにならないほど日常茶飯事だった。
このころの水平社は、「差別は遅れた前近代的な封建的意識にとらわれた個人に起因する」という認識のもと、差別が社会的で構造的なもので、権力によって作られ、維持、再生産されているという理解が弱く、差別的言動に現れた個人の遅れた意識を徹底糾弾することによって差別撤廃を実現できると考えていた。
さらに、当時の差別言動は、いまでいうヘイトスピーチ(差別的憎悪煽動)と同じく、目的意識的で攻撃的な主観的意図を持ち、被差別部落と出身者に対する言葉による暴力であった。
差別は社会悪であり、許されないという建前が表向きは存在した新憲法下の戦後社会とは違い、半ば公然と差別的言動が行われていた社会であった。
●差別に抗議した部落青年350人が逮捕
水平社結成前夜の一大メディア糾弾闘争は、1916年に起きた「博多毎日新聞差別事件」(今の毎日新聞とは無関係)である。
1916年(大正5年)6月17日付の紙面に、「人間の屠体を原素に還す火葬場の隠亡」「穢多は死骸となっても別な扱いを受ける」との差別記事が掲載された。
これに憤激した青年を中心とする、福岡・博多の被差別部落民が、怒りに燃え大挙して新聞社に抗議行動(襲撃)を展開する事態となり、350人余の逮捕者を出した。
当時の知識人層を代表する新聞でさえ、差別を意識的に行っていたのだから市井における差別言動の激しさは、論を俟たない。
●「侮辱の意志」が含まれているかどうか
このような差別言動が氾濫する社会状況を突破し変革すべく、決議第一項が採択され、糾弾闘争が展開されたのだが、いっぽうで、決議の意味を十分理解できず、間違った抗議・糾弾が横行したのも事実。(たとえば、うどん屋に入ってきた4人が、「うどん四つ」と親指を曲げた仕草と共に注文をした時、そこに居合わせた水平社同人から糾弾されたという――その時代を生きた人の証言。)
それは、決議の内容に対する無理解から、つまり「侮辱の意志」の有無の決定的重要性についての理解不足から起こった由々しき事態で、糾弾闘争の正当性と社会的意義を貶める行為だった。
創立大会の水平社宣言や綱領に、なぜ「特殊部落民」とか「エタ」の差別語が使われているのか、その理解が共有されていないことが明らかになった。
水平社宣言や綱領に使われている「特殊部落民」「エタ」の表現は、差別語をもって、逆に差別を撃つ、との決意表明であって、被差別部落民として生まれたことを悲観し卑下することを拒否し、差別意識が塗りこまれた差別語を対象化し、投げ返すことを通して差別撤廃を訴えた被差別部落民の矜持であった。
水平社宣言にある「犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ」ということである。
ここには、1960年代、アメリカの公民権運動の中で声高らかに発せられた、「BLACK IS BEAUTFUL」と同じ精神的基調がある。
次回は、今日に至るまで、部落差別のみならずすべての差別問題に共通する、差別語・差別表現を考える上での基礎となる方針が、90年前にしめされていたことを紹介したい。
それが、全国水平社第10回大会の「言論・文章による『字句』の使用に関する件」(1931年)である。
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アイヌ民族ドキュメンタリー紹介の中で
発言は、動画配信サービス「Hulu」(フール―)の番組を紹介するコーナーで、「アイヌ女性のドキュメンタリー『future is Mine―アイヌ、私の声―』を紹介した直後、お笑い芸人の脳みそ夫さんが『この作品とかけまして動物を見つけた時ととく。その心は、あ、犬』と謎かけをした」(朝日新聞)というもの。
民族的マイノリティを動物に喩えて嘲(あざけ)る「あ、犬」という表現が、アイヌ民族に対する典型的かつ古典的な度し難い差別表現であることは論を俟たない。先住民族アイヌを「野蛮」「非文明」とみなすことで、かれらの土地を「無主の地」として奪い、生活の糧を奪い、言葉や文化を抑圧した。
「北海道旧土人保護法」(1899年)の「土人」表記の差別性に通じる表現で、極めて侮辱的な差別表現である。(「北海道旧土人保護法」は1997年「アイヌ文化振興法」に改められた。)
番組の放送直後からSNSなどで批判の声が巻き起こり、局に抗議が殺到したという。
日テレは、その日の夕方のニュース番組「every」の中で謝罪。 そして、翌週月曜日の「スッキリ」の番組冒頭で、番組制作関係者に「この表現が差別にあたるという認識が不足していた」と全面的に謝罪し、司会の加藤浩次は、北海道出身者としてオンエア直後に問題を指摘し即応できなかったことを詫びている。
発言者のお笑い芸人・脳みそ夫は14日、自身のツイッターに「勉強不足を痛感」と直筆文書で謝罪。 同日、所属事務所タイタンの太田光代社長も、問題の重要性を認識しきちっと対応するとのコメントをツイッター上で表明。
そして、15日には北海道アイヌ協会の大川勝理事長が、首相官邸で加藤官房長官と面談し政府による抗議を要請。官房長官はそれに応えて日本テレビに「きわめて不適切」な表現と厳重に抗議したことを、16日の記者会見で明らかにしている。
さらに18日には、日本民間放送連盟会長でもある大久保好男日テレ会長が、また22日には日テレの小杉善信社長が、定例記者会見の場で、「アイヌ民族の皆さまが差別を受けてきたことへの理解が制作担当者に足りておらず、放送した言葉が直接的な差別表現であることの認識が欠如していた」と謝罪し、「今後さらに検証し、再発防止策を」作ると明言。
芸人のアドリブでなく元の台本にあった
ざっと一連の事態の流れを見てきたが、ここに至って『週刊現代』(4月3日号)が、「日テレが隠し続ける『差別発言』当日の台本の中身」という見出しで、「実は、問題となった台詞はすべて、番組の担当ディレクターの女性が考えました。最近までADだった番組制作会社の若手です。台本の中身を見た脳みそ夫は懸念を示していたので、彼女は収録前に社員のAプロジューサーに連絡をして判断を仰ぎました。しかし、A氏は何の対応も取らなかった。結果的に脳みそ夫だけが叩かれてしまった。今も局は『差別発言』に台本があったことを隠し続けています」との衝撃的な記事が載る。
『週刊現代』の記者がA氏に事情を聞くも「お話しできません」の一点張りだという。
脳みそ夫も「タイタン」も、日テレに遠慮してか口をつぐんでいる。
最初、筆者がこの差別表現事件を知ったとき、生放送中に脳みそ夫がアドリブで発言したのかと思っていたが、じつは事前に作られたVTRだった。(アイヌ女性を取り上げたドキュメンタリー番組そのものはアイヌ問題への理解を深める内容だという。)
生放送かVTRか—―責任の所在がちがう
テレビ・ラジオなど放送関係の差別(表現)事件に数多く関わってきて感じるのは、責任(社会的)は第一義的に局の側にあるということ。(出版などの場合は、ほとんど出版社側の問題であり、執筆者への抗議は二義的)。
そして放送関係でいえば、生放送かVTRかでは決定的にその責任の所在が違うということ。(生放送かVTRに限らず、アナウンサーやキャスターなど、局の制作関係者の差別発言はこの限りではない。)
今回の場合、脳みそ夫のアイヌ民族差別発言が生放送でのアドリブであったとすれば、その場で即座に対応し「不適切な発言」などの抽象的な言い回しではなく、何がどう差別的で問題なのかをキチンと視聴者に説明して謝罪することができれば、関係団体から抗議を受けることもない。 むしろ差別をなくすための啓発的行動として評価されるべき事態といってよい。(事実、過去幾度か生放送中にゲストの差別発言があった場合、CMを入れるなどして、その番組内で局側の司会者などがきちんと謝罪することで、啓発効果を上げた例がある。 関係団体側も事情を聞くぐらいで、抗議する必要はない。
直近ではないが、NHKの「あさイチ」(2015年)で、ゲストの市原悦子さんが「やまんば」の説明で差別的な言葉(「かたわ」「毛唐」)を、悪気なく無意識に連発したとき、その場でキャスターの有働由美子アナがお詫びを行った例。 またフジテレビ「バイキング」(2016年)に生出演していた金美齢さんが「士農工商,牛馬AD」と発言したとき、榎並大二郎アナがその場で謝罪、そして番組の最後で丁寧に問題点を指摘し解説を行うことによって事なきを得ている。)
なぜ隠す?――そもそも局の台本にあった差別表現
しかし、今回の事件はVTRの中での差別表現であり、また脳みそ夫が考えた台詞でもなく、(脳みそ夫はむしろ懸念を持ったという)台本があったことが事実だとすれば、全面的に局側に責任がある極めて悪質な差別表現事件といってよい。
しかもアイヌ民族に対する典型的な侮辱表現であるにも関わらず、局の制作者に誰一人として問題点を指摘する人間がいなかったことは、局の人権感覚の劣化を浮き彫りにしたといってよい。 徹底的に局の差別体質を追及することが求められている。
(日テレは、2017年の大晦日に放送した『ダウンタウンの笑ってはいけない‼ 24時』における、浜田雅功の“黒塗りメイク”事件について、黒人差別と抗議されたにも関わらず一切謝罪も反省もしていない。 それどころか翌年1月にも再放送している)
抗議する側にも社会的責任がある
日本テレビの社長、会長が謝罪したのは、北海道アイヌ協会の意を受けた加藤官房長官から「厳重に抗議」されたことにあると思うが、その後の進展が一向に伝わってこない。4月9日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が、放送倫理違反の疑いがあるとして審議入りを決めたが、今回の事件は、その程度で済まされる問題ではない。
北海道アイヌ協会のホームページにも、今回の日テレ「スッキリ」差別表現事件について載っていない。(日本テレビに原因究明を求める申し入れを口頭で行ったと報道されているが、4月12日時点のHPには、申入れや経過について何も載っていない。)
まずは日テレに乗り込んで、事実確認会を行い、もし『週刊現代』が報じていることが事実だとすれば、日テレの自助努力だけでは再発防止は到底不可能。公開で、抗議・糾弾会を開き、日本テレビの人権意識の低さと差別的な体質を追及する必要がある。
これはアイヌ民族差別に限ったことではない。すべての差別問題に通じる事態であり、北海道アイヌ協会には全力で取り組んでほしいと願う。抗議・糾弾する側にも社会的責任がある。
]]>(筆者註) 「Black Lives Matter」を「黒人の命も大切だ(大事だ、重要だ)」と訳しているが、「黒人の命を軽く見るな」(翻訳家の柴田元孝さん)が一番日本語としてしっくりくると思っていたら、すでにその翻訳に近い言葉を『最新 差別語・不快語』に書いてあることに気づいた。
●白人警官による暴行死
白人警官による黒人男性暴行死事件に対する抗議行動は、わずか1ヵ月間で、全米各地からヨーロッパ、日本をはじめ全世界に拡がっている。
5月25日 ミネアポリス在住のジョージ・フロイト氏、白人警察官により路上で窒息死させられる
5月26日 フロイド氏の死に対する抗議集会、ミネソタではじまる
5月27日 ニューヨーク、ワシントン、サンフランシスコ等全米各地で抗議集会はじまる
5月28日 トランプ大統領、デモ参加者を「ゴロツキ」とツイート
5月30日 トランプ大統領、ホワイトハウス前で抗議するプロテスターを警官隊に催涙弾とゴム弾で排除させ、セントジョンズ教会を訪れ、聖書を掲げ写真撮影。その後、教区を束ねるブッディー司教が教会を利用したとしてトランプに激怒
5月31日 デモを取材していたCNN記者と取材クルーが逮捕
6月1日 トランプ大統領、抗議デモに対し軍の投入を辞さないと演説
6月2日 トランプ大統領、首都ワシントン各地に州兵を配置
6月3日 マティス前国防長官がトランプを痛烈批判。現職のエスパー国防長官も「デモ鎮圧に連邦軍を投入しない」と明言。
6月7日 パウエル元国務長官が7日、CNNテレビに出演。「トランプ大統領は合衆国憲法から逸脱した」と批判、11月大統領選で支持しないと表明。イギリスで17世紀の奴隷商人エドワード・コルストンの銅像が引き倒され、港に投げ込まれる。
6月8日 フロイド氏殺害警官が第2級殺人で追起訴、保釈金125万ドル(1億3500万円)
6月20日 トランプ大統領、100年前に300名の黒人住民がKKKに虐殺された地・南部オクラホマ州タルサで、大統領選挙集会を強行。
抗議行動は、アメリカ・ミネソタ州ミネアポリスの黒人男性、ジョージ・フロイド氏が、5月25日、白人警察官に路上で首を押さえつけられ窒息死させられたことに端を発している。
フロイド氏は、武器を持たず後ろ手で手錠をかけられた状態で地面にうつぶせにされ、白人警官に膝で首を9分近くも押さえつけられて死亡。
その模様を映した8分46秒にわたる動画がSNS上で拡散され、瞬く間に全米で抗議行動が拡がった。
●不正義に対する積年の怒り爆発
怒りの根本には、「公民権法」以来、数十年間にわたる、警察の黒人への暴力、殺人がある。
1863年、リンカーンの「奴隷解放宣言」から百年、キング牧師率いる公民権運動により1964年に「公民権法」が制定され、政治的・社会的な黒人差別が禁止されてから56年が経つが、黒人差別は社会構造として、依然根強く存在し続けている。
コロナ禍の中でより鮮明になったのは、全米で10万人を超える新型ウィルス感染による死者のうち、黒人の死亡率が白人の2・4倍という現実である。
長年放置されてきた差別と貧困が、健康格差に及んでいる。
テレワークのできないサービス業や国民生活に不可欠だが、感染リスクの高い病院や運送業に従事していることが、差別に拍車をかけている。
驚くべき数字は、これだけではない。
PNAS米国科学アカデミーは、「2019年の黒人男性の死因の第6位は警察の暴力によるもの」というデータを公表。「黒人、とくに20代の若者)が、白人警官のターゲットにされている」という。
また、ワシントン・ポスト紙のデータベースによれば「武器を所有せずして警官に殺される黒人は白人の4倍以上にのぼる」という (6月18日竹沢泰子寄稿「肌の色が命を分ける」/朝日新聞デジタル)。
じっさい、フロイド氏が殺害されたミネアポリスの黒人人口は19%。
それに比べ、ミネアポリス警察が実力行使する対象の60%以上が黒人である。
黒人死亡率は白人の2.4倍、警官に殺される黒人は白人の4倍以上。こうした不正義がうち続くなか、無抵抗のフロイド氏の首を圧迫して死に至らしめた8分46秒の動画――社会構造的な黒人差別が顕在化され、可視化されて、人々の怒りに火が付いたのである。
●「息ができない」――ガーナーさんの最期の言葉
今回と同じような白人警官による黒人男性殺害は、6年前にも起きている。
2014年、ニューヨークで、体重160キロ以上の大柄な黒人男性エリック・ガーナー氏が、複数の白人警察官に首を絞められ窒息死した。
このとき、ガーナー氏が死の間際に発した言葉は、今回の犠牲者フロイド氏と同じく「息ができない」だった。
ガーナー氏を窒息死させた白人警官は、裁判で不起訴となり、事件から5年経って、懲戒免職処分を受けたに過ぎなかった。
白人警察官による黒人殺害は、くり返し起きている。
フロイド氏の死に対する抗議行動が拡大する最中の6月12日にも、黒人男性が白人警察官に射殺された。
しかも事件は、キング牧師生誕の地であるアメリカ南部ジョージア州アトランタ市のドライブスルーで起きた。
黒人男性レイシャード・ブッルックス氏(27歳)を射殺した白人警察官は、即刻懲戒免職になったが、その後「重罪殺人」罪を適用され、保釈のない終身刑か死刑が想定されている。
ちなみに、フロイド氏を殺害した警官は「第2級殺人」で追起訴されたが、ミネソタ州で黒人を暴行して死に至らしめた警官が起訴されたのは、今回の事件が初めてである。
●逃亡奴隷追跡が警察の役割だった
公権力である警官が、黒人に対するリンチを白昼堂々と行っている。
白人警官であれば、黒人を射殺しようが窒息死させようが、おとがめなしーーこのような不正義がなぜ続けられてきたのか?
6月19日のBBCニュースは、「アメリカの警察の歴史的問題―逃亡奴隷の追跡から始まり」と題して、アメリカの警察が長年にわたり黒人を抑圧してきた歴史を特集した。
黒人奴隷を「財産」として所有するアメリカ南部の綿花プランテーション大農園経営者の意向を受けて、「逃亡奴隷法」が制定されたのは、1793年。
その後、奴隷制度が廃止されていたカナダや北部自由州に脱出する黒人が相次いだため、1850年に「逃亡奴隷法」が改正される。
改正された逃亡奴隷法のもとで、奴隷所有が認められない北部自由州においても、執行官・連邦保安官が逃亡奴隷を取り締まるようになる。逃げた奴隷を追跡し、「犯罪者」として処罰し、「所有者」に戻す。
人種隔離政策「ジム・クロウ法」に抗議する公民権運動が1960年代に盛んになると、警察は、黒人活動家の移動を制限し、運動のリーダーを狙い撃ちした。
公民権法制定により、人種隔離政策が禁止され、黒人がアメリカの市民権を獲得しても、警察の手法は、変わらなかった。
BBCニュースに出演したピッツバーグ大学のケイシャ・ブレイン歴史学教授は「奴隷制は、現代も形を変え、社会に組み込まれている」と語る。
「警察の黒人に対する暴力を奴隷制から発したものとする文脈でみれば、よくわかります。『Runaway Slave Patrole』 (逃亡奴隷を追跡する警察官バッジの紋章)として、警察は存在したのです」
●スパイク・リー監督は語る
同じくBBCニュースは、フロイド氏殺害事件について、ハリウッド映画界の黒人差別に闘いを挑んできた映画監督スパイク・リーにインタビュー。
リー監督は、つぎのように語っている。
「だから今回の事件は新しい出来事じゃないんです。もう400年も続いている」
「僕の先祖は400年前、母なるアフリカから連れ去られ、ヴァージニア州ジョージアタウンに着いた。最初の奴隷船がここに着いたのは、1619年だった」
そのうえで、リー監督は語る。
「Black Lives Matter運動の影響力がすごいのは、白人の若いブラザーやシスターたちが、黒や褐色の仲間と腕を組んでいること。だから影響力はとてつもなく大きい」(6月4日/BBCニュース)
フロイドさん暴行殺害に端を発した抗議行動は、1960年代の公民権運動を上回る規模で、すでに1万1千人以上の参加者が逮捕され、死者も18人。
激しい抗議行動となっていて、全米50州すべてで抗議デモが展開され、連動して日本を含む世界各国でも連帯する抗議行動が行われている。
1960年代の公民権運動当時との違いは、デモ参加者が若者を中心に世代を超え、当事者の黒人だけでなく白人、ヒスパニック、アジア系も多く参加しており、まさに「人種」を超えて、アメリカ国民すべてが参加していることだ。
なかでも、白人の若者が多いことが特徴的だ。
しかも、SNSを通じた呼びかけに呼応して、幅広い社会層が参加しているところは、ヘイトスピーチに抗議する日本のカウンター行動参加者とまったく同じだ。
●警察改革を訴える波
Black Lives Matter運動の中で、とくに注視したいのは、長年、黒人にリンチをくり返してきた警察組織の解体的改革が叫ばれていることである。
警察は、黒人を抑圧する最大の装置として、その機能を果たしてきた。
長年うち続いてきた不正義に対する抗議が全米に広がるなか、アメリカの警察組織の解体的改革が叫ばれ、具体化する自治体も出始めた。
抗議デモに敵対する警察、州兵だが、一部ではひざまずき、連帯を表明する動きもあった。
それに比べ、日本では相変わらず、ヘイトデモを擁護し、反差別カウンターに敵対する警察ばかりである。渋谷警察署のクルド人に対する暴行逮捕は、アメリカにおける黒人に対する差別的対応とまったく同じといってよい。
しかし、アメリカの警察に対する改革の波は、必ず日本の警察の在り方にも影響を与える。
●歴史的転換――人種差別、先住民族虐殺の「英雄」が批判
何よりも特徴的で興味深いのは、人種(黒人)差別抗議行動が、先住民族を破滅させたとして、「新大陸発見」のコロンブス像や南北戦争時代の南軍の英雄などの銅像を人種差別の象徴として、倒壊撤去させていることだ。
イギリスでは奴隷商人エドワード・コルストンの銅像が河に投棄され、あのチャーチルの銅像さえ人種差別者として、批判が向けられている。
ベルギーでは、旧植民地コンゴ抑圧の象徴として、各地にある国王レオポルド?世の像が破壊の対象になっている。
そのほかにも、黒人をはじめ有色人種や先住民族を奴隷にして酷使し、差別してきた「英雄」の名がつけられた地名やストリートの名称変更を求める運動も、抗議行動の中から起きている。
今回の世界的な人種(黒人)差別反対の抗議運動の中で、すべての差別を許さない精神を基底として、歴史を見直し、白人支配層によって作られた社会意識と人間存在の価値観の歴史的転換が進行しているといってよい。
その一つの表れが、6月15日、アメリカ連邦最高裁で、LGBTなど「性自認や性的指向」を理由とした解雇を公民権法違反とする判断が下されたことに見ることができる。
連邦最高裁判事9人中6人が共和党指名の保守派で、過去にも「性的少数者に非寛容な判決」を下していただけに、今回の判断に原告側は驚いたという。
反差別の社会意識は確実に拡大し、強まっている。
●差別主義者トランプ、米国エスタプリッシュメントに見放される
白人警官による黒人暴行殺害に対する抗議運動は、黒人差別反対にとどまらず、全般的な反差別運動として、全世界的な展開を見せているが、トランプ大統領は抗議行動を、「アンチファシズム」を叫ぶ一部のテロ組織の仕業と決めつけ、「略奪が始まれば銃撃する」とツイッターで発信、州兵が動員され、全米40都市で夜間外出禁止令が出されている。
ついには、人種差別反対デモに米軍を投入するとトランプは息巻いた。
この発言を受けて、マティス前国防長官、現職のエスパー国防長官も、連邦軍投入によるデモ鎮圧方針に公然と異を唱え、トランプを批判するに至っている(*)。
また、米軍制服組のトップ、ミリー統合参謀本部議長も、トランプに付き従うことを拒否し、事実上の決別宣言を突き付けた(*)。
さらに、元統合参謀本部議長で共和党員のパウエル元国務長官が、7日のテレビ出演で、「トランプ大統領を「合衆国憲法から逸脱した」と厳しく批判、次期大統領選でトランプに投票しないと表明。
トランプは、軍および米国エスタプリッシュメントから引導を渡されたのである。
*エスパー国防長官は「米軍は憲法の言論・集会の自由の権利を擁護する」と、公に反対を表明。
マティス前国防長官は、「ナチのように国家を分断しても統治するというトランプは合衆国憲法の脅威だ。我々はトランプという脅威を取り除かなければならない」と述べた。
*ミリー統合参謀本部議長は、合衆国国防大学での演説で、教会での写真撮影のために、5月30日、催涙弾で抗議デモを排除したトランプに同行したことを謝罪。「あの瞬間、あのような状況に私がいたことは国内政治への軍の関与という認識を作り上げてしまった」と、述べた。
●トランプの終わりは安倍の終わり
このままの状況では、トランプの秋の大統領再選はない。
このことは、トランプのポチ「安倍晋三の終わり」をも意味している。 抗議デモ参加者を「テロリスト」と呼び、国民を分断し統治するトランプの手法は、日本の安倍首相も学んでいる。
選挙演説でヤジを飛ばす反差別カウンターのメンバーに向かって、「あんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫ぶ姿は、トランプのポチにふさわしい。
いっぽう、今回の人種(黒人)差別反対抗議行動には、多くのアスリート、俳優、ミュージシャン、アーティスト、そして驚くべきは、ナイキ社やディズニー(創始者ウォルト・ディズニーは人種差別主義者)などの大企業も連帯し、抗議行動に多様な方法で意思表示し参加していることだ。
NBAプロバスケットボール協会に所属する八村塁選手、女子テニスの大坂なおみ選手をはじめ、世界で活躍している日本人アスリートも声をあげている。
「Black Lives Matter」、を掲げ、全米のみならず全世界に広がりつつある人種差別反対抗議運動は、世界の人権意識を根底的に変革している。
「人権問題の根幹には差別問題がある」ことを世界に訴えている。
〇2015年、アメリカ・メリーランド州ボルティモアで、黒人青年が白人警官に暴行殺害された事件に対し大規模な抗議デモが全米で繰り広げられた。その時のスローガンも、「Black Lives Matter」で、日本語訳は「黒人の命は軽くない」だった。 この「Black Lives Matter」を掲げた運動が始まったのは、2013年、フロリダ州で黒人の高校生が白人警察官に射殺された事件をきっかけにSNSを通じて広がったといわれている。
]]>チマチョゴリ切り裂き事件を思い出した…
新型コロナウイルス感染恐怖がもたらす差別事件が、激発している。
一例をあげれば、学生が集団感染していた京都産業大学に対する、放火までほのめかす執拗な誹謗中傷、郡山の女子大教授が感染したことで、街を歩いていた同大学付属女子高校生が、“コロナ、コロナ”との罵声を浴びせられ、制服を着るのをやめたという。
かつての朝鮮高校に通う女子高生のチマチョゴリ切り裂き事件を思い出す。
公的支援が必要な感染者を排除、非難し、治療に全力を尽くしている医療従事者とその家族に対する差別事件も頻発している。
これらは、今もつづくハンセン病罹患者と回復者、HIV感染者、水俣病患者、そして3・11福島原発崩壊による放射能汚染被害者への差別(フクシマ差別)と通底している問題である。すべて安倍政権の、後手後手で、なおかつ行き当たりばったりの愚策により生じた、社会的な不安と不満の鬱積の中で起きている。
フェイクニュース飛びかう中で
緊急事態宣言からひと月。テレビ局のディレクターから筆者に電話があり、「このような差別と偏見をなくすにはどうしたらいいと思うか?」と、ストレートに聞かれた。
何よりもまず、フェイクニュースに惑わされず、感染者は被害者であり、医療従事者は感染の可能性が高い、最も困難な中で治療を行い、最前線で新型コロナと向き合い奮闘しているのだという事実を知ること。
そして、一人ひとりがそれぞれの立場から、偏見と差別をふりまく行為に抗議の声を上げ、SNSなどを通じて、差別を許さない意志を発信することが、現時点では必要と答えた。
差別事象の批判的報道はマスメディアの重要な役割である。だが、後で見るように政治権力の無策・愚策とごまかしを批判し、真実を明らかにする姿勢が弱い。
さらに、本来いちばん重要なのは、社会的影響が大きい政治家を含む公的機関による徹底した啓発活動である。ところが、むしろ差別と偏見を助長するような発言と行動が目に余る、今の政権与党には期待できない。
ヘイトスピーチに対してもそうだが、きちんとした対応と、差別的行為を禁止する実効性のある法律を制定してこなかった政治の怠慢といってよい。
「自粛警察」--歴史はくり返す
コロナ感染者と医療従事者などの関係者を排除・非難する人の心の底には、感染症に対する恐怖からの自己防衛心もある。
しかしそこに、差別と偏見が入り込めば、1923年の関東大震災時に朝鮮人虐殺を行った民間自警団の心情に陥ってしまう。
恐怖、偏見、差別は、放置しておけば必ずヘイトクライム〜ジェノサイドに向かうことは、歴史が証明している。
コロナ禍の中で “自粛警察”なる行為が強まっている。
感染者や医療従事者にとどまらず、営業している飲食店など商店への脅迫めいた張り紙や、SNSでの誹謗中傷が、蔓延している。
戦前の相互監視制度でもあった“隣組”、 そして“国防婦人会”などの活動を想起させるが、関東大震災の時に政府が発令した“戒厳令”を契機に民衆が起こした「自警団」と全くの相似形だ。
“自粛警察”の差別・排外主義的な言動は、ファシズムの生活現象の一つといってよい。
児童公園の滑り台や砂場にカッターの替え刃を撒くなどは、すでに犯罪行為である。 徹底的に捜査し取り締まるべきだ。
注意すべきは、これらの行為が、4月7日の緊急事態宣言以降、急速に拡大していることだ。緊急事態宣言が、戦前に出された、戦時体制下での統制法である「国家総動員法」〈1938年〉と同じような効果を発揮している。
営業している商店・パチンコ店、県外ナンバー狩り、使用禁止されている児童公園の砂場や滑り台にカッターの刃を撒き、そして感染者と医療従事者の家族をも非難・攻撃し排除する“自粛警察”の跳梁跋扈が、それを証明している。
恐怖の裏にひそむ差別
“自粛警察”的行為をする人々を突き動かしているのは、新型コロナ感染に対する恐怖と不安、そして行動を抑制され、自由を制限されている現状に対する不満がある。
歴史的に見て、災害やペストなどの感染症が拡大する中で、社会不安が起こるのは一般的傾向だが、今回のコロナ禍の中で差別と偏見が増勢されている背景には、まちがいなく安倍政権の失政がある。
本来なら、無策な為政者に向けられるべき怒りと憎悪が、なぜ感染者や医療従事者、そして自粛をしない商店に向けられるのか。
そこには、真実を知らされず、為政者の愚策を隠ぺいする、「やってる感」のパフォーマンスに惑わされ、誤誘導された、倒錯した社会意識が存在する。
「恐怖心の裏には差別心が隠されている」
テレビ局のディレクターは、人権問題を学校教育できちっと教えることが重要と語っていたが、そこで問われるのは、「差別をしない、させない、許さない」と、子どもたちみずからが考え、行動するために、なされるべき人権教育の中身であろう。
人権を守るとは 「差別をしない、させない、許さない」こと
――「思いやり」や「心がけ」ではない
以前から筆者がくり返し強調してきたのは、「人権問題の根幹には差別問題がある」ということだ。
1948年に採択された世界人権宣言は、すべての人間の尊厳が守られ、平等であるべきことを誓約した。
これは、ナチスによるユダヤ人差別が600万人以上のホロコースト犠牲者をもたらしたことへの痛烈な反省から出されたものだ。
つまり、世界人権宣言は、「世界反差別人権宣言」なのである。
「人権」は近ごろ流行りの「コンプライアンス」でもなければ、「思いやり」や「道徳」でもない。
人権を守るということは、「差別をしない、させない、許さない」ということ。
それをしっかりと教育し、さらに具体的な差別事件を取り上げて、差別の非人間性を告発し、差別を見抜く感性を磨き、直観力を養うことが重要と話した。
五輪ありきの「コロナ対策」が招いた事態
新型コロナ対策についていえば、小池東京都知事は、3月19日段階でも、今夏の東京五輪は「中止も延期もあり得ない」と断言していた。
ところが3月24日に延期が決定するや、急に新型コロナウイルス感染者が増えだした。
都も政府も、とにかく五輪開催ありきで、PCR検査をはじめ新型コロナ感染対策をほとんどしてこなかった一方、安倍政権は事前の準備も何もなく、3月2日に唐突に学校閉鎖を打ち出し、教育現場のみならず社会的に大きな混乱を巻き起こした。
そして4月7日の緊急事態宣言により、商店などに営業自粛を求め、繁華街への外出自粛が要請され、公園の滑り台、ブランコ、鉄棒などの遊戯すべてにテープが巻かれ使用が禁止された。
しかし、事業の自粛は損失の補償と一体でなければ経営破綻をもたらし、従業員(特に非正規など不安定雇用)の解雇が拡がることがわかっているにもかかわらず、休業補償も、失業補償も何もなく、生活不安を煽りもたらしただけで、何一つ緊急事態宣言後の社会生活を維持するための手立てはなされなかった。
30万円の焼け石に水程度の支援金でさえ、手続きの煩雑さでほとんど実効性がなかった。
全世帯マスク2個配布は愚策中の愚策だが、マスクそのものの品質に問題があり、それすら東京以外は配布されていない。
さらに466億円の費用が、実は200億円だったことも判明、なおかつ正体不明の会社も受託しており、もう無茶苦茶。
このような危機的状況の中で、我慢を強いられた一部の人々が、その不満の捌け口を、営業している商店や感染者及び、医療従事者や宅配業者、そして公園で遊びたい子どもたちに向けている。
新型コロナ感染者を被害者ではなく「加害者」とみる心理の裏には、痴漢事件を例にとれば、「痴漢される側の服装や態度にも問題がある」という責任すり替えの、自己責任論が潜んでいる。
ヘイトスピーチをくり返している差別・排外主義者の発想と変わるところがない。
「ユダヤ人が井戸に毒」――14世紀ペスト蔓延時のデマ
こうした危機的状況下に、デマ・フェイクニュースが加われば、1923年の関東大震災時の朝鮮人虐殺のようなヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)が起きても不思議ではない。
これは決して杞憂ではない。
当時、震災の混乱に乗じて「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが拡散され、日ごろから朝鮮人差別意識を持たされていた一般人〈自警団〉によって6000人近い朝鮮人虐殺という最悪のヘイトクライムが起きた歴史を直視すべき。
差別する心理の裏には報復を恐れる恐怖心が張りついている。
14世紀、ヨーロッパでペスト〈黒死病〉が猖獗を極めたとき、「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」というデマが、当時の社会で差別されていたユダヤ人の排撃につながったことも想起される。
下からのファシズムへの対処法
ではいったい“自粛警察”のような、下からのファシズム的な差別現象にどう対処すべきか。
第一に行うべきは、“自粛警察”を行う人々自身もそうだが、攻撃的行動の背景にある社会的経済的不安と不満の原因を突き止め、それを解消する政策を早急に打ち出すことだ。と同時に、実効性と即効性のある経済的な生活支援を行うこと。 休業補償と失業者給付金を軸に、外国人を含め、広く日本に居住するすべての人々を対象とした公的支援金の給付、それも新型コロナ禍が終わるまで毎月継続することだ。
そして、国民に正しい情報を伝え、フェイクニュースを根絶させるとともに、実際の新型コロナ感染防止の状況を、データをもとに隠さず公表して、コロナ禍対策の現状と展望を指し示すこと。
一例をあげると、東京都発表の最近の新型コロナ感染者数は、5月3日91人、4日87人、5日58人、6日38人、7日23人と発表されている。
しかし、それぞれの検査実施人数は、5月3日399人、4日219人、5日109人にとどまっている。(この項『日刊デンダイ』デジタル5月7日参照)
ひと目でわかるように、5月5日は実に陽性率53%、おそるべき実態が浮き彫りになっている。
都の発表する感染者数は、全くのまやかしで、減少傾向を強調するためのごまかしではないのかと疑う。
感染者数の減少は “事実”であっても“真実”ではない。
その後、東京都が5月8日に発表した直近一週間の陽性率は7・8%だったが、基礎データを出さないので、にわかには信じられない。
なぜ、テレビをはじめ新聞は、これを徹底検証し、真実を明らかにしないのか。
メディアの権力批判の怠慢とフェイクニュースといってもよい統計のごまかしを批判せず、むしろ隠ぺいにメディアが手を貸している状況は憂慮すべき事態だ。
ノーベル賞受賞者の京大・山中教授が指摘したように、“陽性率”あるいは“実効再生産数”を新型コロナ感染拡大状況の判断基準とすべきだろう。すべてはそこから始まる。真実こそが人間に自由を与える。
さらに、現に起こっている差別事象について、国家がおざなりな通り一遍の言葉の上だけでしか対応していない現実を踏まえ、社会的に影響力のある人々が積極的に情報発信し、差別・排外行動を抑え込む行動を起こすこと、そしてそれをマスメディアが意識的に報道し、“自粛警察”的行為を徹底批判することだろう。
コロナ禍が長く続き、とくに感染者及び医療従事者とその家族に対する差別的状況が続くなら、フィリピンのマニラ市が4月2日に制定した、罰則付きの「新型コロナウイルス差別禁止条例」のような法律も考えるべき。
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Aマッソの人種差別ネタ
9月22日、「思い出野郎Aチーム」主催のイベント「ウルトラ?フリー“ソウルピクニック」に出演した、女性のお笑いコンビ・Aマッソの、プロテニスの大坂なおみ選手の肌の色を笑いのネタにした漫才が指弾された。
ネタは、
「大坂なおみに必要なものは?」
との問いかけに、
「漂白剤。あの人日焼けしすぎやろ!」
と応えたという内容。
解説する必要もない、典型的な差別表現である。
所属事務所のワタナベエンターテイメント、主催した(株)カクバリズムと思い出野郎Aチーム、そして、Aマッソの加納・村上二人から、時を置かずして謝罪と反省文が出された。
謝罪・反省の内容に不十分点はあるものの、対応の早さと内容に誠意と悔悟が感じられる。
大坂なおみ選手に対するホワイトウォッシュCM事件
大坂なおみ選手にかんしては、今年の1月に、自身のスポンサー企業である日清食品が彼女をモデルに制作したアニメキャラクターのCMで、肌の色を白く表現していたことが問題となり、「ホワイトウォッシュ」と強く批判された差別事件が起こったばかりである。
「ホワイトウォッシュ」とは、アフリカ系やアジア系の肌の色を白人のように描いたり、映画や舞台で、その役を白人に演じさせるなど、白人至上主義の人種差別行為のこと。
非白人の大坂なおみ選手をわざわざ白く描くところに黒人への差別意識(白人優位を価値づける意識)がある。
大分別府マラソン出場選手に「チンパンジー」
この事件の2か月後、別府大分毎日マラソンに出場したアフリカ招待選手を、日本人通訳の女性が、自身のブログに「チンパンジー」と書き込む差別事件が発覚。
さらに9月末には、2012年に投稿されたお笑いコンビ?金属バット“の漫才動画が、HIV差別として批判にされ、昨年12月のライブでは黒人差別を笑いのネタにしていたことも露見している。
お笑い評論家・ラリー遠田の差別的論評
これらの差別表現事件に対し、
「(黒人差別は奴隷制という歴史的背景を持つ欧米では深刻な社会問題だが)、率直に言って、黒人差別は多くの日本人にとってまだそれほど身近なテーマではない」
「日本人の多くはもともとそういう感覚がない。アメリカなどのレイシストが持っているような本物の差別心を、黒人に対して抱いている日本人はめったにいない」
などと能天気な論評をしているお笑い評論家(ラリー遠田)がいる。
しかし、日本における黒人差別は、欧米の白人から刷り込まれた白人至上主義がその根底にあり、黒人を劣った存在とみなす差別意識が明確に存在する。
日本社会に黒人差別が少ないのではない。白人の差別目線を通したステレオタイプな黒人像をそのまま受け入れてなんとも思わない、鈍感な日本人が多いだけである。(ウエブ連載差別表現 第204回参照)
この能天気なラリー遠田は、続けてつぎのようにのべる。
「Aマッソの今回の発言も、彼女たちの内なる差別心の発言ではないと考えるのが自然だ。つまり、これは事件ではなく事故である。差別心から発した本物の差別発言ではなく、無知や誤解からたまたま生じた差別発言なのだ。…差別心による発言とそうではないところから出てきた発言は、区別して考える必要がある。…彼女たちは無知や不勉強・不注意によって問題発言をしてしまった。そのこと自体は反省すべきだが、個人的にはここまで大ごとにするほどの問題であるとは思えない」(傍線筆者)
そしてラリー遠田は、こう結論づける。
「ネット上では『絶対悪を叩く正義』が参加コストの安い娯楽になっている」
差別表現糾弾への露骨な嫌悪感
厳しい差別の現実と苦難の闘いの歴史に?無知“で?不勉強”なるがゆえの戯言(ざれごと)だが、ラリー遠田の主張は、安倍政権を支持する日本のネトウヨに代表されるポリティカルコレクトネス(PC)と差別表現糾弾に対する露骨な嫌悪感と反感を、中立性、客観性を装って代弁しており、看過することはできない。
(➡ヘイトデモと、それに対するカウンター行動を同列に見なす?どっちもどっち“論の変種)
「発話者に差別的意図があったかどうか」は関係ない
まず、最初に言っておきたいのは、差別表現か否かは発話者・執筆者の主観的意図(今回の場合、ラリー遠田のいう?差別心“があったか否か)の有無とは、直接関係しない。
被差別マイノリティに対し、差別心をもち目的意識的かつ攻撃的意図を持ってなされたなら、それはヘイトスピーチ(差別的憎悪扇動)であり、抗議の対象ではなく社会的犯罪であり、刑事罰の対象である。
差別表現とは、今回の場合のように、「ついうっかり」「なにげなく」「そうとは知らずに」発言し、執筆することが、客観的には被差別者を貶(おとし)め、嘲笑し、現実にある差別を容認し助長する表現行為のことをいう。
?差別心“の「有る」「無し」で差別表現かどうかが判断されるわけではない。
差別発言に?本物”と偽物があるわけでもない。
たまたまであろうがなかろうが、差別表現の対象(ネタ)にされた被差別者にとって怒りは同じである。
ラリー遠田の論評じたいが差別糾弾の対象だ
“差別心”からではなく“不注意”からの“事故”だから「ここまで大ごとにするほどの問題であるとは思えない」とは、ラリー遠田の、差別の現実に対する無知と鈍感な感性を吐露(とろ)しているにすぎない。
そればかりか、差別発言をおこなった者を庇い、抗議の声を嘲笑うこの発言じたいが、糾弾の対象になりえる暴言である。
過去数十年、差別表現事件に取り組んできた筆者の経験からハッキリ言っておくが、「差別心による発言とそうでないところから出てきた発言は、区別して」考えてきたし、今も取り組んでいる。
「絶対悪を叩く正義」のどこが「参加コストの安い娯楽」なのか?一度ヘイトスピーチの現場に足を運び、差別の現実を直視してから語れと言っておく。
]]>日本維新の会から、今夏の参議院選全国比例区に出馬予定だった長谷川豊。
差別煽動ともいえる部落差別講演(五月一五日ユーチューブにアップ)に対して抗議の声が沸き起こり、公認取り消し(表向きは自主的公認辞退)となった。
そもそもの発端は、今年二月に世田谷区で長谷川が語った講演である。
とんでもない部落差別発言であり、前回のウエブ連載差別表現(第205回)で、その差別性を批判したように、犯罪と被差別部落を結びつける、確信犯的な部落差別煽動であった。
ところが……参院選出馬「辞退」が、日本維新の会より発表された六月十日、長谷川は、事の顛末(てんまつ)を自身のブログに書き連ねている。
【五月二二日付の謝罪】
長谷川は、五月二二日付で「謝罪文」を出しているが、前回のウエブ連載差別表現で、「公認取り消しを避けるための方便に過ぎない」と、私は指摘した。
その後、公認取り消しとなった長谷川が、六月十日に書き連ねたブログは、完全な居直りと詭弁(きべん)で、五月二二日付の「謝罪文」も、まったくの嘘であったことを、自ら暴露している。
まず、長谷川が五月二二日に公表した謝罪文を、全文掲げておこう。
2019年5月22日
講演会でお話をした中身を改めて読みました。
今、自分で読んでも訳が分かりません。まず身分制度の話と暴漢に襲われる話が全くリンクしていません。皆さんが読んでも意味が分からないと思いますが、僕が今読んでも意味が分かりません。ただ、とんでもない差別発言であることは、まぎれもない事実であることに気づきました。
江戸時代を含めた中世・近世の身分制度について、きちんとした知識を有しないにもかかわらず、安易に「一部の身分の被差別者を犯罪集団だった」と言及したことは、「差別の助長」「差別の再生産」を聴衆の皆さんにもたらす弁解の余地のない差別発言です。
私自身の「潜在意識にある予断と偏見」「人権意識の欠如」「差別問題解決へ向けた自覚の欠如」に起因する、とんでもない発言です。
人間としてあってはならないことを犯してしまい、慙愧の念に堪えません。
この発言を全面的に謝罪するとともに、完全撤回させてください。
これまで、部落差別の解消、人権問題の解決に取り組んでこられた、多くの皆さまはもちろん、基本的人権の尊重を国是とする日本国民の皆さまにお詫び申し上げます。
改めて今、ネット上で拡散されている動画内容は撤回させていただき全面的に謝罪をさせていただきます。
これから、「人権」について全力で真剣に学んでいくことをお誓いいたします。
大変申し訳ございませんでした。
長谷川豊
(以上、引用終わり)
殊勝な謝罪文だが、公認取り消し後の六月十日付ブログを見ると、この「謝罪・撤回」は、参議院選の公認取り消しを避けるための方便で、虚偽でしかなかった。
長谷川豊は何も反省していない。
差別思想を持ったまま、今後も講演活動などを行うつもりである。
?【長谷川の主張 動画は切り取り編集されていた?】
長谷川は、公認取り消し後の六月十日付ブログで、部落差別講演の映像は「切り取られて編集されている」として、差別発言そのものがなかった、と主張を一変させている。
そして、この時期にこんな映像が流されたのは、長谷川も全力で応援していた、大阪・堺市長選の維新候補に対する攻撃だと断言。だから選挙に対する否定的影響を避けるために、反省のポーズを取ったのだという。
つまり、維新を攻撃するために、部落差別発言であるかのように「切り取り」「編集」された、と主張するのである。
【長谷川が出した「そのままの動画」も部落差別】
長谷川は、六月一一日にブログの追記を載せ、そこで、「切り取られ編集された動画」ではない、そのままの動画として、一月に千葉県内で行った講演動画をアップしている。
問題とされている動画は、二月下旬に都内・世田谷で行われた選挙応援の講演動画であり、一月の千葉での講演動画ではない(しかも、この編集された動画ですら差別講演といえる代物)。
なんの反証になるのかと言いたいが、実証性、客観性を全く無視した反知性主義的な迷いごととしか、言いようがない。
?【笑止千万 教科書の記述から身分制が消えた?】
さらに笑止なのは、「四段階の身分制度(士農工商)。そして、被差別階級があった、と」思っていたが、「実は日本ではその歴史自体が、なかったのではないか、と」、最新の学説で知ったという。
だから今では「子供たちの教科書から、その差別の歴史の記述自体が無くなっているのです」と、長谷川はうそぶく。
“ちょっと、なに言ってるのか分からない”という支離滅裂な発言だが、それでも、上記五月二二日付の「謝罪文」をアップしたのは、政治的配慮と忖度からだと居直る。
長谷川の主張=詭弁を粉砕しておこう。
まず、江戸時代の身分差別は、「士農工商・穢多、非人」ではなく、「武士・平人・賤民」であり、「農工商」の間に明確な身分区分はなかったとするのが最新の学説である。
しかし、身分差別がなかったとは誰も言っていないし、そんな「学説」は、聞いたことも見たこともない。
江戸幕藩体制のもとで、「武士・百姓町人・賤民」という身分制度が確立されたことは、日本歴史上の事実であり、現在の中学・高校の歴史教科書で、江戸時代の身分制について記述されていないのではない。
かつて、身分制と言えば、「士農工商、その下に賤民」という三角形のピラミッドのような単純な図で示されていたが、歴史研究の進展によって、実際は「武士・百姓町人・賤民」であり、それも単純な上下関係ではなかったことが、最新の学説で明らかにされている。
(たとえば、江戸の弾左衛門は、江戸の賤民を統治するトップであり、独自の身分自治組織をもっていたのである。そして、江戸町奉行を通じて江戸百万人都市の治安を担っていた。)
【差別の核心は、被差別部落と犯罪をむすびつけて語ったこと】
したがって、「子供たちの教科書から、その差別の歴史の記述自体が無くなっているのです」と、長谷川が歴史的事実を否定しても、彼が江戸時代の身分制に仮託して、部落出身者を犯罪集団であるかのように描いた差別は、消えることはない。
「教科書から記述が無くなっているから」とか「江戸時代の身分制のありようの説明が正しいかどうか」などは関係ない。
被差別部落と犯罪をむすびつけて語ったことが、差別なのだ。
?【謝罪と撤回はポーズだったと自ら述べる】
ブログで長谷川は、五月二二日付の謝罪文は、自らが書いたものではなく、日本維新の会・幹事長である「馬場さんの作ってくださった謝罪文は完璧でした」と、その舞台裏を、臆面もなく告白している。
つまり、「謝罪文」は、政治的意図のもとに維新の会の馬場が作った、と長谷川は述べている。
すなわち、差別事件を収めるための政治的偽装ポーズだったことを白状したわけである。
長谷川は自身の部落差別をまったく反省していないのは、この発言で明らかなのだが、ではなぜ、こんな居直りがまかりとおっているのだろうか?
【なぜ間接的抗議なのか?】
前回のウエブ連載で、私は、長谷川豊本人宛でなく、日本維新の会宛に抗議文が出されている点について、「日本維新の会に対する公認取り消し要求は副次的・二義的な問題である」とのべたが、まさにこの点にこそ、日本維新の会を通した間接的抗議ではなく、直接、長谷川を公開糾弾しなかった、部落解放同盟中央本部の姿勢が、問われている。
「部落差別解消法」の成立と裏取引で「糾弾」を放棄したこと、そして直接差別者と向き合い抗議・糾弾しない運動の質、つまり度し難い日和見体質が、確信犯的差別者の長谷川の居直りを許しているのである。
「アリさんマークの引越社」差別事件(厚労省に行政指導を要請しただけで、日本橋にある《アリさんマークの引っ越し社東京本部》に対して、いっさい抗議していない)、また、鳥取ループ・宮部龍彦による『全国部落調査』復刻ウエブサイト版差別事件など、行政や裁判所に対応を訴えても、直接、抗議・糾弾しない(できない?)運動団体の体たらくがもたらしたものだ。つまり舐められているということ。
この点についてはすでに四年前に『部落解放同盟糾弾史』(ちくま新書)の中で触れている。
「部落解放運動が、水平社以来取りくんできたのは、部落の相互扶助と社会的連帯をめざす自主解放の闘いである。その精神的基調が、差別に対する社会的糾弾の思想だった。これが松本治一郎精神であり、解放の思想なのだ。 内容なき抗議は空虚であり、思想なき糾弾は邪道である」。
長谷川豊・部落差別講演事件を、公認辞退で終わらせることはできない。
何ひとつ、問題は解決していない。
徹底糾弾あるのみである。
]]>日本維新の会から、今夏の参議院選に比例区代表で立候補予定の長谷川豊(元フジテレビアナウンサー)が、またしても度し難い差別扇動を行っていたことが判明。
今度は部落差別で、ついうっかりの差別発言ではなく、確信犯的な差別憎悪扇動だ。
今年の二月下旬に長谷川豊が行った選挙応援講演の動画が、五月一五日にユーチューブにアップされた。一時間半の講演を、自ら編集したものだが、その中で、「女は三尺下がって歩け」という「故事」を解説するくだりで、以下のようなエピソードを述べている。
●長谷川豊の部落差別発言
「日本には江戸時代に、あまりよくない歴史がありました。
士農工商の下に『穢多』『非人』、人間以下の存在がいると。
でも、人間以下に設定された人たちも性欲などがあります。
当然、乱暴なども働きます。
一族野党郎党となって、十何人で取り囲んで、暴行しようとしたときに、
侍は大切な妻と子どもを守るために、どうしたのか。
相手はプロなんだから、犯罪の。もう、振り回すしかない。
刀を振り回したときに、一切のかすり傷がつかないのが、二尺六寸の刀が届かない3尺です。女は3尺下がって歩け、愛の言葉です」
●ねつ造した差別フィクション
意味不明の説明だが、問題はなぜこの暴漢との立ち回り場面に、被差別民、穢多・非人を設定したのかにある。
長谷川は、暴力をふるい、強姦も行うプロの犯罪者集団のように語っている。
しかも長谷川は、批判者に対し、5月20付のツイッターで、「かつてこのような暗い歴史があったという史実を述べることが貴殿には差別発言ですか」と反論している。
この小話は、江戸時代に実際にあった事件なのだろうか。
ハッキリ言っておこう。
このような事実は一切ない。
このエピソードは歴史的事実ではなく、被差別民を侮辱し貶める意図のもとに捏造(ねつぞう)された差別フィクションである。
●江戸時代の被差別民
知っての通り、江戸八百八町・百万都市の治安と生活循環を底辺で支えていたのは、関八州の穢多頭・浅草弾左衛門配下の穢多・非人などの賤民であった。
警察業務として、おもに犯罪人の探索・捕縛、牢番、処刑などの役を担っていたのが歴史的真実である。これは幕藩体制下すべての藩に共通している。
江戸時代の被差別民は、長谷川がねつ造したフィクションとは真逆の存在だったのだ。
●犯罪と部落出身者を結びつける思考
しかし、この小話の差別性は、虚偽だけにあるのではない。
より深刻なのは、「士農工商の下に『穢多』『非人』、人間以下の存在」(*)、つまり被差別者と犯罪(暴漢)を結び付け、レッテルを張り、ステレオタイプ化しているところにある。
*江戸時代の身分差別は、「武士・平人・賤民」で「“士農工商・賤民”」はまちがいなのだが、長谷川発言の差別性の核心ではないので、ここでは詳しくはふれない。
●ねつ造フィクションが現代の部落出身者を直撃するのは
今回の長谷川豊の差別助長煽動は、江戸時代の賤民に仮託して行われているが、現在の被差別部落と穢多・非人などの江戸時代の賤民とは直結するものではない。
つまり、江戸時代の賤民身分の子孫が、現代の被差別部落出身者なのではない。
現代の被差別部落を血筋で語ることは誤りであるが、現代の被差別部落を穢多・非人などの賤民と結び付けて考えている世人が多いのも事実である。
だからこそ、この表現は被差別部落出身者を直撃する部落差別煽動となる。
現代の部落差別は、江戸時代の賤民の存在を手掛かりに土地を媒介としつつ、明治維新以降の資本主義体制の中で新たに再編・構築された近代的差別である。
封建時代の差別は身分にもとづいているが、近現代の差別は“生産性”が根本にある。
(*昨年、自民党の衆議院議員・杉田水脈が行った「生産性」を根拠としたLGBT差別を思い出してほしい。
生産性と部落差別について詳しく知りたい方は小早川明良著『被差別部落の真実』を読んでほしい)
●猟奇的事件と被差別マイノリティを結びつける発想が差別である
今回の問題で問われているのは、被差別部落や在日コリアン、精神障害者など、社会的差別を受けている被差別マイノリティと、犯罪一般、とくに動機不明の不可解な猟奇的事件とを安易に結びつける思考に潜む差別観念なのだ(オウム真理教事件や神戸連続児童殺傷事件などの報道)。
また個人的資質や露悪な性格を、その人間の社会的属性と結び付けて、何かを解明したかのように語る物知り顔にも差別は潜んでいる。
7年前、かつて大阪維新の会の代表で大阪市長だった橋下徹氏が『週刊朝日』誌上で、その政治思想、政治政策、政治手法と権力欲について、彼の出自(被差別部落)と結び付けて論じられ、部落差別であると徹底批判された差別事件が、その典型だ。
●川崎市登戸の殺傷事件と”ひきこもり”を結びつける発想も同じ
同じことは、いま問題となっている、5月28日に川崎市登戸で起きた殺傷事件(2名死亡18名負傷)の報道もそうで、“ひきこもり”と凶悪犯罪を結び付ける報道に、強い批判がなされている。
●事実かどうかではなく、差別かどうかが問題
今回の差別事件を部落解放同盟が抗議しているが、これまであげた視点が弱い。
同盟の抗議文には、「長谷川氏はどういう歴史的事実・資料・根拠に」発言したのか明らかにするよう求め、事実でなく「思い込みや偏見」にもとづいているのであれば「その責任は重大です」という。
これではまるで、事実であれば抗議しないとも受け取れる。
問題の所在は、事実かどうかにあるのではない。
事実であろうがなかろうが、犯罪や否定的な事件・事象・事柄と、部落出身や在日コリアン、精神障害者、性的少数者など被差別マイノリティの社会的属性を結び付ける、その意識、発想、行為そのものが差別なのである。
●直接、抗議・糾弾を
さらに、この抗議文が長谷川豊個人でなく、なぜ日本維新の会宛てなのか?
維新の会に対する参議院選の公認候補取り消し要求は、二義的、副次的な問題である。
長谷川は急きょ謝罪しているが、それは公認取り消しを避けるため、上辺だけの反省ポーズに過ぎない。本人を直接糾弾しない限り、長谷川豊の差別意識を糺すことはできない。
そうでなければ「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担させよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」(*)と叫び続けている長谷川を免罪することになるだろう。
*2016年9月19日にブログに投稿、批判を受けて担当していた全番組を降板。
2017年、日本維新の会公認を受けて政治家へと転身、2019年夏の参議院選挙に出馬を表明していた。
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今年2月3日、大分で開かれた、歴史のある別府大分毎日マラソンに出場していたアフリカの招待選手に対し、通訳の女性がアフリカ選手を「チンパンジー」と呼んでいたことがわかり、社会的指弾を受けた。(この件についてプロ野球・楽天のオコエ瑠偉選手は、「俺らは我慢するだけ」とツイートしている。)
ことの次第は、通訳の女性が2月10日に書いたブログで発覚した。
ブログには次のように書き込まれていた。
「最初は、発音が聞き取れず悪戦苦闘でした。チンパンジーや古代の原始人とコミュニケーションしている感覚でした」
「最初はシャイだったチンパンジー達も、だんだんと心を開いてくれました」
通訳の女性は、選手と一緒に撮った写真に「かわいいチンパンジー達」とのキャプションをつけたという。(朝日新聞/2月15日)
この通訳の女性に、この表現が黒人差別だとの認識はない。1960年代に流行った“ダッコちゃん人形”を腕にぶら下げているぐらいの感覚だったのだろう。
高級ファッションブランドのあいつぐ黒人差別
ここ2〜3年、コマーシャルなどでの黒人差別が、数多く問題になっているが、昨年暮れにイタリア高級ファッションブランドのプラダのキャラクターが、今年に入って、同じくイタリアのファッションブランド・グッチの販売するセーターが人種差別(黒人差別)との批判を受け、販売を中止する事件が起きている。
【プラダ】
プラダは、黒い顔に大きな赤い唇の人形を店頭に陳列、販売。「人種差別だ」との抗議に、プラダ側は「想像上のものであり、ブラックフェースとは関係がない」と釈明。それに対し、「人種差別的な表現に関して、歴史上くり返されてきた言い訳と同じ」と、抗議された。
プラダは謝罪して回収。
【グッチ】 2019年2月、GUCCIが販売したセーター。「ブラックフェースを想起させる」として抗議をうけ、
GUCCIは謝罪し、販売を中止。
1年前、スウェーデンのアパレルメーカーH&M社が、広告で、黒人少年モデルに「ジャングルで一番クールなサル」とプリントしたパーカーを着せた事件は、国際的批判にさらされたのみならず、南アフリカでは国内に展開するH&Mの17店舗中6店舗が襲撃されるという深刻な事件をまねいた。
日本では、2017年暮れの『絶対に笑ってはいけない!アメリカンポリス24時』で、ダウンタウン浜田が、顔を黒塗りメイクして扮装した事件があった。(※ウエブ連載199回参照)
政治家では、2017年11月23日、自民党の同僚議員がアフリカとの交流活動を行っていることに触れ、「何であんなに黒いのが好きなのか」と発言した、山本幸三元地方創生大臣など枚挙にいとまがない。(※ウエブ連載197回参照)
アフリカ(中南米)系ダブルのスポーツ選手に対する人種差別
今回は、今年1月、女子テニス・大坂なおみ選手のスポンサーとなった日清食品が起こした「ホワイトウォッシュ」事件について考えてみたい。
まず初めに確認しておかなければならないことは、スポーツ選手についての差別的な言動は、すべての“ダブル”選手に対してではなく、アフリカや中南米に両親の何れかがルーツを持つ、黒人系の“ダブル”の選手に対して行われているという事実だ。(「ハーフ」とは呼ばない。「ダブル」あるいは「ミックス」)
スポーツ界の白人“ダブル”選手、陸上ハンマー投げの室伏広治(母親がルーマニア人)、やり投げのディーン元気(父親がイギリス人)については、むしろ好意的な表現がなされている。
いっぽう、甲子園で活躍したオコエ瑠偉選手(父親はナイジェリア出身)に対しては、次のような表現がなされ、抗議をうけた。
「真夏の甲子園が、サバンナと化した。オコエは本能をむき出しにして、黒土を駆け回った。…野性味を全開…味方まで動物のように追いかけた」(スポーツ報知)
人間をアフリカの野生動物に喩えた記事に対し、陸上競技のサニブラウン・アブデル・ハキーム選手(父親がガーナ人)の母親は、
「子どもたちを大人の興味本位の対象にするメディアに断固抗議します!そしてこの表現は明らかに人種差別」
と、強い怒りを表明している。
いま名前を挙げた選手以外にも、陸上のケンブリッジ飛鳥(父親がジャマイカ人)、アメリカの大学リーグで活躍している、バスケットの八村塁選手(父親がベナン人)、女子バレボールの宮部藍梨選手(父親がナイジェリア人)、陸上中距離女子の、高松望ムセンビ選手(父親がケニア人)など、スポーツ界で活躍するダブルの選手は多い。
(ちなみに高松望ムセンビ選手の父親は、2001年の長野マラソンで優勝しているが、その前年の大会終了後、当時の日本オリンピック委員会の会長八木祐四郎が、長野マラソンでアフリカ勢が上位を占めたことに対し、「黒いのばかりにV‐victoryとられちゃかなわない」との差別発言をしている。)
黒人スポーツ選手に対する人種差別的ステレオタイプについては、『人種とスポーツ - 黒人は本当に「速く」「強い」のか』(川島浩平著/中公新書)を、ぜひお読みいただきたい。
大坂なおみ選手を「ホワイトウォッシュ」
日清食品CMのなにが問題か
大坂なおみ選手のスポンサー企業でもある日清食品が、全豪オープン開催中に、彼女をモデルに作成したアニメCM。
カップヌードルのPR動画として日清食品がYouTubeで公開したものだが、大坂なおみ選手の肌の色を白くし、髪を金髪にして緩いウェーブに描き変えたことに対し、黒人を蔑視する意識が背後にあるとの社会的批判を受けた。
日清食品側は、「意図的に白くした事実はない」が、「配慮に欠けていた。今後は多様性の問題に、より配慮したい」との見解を出し、アニメCMを取りやめた。
「意図的でなかった」というコメントは、差別表現事件を起こした側の、責任逃れの常套句である。
“ホワイトウォッシュ”とは、ハリウッドなどの映画産業で、「本来は黒人(有色人種)の役を白人が演じること」と「黒人の肌の色を明るく修正して黒人色を薄める(白人化)」ことなどをいう。
そこには、“黒い肌より白い肌の方が美しい” “白人は黒人より優れている”という価値観がある。
大坂なおみ選手は、自身のアイデンティティを語るとき、「日本人、ハイチ人、アメリカ人がそれぞれどんな風に感じるものなのか、本当にわからない」「私はただ私だと感じる」と述べている。
また別のインタビューで大坂選手は、自身を「ブラックガール」とも呼んでいる。
「ホワイトウォッシュ」されたギリシャ彫刻
「白さ」を讃美し、「黒い肌」「黄色い肌」を侮蔑する白人優越主義は根深い。
よく知られているように、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケなどのギリシャ彫刻は、本来「白」ではなく褐色であった。
18世紀、ドイツの学者たちが、「古代ギリシャは純白の文明」であり、「白人が人間の理想形」ととなえた。
1930年、大英博物館はそれらの彫刻の表面の色を削り落として、「真っ白」に塗り替えたのである。同時期に、世界中の博物館で、ギリシャ彫刻に対して同様の「ホワイトウォッシュ」が行われている。
ペリー来航時、日本人が観たミンストレル・ショー
こうした人種差別について、アメリカではすでに1960年代に決着がついている。
1830年代に始まったとされる、ミンストレル・ショーに対する批判だ。
白人が顔を黒く塗り、アメリカの黒人奴隷の風習や言語を、踊りや音楽、寸劇で面白おかしく笑いのネタにした醜悪なショーだった。
20世紀初頭には廃れたが、最終的にとどめを刺したのは、1960年代の公民権運動による。
日本で最初にミンストレル・ショーが行われたのは、1854年、2度目のペリー来航時のこと。
このとき、函館、下田、那覇でも幕府(琉球王国)の役人を招いて演じられ、人気を博したというが、同時に黒人差別意識を「日本人」に植え付けたことも間違いない。
この黒人に対する差別意識が、今も日本社会に深く根付いている。
ダッコちゃん、カルピスの黒人マーク
日本で、本格的に黒人差別が問題視され始めたのは、アメリカで1964年に公民権法が成立してから、20年ほど経ってからである。
1980年代、アメリカの「ポリティカル・コレクトネス」運動や、日本国内における差別語や差別表現に抗議する運動の高まりのなかで、「サンボ人形」「ダッコちゃん」や『カルピス』の商標だった「黒人マーク」などが、ステレオタイプ化した黒人蔑視であり、誤った黒人像を与えているとして、強く抗議される。
その後も、『ちびくろサンボ』問題、政治家による黒人差別発言などがあいついだ。
※「ダッコちゃん人形」と1990年に取りやめたカルピス商標マーク。日本で販売・表現された黒人キャラクターは、すでに1930〜40年代のアメリカで批判されてきた黒人像だった。
外交問題となった政治家の黒人差別発言
1986年、当時の中曽根首相が、自民党の全国研修会で、「日本は高学歴になってきておる。…(中略)…平均点からみたら、アメリカには黒人、プエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、日本人よりはるかに知的水準が低い」と発言し、米議会や黒人議員連盟が強く抗議。
1988年、当時の自民党・渡辺美智雄政調会長が、「日本人はまじめに金を返すが、アメリカには黒人やヒスパニックなんかがいて、破産しても、明日から金返さなくてもいい、アッケラカンのカーだ」と発言。国内外から人種差別発言として厳しい抗議を受ける。
1990年、自民党・梶山静六法務大臣が、資格外就労の外国人女性摘発をめぐって、「悪貨は良貨を駆逐するというが、アメリカにクロ(黒人)がはいって、シロ(白人)が追いだされているような混在地になっている」と発言。
梶山法務大臣の発言に対して、全米黒人地位向上協会など、アメリカの団体のみならず、アフリカ各国をも巻きこんで抗議行動が拡がった。法務大臣をはじめ政府首脳は陳謝したものの、米下院が梶山法相非難決議を全会一致で決議。さらに東京都議会都市問題調査団が、ニュージャージー州都トレントンのダグラス・パルマ黒人市長により、訪問を拒絶される。
梶山法相は、衆参両院の法務委員会で「国内外からの強い非難を浴びてはじめて人種差別問題への『感受性の欠如』やその克服の難しさに気づき」「外国人の労働問題という観点もなく短絡的だった」と陳謝。(以上『最新 差別語・不快語』より抜粋)
麻生の人種差別発言
また、昨年9月5日、麻生太郎総理兼財務相は、盛岡での講演で、「G7(先進7か国)」の国の中で、我々は唯一の有色人種であり、アジアで出ているのは日本だけ」と発言、その人種差別意識と無知をさらけ出している。
G7各国(アメリカ・ドイツ・フランス・イタリア・イギリス・カナダ・日本)が、多様な人種で構成されていることも知らず、(アメリカのオバマ大統領のことはすでに忘れている)「白人国家」に対抗している「有色人種」国家の代表とでも思っているのだろう。
アジア・アフリカ諸国に対する優越的差別意識(その裏には「白人国家」に媚びる「名誉白人」意識がある)に気づかない、反知性的俗物根性まるだしの差別発言。
黒塗りメイクを黒人差別と指摘できなかったこと
しかし、ここで反省しなければならないのは、自戒をこめて指摘するが、シャネルズ(その後ラッツ&スター)の黒塗りメイクについては、当時、一切の批判を行っていないことだ。
シャネルズは、1996年、第47回紅白歌合戦に「夢で逢えたら」で出場している。
もちろん黒塗りメイクをしての出演だ。
ラッツ&スターのメンバーに黒人差別をする意思が全くないことは明らかだし、彼らが黒人音楽にあこがれを持ち、むしろリスペクトしていることに一点の疑いもない。それでも、黒塗りメイクで歌うべきではない。
差別表現の問題は、演技者・発話者・執筆者の主観的意図・意思(善意を含め)とはかかわりなく、表現の客観性、その表現が社会的にどう受け取られるかの問題だからだ。
最高視聴率が40%を超えたこともある『ドリフの大爆笑』(1983年)で、加藤茶さんが全身黒塗りをしてダッコちゃん人形に扮し、コミカルな動きで笑いを取っているシーンがあった。
「ダッコちゃん人形」には抗議しても、この番組に抗議は一切されていない。政治家の差別発言よりはるかに質の悪い黒人差別だが、反差別の活動家を含め、これを人種差別であるとは気づかなかったということだ。
明治維新まで、歴史的に黒人と接触する機会がほとんどなかった「日本人」が、黒人に対する差別的偏見を持つようになったのは、欧米文化を取り入れるなかで、白人優位思想のイデオロギーとまなざしを刷り込まれたことによる。
排外主義と白人優越主義
ここまで、黒人差別問題についてみてきたが、この人種差別は、在日コリアン、中国人、大相撲の外国人力士(とくにモンゴル出身力士)、そして移住労働者などに対する差別と同根であり、すべての差別問題に共通する排外主義的内容を持っている。
今回の大坂なおみ選手の「ホワイトウォッシュ」事件を語る中で、日本の右翼・民族派の中にも、大阪選手を日本人として認めず排除し、無視すると公言する者がいるという。
情けないというレベルの話ではない。今、既存の右翼団体の中から、ヘイトスピーチをくり返す日本第一党(旧在特会)を支援する動きが活発になってきている。
ヘイトスピーチ対策法の改正と包括的な人種差別禁止法の制定が、喫緊の課題だ。
]]>〈『新潮45』杉田水脈のLGBT 差別〉
2018年に起きた差別事件で最悪なのは、『新潮45』8月号に載った、自民党衆議院議員・杉田水脈の、「『LGBT』支援の度が過ぎる」だろう。
たんに一線を超えたというレベルではない。
ネトウヨのヘイトスピーチと同じ、「LGBT」の人びとに対する悪質な差別的憎悪扇動であり、同時に障害者、難病者、高齢者、生活保護受給世帯をはじめ、社会生活を送るうえで困難を抱える(生産性が低いとされる)すべての人々に向けられた差別的憎悪煽動でもある。
LGBT当事者をはじめ、多くの人々が批判の声を上げ、自民党本部前、発行元の新潮社本社前で抗議行動が行われ、掲載誌『新潮45』は休刊になった。
しかし、記事の執筆者・水田水脈がまったく反省していないどころか、自民党総裁・安倍晋三も幹事長・二階俊博も、杉田水脈に対し、一切の処分をしなかった事実と、谷川とむ衆議院議員の「同性愛は趣味みたいなもの」との暴言は、記憶しておかねばならない。
〈生産性がないという意味〉
ひと言でいえば、「生産性がない」として、LGBTの人びとの排除・差別を扇動した杉田水脈の記述は、近代資本主義体制下における、本質的かつむき出しの、人間に対する冒涜(ぼうとく)だった。
「本質的」というのは、資本主義システムは、「生産性」と密接にかかわって成り立っているからである。
いま一度、杉田の記述内容を確認しておきたい。
「(同性愛者の)カップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょぅか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。
そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」
「普通に恋愛して結婚できる人まで、『これ(同性愛)でいいんだ』と、゜
不幸な人を増やすことにつながりかねません」
いうまでもなく資本主義は、人間の労働を商品(労働力商品)として使役し、剰余価値を生み出すことで成り立っている。
剰余価値、つまり労働者を搾取することを基本とする経済システムであり、「生産性向上」とは、つまるところ労働者を効率よく働かせ、搾取を強化し、剰余価値率を高めることを目的としている。
そのためにはまず労働者を大量につくりだすことが必要になる。
労働者がいなければ搾取できず、また労働者に作らせた商品を購入(消費)させることもできない。
つまり、資本は、次世代にわたる「労働力の再生産」が必要なのであり、「子供を作らない」=労働者を作らないというのは、資本家の側にとってみれば、資本主義システムの存続を脅かす存在となる。
そのことを『新潮45』で杉田水脈は露骨に書き、安倍総理も、二階幹事長も容認したわけである。
「生産性が低い」と判断しているのは誰か。
誰にとっての「生産性がない」ということなのかは、おのずと明らかであろう。
〈差別によって不当な利潤を得る巧妙なからくり〉
財界の意を受け、自民党がごり押ししている「働き方改革」。
それが掲げる「裁量労働制」や「高度プロフェッショナル制度」などの一連の関連法は、すべて「労働生産性の向上」の名のもとに、企業(資本)の利益を最大化することに主眼が置かれており、長時間労働による過労死をはじめ、多くの労働災害など、人権問題を引き起こしている。
年収200万以下での生活を余儀なくされている、2000万人を超える非正規雇用労働者の現状。
技能実習の名目で奴隷労働を強いられている外国人労働者の実態など、新自由主義経済体制のもとで、あくなき搾取が強められている現実がある。
〈男女雇用機会均等法と労働者派遣法がセットで〉
かつて女性も、職場で男性と同じ労働をしながらも、賃金格差は歴然としていた。
女性差別によって、女性の賃金を抑え込んでいたわけである。
国際的世論の高まりにより、1985年、政府は女性差別徹条約を批准。それにともない、男女雇用機会均等法が成立した。
これにより、女性の社会的地位と職場における賃金と昇級における差別は、若干軽減された。
しかし、その裏で労働者派遣法が制定されたことを忘れてはならない。
男女雇用機会均等法が改正されるたびごとに、労働者派遣法が機を一にして改悪されている。
つまり、女性労働から得ていた不当な利潤の損失分を、労働者派遣法による非正規雇用の拡大によって補填したということなのだ。
ここは、大きなポイントである。
企業(資本)は、たんに労働者を搾取するのではない。
剰余価値率の拡大=搾取の強化を実現するために、女性差別、障害者差別、外国人差別、部落差別をはじめ、あらゆる差別が利用されてきた。
賃金を低く抑えておくためである。
それはまた、いつでも安く使える非正規労働者を一定程度、確保できる構造をつくっておくこととも通じている。
近代資本主義国家である日本もまた、海外植民地支配による収奪が敗戦で終わり、あらたな利潤拡大の源泉を、国内の差別を強化することによって補ってきたといえる。
〈資産価値が下がる―「資産価値と差別」〉
話が飛ぶように思われるかもしれないが、南青山の児童相談所「港区家庭総合支援センター」建設に反対する住民らが一番声高に主張しているのが、「一等地である青山の資産価値が下がる」ということだった。
南青山住民の、「なぜそんなものをここに作らなきゃならないのか」「青山ブランドにそぐわない」「物価が高い、良い服着てる我々を見たら嫌な思いするんじゃないか」といった侮蔑的な反対意見に批判が殺到したが、反対住民らの差別意識に隠されたホンネは、「土地の資産価値が下がる」ことにあった。
南青山だけではない。同じことは至るところで起きている。
京都市と向日市の境に建設が予定されている生活困窮者救護施設に対して、向日市の住民が建設撤回をもとめている。
地域住民の反対理由は「通学する子どもたちの安全に不安がある」からだというが、し尿処理場、火葬場、ごみ処理場、刑務所や少年院などの建設に反対する地域住民の差別意識と同じで、「汚いから」「穢れとかかわりたくない」「受刑者を収容する施設はごめんだ」などと、様々な「理由」をのべるが、実のところ、反対するのは、「施設に対する差別意識」である。
〈解放出版社移転差別事件〉
そういえば、今から30数年前、解放出版社東京事務所の神保町内での移転にかかわって、差別事件が起きた。
それまでの事務所が手狭になり、同じ神保町内で、手ごろな物件を探していた頃のことである。
不動産業者の紹介で物件を見に行くと、即座にオーケーといわれ、では書類を明日、といって、名刺をそえて翌日、持っていくと「たった今、別の借主が決まった」と、明らかにみえすいた嘘をいうのである。
移転先はなかなか決まらなかった。断るのは保守系のオーナーに限らない。
社会党系の人がオーナーだったビルを含め、断り続けられた苦い思い出がある。
最悪は、靖国通りを神保町交差点から駿河台方向に向かって20mほど行ったところに立つ山田書店(新築の8階建てのペンシルビル)だった。
そのビルオーナーから、「あなた方のような“エタ”の人が入居したらビルの価値が下がる」と言われたことだ。当然、抗議した。
くわしくは『部落解放同盟糾弾史』(ちくま新書)をみてほしいが、あの事件をふり返ると、山田書店ビルのオーナーは「部落民が店子に入ると新築ビルの価値が下がる」とかんがえたのだった。
許されない差別発言であることは明白だが、逆にいえば、近代資本主義体制下の差別の本質が、はっきりと理解できる。
差別は、生産性や資産価値と不可分に結びついている。
部落差別をするとき、人はそれぞれ思いつく理屈を「差別する理由」としてのべる。
たとえば「皮の仕事をしている」「江戸時代の賤民だった」からとか、「穢れ」ているとか。
しかし、それらはあくまで「後付け」にすぎない。
山田書店ビルオーナーは、正直に「部落民をビルテナントに入れると資産価値が下がる」とかんがえたわけである。
「江戸時代の身分差別意識が残ったもの」と誤解されている部落差別も、実は、明治以降、西欧から移植した資本主義システムのもとで、あらたに作られた差別構造なのである。
(*詳しくは小早川明良著『被差別部落の真実』を参照)
〈文学界1月号 落合洋一×古市憲寿対談〉
資本主義のもとで、差別・排除しようとする側が、その対象者の、何を問題としているか。それが、「生産性」「資産価値」のもとに行われていることは、明らかである。
新自由主義のもとでますます露骨になり、資本の論理をむき出しにして、人間の命と尊厳を奪うような発言が、横行している。
「文学界」1月号(文藝春秋)に掲載されたのは、高齢者の終末期医療をカットして、破綻しかけている医療保険財政のコスパをはかれという主張である。
「終末期医療は高額で、国民医療費の50%をしめ、保険財政を圧迫している」と二人はいうのだが、50%という数字そのものが、エビデンスのないトンデモ数字であると批判された。
実際には、死の直前1ヵ月に使われる医療費は、国民医療費の3.5%。さらにその中には、心筋梗塞や脳梗塞で倒れ、救命医療を受けた人の数も含まれている。
(二木立氏による――ただし、問題の本質は終末期医療にコストがかかるかどうかの問題ではない)。
トンデモ数字をもとに展開する落合・古市の対談は、高齢者のターミナルケアの延命治療を保険適用外にして、自己負担できる者だけが自前でやればいいという。
高齢者に医療費や介護費を充てるのはムダで、高齢者のために保険料(税金)をつぎ込んで、財政を圧迫するより、「安楽死」として、さっさと死んでもらったらいいというホンネがすけてみえる。
つまり「姥捨て山」を是とする発想である。
〈相模原障害者殺傷事件と発想は同じ〉
こうした意見は今に始まったことではないといわれるが、冒頭の杉田水脈の「LGBTの人びとには生産性がない」という記述と、根底に流れる思想は共通しているのではないだろうか。
さらにいえば、「障害者は生産性が低い」「障害者は不幸を作ることしかできない」「税金を投入するのはムダ」として、2016年7月26日未明、相模原「津久井やまゆり園」の重度障害者19名を殺害し、27名に重傷を負わせるという、戦後最悪のヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)を実行した植松聖の思想と、根は同じなのである。
最後に、ナチスヒットラーの障害者「安楽死計画」のポスターを掲げて、今年初めのウェブ連載「差別表現」としたい。
次回は、昨年末に起きたファッションブランド・プラダの黒人侮辱キャラクター、日清食品の大坂なおみ選手の肌の色をホワイトウォッシングしたCMをはじめ、メディアを騒がせている人種差別表現について、あらためて分析・批判することにしたい。
【ナチス「障害者安楽死計画」の前夜】
「遺伝性疾患のこの患者は、生涯にわたって、国に6万マルク(現在の日本円で5千万円)の負担をかけることになる。よく考えよ、ドイツ国民よ、これは皆さんが払う税金なのだ」(1938年 ナチ党の宣伝ポスター)
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『新潮45』8月号で杉田水脈が超差別的暴論
『新潮45』が、10月号をもって休刊すると、発表された。
休刊になった直接の原因は、「同誌8月号に掲載された、自民党衆議院議員・杉田水脈の、〈『LGBT』支援の度が過ぎる〉にある。
杉田はそこで、
「 (LGBTの)彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」
「普通に恋愛して結婚できる人まで、『これ(同性愛)でいいんだ』 と、不幸な人を増やすことにつながりかねません」
と述べ、LGBTの当事者や、障害者、難病者、高齢者などから、激烈な抗議を受け、新潮社本社前で抗議行動が開かれる事態となっていた。
しかも自民党の二階幹事長は、「人それぞれ政治的立場、色んな人生観もある」と問題視しない姿勢を示し、また自民党・谷川とむ衆議院議員は、同性愛を「趣味みたいなもの」とネットの番組で放言する始末。
さらに、安倍首相も「(杉田議員は)まだ若いですからそういったことをしっかり注意しながら仕事をしていってもらいたい」と述べ、擁護する発言をしていた(杉田水脈は51歳)。
『新潮45』10月号「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」
激しさを増す抗議行動にたいし、『新潮45』はそれを嘲笑うかのような特別企画、「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」を10月号に掲載するという挑発に出たが、新潮社の佐藤隆信社長の、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」との声明が出されてから4日後の9月25日、突如休刊(実質廃刊)が発表された。
抗議行動と作家たちの批判、そして休刊
一連の経緯のなかで、『新潮45』10月号に対しては、「便所の落書き」(高橋源一郎氏)や「反吐が出る」内容だと、作家や文化人からの批判が相次いたが、佐藤社長の声明も、誰の、どの内容が、「常軌を逸した偏見と認識不足」なのかは一切明らかにされていない。
多くの論者が、新潮社は“臭いものに蓋”(休刊)をして逃げた、無責任だと論じているが、その通りだろう。
いっぽう、社説でも『新潮45』の突然の休刊を痛烈に批判していた朝日新聞だが、10月2日の“耕論”「『新潮45』揺らぐ論壇」で、典型的な両論併記的(実際上は両論併記にもなってない)内容のインタビュー記事を載せている。
事実を客観的に紙面化することと、中立を装った(その内実は傍観者的姿勢)両論併記的紙面構成は、似て非なるもの。
客観的な立場には、善悪、正義、理性、知性から判断した価値観が反映されている。
客観的記事の対立概念は、主観的な記事、つまり偏向記事。
排外主義的ヘイトや歴史修正主義的見解を、紙面の中立性を保つとして載せる両論併記は、その実、差別的憎悪の宣伝・扇動・拡散に加担する行為と言ってよい。
杉田水脈の「生産性」差別の本質とは
逃げまくっていた杉田水脈が、10月24日に国会内で記者団の取材に応じ、「不適切な記述であった」と認めたものの、謝罪も撤回も、そして議員辞職もしない考えを示している。
今回の杉田水脈の寄稿文の差別性・危険性・犯罪性については、すでに多くの論者がそれぞれの立場で的確な批判をしているので、内容批判はそれらの諸論文に譲りたい。
ここでは、「生産性」による差別が、優生思想と結びつき、ナチスのホロコーストの引き金となったことを強調しておきたい。ナチは絶滅収容所で、ユダヤ人600万人、ロマ60万人(日本では差別的に「ジプシー」と呼ばれている)、そして同性愛者と障害者20万人が虐殺された。
ヘイトスピーチを放置すれば、かならずヘイトクライム〜ジェノサイドに行き着くことは、歴史が証明している。
「身分」差別と「生産性」差別の本質的違い
最近、小社から出版した『被差別部落の真実』(小早川明良著)が強調しているのは、部落差別は、江戸時代の身分制度の残滓(ざんし)でも、社会にある遅れた封建的意識によるものでもなく、近代資本主義制度の確立過程で再編され、新たに作りだされた差別であるということ。
つまり、江戸封建時代は身分による差別であり、現代(資本主義制度下)の部落差別は、その本質において「身分」ではなく「生産性」による差別だということ(詳しくは『被差別部落の真実』を読んでいただきたい)。
杉田水脈は、LGBTの人びとを「生産性」を根拠に差別した。
社会的にあるLGBTの人びとに対する、「気持ち悪い」とか「精神的な病気」「変態」だとかの予断と偏見が数多(あまた)ある中で、差別の本質をむき出しにした意識的、攻撃的な暴論と言ってよい。
江戸時代にも、LGBTの人たちがいたことはよく知られている。
とくにG(ゲイ)の人たちは“衆道”と呼ばれ、彼らが出会う“陰間茶屋(かげまぢゃや)”も多くあったことがわかっている。織田信長と森蘭丸の例を出すまでもなく、封建時代、「男色」はごく一般的であり、差別の対象ではなかった。
それは身分制度が差別の根拠だったからである。
今回の杉田水脈のLGBTの人びとに対する「生産性」を根拠にした差別は、2016年の相模原障害者殺傷事件の植松聖(うえまつさとし)容疑者の主張(大島理森衆議院議長への手紙)と、驚くほど似ている。
今号のウエブ連載では、その当時、相模原障害者殺傷事件について書いたレジュメを再掲し、あらためて今回の問題をふりかえっておくことにしたい。
【差別が生みだす憎悪と犯罪〜日本社会に潜む差別の諸相】
相模原障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件
(2016年7月26日未明)
?戦後最悪のヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)→19名殺害、重軽傷者28名
○重度知的障害者の抹殺を直接の目的とした障害者殺人事件は、社会的マイノリティ集団に対する、目的意識性と攻撃性および計画性をもって実行された戦後最悪の虐殺行為
○明治初期に起きた「解放令」(1871年/ 明治4年)反対一揆(俗称・「穢多」狩り)
○1923年9月1日、関東大震災時の朝鮮人虐殺(中国人、日本人も殺されている福田村事件)
?動機不可解な猟奇的な凶悪事件ではない →動機明白なヘイトクライム
○1995年、オウム真理教が起こした松本サリン事件、地下鉄サリン事件
○2001年、大阪教育大付属池田小学校が襲われ、生徒8人が殺害された無差別殺傷事件
○2008年、車とナイフで7人が殺害された秋葉原通り魔事件
○古くは1938年、岡山県で起きた津山事件(30人殺害 「八ッ墓村」のモデルとなった)
?社会的マイノリティ集団に対するヘイトクライム
○2015年6月、米国サウスカロライナ州チャールストン黒人教会銃乱射事件(9人殺害)
○2016年6月、フロリダゲイナイトクラブ銃撃事件(アメリカ史上最悪と言われる50人が殺害された)
この二つの事件は、黒人および同性愛者に対する差別的憎悪犯罪=ヘイトクライムとして裁かれている。
相模原障害者殺人事件を「テロ」と表現する人がいたが、本事件はヘイトクライムとして裁かれるべきであり、ましてや「テロ事件」ではない。
?犯行の動機に、障害者差別、優生思想、背景にヘイトスピーチの蔓延がある
○植松聖容疑者は、障害者を20万人以上虐殺したナチスドイツ・ヒトラーの優生思想に心酔し、「啓示」を受け、「正義」を実行したと供述している。精神症状としての妄想ではなく、障害者差別思想にもとづく犯罪。(衆院議長公邸で手渡された手紙に詳細に記されている)
○また、植松がコスト(税金)のかかる非生産的な社会的弱者への福祉政策をムダと切り捨て、排外的人種差別主義者のヘイトスピーチに煽られ、その対象者に憎悪さえ抱いていたことが明らかにされている。「生産性のない人間には生きる価値がない」という思想と感情。
○すべての命に意味があり、意味のない命などない。生産性を判断基準に、命の価値に差をつけてはならない。さらに「事件の特異性」として隔離された障害者施設の問題がある。
?事件を措置入院制度の不備に矮小化してはならない
○日本の社会心理学者や犯罪心理学者は、「措置(そち)入院が不十分だった」とか、妄想性障害や大麻精神病が引き起こした、「容疑者個人の特性による犯罪」とする意見をメディアで垂れ流している。
措置入院制度をより厳しくすべきという厚労省再発防止検討チームの最終報告(12月8日)は、事件の本質(優生思想にもとづく障害者差別思想)を隠す役割をはたしており、精神障害者を社会から隔離する保安処分的・社会防衛的な危険性がある。
障害者差別解消法(2016年4月)の精神にまったく反している。
?障害者抹殺がホロコーストを準備した
○ナチスは、障害者や同性愛者など、「生産性が低い」とした人びと27万人以上を、ガス殺・投薬注射などによって殺害した。
ユダヤ人大量虐殺に先駆けて、ナチスドイツで障害者「安楽死」計画(T4作戦)が、医師らによって実行されている。
優生思想にもとづく障害者殺害である。
※下の写真は、1938年、障害者「安楽死」計画の前夜に出されたナチ党の宣伝ポスター。
ポスターにはこう書かれている。
「遺伝性疾患のこの患者は、生涯にわたって、国に6万ライヒスマルク(現在の日本円に換算して5千万円)の負担をかけることになる。よく考えよ、ドイツ国民よ、これは皆さんが払う税金なのだ」
○断種法→「安楽死」計画→ホロコーストへ
○ナチスドイツだけでなく、アメリカ・日本でも、ハンセン病者、精神障害者や知的障害者の人々が、強制断種(強制不妊手術)を受けさせられた。
日本では、旧「癩(らい)予防法」(1907年)が廃止されたのは1996年、旧「優生保護法」(1948年)から「母体保護法」(1996年)、「旧土人保護法」(1899年)からアイヌ文化振興法(1997年)
?相模原障害者殺傷事件は「二重の意味での殺人」
○重複障害をもつ東京大学・福島智(ふくしまさとし)教授は、この事件を「二重の『殺人』」と指摘している。
「一つは人間の肉体的生命を奪う『生物学的殺人』。
もう一つは、人間の尊厳や生命の生存の意味そのものを
優生思想によって否定するという、いわば『実存的殺人』」
?公人による相次ぐ差別発言
○神奈川県海老名市議会の鶴指副議長の、「同性愛者は異常動物」との差別発言
○茨城県教育委員の銀座日動画廊・長谷川智恵子副社長の、「障害のある子どもの出産は防ぐべき」との差別発言(*出生前診断と優性思想)
○1999年、石原慎太郎都知事が、府中の重度知的身体障害者療育施設を訪れた際に放った「ああいう人ってのは人格あるのかね」発言(精神障害者団体から強く抗議されている)
?ナチスドイツを想起させる表現
・2011年「氣志團」がナチス親衛隊の軍服を着てテレビ出演
・2014年『アンネの日記』破損事件
・一連の排外主義的ヘイトスピーチデモで、ナチスドイツの鉤十字の旗がふられる。
・2015年 衣料品店「しまむら」の鉤十字(ハーケンクロイツ)マーク商品事件
・2016年 「欅坂46」のナチスもどきコスチュームと軍帽事件
おわりに
植松聖容疑者は、事件の実行前に、衆議院議長に宛てた手紙の中でこう書いている。
「障害者は『生産性』がなく不幸を作ることしかできない」
「重複障害者がいなくなれば、国家の経済的負担が軽くなる」
今回の杉田水脈のLBGTの人びとに対する極めて悪質な差別的暴論(ヘイトスピーチ=差別的憎悪扇動)を放置すれば、かならず第二の植松聖が出てくるだろう。
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「どっちもどっち論」の傍観者たち
朝日新聞が、2018年7月6日付朝刊で、「ネットの差別表現『通報』続々」という記事を載せている。記事の導入部は以下の通りだ。
ネット空間の差別的な表現にどう対処するか。…(中略)…利用者の「通報」をもとに、投稿動画を削除したり広告主が問題を指摘されたサイトへの広告を停止したりする動きが広がっている。差別表現がなくなると歓迎する声がある一方、対象の拡大には言論の自由の観点から慎重さを求める声がある。
記事の本音はヘイトスピーチの法的規制に反対
記事の本文は、両論併記のつまらない内容だが、締めくくりの小見出しには「表現の規制に懸念も」とある。
つまり、差別表現(ヘイトスピーチ)の動画やツイッターを削除することの「副作用」として表現の自由そのものが規制される恐れがあるとし、「言論の自由の観点から慎重さを求める声もある」と朝日新聞はいう。
この主張は、ヘイトスピーチとそれに抗議するカウンターの激しい行動をとらえて、価値中立的な観点から、「どっちもどっち」論に傾き、結局のところヘイトスピーチを放置する傍観者的思考と通底している。
日本の憲法学者の大半がヘイトスピーチの法的規制に否定的なことは、この連載で幾度も批判しているので繰り返さないが、憲法学者らと同程度に、大手メディアの腰も引けていることを指摘しておきたい。
なぜ「どっちもどっち」論になるのか?
そうした「どっちもどっち」論の根本には、差別表現一般とヘイトスピーチ(差別的憎悪扇動)とのちがいを理解していないという問題がある。(*詳しくは拙著『部落解放同盟「糾弾」史』(ちくま新書)を参照していただきたい。)
ここで、差別表現一般とヘイトスピーチとの質的ちがいについて、のべておこう。
差別表現とヘイトスピーチに共通しているのは、どちらも社会的差別(出自、人種・民族、宗教、性、障害など)を受けている被差別マイノリティに対する、文書や言動による侮辱表現である点。
差別表現については、それを行った、話者や執筆者に差別的意図が希薄で、「ついうっかり、何気なく、そうとは知らずに」、差別の実態に対する無知ゆえに、差別的な社会意識を無批判に受け入れ表現したという場合がほとんどである。
つまり、差別表現で問われているのは、文書・言動に含まれる〈表現の差別性〉(侮辱の意思)であり、主観的な差別的意図の有無ではなく、表現の客観性と社会的性格なのである。
それに対して、ヘイトスピーチとはなにか。
簡略化していえば、「朝鮮人を殺せ」など、差別表現の中で、目的意識的かつ確信的な差別言動をヘイトスピーチと呼ぶ。
差別表現は当事者同士の話し合いで解決
差別表現にかんしては、過去、被差別マイノリティの抗議団体から、「差別表現を法的に取り締まれ」という声は一度たりとも起こっていない。
差別表現を行った話者・執筆者と、それを公共圏に媒介したメディアの社会的責任に対する、被差別当事者による「申し入れ」「抗議」「糾弾」などを通じて、権力の介入を排し、当事者どうしで問題を解決してきたのである。
ヘイトスビーチは犯罪行為
しかし、ヘイトスピーチは、被差別マイノリティに対する主観的憎悪にもとづく差別、つまり目的意識性と攻撃性を持った「言論による暴力」である。
“話者の品格”でも“対抗言論”で対処できる性質の「言論表現」ではない。
ヘイトスピーチは“差別的憎悪扇動”という暴力なのである。しかも歴史が証明しているように、ヘイトスピーチはヘイトクライム〜ジェノサイドに至る大量虐殺の導火線と言ってよい。
にもかかわらず、今回の朝日新聞記事では、「差別表現」だとか「差別的な発言」とか、あいかわらずヘイトスピーチも「表現」であるかのような認識である。
ヘイトスピーチがマイノリティにもたらす被害の現実に、正面からむきあおうとしない傍観者的態度がみえる。
朝日新聞をはじめメディアのほとんどが、ヘイトスピーチを「差別表現」あるいは「憎悪表現」、またあるいは「差別憎悪表現」(朝日新聞)などとしているが、「表現」という認識そのものが、ヘイトスピーチの正確な概念規定ではない。
ヘイトスピーチとは、社会的差別の存在を前提とし、マイノリティ集団を傷つけ、貶め、排除するための言論による暴力的扇動であり、犯罪行為である。
日本語に訳すなら、ヘイトスピーチは「差別的憎悪扇動」であり、ヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)の構成部分であるということが理解されていない。
1994年のルワンダ内戦時のラジオでの、フツ人によるツチ人殺人扇動は、たんなる差別表現ではなく、紛れもないヘイトスピーチだった。
「表現の自由」にかんする国際的合意
今回、朝日新聞が取り上げた、差別表現規制と言論出版・表現の自由との問題は、今に始まったことではない。すでに過去半世紀、論じられ、一応の社会的合意はできているものと思っていた。
合意とは、まず、憲法第21条の「表現の自由」は、基本的人権の根幹をなす権利であること。
しかし、「表現の自由」の名のもとに、公共圏での無秩序、無責任な言動は許されず、無制限ではない。
つまり、「表現の自由」は、内在的に他者の人権を侵害し、傷つけることを容認していない、という国際的合意のもとにある。
日本も1979年に批准している、国際人権規約の「自由権」第19条(表現の自由)には、次のように書かれている。
1.すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。
2.すべての者は、表現の自由についての権利を有する。(略)
3. 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課することができる。ただしその制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。(a)他の者の権利又は信用の尊重(b)国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護
ちなみに、国際人権規約20条(戦争宣伝及び憎悪唱道の禁止)には、
1.戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する。
2.差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する
と、ヘイトスピーチについて明確に禁止している。
自由と平等の変質
言論・表現の自由が、封建制度を打倒し成立した近代的市民(フランス革命の第三身分=ブルジョアジー)国家とともに獲得された市民的権利であり、近代国家で基本的人権といえば、何よりも「自由」の概念であり、その中心が言論・表現の自由の規定であった。
日本国憲法にも、身体の自由(第18条)、思想及び良心の自由(第19条)、信教の自由(第20条)、集会・結社の自由、表現の自由(第21条)、居住・移転、職業選択、移住及び国籍離脱の自由(第22条)、学問の自由(第23条)など、市民的自由権が幅広く規定されている。
ここで見落としてはならないのは、封建制度を打倒した市民階級が掲げたスローガンは、「自由・平等・博愛」であった。その当時、自由と平等は分かちがたく結びついていた。
しかし、その後の歴史が明らかにしているように、「自由」は資本の自由であり、平等は国家の庇護のもとでの平等であり、「博愛」はナショナリズムとなった。その後フランスはアジア・アフリカなどに、帝国主義的侵略を行い、海外に多くの植民地を抱えた。
フランス革命の人権宣言は、「人および市民の権利宣言」とあるが、普遍的な「ひと」ではなく実質的には「市民」(有資産者階級)の権利宣言であった。 そのため、女性と子どもの権利は「市民」から除外されている。
政治的自由から社会的平等をもとめるたたかい
日本でも明治維新後の1871年(明治4年)に、今日の部落問題にかかわる、いわゆる「賤民解放令」(実質、賤称廃止令)が出され、四民平等と宣言したものの、社会的差別はなんら解決しなかった。(旧穢多身分などは政治的には平等とされたものの社会的身分としては解放されていない。)
以降、部落解放運動など被差別マイノリティが求めたのは、変質する前の市民革命期における自由と平等の理念の徹底であり、その法制化であった。 つまり政治的自由から社会的平等(解放)への闘いであった。
憲法第14条(法の下の平等、貴族の禁止、栄典)
「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
は、社会的差別禁止規定としてある。
言論・表現の自由に
人間の存在(尊厳)を否定する
差別的な言論や表現は含まれない
言いたいのは、政治的自由権は社会的平等権、つまり人間の存在そのものにかかわる社会的生存権の優位のもとに統一されているということ。 言論・表現の自由に、人間の存在(尊厳)を否定する差別的な言論や表現が含まれないのは、議論以前の当然の事柄である。
人権問題の核心には差別問題がある。
1948年の世界人権宣言が、第一次、第二次世界大戦の痛烈な反省のもとに発せられたことはよく知られている。
その根本にある思想は、ナチス・ドイツのユダヤ人虐殺に代表されるジェノサイドを二度と起こさないという固い決意である。人種、民族、宗教、性、障害など、社会的属性にもとづくあらゆる差別を許さない思想が、人権問題の根幹にあるということを宣言している。
この世界人権宣言の具体化が、国連で採択された各人権条約に反映されている。
主な人権条約は次の通り。
・人種差別撤廃条約(1965年発効、日本1995年批准)
・国際人権規約(1966年発効、日本1979年批准)
・女性差別撤廃条約(1979年発効 日本1984年批准)
・子どもの権利条約(1990年発効 日本1994年批准)
・障害者の権利条約(2006年発効 日本2014年批准)
ちなみに、ミャンマーのアウンサンスーチー氏は、ノーベル平和賞を受賞(1991年)した国際的な人権活動家として知られているが、政権を握った後、国内のイスラム教少数民族、ロヒンギャ迫害に対しては国際的に非難を受けながらも一貫してサボタージュしている。彼女の人権思想には差別認識が欠けている。エセ人権活動家と言ってよい。
ヘイトスピーチ対策法を実効性あるものにするたたかいを
2016年6月に施行された「ヘイトスピーチ対策法」は、ヘイトスピーチが犯罪であることを明確に宣言している。しかし、それを無視して、いまだにヘイトデモが、減ったとはいえ行なわれている。
いま喫緊に要請されているのは、人種差別撤廃条約の理念を国内法として初めて具体化した、「ヘイトスピーチ対策法」に罰則規定と救済規定など、実効性を高める条項を盛り込む闘いだ。それにより理念法としてのヘイトスピーチ対策法がより闘いの武器として磨き上げられるだろう。
メディアが、そのための議論に積極的に紙面を提供することを願う。
]]>■ チンギス・ハーンはモンゴル民族の「信仰の対象」
小学館が発行する人気コミック雑誌 『月刊コロコロコミック』3月号が、モンゴル民族から尊敬され崇拝されている、日本でもなじみの深いチンギス・ハーンの肖像画の顔に「チ(ン)・(チ)ン」と書き、男性器のいたずら書きをして掲載し、抗議の声が殺到している。
なぜ抗議の声が殺到しているのか。
それはモンゴル国および中国内のモンゴル自治区をはじめ、世界のモンゴル民族にとって、チンギス・ハーンは「民族の精神的支柱」であり、「信仰の対象」だからである。
「チンギス・ハーンは英雄を超えた誇り高きモンゴル民族の祖先であり、神様である。」
今回の「落書き事件」は、
「モンゴル民族、国家への侮辱として、信仰の冒涜としてモンゴル民族の人びとが憤慨し抗議するのは極めて当然であろう」
と、モンゴルの文化・政治にくわしい富川力道氏は述べている。
〈「やりすぎ!!!イタズラくん」515頁 より引用〉
■駐日モンゴル大使館も抗議
掲載のコミックは『やりすぎ!!!イタズラくん』(吉野あすみ)。
一般読者に「君も足利義満&チンギス・ハンの落書きに挑戦だ!!」と肖像画を印刷したハガキページをつけ、コンテスト応募を呼びかけている。
在日のモンゴル人や元横綱・朝青龍などのツイッターでの批判が拡散し、駐日モンゴル大使館も抗議する事態におよんで、小学館側は、大使館に謝罪文を提出した。
しかし、通り一遍の謝罪内容に、まったく誠意が感じられないとの怒りが沸き起こり、2月26日(月)には小学館本社前で100名近くが集まり、抗議行動がおこなわれた。その時、小学館側は、抗議団体からの抗議文の受け取りを拒否し、門前払いしている。(写真は2月26日の小学館前での抗議行動 モンゴル情報クローズアップより)
すでに事態を重く見た紀伊國屋、ジュンク堂などの主要書店は、抗議者からの意見をもとに、自主的に販売を中止している。 (2月28日現在、くまざわ書店、未来屋書店が販売中止に踏み切っており、販売拒否する店が日毎にに増加している。)
小学館が駐日モンゴル大使館に対し、「今後はかかる事態を起こさないよう、モンゴルの歴史・文化に関する知見を深め、一層の配慮をして参る所存です」などの形式的な“お詫び”ですまそうとしている背景には、新聞への謝罪広告ならまだしも、発行部数80万部を超える『月刊コロコロコミック』の回収による経済的損失と混乱を、なんとしても回避したいというよこしまな意図が透けて見える。
「配慮」すべき事態とは、今現在、コミックが流通し、販売されているという憂慮すべき現状に、早急に対処することだろう。
■2005年「ムハンマド風刺画事件」との類似性
今回の事件に接して想起されるのは、デンマークの新聞社が、紙面に12種類のムハンマドをモチーフにした風刺画を掲載、イスラム教徒から厳しく抗議された事件である。
2005年、デンマーク『ユランズ・ポステン』紙が「ムハンマドの顔」と題し、12人のイラストレーターによる預言者ムハンマドの似顔絵を掲載。なかには頭が爆弾のような風刺漫画もあった。これに対し、「イスラム教に対する冒瀆だ」とするイスラム諸国の反発は、ヨーロッパ全土から中東、アジアへも拡大。ついにはシリアの首都ダマスカスで、デンマーク、ノルウェー大使館に放火、さらにレバノンのベイルートでもデンマーク総領事館が放火される事態となる。
(拙著『最新 差別語・不快語』より)
そして、この事件から10年後に起きた、シャルリー・エブド社襲撃事件を忘れてはならない。
2015年1月7日フランス・パリで、週刊誌新聞社「シャルリー・エブド」が、武装したイスラム過激派に襲撃され、記者ら12名が殺害される。同紙は、デンマークの新聞『ユランズ・ボステン』が掲載した預言者ムハンマド風刺画を2005年当時転載し、抗議を受けていた。
『シャルリー・エブド』の風刺画は、ムスリムが信奉する宗教に対する侮辱的憎悪表現。風刺とはほんらい、強者(権力)に対する弱者(庶民)の抵抗表現であり、フランスにおける政教分離の原則「ライシテ」は、宗教的憎悪表現の自由を許すものではない。人種や民族や宗教を理由に特定の集団や個人を差別することは禁止されている。
「シャルリー・エブド」社が襲撃を受けたのは、同紙が抗議を無視して風刺画を掲載しつづけ、イスラム教への憎悪を煽ったことが、背景にある。
しかし、「シャルリー・エブド」襲撃事件じたいは一連のイスラム原理主義者の無差別攻撃の一つであり、「表現の自由に対する挑戦」だとか「宗教的な原理主義vs.表現の自由」の問題としてとらえるべきではない。
(「シャルリー・エブド」紙は、2015年 9月9日トルコ海岸に漂着したシリア難民の子どもの遺体を侮辱、風刺して、国際的な批判を浴びている。)
(拙著『最新 差別語・不快語』より)
■背景にある社会の排外主義
今回の事件で、作者の吉野あすみ氏がモンゴル及びチンギス・ハーンを侮辱する意思をもって落書きしたとは思わない。しかし、侮辱表現か否かは、作者の主観的意図とは関係ない。
昨今、大相撲がおこなわれている国技館などで、モンゴル人力士に対する「モンゴルへ帰れ」などの排外主義的なヤジが飛び交っている事実があり、さらに日馬富士問題などの影響で、モンゴル人力士に対するヘイト・スピーチは、より一層深刻になっている現実がある。
こうした状況の中で、モンゴルの「神様」に対する侮辱的な表現(落書き)を、社会がどのように受けとるのかをも考慮すべきべきだろう。
■「落書」「落首」
落書き一般が問題なわけではない。その昔から「落書」「落首」は権力批判をともなう社会風刺文化として、日本だけでなく各国に存在している。
その意味で、落書きの対象が、アメリカ大統領のトランプでも、日本の安倍首相でも一向に差し支えない。〈当事者から抗議は来るだろうが社会的支持は得られない〉。
今回の「落書き」には社会風刺の視点も何もなく、ただ無邪気にイタズラ書きを楽しむという内容だが、他民族の神聖な象徴を、嘲笑の対象とすべきではない。
〈モンゴル帝国を建国したチンギス・ハーン(1162-1227)〉
■問われるのは出版社の社会的責任
今回の事件では、小学館側の対応の稚拙さがめだつ。
著者が「落書き」したことが問題なのではない。第一義的責任は、その「落書き」が他民族を冒涜する内容を含み、社会的(国際的)批判をまぬがれないことを予期できずに出版した編集部と編集総務の差別・人権問題に対する認識の低さにある。
問われているのは、出版元・小学館の社会的責任である。
2016年に初版3万部で全国紙に全5段のカラー広告を載せ、即1万部の重版という鳴り物入りで刊行した『ダーリンは70歳・高須帝国の逆襲』を1週間もしないうちに絶版・回収したという事件があった。(*ウェブ連載差別表現 第184回参照)
そのときの対応との違いに驚くが、今回の侮辱表現の悪質さは、国際的広がりをもつ重大事件だ。
(ちなみに『ダーリンは70歳』の時、なぜ絶版・回収したかの説明を小学館は一切おこなわなかった。)
今回の「落書き」事件、もしこれが今上陛下をはじめ、歴代の天皇の肖像に対して、同様の落書きをおこなったとしたら、どういう事態が出来(しゅったい)するのかぐらいは、小学館の編集総務でも理解できるだろう。
くり返すが、問われているのは小学館の社会的責任であり、早急に回収処置をとり、新聞に謝罪広告を載せ、その上で、駐日モンゴル大使館およびモンゴル人の抗議団体と、真摯な話し合いの場をもうけ、謝罪とともに、モンゴル文化に対する認識を深める企画を率先しておこない、犯したあやまちを償うべきであろう。
]]>
■ ダウンタウン 『絶対に笑ってはいけない! アメリカンポリス24時!』
『ガキの使いやあらへんで!絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』(日本テレビ系 12月31日)。大晦日年越しのスペシャル番組である。
ダウンタウン浜田のコスプレは毎回恒例となっているが、今回、批判を浴びているのは、「ビバリーヒルズ・コップ」主演のエディー・マーフィをまねて、顔や手などを黒く(茶色)塗って登場したこと。視聴率が高いこともあり、日本国内のみならず海外でも大きく取り上げられ、黒人差別=人種差別との批判の声が上がっている。
相方の松本人志は、フジテレビのワイドショーでこの件にふれ、「今後バラエティーは黒塗りなしでいくんですかね?ルールブックを作ってほしい」と、事の重大性に無自覚で、トンチンカンなことを述べている。
一方、放送した日テレは「差別する意図は一切ありません」と、居直りともとれるコメントを出し、差別表現問題(黒人差別)にかんする無知をさらけだしている。
結論を先に言っておけば、差別表現の問題は、演技者、発話者、執筆者の主観的な意思(善意も含め)とは関係ない。その表現の客観性、つまりその表現が、社会的文脈の中でどう受け止められるかに、判断基準がおかれる。
■国内外であいつぐ人種差別(黒人差別)発言
ダウンタウン浜田の黒塗りメイク差別事件について語る前に、昨今あいついでいる国内外における人種差別事件についてふれておきたい。
?スウェーデンの衣料品チェーンH&M社が、自社のパーカーを黒人少年に着せた広告写真を、通販サイトカタログに掲載。そのパーカーには、「COOLEST MONKEY IN THE JUNGLE(ジャングルで最もクールな猿)」とプリントされていた。
何が問題かを言及する必要もない、極めて悪質な黒人差別だ。
批判されたH&M社は謝罪したものの、アパルトヘイトと闘ってきた南アフリカでは、国内17店舗のうち6店舗が、抗議の意思表示として襲撃される事件も起きている。
?アメリカの日用品メーカー「ダブ」社が、自社のボディソープ「ダヴ(Dove)で洗えば白くなる」と謳い、黒人女性がシャツを脱ぐと白人女性になるというCM動画を流した。同社は謝罪し、広告は中止されているが、肌の色を汚れとする酷い差別広告である。
?中国の洗剤メーカー「Qiaobi」のCMは、黒人男性の口の中に洗剤を入れ、洗濯機に押し込んで回すと中国人になるというもの。インターネットに投稿され、黒人差別だと批判された。メーカー側は謝罪し、CM放送を中止。
?2017年12月8日、山本幸三・自民党前地方創生相が、自民党の三原朝彦衆議院議員のパーティーで、三原議員がアフリカ諸国との交流を行っていることにふれ、「何であんなに黒いのが好きなのか」と、度し難い差別発言を行った。山本議員には黒人差別発言との自覚もない。
(*ウェブ連載第197回「自民党・山本幸三議員の人種差別発言」ではこれについて詳しく書いている)
?極めつけは、アメリカ大統領トランプの人種差別発言だろう。1月11日、米国への移民が多いハイチや中米、アフリカ諸国を「Shithole(肥溜め)」と呼ぶという、信じられない侮辱的な人種差別発言。
ハイチはもとより中米各国の首脳も抗議の声を上げ、アフリカ各国が加盟するアフリカ連合(AU)54カ国の大使が、米国で緊急集会を開き、トランプに謝罪を求める共同声明を発表している。
このトランプ発言に対して、アメリカの白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)の元最高指導者は「真実を語った」と称賛。
トランプ大統領は、みずからの度し難い人種差別発言への批判から逃げきれないと考え、発言そのものがなかったとして無視する態度をとっている。
■批判された後にも「完全版」を放送
ダウンタウン浜田の黒塗りメイクは、このような国内外で激しい批判が巻き起こっている中で起きた黒人差別表現事件だということを、まず確認しておきたい。
批判は日本国内に住むアフリカ系米国人から沸き起こった。すぐさまSNSで海外に飛び火し、英国BBC放送や米ニューヨーク・タイムズなど主要メディアが「ブラック・フェイスは極めて侮辱的」な「人種差別」だと報じている。
しかし日テレは、あろうことか1月6日に放送した『ガキの使い!絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!完全版SP』でも、浜田の黒人メイクシーンを流し、極めて挑発的な行動をとっている。
■日本における黒人差別批判の歴史
日本社会で黒人差別表現への批判が行われた歴史はそれほど古くない。
それは、1975年に結成された黒塗りフェイスでドゥーワップ(黒人歌唱グループでアカペラで歌う)を歌い、一躍人気グループとなったシャネルズ(現ラッツ&スター)が、1996年には「夢で逢えたら」で紅白歌合戦に初出場したことからもうかがえる。
明治維新まで、歴史的に接触する機会がほとんどなかった日本人が黒人に対する差別的偏見を持つようになったのは、欧米文化を取り入れるなかで、白人優位主義的まなざしを刷り込まれたことによる。
1854年、前年に引き続き来航したペリー提督が、日本人の観衆に向けて、白人の部下に「ミントレル・ショー」(顔を黒く塗った白人と白人が登場する寸劇)を観させた。観客の日本人は喜んだという。ペリー提督離日後も、日本独自でミンストレル劇や黒塗りで黒人に扮し、笑いをとる人種差別的コメディが、日本人コメディアンによって、1870年から、ごく最近まで演じられた。
(*この項は日本在住の作家、バイエ・マクニール氏の論考を参照)
■批判された黒人キャラクター商品
日本で、黒人差別表現が大きな問題となったのは1980年代。
ワシントン・ポスト紙の記者が、都内の百貨店でおもちゃの“サンボ” を見て驚いた。
さらに別の百貨店で黒人のマネキンを見て、あまりにステレオタイプ化された、人種差別的な黒人像が “ふつうに” ディスプレイされていることに、さらに驚いた。
記者は、このことについての記事(「黒人の古いステレオタイプが日本で吹き返す」)を本国アメリカに送り、それが大きくとりあげられて日本に逆配信されたところから始まっている。
黒人キャラクター商品を作った日本人の制作者に悪意があったとは思わないが、表現された黒人像は、すでに1930〜40年代のアメリカで批判されてきた黒人像だった。
ステレオタイプ化された黒人像の源流には、あからさまな侮蔑があった。
その後、マネキンなどは、即刻撤去され、時の内閣をも巻きこんだ、日米間の国際問題にも発展した。批判活動はさらに「ちびくろサンボ」や漫画に描かれた黒人像批判へと発展していった。
(*「ちびくろサンボ」問題の経緯については拙著『最新 差別語・不快語』236頁で論じているので参照してほしい)
■黒人のステロタイプ像
日本では、「クロンボ」とか「ニガー」という差別的呼称の問題というより、むしろ、『カルピス』の商標や、「ダッコちゃん」人形に見られるように、黒い丸顔・分厚い唇など、その「人種的」特徴を誇張し、嘲笑ったものや、腰みのをまとい、手には槍をもち、ドクロの首飾りを描いて、「未開人」「土人」として蔑むステレオタイプ的表現が、問題視された。
(写真は当時売られていたダッコちゃん人形)
1988年、玩具メーカー「タカラ」は「ダッコちゃん」の製造を中止、翌年「カルピス」は登録商標である黒人がストローでカルピスを飲んでいるマークの使用をとりやめる。
その後、1991年には、手塚治虫氏の『ジャングル大帝』をはじめとする作品のなかに、ステレオタイプな黒人差別表現が数多くあるとして、出版停止や差別的な部分の改訂を求める運動が、日本国内とアメリカで起きている。
(当時のカルピス商標)
■外交問題となった政治家の黒人差別発言
一方、その頃は政治家による黒人差別発言も頻発していた。
1986年、当時の中曽根首相が、自民党の全国研修会で、「日本は高学歴になってきておる。…(中略)…平均点からみたら、アメリカには黒人、プエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、日本人よりはるかに知的水準が低い」と発言し、米議会や黒人議員連盟が強く抗議。
1988年、当時の自民党渡辺美智雄政調会長が、「日本人はまじめに金を返すが、アメリカには黒人やヒスパニックなんかがいて、破産しても、明日から金返さなくてもいい、アッケラカンのカーだ」と発言。国内外から人種差別発言として厳しい抗議を受ける。
1990年、自民党の梶山静六法務大臣が、資格外就労の外国人女性摘発をめぐって、「悪貨は良貨を駆逐するというが、アメリカにクロ(黒人)がはいって、シロ(白人)が追いだされているような混在地になっている」と発言。
これに対して、全米黒人地位向上協会などアメリカの団体のみならず、アフリカ各国をも巻きこんで抗議行動が拡がった。
法務大臣をはじめ政府首脳は陳謝したものの、米下院が梶山法相非難決議を全会一致で採択。さらに東京都議会都市問題調査団が、ニュージャージー州都トレントンのダグラス・パルマ黒人市長により、訪問を拒絶される。
梶山法相は、衆参両院の法務委員会で「国内外からの強い非難を浴びてはじめて人種差別問題への『感受性の欠如』やその克服の難しさに気づき」「外国人の労働問題という観点もなく短絡的だった」と陳謝。 (以上『最新 差別語・不快語』より)
しかし、先に書いたように、この時期にラッツ&スターはテレビや音楽雑誌などで人気を博し、1996年の紅白歌合戦に初出場をはたしている。
■ラッツ&スター、ももクロのブラックフェイス共演は事前中止
さて、その後あまり活動をしていなかったラッツ&スターだが、2015年フジTVの「ミュージック・フェア」に、ももいろクローバーZとのジョイント出演が決まる。
ラッツ&スターのメンバーの一人が、出演予告として、ももクロと自分たちが黒塗りフェイスでポーズをとった写真をネット上にアップしたところ、写真を見たニューヨーク・タイムズの日本人女性記者がツイート。
「これが日本が人種差別について議論すべき理由だ」と、投稿していた黒塗りメイク写真とともに批判した。
それをきっかけに、議論は一挙に沸騰した。
その結果、フジTV「ミュージック・フェア」は、ラッツ&スターとももクロの黒塗りフェイスでのパフォーマンスシーンを、全面カットして放送したという“事件”があった。
(写真はラッツ&スターとももクロの黒塗りフェイス)
■差別表現か否かは主観的意図とは関係ない
ラッツ&スターが、黒人ミュージシャンに憧れ、心の底から尊敬の念を抱いていたことは、よく知られている。
しかし、冒頭に書いたように、演者の主観的な意図=善意(憧れと尊敬心)は、差別表現(人種差別)か否かの判断基準とは関係ない事柄である。
カットしたフジTVの判断は正しかった、というべきだろう。
■ミンストレル・ショーと、ラッツ&スター黒塗りメイクの差別性
19世紀の奴隷制下のアメリカで、白人が顔を黒く塗り、ステロタイプな黒人像やしぐさで、面白おかしく演じる「ミンストレル・ショー」が、見世物として始まる。
この「ミンストレル・ショー」は、1950年から60年代に高まった公民権運動の中で、その差別性ゆえに、最後の息の根を止められている。
アメリカやヨーロッパ(のエンターテインメント業界)では、白人が顔を黒く塗り、黒人を演じる行為そのものが差別であるとの社会的規範がある。
翻って日本では、それが今までなかったということに過ぎず、つまりラッツ&スターのブラックフェイスを差別だと見抜けなかっただけのことであり、意識的に許容されていたわけではない。単に無自覚だったということだ。
この点は、自戒を込めて強調したい。
■「真似しただけ」と居直ってはいけない!
『絶対に笑ってはいけない! アメリカンポリス24時!』の浜田の黒塗りフェイスについて、局側は「映画ビバリーヒルズ・コップ主演のエディー・マーフィに扮した」、「真似ただけのこと」、「差別する意図はありません」と言っているようだ。
しかし、どんな言い訳をしても、それは黒人差別表現であり、率直に反省し、「ミンストレル・ショー」消滅の過程に学び、演劇における黒人差別の歴史を知ることだう。
黒い肌の色ゆえに黒人差別があるのではない。白人が黒人を支配する構造があり、そのもとで、「白は美しい」という観念が作り上げられている。
社会構造として、アメリカをはじめ欧米各国にも、黒人差別はある。そして日本にも政治家の発言として顕現しているように、黒人に対する社会的差別は現に存在している。
この社会情況の中で、顔を黒く塗って黒人を演じる行為は、その主観的意図、経緯、善意やリスペクトとは関係なく、すべて差別であると言わねばならない。
「今後バラエティーは黒塗りなしでいくんですかね?ルールブックを作ってほしい」と逆ギレした浜田の相方・松本人志に言っておきたい。これが国際的「ルール」だと。
]]>■ 「国会は特殊部落ですから」 片山虎之助の差別発言
2017年12月8日、日本維新の会の共同代表で、参議院議員の片山虎之助が、党の会合で、国会を、ウラ取引が横行するいい加減な場所という意味を込め、「特殊部落ですから」と発言したことが明らかになった。
被差別部落を悪いもの、役に立たないものの喩えとして過去幾度となく抗議糾弾されてきた典型的な差別表現である。
党の会合で、片山虎之助はつぎのように発言したという。
「維新独自で多数の議員立法を特別国会に提出しながら、いずれも審議入りしなかった現状をめぐり『やり方を考えないといけない。本数でなく中身も絞って、どこかの党と取引しないと。国会はそういうところなんですね。特殊部落ですから』とのべた。続けて「部落という言葉は良くないけど」と語った。」(共同通信 12月8日)
部落差別のきびしい岡山県の笠岡市で生まれ育った片山は「特殊部落」という言葉のもつ意味を十分理解している。
つまり、確信をもって、国会を常識や政治倫理が通用しない腹芸に長けた魑魅魍魎(ちみもうりょう)の輩(やから)が集住しているところにふさわしい言葉(比喩)として、「特殊部落」と呼んだのである。
■「部落という言葉はよくないけど」の弁明に表出する差別意識
片山は、すぐに言い直し、「部落という言葉はよくないけど」と語ったというが、比喩的に「部落」という言葉を使うことがよくない、という弁明とは思えない。
たんに「部落」=悪い言葉といった程度の認識であり、これも当人の、被差別部落に対する差別意識を吐露したものに過ぎない。
ハッキリ言っておくが、「部落」という言葉は決して悪い言葉でも差別語でもない。たんに”村落”や”集落”を意味する場合もあり、とくに(片山のように)意識しない限り、通常、村や集落を意味する言葉である。
■閉鎖的で悪の巣窟のような状況を比喩的にいいあらわす「特殊部落」
それにしても驚きを禁じ得ない。
「国会は特殊部落」は、超古典的で典型的な差別表現であり、過去、数えきれないほど「悪いもの」「否定されるべきもの」の喩えとして「特殊部落」という差別語を使用した差別表現が、保守・革新をとわず、知識人、政治家、メディアによって行われてきた。
旧社会党の顧問格だった大内兵衛東大教授は、月刊誌『世界』で「東大を滅ぼしてはならない。大学という特殊部落」(『世界』岩波書店1969年)とのべた。
また、朝日新聞および朝日ジャーナル系執筆者は、アフリカ系アメリカ人の集住地域(「黒人ゲットー」)を「特殊部落」と訳し、佐藤栄作首相の訪ベトナムに反対して羽田デモに参加した学生を「特殊部落の集団」と呼んだ。
なぜ、「特殊部落」を使って表現する必要があったのか。
それは、「特殊部落」という差別的言辞が、悪の集約的表現であり、百万言をついやしても言いあらわせない内容も、「特殊部落」のひとことで、十分言いあらわすことができるからである。
そしてまた、「特殊部落」という言葉を聞くだけで、一般の人々は、社会意識にある部落民にたいする差別観念を呼び起こし、部落民に対する憎悪と反感をかきたてられるのである。
■「特殊部落」を使った差別表現事件
1973年 「私たちを特殊部落的に見てもらいたくない」(谷内正太郎氏、現・国家安全保障局長、日テレ「ドキュメント73」)
1973年 「そりゃやっぱし特殊部落ですよ、芸能界ってのは」(玉置宏氏、フジ「3時のあなた」)
1977年 「社会党は特殊部落」(飛鳥田一雄社会党委員長、日テレ「おはようニュースワイド」)
1984年 「国会は特殊部落」(政治評論家・宮川隆義氏日テレ「ルックルックこんにちは」)
1987年 「永田町は特殊部落」(早川茂三氏・元田中角栄首相秘書、日テレ「11PM」)
1987年 「映画界は特殊部落」(映画監督・斎藤耕一、フジ「おはようナイスデイ」)
などなど、あげればキリがない。
各事例の経緯や解説については、拙著『最新差別語・不快語』を参照してほしい。
もう一つ、片山虎之助は、「部落という言葉はよくないが」と、弁明したつもりのようだが、この文脈も、過去に抗議を受けた事例がある。
1992年 山形県で開かれた「べにばな国体」の折、山形県内の複数の市町村が、「被差別部落と同じにみられては困る」として、”部落”の地名表示を”地区”に変更するという事件があり、山形県行政が抗議されている。
■「特殊部落」という差別語を使ったから問題、なのではない
ところで、片山虎之助の差別発言を報じた新聞記事を読むと、「特殊部落」という「差別用語」を使用したことが問題とされているとの認識がみられる。
筆者がいつも言っていることだが、「特殊部落」という差別語を使ったから差別表現になるのではない。今回の片山発言で、「特殊部落」を「被差別部落」と言い換えても、差別表現であることに違いはない。
なぜなら、被差別部落を「悪いもの」の喩えに使用して貶めていることに変わりはないからである。
だが、メディア関係者には、「差別語を使ったから問題」というとらえ方をしている人が多い。
それが結局は、自主規制の禁句・言い替えにつながり、差別を隠す行為となった。
差別を撤廃するためにも、厳しい差別の現実と歴史性を帯びた差別語を正しく使用する必要がある。
「差別と表現」をテーマにしたメディア研修での私のレジュメから抜粋し、少し整理しておこう。
■差別語と差別表現
【差別語とは】
差別語とは、ひとことでいえば社会的差別を受けている被差別マイノリティに対する侮蔑語のこと。
社会的差別とは人種、民族、宗教、性、障害、部落などに対する差別のこと。
個人の責任ではない社会的属性をもつ社会集団に対する排除と蔑視感情が付与された言葉である。差別語は歴史的・社会的背景をもち、現実の差別的実態を反映している。
(例: 穢多、鮮人、シナ人、チャンコロ、ロスケ、ビッコ、メクラ、キチガイ、土人など)
【差別表現とは】
1922年、全国水平社創立大会の冒頭に掲げられた決議第1項が、
『一、吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す』
であったことに注目してほしい。
部落差別撤廃運動は、差別的言動への抗議から始まったのである。
差別表現とはなにか。
それは、文脈のなかに差別性(侮辱の意思)が存在している表現のことであるが、注意してほしいのは、次の3点。
差別表現は、
?差別語が使用されているか否か
?内容が事実か否か
?悪意があるか否か
とは直接関係しない。
差別表現で問われているのは、表現の差別性であって、表現主体の主観的な差別的意図の有無の問題ではない。
つまり、「差別しようと思って言ったんじゃない」とか「事実に基づいて書いただけだ」などは関係ないということである。
表現の客観性、その表現が社会的文脈の中でどう受けとられるかということ、つまり、表現のもつ社会的性格について問題にしている。
●上記?について例をあげてみる。
「キチガイに刃物」を
「統合失調症に刃物」
と言い換えても差別表現であることに変わりはない。
同じように、
「あいつは何も見えていない盲(めくら)と一緒だ」を
「あいつは何も見えていない視覚障害者と一緒だ」
と言い換えても、差別表現であることに変わりはない。
●上記?「事実かどうかとは関係しない」について例をあげる。
・『週刊朝日』の橋下徹大阪市長に対する出自報道(2012年10月)で、執筆者の佐野眞一氏は、
「私は間違ったことは書いていない。事実を書いただけだ」
とのべているが、問題は記事の内容の差別性であって、事実か否かを問うているのではない。
●上記?「悪意があるか否か」とは関係しないについて例をあげる
金美齢氏が、「士農工商、牛馬AD」という発言を行った。(2016年7月29日フジテレビ『バイキング』)
娘の仕事についてADの仕事のキツさを比喩的に表現したもの。
金さんに被差別部落を差別する意識はない。
しかし、差別的な比喩表現である。
この生番組中の事件は、局側が番組放送中に、きちんとしたお詫びと訂正を行うことによって、自主的に解決している。
【差別語の使用=差別表現ではない】
差別語を使用していてもそれが差別表現になるのではない。
たとえば次のような表現がある。
「わしらは昔<ドメクラ(ドエッタ)>といわれ差別されてきた」
要は、その言葉が使われる必然性および社会的必要性が、文脈なり作品にあるかどうか。
それが差別表現であるかどうかを考える鍵となる。
■差別語「特殊部落」の歴史的背景
被差別部落にかんするもっとも典型的な差別語として、「穢多」「非人」「特殊部落」「新平民」「四ツ」などがある。
とくに「特殊部落」という語は、「国会を特殊部落にしてはならない」など、閉鎖的で悪の巣窟のような状況を比喩的にいいあらわす場合に数多く使用されてきた。
そして、保守・革新を問わず著名な作家や文化人、学者、そして媒体としてのマスメディアが抗議されてきた。
この「特殊部落」という言葉は、1871(明治4)年に布告された、いわゆる「賤称廃止令」によって、封建的身分差別から解き放たれた被差別民とその居住地域を、あらたに“特殊(種)部落” と、官側が呼称したことに起源をもつ。
それが、明治維新をへて時代がかわり、四民平等になったとはいえ、古い封建的賤視観念にとらわれていた庶民には、“普通” でない“特殊” な部落、つまり、旧来の差別的内容を包含する穢多・非人部落の蔑称として定着し、今日にいたるもなお、使用されている差別語である。
(*事例出典は『最新 差別語・不快語』)
]]>■ 前地方創生相の山本幸三・自民党衆議院議員(福岡10区)の人種差別(黒人差別)発言
2017年11月23日、北九州市で開かれた三原朝彦衆議院議員(自民党福岡9区)の「政経セミナー」で挨拶に立った山本議員は、三原議員がアフリカ各国と交流や支援活動を行っていることに触れ、「何であんな黒いのが好きなのか」と、耳を疑うような黒人蔑視の差別発言を行った。
当人は、取材記者の指摘に対し「アフリカが『黒い大陸』『暗黒大陸』と表現されたことが念頭にあっての発言で、黒人を指して言ったわけではない」と釈明、「差別的なことを意図しているわけではない。表現が誤解を招くということであれば撤回したい」と述べたという。
ついうっかり口をついて出た、軽はずみの発言として済まされない舌禍(ぜっか)事件だ。この発言は、国を問わず地球上に住む「肌の色が黒い人々」すべてに対する人種差別発言であり、ことは「アフリカ」だけにとどまらない。
■「黒い大陸」「暗黒大陸」表現に含まれる差別性
「何であんな黒いのが好きなのか」!――この暴言は、山本幸三の内面に貼りついている肌の色が黒い人々に対する嫌悪感――つまり強烈な差別意識が吐露されたものであるが、当人にその自覚はない。無意識かつ自然に口をついて出た差別表現である。
しかも「あんな黒い」との言い回しには、黒い肌をもつ人々には人格や尊厳がなく”もの(奴隷)”として蔑すむ差別意識がある。山本幸三は差別意識が血肉化していると言ってよい。
また、アフリカが『黒い大陸』『暗黒大陸』と表現されたことが念頭にあったと言い訳しているが、その「黒い大陸」「暗黒大陸」という表現に含まれる植民地主義的差別性に、気づきさえしていない。
「ブラックマンデー」「ブラツクアウト」「ブラックリスト」「ブラックマネー」「ブラック企業」など、否定的意味を「ブラック(黒)」という言葉(色)に(象徴的)付与してきた歴史と現実がある。
15世紀以降に始まった奴隷制度では、1千万人から2千万人に上るアフリカの人びとをアメリカ大陸に拉致し、「奴隷」とした。
ヨーロッパ、アメリカの白人たちが、この犯罪を正当化する言葉は、「《白》にこそ価値があり《黒》は劣等である」であった。イエス・キリストも「白人」とされ、ギリシャ彫刻も白く塗り替えられた。エジプトのクレオバトラも、ハリウッド映画では白人のエリザベス・テイラーが演じたのである。
■失言をくり返す公人――人種差別撤廃条約に違反
自民党・山本幸三は、地方創生担当相当時の2017年4月16日、滋賀県大津市で開かれた地方創生に関するセミナーの中で、観光振興をめぐり、
「一番のガンは文化学芸員……観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と発言して批判され、後に撤回している。
自民党議員山本の暴言に対し、北九州小倉北区にある事務所に、福岡の市民団体「福岡の教育を考える会」が抗議文を提出するなど、抗議行動を行っている。中央でも、抗議行動を行うべきだろう。
公人による差別発言がなぜ厳しく戒められなければならないのか。
ここで過去の公人による黒人差別発言について掲載しておくが、1990年に梶山静六法務大臣が黒人侮蔑発言を行ったさい、アメリカ下院議会で梶山法相非難決議が全会一致で可決され、東京都議会の訪問が拒否されるなど、外交問題にまで発展したのである。
「人種的優越主義に基づく差別及び煽動」を禁止した人種差別撤廃条約第4条C項(日本はa・bを留保しているがC項は批准している)は、「国または地方の公権力または公的公益団体が人種差別を助長しまたは煽動することを許さない」と定めている。
さらに憲法第98条[最高法規、条約及び国際法規の順守]の?では「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と書かれている。山本幸三議員を徹底糾弾すべき。
■公人による黒人差別発言は外交問題に発展する
★事例 1 「カルピス」の商標マーク
1980年代に、アメリカの「ポリティカル・コレクトネス」運動や、日本国内における差別語や差別表現に抗議する運動の高まりのなかで、「サンボ人形」「ダッコちゃん」や『カルピス』の商標だった「黒人マーク」などが、ステレオタイプ化した黒人蔑視であり、誤った黒人像を与えているとして、強く指摘される。
★事例 2 中曽根首相 「アメリカの黒人は日本人よりはるかに知的水準が低い」
1986年、当時の中曽根首相が、自民党の全国研修会で、「日本は高学歴になってきておる。……平均点からみたら、アメリカには黒人、プエルトリコとかメキシカンとか、そういうのが相当おって、日本人よりはるかに知的水準が低い」と発言し、米議会や黒人議員連盟などから強く抗議される。
★事例 3 渡辺政調会長 「黒人やヒスパニックは破産して金返さなくてもアッケラカンのカー」
1988年、当時の自民党渡辺美智雄政調会長が、「日本人はまじめに金を返すが、アメリカには黒人やヒスパニックなんかがいて、破産しても、明日から金かえさなくてもいい、アッケラカンのカーだ」と発言し、国内外から人種差別発言として強く抗議される。その後、1991年に、副総理兼外務大臣に就任した渡辺氏は、この発言を釈明するなかで「日本は単一民族なものだから」と発言し、アイヌ民族の団体から謝罪と閣僚辞職を求める抗議文がだされる。
★事例 4 梶山法務大臣 「アメリカにクロが入ってシロ(白人)が追い出されている」
1990年、自民党の梶山静六法務大臣が、資格外就労の外国人女性摘発をめぐって、「悪貨は良貨を駆逐するというが、アメリカにクロ(黒人)が入って、シロ(白人)が追いだされているような混在地になっている」と発言。全米黒人地位向上協会などアメリカの団体のみならず、アフリカ各国をも巻きこんで抗議行動が拡がる。法務大臣をはじめ政府首脳は陳謝したものの、米下院が梶山法相非難決議を全会一致で可決。
東京都議会都市問題調査団が、ニュージャージー州都トレントンのダグラス・パルマ黒人市長により、訪問を拒絶される。梶山法相は、衆参両院の法務委員会で「国内外からの強い非難を浴びてはじめて人種差別問題への『感受性の欠如』やその克服の難しさに気づき」「外国人の労働問題という観点もなく短絡的だった」と陳謝。
★事例 5 日本オリンピック委員会会長 「黒いのばかりにV(victory)とられちゃかなわない」
2000年、日本オリンピック委員会の八木祐四郎会長(当時)が、長野五輪記念・長野マラソンでアフリカ勢が上位を占めたことに対し、「黒いのばかりにV(victory)とられちゃかなわない」と差別発言、ひんしゅくを買う。オリンピック憲章第1章の3の2に「人種、宗教、政治、性別、その他に基づく、国もしくは個人に対する差別は、いかなるかたちの差別であっても、オリンピック・ムーブメントへの帰属とは相入れないものである。」と書かれている。 (*出典は『最新 差別語・不快語』)
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■「きちがいみたいな人ばかり」
ナチス・ヒトラーを肯定する発言で、日本国内にとどまらず国際的な批判を浴びているさなかに、麻生太郎副総理兼財務大臣が、またしても差別発言をおこなった。
〈麻生太郎副総理は2日、10月の衆院愛媛3区補選の応援で訪れた愛媛県西条市での講演で、祭りの参加者を「きちがいみたいな人ばかりだ」と述べ、精神障害者を差別する表現を使った。補選は祭りと時期が重なり、麻生氏は「ここのお祭り大変だ。そういった時に選挙なんてやれる。選挙を一生懸命やっている人はお祭りを一生懸命やっている人。俺のとこ(の選挙区の祭り)は7月14日だけど、この時になったら、ほとんどきちがいみたいな人ばっかりだ」と語った。
麻生氏は講演後、記者団から指摘され、「不適切でした」と述べた。〉(朝日新聞デジタル)
その後、発言を撤回したものの「俺の地元では昔から” 祭りきちがい”という言葉もある」と述べるなど、うわべだけの反省で、心底反省していないことがわかる。
■自覚なければ、反省もなし
麻生太郎は、第一次安倍内閣の外務大臣だった2007年にも「酒は『きちがい水』と発言し、批判された過去をもつ。10年経っても精神障害者に対する「キチガイ」という差別語と、その言葉に反映されている現実の差別的実態にはまったく無自覚である。
昨年4月から障害者差別解消法が施行され、国をあげて取り組んでいる最中の差別発言である。
■もっとも身近に使われている差別語
「キチガイ」という差別語を使った差別表現は、日々の日常会話の中で頻繁に使用されている最もポピュラーな差別語と言っていい。
ほとんどの場合、発言者あるいは執筆者本人は、精神障害者に対する差別意識をもって発言したり、執筆しているわけではない。(差別を肯定し、目的意識的に発言したとすれば、それはヘイトスピーチ[差別的憎悪煽動]である。)
ただ無自覚に、「キチガイ」という言葉に塗りこめられている精神障害者に対する差別の歴史と実態に無知であるがゆえの表現ではあるが、客観的には、精神障害者を傷つけ貶め、社会にある差別意識を助長拡散しているのであり、その社会的責任は、とくに公人の場合はより厳しく指弾されなければならない。
■テレビ生番組での塩川正十郎氏の「きちがい」発言
著名な政治家の例ではつぎのようなことがあった。
2005年、日本テレビ『真相報道バンキシャ!』に生出演していた、塩川正十郎氏が「騒音おばさん」の映像を見て、「こりゃね、やっぱり狂ってますよこの人は。…これきちがいの顔ですわ。」と発言。司会の福澤朗氏が、番組中に塩川氏に注意して、視聴者に謝罪した。
ただこのとき、福澤氏は「先ほど番組放送中に不適切な発言がありましたのでお詫びし、訂正します」と述べただけで、何がどう不適切な発言だったかについては、視聴者に向けて何も語っていない。
■具体的な差別語の提示にメディアが躊躇するのはなぜか?
実は、今回の麻生太郎の差別発言を最初に知ったのは、9月2日の日付が替わった深夜12時のNHKニュースだった。
この時NHKは、「麻生太郎副総理が愛媛の選挙応援中の講演で精神障害者に対する差別発言を行った」との報道内容で、「キチガイ」という具体的な差別語について放送することをためらっていた。
これでは先の日本テレビと50歩100歩の腰の引けた報道姿勢といわねばならない。
ではなぜメディアは、具体的な差別語を提示することに躊躇(ちゅうちょ)するのか?
実はここに、差別語と差別表現に対するメディアの無理解と誤解がある。
被差別マイリノリティ集団が一貫して抗議してきたのは〈表現の差別性〉に対してであって、〈差別語を使用したか否か〉ではない。
「キチガイに刃物」は差別語を使用した典型的な精神障害者差別表現だ。しかしそれを「統合失調症に刃物」と言い換えたとしても、〈表現の差別性〉に何の違いもない。ただ、差別語を使用していない差別表現というだけである。
一方で、「統合失調症で苦しんでいるのに『キチガイ』という心ない言葉を投げつけることはやめるべき」と言ったとしても、表現に差別性がないことは容易に理解できるだろう。これは、話者ないし筆者が当事者であるかないかは関係ない。
■差別語の使用=差別表現ではない
ところがメディアは、被差別者からの抗議に対し、差別語=差別表現という短絡的な思考の結果、差別語を禁句にしたり、言い替えて事足れりとしてきた歴史がある。
何度も強調しているが、「言葉狩り」を行ったのはメディアであり、被差別者の側ではない。(「放送禁止用語」「放送禁止歌」など)
禁句・言い替えはメディアの「思想的ぜい弱性」がもたらした悪しき対応であり、ただ単に差別語を禁句にし、差別を隠しただけであり、差別をなくすために役立つものではない。(*拙著『最新 差別語不快語』で詳細に説明している)
■国会での安倍首相の差別的比喩表現――『めくら判』
障害者差別表現では、今年6月5日の国会で安倍総理も「めくら判」という視覚障害者に対する差別的比喩表現をおこない、その場で批判されている。
加計学園の獣医学部新設をめぐる民進党の宮崎岳志議員の質疑への答弁に立った安倍首相は、民主党政権時代の構造改革特区を取り上げる。その際「みなさん(民主党政権)のときは構造改革特区というのは(政府に案が)上がってきたら『めくら判』ですか?」と発言。
この発言に宮崎議員が「え!?」と驚き、委員会は騒然とする。だが安倍首相は「違いますよね。上がってきたら『めくばらん』ではないんです」と言い間違いしながらも、さらにそのままに答弁を続けていた。(Livedoor News)
後ろに控えていた官僚から紙を渡されてから訂正したが、安倍首相自身は全く無自覚で、反省した気配はない。
総理が総理なら、副総理も副総理で、そろって障害者差別発言を平然と行い、しかも反省の色がまったく見えない。”差別そろい踏み政権”といっても過言ではない。
■精神障害者に対する差別意識が生みだしたことば
精神障害者に対する差別意識は、日本社会に、そしてまたわれわれの意識の底に、広く深く沈殿している。
昨年7月26日未明、相模原の津久井やまゆり園で起きた重複知的障害者19人を殺害した、戦後最悪のヘイトクライムは、このような障害者に対する差別意識の土壌の中から、その意を汲んで、植松聖が犯行に及んだのだ。(*この事件についてはウエブ連載第181回で詳述)
精神障害者に対する予断と偏見にもとづく差別意識は日本社会に深く広く根付いている。
精神障害があるとされた人々に対して、1874(明治7)年の「狂病者厳重監護の布達」以降、1900年の「精神病者監護法」をはじめ、精神病者を治安維持の管理対象(保安処分)とし、監置を是としてきた歴史がある。
「隔離収容」という、人間の尊厳をズタズタに切り裂いた処遇が、「キチガイ」という差別語に反映されてきた歴史を知るべきだ。
■財界重鎮も……
本稿を書き終えたときに、大企業の経営者による障害者差別発言の記事を見つけた。
中部経済連合会の豊田鐵郎会長(トヨタ自動織機会長)は4日の定例記者会見で、滑走路が1本の中部国際空港について「身体障害者みたいなものだ。1本がだめになるとどうしようもない」と話した。2本目の滑走路を国に求めている理由を問われ、発言した。
中経連の広報は会見後の朝日新聞の取材に「身体障害者に何か問題があるかのような不適切な表現だった。本人も反省しており、発言を撤回する」とした。豊田自動織機は、トヨタグループの源流企業。
(朝日新聞9月5日付朝刊)
日本の政界も財界も障害者問題には疎い。そういえば前NHK会長の籾井は、国会内で「つんぼ桟敷」発言を2度もくり返すという醜態をさらしても平然としていた。
]]>■ヒトラーの行為は悪いが動機は正しい?
またしてもである。
8月29日、自民党の麻生太郎副総理兼財務相が派閥の研修会で講演し、次のように発言した。
「少なくとも(政治家になる)動機は問わない。結果が大事だ。
何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」
発言の翌日、「私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾」と釈明したものの、謝罪はしていない。今回で公(おおやけ)には二度目となるナチス・ドイツ肯定発言に、政治家としての見識が疑われ、抗議と批判の声が、日本のみならず世界中で沸き起こっている。
講演での発言を素直に読めば、ホロコーストはダメだがヒトラーの動機は正しかった、と言っていることに疑いの余地はない。
■4年前のヒトラー礼賛発言
麻生太郎によるナチス讃美・ヒトラー礼賛の発言は、今回が初めてではない。
2013年7月29日には、都内で開かれた国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の月例研究会で、
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。
だれも気づかなかった。あの手口学んだらどうかね」
と発言し、歴史認識の誤謬(ごびゅう)とともに「ナチスから学ぶ価値ある手口は一切ない」と、サイモン・ウィーゼンタールをはじめ、国際的な批判を浴びた。それからまだ4年しか経っていない。
■高須克弥のヒトラー称賛・ホロコースト否定
最近では、高須クリニックの院長・高須克弥がヒトラーを称賛し、ホロコーストは捏造(ねつぞう)だとの戯言(ざれごと)をツイッター上で吐き、徹底批判されているが、撤回も謝罪もせずに居直っている。
この高須克弥の件に関しては、「社長ブログ ゲジゲジ日記」(2017年8月25日)ですでに批判したが、ナチス・ヒトラーの行為を評価あるいは無批判に真似する言動一切が犯罪なのだということを強調した。
ネット上で、高須クリニック院長・高須克弥のヒットラー礼賛、ホロコースト否定発言に批判が集中、炎上している。今年8月5日にベルリンの連邦議会議事堂前で、ナチス式の敬礼をした中国人観光客2人が逮捕されている。日本に包括的な差別禁止法があれば、高須克弥は社会的処罰を受けるだろう。
ホロコースト否定は、1995年の文藝春秋社発行『マルコポーロ』廃刊事件で、それが犯罪行為であることがすでに日本でも明らかにされている。ちなみにその時の『マルコポーロ』編集長は花田紀凱氏で、即解任されている。
なぜ今ごろ高須克弥がアホなことを言い出したのか、サイモン・ウィーゼンタール・センターは、直接の抗議糾弾活動を日本に乗り込んで行うべきだろう。欅坂48の時とは悪質さのレベルが違う。
第二次世界大戦での、ユダヤ人600万人、ロマ人(賤称・ジプシー) 60万人、同性愛者と障害者20万人を虐殺した、ナチス・ドイツの人類に対する犯罪への痛烈な反省から、1948年、世界人権宣言が発せられた。その思想と精神を具体化したのが、国際人権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、障害者の権利条約などの、一連の人権条約なのだ。
すべての人権条約は、ホロコーストの反省の上に成り立っている。日本は一部留保しつつも、多くの人権条約を批准しているが、条約の内容に見合った国内法をキチンと整備しているわけではない。
とくに、国連での可決から30年経って1995年に批准した人種差別撤廃条約に関しては、昨年不十分ながらも成立した「ヘイトスピーチ対策法」以外、国内の差別禁止関連法はまったく成立していない。高須克弥の暴言は、この国内人権法の不備がもたらしている。(ゲジゲジ日記2017/8/25)
■いくつかの事件から
ナチス・ヒトラーに関係し、社会問題となった主なケースを少し掲げておこう (*『最新差別語・不快語』参照)。
○2011年、バンド「気志團」がナチス親衛隊(SS)の制服を着てテレビ出演。 サイモン・ヴィーゼンタールに抗議され、謝罪。
○2011年、フランスの高級服飾ブランド、クリスチャン・ディオールのデザイナー、ジョン・ガリアーノ氏が、パリのユダヤ系住民が多い地区のカフェで酒に酔い、「ヒトラーが大好きだ。お前たちのような奴らは死んでいたかもしれない」と暴言を吐く。ガリアーノ氏はC・ディオールを解雇され、フランスの人種差別禁止法によって罰金65万円と禁固6ヶ月の執行猶予付き有罪判決。その後レジョン・ドヌール勲章をはく奪される。
○2014年、ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の恐怖を少女の目で描いた『アンネの日記』が、東京都内と横浜市の図書館で相次いで破られる。サイモン・ウィーゼンタールは声明で「事件は偏見と憎悪に満ちた」一部人間の行為と指摘。「ホロコーストで犠牲になったユダヤ人の子ども150万人の中で最も知られた代表であり、その記憶を侮辱する組織的計画」であり、「思想的な動機があるのは明白」と語った。犯人は捕まったものの、警視庁からその後の動静が一切明らかにされていない。
○2015年、衣料品スーパー「しまむら」がナチスの国旗ハーケンクロイツ(鉤十字)のマークが入ったペンダントとセットになったタンクトップを販売。批判を受け、販売中止。
○東京・大阪など全国各地でおこなわれている人種差別にもとづく排外主義的ヘイトスピーチデモで、旭日旗とともに、ナチスドイツの国旗ハーケンクロイツ(鉤十字)の旗がふられる。2014年7月国連人権規約委員会で、その映像が上映され、委員会は日本政府に対し、差別を煽るすべての宣伝活動を禁止する措置をとるよう、日本政府に勧告。
○アイドル集団、欅坂46がハロウィーンコンサートで「ナチス風」軍服と軍帽の衣装で出演。サイモン・ウィーゼンタール・センターが所属会社のソニーミュージックとプロデューサー秋元康に抗議、謝罪を求める。
■差別政治家をのさばらせるものは
話をもどす。
麻生太郎が札付きの差別者であることは、元自民党幹事長の野中広務さんが総理候補に名前が挙がったとき、
「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と露骨な差別発言を行っていることからも明らかだ。
野中さんは2003年9月、自身最後の自民党総務会の席上で、麻生氏を目の前で糾弾している。
2009年1月17日ニューヨークタイムズ紙が、この「麻生の差別発言」について、オバマ大統領誕生と関連して、4ページにわたる大特集を組んでいるが、部落解放同盟中央本部は、一度も麻生に対し、抗議も糾弾もしていない。この事件については『部落解放同盟「糾弾」史』を参照いただきたい。
ことナチス・ヒトラー問題にかかわらず、麻生太郎は人種差別者、部落差別者であり、度し難い差別者なのである。
なぜこのような差別政治家が、いまだに権力の一員としてのさばっているのだろうか。
それは、現在の自民党と安倍政権のものの政治的思想的本質をあからさまに体現しているのが、麻生太郎ということなのだ。トランプ大統領以前の問題である。
■日本政府も批准する人種差別撤廃条約で処罰すべき
日本政府も批准する人種差別撤廃条約の第4条は「人種的優越主義に基づく差別および煽動の禁止」を定義している。そのC項にはつぎのようにある。
[C項]国又は地方の公権力又は公益団体が人種差別を助長し又は煽動することを許さない。
このC項を日本政府は批准している。ちなみに差別的憎悪煽動=ヘイトスピーチを禁止したこの4条の[a項][b項]を日本政府は留保し、批准していない。
ヒトラーの「動機は正しかった」という麻生の発言は、この人種差別撤廃条約第4条C項に照らしても、責任追及を免れない。これが今日の差別・人権問題の国際基準なのだ。
■日本と世界で同時進行するレイシズムとファシズム
今回の麻生発言の少し前には、小池百合子都知事が1923年9月の関東大震災時の、6千人にのぼる朝鮮人虐殺を慰霊する追悼集会への追悼文を、慣例を破り見送りを決定している。ついで墨田区長も、その動きに追随している。
全般的な歴史修正主義とファシズム、レイシズム讃美が、日本と世界で、同時に跳梁跋扈している。
2013年の件とともに、今回の麻生の「ヒトラーの動機は正しかった」発言をサイモン・ウィーゼンタールなど国際的な抗議運動と連携し、かつ国会内でもとりあげ、徹底糾弾すべきだ。
最後に〈ウェブ連載差別表現 第100回 「麻生副総理の『ナチス正当化』発言は国際的非難を免れない」を再録しておきたい。
「麻生副総理の『ナチス正当化』発言は国際的非難を免れない」
【連載差別表現・第100回より】(2014年8月)
夏期休暇中、とんでもない発言を、インターネットを通じて知った。麻生太郎副総理の憲法改正にかかわっての「ナチス発言」である。
■「ナチス正当化」発言に国際的非難
麻生は7月29日、都内で開かれた国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)の月例研究会で、次のように発言したという。
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」
発言内容が報道されると同時に、諸外国、とくに韓国、中国を始めアジア諸国から批判の声が上がった。さらに、アメリカのユダヤ人人権団体として名高いサイモン・ウィーゼンタール・センターは、すぐさま反応し、次のように批判声明を出し、「真意を明確に説明せよ」と求めている。(報じたのは8月1日付『朝日新聞』)
「どんな手口をナチスから学ぶ価値があるのか。ナチス・ドイツの台頭が世界を第2次世界大戦の恐怖に陥れたことを麻生氏は忘れたのか」
「また、ドイツの週刊紙ツァイト(電子版)は31日、『日本の財務相がナチスの改革を手本に』という見出しで発言を伝えた。同センターなどの反応を伝え、『ナチスの時代を肯定する発言で国際的な怒りを買った』とした」(2014年8月1日『朝日新聞』)
■麻生を徹底糺弾しない日本の政治家の不見識
筆者は、副総理と財務相の辞任にとどまらず、自身の議員辞職を含め、安倍内閣の存亡にかかわる重大かつ深刻な政治的舌禍事件と思い、成り行きを注視していた。
麻生は国際的な批判に狼狽し、8月1日、「(発言が)私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾だ」として、発言を撤回した。
しかし、発言を撤回したからといって、発言の持つ政治的価値観と歴史認識が消えたわけではない。
「私の真意と異なり、誤解を招いた」と、麻生は弁解しているが、ナチス的手法を礼賛する麻生の真意は十二分に伝わっているのであり、表面的な「遺憾」表明などなんの意味もない。
新聞各紙も、『毎日新聞』の8月2日付社説をはじめとして、単にうわべだけの撤回ではなく、発言の背後にある歴史認識と政治思想について、徹底批判している。
しかし、発言に対する弾劾が期待された臨時国会では、圧倒的与党の自民党に、「ナチス発言の審議要求を一蹴」され、その後、民主党をはじめとする野党が、この問題で、強い行動を起こした形跡はない。
さらには野党のひとつ、日本維新の会共同代表の橋下徹氏は、麻生の暴言について、次のように述べた。
「ナチス・ドイツを正当化したような、そんな趣旨では全くない。国語力があれば、そんなことはすぐ分かりますよ」
「むしろ、ナチス・ドイツを否定している趣旨なわけで。ちょっと度のきつかったブラックジョークというところもあるんじゃないですか」
記者に「国際社会ではナチスにたとえること自体が問題視される」と突っ込まれても、
「政治家だから、こういう批判が出るんでしょうね。エンターテインメントの世界とかではいくらでもありますよ」
(共に2014年8月2日『日刊ゲンダイ』)
橋下氏はこのように平然と応えている。なんという軽薄さ、なんという鈍感さであろう。
差別表現の大半が、被差別マイノリティ集団を悪いもの、否定的なものの“喩え(たとえ)”として、引き合いに出されていることは、すでに周知の事実である。
“喩え”でナチスの手法を正当化することは、ユダヤ人を始めとするホロコーストを容認し、犠牲者を冒涜する国際的な暴言であることが、まったくわかっていない。
橋下氏の言をよしとするなら、2010年12月、イギリスの公共放送局BBCが、お笑いクイズ番組内で広島と長崎で2度被爆した、山口疆(つとむ)さんを「世界一運が悪い男」などと、ジョーク交じりに紹介したことを、「ブラックジョーク」として済ますべきであり、在英日本大使館が抗議したことも、過剰反応ということになる。
このとき、山口さんの遺族で長女の山崎年子さんは、「(父のことを)核保有国の英国に『運が悪かった』で片づけられたくない。家族のなかでは2度の被爆を『運が悪い』と笑いながら話したことはあるが、むごい記憶や後遺症を乗り越えるために笑い話にしたのであり、人(他者)から笑われるのは意味が違う」と憤っている。「BBCはぜひ、父の記録映画を見て被爆者がどんな思いで活動しているか知り、放送してほしい」(朝日新聞2011年1月22日)と、当事者性を抜きにしてジョークを語るおろかさを指摘している。 「慰安婦」発言の時もそうだが、橋下氏に決定的に欠けているのは、被害者の怒りや悲しみ、苦しみの感情に対する配慮であり、当事者の心情を忖度する感性の欠如である。
■日本の“常識”は世界の“非常識”
話をもどすが、なぜ日本では、これほどあからさまなナチスの正当化や、ホロコースト被害者であるユダヤ人(ロマ、同性愛者、精神障害者)に対する配慮が欠けているのであろうか。
数年前、出版・人権差別問題懇談会で、ニューヨーク市立大学の霍見芳浩(つるみよしひろ)教授を招いて講演を行ってもらったことがある。
話の冒頭で、教授は、講演会場の如水会館に来る前に寄った神保町の大手書店について話をした。その大手書店には、ユダヤ人陰謀論をメインにした棚があり、欧米ではありえないその光景に霍見教授は非常に驚いたという。同時に、日本人のユダヤ人問題、ひいては、国際的な人権問題についての認識の浅さと低さに時間を割いて語った。
教授いわく、もし欧米の書店が、この神保町にある大手書店のような棚を作ったとすれば、即座に営業停止に追い込まれるであろう。
日本では常識として「通用」しても、世界の人権水準からすれば、それは単に日本の非常識を露呈しているに過ぎず、国際的批難はまぬがれない。実際に、ドイツでは、ナチスを肯定するような発言を公然とした場合、違法行為となり、懲役や罰金が科される。
今日の世界の人権規範の基準は、いうまでもなく第二次世界大戦の痛烈な反省から生まれた、世界人権宣言に体現されている。
その目指す方向・内容・特徴を具体化したのが、国際人権規約(1976年発効、日本は1979年批准)、人種差別撤廃条約(1963年採択、日本は1995年加入)を始め、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約、そして、障害者の権利宣言など、23にものぼる国連の人権条約に具現化されているのである。
●事件の背景にある優性思想と障害者差別意識の解明を
2016年7月26日未明、相模原市にある障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた“相模原障害者殺傷事件”から一年を迎えた。
重度重複障害者19名を殺害し、27名に重軽傷を負わせた戦慄(せんりつ)すべき戦後最大の差別的憎悪犯罪(ヘイトクライム)にかんして、今月に入って、テレビ・新聞・出版などメディアで大きく特集が組まれ、報道されている。
事件の背景および、この犯罪の意味するところと、マスコミ報道の弱点については、すでに本連載「差別表現」187号と193号で詳述しているので、ここではくり返さない。
事件発生から1年。
被告・植松聖が、障害者殺害行為を「社会正義の実現」と考えた思想的背景(優性思想)、そして、この事件から見えてくる障害者に対する社会意識と、医療機関と司法機関の対応を少し検討しておきたい。
●植松被告の障害者差別思想を生みだしたもの
「障害者は不幸を作ることしかできない」と主張し、「障害者を安楽死させるための法制定」を求めた植松聖は、それを安倍政権下の国家意思であると忖度し、大量殺害におよんでいる。
被告・植松聖は、経済合理主義を最優先する価値観(新自由主義)が跋扈(ばっこ)する現下の日本において、例外的に生み出された“怪物”ではない。そしてこの事件は、社会意識の奥底にこびり付いた障害者差別意識が、暴力的なかたちで発現したものだ。
植松聖は、障害者を20万人以上虐殺したナチスドイツ・ヒトラーの優性思想(T4作戦)に心酔し、「啓示」を受け、「正義」を実行したと供述している。相模原障害者殺傷事件は、精神症状としての妄想ではなく、障害者差別思想にもとづく確信犯罪=ヘイトクライムなのだ。
● 「beautiful Japan」 犯行直後の植松のツイート
安倍総理就任のときの言葉「美しい日本を取り戻す」に呼応してか、植松は犯行直後に「世界が平和になりますように、beautiful Japan(美しい国)」とツイッターに投稿している。
社会から「不健康な要素」を除去し、「純化」された「美しい日本」ほど恐ろしい社会はない。
●警備体制や措置入院制度の問題なのか?
しかし、警察・検察をはじめ医療関係の少なくない人が、この事件を、警備体制の見直しや措置入院制度を強化することで防ぐことが可能であるかのような言説をふりまいている。
とくに、事件を受け、措置入院制度を強化する精神保健福祉法改正案が上程され、参議院では可決されたが、衆議院では審議入りできず、継続審議となっている。
●精神障害者を加害者予備軍とみなす措置入院制度強化法案
この自傷他傷のおそれのある精神障害者を強制入院させる措置入院制度強化法案は、多くの識者が指摘しているように、警察の関与による「精神障害者の監視であり、精神障害者を虐待の被害から守る目的ではなく、加害者予備軍と見なしている。精神障害者に対する差別偏見を助長する」(姜文江[きょうふみえ]弁護士/朝日新聞 2017年6月2日)と、その危険性を指摘している。
そして姜弁護士は、次のように結んでいる。
「相模原のような犯罪を防ぐためには、精神保健法の改正ではなく、正面からそのための法制度を提案すべきである」。
正論である。
つまり、障害者差別をはじめあらゆる差別を禁止する、包括的差別禁止法の制定こそがこのヘイトクライムを防ぐ最重要な課題だということだ。
●検察が「精神障害による犯行」にこだわったのは?
被告・植松聖の鑑定留置が今年の2月20日に終了し、起訴されることになった。異例の5カ月を超える、長期にわたって、植松の責任能力の有無を調べる鑑定留置をおこなった結果は、「自己愛性パーソナリティ障害がみられるが、刑事責任能力はある」という結論だった。
検察は大麻や薬物による妄想性精神障害による犯行で、刑法39条による不起訴を企図していたが、鑑定留置結果を受け、2月24日、植松は起訴された。
検察がここまで植松を刑事責任能力を問えない、精神障害者認定にこだわったのには理由がある。
1つは、この事件が法廷で審理されるとき、2001年の大阪教育大学付属池田小学校事件(宅間守)、2008年の秋葉原通り魔事件(加藤智大)などの事件と違い、障害者に対する差別意識を根底に秘めた、差別的憎悪犯罪(ヘイトクライム)として裁かれることを恐れてのことである。植松自身が、刑法39条の「心神喪失による無罪」を衆議院議長・大島理森あての犯行予告手紙の中で主張していたことを忘れてはならない。
●検察は事件の思想的解明をしたくない・・・
2つめに、この凄惨な事件を精神に障害をもつ者による凶悪犯罪とすることで、精神障害者に対する差別意識を煽り、「まともで普通の人間」ではない者が犯した、特殊で例外的な事件として、犯罪の背景にある差別思想を闇に葬ろうとする狙いがある。
時事通信のネットニュースは次のように伝えている。
「事件当日に逮捕され、鑑定措置を経て起訴された元職員植松聖被告(27)の公判の見通しはついていない。植松被告は最近の取材に改めて障害者の安楽死を訴えるなど、殺害を正当化する考えに変化がないことが明らかになっている。」(時事通信2017年7月26日)
「横浜拘置所(横浜市港南区)に拘留中の植松被告は手紙で取材に応じ、『不幸がまん延している世界を変えることができればと考えた』と記した上で、『意思疎通ができない重度障害者は不幸をばらまく存在で、安楽死させるべきだ』と主張している。」
●障害者殺傷を「社会的正義の実行」と今も述べる被告
いっぽうで植松は、犠牲となった障害者の家族には、表面上、謝罪の言葉をのべるが、殺害し、負傷させた障害者本人に対しては、決して謝罪の言葉を述べない。
それは、自己の犯した行為を、社会正義の実行と信じているからだ。
事件当日、障害者施設の職員には危害を加えないことを明らかにしていることからも、植松が「正義の妄想」に憑りつかれ、「優性思想」を社会的に実現するため、重度障害者をねらった、確信的なヘイトクライム犯罪なのである。
さらにこの差別思想は、在日韓国・朝鮮人、アイヌ民族、琉球民族、被差別部落、LGBTに対するヘイトスピーチ(差別的憎悪煽動)と同質であり、被差別マイノリティすべてに向けられた刃と言わねばならない。
●事件の真相解明を早期にすすめるべき
しかし、裁判をめぐる厳しい情況も報道されている。
「横浜地検は2月、殺人や殺人未遂などの罪で植松被告を起訴。裁判員裁判での審理が予定されているが、横浜地裁での公判前整理手続きは始まっていない。弁護側が再鑑定を求める可能性もあるため、初公判が数年後となることもあり得る」
裁判を早期に開始させ、事件の真相を解明することは、障害者とともにすべての被差別マイノリティに対する差別と排外主義を許さない社会の実現へ向けた重要な闘いである。
今回、事件被害者を匿名報道することの問題と大規模障害者施設がもつ問題点には触れられなかったことをお断りしておきたい。
]]>はじめに
「森友学園」疑獄事件の解明が、直接のかかわりのある安倍政権と官僚のサボタージュによって一向にすすまないなか、4月6日「共謀罪」の審議入りが強行された。
絶対多数を背景に、強権的に強行される人権抑圧法案の成立を許せば、日本がファシズム国家に変貌を遂げたことを象徴する出来事となる。(「緊急事態法」案もまだ生きている)
「森友学園」事件は、その強権的ファッショ政治勢力内部の矛盾が露呈したものだ。
国会内では、安倍首相を筆頭に、すでに政治家の言葉が意味を失っている。議会制民主主義の原理は多数決とする安倍政権の下、ウソがバレても責任をとらないばかりか、居直り、批判を無視する傲慢な姿勢は国会内にも反知性主義が蔓延していることを示している。
*反知性主義とは「客観性・合理性・実証性を無視ないし軽視し、自己に都合のよい物語に閉じこもる態度」それゆえ反知性主義者との対話は成立しない。
きわめて危機的な情況にある日本(世界的にもだが)の政治情況がもたらした最悪のヘイトクライムである相模原障害者殺傷事件について、再び掲載したいと思う。
この事件の容疑者・植松聖は「正義」を遂行することを大島衆議院議長を通じ、安倍首相に伝えるよう頼んでいる。
政府がやりたくてもなかなかできないことを率先して実行するという意志表示。ヘイトスピーチデモを繰り返す「在特会」などと同じ心性をもつレイシストと言ってよい。
異例の7ヵ月以上の長期にわたった精神鑑定の結論が、2月24日に出され、「パーソナリティー障害」が認められるが「完全に刑事責任能力」があると判断され、起訴された。
事件が起きた直後にも書いたが、この事件の原因を容疑者個人の特性にもとめるのは、事件の本質を見誤るばかりか、措置入院制度を厳しくすべきなどの論調は、逆に精神障害者差別を強めることになる。
今回は、この相模原障害者殺傷事件の裁判を注視することも含め、再び取り上げることとした。
●相模原障害者殺傷事件(2016年7月26日未明)
?戦後最悪のヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)
○重度知的障害者の抹殺を直接の目的とした今回の殺人事件は、社会的マイノリティ集団に対する、目的意識性と攻撃性および計画性をもって実行された、戦後最悪の虐殺行為(19人殺害、27人重傷)である。
また、以下にみる歴史的事件と並ぶヘイトクライムである。
○明治初期に起きた「解放令」(1871年 明治4年)反対一揆(俗称・「穢多」狩り)
○1923年9月1日関東大震災時の6千人におよぶ朝鮮人虐殺(中国人、日本人も殺されている。福田村事件〈千葉県野田市で香川県三豊郡から行商に来ていた被差別部落の人たちが虐殺された〉)
?単なる猟奇的な凶悪事件ではない
○1995年、オウム真理教が起こした松本サリン事件、地下鉄サリン事件(松本智津夫/麻原彰晃)
○2001年、大阪・教育大付属池田小学校が襲われ、生徒8人が殺害された無差別殺傷事件(宅間守)
○2008年、車とナイフで7人が殺害された秋葉原通り魔事件(加藤智大)
○古くは、1938年岡山県で起きた津山事件(30人殺害「八ッ墓村」のモデルとなった。横溝正史の『金田一耕助シリーズ』)
これらの猟奇的で動機不可能な凶悪事件と障害者差別を媒介にした相模原障害者殺傷事件を、同列にみてはならない。
?社会的マイノリティ集団に対するヘイトクライム
○2015年6月、米国サウスカロライナ州チャールストン黒人教会銃乱射事件(9人殺害)
○2016年6月、フロリダゲイナイトクラブ銃撃事件(アメリカ史上最悪と言われる50人が殺害された)
この二つの事件は黒人及び同性愛者に対する差別的憎悪犯罪=ヘイトクライムとして裁かれている。
相模原障害者殺傷事件は、上記二つの事件と同じであり、「異常者」の犯行でもなければましてや「テロ」事件ではない。
?犯行の動機に優性思想、背景にヘイトスピーチの蔓延がある
○容疑者・植松聖は、障害者を20万人以上虐殺したナチスドイツ・ヒトラーの優性思想(T4作戦)に心酔し、「啓示」を受け、「正義」を実行したと供述している。精神症状としての妄想ではなく、障害者差別思想にもとづく犯罪なのである。(衆院議長公邸で手渡された手紙[註?]に詳細に記されている)。
さらに付け加えれば、生活保護受給者やニート、非正規雇用、契約社員、派遣労働者など若年層の貧困もその原因が社会構造にあるにも関わらず、自己責任を強調する支配層のイデオロギーによる世論操作などが社会的背景にある。
註?植松聖の手紙
(手紙1枚目)
衆議院議長大島理森様
この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。…中略…
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。…中略…
障害者は不幸を作ることしかできません。…中略…
障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。
(手紙2枚目)
私は大量殺人をしたいという狂気に満ちた発想で今回の作戦を、提案を上げる訳ではありません。全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する決意を持って行動しました。…以下略
(手紙3枚目)
作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前(●●●●)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。
金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えております。…中略…
日本国と世界平和の為に何卒よろしくお願い致します。
想像を絶する激務の中大変恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談頂けることを切に願っております。
○また、植松が経済的合理性を最優先する新自由主義の価値観・社会観=コスト(税金)のかかる非生産的な社会的弱者への福祉政策をムダと切り捨て、排外的人種差別主義者のヘイトスピーチに煽られ、その対象者に憎悪さえ抱いていたことが明らかにされている。
○すべてのの命に意味があり、意味のない命などない。生産性の高低によって命の価値に差をつけ分断してはならない。
?事件を措置入院制度の不備に矮小化してはならない
○世界各国で事件が報じられ、米国ケリー国務長官、ロシア・プーチン大統領など各国要人が次々と追悼の意を表したのは、事件が、障害者に対するヘイトクライムだったからである。
○ところが、日本の社会心理学者や犯罪心理学者は、措置入院が不十分だったとか、妄想性障害や大麻精神病が引き起こした、容疑者個人の特性による犯罪だとする意見をメディアで垂れ流している。措置入院制度をより厳しくすべきという論調は、事件の本質を見誤るばかりでなく、保安処分(社会防衛)の観点から予防拘禁制度を強化することで、逆に精神障害者差別を強めることになり、事件の背景にある社会的要因(優性思想にもとづく障害者差別意識)を隠す役割を果たしている。障害者差別解消法(今年4月)の精神に全く反している。
?相模原障害者殺傷事件は「二重の意味での殺人」
○重複障害をもつ東京大学・福島智教授は、
「一つは人間の肉体的生命を奪う生物学的殺人。もう一つは、人間の尊厳や生命の生存の意味そのものを優性思想によって否定するという、いわば『実存的殺人』です。障害者の尊厳というものが、特別に存在するわけではありません。あるのは、人間の尊厳であり、人間の生きる意味と権利です。そして、障害者はまさしく人間です」
と語る。(7月28日フジテレビ系「ユアタイム」より)
?公人によるあいつぐ差別発言
・神奈川県海老名市議会の鶴指副議長の、同性愛者は「異常動物」との差別発言
・茨城県教育委員の銀座日動画廊・長谷川智恵子副社長の、「障害のある子どもの出産は防ぐべき」との差別発言、
・石原慎太郎都知事が、府中の重度知的・身体障害者療育施設を訪れた際に放った「ああいう人ってのは人格あるのかね」発言(1999年/精神障害者団体から強く抗議されている)。
(*以上は研修などに使用している相模原障害者殺傷事件についてのレジュメに補筆したもの)
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■トランプと仲良く突き進む「自由・民主主義・基本的人権・法の支配」の破壊
2016年11月20日、アメリカ大統領で、人種差別、宗教差別、女性差別的言辞をまきちらし、ヒンシュクをかい、品格をうたがわれていたドナルド・トランプが、接戦の末、大統領にえらばれ、世界に衝撃がはしった。
今年2月9日、安倍首相はトランプ大統領と2度目の首脳会談をおこなうため訪米。目的は安倍首相がつねづねお題目のように唱えている「自由・民主主義・基本的人権・法の支配などの普遍的価値」をトランプ大統領と確認しあうことにあり、そして会談は成功裏に終わった、と誇らしげに発表された。
事実はどうか。
議会を無視し、移民・難民の排斥などの大統領令を発動する政治姿勢は「民主主義」ではないし、特定のイスラム教国を標的に入国を禁止するのは「普遍的価値」である「基本的人権」の侵害であり、「自由」の制限である。さらに大統領令を執行禁止にした裁判所を罵倒するのは「法の支配」に対する暴挙であろう。
■第2次安倍政権下で頻発するヘイトスピーチ
安倍内閣で民意を無視して強行された特定秘密保護法、安保関連法制、そして沖縄海兵隊の辺野古への強制移転、権力濫用により無法地帯と化した高江のヘリパット基地建設、さらに共謀罪、緊急事態法の成立をもくろむ安倍首相。
今回の首脳会談であきらかになったのは「自由の抑圧、民主主義の破壊、基本的人権の侵害、法の支配の無視」という共通の価値観で、両首脳が深く結びついていることである。
アメリカ国内ではトランプ政権誕生以来、人種差別、イスラム差別などが激しさをましていると報道されている。
日本はどうか。日本社会に差別・排外主義が蠢動(しゅんどう)をはじめたのは2006年9月の第一次安倍政権成立と時期を同じくしている(レイシスト団体「在特会」設立は同年12月)。以降、それまでのネット空間から公然とリアル空間で、差別と排外主義的蛮行がくりかえされてきた(2009年京都朝鮮初級学校襲撃事件など)。
そして第二次安倍政権発足を待っていたかのように、路上での醜悪なヘイトスピーチが頻発するようになる(昨年6月の「ヘイトスピーチ対策法」成立とカウンター行動によりヘイトデモは減少している)。
■相模原障害者殺傷事件
昨年7月26日未明、神奈川県相模原市にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で障害者19人が殺害され、27人が重傷を負うという戦慄すべき凶悪事件がおきた。
かつてこの施設の職員だった容疑者の植松聖は、重度知的障害者の殺害を“正義”とする目的意識と計画性をもって凶行におよんでいる。
「障害者は迷惑だ、税金がかかりすぎる、生きている価値がない」ので、社会のため、国の政策のため「安楽死」させるしかない、と大島衆議院議長あての手紙に犯行動機をあきらかにしている。
日本社会に蔓延する、新自由主義を信奉する経済合理性的価値観・社会観は、費用(税金)のかかる社会福祉をきりすてるばかりか、その対象者に憎悪さえいだき、今回のようなヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)を惹き起こす要因となる。
この凶行の矛先は、いま在日韓国朝鮮人、アイヌ民族、琉球民族、被差別部落そして「生活保護受給者」に突きつけられている。
相模原障害者殺傷事件の背後には、差別・排外主義のヘイトスピーチが蔓延している社会状況がある。植松容疑者がフォローしていたツイッターには多くの札付きの差別排外主義者の名前があったが、百田尚樹の名があったことは、とくに記しておきたい。
■「土人」「シナ人」発言、遺憾から容認へ 政府姿勢の変化
日本社会を震撼させた障害者殺傷事件から2か月余りたった昨年10月18日、高江のヘリパット建設現場で抗議行動をしている沖縄住民にむかって、「土人」「シナ人」という耳を疑うような差別的暴言が、公権力の大阪府警機動隊員から投げつけられた。
この差別的暴言の扱いをめぐって、差別排外主義的風潮に、質的な変化が起きたことがあきらかになった。
当初、金田法務大臣や菅官房長官は「不適切で許すまじき」発言と、遺憾の意を表明していた。日本維新の会代表で大阪府の松井一郎知事は「出張ご苦労様」などと、機動隊員をかばう発言をしていたが、大阪府警本部は暴言を吐いた隊員2名に、軽いとはいえ懲戒処分を科した。
一方で、鶴保沖縄担当相は一貫して「土人」発言を「差別発言と断定できない」とひらきなおり、国会答弁でも同様の発言をくり返していた。
ところが11月22日、政府は一転して鶴保担当相の発言を閣議決定で容認するに至った。
この政府の姿勢の変化の根底に、沖縄に対する差別意識の先鋭化がある。
■「ニュース女子」デマ報道の背景
そして2017年新春を迎えたばかりの1月2日、東京MXテレビ「ニュース女子」が「沖縄基地反対派はいま」と題し、ヘリパット基地建設反対運動をろくに取材もせず悪意をもって取りあげた。
「反対派は職業的で日当をもらっている」「韓国人がなぜ反対運動に参加するのか」など聞くに堪えない嘘とデマ、差別と偏見に満ちた内容だった。
この番組は、名指しで中傷をうけた「のりこえネット」の辛淑玉さんの訴えなどもありBPO審議対象となったが、このような一線を越えた醜悪な番組を、公然と公共電波にのせたことの犯罪性と差別性は徹底的に糾弾されてしかるべきだ。しかし、東京MXテレビは反省するどころか、司会者の東京新聞論説副主幹・長谷川幸洋ともども居直っている。
現下、沖縄にたいする構造的差別のおもな内容が、押し付けられた膨大な米軍基地の存在であり、おもな特徴は、「土人」「シナ人」発言に象徴される琉球民族差別であることは、言うまでもない。この沖縄にたいする差別は、日本における在日韓国・朝鮮人差別、障害者差別、アイヌ民族差別、部落差別などあらゆる差別と地続きである。
以下、3月3日付『琉球新報』に掲載した記事内容を引用させていただく。
琉球新報2017年3月3日
■沖縄ヘイトの底流にあるもの
1945年、沖縄戦終結間近の6月6日、
「沖縄県民カク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と大本営に打電し自決した大田実少将の“美談”は、「本土」でもよく知られている。
もう一つあまり知られていない電報がある。同年6月21日付で大本営から守備隊司令官牛島満中将宛てに送られた電報だ。
「松代はほぼ完成する。貴軍の忠誠に感謝する」という内容だった。
受けとった牛島中将はその2日後に自決し、その日はいま沖縄慰霊の日となっている。
「松代」とは米軍との本土決戦に備え、大本営を東京から信州松代に移し、巨大な地下壕に造られた松代大本営のこと。この突貫工事には7千名を越える朝鮮人労働者が徴用され、過酷な強制労働により多くの犠牲者を出しているが、その全容は未だ解明されていない。
先の大本営電文からは、軍民合わせ19万人におよぶ戦死者を出し苛烈をきわめた沖縄の地上戦が、この松代大本営を完成させるための時間かせぎであり、沖縄が本土の“捨て石”にされたことが読みとれる。
なぜこのような残酷な軍事戦略を遂行しえたのか。それは沖縄にたいする植民地的差別意識ぬきには語れないが、私自身、それがわかるまでには少しばかり時間を要した。
■「本土」的目線で見えなかった沖縄差別
私が沖縄とはじめて向き合ったのは、70年安保と共にあった沖縄返還運動からだが、その時の合言葉は〈祖国復帰運動〉としての「沖縄を返せ」であり、沖縄差別という問題意識は持ちえなかった。
その後、部落解放運動にとりくむ中でも、アイヌや在日コリアンの民族差別とは少し位相が違うという認識で、沖縄問題の根本には米軍基地の存在があり、その撤去こそが問題解決への道であると単純に考えていた。しかし、普天間基地移転の「最低でも県外」が否定され、県民の意志と願いを踏みにじり、辺野古移設が強行されるにおよんで、膨大な米軍基地の存在は、日本の中央政府の沖縄にたいする差別政策の結果であることを実感した。
■「暴言容認と沖縄への弾圧は連動している
今年1月2日、東京MXテレビ「ニュース女子」が基地建設反対運動をろくに取材もせず悪意をもって取りあげた。
この番組はBPOの審議対象となっているが、一線を越えた醜悪な番組を公然と公共電波に乗せたことの犯罪性と差別性は徹底的に糾弾されるべきだ。このような番組が放送された背景には、「土人」という差別的暴言をめぐる政府見解の変更があるのではないかと思っている。
昨年10月、高江のヘリパット建設現場で抗議行動をしていた住民に、「土人」「シナ人」という耳を疑うような差別的暴言が、公権力の大阪府警機動隊員から投げつけられた。
「土人」という差別語は、沖縄にたいする中央政府の植民地的差別を表象する言葉であり、1879年の琉球処分以降の沖縄差別の歴史と現実が塗りこめられた言葉だ。
当初、菅官房長官は「不適切で許すまじき」発言だと遺憾の意を表明し、大阪府警本部は暴言を吐いた2名に懲戒処分を科した。ところが、鶴保沖縄担当相は「土人」発言を「差別発言と断定できない」と開き直り、国会でもくり返し答弁し野党から追及されていたが、11月18日、政府は一転して、鶴保担当相の発言を閣議決定で容認するに至った。
安倍政権が急変した要因は何か。
一つには、人種・性・宗教(イスラム)差別など差別的言辞をまきちらし、PC(ポリティカル・コレクトネス/言葉に含まれる差別的要素を改革する運動)をあざ笑うトランプのアメリカ大統領当選がある。差別排外主義を煽るトランプの政治姿勢を評価する安倍首相は、その当選後に態度を一変させた。
さらに、沖縄への政治的抑圧の激化がある。
基地反対運動のリーダー山城博治さんら3名の違法かつ異常な逮捕・長期拘留は、戦前の治安維持法下の予防拘禁を思わせる。
機動隊員の暴言を容認する流れと、基地反対運動にたいする強権的弾圧は連動している。
沖縄が直面している厳しい現実を前に、「本土」も徐々に無関心から抜け出しつつある。
在日コリアンなどへのヘイトスピーチに抗議する人々が、沖縄差別にも目をひらき、沖縄に振り下ろされている剥きだしの権力の横暴に怒りの声をあげ、行動に移している。
昨年12月、高江のヘリパット建設現場で座り込み抗議行動に参加したときに思い出したことがある。
なぜヘイトスピーチ反対行動(カウンター)に参加しているのか?と聞かれ、「『朝鮮人を殺せ』などの発言は、人として、人間として許せないでしょう」と語る仲間の姿だった。かれらは、差別を、政治的イデオロギーや理屈ではなく、直観と感情で見抜き、自立的に沖縄に向かっている。「人として許せない」と語った仲間はいま、那覇拘置所で、次の闘いにそなえ充電している。
差別を許さない固い絆で、「本土」と沖縄は、結ばれている。
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■法案名に「部落差別」が入れば意義ある法律か
2016年12月、自民・公明・民進3党共同提出の「部落差別解消推進法」が参議院本会議で可決成立した。
法律は第1条から6条までの短いもので、その2条〈基本理念〉で、基本的人権が尊重されるべきとの理念にのっとり「部落差別を解消する必要性に対する国民1人ひとりの理解を深めることにより部落差別のない社会を実現すること」を目的としていると書かれている。
この法案を推進してきた部落解放同盟中央本部は、初めて「部落差別」という言葉が入った意義ある法律だ、と手放しで自画自賛している。はたして本当にそうか?まったくの茶番である。
(二階俊博の自民党幹事長就任などを祝うごく内輪の会。鏡割りのおかげで部落差別解消推進法成立? 写真右から3人目・二階俊博自民党幹事長、4人目・組坂繁之解放同盟委員長 2016年9月25日)
まず法案成立の背景を明らかにしておこう。
自民党安倍政権下で遅々として進まない国内差別人権問題に対し、直近では2014年7月の国連自由権規約委員会及び8月の国連人種差別撤廃委員会から厳しい勧告が発せられている。
さらに、2014年にIOCがオリンピック開催都市契約に差別禁止条項を追加したこともあり、2020年東京オリンピック開催にむけ早急に国内における差別・人権問題に一定の法整備を迫られる中、障害者差別・在日韓国朝鮮人差別・部落差別・アイヌ民族差別・LGBT差別などの法律制定に向け急速に動き始めていた。
とくに、2016年4月に施行された障害者差別「解消法」は、国連障害者権利条約(2006年)を受け、障害当事者が法案制定過程の政策委員会・政府機関に多数かかわり、それを障害者団体の運動が支えるかたちで実現した。
当初、「障害者差別禁止法」だったのが、障害者団体側の意向を踏みにじり、強引に「解消法」と名称は変更された経緯がある。しかし、名より実をとることで、不充分点はあるものの、障害者差別撤廃に画期をなす法律となった。
■社会運動で闘い取られたヘイトスピーチ対策法
そして、6月には在日韓国・朝鮮人など日本に住む外国人に対する排外的なヘイトスピーチに対し、多々問題点はあるものの(*本連載186回参照)、ヘイトスピーチ対策法が成立した。
この法律が制定される前段で、当事者およびカウンターの人々による裁判闘争の中で、「人種差別撤廃条約第1条第1項のいう人種差別」に該当する、との判決を克ちとっている。(京都地裁・大阪高裁。2014年12月最高裁がこれを認定した。)
ヘイトスピーチ対策法は、国連人権機関からの圧力を背景に、ヘイトデモ現場で身体を張って闘ってきた当事者・カウンター・学者・文化人の社会運動が、国会内での有田芳生議員らの「人種差別撤廃施策推進法」と連動した運動が生みだした法律である。
そして、アイヌ民族差別撤廃も、アイヌ当事者も多数参加して内閣官房に設けられた「アイヌ政策推進会議」が開かれており、早晩、法制定にむけて動きはじめるだろう。
いっぽうで、LGBT差別撤廃は停滞している。稲田朋美政調会長(当時)の肝いりで、自民党内に小委員会が作られたものの、伝統的家族制度を尊重する党内の反対に押され、ペンディングとなっている。
以上見てきたように、障害者差別解消法、ヘイトスピーチ規制法と、いま論議されているアイヌ民族の権利確立、さらにオリンピック憲章をはじめ、「性的指向」による差別禁止を求める国際的圧力によるLGBT差別禁止などの、いわゆる人権関連法案は、2020年のオリンピック・パラリンピック開催前には成立する可能性が高い。
■「差別はいけません」――道徳訓示レベルの条文内容
では「部落差別解消推進法」は、どのような背景や「制定要求運動」の中から出されてきたのか。
きっかけは2015年11月、東京平河町で開かれた和歌山県人権フォーラムで、稲田朋美自民党政調会長(当時)が記念講演し、ここで部落差別を個別法として法整備することに前向きな姿勢を示し、二階総務会長(当時)のイニシャチブの下、自民党内に部落問題に関する小委員会が設置されたことに始まる。
そして2016年5月、突然、与党案「部落差別解消推進法案」として提出されたのである。
与党案は、一読して具体性に乏しい。差別禁止規定も罰則規定もない。
ありきたりの「差別はいけません」的な道徳訓示レベルの文言が並ぶのみである。
■「国と地方公共団体の責務」がない「部落差別解消推進法」
部落差別が許されない社会悪であることは、同和対策審議会答申(1965年)が、半世紀前に、はっきりと述べている。
「いうまでもなく同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。〈中略〉その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」
「同和問題の解決は国の責務である」と、高らかに謳いあげ、この答申に基づいて1969年に「同和対策特別措置法」が成立し、2002年まで部落差別撤廃のとりくみがなされてきた。
そして、特別措置法の失効を前に、2000年11月、人権教育推進啓発法が成立した。
この「啓発法」は、その目的を第1条で、憲法第14条をもとに、「社会的身分・門地・人種・信条または性別による不当な差別の発生等の人権侵害の現状」に対し、「国・地方公共団体と国民の責務」を明らかにし、「必要な措置を定め、もって人権の推進に資することを目的とする」と、明確にのべている。
この啓発法では、「国と地方公共団体の責務」として、
「人権教育及び啓発に関する施策を策定し、及び実施する責務を有する」とし、その上で 「財政上の措置」(第9条)を講ずることを、明記している。
ところが、今回の「解消推進法」では、それが「情報提供と助言の責務」に後退している。
たとえば、第3条「国および地方公共団体の責務」では、
「国は、前条の基本理念にのっとり、部落差別の解消に関する施策を推進するために必要な情報の提供、指導および助言を行う責務を有する」
「2.地方公共団体は〈中略〉その地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるものとする」
となっている。(下線筆者)
つまり、国は、地方公共団体に対し、「情報の提供、指導および助言を行う責務を有し」、地方公共団体は「施策を講ずるよう努める」という努力目標に、とどまっているわけである。
■解放運動の生命線「糾弾権」を封じることが狙い
では、なぜ今、このような無内容な法案が、自民党主導で提案されたのだろうか。
それを象徴したのが、昨年12月6日、参議院法務委員会で行われた参考人質疑だった。
なんと解放同盟の中央書記長は、自民党の推薦を受けての出席だった。
そこでの発言で強調していたのは、「我々は事業法を求めているのではない」ということだった。
つまり、「財政上の措置」をハナから放棄しているのである。法案の空念仏性が益々明らかにされている。
さらに憂慮すべきは、この法案の付帯決議だ。そこには次のように書かれている。
「1.部落差別のない社会の実現に向けては 〈中略〉 過去の民間運動団体の行き過ぎた言動等、部落差別の解消を阻害していた要因を踏まえ、これに対する対策を講ずることも併せて、総合的に施策を実施する」
これは事実上、部落解放運動の“生命線”と言われてきた糾弾を否定するということであり、つまり、この法案の狙いは、部落解放運動の命脈を断ち、体制内に取り込むところにある。
法律制定をめざす闘いの過程は、めざすべき法律の内容を規定(反映)する。
じっさい、この法案を提案した自民党議員は、衆議院法務委員会で、臆面もなく、つぎのように言い放っている。
「この法律は理念法に留めた。したがって、財政の援助あるいは処罰はない。ご懸念(同和対策事業の復活や確認・糾弾の根拠になる)されたような糾弾、これも一切ないように心掛けて条文を作った」
■事実上の部落解放運動抑圧法
突然ふって沸いたような「部落差別解消推進法」は、その背景を見れば明らかなように、自民党主導で、しかも札付きの差別者・稲田朋美現防衛大臣などを前面に出し、現自民党幹事長の二階俊博が音頭をとって作り上げた、部落差別撤廃運動にまったく役立たない、部落解放運動抑圧法と言ってよい。
そして、罰則規定や救済規定のない単なる理念法というだけでなく、この法律の制定によって、部落解放運動の生命線である糾弾を封じることを直接の目的として自民党から提出された、という危険性をもつ。
法案内容について、反対の共産党を除き、野党民進党からの修正案も出された気配もないし、すり合わせた形跡もない。自民党二階派と解放同盟中央の一部幹部との密室での談合で成立したと言ってよい。(自民党の関係組織である自由同和会ですら法案成立は失敗だったとしている)。
解放同盟中央は、解放運動をしているというアリバイ作りにこの法案を利用しているに過ぎず、実体的に安倍政権に取り込まれている。(あれほど人権擁護法案など人権関係法案に強固に反対していた安倍首相も、この法案については直に了承している。)
部落差別を許さない法制定をめざす闘いの過程は、成立した法の内容に反映される。
法制定を推進してきた部落解放同盟中央本部の存在意義が問われている。
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■トランプ勝利
アメリカ大統領選で、人種差別、宗教差別、女性差別的言辞をまきちらし、ヒンシュクを買い、品格を疑われていたドナルド・トランプが、接戦の末、次期大統領にえらばれた。
大方の予想を裏切る結果に、政治評論家たちはうろたえていた。
新自由主義的政策とグローバリズムによる社会的格差の拡大は、富の独占的集中と中間層の没落をまねき、最底辺に呻吟(しんぎん)する超貧困層を大量に生みだした。
とりわけ、トランプを支持したとされる“プアーホワイト”層は、支配的エスタブリッシュメントのエリート層に反発し、ヒラリーではなく、トランプの毒舌に心中ひそかに快哉をさけび、それが投票行動にむすびついたとされる。
いっぽう、選挙戦で、トランプとの誹謗中傷合戦の泥沼に引き込まれ、21世紀の世界におけるアメリカの生き方の問題をまったく打ち出せなかったヒラリーは敗れた。
ヒラリーに対する真っ当な批判は、民主党のもう一人の候補者バニー・サンダースが、ウォール街の支配者との対決をうちだし、教育・社会福祉の充実を訴え、圧倒的に若者の支持を得ていた社会民主主義的な政策にあった。
(今さら)言ってもしようがないが、サンダースvs.トランプの対決だったら、選挙結果はちがったものになった可能性もある。
■PC(ポリティカル・コレクトネス)に抑えつけられていた「鬱憤」
今回、連載差別表現でふれておかねばならないと思ったのは、エリート層であるエスタブリッシュメントの支配層が、新自由主義とグローバリズムを推し進めるいっぽうで、PC(ポリティカル・コレクトネス)、すなわち用語における差別偏見を取りのぞき政治的に公正で中立的な用語使用運動を積極的に推進し、表向きは、人種・宗教・性などの差別と排外主義に反対する立場をとっていた。
ところが、トランプがまったくPC(ポリティカル・コレクトネス)を無視した暴言を吐きながら当選したことにより、いままでPCに押さえつけられていた鬱憤(うっぷん)をはらし、“もの言えない閉塞”した社会状況に風穴を開けてくれたとカン違いした低・中間層の白人を中心に、PCを否定し、差別発言や差別的行為が激増しているという。
■差別意識を指摘され自尊心を傷つけられた知識人が叫ぶ「快挙」
予想されていたとはいえ、憂慮すべき事態である。
しかも、日本においてもトランプの差別発言に同調し、公然と差別表現を行う“知識人”まで現れた。
ポリティカル・コレクトネスは、誰が主張しているかに関係なく、いわば「言語の民主化」運動であり、言語表現された社会的差別に対し、それを是正するとりくみであり、積極的に推進されなければならない運動である。
トランプ氏の勝利を歴史的快挙と評価する藤原正彦氏は、『週刊新潮』(11月24日号)の「管見妄語」で、次のようにのべる。
ここ三十年間のアメリカそして世界に跋扈したグローバリズム(ヒトモノカネが自由に国境を越える)およびPC(ポリティカリー・コレクト、ありとあらゆる差別や偏見をなくすこと)への反乱であったのだ。
(中略)
またPCという「きれいごと」により、英米ではミスやミセスがなくなり、日本でも盲滅法が使えなくなるなど大々的な言葉狩りが行われた。それどころではない。PCに抵触したとメディアに判断されれば、即刻差別主義者として俎上にのせられ、社会的制裁を受けるようになった。例えば移民の抑制を口にしただけで、非人道的な差別主義者ということで吊るし上げられるから、誰もが口を閉ざすこととなった。PCにより人々はもはや本音で語ることが難しくなっている。
この閉塞感とグローバリズムのもたらした悲惨に敢然と立上がったのが、移民排斥と自由貿易協定破棄を掲げたトランプであり、移民とEUのグローバリズムに反逆した英国民だったのだ。
(「管見妄語」二つの快挙 『週刊新潮』11月24日号)
■あいもかわらず“言葉狩り” 批判
「日本でも盲滅法が使えなくなるなど大々的な言葉狩りが行われた」と、藤原氏はのべる。
しかし、私がこのウエブ連載で何度もふれたように、“言葉狩り”をおこなったのは、被差別者の抗議に真正面から向き合わず、言葉の問題に矮小化したメディアの側である。
差別語を禁句にすることによって、差別語の背後に潜む差別の実態から目をそむけ、差別そのものを隠蔽(いんぺい)したのだ。
差別発言をすれば、抗議・糾弾するのは被差別マイノリティの当然の社会的権利であり、差別表現をすれば、発言者や執筆者が社会的制裁を受けるのは民主主義社会の成熟を意味しているのであり、その逆ではない。
〈 ところが、12月に成立した「部落差別解消推進法」では、その付帯決議に、なんと「過去の民間運動団体の行き過ぎた言動等、部落差別の解消を阻害していた要因を踏まえ、これに対する対策を講ずることも併せて、総合的に施策を実施する」という文言がもり込まれている。
この付帯決議の意味するところは、糾弾権の否定であり、自民党主導でなされたこの法案のねらいが、事実上、解放運動の抑圧にあることは明白であろう。
糾弾権は被差別マイノリティの社会的権利であり、運動体の生命線である。
これは不可解きわまりない話で、その背景にはいったい何があるのだろうか? これについては、次回のウェブ連載でのべることにしたい。〉
話を戻そう。
藤原氏はPCによってホンネで語ることが難しくなり、閉塞感がもたらされていた状況に、トランプが「敢然と立上がった」と、快哉をあげている。
しかし、ホンネであろうがなかろうが、差別表現は抗議され、社会的制裁を受けるのは、民主主義社会の原則である。
藤原氏のこの論理を突きつめれば、ヘイトスピーチは閉塞感を打ち破る良いことであり、カウンター行動やヘイトスピーチ対策法は、「言論・表現の自由」を圧迫する「悪業」「悪法」であるということになる。
グローバリズムにしがみつく人々とその体制を倒してくれるなら、無教養の成金オヤジでも誰でも構わない。セクハラでも差別でもなんでもよい。彼等の怒りはそれほどまでに深かったのである。(『週刊新潮』11月24日号「管見妄語」)
とは、トランプを支持したアメリカの白人層に仮託して、藤原氏が自らの心境を吐露しているに過ぎない。
「セクシストでも差別者でもなんでもよい」とは、公然と差別を肯定する発言であり、看過できない。
■「『土人』発言は差別と断定できない」――鶴保沖縄担当相答弁を承認
この発想からは、10月25日、沖縄・高江のヘリパット基地建設に反対する住民に向かって、大阪府警機動隊員が吐いた「土人」「シナ人」も、PC運動がもたらした「閉塞感」を突きくずす積極的な発言ということになる。
それを受けてかどうか、政府は、大阪府警機動隊員による「土人」発言について、鶴保沖縄北方相の「土人、差別と断定できない」との発言を容認した。そして、鶴保氏の謝罪は不要とする答弁書を閣議決定している(2016年11月22日付・朝日新聞)。
大阪府警機動隊員の「土人」発言は、トランプが当選する前の事件であり、その時点では、大阪府警も「土人」「シナ人」発言をした機動隊員二人に対して、もっとも軽い処置とはいえ、懲戒処分としている。
つまり、公務員としてふさわしくない差別発言だと認めていたのである。
それが、トランプ当選以後には、一転、「『土人』を差別発言と断定できない」としたのである。
これは、差別表現とヘイトスピーチに反対する運動にとって、見逃せない重大な変化と言わねばならない。
■PC(ポリティカル・コレクトネス)と差別表現のちがい
ポリティカル・コレクトネスには、たとえば、Miss(ミス)/Mrs.(ミセス)のように、女性にだけ未婚か既婚を区別してつけていた敬称を、Ms.(ミズ)としたようなものがある。
男性の場合は、未婚か既婚かに関係なく、Mr.(ミスター)であるのに、なぜ女性は未婚か既婚が問われるのか。ミス/ミセスは、男の側が女を価値づけする言葉なのである。
(藤原氏は「PCという『きれいごと』」として腹の虫がおさまらないようだが、その感情こそ性差別意識の正体であろう。)
このように、ポリティカル・コレクトネスは、性別にかんするバイアスのかかった言葉などを、中立的な言葉に変える言語改革運動である。
それに対して、差別表現は、人種・民族、性、宗教、障害者、被差別部落、ハンセン病者など、マイノリティに属する特定の個人や集団を侮辱し、社会的に排除するものである。
たとえば、かつて、「ユダヤ人はシラミ」というユダヤ人に対する差別的言辞が、ナチスによってまき散らされた。
この差別表現は、ユダヤ人を排外攻撃の標的とするヘイトスピーチ(差別的憎悪煽動)として、600万人以上にのぼるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を惹き起こしたのである。
差別表現は、相手の心を傷つけるだけにとどまらず、肉体の殲滅(せんめつ)に至らしめるものである。
■『差別感情の哲学』――自分の中にうごめく感情を抉り出せ
差別意識をもたない人はいない。しかし、自分が差別意識をもっている(もたされている)ことを自覚しつつ、絶えずそれを自分自身に問い続けることが重要なのだ。
前回のウェブ連載で、藤原氏の「ジプシー」という差別語の使用のしかたを、私は批判した。
氏がその指摘に腹を立てたのかどうかはさておき――腹を立てるのはかまわないが――、なぜ自分がその言葉を選択したのかを、藤原氏には自己分析していただきたい。
『差別感情の哲学』で、哲学者・中島義道は、自分の中にうごめく差別感情を抉り出せと語り、つぎのように書いている。
言葉は人を傷つけることが「できる」ものである。場合によっては、人を絶望に落とし入れ、殺すことさえ「できる」ものである。それを誤魔化しなく見ることがまず必要である。その上で、各自がどのようにして過度に他人から危害を受けることならびに過度に他人に危害を与えることを避けうるか、しかも自分の誠実性を決定的に破壊せずに、こうした問いがわれわれに突きつけられているのだ。
(中島義道著『差別感情の哲学』講談社学術文庫 184頁)
「差別のない社会」などない。
ポリティカル・コレクトネスや差別表現をめぐっては、すべての人間が、何らかの差別感情・優越意識・嫌悪感から逃れられないということを前提として、一人ひとりが永続的に葛藤することを課せられているということである。
藤原氏は、ポリティカル・コレクトネスに抑えつけられていた「鬱憤」や「閉塞感」の中身を、自分自身への問いとして、よくよく吟味すべきなのである。
差別表現〜差別的憎悪煽動(ヘイトスピーチ)は、社会の調和を乱し、対立を煽り、そして、人間の精神と肉体を、根底から破壊する。
*PCと差別表現、ヘイトスピーチについては『最新 差別語・不快語』に詳述しているので興味ある方はそちらを参照してほしい。
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■藤原正彦氏の『週刊新潮』コラム「管見妄語」
藤原正彦氏が『週刊新潮』(2016年10月20日号)のコラム「管見妄語」で、再びロマ民族について差別的な記述をしている。3年ほど前にも同様の記事を書いていたが、今回は、より念入りにロマ民族に対する差別的な描写をおこなっている。
「外国へ行く時、金銭をどう携帯するかはいつも問題である」、との書き出しで始まるコラムは、新婚旅行先のローマで、尻ポケットに入れた財布を狙って「尻につられて寄ってきたジプシーの子供の一団を『この野郎』と一喝したら、助けを乞うような表情をして逃げ出した。」
さらに、
「7年前にはローマでジプシーの若い女が、歩道で私にスッと身体を寄せて来た。……ふいにポケットに手が伸びた。瞬間に意味不明ながら『ダー』と叫んだら泣きそうな顔をして退いた。」
この「ウェブ連載差別表現」第1回が「ジプシーという言葉について」であり、その後も折に触れて「ジプシー」という差別語を使用した差別表現について書いているが、基本的な部分を再録しておく。
■「ジプシーという言葉について」――第1回連載差別表現より抜粋
……それはさておき、まずは「ロマ・スィンティ」民族の呼称の歴史と現状について、見ていくことにしましょう。
ヨーロッパ全域で暮らす少数民族に「ロマ」(「ジプシー」)がいます。「ジプシー」という言葉は「エジプトからやってきた人」つまり「エジプシャン」という誤解から発生し、差別的な意味あいをもつ言葉として認知されています。
それにかわって、彼らが自称する「ロマ」が公称です(「ロマ」という言葉は、ロマの言語であるロマニ語で「人間」を意味しています)。もともと、インド北西部(パンジャブ地方)を発端の地とし、10世紀ごろ(6〜7世紀という説もある)から移動を開始し、現在1000万人を超えるロマ民族が、ヨーロッパ各国・西アジア・北アフリカ・アメリカなどに広く居住しています。
ヨーロッパでは「ジプシー」という呼称が「劣等民族」「泥棒」「不道徳者」という認識の下、蔑称として使用されてきた歴史があります。現在「ジプシー」と“他称” されている人々の呼称は、11世紀ころギリシャにあらわれた彼らに対し、ギリシャ語で「異教徒」を意味する“アツィンガノス”(「不可触民」という意味もある)と呼んだことに端を発しています。その後、ヨーロッパ各地で多様なバリエーションをもって、「ツィゴイナー」(ドイツ)、「ジタン」(フランス)、「ジプシー」(イギリス)など差別的に他称されるようになったわけです。
21 世紀の2010 年にも、フランス政府がEU憲法違反にもかかわらず、8000人以上のロマを国外に強制追放するなど、ヨーロッパ諸国で生活するロマ人への不公正なあつかいと排斥がつづいています。
日本でも大手旅行会社がヨーロッパ旅行にさいして、事前配布した資料のなかに「ジプシー」を犯罪者とみなした記事を掲載し、抗議された例も一つや二つではありません。
■不埒なスペイン野郎
今回の藤原氏の記述は、イタリア・ローマでの出来事にかかわって、「ジプシー」を犯罪者集団のように描いているが、スペインで起きた同じような状況のときには「不埒なスペイン野郎を叩きのめすべく、空手の闘う構えをとった。」と記している。スペインにも「ジプシー」(ヒターノ)がいるにもかかわらず、表記していない。
スペインだけでなくどこの国でも、どの民族にもスリや犯罪者がいるのは当たり前のことであり、この場合、藤原氏の怒りはスペイン人の中の「悪者」「犯罪者」に向けられている。
ところが、前記イタリア・ローマの事例では「不埒なイタリア野郎」ではなく「ジプシー」と決めつけて書いている。「ジプシー」表現は、その呼称の差別性ととともに、ロマ民族全体が「悪者」「犯罪者」であるとの予断と偏見をもって語られている。ロマ民族に対する差別の歴史は長く、今も厳しい差別が存在していることは、くり返し、この連載でも述べてきた。なぜ藤原氏は、イタリア・ローマでの出来事にかかわって、「スペイン野郎」と同じく「イタリアの悪ガキ」「イタリアのスリ女」と書かないのか。
■アウシュビッツ「ジプシー家族収容所」
ナチス・ドイツが、ユダヤ人600万人、ロマ民族(「ジプシー」)60万人、そして知的・精神障害者、同性愛者など20万人を虐殺したことはよく知られている。(1943年2月、アウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所B?e区域に「ジプシー家族収容所」を開設)
ナチスは「ジプシー」を先天的犯罪者種族ととらえ、その民族の抹殺まで計画したのだ。特定の民族を犯罪者集団視するのは、ナチスの優性思想にもとづく明らかな民族差別行為であることを知るべき。
「子供をさらうジプシー」「犯罪者集団ジプシー」と、中世から蔑まされてきたスィンティ・ロマが、ナチス・ドイツの人種優生思想により、ユダヤ人と同じく「劣等人種」と見なされ、60万人近く虐殺された事実は、ユダヤ人600万人虐殺の陰に隠れ、ヨーロッパでも認知度が低いという (その背景には、今なお「ジプシー」に対する強い差別意識がある) 。
当時スィンティ・ロマは、ユダヤ人の「ダビテの星」と同じく、「ジプシー」と明記した黄色の腕章を付けることを強制させられていた。
今、現にEC諸国内で最も迫害を受けているのがロマ民族であるという事実を前に、このような「ジプシー」(ロマ)全体を犯罪者と決めつけることの意味を考える必要があろう ロマ民族差別を助長する差別表現と抗議されても当然である。付け加えておくが、藤原氏は、なぜ、財布を狙った少年や女性が「ジプシー」と認識できたのか、疑問に思うが、それは重要なことではない。問題は、悪事を行おうとしたのが「ジプシー」だったかどうかではなく、問われているのは、犯罪者=「ジプシー」という予断と偏見(差別意識)を藤原氏が持っているということ。ロマ民族〈「ジプシー」〉に対する差別意識を持たされていることを自覚すべきだ。
これでは、「ヨーロッパで行われている幼児の誘拐はジプシーたちの新しい仕事」との暴言を吐いた石原慎太郎と同じ、差別的心性の持ち主と言われてもやむを得ない。軽妙洒脱な文章がだいなしである。
今現在も「身元を明かせば社会的に不利」な状況におかれ、差別されることを恐れるスィンティ・ロマ民族構成員の過半数が、身元を隠さざるを得ない厳しい現実がある。
1901年(明治34年)、日本の長崎に初めて「ヂプシー」の一行が「舶来」したとき、「西洋の穢多」と新聞に紹介されたことの意味を考えるべきであろう。
金子マーティンさんの近著『ロマRoma〜「ジプシー」と呼ばないで』(影書房)を読んで、考えてもらいたいと思う。
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○「ボケ、土人が」――大阪府警機動隊員の差別発言
2016年10月18日午前、沖縄県東村・高江のヘリパット基地建設反対運動を闘っていた沖縄住民に対し、大阪府警から派遣されている機動隊員が「どこつかんどんじゃ、触るなボケ、土人が」と度し難い差別発言を行ったことが判明した。
音声も確かで、暴言を吐いた機動隊員の顔も鮮明に映っている動画は、観るのも聞くのもおぞましい。
沖縄を構造的に差別してきた「本土」政治中枢部の沖縄に対する心性を、この機動隊員は「土人」という差別的言葉で言語表現したのだ。
さらに、別の動画では、同じ大阪府警機動隊員が、「黙れ、こらシナ人」と反対運動の沖縄住民に罵声を浴びせているグロテスクな場面も映し出されている。
「本土」から東京警視庁、千葉県警、神奈川県警、大阪府警、福岡県警など、500人とも800人ともいわれる機動隊員を派遣している理由もはっきりした。
○沖縄県警を含む、全琉球人に対して放たれた暴言
沖縄タイムズ(10月19日)は「警察官による『土人』発言は歴史的暴言である。警官は発言者を特定し、処分し、その結果を発表すべき」と、強く追及している。
この差別発言は、ヘリパット反対派住民だけでなく、沖縄県警を含む、全琉球人に対して放たれた暴言である。日米地位協定、刑事特別法など、沖縄の人々の基本的人権と政治的、社会的権利を否定した、構造的差別が意識的に言語化されたものだ。
大阪府警の機動隊員は、ついうっかり「土人」と差別発言したのではない。目的意識的かつ、攻撃的な憎悪感情を持って、沖縄住民に「土人」と言い放ったのだ。
○明治中央政府の差別的文書――琉球国王を「酋長」、住民を「土人」と呼称
しかしながら、これは、いち機動隊員の暴言ではない。
メディアは、「土人」という植民地的目線での人種差別的暴言が、「本土」の機動隊員から沖縄県民に向かって投げつけられたと正確に報道すべきだろう。
「土人」という言葉には、沖縄が歴史的に強いられてきた構造的差別の現実が反映されている。
北海道に住むアイヌ民族に対して、1899年に成立した「北海道旧土人保護法」(1997年アイヌ文化振興法の成立に伴って廃止)という侮辱した法律に見られるように、「土人」として蔑まれ、差別されてきた歴史はよく知られている。
同様に、琉球民族に対しても、明治初期には琉球国王に対し「酋長」、住民に対しては「土人」と、公式文書で差別的に呼称してきたという歴史的事実がある。
○「土人」はなぜ差別語なのか
「土人」という言葉は、もともとは「土地の人びと」「現地の人びと」を意味する言葉で、異民族、外国人に対する蔑称は「夷人」だった。
ところが、明治以降、「土人」という言葉の意味は、文明に取り残されている「未開で野蛮な異民族」という人種差別的な内容をもつようになった (拙著『最新 差別語・不快語』「土人はなぜ差別語となったか」198-199頁参照) 。
○「土人」は沖縄への構造的差別が意識的に言語化されたことば
沖縄は、明治初期まで琉球王国という独自の国家があった。それを明治政府は一方的に解体し、統合した。明治中央政府は、最後は軍隊を送り、琉球王を無理やり東京に連行し、沖縄県を設置した。日本全体の利益のために沖縄を犠牲にするという構造的差別が、このとき組み込まれたのである。
現在も、そのときと同じことが、普天間辺野古基地移設問題やヘリパット基地建設の強行でくり返されている。先の大戦では、沖縄は米軍との地上戦の〈捨て石〉とされ、12万人の沖縄住民が犠牲になった。沖縄戦が長引き、犠牲が大きくなったのは、本土決戦に備え、長野・松代に巨大な地下壕の大本営を完成させるための時間稼ぎだったことも明らかにされている。
戦後も、米国基地として沖縄が〈差し出さ〉れ、今も在日米軍基地の74%が沖縄に集中させられている状況を、中央政府は解決しようとしない。
「土人」という差別語は、こうした「本土」の沖縄に対する構造的差別を表象する言葉であり、全琉球民族に対する差別の歴史と実態が塗りこめられた生きている言葉なのだ。
すなわち、「差別語にはそれが意味する差別的な実態が反映されている」ということなのだ。(拙著『最新 差別語・不快語』参照)
○「土人」を使わなければよかったのか
報道は「土人」という差別語のみに集中しているが、一つ付け加えておく。
沖縄県警は事実関係を認めたうえで、「土人」は「差別用語で不適切な発言だった」とコメントしているが、「差別語である『土人』と発言したから問題なのではい。 たとえ「触るな、ボケ、沖縄人」と発言したとしても、基地建設を強行する場面で吐かれたこの文脈においては、沖縄人民を侮辱した差別表現なのだ。
○沖縄への差別意識が如実に表れた差別発言
戦前、日本は、委託統治していた南洋群島の住民を「土人」と呼んで蔑んでいたこと、さらに南洋群島に移住させられた日本人の多くが沖縄出身者であったという事実は、何を意味しているのか。
今回の「土人」「シナ人」という差別語を使った差別発言は、徹底に糾弾されなければならない。まずは、大阪府警に対して、つぎに発言した機動隊員に対して、そして警察庁に対しては国会で追及し、糾弾もしなければならない。
[追記―19日菅官房長官会見について]
この大阪府警機動隊員による「土人」発言は、沖縄・高江のヘリパット基地建設阻止闘争現場における、法を無視した国家権力の横暴がいかに非道であるかを、期せずして、「本土」国民に知らしめることとなった。
しかし、菅官房長官は、10月19日会見で、「不適切な発言」と苦言を呈したものの、ヘリパット基地建設は「法に基づいて適切に進める」とうそぶいている。
この「土人」発言が不適切であるなら、その差別語に塗りこめられた沖縄に対する構造的差別の実態、つまりヘリパット基地建設そのものが” 不適切な政策”なのだ。
会見で、記者から「機動隊の発言は県民に対する潜在的な差別意識の表れではないか」と質問されたことに対し、「それ(差別意識)は全くないと思う」と平然と応えている。
機動隊員の「土人」発言は、菅官房長官を含めた、永田町の政治権力者の”潜在的な差別意識の表れ”以外のなにものでもない。
]]>○「障害者は死んだ方がいい」
2016年7月26日未明、ついに恐れていたヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)事件が発生した。
神奈川県相模原市にある知的障害者施設・津久井やまゆり園に、重度知的障害者だけの殺害を目的にした障害者差別主義者が押し入り、19人を殺害、26人が重傷を負った。容疑者は「津久井やまゆり園」に今年2月19日までに勤務していた植松聖という26歳の男。
「津久井やまゆり園」を辞めた理由を、入倉かおる園長は、業務中の植松容疑者が、たびたび同僚に「障害者は死んだ方がいい」と口走っていたことに関し、園側が面談すると、同容疑者は「障害者は周りの人を不幸にする。いない方がいい」と声のトーンを上げた。入倉園長が「それはナチスの考え方と同じだよ」と諭しても「考え方は間違っていない」と言い張り、辞表を提出したと、辞職に至る事情を説明している。
その後、容疑者・植松は、衆議院議長公邸に出向き、「津久井やまゆり園」など、障害者施設を襲い、障害者を殺害すること、及びその計画内容まで記した手紙を議長に手渡している。(安倍首相にも送ろうとしていた。)
さらに植松容疑者は、「障害者は迷惑だ」「税金がかかりすぎる」「生きていても意味がない」などと、日ごろから躊躇なく、うそぶいていたという。
日本社会に蔓延する、新自由主義を信奉する経済合理性的価値観・社会観は、費用(税金)のかかる社会福祉を切り捨てるばかりか、その対象者に憎悪さえ抱き、今回のようなヘイトクライムを惹き起こす要因となる。
○事件の本質はヘイトクライム、背景にヘイトスピーチの蔓延
この事件に関して、脳性まひの、大阪市のNPO代表理事・尾上浩二さんは、つぎのように語っている。
「(容疑者の言葉に)怒りと恐怖を感じた。マイノリティはいなくなっていいというヘイトスピーチのようで許せない」と憤り、「『障害者は社会のお荷物』といった偏見が強まらないことを願う」とも語った。20代の頃、電車内で中年男性から急に『おまえたちは俺たちの税金で生きていけるんだ。穀潰しだ』と一方的にまくしたてられた。映画館でチケットを購入した後『館内で何かあったら責任がとれない』と入場を拒まれたこともある」
(朝日新聞7月28日朝刊)
障害者に対する厳しい差別と偏見が、30年以上前から続いていることを尾上さんは強調している。
同じことは、すべての被差別マイノリティについても言えるのだが、とくに1906年の韓国併合以降に強められた韓国・朝鮮人に対する差別意識、そして差別的言動がネット上にあふれていたが、2009年以降、「朝鮮人は死ね!」「朝鮮人を殺せ!」と叫ぶ人種差別主義者のヘイトスピーチとして、路上でくり返されている。
今回の犯行の背後には、人種差別的排外主義のヘイトスピーチが蔓延している社会状況があり、事件の本質は、そのヘイトスピーチに煽られた容疑者が、被差別マイノリティの障害者、とくに重度知的障害者に向けて実行されたということである。
「在日特権」「アイヌ民族利権」「生活保護者叩き」「被差別部落利権」「原爆被爆者利権」など、同じくウソで固められ、ねつ造された偏見によって、社会的差別が一層激しくなっている社会的背景を論じず、今回の事件を、一般的な凶悪事件あるいは猟奇的事件、さらに容疑者の特殊な資質などに求めるのは、まったくの的外れである。
また、社会心理学者や犯罪心理学者が、措置入院が不十分だったとか、妄想性障害や大麻精神病が引き起こした、容疑者個人の特性による犯罪だとする意見をメディアで垂れ流しているが、措置入院制度をより厳しくすべきという論調は、事件の本質をそらすばかりでなく、保安処分(社会防衛)の観点から、予防拘禁制度を強化することで、逆に精神障害者差別を強めることになり、事件の背景にある社会的要因(障害者差別意識)を隠す役割をはたしているといえる。
○植松容疑者のツイッターをフォローしていたのは
テレビや新聞のニュースは、今回の事件を、サリン事件、秋葉原事件、池田小学校事件と同列に論じているが、障害者施設に入所している重度知的障害者のみを標的として殺害し、職員を傷つけないと事前に語っている事実から考えて、事件の本質を、ヘイトクライムとしてとらえ、その観点から、真相解明と事件の社会的背景を分析すべきだ。
反差別闘争集団、?C.R.A.C”の情報によると、相模原事件容疑者・植松のツイッターのフォロー先に、「橋下徹、堀江貴文、石井孝明、渡邉哲也、中山成彬、百田尚樹、ケント・ギルバード、西村幸祐など」の名前があるという。経済合理性=金儲けを最優先し、そこに価値基準に置く新自由主義者と、札付きの排外主義的人種差別者が揃っている。自己責任を声高に叫び、障害者福祉を「税金の無駄使い」とわめく輩たちだ。
ヘイトスピーチ〜ヘイトクライム〜ジェノサイド。今回の事件は、ヘイトスピーカーの、差別的憎悪扇動に煽られ、攻撃性と目的意識性をもって行われた、まごうことなきヘイトクライム(差別的憎悪犯罪)なのだ。
○「テロ」と同次元で事件を語る番組コメンテーター
今回の事件は、世界各国で大きく報じられており、アメリカのケリー国務長官、ロシアのプーチン大統領など、各国要人が次々と哀悼の意を表している。ところが、わが国の安倍首相からは、なんのメッセージもない。
各国要人は、被害者が障害者であったことに衝撃を受けて、コメントを発している。それに対して、菅官房長官は、イスラム原理主義などの「テロ」とは関係ないという発言をしていたが、まったくのピント外れというほかない。
また、岡本行夫など、今回の事件を「テロ」と同次元で語っているテレビコメンテーターがいるが、それは、ヘイトクライムという事件の本質を覆い隠すことであり、また、措置入院のあり方を検討する(より厳しくする)という政府判断は、精神障害者に対する社会的差別を助長する行為であり、いずれも事件の本質からずれており、同様の事件(ヘイトクライム)を未然に防ぐ根本的手立てとはならない。
2015年12月2日、アメリカのカルフォルニア州サンバーナディノの障害者福祉施設が、IS(イスラム国」の思想に影響を受けた襲撃犯に銃撃され14人が死亡した事件は、「テロ」事件であるとともに、殺害しやすい社会的弱者を狙った、卑劣な行為であり、ヘイトクライムでもあるのだ。
○優性思想・差別意識による「言論から肉体の殲滅」
今回の事件は、社会的マイノリティ集団に対する、目的意識性と攻撃性および計画性をもって実行された戦後最大の虐殺行為(ヘイトクライム)だ。
近代に入り、1871年の、「賤民解放令」に対する反対一揆で、多くの被差別部落が襲撃され、被差別部落民が虐殺された事件。そして、1923年に起きた関東大震災時の6000人にも及ぶ朝鮮人虐殺事件と、本質において通底している。
アメリカでは、昨年6月、サウスカロライナ州で9人が殺害された、チャールストンの黒人教会銃乱射事件。今年6月、アメリカ史上最悪と言われる、50人が殺害された、フロリダのゲイナイトクラブ銃撃事件。いずれも差別的憎悪犯罪=ヘイトクライムとして裁かれている。今回の事件は、これらの犯罪と同じ、ヘイトクライム犯罪であることを強調すべきだろう。
1999年、都知事だった石原慎太郎が、府中の重度知的・身体障害者療育施設を訪れたさいに放った言葉、「ああいう人ってのは人格あるのかね」を思い出す。新都知事となった小池百合子が、排外主義的人種差別主義者のヘイトスピーチ団体と懇意なことは、よく知られている事実だ。
また、相模原市の緑区は、かつて度障害者施設の建設に対して地区住民が猛烈な反対運動を起こした地域でもある。
DPI(障害者インターナショナル)日本会議が、「相模原市障害者殺傷事件に対する抗議声明」を出し、つぎのように述べている。
「近年、閉塞感が強まる中、障害者をはじめとするマイノリティに対するヘイトスピーチやヘイトクライムが引き起こされる社会状況の中で、今回の事件が起きたことを看過してはならない」。
○「ヒトラーの啓示が降りてきた」――植松容疑者の薄ら笑い
障害者殺害容疑者・植松は、護送車の中で、ヘイトスピーチデモをしている輩と同じ、感情の欠落した“薄ら笑い”を浮かべていた。
テレビニュースでは、7月28日(木)夜11時半からのフジ系「ユアタイム」が、事件の本質を的確にとらえた解説報道をしていたので、紹介したい。
相模原市の障害者施設で、入所者19人を刺殺した植松 聖容疑者(26)が、「ヒトラーの思想が降りてきた」と語っていたことが、新たにわかった。アドルフ・ヒトラーは、第2次世界大戦で、ナチスドイツを率いた独裁者。その思想の特徴は、「理想郷の建国」。そして、人種に優劣をつけ、優秀な遺伝子のみを残すという「優生思想」。
ナチスのユダヤ人虐殺は、広く知られているが、ほかにも、およそ20万人の知的障害、精神障害を持つドイツ人を殺害している。さらに、ヒトラー自身は、国家や法よりも上に立つ存在だと定義していた。
この危険なヒトラーの思想が、2016年2月、「自分に降りてきた」と、植松容疑者は、病院の医師に話していたという。
(中略)
さらに、植松容疑者が友人に送ったLINEでも、差別的な言動を繰り返していたことが明らかになった。植松容疑者は、「生まれてから死ぬまで周りを不幸にする重複障害者は、果たして人間なのでしょうか?」、「意思疎通ができなければ動物です」などと送っていた。植松容疑者は、友人にも差別的な主張をして、意見を求めていた。しかも、それだけではない。友人に、「一緒に殺害しよう」と持ちかけていた。誰もが信じられないような言動。しかし、26日、植松容疑者は、自身が言うヒトラーの思想を行動に移した。植松容疑者は、5人の職員を結束バンドで縛りつけたが、殺害した19人は、全員が重度障害の入所者だった。
(中略)
全盲と、全ろうの重複障害をもつ東京大学先端科学技術研究所センターの福島智教授は、番組にメールを寄せ、今回の事件を「二重の意味での殺人だ」と語った。
福島教授は、「一は、人間の肉体的生命を奪う生物学的殺人。もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを優生思想によって否定するという、いわば『実存的殺人』です。障害者の尊厳というものが、特別に存在するわけではありません。あるのは、人間の尊厳であり、人間の生きる意味と権利です。そして、障害者はまさしく人間です」と語った。
(7月28日フジテレビ系「ユアタイム」より)
○優性思想にもとづく「実存的殺人」
植松容疑者が、障害者を20万人以上虐殺したナチスドイツのヒトラーの思想に心酔し、「啓示」を受け、殺害を実行したこと。最後に引用された、『実存的殺人』という福島智教授の言葉は重たい。
社会心理学者などが、容疑者・植松の?心の闇”についてあれこれ語っている。だが、容疑者の心に?闇”はなく、この事件は、明らかな障害者差別意識に裏打ちされ、目的意識性をもって実行されたヘイトクライムなのだ。すなわち、植松容疑者は、恥知らずにも都知事選に立候補していた「在特会」の櫻井誠などが、延々とわめき散らしてきたヘイトスピーチ――「朝鮮人死ね!殺せ!」と叫ぶレイシストと同じ差別思想の持ち主だということだ。殺害対象が「朝鮮人」であるか「障害者」であるかのちがいだけだ。
最近、神奈川県海老名市の鶴指県議会副議長の、同性愛者は「異常動物」との差別発言、茨城県教育委員の銀座日動画廊の副社長・長谷川智恵子が「障害のある子どもの出産は防ぐべき」との障害者差別発言など、公人による被差別マイノリティに対する差別的言動が、相次いでいる。
今回の事件で解明すべきは、容疑者が差別思想(障害者抹殺)を持つにいたった背景と、ヘイトクライムを防ぐための具体的方策だ。(包括的差別禁止法)
「言葉が心を作る」、差別発言を放置してはならない。
]]>○「ヘイトスピーチ解消法」の影響力を実感
5月24日、衆院本会議で可決成立し、6月3日に施行された「ヘイトスピーチ解消法」。
罰則規定をもたないこの理念法の内容について、大きな欠陥と問題点があることは、すでに多くのヘイトスピーチと闘っている学者・文化人、弁護士、カウンターの人々から指摘され、この連載(第183回「ヘイトスピーチ解消法成立」)でもとりあげている。
その欠陥と弱点に対する危惧が乗り越えられつつある。
6月5日、川崎市中原区で行われようとした20人足らずのヘイトデモを600人近いカウンターの抗議行動によって中止に追い込んだ。このヘイト現場における警官の対応などの事実によって、法案の欠陥と弱点に対する危惧はかなり薄らぎ、闘いの武器になることが明らかになった。
“のりこえねっと”共同代表の辛淑玉(しんすご)さんが、胸中の思いを率直に語っている。
解消法の与党案を見たとき、自分は受け入れられないと思った。
でも喉から手が出るほど欲しかった。
ヘイトの現場にいればその日は生きて呼吸するのも大変だったし、誰よりも止めて欲しかった。
だが自分が問われていた。
日本人が朝鮮人にしてきたことをこれから他のマイノリティにするのか、と。
それは多くのマジョリティが思うほど生半可なものではない。
こんなひどい選ばせ方をさせないでくれと思ったし、人生で最もきつい決断だった。
卑怯で許せない法律だ。…
(中略)
付帯決議などは守られたことなどないし、自民党にすがるような形でとった曖昧なものを何とかして市民の手に取り戻したいと思って川崎デモを必ず止めようと思った。
そうしなければこの法を受けとった意味がないから。
法成立後の現場では警察が私を殴るようなことをしないのに驚いた。
そしてレイシストに対して「違法デモ」だとも言っていた。
法ができても世の中は変わらないと思い込んできたが、今回は1票がなくても自分が変えなければならないと思った。
カウンターには見知らぬ人が多く、またヘイトデモを10mしか進ませなかったことで頑張れるのではないかと感じた。
(のりこえねっとTV 6月7日)
○今後の闘いが法律の欠陥を克服していく
「本邦外出身者」「適法に居住する」という条件を付与することによって、アイヌ民族、被差別部落や性的マイノリティ、障害者、難民申請者、無資格滞在者が除外され、「本邦外」「適法居住」でないマイノリティは、 “合法的に” ヘイトスピーチにさらされるのではないかと危惧する声もあった。
しかし、WEB連載183回で、私がくり返し強調したのは、この法律は、国際人権機関からの圧力、国会内での「人種差別撤廃施策推進法」成立の闘い、ヘイトスピーチに反対する多くの学者・文化人、弁護士、そして、何よりも当事者である在日の人々の闘い、さらにその前線に立ち、身体を張って抗議行動を行ったカウンターの闘いの成果なのだ。
この法律が内包している欠陥=矛盾は、闘いの中で解決できることを、6月5日の川崎でのヘイトデモ阻止行動は身をもって示した。
逆に言えば、矛盾こそ、運動の原動力なのだ。
○「部落差別解消法案」提出の経緯
他方、「部落差別解消法」は、どのような経緯で、与党から提出されたのか。
ここに興味深い記事がある。「安倍政権は『リベラル』なのか」と題された特集(ヤフーニュース)の中に、「部落差別解消に安倍政権は政治生命をかけたのか」と題された、部落解放同盟中央執行委員長・組坂繁之のインタビューが載っている。
今国会で継続審議となった「部落差別解消法案」について、「ネット上の部落差別と部落差別を助長する情報が放置されていることを踏まえて」議論されてきたものだとしている。その上で、「人権擁護法案」や「人権委員会設置法案」に安倍政権が一貫して反対しており、実現できなかったとしている。
言うまでもないが、安倍政権が反対したから人権擁護法案などが成立しなかったのではなく、法案内容の陳腐さが、他のマイノリティ団体や学者から支持されず、加えて、解放同盟指導部の日和見な運動の弱さが、直接の原因である。
ところが――
「変化があったのは2015年11月16日、自民党の二階俊博総務会長を実行委員長とする和歌山県東京集会『人権フォーラム』でした。その席で稲田朋美政調会長が講演し、『部落差別の撤廃を目的とした個別法として整備していく』と述べた。それが『部落差別解消法案』という形になりました。今国会で成立はしませんでしたが、二階総務会長の尽力であとわずかに迫った。」
との認識を示したうえで、連立与党・公明党の影響力もあり、5月19日、与党案「部落差別解消法案」が提出されたと、その背景を述べている。
○長年求めてきた「人権擁護法案」を諦めたのか
それでは、この自民党の二階総務会長や稲田政調会長の“尽力”のたまものである「部落差別解消法案」の内容を、検討したい。
与党案は、一読して具体性に乏しい。
禁止規定も罰則規定もなく、ありきたりの「差別はいけません」的な、道徳的訓示レベルの文言が並び、唯一実効性があるのは、第6条「部落差別の実態に係る調査」のみである。
2002年で失効する「地対財特法」を踏まえ、2000年11月に成立した「人権教育推進啓発法」の「人権」を「部落」に変えただけのしろものだ。
注意しておかなければならないのは、同じ特集の中で、稲田政調会長が、包括的な「人権擁護法案」は、「人権」の定義が広すぎ、拡大解釈される可能性があるため、障害者差別解消法、部落差別解消法、LGBT差別解消法など「法案の対象を個別に分解していく。そこで多くの法律をつくることになったのです」、とのべている点だ。
ということは、この「部落差別解消法案」は、包括的な「人権擁護法案」の代替法ということになる。
つまり、部落解放基本法制定運動の一環として求めてきた「人権擁護法案」を、解放同盟中央本部は放棄したということになる。部落解放運動に対する裏切りといってよい。
○障害者差別解消法は「障害者権利条約」にもとづいて具体化した国内法
ちなみに、障害者差別解消法は、2014年1月に批准された国連の「障害者権利条約」にもとづいて、その国内法として成立したものである。永年の国内外における障害者差別撤廃運動の成果であり、不充分点(合理的配慮が民間では努力義務目標など)はあるものの、国際人権水準に一歩近づいた画期的な障害者差別禁止法なのであり、その法案内容と闘いの経緯を見れば、権力から下賜された「部落差別解消法案」は、「障害者差別解消法」と同列に並べて論じるべき法案ではない。
○「部落差別解消法」は「人種差別撤廃条約」を具体化した国内法であるべき
今年5月に提出された「部落差別解消法」は、本来なら、1965年の「同和対策審議会答申」を踏まえ、1995年に日本政府が批准した国連の「人種差別撤廃条約」にもとづき、その国内法として具体化されたものであるべきだが、その内容からも明らかなように、たんなる「参議院選挙を前にした政府・与党のリスク・ヘッジ戦略」(同特集での山尾志桜里民進党政務調査会長)に過ぎないのである。
「ヘイトスピーチ解消法」「LGBT差別解消法」などは、これまでその差別を禁止する何らの法律もなかった。前者は、今回の理念法に内在する欠陥と弱点を克服し、罰則規定と救済機関の設置など、より充実した内容の法律に仕上げるための第一歩なのである。(法的拘束力のある“附則”にその主旨が入っている。)
「それならば、部落差別解消法も、これから不充分点を充実させていけばいいではないか」、と思う人もいるかもしれない。
しかしながら、部落差別を禁止し、撤廃するための法律は、過去半世紀、条例などさまざまな形で制定されている。なかでも、1985年には全国の自治体に先駆けて、大阪府で、部落差別にかかわる「身元調査規制条例」が、制定されている。
これは、興信所・探偵社などが差別的な身元調査を行うことを明確に禁止したもので、罰則規定もある。
またこの条例は、 2011年に規制強化され、被差別部落出身かどうかを調べるだけでなく、その土地(地域)に関する差別的な調査なども禁止している。(※詳しくは「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」条文を参照)
その意味で、「部落差別解消法」は、これらの、すでに成立している法律や条例を踏まえた上での「部落差別解消法」とはなっていないどころか、歴史の流れに逆行する法案である。
政府与党、とくに自民党の二階俊博、稲田朋美、平沢勝栄、谷垣禎一などにすり寄り、おもねり、へりくだった結果だから、当然といえば当然の法案内容だが、過去の部落差別撤廃運動を貶めるような法案といってよい。
○「ヘイトスピーチ解消法」は現場での闘いによって克ち取った法律
では、「ヘイトスピーチ解消法」はどうか。この法案は、野党・民進党の有田芳生(ありたよしふ)参議院議員が中心となって、昨年9月、参議院に提出された。「人種差別撤廃施策推進法」に対する与党・自公の対案、「ヘイトスピーチ対策法」との調整(院内闘争)の中で、「ヘイトスピーチ解消法」として成立したのである。
ちなみに、この法律が成立するまでの国会内闘争の経緯については、法律成立に尽力した参院法務委員会の与党側筆頭理事・西田昌司(にしだしょうじ)参議院議員と有田芳生参議院議員とのネットTV『週刊西田』での討論で、その間の事情が明かされている。
この連載(第183回)で書いたように、「ヘイトスピーチ解消法」は、国内外の日本政府に対する圧力およびヘイトスピーチに身体を張って闘ったカウンターの面々、そして全国の在日韓国・朝鮮人の人々、とくに川崎在住の人々の苦難に満ちた闘いの中から生まれ、克ち取ったものなのである。
法律制定をめざす闘いの過程は、めざすべき法律の内容に反映される。
最後になったが、「ヘイトスピーチ解消法」を、より実効性のある法案に仕上げていく国会内闘争の中心である民進党・有田芳生議員の、来たるべき参院選での当選を克ち取るべく、是非一票を投じていきたい。
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■高須克弥氏のツイート
先週金曜日(6月8日)にアップした〈西原理恵子×高須克弥著『ダーリンは70歳 高須帝国の逆襲』(小学館)絶版・回収事件〉に対する反響の大きさに驚いている。
おそらく、いまだに絶版・回収の理由を一切明らかにしていない版元・小学館の姿勢とも関係しているのだろう。
今回、〈その2〉を書くのは、この『ダーリン…』本の読者である人々が、著者の高須克弥氏に、この「ウェブ連載差別表現」のことを知らせ、高須さんがツイッター上で書いている内容について、誤解を解いておきたいと思ったからである。
今週6月12日、高須克弥氏が次のようなツイートをしていることを教えられた。
(高須克弥@ katsuyatakasu 6月12日)
あらためて小林健二先生にご挨拶申し上げます。日本は言霊の国です。言葉狩りして差別用語を絶滅しても新たな差別用語がはっせいするにちがいありません。 差別用語に対する抗議糾弾は消滅しつつある差別用語を生きかえらほ(ママ)せる作業にみえます。
■「都市伝説」としての“運動団体の言葉狩り”
名前の間違い(健二→健治)や、“先生”という呼称はさておき、この短いツイートでわかるのは、高須さんはまだ、筆者の「ウエブ連載差別表現」(第184回)を読んでいないと思われることだ。
第184回ウェブ連載差別表現で、私が抗議し、問題にしているのは、
第一に、絶版・回収を決めた出版元の小学館に対してであること。
第二に、はたしてほんとうに絶版・回収をしなければならなかったほど、ひどい差別的な内容だったのかどうかということだった。この2点は、前回の連載差別表現に書いているので、くり返さない。
今回、〈その2〉をアップする意味は、“言葉狩り”を反差別運動団体が行っているという高須さんの誤解を解きたかったからである。
この、「反差別運動団体が言葉狩りをしている」という噂と思い込みは、多くの学者・文化人そしてマスコミ関係者に共通しているが、言わば「都市伝説」に過ぎない。(いわゆる「放送禁止歌」も同じで、業界の自主規制に原因がある。詳しくは、森達也著『放送禁止歌』[知恵の森文庫]を参照のこと)
初めに断っておくと、差別語はある、しかし、使ってはいけない差別語などないということだ。なぜなら、差別語も日本の言語文化のひとつであるから。
「穢多」「非人」「鮮人」「チャンコロ」「ロスケ」「ビッコ」「メクラ」「キチガイ」など、差別語は山のようにある。差別語には、時代の差別的実態が反映している。
■差別語は負の文化遺産
差別語は、それを浴びせられる被差別当事者にとっては、耐え難い、屈辱的な言葉だ。しかし差別語は、日本の“負”の文化遺産でもある。
その差別語を禁句にし、言い換えても、差別的実態を隠しただけで、差別をなくすことには何ら役立たない。むしろ、差別語に塗りこめられた賤視と侮蔑意識や忌避感情を、逆に、その差別的言葉を使うことによって、差別的実態の歴史と現実を逆照射し、その非人間性を告発し、差別を撤廃する闘いの武器となるのである。
「わしら部落民は、昔、“ドエッタ(穢多)”と言われて差別されてきた」と語る部落の古老の表現における“ドエッタ”には、被差別部落民の怨念も凝縮されているのである。
使ってはいけない言葉など存在しない。どう使うかの問題であって、“言葉狩り”をしたのは、「ジャーナリズムの思想的脆弱性」(筒井康隆氏『断筆宣言』)のなせるわざなのである。
以下、8月上旬刊行予定の『最新 差別語・不快語』(仮題)に、新たに加えた“言葉狩り”問題についての【コラム】を載せて、この項を終わりたい。
【コラム “言葉狩り”をしたのは誰か?】
■『毎日フォーラム』掲載のコラム「『禁止用語』を考える」
毎日新聞社発行の『毎日フォーラム』という月刊の政策情報誌。その2013年3月号に、牧太郎氏(毎日新聞記者・元『サンデー毎日』編集長)が自身のコラム「牧太郎の信じよう!復活ニッポン」で「『禁止用語』を考える」と題した一文を載せている。副題には、「故なき規制は『日本の文化』を失うおそれがある」とある。
そこで牧氏は「百姓」が「差別にあたる可能性が強い」ので、「農民」に置き換えるべきだと校閲から注文され、抗(あらが)ったが直された例を挙げ「ともかくどこの誰かが勝手に決めた『差別用語』『放送禁止用語』が大手を振って歩いている」と憤懣(ふんまん)をぶつけている。
その上で、いくつか具体例を出している。
「例えば、職業に関する差別用語。『魚屋』『八百屋』『肉屋』『米屋」『酒屋』……。全て『禁止用語」だ。『○○屋』という言い方は全て差別用語だ!というのだ。そのために『魚屋』は『鮮魚店』、『八百屋』は『青果店』、『肉屋』は『精肉店』、『米屋』は『精米店』、『酒屋』は『酒店』……『床屋』は『理髪店』と言わなければならない。
(『毎日フォーラム』2013年3月号より)
そして牧氏は、つぎのようにしめくくっている。
「実にばかげている。(あまり使いたくない言葉だが)『言葉狩り』である」と怒り、「ある言葉が『差別』を助長するかどうかの判断は『各々の主観』に基づく。あってはならないのは『差別の現実』である。『言葉』ではない」
■マイノリティの怒りに向き合えなかったメディア
ひとこと言っておくが、上に挙げた例が「差別用語」だと、だれが決めたかと言えば、それはほかならぬ牧氏も属するマスコミ業界だということである。
1960年代後半から80年代にかけて、部落解放同盟を中心に、障害者団体、在日韓国・朝鮮人団体、女性団体、先住民族アイヌ団体などの社会的マイノリティが、不快で他者を貶め、傷つける差別語と差別表現に対して、鋭い追求を行ってきたことはよく知られている。とくに抗議の矛先が、その与える社会的影響の大きい新聞、テレビ、出版などのマスメディアに向けられたことも、当然のことであった。
しかし、多くのマスコミが、その抗議と怒りの声に対し、正面から向き合い、差別語と差別表現の問題を真摯に考えようとしなかったことは、各社が秘密裏に作成していた「禁句・言い換え集」などのマニュアル的な言葉の言い換え集を見れば、一目瞭然である。
つまり、対処療法的かつ糊塗(こと)的に対応するのみで、差別語に塗りこめられた「差別の現実」を見ようともしなかった。また、その撤廃のためのメディアの社会的責任を果そうともせず、「差別語」と言われる言葉を消すこと、隠すことに専念してきた結果が、牧氏が怒る現在の状況を生み出しているのである。
■「侮辱の意志」の有無が表現の差別性を決定する
差別語は存在する。しかし、使用してはいけない差別語(「禁止用語」)などというものはない。
差別語の使用の有無ではなく、文脈における表現の差別性、つまり差別表現を問題にしているのである。
一知半解なマスコミの対応の責任を、被差別マイノリティの抗議に負わせるのは、それこそ天に唾する行為と言わねばならない。
牧さんは、校閲と断固闘って、「百姓」と明記すべきだった。完遂できなかった憤りを他者に向けるべきではない。妥協した自分自身の弱さを反省すべきであろう。
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