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第110回 広告と差別表現
 
■中吊広告「部落差別許すまじ!」を拒否
 先日、大阪で、広告関連会社協会主催の人権セミナーに呼ばれて、講演を行ってきた。
 いつもの講演とは少し違い、広告と差別表現+橋下徹大阪市長と『週刊朝日』差別記事事件を中心にしたレジュメを事前に送っていた。しかし、やはり冒頭の20分間は、「ヘイトスピーチ」(差別・憎悪煽動、宣伝)について訴えた。
 本題の広告と差別表現について話していて、『週刊ポスト』中吊広告拒否事件(1989922日号)と、一昨年、昨年の『週刊新潮』、『週刊文春』、『週刊朝日』を比べ、隔絶の感を憶えた。
 『週刊ポスト』の事件は、部落差別に反対する解放同盟の取り組みを紹介している広告であって、なぜ拒否するのかが、問われた事件。拙著『差別語・不快語』では、次のように書いた。
 

  1989年、小学館の『週刊ポスト』の特集記事「部落差別許すまじ!」の<中吊り広告>(車内ポスター)を、JR東日本と営団地下鉄が掲示を拒否。理由は「部落差別」の文字が入っていたからと、後に解放同盟が抗議するなかで判明。マニュアル的対応による思考停止の最悪のケース。なぜ、部落差別に抗議している記事広告に反対するのかと、厳しく批判される。(『差別語・不快語』132頁) 





■「書かれなかった『血脈』」を掲載した新聞各紙と鉄道会社

『週刊文春』

 一方で、2011年からの『週刊新潮』、『週刊文春』、『週刊朝日』などの広告記事は、それ自身が、差別広告とハッキリ解るものだが、それを、新聞社はおろか、JRを含め各鉄道会社から、何の批判も起きなかったのである。(知り得るところでは中国新聞が、『新潮』リードにあった、“同和”という言葉を白地にしたことくらい。


『週刊新潮』 

橋下徹大阪市長と『週刊朝日』差別事件については、レジュメを転載しておきたい。

 

  橋下徹大阪市長に対する近年、まれに見る悪質な週刊誌の差別的広告と記事
 
  (内容)
  2011年11月大阪府・市ダブル選挙をめぐり、『新潮45』や『週刊新潮』『週刊文春』が、大阪市長選に立候補した橋下徹氏の出自や家族・親戚に関する極めて悪質な差別記事を掲載。また、新聞広告・電車の中吊り広告にも<血の雨が降る「大阪決戦」!「同和」「暴力団」の渦に呑まれた独裁者「橋下知事」出生の秘密「オヤジはヤクザで同和に誇り」>(週刊新潮)、<橋下徹42歳 書かれなかった「血脈」>(週刊文春)――というセンセーショナルな見出し。
  橋下氏の政策や政治手法、そして彼の人格を、被差別部落出身という社会的属性と結び付けて報道することの差別性について、社会的批判が起こったにもかかわらず、1年後の20121016日発売の『週刊朝日』でも爛魯轡轡薪曚遼楡爐搬蠅靴親瑛佑虜絞姪記事が掲載され、大きな社会問題となった。

 
『週刊朝日』

■何が問われたのか――『週刊朝日』差別記事事件の特徴
 
(1)取材方法の問題点
  取材目的の差別性が、取材方法の違法性によって、一層明らかになっている。
つまり、興信所・探偵社が行なう身元調査と同じ手法で、「出自」を暴いているという点。
 
(2)身元調査の違法性
・なぜ部落解放運動が、全国水平社結成以来、身元調査の禁止を要求してきたのか、なぜ部落解放同盟が、過去帳や戸籍の閲覧禁止を求め、現在も「登録型本人通知制度」の導入を主張しているのかを、マスコミはまったくわかっていない。
 

*「壬申戸籍」閲覧禁止(1968年) 大阪府部落差別事案に関わる調査等の規制等に関する条例(1985年) プライム事件(2011年)

 
 

  1939(昭和14)年、第74回帝国議会建議委員会で「興信所法制定に関する建議案」を松本治一郎と田原春次の連名で提出している。その理由として「大手興信所のなかには重大な身分差別(封建的賤視観念)にもとづく調査事項を掲げているものもあり、その調査対象となった者は「極刑と等しい」致命的痛撃を受け、その者の一生は償うことができないようなを受けるのだ」と主張している。また、全国水平社も大会でたびたび身元調査反対の決議を行なっている。

 
(3)結論
・一連の問題を、言論・出版、表現の自由やプライバシーの問題と捉える誤り。
・橋下徹氏は、『週刊朝日』の部落差別的行為に対し、自力救済処置として、被差別マイノリティが獲得した“糾弾”という社会的権利を行使したのだということ。
・事実か否かが問題ではなく、表現の差別性が問われている。
・なぜ被差別部落出身という“出自”にマイナスイメージを結びつけるのか、そこに差別意識が潜在している。(社会的に刷り込まれた無意識の差別意識を自覚すべき)
 
今回の事件の本質は、人をおとしめる意図を持って、特定人物を含む被差別部落出身者を、その抗うことのできない“出自”を根拠に侮辱した部落差別表現。
 
 この後、差別事件の具体例を掲げていくなかで、精神障害者差別、ロマ(「ジプシー」)差別事件にも触れながら、「書かれ表現されている内容の事実性について問うているのではなく、表現の差別性について抗議しているのだ」という核心の話をしたとき、参加者からの熱い視線を感じた。
 以下次号にくわしく書きたい。
 
| 連載差別表現 |
第109回 民族呼称にあらわれる先住民族への偏見
 先週に引き続き、“民族”、“族”、“人”表記について考えてみたい。
 中国・北京の天安門に車が突入し、炎上した事件の実行容疑者として、「“中国の少数民族・ウイグル族”の犯行と、警察や国営メディアが報じている」と、日本のメディアが報じている。
 当初、「多数派の漢民族と少数のウイグル族」という表記があるかと思えば、「漢族」、「ウイグル族」と報道するメディアもあり、バラバラの表記だったが、ここにきて、「中国の少数民族・ウイグル族」、そして、多数派の漢民族ではなく、「漢族」という呼び方で、統一されているように思う。

 
■中国の民族表現
 前回、メディアに問うたのは、“民族”と“族”を表記分けする基準は何かということだった。一般的には“族”と表記する場合、念頭にあるのは、「非文明的」で「遅れた民族」などであり、そこには、メディアの持つ差別意識が現われていると指摘した。
 ところが、こと中国に限っていうと、中国には○○民族という言い方がもともとなく、少数民族のウイグルも、多数派の漢も、ともに“族”で表記されている。
 現代中国で、民族という言葉が使われるのは、「中華民族」という場合を除いて、ないと言う。つまり、「中華民族」とは中国にいるすべての民族の総称であり、日本の感覚で言うならば、“中国人”という意味で、使用される例があるだけだ。
 問題なのは、中国での漢字表現で“族”は“民族”的意味合いで使用されているわけだが、同じ漢字文化圏の日本では、先に述べたように、“族”と“民族”の間に大きな文化的差別意識が存在しているということだ。
 中国自身が、“族”と差別意識抜きで使用しているのだから、日本のマスコミが、同じように“族”と表記しても良いではないかという意見もあるが、それは、言語の文化的差異を無視した暴論であろう。(この項は、スチュアートヘンリ著『民族幻想論』(解放出版社)を参考)

 
■文化が違えば、表現にふくまれる意識も変化する
 例えば、台湾の先住民族である、「高砂族」などを説明する場合、台湾では「原住民」と表記している。台湾では、「先住民」という言葉のニュアンスに、むしろ否定的な意味合いを込めて使われているからだ。
 拙著『差別語・不快語』の<アジア・オセアニアの主な先住民族>の項で、次のように書いた。

  ・台湾

  戦前の日本統治下でおこなわれた同化政策のなかで、大きく変容を遂げた原(先)住民族が住んでいる。日本の植民地下では藩人ばんじん  >、<高砂たかさご族>、そして日本敗戦後の国民党統治下で<高山こうざん族>ないし、<山胞(山地の同胞の略称)>と呼ばれていた。現在では、台湾に最初から移住していた島の住人を意味する<原住民>という呼称が、正式に憲法に明記された。日本のマスコミが、この台湾における「原住民」という表記に対し、差別的ニュアンスがあるとして、「先住民」と書き換えたりすることがあるが、台湾では、「先住民」が「すでに滅んでしまった民族」との意味あいもあり、書き換えることは、逆に差別的な表記とみなされかねない。呼称は当事者の自称によって表記することが大原則である。(『差別語・不快語』)

((漢字を文字として使用している文化圏ならではの、注意すべき事柄だろう。

■朝日新聞は何を基準に「族」と「民族」を表記分けしたか
 朝日新聞の10月31日付夕刊に、「北欧の先住民の舞台、東京・両国で上演」と題して、舞台紹介の短文が載っている。
 

  「ノルウェーを中心に推定人口6万〜8万とされる先住民族、「白霜頭と夢見る若者」が11月2〜6日、東京・両国のシアターカイで上演される。…(中略)…サーミ民族で詩人・作曲家のニルス・アスラシク・バルケアペーが、日本の能の構造を採り入れて書いた。」

 
 しかし、その同じ夕刊で、ウイグル人は「ウイグル族」と表記しているのである。ちなみに、ミャンマーとバングラデッシュに居住し、イスラム教を信仰する少数民族・ロヒンギャ人の迫害を報じる朝日新聞の外信面は、“ロヒンギャ族”と表記している。その他、カチン、カレンなどの少数民族、山岳民族もすべて“族”表記で統一されている。
 朝日新聞に問いたい。なぜ、北欧のサーミは“民族”で、アジアの少数民族であるウイグルとロヒンギャ、そして、カチン、カレンは“族”なのか。ジャーナリズムとして答える義務と責任があると思う。

 
| 連載差別表現 |
第108回 民族呼称にあらわれる先住民族への偏見
先週は、何かと忙しく、連載を書く余裕がなく、休裁したことをまずおわびします。
 今回は、この連載で3度目になるロマ(日本では、蔑称の「ジプシー」と呼ばれる少数民族)について。
 

■「●●族」という表現の意味するもの
10月20日、CNNが、<ロマ族の集落で白人の少女を保護、誘拐の可能性も(ギリシャ)>という記事を配信した。
 記事全文を下記に載せるが、その前にこの見出しに含まれた問題点を指摘しておきたい。
 まず、一つめは「ロマ族」という表記について。何故“族”を付けて呼ぶ必要があるのか。CNNの原文は<Roma Community>であり、「Tribe(族・部族)」とは言っていない。ちなみに、BBCは<Roma Groups>と表現している。
 同じ少数民族でも、スペインとフランスの国境地帯に住むバスク人をバスク族とは呼ばないし、トルコ、イラク、イラン、シリアにまたがって住むクルド人を今は、クルド族とは呼ばない(かつては、クルド族と報道されていたが)。
 結論を先に言えば、“族”を付けるのは、訳者の意識の中にある、少数民族や先住民族に対する、見下した意識の反映といわねばならない。
 1994年のルワンダ内戦で、50万人から100万人近い、フツ人、ツチ人が虐殺されたのだが、日本のマスコミは、一貫して、「フツ族」「ツチ族」と報道していた。

 
■言葉にあらわれる先住民族への偏見
拙著、『差別語・不快語』の中で、「未開・野蛮・非文明という偏見」のコラムで次のように書いた。
 

   一般に、先住民族を、先入観(侵略した側の主観的プリズム)にもとづいてステレオタイプ化し、カテゴライズされたイメージで表現する場合に、問題が生じています。そこには、往々にして先住民族に対する「未開人」「野蛮人」「非文明人」などの固定化した偏見がともなっています。これは、黒人差別をふくめ、人種・民族差別一般に共通する偏見ですが、その根底には、自民族の優越性(単一民族国家幻想はその最たるもの)とともに、人種・民族についての主観的で、非科学的な考えが横たわっています。その典型である、「文明化の使命」という考え方は、高い文化や知識をもった民族は、これを「劣等」な民族に与える使命があるとしています。
   つまり、「文明化の使命」にもとづく行為は善であり、これに抵抗する行動は悪とみなして侵略行為を正当化しました。この考え方にもとづく征服や侵略行為は、主観的には善をおこなっているという思考のため、反省の契機をつかむのが遅れがちになっています。

(『差別語・不快語』、171頁)
 
 “族”という言葉で呼ぶ意識の背後には、先住民族や、少数民族、そして、発展途上諸国の人々に対して、「未開人」、「野蛮人」、「非文明人」という固定した偏見が存在している。そして、その裏には、民族的優越意識が隠れているのである。
 
■記事タイトルの問題点
 二つめは、<白人の少女>という表記である。もしこれが「黒人の少女」だったら、記事になったかどうかである。ことさら<白人の少女>と強調することによって、ロマ民族を、人さらいさえする「野蛮な、非文明人」として描き、現にある差別と偏見を、助長する表現を言わざるを得ない。
 三つめは、記事を読めば明らかだが予断と偏見を持って、誘拐事件や人身売買といった犯罪をロマと意図的に結びつけている点である。

 
■記事内容の問題点
 以下記事全文を読んでいただきたい。
 

   (CNN)ギリシャ警察は20日までに、中部ラリッサ近郊にある少数民族ロマ族の集落で身元の分からない白人の少女(4)を保護したと明らかにした。誘拐事件や人身売買に巻き込まれた可能性もあるとして情報提供を呼び掛けている。
   地元メディアによると、少女の両親を名乗ったロマ族の男(39)と女(40)は、未成年者拉致や文書偽造の疑いで逮捕された。
   警察はロマ族住民による不法行為の捜査でこの集落を訪れた際、捜索先の民家で金髪に白い肌、青い目の少女を発見。両親を名乗る男女と外見がまったく違うことから、この2人に事情を聴いた。
   男女の供述が二転三転したためDNA検査を実施したところ、血のつながりはないことが判明したという。警察が発見した文書の中には、アテネ当局が2009年に発行した出生証明書が含まれていた。
   少女はただちに保護され、児童支援の慈善団体に預けられた。ギリシャ政府は少女への支援を表明した。
   国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、欧州には約600万人のロマ族が住んでいる。同団体はロマ族が不当な差別を受けているとして、ギリシャ政府などに是正を求めている。

(CNN、2013.10.20 Sun posted at 13:14 JST)
 
 しかし、事実はどうだったのか、5日後の10月25日に、時事通信が次のような記事を配信した。
 

  「金髪の少女」両親判明=DNA鑑定で確認―ブルガリア
   【ベルリン時事】ギリシャで少数民族ロマの男女が金髪の少女を育てていた問題で、ブルガリア内務省は25日、DNA鑑定の結果、同国中部ニコラエボに住むロマの男女が実の両親と確認されたことを明らかにした。
   同省によると、実母はサシャ・ルセバさんで実父はアタナス・ルセフさん。サシャさんは24日、数年前にギリシャで産んだ女児を生後7カ月ごろ、別の女性に預けたと明かしていた。生活が苦しかったためで、金は受け取っていないと強調している。
   色白で金髪の少女は10月中旬、ギリシャ中部のロマのキャンプで見つかった。育てていた男女の肌や髪の色が少女と異なるため、DNA鑑定を実施したところ、実子ではないと判明。2人はブルガリアのロマ女性から預かったと説明していた。

(時事通信 10月25日(金)23時59分配信)
 
 <金髪の少女>は、ブルガリアに住む貧しいロマの同胞から託された子供であることが、判明した。
 時事通信は、さすがに、「少数民族ロマ」と呼び、差別的な「族」をつけていない。それに対して、ロマに対する差別意識を全世界にまきちらし、強めたCNNの責任は大きい。
 ここまで書いていて、28日に中国、天安門前で、起こった、自動車突入(自爆か)事件について、新聞は大方、「漢族」、「ウイグル族」と表現しているが、テレビは、NHKが「漢民族」、「ウイグル族」と呼称、民放各社は概ね、“族”だけをつけて報道している。つまり、バラバラであり、種族、民族、部族、族、人の違いについて、判断基準を持っておらず、まったく理解していないことが明らかになっている。
 この点については、次回に取り上げたい。

 
| 連載差別表現 |
第107回 犯罪報道に見る精神障害者への偏見
■「通院歴あり」とあえて書く朝日新聞
 10月4日朝日新聞朝刊の社会面に次のような記事が掲載されていた。

   【2歳、河原で暴行死 容疑の父逮捕 京都・綾部】
  …(前略)…府警によると、男は京都府城陽市に住む職業不詳の34歳で、妻と長男(2)の3人家族。死亡した男児は長男だった。逮捕直後は興奮状態で、意味不明の言葉を発しつつも、容疑については「否認します」と答えた。しばらくして落ち着くと、「たたきつけていたのは自分の子どもです」と容疑を認めたという。
   男は病院の精神科に通院していたという。府警は刑事責任能力の有無を調べる。
(2013年10月4日『朝日新聞』)

  無残な幼児虐待事件をめぐる報道だが、精神科への通院歴をなぜ記述する必要があるのか。
 事件との因果関係がわかっていない段階でのこのような記述は、精神障害者一般に対する、現にある予断と偏見、社会的差別意識を助長する記事と言わねばならない。
 一般に、このような精神疾患という病気に悩んでいる人は大勢いる。日本の人口の0.3%、約382万人近くの人が統合失調症などの精神病に罹患していると言われている。

 病気の症状のつらさに加え、社会的な差別と偏見がより一層患者を苦しめている現実がある。しかも日本では、いまなお世界でも類を見ない、30万人以上が入院させられており、鉄格子病棟に閉じ込められている患者も多い。さらに30年を超えて入院している患者も1万5000人と推定されている。
 極めて重大な人権侵害の実態が放置されている現状のなかで、上記のような記事が、社会にある精神病患者への予断と偏見を強め、保安処分的な、社会防衛としての隔離政策を推し進める動因となるのである。
 

■刷り込まれた差別意識
 朝日新聞のような記事は、テレビ、新聞などの事件報道の際に、過去も現在も多く見られる。
 たとえば、これは実際の報道だが、「金属バットを振りまわし、人に危害を加え、訳のわからない言葉を放っている」という事件報道のとき、往々にして「容疑者には精神科への通院歴があった」とつけくわえられるのが常である。
 なぜ内科・歯科・耳鼻咽喉科の通院歴ではなく、精神科の通院歴のみを、ことさら報道するのか。そこにこそ、報道する側の記者自身の内にある精神障害者への予断と偏見が現われているのだ。
 いつも言っているように、差別意識を持っていない人などいない。それが悪いと言っているのではないのだ。問題は、差別意識を持っている(持たされている)ことを自覚しないことにある。つねに人は社会的な差別意識を知らず、知らずの内に刷り込まれているということを、自覚し、意識することが大切なのだ。
 
同じようなことは、次の事例にも言える。

 

1)
  「ローマの繁華街を歩いていたら我々二人の回りを数人の少年たちが取り囲んだ。一人が新聞を大きく広げ何か話しかけてくる。ジプシーのスリ少年団だった。悪名高いやり口なので直ちに『この野郎!』と日本語で一喝した。」(『週刊新潮』2012 年3 月29 日号 「藤原正彦の菅見妄語」)
 
(2)
  ルーマニアのブカレストで起こった日本の女子大生殺害事件の「(犯人の)ブラドは、『ロマ』と呼ばれる民族です。空港周辺では旅行者をカモに、詐欺まがいのことをする輩も多い。」(『週刊文春』2012年8月30日号 グラビア記事)
 

 (1)のような例は、いまでもヨーロッパ旅行の折などに、旅行会社から渡される注意書きに「ジプシーのスリ集団に気をつけましょう」などと平気で書かれている。
 (2)は、「ジプシー」という言葉が、ロマ民族に対する蔑称であり、差別語であることを知っているので、彼らの自称である「ロマ」という民族名で記したのであろうが、表現の差別性には何の違いもない。
 
第二次世界大戦中、アウシュビッツ・ビルケナウなどの強制収容所で、ナチスが行なったホロコースト(大量虐殺)によって殺されたのは、ユダヤ人600万人、ロマ(ジプシー)50万人、精神障害者・知的障害者30万人、同性愛者20万人である。
 
 われわれは、片時もこの歴史的事実を忘れてはならない。
 

| 連載差別表現 |
第106回 在特会の街宣は「人種差別」――京都朝鮮学校ヘイト街宣への画期的判決
 ■京都朝鮮初級学校襲撃事件に対する画期的判決

 10月7日、京都地裁は、2009年12月9日、京都朝鮮第一初級学校、南門前における「在特会会員」によるヘイトスピーチに対して、「半径200m以内の街宣禁止と、1226万円の損害賠償」の支払を命じる判決を下した。裁判長は、在特会の街宣活動(ヘイトスピーチ)を、“表現の自由”に値しない「著しく侮蔑的な発言を伴い、人種差別撤廃条約が禁ずる人種差別に該当する」と判断した。反ヘイトスピーチ運動を勇気づけ、法的根拠を与える画期的な判決といってよい。
 メディアも大きく取り上げているが、そこには法的規制について、かなり濃淡がある。
 テレビでは、「ヘイトスピーチ」問題について以前から積極的に報道していたNHKを除き、テレビ朝日の報道ステーションは、問題の本質的認識を欠いており、日本テレビは扱いが小さすぎる。(TBSとフジのニュースは見ていないのでわからない)
 新聞各紙は、全国紙、地方紙問わず、大きな関心を持って取り上げている。しかし、ヘイトスピーチの法的規制については極端な相違を見せている。
 ヘイトスピーチの法的規制に反対しているのは、全国紙は毎日新聞を除くすべてであり、日経は論外で、論じるに値しない。
 

■法的規制に反対する読売新聞

 反対意見の代表的なものとして、読売の社説を見てみたい。
 10月9日付の読売新聞社説は、「民族差別をあおる侮蔑的な街宣活動は不法行為にあたる。――常識的な司法裁判と言えよう」と一応は判決を評価する。ところが、後半になって次のように述べるのである。
 

 一方で、ヘイトスピーチの規制には、慎重な配慮が必要だ。朝鮮学校を運営する特定の学校法人の請求を認めた今回の判決についても、不特定多数に向けた言動の規制に結びつけてはならない。
 人種差別撤廃条約は、差別の扇動などを法律で規制するよう締約国に求めている。欧州などでは処罰法を制定している国もある。
 だが、ナチスによるユダヤ人虐殺の記憶が色濃い欧州と日本では、歴史的背景が大きく異なる点に留意せねばならない。
 日本政府は憲法が保障する「表現の自由」に抵触しかねないとして、法規制を留保している。
 法で規制した場合、合法と違法の線引きは難しく、公権力による恣意(しい)的な運用を招く恐れがある。正当な言論活動を萎縮させる可能性も否めない。法規制に慎重な政府の立場は堅持すべきだ。
 刑法の名誉毀損罪など、現行法令を適用し、行き過ぎた行為を抑えるのが現実的な対応だろう。」
 

(「ヘイトスピーチ 民族差別の言動を戒めた判決」読売新聞社説10月9日付)

 
 EUのほとんどの国で、ヘイトスピーチ禁止法が立法化している現実について、読売社説は「ナチスによるユダヤ人虐殺の記憶が色濃い欧州と日本では、歴史的背景が大きく異なる点に留意せねばならない。」とEU各国との違いを強調している。
 いったいなにが違うと言うのか? それでは、日本が戦前、戦中に国内外で行った残虐な行為、南京大虐殺(大阪、鶴橋で行われたヘイトスピーチ行動の中で、女子中学生が、「南京大虐殺を、鶴橋でも起しますよ、鶴橋大虐殺を実行しますよ!」と絶叫している)に典型的な“三光作戦”を行ったこと。また、さかのぼれば、1923年9月1日の関東大震災のとき、流言飛語の下、民間の自警団によって行われた6000人にものぼる在日朝鮮人大虐殺を忘れたのかといいたい。
 「敗戦」を「終戦」と言い替え、開戦と敗戦の責任を曖昧にし、朝鮮、中国、そして国内で行われた蛮行を、欧州とは違い日本では忘れられているから法的規制はいらないとでも言いたいのか。
 差別は犯罪であり、「名誉棄損罪」などで対応できる問題ではない。刑事罰で対応できるよう、法規制をなすべき重大事案だ。日本が、というより、日本のマスコミがいかに国際的な人権基準から遅れているかを示す、典型的な言説といってよい。
 

■姑息な言いまわしで規制に反対する朝日新聞社説

 朝日新聞は、社説も含め、大きく取り上げてはいるものの、「規制か表現の自由か難問」、という見出しから解るように、まったくの評論家的記事。
 法的規制に反対の立場をとる、“良心的”な憲法学者・中央大学大学院の内野正幸教授を登場させて、朝日の社論に沿う意見を載せ、中立を演出するような、姑息な手段を取るべきではない。ヘイトスピーチの凄まじい現実と、そのことによって心身を傷つけられている当事者を、まったく視野の外に置いた、傍観者的な姿勢と言わざるをえない。
 毎日新聞は、朝日よりは少しましといった程度で、旗幟が鮮明でない。

 
■新潟日報社説が示したジャーナリズムの矜持

 これらの大メディアの言説に対して、法的規制を求める主張の圧巻は、新潟日報だ。「ヘイトスピーチ 差別許さぬ判決を生かせ」と題された社説は、次のように言う。
 

 ただ、今回の判決は、被害者が学校という特定可能な存在だったため、被害を認定することができた。
 同様なヘイトスピーチの対象が人種や国籍など個人、団体を特定しにくいケースは判断が難しくなる。それを規制するには、ヘイトスピーチ一般を規制する措置が必要となる。
 判決が根拠とした人種差別撤廃条約は差別を扇動する活動などの処罰を加盟国に求めているが、日本はその条項の適用は留保している。
 「禁止法が必要とするような差別は存在しない」という理由からだ。
 だが、東京新大久保などでは、一部の団体による、「殺せ」「たたき出せ」などと叫ぶ差別的性格の極めて強い街頭行動が社会問題化している。すでにその理由は成り立たないのではないか。
 表現の自由に対する影響も懸念されるが、表現の自由は他者の基本的人権を守ってこそ成り立つ。
 公の場で差別的な表現で人を傷つける行為を放置することは、日本人の尊厳を傷つけ、国益も損なうことを忘れてはならない。
 

(「ヘイトスピーチ 差別許さぬ判決を生かせ」新潟日報社説10月9日付)

 
 これに付け加える言葉はない。全国紙が失ったジャーナリズム精神の矜持を見る思いがする。
同様の社説は、「[ヘイトスピーチ判決]条約違反の人種差別だ」と題した、沖縄タイムズの社説にも見られる。さすが、沖縄タイムズという内容だ。
 東京新聞の「こちら特報部」(10月9日付)も、ヘイトスピーチの法的規制の必要性を強く訴えているのだが、同じ東京新聞の社説(10月8日付)では、ヘイトスピーチを禁じる法整備を求める声に対し、「権力に頼ることになり、恣意的な取り締まりにもつながりかねず好ましくない」と反対の意志を明確にしている。記者の声が社論になっていない。

 
■日本政府の姿勢を批判した沖縄タイムズ

 今回の判決で最重要なのは、ヘイトスピーチという言葉こそ使用されていないが、冒頭に書いたように、「在特会」のヘイトスピーチを「著しく侮蔑的で、差別的な発言」と認定し、「人種差別撤廃条約が禁ずる人種差別に該当する」と判断したところにある。そして「在特会」側の「憲法が定めた『表現の自由』の範囲内」との主張を一蹴したことである。
 沖縄タイムズは主張で次のように語る。
 

 (人種差別撤廃)条約では人種差別を助長・扇動する活動を禁止し、処罰することを義務付けているが、日本は留保しているため、規制する法律がない。
 政府は禁止法が必要となるような差別は存在しないことを理由にしているが、ヘイトスピーチの現場とは、かけ離れた認識ではないだろうか。
 不寛容な社会は息苦しい。ヘイトスピーチは「殺人」さえ叫び、人種差別をあおる。人権は普遍的な価値であり、人類が到達した理念である。

 

(「[ヘイトスピーチ判決]条約違反の人種差別だ」沖縄タイムス社説10月8日付)

 
 ここで法的規制に反対している“識者”とメディアに一言いっておきたい。
 差別表現、憎悪表現、そして、ヘイトスピーチ(差別・憎悪宣伝・煽動)は社会的マイノリティに向かってなされた場合を言うのであって、たとえば言葉は汚ないが、“安倍首相ウジ虫野郎死んでしまえ”とか、“麻生のクソ野郎世の中から消えろ”という発言に対してではない。このような不快で侮蔑的な言葉に対しては、それこそ名誉毀損罪や侮辱罪で訴えれば良いのである。マイノリティを対象になされたヘイトスピーチと、マジョリティに対しての侮蔑発言とを、同一視してはならない。
 最後に、今回の画期的判決は民事裁判であり、今後、ヘイトスピーチをめぐって起こされるであろう刑事裁判においても同様の判決を勝ち取るために、共に闘いたい。
 
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