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第169回 「アリさんマークの引越社 」の度し難い差別事件

○プレカリアートユニオン組合員に対する差別事件

赤井英和のCMでも知られている「アリさんマークの引越社」で度し難い差別事件が起こっている。

ひとつは、「アリ地獄」と言われるほど劣悪な労働条件の改善に立ち上がったプレカリアートユニオン組合員に対する不当な懲戒解雇事件。
この男性社員が復職を克ち取った後、職場に別紙,里茲Δ陛修蟷罎魴納┐靴榛絞姪な行為である。

差別的な貼り紙

「北朝鮮人は帰れ!」――異常としか思えない「在特会」が企業化したようなブラック&ヘイト企業を徹底的に批判し、男性社員を支援すべし。

○「アリさんマークの引越社」――差別的な採用面接注意事項

二つめは、前記事件の過程で明らかになった管理職研修の差別的な内容だ。(元支店長で東京人事部採用担当の男性が暴露した。)参加者のメモが残されている。そこには角田取締役、井ノ口晃平副社長らによる度し難い差別的採用面接注意事項が記されている。





 上に掲げた別紙◆∧婿罩をみてほしいが、「三国人→朝鮮人や韓国人」「ヨツ、ミツ(意味不明/筆者註)部落」「×てんかん」「×外国人」「障害者(級により診断書)」などと、在日韓国・朝鮮人差別、部落差別、「てんかん」差別、外国人(国籍)差別、そして障害者差別など、ありとあらゆる差別を、採用時に行うよう“指導”している。


○ネット上で拡がる「引越社」への抗議

このブラック&ヘイト企業「アリさんマークの引越し社」と闘っているプレカリアートユニオン組合員の男性に対し、多くの励ましの声が寄せられている。「アリさんマークの引越社」の差別に対する抗議のコメントも、インターネットのサイト上にあふれている。
 
水谷 明 2015/10/11
やっぱりこの会社はグズだな。労働組合員を中傷 批判するどころか 人種差別 部落差別 組合員に着せているオレンジ色の服など様々な人権差別を会社指導の元で教育している集団である!部落解放同盟の方もこの集団に対して共に闘いましょう!


アリ怖い 2015/10/11
この会社完全にアウトです。会社の研修で部落差別や人種差別って考えられない事してますね。何か変な集団なの?こんな集団に引越依頼して家の間取りや 住所 電話番号が知られるのが怖い。個人情報とか本当に大丈夫なのかな?

組合員 2015/10/11
引越社もうダメだな 在職中のドライバーの方は早く洗脳から抜けだして未払い残業代や弁償金がある方は 組合員Aさんと共に請求するべきです。

排斥軍団の方々へ 2015/10/11
これはいつの時代の話? 朝鮮総連や部落解放同盟に教えてあげてください。自分たちの利益のためなら何でもする邪悪な集団。これはひどい。外国人記者クラブにもご連絡を。日本が全世界に恥をさらすことになります。差別に苦しむ人の心をナイフでえぐるようなひどい事実に最大限の抗議をします。あなたたちには家族はいないのか?大きな反省を求めます。社会を馬鹿にするな。

ベイブルース 2015/010/13
このカルト集団 引越社関西で従業員による裁判が始まります。元大阪府知事 現大阪市長の橋下市長は 私と同じ中学校の卒業生で同和教育を受けておりましたが 今だに就職などで同和差別が 行われている事をどう考えているのでしょう。30年以上前に就職差別あると教えられていましたが 今だこのカルト集団は行っています。



 一部コメントを紹介したが、部落解放同盟に共闘を呼び掛けている。
では、部落解放同盟は、この事件と呼び掛けにいかに応えているのか。
ネットニュース“探偵watch”は次のように報じている。


○「問題解決に向けて取り組むよう厚生労働省に要請」???

部落解放同盟中央本部に話を聞いた。主に以下の2点が、今回の件を不当と見なす根拠になるのではないかという。職業安定法第3条「何人も、人種、国籍、信条、性別、社会的身分、門地、従前の職業、労働組合の組合員であること等を理由として、職業紹介、職業指導等について、差別的取扱を受けることがない」。労働基準法第3条「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」。(中略)なお、部落解放同盟では今回の問題を把握しているそうだ。問題解決に向けて取り組むよう、10月13日に厚生労働省に要請したという。
(探偵watch 10月14日 http://tanteiwatch.com/26758 より転載)


「職業安定法第3条と労働基準法第3条が、今回の件を不当と見なす根拠になるのではないか」と語り、「なお、部落解放同盟では今回の問題を把握しているそうだ。問題解決に向け取り組むよう、10月13日に厚生労働省に要請したという」と、最後に記されている。
  今回の事件は、部落差別事件でもあり、部落解放同盟にとって、法律に違反しているかどうかの問題ではなく、社会的糾弾をするかどうかの問題だろう。同じく差別されている、他の被差別団体および支援者たちとともに共闘を組み、事実確認を経て、徹底糾弾すべき差別事件ではないのか。
記事が事実とすれば、拙著『部落解放同盟「糾弾」史』(ちくま新書)で筆者が懸念し、批判した事態が、より一層深刻化している。「アリさんマークの引越社」差別事件は、今、解放同盟中央本部が事実確認会をしている「市町村アカデミー」の差別研修と比べようがないほど悪質かつ犯罪的だ。今回の「アリさんマークの引越社」の差別を糾弾しないで、何を糾弾するというのか。「厚生労働省に要請した」などと、眠たいコメントをしている場合かと思う。マスコミや公的機関、そして従順な大手企業を相手に、能書きを垂れている場合ではない。「内容なき抗議は空虚であり、思想なき糾弾は邪道である」。


○朝日新聞に対する申し入れ

 そう言えば、部落解放同盟中央本部の委員長・組坂と教宣広報部長・赤井の名で、今年の5月18日付「朝日新聞夕刊」に掲載した、名古屋名物・味噌カツが看板メニューのチェーン店「矢場とん」の記事中に就職差別がある、と指摘した申し入れをおこなっている。
「私たちが就職差別撤廃を求めて運動し、法制度上保障してきた『公正な採用選考の取り組み』を否定するものであり、強く抗議するものです。」と“要請と申し入れについて” には記してある。
朝日新聞社には抗議するが、より悪質なブラックヘイト企業の「アリさんマークの引越社」には厚生労働省に要請するだけでは、情けないを通り越して運動団体としての体をなしていないと言われても反論できない。


 ところで、「アリさんマークの引越社」のテレビCMに出演しているタレント赤井英和の所属事務所は、今回の事態を知った上で、以下のような対応をしているという。(探偵watch)
 
引越社のCMに出演する、タレントの赤井英和氏の動向も注目されている。CM出演が原因で、赤井氏の評判等にも影響が及ぶのではないかという懸念も聞かれる。赤井氏が所属するプランニング・メイによると、一連の騒動は把握しているという。だが、CMへの出演に関して特に問題はないと判断しており、赤井氏本人も全く気にしていないとのこと。引越社との契約ならびにCMへの出演は、今後も継続する方針であるという。

大阪の西成で生まれ育った赤井氏が部落差別を知らないわけがないと思うのだが……。

○紀伊國屋書店採用差別事件

かつて32年前の1983年、紀伊國屋書店の人事部が、採用にあたってのマル秘注意事項として、「ブス、チビ、デブ、カッペ、メガネ」などと記した差別マニュアルを作成していたことが発覚した。当時の社会党副委員長土井たか子議員が国会でも取り上げ、大きな社会問題となった事件である。
これは就職差別でもあるが、その核心は女性差別だった。当時、紀伊國屋書店糾弾の共闘会議に解放同盟から派遣されて、共に闘った記憶がある。
いま解放同盟中央本部は、市町村職員中央研修所(市町村アカデミー)の差別的研修に対して、事実確認会を行っているようだが、喫緊に要請されているのは、ブラック&ヘイト企業「アリさんマークの引越社」に対する徹底的糾弾だろう。厚生労働省に要請するような日和見ではなく、社会的糾弾をこそ断行すべきなのである。



 
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第168回 スポーツと人種差別〜黒人アスリートに対する逆説的偏見をかんがえる
オコエ瑠偉外野手の活躍
 
 1875年に気象観測が始まって以来、史上最高の暑さ(35℃以上)が続いている。8月6日には、夏の甲子園の始球式も行われ、いよいよ夏本番である。
  
 この甲子園大会に出場する注目選手の一人に、東東京代表・関東一高の外野手・オコエ瑠偉選手(3年生)がいる。ナイジェリア人の父と日本人の母との間に生まれたダブル(註)で、俊足と身体能力の高さが評価されている。プロも注目する期待のオコエ選手は、外見も父の血を引いて肌の色も褐色で身長も高いし、一見すると“外国人”ではないかと思ってしまう。
 
(註)ハーフという言い方は古いし、不十分だとして今は積極的にダブルという言葉が使用され始めている。「あいの子」「毛唐の子」→「ハーフ」→「ダブル」。「混血児」→「国際児」。
 
期待の陸上選手サニブラウン・アブデル・ハキーム選手
 
 もう一人、陸上競技の100
mと200
mで活躍している、父がガーナ人で、母が日本人のダブル、サニブラウン・アブデル・ハキーム選手(高校2年生)がいる。オコエ瑠偉選手と同じく、身長も高く褐色の肌が日本人離れしていると外見上は見えるが、ネイティブの日本人である。未完成で荒削りな走りを見ていると、今後の伸びを予測させるし、桐生選手よりも先に100m、9秒台を出しそうな予感さえする逸材だ。
 
日本女子バレーボール界期待の宮部藍梨選手
 
 さらにもう一人、日本の女子バレーボール界の期待の新人として、オリンピック強化メンバー入りした宮部藍梨選手(高校1年生)がいる。ナイジェリア人の父と日本人の母をもつダブルである。跳躍力が抜群で、まちがいなく将来日本女子バレーボール界を背負って立つ中心メンバーになるだろう。身長182センチの褐色の肌がコートを飛び跳ねている。先の二人と違い、名前も日本的で漢字だけだが、日本人であることに変わりはない。ダブルの選手はスポーツ界に山ほどいる。
 ロンドンオリンピックで活躍した槍投げのディーン元気選手(早稲田大学→ミズノ)は、イギリス人の父と日本人の母をもつダブル。同じく、ハンマー投げの金メダリスト室伏広治選手は、父がハンマー投げの“アジアの鉄人” 室伏重信氏で、ルーマニアのオリンピック選手だった母をもつダブルだ。

 
○「黒人は天性のアスリート」というステレオタイプ

 スポーツ界では珍しくないダブルの選手の活躍だが、最初に名前を挙げた三人は、まだ高校生で、アフリカ系「黒人」を父に持つ点で共通している。この三人の飛び抜けた身体能力は、どのようにして生まれたものなのか。
最初に断っておくが「黒人は天性のアスリート」「黒人だから身体能力が高い」「黒人だから強い、速い」というステレオタイプな理解は、人種差別につながる俗説であることを指摘しておきたい。 
 すでにオリンピックの、とくに陸上競技での「黒人」選手の活躍はめざましいものがある。他のスポーツで活躍している選手に対してもいえることだが、黒人選手が、強く、速く、身体能力が高いのは、生得的・生理学的、遺伝的要素によるところが大きいという虚構が作り上げられている。これは、裏返しの差別(人種差別)であり、何の科学的、客観的、実証的根拠もなく、非黒人が作り上げた反知性主義的物語にすぎない。このような、黒人を天性のアスリートと見なす言説は、20世紀初頭から歴史的に形成されてきた。
 黒人に対する人種差別が根強かった19世紀後半から20世紀前半までは、黒人の身体は劣ったものと認識されてきた。それはあたかも、ヒットラーがユダヤ人を劣った民族と見なし、迫害した人種差別優性思想そのものだった。強く、速い黒人選手の身体的能力は、彼・彼女の持つ個人的資質と運動能力、そして努力と環境のおかげで発揮できたのであり、「黒人」という生得的・生理的、遺伝的「人種的」な属性によるものではない。
 この自明のことが、肌の色の違いによって、つまり人種的偏見によって、ステレオタイプ化され、逆説的な言説となって表象されるのである。

 
○「マヤ・アステカ・インカ文明は宇宙人がもたらした」説に隠された偏見

 
 先日、NHKBS放送の「幻解! 超常ファイル」で、古代中南米大陸に存在した高度なマヤ、アステカ、インカ文明を、スペイン人の侵略者が地球外生命(宇宙人)による創造物と見なし、その末裔である先住民を劣った「種族」として支配し、迫害したと解説していたが、黒人アスリートに対する“作り話”もこのたぐいの非科学的なものである。
 
 8月6日に開幕した高校野球は、今年で記念すべき100周年を迎えた。
 始球式は、王貞治さん。王さんが中華民国(台湾)出身の父親をもつ日本人であることは、国民周知の事実である。しかし、だからといって、台湾人が野球に適した身体能力を生得的・生理的に持っているとは誰も思っていない。
 ではなぜ、「黒人」に対してだけ、そのようなステレオタイプの偏見を持っている(持たされている)のだろうか。詳しく知りたい人は、川島浩平著『人種とスポーツ 黒人は本当に「速く」「強い」のか』(中公新書)を読むことをお奨めする。
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第167回 ヘイトスピーチの法規制について考える(その2)―朝日新聞社「報道と人権委員会」の議論を読んで
2015年7月31日

前号166回に引きつづき、朝日新聞社第三者機関「報道と人権委員会」での宮川光治元最高裁判事の発言について考えていこう。

 
――宮川委員の発言
 
宮川委員 (1)欧州での反ユダヤ主義、移民排斥運動、米国やカナダでの人種主義とは異なる様相をもっており、特殊、日本的な事態と言ってもいい。  (2)表現の自由が民主主義社会の基盤であることを考えると、ヘイトスピーチ表現により、被害者が現に重大で、著しく回復困難な損害を被る危険が明白にあるということでなければ、処罰法規での規制は、許されないと思う。在日韓国・朝鮮人という被害者集団に属する人たちの人格の尊厳を回復困難なまでに侵害する明白な危険がある、そういう表現行為を定義付けるのは困難だと思う。また、暴力の扇動を規制する立法が必要なまでの状況はない。
 処罰法を構築しても、人種差別、民族差別が抑制され、偏見が減る保証はなく、そのことは排外主義の台頭に悩む欧州社会の現状が示している。処罰法はもろ刃の剣であり、私は処罰法には慎重であるべきだと思う。

 
○ヘイトクライムは処罰対象だがヘイトスピーチは「表現の自由の範囲」?
 
宮川委員の意見、すなわちヘイトスピーチは表現の自由の範囲内であり、ヘイトクライムがあって始めて処罰の対象となるとの考えには、二つの誤りがある。
一つは、ヘイトスピーチを受けた側の精神的苦痛は、(言葉による)暴力の結果であり、物理的・肉体的傷害と区別する合理的かつ法的根拠はないということだ。
二つめは、ヘイトスピーチの和訳を朝日新聞の解説でも「差別的憎悪表現」としているところにある。単なる「憎悪発言」あるいは「憎悪表現」とするよりマシだが、認識の根本において違いはない。           「死ね」「殺せ」などのヘイトスピーチは、正確には「差別的憎悪扇動」と表現すべきであり、そうであるが故に、扇動行為のターゲットとされた被差別マイノリティの心に、深い心理的傷を負わせるのである。
ヘイトスピーチの定義について、中途半端な認識を前提に規制反対論を展開するから、現実から遊離した空理空論になるのである。
ヘイトスピーチに対する認識不足から、というよりも、先に結論ありきで、自己の主張に都合の良い「ヘイトスピーチ」物語(概念)を作り、そこからしか物事を見ない態度、つまり、客観性・実証性を無視ないし軽視し、自己(憲法学)の殻(権威)に閉じこもり、論を展開する「反知性主義」的主張といわねばならない。

 
○ユダヤ住民の家屋にハーケンクロイツを描きヘイトクライムで逮捕(米国)
 
ヘイトスピーチ=言語表現、ヘイトクライム=実行行為と理解しているようだが、すでにアメリカでは、ナチスのシンボル、ハーケンクロイツ(鉤十字)をユダヤ系地区の家屋にスプレー缶で描く嫌がらせを行った犯人は、憎悪犯罪(Hate crime)で逮捕されている。単なるスプレー缶による表現の自由でもなく、器物損壊罪でもない、人種差別にもとづくヘイトクライムで逮捕されているのだ。
アメリカのサウスカロライナ州チャールストンで起きた、教会での銃乱射で黒人9人が射殺された痛ましい事件は、ヘイトクライムの恐ろしさと犯罪性を最悪の形で示している。アメリカ国務省は、容疑者をヘイトクライム(憎悪犯罪)の罪で起訴している。
ヘイトクライムの概念は深く広い。ヘイトスピーチはヘイトクライムの一部分でもあるのだ。
「ヘイトスピーチは表現の範囲」などという宮川元最高裁判事は、一度でいいから、現場に行って自分の目で確かめ、自分の耳で聞いてから発言したほうがいい。
さらに許し難いのは、「処罰法を構築しても、人種差別、民族差別が抑制され、偏見が減る保証はなく、そのことは排外主義の台頭に悩む欧州社会の現状が示している」との宮川委員の発言(前号166回WEB連載)である。
これは、殺人罪を作っても殺人がなくならないのだから無意味といっているに等しい。こんな陳腐な法理解で、よくも最高裁判事が務まったものと、開いた口が塞がらない。安倍首相並みの反知性主義といわざるを得ない。

 
○長谷部恭男 早稲田大学教授の発言
 
長谷部委員 (1)ヘイトスピーチはヘイトクライム(少数民族、社会的マイノリテイーへの偏見や憎しみに基づく暴行などの犯罪行為)と結びつくリスクがある。米国ではアフリカ系などの少数民族に対するヘイトクライムがある。フランスでは、特にユダヤ系の人々に対する暴行傷害などのヘイトクライムが頻発し、近年では毎年何千人単位で、ユダヤ系住民が国外移住していると言われる。日本では、状況はそこまでには至っていない。
(2)表現の内容にもとづく規制は、表向きは正当な理由、立法目的を掲げているものの、経験的に言って、政府の側に特定の党派や思想を抑圧しようという不当な動機があって導入される蓋然性(がいぜんせい)が高い。そうすると、思想や情報の自由市場がゆがめられ、思想の自由市場がうまく機能しなくなる。だから、表現の内容にもとづく規制は、原則許さない、というのが憲法学のオーソドックスな考え方。ヘイトスピーチも表現活動であり、その規制は表現の内容にもとづく規制ということになる。やはり、慎重の上にも慎重に、規制の必要性や合理性を考えねばならない。
(3)私は(犯罪行為)であるヘイトクライムとヘイトスピーチは区別すべきだと考える。ヘイトクライムを重く処罰することは憲法学から見ても問題は少ない。ただ、そのことと、ヘイトスピーチについて、どのように対処すべきかは、別のことだと考える。

 
○長谷部委員の発言(1)「日本では状況はそこ(欧米)までには至っていない」
 
人種差別主義のヘイトスピーチが被害者にもたらす現実が、まるで見えていないのは、先の宮川委員と同じといっていい。「日本では、状況はそこまでには至っていない」とは、何を指して述べているのだろうか? 在日韓国・朝鮮人、あるいは、中国人が母国に逃げるような事態が起こるまで静観していればよい、とでもいいたいのか?
では、母国が日本のアイヌ民族、および被差別部落出身者の脅威は何を基準に判断するのだろうか? またフランスにおいては「ユダヤ系の人々に対する暴行傷害などのヘイトクライムが頻発し」と述べているが、イスラム教徒やロマ(日本では差別的に「ジプシー」と呼ばれている)に対する迫害の実態が、教授の視野に入っていないのは、なぜだろうか。

 
○長谷部委員の発言(2)論理のすり替え
 
権力者が、目的意識性をもって権力を濫用してきたのは世界の歴史が教えるところであり、それを理由に「経験的に言って」「ヘイトスピーチの法規制」に反対するのは、喫緊の具体的な課題にたいし、抽象的な一般論で反対しているに過ぎず、論理のすり替えがある。
法規制は、その内容、定義を厳密にすることはもちろんだが、立法化を目指さすのは、あくまで手段であって目的ではない。法規制は、反人種主義、差別を許さない社会運動にとって、闘いの武器になるところに最大の意義がある。

 
○長谷部委員の発言(3)ヘイトスピーチがわからないからヘイトクライムもわからない

ここでも、ヘイトスピーチを「差別的憎悪表現」ととらえているところから、混乱と誤解が生じている。精神的苦痛と肉体的打撃を区別して考える根拠に意味はない。以前この連載でも書いたが、私の定義を参考までにしめしておく。
 
[ヘイトスピーチとヘイトクライム]
ヘイトスピーチとヘイトクライムの違いは、「扇動」か「実行」かの違いであり、ヘイトクライム=差別的憎悪行為の実行、つまり差別的憎悪感情にもとづく肉体的攻撃であり、その延長線上に、ジェノサイドがある。ヘイトスピーチ(扇動)→ヘイトクライム(実行)→ジェノサイド(大量虐殺)
 
ヘイトスピーチに対する多くの知識人の発言もそうなのだが、長谷部委員の発言を読むと、言動における精神的暴力と物理的な肉体に対する暴力を区別し、統一的に理解していないところに問題がある。「表現の自由」か「法規制」かの二項対立的な思考と同様の、現実に即して物事を考えていない抽象論といえる。ヘイトスピーチは、ヘイトクライムの一部を構成していると理解すべきなのだ。
結論をいえば、この朝日新聞の記事は、ヘイトスピーチ法規制反対の社論を客観的に見せようと企図した、自社広告的記事といえる。
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第166回 ヘイトスピーチの法規制について考える(その1)―朝日新聞社「報道と人権委員会」の議論を読んで
○「憎悪の表現と法規制」についてかわされた議論の中身
 
 朝日新聞の7月21日付朝刊に「ヘイトスピーチ」をテーマに、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」定例会が開かれ、「表現の自由とも絡めて法規制をどう考えるか」について交わされた意見の概要が「憎悪の表現と法規制」と題されて載っている
 
  発言者(委員)は長谷部恭男早稲田大学教授、宮川光治元最高裁判事、今井義典元NHK副会長の三人。
論旨は概ね、法規制反対で、朝日新聞社のヘイトスピーチ法規制に慎重な論調を追認するような内容である。
 大きな紙面を割いて、朝日新聞社が主張したかったのは、客観的な第三者の有識者も朝日の社論と同じですよと、強調したいがためであろう。唯一の救いは、今井委員が多少なりとも元ジャーナリストの視点からヘイトスピーチの法規制を主張していることである。
 今井委員の発言を見てみよう。
 
――ヘイトスピーチをめぐる国内の現状をどう見るか
今井委員 国内での受けとめ方はやや鈍感ではないか。近隣の国々との関係が良好に進んでいないことや歴史問題も背景にあり、この問題を国内のマイノリテイー、外国から来て日本で暮らす少数の人を対象にした小さなこととして見逃してはならない。日本語では憎悪表現などと訳して使うが、もっと深い忌まわしい意味をこの行為は持つと感じる。
 
今井委員 ヘイトスピーチの規制は別の角度から言えば、人種差別を声高に叫ぶ人たちにも表現の自由を認めていいのか、現に重大な人権侵害という害悪を受けている人たちを救済する道がなくていいのか、非常に難しい選択を迫られている。
 ただ、日本社会では、ひとごととの軽く受け流す意識があると思う。ヘイトスピーチは基本的に悪である、という意識を国民全体が共有するものが必要になってきているのではないか。その共通の理念として、法律で人種の差別を押さえ込む、基本的な原則を打ち出すことがまずあるべきではないか。
 
と、至極まっとうな意見を述べている。それに対し、元裁判官の宮川委員はつぎのようにいう。

 
○「日本のヘイトスピーチはヨーロッパの人種主義とは異なる特殊日本的現象」――宮川委員の発言(1
 
宮川委員 (1)欧州での反ユダヤ主義、移民排斥運動、米国やカナダでの人種主義とは異なる様相をもっており、特殊、日本的な事態と言ってもいい。(2)表現の自由が民主主義社会の基盤であることを考えると、ヘイトスピーチ表現により、被害者が現に重大で、著しく回復困難な損害を被る危険が明白にあるということでなければ、処罰法規での規制は、許されないと思う。在日韓国・朝鮮人という被害者集団に属する人たちの人格の尊厳を回復困難なまでに侵害する明白な危険がある、そういう表現行為を定義付けるのは困難だと思う。また、暴力の扇動を規制する立法が必要なまでの状況はない。処罰法を構築しても、人種差別、民族差別が抑制され、偏見が減る保証はなく、そのことは排外主義の台頭に悩む欧州社会の現状が示している。処罰法はもろ刃の剣であり、私は処罰法には慎重であるべきだと思う。
 
宮川光治元最高裁判事の発言の(1)の部分をよく読んでみよう。
日本のヘイトスピーチが、とくに在日韓国・朝鮮人を標的にしていることについて、宮川元判事は、欧米の人種主義とは異なる「特殊、日本的な事態」という。これは、差別についての無理解から生じるトンデモ本レベルの発言である。欧米の人種主義と日本のヘイトスピーチが異なるのは、差別(人種差別)の現象形態つまり表現形式の違いであって、差別の本質、つまり差別の内容に何ら違いはない。

差別の現象形態には、人種、民族、宗教、性、障害、部落、在日、アイヌ民族など様々な形があるが、差別とは、

【〈差異〉を理由に、特定の個人や集団が意図的に排除・忌避・抑圧・攻撃・軽蔑の対象とされ、基本的人権(市民的権利)が侵害され社会的に不利益を被り、人間の尊厳を否定される状態】

のことであり、地域・国家によって様々な形があるが、その本質は同じなのだ。
 
 2013年に、京都地裁が京都朝鮮第一初級学校南門前における「在特会」のヘイトスピーチを「「表現の自由に値しない」「著しく侮蔑的な発言を伴い、人種差別撤廃条約が禁ずる人種差別に該当する」と判断したことを受けて、読売新聞社説が「ナチスによるユダヤ人虐殺の記憶が色濃い欧州と日本では、歴史的背景が大きく異なる点に留意せねばならない」と述べ、法規制に慎重な主張をしたのと同じレベルである。つまり、欧米との形式的違いを強調して、現下のヘイトスピーチを特殊日本的現象として、国際人権基準を無視し、法規制を避ける論拠とするごまかしである。
そして、この主張そのものが、在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチを軽んじる差別である。

 
○「明白な立法事実(マイノリティ虐殺)が確認されるまで法規制は必要ない」――宮川委員の発言(2
 
 つぎに宮川委員発言の(2)については、あまりの現状認識の希薄さに驚かざるを得ない発言である。現下のヘイトスピーチはたいしたことではないという認識の下、被害者が受けている精神的ダメージと苦痛、生命を奪われる恐怖に対して、まったく理解していない。想像力が枯渇しているとしか言いようがない。そこから宮川氏は、「暴力の扇動を規制する立法が必要なまでの状況はない」と断ずるのである。
要するに、ヘイトスピーチ→ヘイトクライムによって、在日韓国・朝鮮人をはじめ社会的マイノリティーが虐殺される“立法事実”が確認されるまで、法規制は必要ないと言っているに等しい暴論である。


 
○「我々が見ようとしないのは被害者の存在だ」安田浩一
 
 6月11日に行われた「ヘイトスピーチとナショナリズム」のシンポジウムで、ヘイトスピーチの現場で身体を張ってディープな取材を続けている安田浩一さんは、ヘイトスピーチの現場で「私たちが見なかったもの、見ようとしなかったものとは何かというと、被害者の存在です」と述べ、さらに以下のように語った。


 
それ(ヘイトスピーチ)は確実にこの社会の一員であるマイノリティを傷つけ、マイノリティの排除を狙うことによって、その人々の心を大きく傷つけている。
これを私は、少なくとも言葉の暴力だとはとらえていません。言葉の暴力という表現をかつて使っていたことがありますが、使うのを一切やめました。これは暴力そのものです。人間を傷つけ、人の存在を否定し、そればかりか、この社会のあり方、地域のあり方すべてを傷つけ、否定するものだと思っています。ですからこれは暴力以外の何物でもないのです。
乱暴な言葉であれば、私たちも日常使っているわけです。ヘイトスピーチというのはそうではなく、私たちがどんなに努力しても乗り越えることのできない、変更することのできない属性に対する暴力だと思うわけです。(創』8月号)
 
                                            以下、次号

 
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第165回 「盲目」という言葉
有名なワイツゼッカー演説
 
「盲目」という言葉を使った表現は、日常的に数多く用いられている。とくに有名なのが、先ごろ亡くなった元ドイツ大統領ワイツゼッカー氏(当時は西ドイツ大統領)の演説にある次のフレーズである。
 
「過去に目を閉ざす者は現在に対しても盲目となる」
 
1985年、ナチス・ドイツ敗戦40周年にあたって、西ドイツ連邦議会で行った演説で、その中で、ナチス・ヒットラーの蛮行、ユダヤ人600万人、スィンティ・ロマ(日本では差別的にジプシーと呼ばれている)60万人、そして同性愛者、精神障害者20万人を虐殺したホロコーストについて、最大限の反省の意を、国家を代表して明言した歴史に残る演説である。(戦前日本が行った侵略戦争や従軍慰安婦の存在を認めない70年談話を画策している安倍晋三と何たる違いか。)

 

■「無知」の喩えにつかわれる「盲」の比喩
 
今回とりあげるのは「現在に対しても盲目となる」というフレーズである。これを分かりやすく言えば、「過去に目を閉ざす者は現在に対してめくらと一緒で、何も分からない人間となる」ということだろう。ここには視覚障害者に対して社会に存在する差別意識が現れている。
つまり、この表現は、視覚障害者に対する比喩としてよく知られている「めくら蛇に怖じず」(物事を分からない者はその恐ろしさもわからない。無知な者は向こう見ずなことを平気でする)、「群盲象をなでる」(多くの盲人が象をなでて自分の手に触れた部分だけで象について意見を言い合う意から、凡人は大人物・大事業の一部しか理解できないという喩え)と同じレベルと言って差し支えない。
しかし、このフレーズが社会的に問題とされたことを寡聞にして知らない。
あまりにも有名で、第二次大戦でドイツが犯した犯罪を心の底から真摯に反省した演説として名高いから、少しおかしいと思っても遠慮しているのであろうか。

 
視覚障害者当事者はどう感じているか
 
それでは、視覚障害をもつ人たちは、この言葉についてどのような思いを抱いているのか。拙著『差別語・不快語』の中でまとめている、遠藤織枝氏の調査(2000年)から見てみよう。
 
先に例にだした「めくら蛇に怖じず」に対して、「容認できる」と答えた視覚障害者は23.5%。「避けたい」「絶対に言わない」と答えた人は53.0%である。
「群盲象をなでる」については、容認は23.1% 拒否は45.8%
「盲目的」(盲目ではない)については、容認が45.3%、拒否42.3%と意見が分かれている。「盲目的」と「盲目」では、「盲目」のほうがより強い表現のように思われるが、それでも半数近くの視覚障害者が差別感(不快感)をもっている。
このときの調査で明らかになった視覚障害者が強く傷つく表現として、「あんま」が容認65.09%、拒否27.0%であるのに対して、「あんまさん」と呼ばれることに61.1%の視覚障害者不快感を示していた。
最も差別的(不快)と感じる言葉は「めくら」で、88.5%だった。
言葉の使用に当たっては慎重な配慮が求められるだろう。

 
■佐藤優さんのワイツゼッカー演説引用
 
ちなみに、ドイツ語が堪能な佐藤優さんは、その著書『創価学会と平和主義』(朝日選書)の中で、ワイツゼッカー氏の同じ演説を次のように訳して引用している。
 
「過去に目を閉ざす者は現在に対しても目を閉ざすことになる」
 
私が知る限り、このような訳は、佐藤優さんが初めてである。佐藤優さんは「盲目」に差別的な意味を感じて意訳したのではないかと思っている。
しかし、その一方で、この「盲目」を何のためらいもなく比喩的表現に使用した学術本は、数え上げればキリがない。カントの『純粋理性批判』にも次のような表現がある。
 
「内容なき思惟は空虚であり、概念なき直観は盲目である」
 
知り合いの企業の方が、たぶん社内の人権研修だったと思うが、このワイツゼッカー氏の言葉を、発言者がワイツゼッカー氏であることを伏せて例題に出したところ、多くの受講生が、「差別的な比喩表現だ」と回答したとのことである。
ワイツゼッカー氏の演説は本当にすばらしい内容である。だからこそ、この「盲目」という表現は、別の言葉で翻訳されるべきだ。
2015年1月31日のワイツゼッカー氏死去にあたって、すべての新聞・テレビが、何のためらいもなく「盲目」という言葉で、その演説内容を報じていたが、反省すべきであろう。ちなみに「明鏡国語辞典」(大修館書店)には、「盲目」の説明の最後に「視覚障害者を比喩として使う差別的な言い方」とある。

 
■大和ことばでは「めがくらいひと」
 
ちなみに記紀万葉の時代、視覚障害者は大和ことばで「めがくらいひと」(目が暗い人)と呼ばれていた。
中国から、官僚制と漢字を導入した頃から「めがくらいひと」は漢字表記で「盲人」(目が無い人)となり、「盲」の字そのものに含まれている差別性が、以降の日本社会に定着したと言ってよい。
「目が暗い人」と「盲人」の間には差別がある。
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